先秋 父を連れて近くの山 百々が峰の麓松尾池に連れて行ったことは 前に書いた。
少し歩いては 座り込んで息を整えて・・・の山歩きだったけれど 墨絵の良い題材ができたと喜んで暮れた。 お世辞かも知れなかったけれど その後 テレビで鴛鴦が放映されたり 新聞に載ったり雑誌に取り上げられたりするたびに それを切り抜いて嬉しそうに見ていた母のはしゃぎようから見て 本当に嬉しかったのかも知れない。
父はもう自分で出かけて見ることが出来ないので あちこちの写真を送って欲しいと言っていた。 あんっまり良いできでなくても 自分で行ったことがあるところは それなりに想像が出来るだろうと 松尾池の写真と 多治見の虎渓山の写真を送っておいた。
「できたよ。 会心の作だよ」
と電話があったのは くれだった。 正月に行ったら沢山の短冊を並べて うんちくを話し始める。 父はもう 大きな屏風絵をかけるような体力は無い。 色紙や短冊 絵はがきが 丁度良い。
そこで短冊に書く難しさを語り始める。 短冊は 細長い世界。 そこに完成された自分の世界観を書かないと退屈な絵になってしまう。 写実を書けば あの細長い世界に書きたい世界はかけないし 細長い窓からのぞいただけの世界に 思いを映し出すことは出来ない。
自分が感動したひとつひとつを 組み直してみる。 ここの池にどんな萩の滝が良いのか? 山の景観は・・・ それを考えることが楽しいし 想像ではなく創造の世界なのだと・・・
ん? そんなこと言っていたと思うけれど いい加減に聞いているからちょっと違うかも はは ゴメン お父さん
でできあがった短冊はこんな風 残念ながらキャノンのスキャナのソフトは 合成を手でやらないといけないので 継ぎ目が見えてしまう。 エプソンのスキャナ上げなきゃ良かった。ぶつぶつ
で こうなる
ついでに 多治見の虎渓山