「スペクトラム」
日本のロック史において、初の本格的テクニカル・ブラスロック・バンドです。活動期間は2年足らずでしたが(1979~1981)彼らの残したサウンドはその後の音楽シーンに確実に多大なる影響を及ぼしました。
そもそも母体となるグループは日本の70年代音楽界において多方面で活躍していたMMPとホーン・スペクトラムからなる合体がきっかけ。
彼らはあいざき進也、キャンディーズ(解散ライブの熱演は有名)、沢田研二、サザン・オール・スターズ、原田真二、郷ひろみらのライブやレコーディングで腕を磨いていた超一流ミュージシャン達です。
それまでの日本ロック界には存在し得なかった音楽はもとより、ステージ・パフォーマンス、コスチュームなどを追及していきます。
12インチやビデオクリップまでをも製作。積極的にテレビやCMに出演。(タイアップソングも)
とにかく時代の先を行き過ぎたのが彼らにとっての悲劇、誤算・・・。もうちょっと後、MTVが出現した頃のデビューならば短命に終わらず、もっと面白い事になっていたでしょうね。
ホーン・セクション3人を擁する8人編成。
デビュー・アルバムはアメリカLAでレコーディング。
1979年末の日本青年館のデビュー・ライブから1981年9月22日、日本武道館の解散ライブまでを一気に疾走。瞬く間に伝説と化したのです。
オリジナル・アルバムは6枚。
「イン・ザ・スペース」「トマト・イッパツ」「夜明け アルバ」(写真のシングル)
実はリーダーのトランペッター&ヴォーカル、新田よろしく一郎さんはじめメンバー達は、かなりのシカゴ・ファンだったようですよ。
正式音源はありませんがテレビ・スタジオライブで「ストリート・プレイヤー」をご本家に匹敵するほど、サラリと演奏、視聴者を圧倒してもいました。
この映像は劇レア。
また曲調はまったく違いますが、タイトルに「クエスチョンズ81&82」という曲も存在、しっかりとシカゴに対しての敬意をはらっています。
彼らもシカゴ風ブラス・ロックが本当はやりたかったのでは?・・・と推測しちゃったりもします。
でもその頃のシカゴは低迷期。
そして時代はファンク、ディスコ、フュージョン・ブーム真っ盛りで特にEW&Fがヒット曲を連発していました。
そこからヒントを得たのか、フィリップ・ベイリーばりに新田一郎氏はファルセット・ボーカルを披露(常にかっこいいレイバンのサングラスを装着。たまには外してもいましたが)
バンド・ロゴもピラミッドをモチーフにしたトライアングル型。
そしてメンバー全員の衣装も中世の騎士をモチーフにした鎧兜風。
相当にお金をかけていましたね。
もちろんステージ・パフォーマンスは超派手。
まずはブラス隊全員が横1列に並んで軽快なステップを踏む。
腰を落として両足を左右に開いて華麗にダンシング。
更には管楽器をクルクル回転。
ドラム・スティックの回し技なら当たり前ですがね。
まだまだこれだけではありませんよ。
掟破りのギタリスト&ベーシストがおへそあたりのベルトで固定してある楽器をステージ前方に並んで、左右に綺麗に回転させるのですよ!!
もちろんシールドなんて引きずっていたらあんなことできませんから、ワイヤレス使用。
とにかくステージ狭しと端から端まで走り回ってのソロ・プレイ。
これらの連続アクションは一歩間違えば楽器破損トラブルどころか大事故、大怪我に発展しますから相当にリハーサルを重ねたのでしょうね。
観ている者は初めての体験に最初は目が点、でもすぐにスペクトラムの虜になってお祭り騒ぎ。
語り草となってゆきました。
だってあんなバンドを一度でも観ちゃったらインパクト絶大で絶対に忘れられないし、誰かに教えたくなるものでしょう。
「なんかモノ凄いものを見ちゃったさあ!!ねえねえ知ってる?スペクトラム!!」
私は80’SJAM・OVER・JAPAN埼玉県は所沢市西武球場でナマのスペクトラム・ライブを体験しています。
7月27日(SUN)西武ライオンズ球場でのこと。
このイベントの中間部分(17:40)にスペクトラムが登場。
とにかく度肝を抜かれましたね。
日本のロックバンドであれだけ緻密な計算の元にあらゆる方面で印象付けられた迫力のライブバンドは後にも先にも私にとっては彼ら以外に思い出せません。
この日の日本の出演ロックバンドは計8つ。
どれもが素晴らしかったですよ。
ライド・オン・タイム発表直後の「山下達郎」、そして大都会の「クリスタル・キング」、モンローウォークヒット中だった「南佳孝」、吹奏楽団による宿無しからはじまった「ツイスト」、この夜大事件が起きた「シャネルズ(ラッツ&スターの前身)」、まだブレイクする前の、私個人的にはこの頃が最高だった「ハウンド・ドッグ」、トリは「萩原健一」
フィナーレには内田ロックンロール裕也氏も登場。
まさに奇跡のような夢の一夜でした。