Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

足助七城の一つ 黍生へ登る  3/30

2015-04-24 13:14:34 | 散歩
季節はどんどん進んでいくのに 未だに3月を振り返っているという情けない有様です。
かたづけないと先へ進めないので しばらくご辛抱願います。

3月30日 かねてからの約束でKさんと足助に行くことにしていた。
目的はカタクリ  
しかしそれだけではいかにもつまらないだろう・・・・と言うことで 黍生に登って 展望を楽しみ飯盛山でカタクリを鑑賞 その後真弓山に行って 足助城に登城しようと 文字で見るとやけに豪華でタフな計画になった。


去年一人で登ったときは登山道入り口が解らなくて探したけれど 今年は大丈夫。 強いて言えば ピストンでは無い山歩きをしたいのだけれど 車の回収に坂道登らないと行けないしなぁ

こんな所に畑・・・と思うような奥まった所に段々畑が
畑を右に見て登り始めます。 


すぐにこんなトンネルに入っていきます。
左が明るくなってきたと思ったらすぐに鉄塔です。

こういうの景観が悪いからと嫌う人もいるけれど 作業の人がしょっちゅう入っていると言う事で 和つぃの用に一人歩きが多い身としては有り難い。 良く整備されていますから。


花の無い時期ですが スミレが可愛らしい。
種類は全く分かりません。 私に解るのは エイザンスミレと シハイスミレぐらい 
スミレは節操が無いから すぐに誰とでも交配する・・・・と誰かが言っていました。


去年子狸を驚かせてしまった場所です。
今日は 子狸浮かれて出てきてはくれませんでした。


お天気は良いし 緑は美しいし るんるんです。


ウグイスカズラでしょうか?
見た目鶯とは全く関係ないようですが 鶯の鳴く頃に咲くとか 鶯が隠れるための藪になるとかの意味からこの名前があるそうです。
可愛い花です。


稜線にでたかと思うくらい空が近くなってきました。
でも まだ左側から現れる小さな沢を合わせて上って行きます。


あららぁ 登山道のど真ん中に フタバアオイ?
踏みつぶされては大変と思われたのでしょうか? 竹をたてて守ってありますよ。
花は・・・・・・めくってみたけれど まだの様でした。


こんなのも
ホコリタケ  タヌキノキンチャクですね?
突っついてみたんですけれど ミイラにおなり遊ばしていて 埃のホの字も出てきませんでした。


また暗くなってきました。
水音が聞こえてきます。
荒れているようですが 倒木や枯れ葉が水を浄化しているんですね?
透き通った綺麗な水です。


大きな岩の下に樋が付けられていて 水が飲めるようになっていました。

ここを通り過ぎると少し急登が続きますが たいしたことはありません。



突然林道に出ます。
登山道西口 登山道東口とあります。 この二つの道を使って周回が出来るようです。
今回は(今回も)西登山口で登っていきます。
この辺は もう黍生城の虎口になっているように思います。

フィックスロープが続く道を上って行きますが すぐに道は平らになります。



ずっと 甘いんだけれどちょっと変な匂いがしています。
正体はこれ
可愛い花だけれどねぇ


早春の花アブラチャンも 黄色を主張して居ます。


本丸あたりを見上げます。
もう少しです。


登り口から 二の丸と思われる曲輪が見えます。 ベンチを作る作業中でしょうか? 丸太がいっぱい並んでいました。


黍生山 到着~~
標高374メートルの里山です。
尾張国山田重直の六男重長がこの地に移住してきてこの山に城を作ったのが足助氏の始まりだそうです。
黍生城は足助氏の始祖の城です。
この地域で一番高い場所です。

地元の人々は3月3日のお酒やお菓子を持ち寄ってここで飲み食いをするという習慣があったとか
その習慣は4月の初めになりますが今でも 続けられているそうです。


城の縄張り図です。

豊田に住んでいた頃 足助は陸の孤島のように思っていて 閉ざされた場所のように思っていました。
ところがこの山に来ると びっくりする様な展望が得られて 足助の人々は この場所で遠くをじっと見つめていたのだと感じました。
南を見れば 豊田や 岡崎(たぶん)が見えます。
山越に 海さえも見えるような気がします。


大きな岩を回り込んで東を見れば 塩の道がずっと飯田の方に繋がっているのが見えます。


今日は春霞で クリアでは無かったのですが じっと見ていたら おお~~っ
恵那山に 大川入山・・・・・
えーっと
すると ご褒美のようにすっと空がクリアになって アルプスが・・・・・
すご~い  あっという間に消えてしまいましたけれど

足助のお殿様が この場所から見ていたものはなんだったのかなぁ? そんな事を想像しながら 次の山に向ったのでした。
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刀鍛冶の町 関市

2015-04-19 21:54:06 | 散歩
関善光寺(宗林寺)をでてからしばし考える。
刃物にまつわる施設に寄っておかなきゃね と思いながらも何処へ行って良いのかよくわからない。
ふと 目にした道標

関の散歩道

これにしよう。 それも初心者コースって成っている。 プランは周回だけれど 半分廻ればフェザーミュージアム 濃州関所茶屋 関鍛冶伝承館 春日神社と廻れる。

広福寺

香積寺
こんな立派なお寺が隣同士に並んでいる。
宗派が違うのかしらね? 檀家の取り合いには成らないのかしら?と不届きにも考えてしまう私


町並は 美濃市のように昔の風情を残しているというわけでは無いです。
うなぎ屋さん 多い
職人の町には やっぱりうなぎ屋さんが多いです。
私の家の周りでも 焼き物の町瀬戸 同じく焼き物の町多治見・・・・・

川沿いに桜を見ながら歩くと 右手に大きな建物が
この辺フェザーミュージアムのあたりだよねぇ と

前に回ると なんてこった お休みでござる。
日曜日にお休み? ミュージアムだよね? 普通月曜日でしょ
と思ったら 工事中で長期閉鎖中だそうで   う~~ん 残念

もう少し進むと関所の様な大きな門が見えてきます。
濃州関所茶屋(エヴァストアin岐阜) 関所の跡を利用したお店のようです。
美濃市で食事を済ませましたので通り抜けます。
すぐ隣が 関鍛冶伝承館です。

関鍛冶の誕生は室町時代らしいです。
刀祖金重が九州から移って来たという説や 越前から刀匠が移ってきたという説や
いずれにしても 関は 大和 山城 備前 相州と並んで五ヶ伝の一つと言う事です。
ちょっと不満でした。 子供の頃から日本のゾーリンゲンと聞かされていましたからね


この地図見てすぐに考えが変わりました。
日本にはこんなに沢山の刀鍛冶が伝承されていたんだ

最近日本刀女子って言葉があるそうです。
刀の美しさに見せられて名刀を見て歩く女子が多いのだとか

私の実家には日本刀が一振り(っていうんだっけ?)あります。 それを見るのは何とも怖くて 刀好きではありません。
でもこうして並んでいるのは確かに綺麗ですね?


日本刀を作るのは気の遠くなる様な沢山の行程があって詳しくは解らないし 書いても正しく伝えることがでいないので省きます。

これ?
信長が黒田官兵衛に与えた押し切りです・・・・・なんて嘘です。
刀の重さを体験できるように 柄の所を持ち上げることが出来るようになっています。
重い・・・・
そう思って持ったのでさほどでは無かったですが これを持ち運ぶのはやっぱり難儀なことです。

先祖から伝承された関鍛冶の技術は今では家庭用刃物産業に転向しています。関の孫六とかカミソリ 爪切りなど
我が家でもお世話になっていますよ。

お隣に 春日神社があるので寄ってみます。

関鍛冶の守護神が祀られているそうです。
この春日神社は 初代関の孫六さんが作られたようです。
ただ残念なことに 伊勢湾台風で壊れてしまって作り直したと言う事です。
毎年例祭では能の「童子夜行(どうじやこう)」が奉納されるそうですが 能舞台が真ん中に建っていました。
 

神社の舞殿程の大きさで もちろん花道とかありません。
とてもシンプルな物です。


面白い物を見つけました。
ただの草じゃ無いの?
そうなんです。 ただの芝生にしか見えないのですが よく見ると能舞台に向って円を描いています。
この芝生に座って 能の鑑賞を楽しんだんだと
生にる・・・・・で芝居になったんだと
へぇ~~ がってん がってん がってん な情報でした。
そしてそんな古い形が残っている事が素敵だなと思いました。



長くなってしまいました。
日が長くなってきてまだまだ歩けそうでしたが 家までの行程は長いので帰ることにします。
今度の18切符では何処まで行けるでしょうか?
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刀鍛冶の町 関

2015-04-16 21:35:05 | 散歩
関市は日本のど真ん中にあります。
そんな風に子供の頃教えられました。
日本のへそと名乗りを上げる地域があちこちにあるけれど 地理的に見て何処もそう外れるはずも無く このあたりがど真ん中と考えるのは自然です。
どんな町?

マンホールの蓋に関市の売りが描かれています。
鮎を咥えた鵜と刀鍛冶が描かれています。

関市は鵜飼いと刀鍛冶の町なのです。

小瀬の鵜飼いは今見ることができませんし 私のふるさと岐阜の鵜飼いが一番とうぬぼれていますので ここでは深く触れません。
刀鍛冶の町をたどって散歩してみましょう・・・・のはずだったのですが

タイトルと著しく違う内容の登場です。
駅前で いつも通り地図を見ます。
あれれ お寺ばっかり

立蔵寺 千手院 関善光寺 弁慶庵 廣福寺 香積寺 法然寺 大雲寺と
全長800メートルぐらいでしょうか? その中にひしめき合っています。
どうしてでしょうか?
人口がどのくらいか解りませんが とても多いです。 古くから刀鍛冶の町として栄えていたことが関係あるのでしょうか?

で その中の一つ関善光寺に寄ってみました。
でました。 善光寺
元善光寺 なんちゃら善光寺 あちこちに善光寺あるんですよね?
長野の善光寺に対するあこがれでしょうか?

もともと甲斐の武田信玄公が没し甲府城が落ちるときに逃げ延びてきた広瀬新太郎利忠が 関市に移り住んだことから始まっているとの事なので長野の善光寺とは深い関係があるのに違いありません。


立派な石垣です。 
まるで城郭のようですがそういう歴史は無いようです。

石段を登って境内に入ります。
敷地はさほど大きくない物の とても立派な建物です。
水屋 大日堂 安桜会館 本堂 大仏殿 行者堂 弘法堂とぐるりと並んでいます。


本堂は真宗善光寺堂の四分の一で作られているそうです。
寛政14年からのご縁だそうで 善光寺にある戒壇巡りもあります。
ここのは日本で唯一の卍型戒壇巡りだそうですが くらいところ 狭いところ恐怖症で発作が出てしまう私としては 確かめる術がありません。


石垣の上に作られているので町の様子がよく見えます。
静かでこぢんまりした町ですね
桜が優しい感じに色を添えています。

大仏殿です。
廣瀬新太郎利忠さんが祖父母の供養のために作った大仏殿。
中に入っている大仏様は500年も前の物で 脇の勢至菩薩 観音菩薩とともに中尊寺から千葉の泉倉寺を経てここまでやっていたとのこと 有り難い仏様なのですね?
もっとびっくりする事は 胎内仏は行基作なのだそうですよ。
ここまで解っただけでも 近隣の人々の信仰を集めている訳が納得です。


本堂の横の十王堂にこんな怖い仏様がいっぱい。
えんま様とか 賽の河原の仏様とか 要するに 私のような出来の悪い人はあの世で真っ先に会わなくちゃいけない人なんだよね。
○○の沙汰も・・・のお金も持っていないし
なんだか極彩色で 嫌だね


弘法堂です。
弘法様がお祀りされています。
ご当地お遍路巡りの中で中濃八十八箇所の10番目 新四国八十八箇所二十一番札所だそうです。
そして親切なことに 弘法堂の裏には四国八十八箇所のご分身巡りが出来るようになっています。


また階段を上ります。
鐘楼を見に行くわけですが よく考えたらこの山 安桜山152メートルの中腹に建っています。 散策路が付けられています。
行こうよ
いつもならまず高いところに行きたがる相棒に 却下されました。
私よりヘタレです。

太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製(1540)の刻印があります。
明の十二世 世相の時代の鋳造だそうです。
重さ2.6トン 県下最大の鐘をついてみました。
いい音がします。
鐘の上に穴があいています。
これはとても珍しいのだそうですが 穴があいているかどうか確かめたこと無いですからねぇ・・・・

次から次へと鐘をつきに人々がやってきます。
世界平和、国家安泰、仏法興隆を祈って鋳造されたそうですから 何時までもその願いが聞き届けられると嬉しいです。

町をまわらなきゃ・・・と言う相棒の意見ももっともなので ここから町巡りをします。
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小倉公園で 子供の頃を思い出す

2015-04-14 21:43:15 | 散歩
美濃の町を歩いていると 北側に 小高い丘があるのが見える。
てっぺんには 城らしき物が・・・・

「小倉公園行ってみるよ」
「ええ~~っ! あんな高いところまで行くの?」
いつもならまず高いところへ行きたがる相棒が なんだかネガティブ
あろう事かタクシーで行こうと言い出す。

「小学校の頃 遠足で行った山だよ。 登れなくてどうする」

標高159メートルの山と言うより小高い丘にある 城跡です。

金森長近が 高山城を子供に譲って自分が住むために作ったお城だそうで 本丸跡は芝生に二の丸は広場に 三之丸は図書館になっているようです。
子供の頃確かに遠足できたのですが 全く記憶がありません。

散策路が出来ていますが ちびっ子を放し飼いにするほど広くは無い・・・・
私の学校は 一学年6クラスあったので 手狭だったのでは・・・・
それとも とっても良いこの集団だったのかな?





真ん中の散策路を通って展望台へ


ミツバツツジが綺麗な色を

すぐに頂上へ着きましたよ

あららぁ 下から見たとき 天守閣だと思ったのは 天守閣を模した展望台でした。

でも 展望は一級品でした。



目の前に誕生山や 天上山が見える。 藪こぎで無いと行けないよと聞いていた山 自分に行けないからちょっと憧れ
瓢ヶ岳方面も近い 

清流長良川は青い水を湛え すぐ下を見ると 川湊灯台が見えるではありませんか?
遠い日 長良川を使って物資の輸送をしていたことが想像できます。 きっと賑やかだったでしょうね?

写真に撮り損ねましたが美濃橋も見えます。国の重要文化財です。
現存する最古の近代吊り橋(新しいのか古いのかよくわからない評価ですが)だそうです。

私としては 毎年 この橋から長良川に飛び込む無謀な若者達のニュースを思い出してしまうのですが


南を見れば 卯建の上がる町並です。
低い山でしたが 楽して展望の 満足散歩でした。

しか~し 子供の頃の 記憶はついぞ蘇ってこなかった。
時期が来ると桜の山なんだそうですけれどね

さて 次は 刃物の街関市ですよ。
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世界文化遺産の町 美濃市を歩くⅡ

2015-04-07 20:37:38 | 散歩
前回文化遺産の町という割りには ほとんど和紙のことに触れることが出来ませんでした。
和紙の良さを伝えるには ちょっと能力不足ですので・・・・・


和紙の里会館へは 車で行かないと駄目なようで 国指定重要伝統的建造物群保存地区 つまり卯建の上がる町並の一角にある美濃和紙あかりアート館(国登録有形文化財)で 美濃和紙の雰囲気を楽しむことにします。

昭和16年に建てられた美濃町産業会館を今はあかりアート館にしています。

昔の小学校や 役所等を思い出させる建物です。


美濃市では秋の夜に 卯建の上がる町並を 和紙を通したあかりで彩るのだそうです。
それをいつでも感じられるように この展示をしているとか

1300年も前から続いている紙すきの技術が伝わってくるでしょうか?
沢山の作品を 説明無しで あげていきます。
























もっともっとありましたが 無粋な私には説明が出来ませんし 当然評価も出来ません。
ときには鋼鉄の様に見えたり 真綿のように見えたり 苗のように見えたり・・・・
でもみんな紛れもなく和紙でしたよ

日本の文化は 陰と陽の美しさだと言っている人がいました。
あかりが 和紙の柔らかさで表情をとても柔らかく変えています。
私達の先輩は 実に美しい物を作り出してくれたんだなぁ・・・と感慨しきり

こんな物を一つでも生活に取り入れられるゆとりが(いろんな意味で)あったらなぁ

少しだけ和紙に触れたくて 和紙のメモ用紙と ミズヒキの付いたのし袋を買ってきました。

ちなみに和紙の里会館では 体験コースも色々あって 照明や衝立 はがき 卒業証書などが作れるようです。
今度は是非体験してみたい物です。

コメント (7)
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