Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

慈愛に満ちて

2016-08-26 21:39:27 | 散歩
毎日 通っていると少々お疲れ気味
彼女が元気で明るくしているものだから ついつい私も甘えてしまって

ソファーに寝転んでうとうと
病院で抗がん剤の点滴を抜いてもらって気が緩んで 
チビ1が お昼寝を初めて 後はチビ2を寝かすだけ
ミルク飲ませて 抱いてうろうろした後 ゆりかごに入れて揺すっていると寝た様子

ところが少しすると 声がする。
ありゃ 起きちゃったか・・・・しばらく様子見よう
で 寝てしまったらしい

話し声がしている。 あれ? チビ1が起きたのかな? 
それにしてはチビ1の声がムニャムニャしている。

見ると お嫁ちゃんがちび2と遊んでいた。
初めは抱き上げて本を読んでいる。
まだ二ヶ月では本読んでやっても分るまいに・・・
しかし 本が分るかのような表情をして目をきらきらさせている。

次は体操。
楽しそうなチビ2の声も聞こえてきてその様子はとても楽しそう。

いちにぃ どーん 
ばんざーい 
ドスンドスン

その目は 暖かく慈愛にあふれていた。
母親はこんな目をするんだ・・・・
私は 子供を可愛がったつもりだったけれど ここまででは無かったかもしれない。
寝ぐずりは 手のうちようがなく
「おむつ替えたし ミルクあげたし 何が気に入らないの?」などと考えながらいらいらしている事があったように思う。
お嫁ちゃん 凄い
とても楽しそうで輝いています。
彼女も眠いはずなのに
チビ2も私には見せないこの上ない信頼を彼女に寄せているように見えました。
2ヶ月の赤ちゃんに分るはずも無いと思ったのですが そうでは無いのですね?



この後 ジャンプの練習をして ミルクたっぷり飲んで寝ました。
きっと よく寝たことでしょう。

お嫁ちゃんに脱帽です。
チビたちを こんなに可愛がってくれて 本当に感謝感謝です。
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母の米寿を祝う旅 一乗谷朝倉氏館跡

2016-08-24 21:29:17 | 散歩
バタバタしているうちに最後のレポが今までかかってしまいました。
なかった事にしても良いような話ですが どうにも気持ち悪くて先に進めないので
目に留まったら 読み飛ばしてください。
私の覚えに書いているようなものです。

暑い 余りに暑い

エンゼルランドに寄って 子どもたちを遊ばせます。
大人のつきあいは 子どもたちにとって退屈ですからね
洋服脱ぎ捨てて パンツ一枚で大騒ぎ

さて 一乗谷行きます。
朝倉氏は東海地方に住んでいる私に取っては信長にとって敵というイメージがあるので 余り興味がありませんでした。
お市の方を仲立ちにして兄弟となっていたはずの淺井を味方に引き込んだのは朝倉です。
それをきっかけに淺井三姉妹の歴史が変わってきました。

そうはいっても 福井へ来たらやっぱり行きたい。
少し前に ソフトバンクのコマーシャルで一乗谷をロケ地として放映されたので 一寸興味が湧きました。
それに たかさんが去年秋に行っていらして にわかに興味が出てきます。



道の駅を過ぎて奥に入って行きます。
こんなに山奥に・・・・不思議です。 あの天下の朝倉がこんな山奥を拠点としていた?
一乗川の左右に広がる 屋敷跡は 川を挟んで一乗谷城 侍屋敷跡 寺院 町屋などが広がっている。
その距離1.7キロメートルほど  そこにその当時一万人ほどの人が暮らしていたとか





今福井市の方が賑やかになってしまったので 不思議に感じたのですが 天然の要塞を利用した街造りと考えるとなかなかです。
歴史から忘れられてしまった遺跡は長いこと 田畑のしたに埋もれてしまっていたとのこと
これだけの立派な城下町を掘り出して 再現  凄いです。

建物は商人達の町屋が一部再現されているだけですが その周りは礎石が 石段が 綺麗に発掘されていて それを見ているだけでも私がタイムスリップしているような気分です。

残念ながら妹は職員旅行できたことがあるので車で待つ と言い 母を連れ出したものの 暑くて 倒れるといけないので 半分だけ歩いて見ようと 一寸ショートカット
元気に全行程歩いたのは 娘とちび
元気だぜ




朝倉館正面に 唐門
とても古い感じなので当時のもだと思ったけれど そうでは無く江戸時代のものだそうです。
館の門では無く 朝倉義景の菩提を弔うために建てられた寺の門だそうです。


堀の役割を果たしていたのでしょうね?
鯉が泳いでいる川はかなり深そうです。


城は山を利用して 上の方まで曲輪が作られているようでした。 石垣があちこちに残っています。

空堀のように見えます。


明らかにお屋敷の庭跡と思われる石組みもありました。

一寸見ただけでもとてもひろくて立派な屋敷であり 城下町だと言う事が想像できます。
無骨な三河武士と比べると 京都の公家文化も花開いた場所だと聞いた。
そんな街だったから 将軍を招いて自分の保身を計ったのかもしれない。

なんて考えながら 暑さで喘いでいる母を気遣い 川端を歩いて帰った。
中途半端な歩き方で惜しいことをしました。
もう一度 一人でゆっくり歩いて見たいと思います。
勉強して行かなかったこと 大失敗でした。

さて母の御祝旅行と称して みんなやりたいこといっぱいやった旅行でした。
また こんな機会が出来ると良いなと思いながら 高速を走ります。


 
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いよいよ始まりました。

2016-08-24 21:09:40 | 日記
お嫁ちゃんの抗がん剤治療が始まりました。
里帰りをしていたとき 諫早で抗がん剤治療をしていましたが 途中で癌の摘出手術を行い その後此方に帰ってきましたので 此方に戻ってからの初めての治療になります。
この抗がん剤は臓器に穴を開けてしまう可能性があるので 手術後6週間を開けた方が良いとのこと

此方へ来ての検査で肝臓への転移がかなり速いスピードで進んでいるとのこと
一週間早めに 治療を行うことになりました。

この病気が分ってから実を言うと 夜も眠れない日が続きました。
母親を亡くすかもしれない子どもたちのことも心配でした。
どうしてこんな事が起きるのだろう?と悔やまれるばかりでした。

もしあのとき 病院へ行っていたら
もしあのとき 彼女の訴えを真剣に聞いていたら

でも 今は違います。
不思議なのですが 我が家には一体感が生まれています。
もともと仕事のこともあり 近すぎず遠すぎずの場所で別々の生活をしていました。
仲悪いわけでは無いですが それぞれ独立した家庭と割り切って 適度な距離を持っていました。

今 毎日通ううちに 息子はもちろん お嫁ちゃんも孫達も 大事な大事な家族で 小さな事にも思いやることが出来るようになりました。
息子も苦手な赤ちゃんの世話を率先してやっています。
あの甘ったれで 身勝手だった息子の事しか知らない私には とても新鮮です。

抗がん剤の副作用は今のところ余りひどくなく 安心。
とても強い薬です。
肝臓の癌だけを狙うことができると良いのですが
体中の組織にダメージをぶつけてきます。
負けない身体を作らないとね。 何とか健康な食品で負けない肝臓を作るように研究中です。

期待した新しい薬は遺伝子の関係だとかで使うことが出来ませんでした。
でも 私達 負けません。

毎日楽しく暮らしています。 今のところ
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母の米寿を祝う旅 やんちゃ娘が張り切る丸岡城 

2016-08-14 20:09:42 | 旅行記
一日目はチビに合わせたので 二日目は一寸大人に合わせます。
前日 従兄弟が尋ねてきてくれました。
「丸岡城 是非行ってきて欲しい。 あそこの売店のそばも美味しいよ。」
と強くおしてくる。

丸岡城
柴田勝家の甥(後に養子)である柴田勝豊が北の庄の支城として築いた城です。


現在残っているのは天守のみ 五角形の内堀も埋められてしまったと言う事で 二の丸 三之丸と思われる場所は日本庭園のような公園になっています。さほど大きいとも思えないこのお城がどうして有名なのか?
現存する最古の天守と言う事ですが 愛知県の私としては???です。
愛知県には現存する最古の天守と言われる犬山城がありますからね。
もっとも 北陸には最古処か天守さえ残っていないそうですから 貴重な天守ですね?
 丸岡城は昭和23年には福井地震のために倒壊しています。
9年には国宝となっていましたが 修復再現されたものだからなのか 現在は重文となっています。
法律が変わったからかもしれません。


石垣も残っていたものだそうです。
野面積?


面白いものが残っています。
このシャチ 石で出来ています。
初めて見ます。
もともとは木彫りのシャチに銅板を貼ったものだったそうですが 修復するときは戦時中で物資が無くてそれすら出来なかったので石で作れ・・・・と  そんな重いもの屋根の上に乗せる?

さて 行ってみますか?
三階建てのようです。

ここで問題が起きました。
本当を言うと前から分っていたのですが。
このお城の階段はひどく急です。 そして階段の板もひどく高さがあって 登るの大変です。
ここまで来て引き返すのもなぁ

「昨日は94才のおばあちゃまが登られましたよ」
案内人のその言葉に 母の闘志に火が付きました。
母は 見た目は大和撫子です。 静かにいつも穏やかな顔をして笑っています。 怒った顔を見たことが無いです。
ところが 彼女は本当はお転婆娘でした。
子供の頃 火の見櫓から遠くの景色を見たい衝動が抑えられず登って降りられなくなって 村中の人を巻き込んで大騒ぎになった事があるそうです。そんな母ですからね
「登ってみる」 言うと思った。


補助の縄が付いていますが却って危ない。
私が後ろから補助に廻ります。 落ちてきたら一緒・・・・です。

チビたちは後に続きます。

二度の大汗をかく階段にほっとして景色を楽しみます。

あまり大きくない天守ですが 真ん中に柱が一つも無い作りでした。
珍しいかもしれません。

さあ 降りましょう。
母は前を向いて降りると言って聞かず 後ろ向きが安全だからと言い聞かすのがやっとです。
したに娘をおいて万全の体制で・・・・

おっと 思わぬ事になりました。
登るにすいすい登ったチビたちが 「怖くて降りるのいや」と言い泣き出します。
「ババちゃん だっこして降りるわけに行かないよ。 ここにずっといるの?」
娘は いつもチビに意地悪して脅かしたりしているので 信用がありません。
母の時よりも もっともっと汗をかいて 何とかみんなで降りることが出来ました。
ほっ 

母のやんちゃも無事に収めて 次の所へ向うことが出来ました。
こじんまりしていましたが 良いお城でした。
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今日から新しい日

2016-08-10 09:20:48 | 日記
昨日 息子の家族が諫早から帰ってきた。
お嫁ちゃんの実家の行事 出産 病気
5ヶ月は長かったけれど それを感じないほどいろんな事がありました。

とりあえず 取りやすい癌だけは取りました。
その傷の痛みも癒えて 今週から新しい抗がん剤投薬が始まる。
副作用無いと良いな。
彼女が比較的元気で明るいのが救い。
病気である事をみんなに感じさせない。

今日から 私に出来る事でバックアップしていこう。
苦しいこともあるかもしれないけれど 一緒に頑張って行こう。

車で往復2時間の道のりですが しばらくは基本通えば間に合いそうです。
時に泊まりこみ
そんなわけで 今まで怠けていたブログも ますます遠のきそうです。
いつも読み逃げです。
それでも 皆さんの事遠くから見ています。
失礼を お許しくださいね。
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