Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

最後は孫感謝デー 

2015-10-27 21:29:50 | 映画
最後の日は 息子達家族も合流。
息子とは休みが合わなかったので 日帰りになってしまったけれどね。
最近買ったエスクワィヤーで 伊東駅まで迎えに来てくれた。

一日 大人数で楽しみましょ。
行くところ行くところ チビには何のおもしろさも感じられない場所へ行っていたので 今日は主に公園です。

伊東マリンタウン
まぁ言ってみれば道の駅だけれど 早速みつけました。

機関車トーマス。
どういうわけか こういうの見つけるのは早いんだよね。
ちび1は 手荒く運転をし チビ2は ただただ嬉しそうだけれど 落ちそうで必死に掴まり 親たちはあたふたと追いかけて歩く。
年寄りには チビたちを遊ばせるのは難しいですわ。


お昼を修善寺で済ませた。
「修善寺って 寺って言うくらいだからお寺なんじゃないの?」
「行ってみるか?」
で またお寺。

ところがこの修善寺 お寺の由緒が全く分からない。
案内地図にも 弘法大師が開いたお寺。 鎌倉時代 源氏一族の争いの場として有名・・・・としか分らない。


それでもちゃんと身を清めてお参りしましたよ。
チビ2は チビ1の真似をしたがり・・・・・

すぐ本堂です。
そこまで行く短い参道にテントを建てて 蜜柑売っていたり 地元の野菜売っていたり・・・・

ちびっ子達に何処か良いところは・・・・
すぐそばに虹の郷 花と緑の公園があるらしい。
そこいこっ!

カナダ村と イギリス村をロムニー鉄道という英国鉄道で繋いでいる公園。
園内に入るやいなやチビたちのテンションが上がる。
日本で唯一の英国製15インチゲージのSL及びDLが走っているそうで このSL達は機関車トーマスのモデルになったんだとか。






可愛らしいロムニーバスも走っています。


ペニーレーンなるバスは二階建て 二階で食事も出来るようです。


それではロムニー駅を出発して ネルソン駅に行きま~す。

広い園内には日本庭園とか 巧みの村とか有るのですが チビたちに魅力一杯の遊び場が有り 斎に進めません。
基本 無料で遊べるのが素敵です。
あ 損だと言ってるわけでは無く 何でもお金で解決する遊び方させたくないだけです。







さんざん遊んだのですが なかなか帰りたがりません。
引っぱがして 抱きかかえてくるまに走ります。


もう一箇所寄りました。
韮山反射炉  学生の頃 修善寺には泊ったのですが ここは気になりながら行けなかった場所です。

お台場に据える大砲を作るための金属溶解炉
天井がドーム型になってるので 熱が反射して金属を溶かす仕組みになっているからこの名前があるのだそうですが 今は萩とここにしか残っていないと言う事で 明治日本の産業革命遺産となったんですね。


今でも使えるそうですが 工場というよりは美しい建造物に思えました。

さ そろそろ帰りましょう。
沼津のうをがし寿司によって 晩ご飯をともにします。
家族みんな揃って食事はこの先もそうそうは無いと思います。

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仏様の流れ着いた場所  長谷寺

2015-10-21 21:30:50 | 旅行記
駅に戻る途中 長谷寺に寄ることにします。
案外離れていたことにちょっと驚きましたが 鎌倉大仏は高徳院 長谷寺とは別物だと分って納得。

長谷寺って言うと 奈良の桜井のお寺を思い浮かべます。


海光山 慈照院 
面白いエピソードがあります。
ここのご本尊は11面観音様  この観音様は私の知っている奈良の長谷寺と同じ木から作られたのだそうです。
大和の長谷寺の開祖 徳道さんは二体の11面観音を彫り 一体は大和の長谷寺に安置します。
もう一体は祈祷をした上 海に流したら 13年後に三浦半島に流れ着いたので ここに持ってきて長谷寺を作った・・・と。
なんだか 御利益のありそうな素敵な言い伝えです。
大和の長谷寺 何度も行った割には 11面観音様の記憶がありません。
もったいないことです。

境内は 地蔵堂 弁天堂などの有る下境内と 本堂や 展望地のある上境内に分かれています。

コンパクトにまとめられた美しい池には 鯉が泳いでいます。


彼岸花や ハギの咲きこぼれる道に誘われて 登っていきます。



このお寺は 荘厳と言うよりは とても優しい空気に守られている気がします。
最近では 恋愛成就の人気スポットになっているとか・・・・


地蔵堂に沢山の人が集まっています。
信者の方達の願いで作られたそうです。
子孫・繁栄の御利益があるそうですが 寄ってきませんでした。
子孫・繁栄が望めないですか?  大丈夫 大丈夫



階段を上り詰めると立派な本堂がありますが 私達はまず展望地へ向います。
この日の暑さは半端ではなく まずチビを黙らせないと・・・・

びっくりするような眺望が広がっていま
山の中に入った印象でしたが やはり海辺のお寺でした。
由比ヶ浜や 葉山の海が広がっています。
青い海には ヨットが白い帆を張って点在しています。
経蔵の奥にはこの眺望をもっと楽しめる散策路が作られていました。 
あじさいの頃は 綺麗でしょうね


とても美しい建物だと思いました。
これが ご本尊の安置されている本堂というか 観音堂です。
創建が736年だそうですから 1300年弱の歴史をここで見ていた事になりますが 長い歴史の中ではいろんな苦難があったわけで 何度か再建されたことは仕方ない。 特に関東大震災の時の被災はひどかったらしく その時に完全に立て替えを余儀なくされた。
つまり この美しい堂宇は昭和61年に出来た物。 震災から60年も経って完成だって

11面観音様は十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)と言う御利益があるそうですが 難しくて何度読んでも理解できません。
ウィキ先生によると

十種勝利
離諸疾病(病気にかからない)
一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
水不能溺(溺死しない)
火不能燒(焼死しない)
不非命中夭(不慮の事故で死なない)

四種功
臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
不非命終(早死にしない)
從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)

だそうです。
簡単に言ってしまえば 生きている間に遭遇する 沢山の出来事から守ってくれるよ・・・と言うことでしょうか?

そして 観音様の頭部についている怒ったお顔や笑ったお顔 優しいお顔は 人間の持っているいろんな感情のように思えます。
いずれにしても 優しいお顔に 心癒やされます。
11面観音は高月の渡岸寺の仏様を見て以来大好きな仏様に成りました。
ここの仏様は 渡岸寺や奈良の聖林寺と比べると ふっくらしていらっしゃるので 優しさ倍増するかもしれません。

本当は 鎌倉から北鎌倉に向けていくつかのお寺を廻るつもりでしたが あまりの混雑に宿に向うことにしました。
本日の宿は伊東です。
まだまだかかります。
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露座の大仏 おわします~~♪

2015-10-19 21:25:28 | 旅行記
実家に帰っていたので またもや更新が遅れてしまいました。
やれやれ また1ヶ月の遅れが出ました。
頑張ります。

鎌倉に何度も来ていても 長谷に降りたことがありません。
どうしてか分りません。 縁が無かったと言うことで・・・
丁度 娘の相棒も 大仏様を見たことが無いというので プランに加わりました。
あ 娘の相棒は お坊さんです。 チビは小坊主です。そのせいでしょうか お寺回り好きです。


長谷の駅に降り立って 行く道を確認。
まっすぐ 緩やかに登っていけば着くようです。
あれ? 鎌倉大仏は 長谷寺とは違うんですね?
ずっと長谷寺にあるのだと 思い込んでいました。


またもや 大混雑です。
歩道の巾は人がやっとすれ違える程
そこにお店の順番待ちの人があふれて なかなか進めません。
京都の方が歩きやすい・・・・と。 京都は観光地として いろんなノウハウを知っていますからね


やっとの事で山門に着きました。
チビが車道に飛び出しそうではらはらしていたので とりあえず安心。
とは言っても お父さんが 寝込んでいるチビをほとんどずっと抱いていましたけれどね。

当たり前の事ですが 山門があるのも何か不思議でした。
露座の大仏ですから いきなり 高台の台座に大仏様が 飾られているような思い込みをしています。
阿の仏様と 吽の仏様が 山門の見張り番です。

入場料を払って 小さな門を潜ったら すぐにお出ましです。
露座の大仏様。
与謝野晶子さんに 美男におわす・・・・と詠まれた仏様だよね?


高さは台座も含めて13.6メートルだって
東大寺の大仏様は18メートルだそうだから 小さくて当たり前だけれど 外に出ているからか それよりも小さく感じます。


大仏様は 1238年に木造で作られたのが 初めだとか
その後台風で倒壊
こりゃあかんと言うことで青銅で作り直したんだけれど この大仏様は 本当に何度も何度も難を受けて・・・・
地震だったり津波だったり 
あまりに何度も壊れるので もうこのままにしておこ・・・・と言ったかどうか 露座の大仏になったとのことです。

どのくらい美男でいらっしゃるのか 近づいてみましょう

ほう 確かに・・・とても調ったお顔をしていらっしゃいます。
こんな見方をして ごめんなさい。
所々赤い様な黄色いような色が残っているのは 金箔のあと?


眠りから醒めてぶすっとしているチビと比べると 本当に美しいお顔です。
チビが座っているのは ベンチではありません。
平ぺったい石があちこちに並んでいるので つい腰掛けてしまいますが これが 昔の大仏殿の礎石なのです。


大きな石です。
ここに柱が立って 大仏殿があった頃は 見事なお寺だったに違いありません。
今は 露座の大仏としてみんなに親しまれているから これはこれで良いんですけれどね。

大仏様の胎内巡りというか 内部に入れるようです。
並んでいたら 30分かかるとのこと
待てる時間だと思ったんだけれど みんなに却下され すごすごと 次のお寺に移動することになったのです。
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掻き分け 掻き分け江ノ島へ?

2015-10-14 22:21:54 | 散歩
七里ヶ浜の 磯伝い~~♪
稲村ヶ崎 名将の~~♪
剣 投ぜし 古戦場~~♪

江ノ島と聞くと この歌を思い出します。
決してサザンではありません。
そして 何度もこの地を訪れているのに なぜか江ノ島行ったことが有りません。
今回は出来るだけ行ったことの無いところにしよう・・・・と言うことで行き先を決定。

さて江ノ電を降りたら 駅前から凄い人。

時間が少々早かったのですが お昼を食べることにしました。
朝早く 新幹線の中でサンドウィッチを抓んだだけ。 みんなおなかが空いています。
大混雑の前に 食べましょう。
これは正解でした。  食べ終わって外に出たら どの店も長蛇の列でしたから。




まずは江ノ島ビールで乾杯!
私のしらす丼です。 
白いのキャベツの千切りではありませんよ。味噌汁 漬け物デザート サラダ 小鉢などがついてお値打ちです。
シラス 堪能しました。
しかし 一番美味しかったのは お店の外で売っている骨せんべい。
これで250円。
どうやら お店の中で出る骨を粉を付けて揚げているようです。
捨ててしまう食材を上手に使った絵エコ料理です。 いろんな魚の骨を想像しながら食べるのも楽しかった。
お勧めです。

ここですよ~~。

さて おなかいっぱいになって江ノ島どうでも良くなってしまって・・・・
たらたら歩いて行きました。
島に向って架かる一本の橋 弁天橋を

そうでした。 弁天様の島でした。 芸事の仏様と言う事で 我が家には あんまり関係ないかな?と足が向かなかった。




ボートレースをしています。
あ 競艇ではありません。
子どもたちが大活躍。 大きな声で応援していました。

ふと隣に目をやると 隣からは江ノ島をジェット線で回るクルージングをやっています。
ただ 歩くのはチビにも辛いのでは・・・
と言うことで 船に乗せることにしました。

せいぜい10人程しか乗れない様な 小さな船ですが 却って面白そうです。
チビも初めての体験で嬉しそうです。
その先は 私荷物の番をしていたので乗っていません。

大興奮で戻ってきて
「面白かった~」
走り出すと 船は舳先を上げるので何も見えなくなってしまうんだって。 そのくらいのスピードが出るのでとても良い気持ちだった・・・と。
景色が見えなかったのか 戻ってきたときは みんなお尻の方に移動していました。
江ノ島を違う方向から見て 良い体験をしたようです。


左側には車の列。 その向こうの海には帆を上げたヨットがいっぱい浮かんでいます。
指羽が はっきり見えるくらい近くで鳶が舞っています。
鳴き声から なんだかのんびりした穏やかな鳥ぐらいの印象でしたが こうして見るとやたらでかい。 猛禽類なんだと改めて認識。


やっと橋を渡りきり さて どうすべぇ???
江ノ島って何がある?
水族館があるよね? 
それは今回は良いでしょ。 却下
江ノ島神社で 弁天様にお参りしてくる?  有料だけどエスカレータもありますよ。

おなかいっぱいでその先を考えられなくなっている私達は もう良いかぁ・・・と成り あろう事かUターン
とほほ な江ノ島でした。

あ でも船に乗ったことはとても楽しかったらしいです。



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小田原  ついてない旅

2015-10-12 22:08:23 | 旅行記
娘の相棒は とことんついていない人だって前に話しましたが それは時々あらわれます。
箱根を諦めたので
「じゃぁ 小田原城へ行こう」と

ところがです。
小田原城 改装中で見られない・・・・何と・・・・・

家を朝6寺頃に出てきたので 小田原についても なんだか眠ったような町に見えます。
駅裏の狭い道をくねくね


北条氏のお墓に行きます。
北条氏4代氏政と その弟氏照のお墓です。1590年豊臣秀吉の小田原攻めの時に 小田原城落城のあと自刃します。
街中の小さな小さな空き地にひっそりとありました。
それでも放置されたり 関東大震災の斎に埋没してしまった物を 地元の有志が再現したのだそうです。
あれだけ大きな力を持っていた北条氏の最後を思うと胸が痛くなります。


過去に何度か行っていますが いtも公園側からでした。
森を歩いた様な記憶があるのですが 今回は海側から入ります。
一寸城が小さく見えます。


二の丸の東堀だそうです。
てっきり外堀だと思っていたのですが
春日局の息子 稲葉正勝が城を改築したときに 本丸二の丸を守る為に築いた物だそうです。 
真っ青な空を映して お堀がとても綺麗です。

二の丸跡を右に見てさらに進むと常磐木門が

とても重厚な感じです。
本丸御殿への正門だそうです。 昔からの物が残っていると良いのですが1971年に市政30周年を記念して作られたものだそうです。
残念だけれど仕方ないですね?

左手に銅門があります。
これは時間が早すぎて見られなかった。

模型がありました。
江戸時代の工法 技術を採用しているので こんな風に模型を作って準備したのだと
土の収縮具合や 乾き具合を見るために行われたそうですが 案外めんどくさい事をしていたのですね?
それにしても 銅が使ってないようなのに銅門ってなぜ?


で 娘の相棒が一番楽しみにしていた小田原城天守です。
あ~~ぁ 白いベールをかぶっています。
前に見たとき 海や 秀吉が作ったと言われる一夜城跡が見えたりして面白かったのに

なぜか 猿の檻が有り 中を見られないので猿で遊んでいってくれって事だね? と言うチビに苦笑しながら 戻るのでした。


これも堀の跡だと思うのですが 稲のような物が植わっていました。
何でしょうね?


歴史見聞館で小田原城の歴史を見るも これも時間が早いと言う事で 入れてもらえず 待って入ったけれど さほど感激しなくて・・・
おきまりの写真を撮って次へGOです。
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