札幌は雨…
気分もどんより…
ファイターズ、もう、なんでもいいから勝って欲しいですね!参りますよ、全くもう!( i _ i )そんなわけでよろしくです!^_^
都会派ニューミュージック先駆者として南佳孝を知ったのは郷ひろみが「セクシーユー」というタイトルでカバーしてヒットした時。
オリジナルは「モンローウォーク」
西武球場のライブイベント序盤で初めて観た時には、想像していた以上に良かった。南佳孝がギター弾きながら軽快にこの曲を歌った時には会場中が盛り上がったなあ!
そして決定打はもちろん片岡義男原作、角川映画のタイトルソング「スローなブギにしてくれ」(かっこいい故 古尾谷雅人や猫のような浅野温子が良かった)
最初にこれを聞いた時には「モロにオーダーリンじゃんかあ!」と思ったけど、見事に南佳孝サウンドに昇華されていて文句の付けようがないくらいに素晴らしいしずっとお気に入りです。
この後、沢田研二も似たようなリズムアレンジの曲をシングル化していたけど、軍配はダントツで南佳孝でしょう。
1981年に、今はなき九段会館コンサートで生の「スローなブギにしてくれ」を体験しました。
この時、南佳孝はキーボードプレイヤーだった。同月、NHKの喫茶店で勤務先の先輩と一緒に打ち合わせで南佳孝さんと向き合ってコーヒーを飲んだ時は内心興奮したなあ。
で、久しぶりに80年代の南佳孝さんのシングルを聴いてみたんだけど、全然古臭さを感じさせないセンス溢れる名曲ばかりなので感動しちゃったよ。
今も話題になる競作曲とかはあるのかなあ?1つの曲を沢山のシンガーやバンドがこぞって発表して、どれもこれもが世界中でヒットするというパターン。私が洋楽で最初にそれを知ったのは「マミーブルー」中学生の時だ。この曲のオリジナルはスペインのポップトップスなんだけど、思い入れがあるのはリッキーシェイン。ちょいワイルドでラテン系のルックスがカッコいいあんちゃんで来日もしてテレビに出演して歌っていました。そして、ジェームズダーレン。この人は歌える俳優さん!私が強烈に覚えているのは「タイムトンネル」あの主演男優さんです。毎回あのテレビドラマは大好きで観ていたよ!^_^
中学生の頃、一気に引き込まれた
ブラスロックの代表バンドは
今でも心に強く残る最高の存在
ニューロックの夜明けとともに現れた伝説のバンド、シカゴは、一大センセーションを巻き起こしたブラスロックというジャンルを確立した代表格。それまでのロックでは主役になり得なかった管楽器が主体となって、リフからソロに至るまで迫力満点に吹き荒れるのです。現在のAOR化した彼らしか知らない人たちが初期のサウンドを聞いたら、その迫力に圧倒されるはず。僕も中学生の時にラジオから流れてきたヒット曲『長い夜』で一発ノックアウトされてしまい、その瞬間から人生観が一変したといっても過言ではありません。とにかく才能あふれる若き7人組はやりたいことが際限なく、デビューから4作目までが2枚から4枚組というそのボリュームにも驚かされました。わずかな小遣いを工面しつつも愛する音を追い続ける、寝ても覚めてもシカゴ一色の日々。そのなかで発表されたこのアルバムchicagoⅤはジャケットデザインからして印象深く、初期シカゴの集大成とも言えるでしょう。それまで培ってきたありとあらゆるエッセンスが凝縮され、ロックを基本にジャジーにファンキーにソウルフル。コーラスワーク、アレンジ、リズムも緻密に構成されています。今聞いても新鮮で、新たな発見がありますね。初ミリオン『サタディ・イン・ザ・パーク』が今ではスタンダードポップソングになっていることからも、その実力がうかがえます。過激派とノンポリ学生の対話で構成されている『ダイアログ』も印象的でした。
1973年には、来日記念盤『俺たちのアメリカ』を伴ってついに来札。僕は手製の旗を振り続け、生の姿の初体験に涙で熱狂しました。後にも先にも、僕のこれまでの人生において夢のような最高のライブは、あの時に尽きると思います。
<DATA>
『シカゴⅤ』
シカゴ
1972年発表。初の全米チャート1位を獲得し、現在もファンの間から強く支持される、まさに初期シカゴの代表作。2003年には、結成35周年記念のボーナストラックが追加されたリマスター盤もリリースされている。
写真は全てLP!!!
花弁 (petal) はいわゆる"花びら"であり、ふつう花の中で最も目立つ器官である。 花弁の集合体が花冠 (corolla) である。 花弁が派手なのは送粉者を誘引するための特徴であり、また効率的な花粉媒介がなされるような特殊な形をとっているものも多く見られる。
masa's art chicago logo respect gallery
ムッシュかまやつさん!
ジャンルも世代も軽く超越して、誰からも慕われ愛されてきた方でしたね。
あの人懐こい懐の深さと、温かな人柄が忘れられないです。俳優としても独特の味を発揮。
私は偶然に二回ほどムッシュかまやつさんを見かけた事があります。
40年位前に羽田空港のロビー目の前に1人立っていたムッシュはお馴染みあのままの姿で佇んでいました。足元にはもちろんギターハードケース。
ロッドスチュワートばりのツンツンヘアに、黒のジャケットをラフに着こなしていて、ロッカーそのものでカッコよかったなあ^_^!
GSで華々しくデビューしたスパイダース。
コンポーザーとしてもムッシュは八面六臂の大活躍。あの頃であれだけ先を行く発想は只者ではない。
南沙織に捧げた、盟友吉田拓郎とのコラボヒット「シンシア」を経て、極め付けは…
ムッシュの集大成アルバムで最高傑作
「あゝ、我が良き友よ」
1974.4.5発売。14曲入り。ジャケットデザインが、すでにパンクしてますね〜。
タイトルトラックはもはや説明不要。
最後はムッシュのオリジナル歌謡ブルース「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」で渋くトドメを刺す。
とにかくゴージャスな内容を思い切り堪能できること、請け合い。
それもムッシュの誰からも慕われるところに、起因しているのでしょうが、ありとあらゆる角度でビックリするようなメンツが大挙して参加しています。
ざっとあげてみますと…
松本隆、細野晴臣、ガロ、山上路夫、リリー、吉田拓郎、井上陽水、深町純、大瀧詠一、安井かずみ、高中正義、かぐや姫、石川鷹彦、遠藤賢司、
サディスティックミカバンド、ハイファイセット、松任谷正隆、村上ポンタ秀一、吉田美奈子、山下達郎、ティンパンアレイ、そしてタワーオブパワーがRCサクセションとハシゴしながらもレコーディングに協力してもいます。この時代にこの顔ぶれ。
まさにムッシュならではの厚き人望ありきの、ムッシュ以外には絶対あり得ない奇跡のクレジット群。
60年代後半の流行歌には、変な歌が堂々と次々に大ヒットしてましたね。
今から考えたら、なんとものんびりとしていて平和な時代。
1967年にフォーククルセダーズが「帰ってきたヨッパライ」をリリース!社会現象になるほどの大ヒット!
で、翌年には「ケメ子の唄」が登場! どれもボーカルの回転数を速めてのレコーディング。テープ操作のこれは明らかにビートルズの手法。
ザ ダーツ、ザ ジャイアンツが競作という形で歌っていましたが、両曲ともにヒットしましたね。私も小学生でしたが、とかく子供というのは、こういったへんてこりんなモノにはすぐに飛びつきますから、友達とふざけて真似していました!
仕掛け人はハマクラこと巨匠 浜口庫之助先生!