Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

ちょっと寝すぎたようです。

2013-01-15 17:58:38 | インポート

新しい年が明けたというに もう15日。 今月は半分過ぎてしまったわけで・・・・・

年末から風邪をひいていました。
いつもの検診で病院へ行ったら7週間分の薬を渡されて・・・・????と思ったら年末年始のお休みが三週間だと
私 それだけで病気になれr特殊能力があります。
どうしよう? 3週間の間に風邪ひいたら・・・・  情けないことにそれだけで病気になれちゃうんです。 はぁ~~

クリスマスを挟んでちびを預かっていたのでその間は何とかなったのですが 帰ったらもうダウン。 お正月には恒例の旅行を予定していたので亭主がぶりぶり
「いけなくなったらどうするの?」 どうするの?って言われてもねぇ

年末でもやっている病院を探していこうと思ったけれど 自分の体質や今の病気のことを細かく説明するのも面倒で 残っていた薬を飲んでつなぐ。。。。

ジオンさんに電話する機会があったので話をしていたら「そういえば去年も長いこと風邪ひいて寝込んでいたよねぇ」
あれ? そうでしたか? そうそう 今飲んでいる薬はその時の残骸ではありませんか? 仕事辞めて気が抜けたのだと思っていたけれど 今年も寝込んでいるとは・・・・

一喜一憂の体調の中今年は正月から愛媛の旅を敢行。 朝起きるのがどきどき・・・だったけれど何とかなったわさ。 楽しいことは何とかなる。
その代り戻ってからは死んだように寝て暮らした。

ふわ~~ぁ そろそろ起きるか・・・・と起きだしてパソコンに向かったら あれれ? 壊れてら
前から調子は悪かったんだけどもね 20回に一度ぐらいしか起動しなくなったパソコン・・・・・
どうするべ?
アイパッドで書き込むか? と向かってみたもののあいうえおのキーボードでは打つ気がしない。 あれはつぶやく程度にしかつかえまへん。

おととい息子が来てワイハイにするとか言ってああでもないこーでもないといじっていった。
おっ! 動くようになったじゃん。。。。。なのにです。 パズルのように絡まっている配線を整理してくれよう・・・とあっち抜いてこっちにつけてをやっているうちに初期化されたのかもっと動かなくなった。
もう~~~~~~~

無線ランつけたけれど有線もつけとけ・・・・とつないでリセットしたら あらら 何とかいけそうじゃん。

というわけで何とかつながっているので今年初投稿・・・・・でも素人がああでもないこーでもないとやった結果なので明日のことはわからない♪ 

もし姿が突然見えなくなったらたぶん元気だけれどパソコンが病気。。。ということで
去年の記事は引き続き過去の日付でアップしていきます。

今年もよろしくです。

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ここにも藤堂高虎の城 宇和島城

2013-01-03 12:00:00 | まち歩き

藤堂高虎は城作りの名手だったそうです。あちこちの城を見て歩くとなるほどなと思えるのですが 一体いくつの城を作ったのか?
驚きの数です。

遊子から戻って町の真ん中にそびえている宇和島城に行くことにしました。 あ 私そんなに歴女ではありません。 違っている点があったら教えて下さい。

登城口が二つあります。 駐車場を探して行ったら西の方の登城口にでたようです。駐車場は三之丸の跡地です。 御殿のあったところにはお店が出来ていました。

Nagayamon
近すぎて変ですが藩老桑折氏武家長屋門だそうです。ちなみに桑折はこおりって読むのだそうですが私にはなじみの無い姓で変換できないだろうと思ったらちゃんとあった。 この辺では良くある姓なのですね?

でと取るても立派な門だったそうで間口35メートル 奥行き4.1メートルって凄くないですか?

35メートル・・・・・広すぎる

もともとここにあったわけでは無く ここに移すときに長屋の部分を切り取ってしまったんだとか・・・右には厩 左には門番や使用人達が済んでいたようですよ。 今はお城の入り口の狭い場所に無理矢理うつしてあるのでそのスケールはよくわかりませんけど

この門をくぐって石段を昔さながらに歩きたかったのですが 災害の痕がまだ復旧されていないとかで巻き道を行くことになりました。

Isidan宇和島城は初めから藤堂高虎が作ったものでは無いようです。

昔からあった板島丸串城の跡に作ったものだそうです。 板島 丸串って地名でしょうか? 今の地図を探しても分りませんでしたがきっとここにあったのでしょう。

なぜ気になるかというと 藤堂高虎が城を作るならもっと海沿いに作るのではないかと思ったからです。城を守るにこんな良い立地はないだろうと思うのです。

Umi
でも本丸から見た海は案外遠いのです。ふ~~ん

でも幕末の地図を見ていて分りました。
今ある市役所方面は昔は海だった。埋め立てもされてるようです。

Map2
石垣を左に見ながら登ってきたら 長門丸にでました。 今は児童公園になっています。

少し階段を上ったところにもう一つの郭があって藤兵衛丸と言われる場所が
何があった場所でしょうか?

今は郷土館があるようです。

Isidan_2
石垣 苔むしていて良いですね?

現在保存整備事業が行われているようです。どんな宇和島城が浮かび上がるか楽しみですね。

Tensyu
整備中為でしょうか? 工事用の網網の階段を上って二の丸に出ます。

二の丸と本丸合わせて9個もの矢倉があります。 城を守るためとは言え凄いですね?

Honmaru
天守から海を臨みます。

こうやってみるとやはり地形を利用した守りの城です。 リアス式の宇和海は小嶋がいっぱいあるように見えます。

Osonae
私に取っては宇和島城は藤堂高虎の城というイメージですが 宇和島の人々にとっては伊達の城のようです。

宇和島城の城主になった伊達秀宗を初めとしてその後この城を伊達家が治めていくようになります。

伊達政宗の長男で有りながら秀吉の人質になっていた伊達秀宗はその後秀吉 秀頼に使えていたことなどから 仙台城の跡継ぎとは認められず親子関係がうまくいかなくなったそうで ちょっと切ない歴史もあるのです。

この鏡餅は伊達家流だそうです。
ものすごい豪華ですね?

Setumei
読めますか? 

こんな説明がありました。

宇和島の人々に仙台の文化が根を下ろす。 今宇和島の人がお正月のお飾りをどんな風にしているかは知りませんが きっと何かの影響を受けている。

ある意味で不遇な暮しを余儀なくされた伊達のお殿様はこの地で地元の人々とどんな風に心を交わしたのでしょうか?

まだ発掘中とのこと また機会があったらもう少し勉強して訪れたいお城でした。

コメント (6)
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天と地と海のはざまに生きる 遊子水荷浦の段畑

2013-01-03 09:30:00 | 旅行記

昔テレビで宇和島のだんだん畑を見たことがあります。
あり得ないほどの急なだんだん畑で たとえば長野県の姨捨や 能登のだんだん畑や 愛知県で言えば四谷の段々畑の様なイメージを持っていた私にはかなり驚きの光景でした。

Obasute
これは姨捨です。これが私の段々畑のイメージでした。

私の知っている棚田は 小さな機械なら使えます。 ところがテレビの棚田は人の肩ほどの広さしかなくて じゃがいもを落とせば下までころころ  人だってうっかり落ちていきそうです。

確かめてみるしかないね

遊子水荷浦(ゆすみずがうら)と読むのだそうです。 iPadの地図には出てきません。 ああだこうだといろんな文字を検索にかけてみてやっとその場所を知りました。

宇和島って四角い四国の西南の位置にあるという認識はありましたがおやおや 随分入り組んでいます。 そして遊子は細い細い半島の先にありました。 地図だけを見ていたので車は尾根を走るのかしら?と思ったほどです。

Uwakai行っても行っても島 島 島です。
思ってもいなかった景色にちょっとびっくり。海と言えば大海原を想像していたので・・・・ 宇和海はリアス式海岸だったのですね?

それにしても海と言うより湖のようです。
すぐそこに九州があるとは思えません。

Uominooka
魚見の丘

魚貝藻霊供養塔とあります。海で暮らす人々が海の恵みを戴く事を感謝しているのですね?

それにしてもものすごい風です。 立っているのがやっと
気持ちが折れそうです。 水荷浦って何処?

Mizugaura
ん? あれじゃないの?
段々畑には見えないけれど山のてっぺんまで耕しているような場所が見えます。

海辺に降りて車を走らせます。

Danbatake
これです。 畑には見えませんねぇ

只の石垣のようです。よーく見ると横に線が見えるでしょ? あの細かい線が段畑の段なのです。

まだこれじゃぁ分りませんね? 近づいてみましょう

国選定重要文化的景観だそうです。
急斜面に等高線に沿って小さな石を積み上げて作った階段状の畑だそうですがまだこの時点ではよくわかりません。

Map
空からの写真です。刀の刃先の様な半島にてっぺんまで畑・・・・・

凄い

Gyokou
遊子は漁村です。 タイトルの天と地と海のはざまに。。。。はパンフレットのコピーですが まさにそんな地域なのですね?海沿いの道以外に暮らせそうにありません。

海の幸は採れても畑のものはこの地形では難しい。ここの暮らす人々の知恵と願いが産み出した農のあり方なのですね?

Danbatake2
民家の裏手を登ってみました。

おお~

少し段畑の様子が見えてきました。青いビニールの下に黒い点が見えるでしょ?

人なんですよ。 後でお話を聞くことが出来ました。

どのくらい狭い幅の畑かも分りますね?まだ本当は信じがたいんですけれど。

Jyagaimo
ジャガイモ畑のようです。 黒いビニールシートから青い葉がでています。あんなに風強くて寒いのに育つんでしょうか?

ビニールシートで根を守っているのかしら? このじゃがいも掘るときのこと考えるとどうするのかと思っちゃいます。

れれ モノレールが見えます。 静岡のお茶畑のように やっぱりモノレールが活躍?

Danbatake3
ひゃ~~ 
高度感たっぷりです。 

山登りをするので慣れているはずの私も 今こうして写真を見ていてもどきどきします。

本当に落ちる人いないのかしら?

Danbatake4_2

Ojisan
さっき黒い点だったおじさんです。
ちょっと調子の悪いカメラにもいやな顔しないでポーズとってくれました。

この畑もう慣れたから何ともないとのこと・・・・そんなもんかしら?

今はモノレールがあるけれど昔はこの狭い畑を天秤担いで登ったそうな・・・
天秤が壁にぶつかってバランス崩したりしないのかしら? 

考えただけでぞくぞくします。

カールおじさんの話によると今は大きな段畑はここにしか残っていないけれど昔は宇和島のあちこちでこんな風景が見られたそうです。
車で走っている間 四国は海と言うより山の中にあると感じていた。 そのぐらい農耕にむいている土地がなかったと言うことなんだね?

人間の力凄いです。

感動しながら魚見の丘方面に戻る途中沢山の大漁旗を付けた舟が遊子の方に向って行きました。 お正月の行事があるようです。 しまった・・・見たかった
始まりは10時のようで まだたっぷり待たねばならない私達は後ろ髪引かれながら宇和島の町に戻ったのでした。

コメント (2)
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長年気になっていた場所 宇和島

2013-01-03 07:00:00 | 旅行記

今回 息子が四国の旅を考えてくれたには訳があります。
私がネットの世界に踏み出したのは13年前。 ネットのことが全く分からないこと 今と違っておもちゃのようなパソコンだったこと等があってトラブルの連続でした。

そんなときにいつもとても丁寧に教えて下さったのが宇和島にお住まいのカールおじさんでした。IT関連のお仕事をされているとのことでしたがメールだけでパソコンのこと全くの初心者に教えるのはとても大変だったと思います。

まるで魔法使いでした。 パソコンの画面を貼り付けて説明下さったので こんなパソコン音痴でも何とか分るようになって・・・・
ずっと感謝していたのですが 私のパソコンが壊れリンクが消えたりして年賀状だけのおつきあいになってしまいました。

それでも今までにメールでのやりとりで面白い話をいっぱい聞かせてもらって まだ見ぬ四国の町宇和島に思いをはせていたことは確かです。 どんな町なんだろう? だんだん畑  冷や汁 じゃこ天 牛鬼 宇和島城 河内晩柑・・・・・

そんなことを息子が覚えていて「お母さん宇和島に行きたいって言ってたでしょ?」
有り難いことです

まず カールおじさんのホームページを探しました。 検索をかければ簡単に出てきます。それをしなかっただけ・・・・見ればカールおじさんフェイスブックなさっているではありませんか?
それも10年も前から・・・・・
フェイスブック そんなに古くからあったんや

お友達申請をしてiPadを荷物にくわえます。 これでお話が出来ます。

さて何処に行くか? 時間は一日しかありません。 カールおじさんに聞いていただんだん畑に行きましょう。 和霊神社も行きたいのですが 宇和島城も外せない。う~~ん  やはり時間が足りない。

夕方には松山まで戻って夜行バスです。 これで一杯一杯でしょう。

カールおじさんからメールが「宇和島まで来ているのなら案内しますよ。」有り難いお話ですが お正月早々ご迷惑をおかけできないし 時間も無いのでお断りを・・・・面白いお話が聞けたかもしれないのにね

いつかまた四国に巡礼の旅に・・・・その時にお目にかかれると良いなと思いながら・・・・

コメント (2)
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伊予の小京都 大洲Ⅱ

2013-01-02 17:00:00 | 旅行記

Hei
臥龍山荘は肱川が大きく蛇行して膨らんだ場所にあります。長く連なる美しい塀を回り込んで川の方に降りたところに入り口がありました。

Isidumi
もともとは藩主加藤泰恒公が この景勝地に桜は吉野から楓は龍田から移植して愛でていたのだそうだけれど 特に手を入れることもなかったのでどんどん荒れていったのだと・・・・

この美しい山荘は明治になってから河内寅次郎さんがこの庭を買い取ってから造ったもののなのだそうです。

ミシュランガイドの星一つをもらっていると言うことを考えても見る価値はありそうです。

Mon
山荘は 不老庵 臥龍院 知止庵 庭園 臥龍蓬莱山からなっている実にわびさびのあふれる山荘でした。

建物のの中は写真を撮ることが出来ません。つたない説明でこの山荘のすばらしさを伝えられるかどうか? 怪しいところです。

私が特別にこころ惹かれた場所は臥龍院の部屋の造り。 霞月の間 清吹の間 壱是の間
計算し尽くされた美しさです。 自然を部屋に取り込む技があちこちにあります。清吹の間の障子に当たる陽は次の間の丸窓を通して月と映ったり 透かし彫りを浮かし上がらせたり・・・・

どれだけいても語り尽くせない魅力でいっぱいです。壱是の間は畳を上げると能舞台にもなるそうで反響音の効果も工夫されているとか。 大きな部屋ではないのですが あちこちに遊びも一杯で・・・・何と贅沢な山荘でしょう?

コウモリって私の感覚から言うとあんまり良いものではないのですが ここには随所にコウモリがいますよ。 取っ手 くぎの頭

Niwa
中は写真が撮れないので庭に出ます。

Cyasitu

Tukubai随所にわびさびの心です。

下手な説明は野暮ですね?

Furouan_4
不老庵 臥龍淵の真上にあります。庵その者を舟に見立てたあるそうですが天井に川面の月光を反射させる趣向が組まれているそうです。

Himuro
氷室もあります。

Garyuuann
閉館の時間が近づいて 部屋に灯りがともっています。

光の明暗を美しさに変える技を持った美しい山荘にお別れです。まだ少し大洲を回って 夕方までに宇和島まで行かなければなりません。

Akarennga
行きよりも一本肱川寄りの道を回って帰ります。

赤煉瓦館です。

函館やうちの近くで言えば半田を思い出します。赤煉瓦異国情緒がいっぱいですが商業銀行として建てられたようです。

Pokopen
亭主がきょろきょろしています。 お目当ての場所が見つからないと・・・・

ここ ポコペン横町でした。 懐かしい香りのする横町でした。 三丁目のなんちゃらって言う映画に出てきそうな風景です。

只時間が遅かったのかお正月のせいかやっていませんでした。

大急ぎであさもやに戻りじゃこ天とじゃこカツをおやつ代わりにつまんで宇和島に向います。

コメント
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