Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

朝市で うに?  うにむらかみ

2010-06-29 23:47:14 | 旅行記

今回息子と食べようと約束していた食べ物が二つある。 一つはうにむらかみのウニ丼 もう一つはラッキーピエロのハンバーガー

朝市は朝限定ではなさそうだったけれど やっぱり朝市は午前でしょう? と言うわけで函館駅のすぐそばにある朝市に寄る。

Asaiti 市場の方から人があふれ出してくる。 ひえ~~っ 私の回りでこんなに活気のある場所無いので 気持ちが高揚する。 何をお土産にしよう・・・・

ところが息子は さして興味なさそうにどんどん奥へ入って行ってしまう。

お~~い まってくれい

あちこちで飛び交う客寄せの声にうろうろしてしまう。

息子がどんどん進んでいく意味がわかった。

Unimurakami うにの専門店として有名なうにむらかみは 想像していたよりもうんと小さな店だった。 ここが本店。

店に入るとまるで小さな魚屋さん。 その脇に畳を敷いた食事スペースがいくつか作ってあるだけ。15-6人入れば もういっぱい。

おなかがいっぱいだったので 私はミニ海鮮丼 息子はスペシャルだか デラックスだかが頭に付いたウニ丼  「なんだとぉ? 人の財布だと思って・・・」

Minikaisen あらら なんとかわいらしいこと。 こうして並んでいるとさほど。。かもしれないけれど 小さなお椀と比べたら どんぶりいかにミニかわかるでしょ?

毎朝のご飯のお茶碗だよ。 おなかいっぱいだったから良いけど びっくりするかも

息子はミニでは無かったから きっと立派だろう・・・と思いきや

Unidon 男の人様の 大ぶりのお茶碗にのったようなウニ丼

蝦夷バフンウニ? 小ぶりだけれど味が濃厚らしい。無添加だと言うことで とにかくおいしいのだと

「あんた 北海道へ来ると必ず寄っているようだけれど どうしてこんな店知っているの。」

「釜本 ○○と歩く旅で知った」「釜本?○○? 邦茂なら知っているけれど」

何かのイベントで函館を元気にした とある人物と一緒に歩く旅って企画に参加したのだと思っていた。 やつはにやにやしている。

「釜本は 学生時代うにむらかみでアルバイトしていたんだって。」「そこでうにむらかみのホームページを立ち上げて 今では楽天でも大人気の店になった。。。」

「最近は 会っていない。」「何処にいるの?」「伊豆」「函館とはずいぶん離れたねぇ」「もともと 幸田町出身だから。。。」

あ~~ん?

なぁんだ  教え子じゃん。そうか 賢い子だったけれど 遠く函館の新設大学を受けさせたとき そんな無責任な大学の決め方良いの?  ととても心配していたけれど 彼は情報の世界で とてもがんばっているらしい。

彼のおかげでは無いだろうけれど 今では札幌にも立派なお店を構えているとか。。。。

そんなことを話しながら おいしく完食。 当たり前か?  ごちそうさまでした。 

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森駅行こうよ

2010-06-27 00:40:21 | 旅行記

Asagohan 朝ご飯食べてから。。。。どうして朝からこんなに食べちゃうかねぇ  賤しいんだから

と少々反省しながら 今日のスケジュールのチェック。

飛行機は3時20分。 まだまだいっぱいいろんなことができるよ。 どうする?

「森駅行こうよ。」

「森駅って知ってる? あのイカめしの駅だよ。」

え~~っ  森駅のイカめしは知っていたけれど 森の地名を見ても感じなかった。 前日278号線をいやになるくらい走っていたとき 行き先はいつも 森 大沼 と書かれていた。 東海地方に住む私は 森というと 森の次郎長が先に浮かんでしまう。

あぁ あのイカめしの街なんだ。 学生時代 京王デパートの駅弁大会に出かけるのが好きだった。 小さかったけれど 学生の身でも買える すてきな駅弁だった。 それを受け継いだわけではないだろうけれど 息子もイカめし大好き。

森は駒ヶ岳を挟んで大沼の反対側になる。 飛行場から遠ざかると言っても そんなに遠いわけではない。「いこ いこ~」

今日は息子の運転 私は気楽に景色を楽しみながら・・・・ん? 駒ヶ岳七変化だぁ

Komagatake1 この形のはずだったよね? 剣が峰が左でとんがっている。

Komagatake2 剣が峰が左に移ってしまった。

右のピークは何処に隠れていたんだろう?

すかっり 形を変えてしまっている。

もっと移動する。 いや~ん だまし絵みたい。

Komagatake4 あの険しそうなとんがりは丸くなってキティちゃんの耳になった。

森駅への道ではここまでしか見えないけれど この先東側に回ると 富士山の様に円錐形に見えるんだって。。。。ちょっと信じられない。

何度も停まらせては ぱしゃっとやっているうちに森駅

Morieki かわいらしいこと 

駅と言うよりは コンビニ?赤い見慣れた旗がはためいている。

Ikamesigoods イカめしグッズも並んでいる。

それにしてもたぶん日本人の誰もが知っているイカめしがここの名物駅弁とは。。。 森駅が海に近いという認識もないままいた私。

ここまで来ただけあって 暖かいほかほかの駅弁ゲット。(しかし おなかいっぱいで食べられず 意味がなかったけれどね)

Furiko ちょうど振り子電車が来ると案内。

しばらく待って振り子電車にご挨拶。

見た目は普通の綺麗な電車・・・だったけれど

さて また函館に戻り 今度は朝市だ~

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松前藩の大金持ち 関川家別荘

2010-06-26 11:11:56 | 旅行記

檜山爾志郡役所を出たら時刻はもう16時半  どこかへ行こうにも そろそろ見学できない時間になってくる。 さてと・・・江差追分会館に戻って車を回収 時間ぎりぎりだけれど関川家別荘ならいけそう。

少し離れているので車で行くことにする。

Sekikawakebessou 関川家 300年ほど前から明治30年代まで 松前藩第一の豪商として江差で廻船問屋を営んでいた関川家。最盛期には北前船を三隻 そのほかにも10隻の船を持っていたそうで 苗字帯刀をも許されていた。

大金持ちになることは結構ある話しだけれど 江差の発展にとても力を注いだと言うことはそう簡単ではないのでは。。。?

弁天島に灯台を作ったり 小学校や病院を私財をなげうって作ったり・・・ 今回見つけられなかったアネロイド気圧計も寄贈した。これは漁師の町江差にとってはとてもうれしい贈り物だったに違いない。

Iriguti 関川家は明治30年代に北海道を去り 今ではその子孫は東京の方にいらっしゃると言うことだけれど 長いことお蔵入りしていた史料を整理して建物等を修復。

「思ったより 質素な建物ですね?」

「これは別荘ですから」

あ そうだった。 建物は別荘だった。風流人らしく上品な建物だった。

Bessou 土地は広大 今は公園のようになっているけれど どう見ても別荘に付いているお庭だった。

Ike

Azumaya 一万一千平方メートルあるそうな

どのくらいか私には見当が付かない。 せいぜいわかるのは50坪くらいか・・・・はは

隣接するえぞだて公園も本は関川家の土地だったとか

お金持ちになったことがないので ただ ふ~~ん 凄いなぁ。。。。

そろそろ フェリー乗り場に行かないと。。。

Feri アヴローラ奥尻 到着

まっすぐつっこむかと思ったら 湾内で回転 

あらら 目標位置を決めるのはやっかいなんだねぇ

思ったより大きな船でした。 本日の車 トラック二台 乗用車一台

ここから息子と合流です。

またまた今夜の宿 大沼プリンスホテル目指して GO!

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海を見下ろす役場 旧檜山爾志郡役所

2010-06-26 01:00:49 | 旅行記

海に近い道から 山側を見上げると どことなくモダンな建物が多い。その中で特に目をひく建物はしろと綺麗なグリーンでできていた。

Gunyakusyo 旧檜山爾志郡役所 檜山爾志郡役所兼江差警察庁舎として明治20年に作られたものだそうだ。

江差なのに 檜山爾志郡役場っていうのもわかりにくかったけれど もっと不思議だったのは警察庁舎と兼ねていることだった。

明治時代の洋風建築の代表的なものかしら? 愛知県に明治村というテーマパークがある。そこにある三重県庁舎もまさにこんな感じだった。

ロミオとジュリエットに出てきそうなバルコニーもある。

Umi バルコニーからは港が見える。今回見る時間がなかったのだけれど 港には海陽丸の復元されたものがある。海陽丸は幕末にオランダで建造された幕府の軍艦で戊辰戦争のさなか榎本武揚らを乗せて活躍した船。 明治元年 暴雨風のために江差沖で座礁

それを見た土方歳三 松に刀を打ち付けて悔しがったと言うことで嘆きの松が

Nagekinomatu 明治30年に郡役所制度がなくなり今度は檜山役所兼江差警察署となる。

その後檜山役場が移転 43年に江差警察署が新築されるまでのほぼ40年間江差警察署として使われていたとのこと。

修復工事には 大変な費用とできるだけ当時のものを残そうという努力から大変だったらいいけれど とても美しいクロスが見つかったことはすごい収穫。

いくつか京都の織り屋さんが復元して そのクロスが張ってあったけれど見事なもの。 こんな美しいクロスで家を作ったらいったいどのくらい費用かかるのか。。。。 痛むといけないと遠慮して撮影してこなかったことが残念。

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江差追分が流れる街 いにしえ街道旧中村家へ  

2010-06-25 21:44:24 | インポート

江差に和人が住み着くようになったのは 1189年後らしい。 思ったより早くから日本人が住んでいたのを知って少し驚いた。

源の義経が衣川で自刃した後 藤原泰衛の一族が江差に上陸したのが始まりで 北海道文化の発祥の地と言われているらしい。 だから あの姥神大神宮の祭りは北海道で一番古いはずだ。

さて 横山家を出ていにしえ街道を北へ歩く。 いにしえ街道は 海沿いの道なので問屋蔵 商家 町屋 社寺がたくさん残っている。 北前船によるニシン漁とその取引 檜材交易で栄えていた様子がうかがえる。

いくつかりっぱな家があるものの 公開している場所はたくさんはないので 今度は中村家Genpyou を訪ねる。

江差町道路元標  ここから江差が広がっていったと思うとわくわくする。 これは何処にあったか記憶が薄いのだけれど 中村家の斜め前の町会所会館の敷地内だったような・・・そのぐらい目立たなかった。 記録に残る第一歩もこんなもんだね

Syoukouen 中村屋の前に小公園

何か 橋とか 歴史の建造物をモニュメントにして残したのだろうか? おしゃれなベンチ

Nakamuraya 中村屋

隣では酒屋だけを残して営業中。

ここの建物の工夫もなかなかだったよ。

Cyouba ビックリするような立派な帳場だった 番頭さんと主人とそれぞれに座れるように。。だろうか 鍵型に 帳場が作られている。

Kinko 年代物の 金庫が・・・

ちゃんとダイヤルが三つもあるよ。

中村家は日本海沿岸の漁家を相手に海産物の仲買商をを営んでいた近江商人だった。 さすが商売上手。

説明のお姉さんはいわゆる総合商社 と言っていらした。 近江商人と聞いて 合点 合点。。。。 なぁんてね

ここは二階も 秘密の商談をするための部屋に通じる釣り階段も 使用人部屋も全部見せてくださったので 興味深く見ることができた。

Zasiki Siyouninbeya

Ikari でっかい碇  思ったより縦長だったのでおかしかった。

Hanedasi2 はねだしが ずらりと並んでいる昔の江差。

伊根と似ているようで確かに違うね。

中村家の秘密

一見全部つながっているように見えるおうちだけれど 実は4つほどに分かれていて 漆喰のとても厚い壁で仕切られている。 そのために何度か火事に遭って あちこち燃えたけれど 類焼を免れたこと 家の財産を守れたこと。。。は この漆喰の壁のせいだって  すごいね日本家屋。

確かに見ると柱に 梁に黒く焦げた跡がある。

おもしろかったのは 船の金庫。  普通は金庫は盗まれないようにできるだけ重くするのだけれど 船の金庫は いつか浮いてきて回収できるように 作られているそうな 

そういえば飛行機のブラックボックスもそうか?

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