Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

九州大漫遊記  由布の里に友を訪ねる

2010-07-30 11:21:45 | 旅行記

今回 亭主を先に帰してでも行きたいところがあった。 一つは 山登り 春にフェリーを使って由布岳に登る格安ツアーがあったのだけれど 自信が無くて迷っていたところに まだ残雪が。。。とか 野焼きしたばかりだよ とかの情報

やめよ 今度にしよ  それが今度と言うわけ。 由布岳が百名山でないので渋る息子と(あほ)なんとしても行きたい私。 久住も良さそうだよ  様子を見て決めよう

どっちにしろ 泊まりは湯布院だね。

それに もう一つ 湯布院にはほかにも行きたいところがあった。 去年の5月だったか ブログ人で縁ができたなごみさんの所のご飯を食べること

山はおいといて とりあえず湯布院へGO! 閉店時間21時だというのに 20時過ぎにしか行けそうにない様子。 普通なら オーダーストップの時間だよ。「大丈夫だから来てください。」と言われて 調子に乗って

店はすぐわかったけれど ドアを開けて面食らった。 とても若い人が出てきて (彼が若いとは思っていたけれど) え~~っ? こんなに若い人だったの?  違った すぐに奥から出てきたのは長身の若主人

「いや~ 凄く緊張しまして」 ちょっとはにかんでしゃべるなごみさん。 いえいえ 緊張したのは私も一緒ですよ。 なごみさんの情報はすべてブログから私が感じていたことですからね。 

感じていたこと  とても透明感のある それでいて体温を感じる写真を撮る人。 決して人の悪口を言わない人。 追求心にあふれている人。 そして家族を大事にしている人。「なぁ なぁ パパ」と娘さんとの会話が脳裏に響く。 あ 時々ひょうきんです。

一方で板さんの世界のいらぬ妄想で 怖い人だったら(あは これは問題発言です) 目が細いらしいし・・・

でもでも 私が信じたとおりの人でした。

Otousi 真っ先にだしていただいたのがこれ。 話に良く出てくる若杉で取れた山菜いろいろ。 うれしい。 いつも見る度に お店ではなかなか食べられないごちそうに 食べたいなと思っていた。

乗鞍の麓に住んでいた祖父母が良く作ってくれたごちそうに似ていた。 味はうんと洗練されていましたが

特に白和えは絶品でした。 息子と目を合わせて美味しい・・・と

ちょうど小宴会が入っていてなごみさんも大忙しです。 ばたばたと走っては手際よく注文をさばき(この言い方片付け仕事みたい?)また戻ってきては話しを続けます。 彼は話し好きで 人が大好きなんだとわかりました。人の話も とても楽しそうに聞いてくれます。 もともと湯布院の人では無いのに すっかり湯布院に溶け込み 商店街の人に愛されている感じがしたのは 当然のことだとわかりました。若杉のご両親も応援してくれるはずです。

「大分の代表的なごちそうが食べたい。」と言うことで 鳥づくしです。 今世の中は 唐揚げブームだとか。 その火付け役は大分だそうです。 私は見ていませんが 町にはよそにたこ焼き屋さんや鯛焼きやさんの店があるように唐揚げやさんが あるそうで

その原点でしょうか? 鳥天

Toriten 中華に肉天っていうのがありますが それの鳥版です。鳥に味がついているので 鳥のさっぱりして感じとは別に いくらでも食べられます。

Jidoriyaki 地鶏焼き

宮崎で食べた地鶏焼きは 焼いて塩こしょうという感じ

香ばしさと鳥の味がマッチして とても美味しかった。

ここの地鶏焼きは ちょっと格調高く。 ぶすぶすと音を立てている鉄板にのっている鳥は 美味しい味のソースに絡めて ぺろり  これが大分風?

Dagojiru そうそう団子汁食べなきゃ。 前に大分へ来たときには機会が無く食べられなかった。 大分は団子汁でしょ。

見て! この野菜 野菜たっぷりで優しい味

これでもかっ・・・ってぐらい野菜が詰まっている。 醤油の所もあると聞いていたので 訪ねてみたら この辺は味噌なのだそうです。 九州の味噌なので 甘くて優しい味です。

これだけでおなかいっぱいになりました。

まだ 鳥料理あるよ 息子の好きな鶏南蛮頼みました。 写真忘れている。 全体にちょっと遠慮気味に 隠れて写真撮ったので みんなぼけているし・・・・はぁ

一口大に作ってあるので タルタルソールもうまく絡んで美味しかった。 

小宴会も終わり 閉店時間は とっくに過ぎていたに違いない。 話しはつきないけれどそろそろ・・・と思っていたら 美しいフルーツとごまプリンの差し入れ。

Dezato おお~ 綺麗な飾り切り さすが和食の修行をした人や  ごまプリンとても美味しかった。 なごみさん こんなの作っているときが楽しいんだって。

そういえば前に 何かを作る人になりたかった と聞いたことがある。

なごみさんの血には芸術家の血が流れている。

短い時間だったけれど とても楽しい時間を作ってくれてありがとう。 ネットの世界は使い方によっては いやなこともあるだろうけれど こんなすてきな人に出会えた。 なごみさんを支える奥様 控えめだけれどかわいらしい笑顔がすてきでした。

帰りにすてきなお土産をいただいて。。。 何だと思います? ま 内緒ですが 一つだけ。なごみさんのブログに載っていたすてきな写真の数々を DVDに焼いてくださいました。 これを作りながら どんなことを事を考えていらっしゃったんでしょうね? 

親でもおかしくないぐらいのおばあさんは ますますはにかみながら話すなごみさんのファンになりました。

お天気悪くて 由布岳は一度も姿を見せず。 山登りは次回に持ち越しになりました。 でもまた湯布院へ行く楽しみができました。  

 

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九州大漫遊記 龍馬伝に湧く長崎Ⅱ

2010-07-29 13:45:12 | 旅行記

旧グラバー邸 1863年にたてられた日本最古の木造西洋風建築。150年ほど前の建物には正面玄関を作らないクローバー方の建物なんだって 八角形のお部屋を長方形の部屋で繋いでいて上から見るとよつばのくろーばーの様なんだよね。

Guraba2

龍馬伝では グラバーさんが (だったと思う)「この国はもうじき滅亡するから 稼ぐだけ稼いだら国へ帰る」と言っていたような。 なぜか岩崎弥太郎と組んで三菱造船の相談役だったとか 麒麟麦酒の創始者の一人だとか 最後には日本人と結婚したとか。。。え? と思うような話しがいっぱい。 結局とてもやり手のイギリス商人だったと言うことなんだろうね。

Guraba3

とすると 「あ~る はれた~ひ~ はるかうみのかなた~♪」は 作り話だったのかぁ

びっくりさせないでよ~ お願いピンカートン(これがわかる人は 私と同世代?)

Gakuajisa 長崎には あじさいがよく似合うわ 

Guraba4 アンノン族になって(ふるっ! 今時そんな言葉は使わないか? そういえばアンノン族は何処へ行ったんでしょうね?)

ハートの石を探しましょう。

ハートの石を二つ見つけると幸せになれるそうで。。。。あ ありました  三つのうち一つはグラバー邸の前にありました

Heart Mon

もう一つは 出口に向かって行く途中に

これで二つは見つけました。幸せになれる?

って十分幸せなのかもしれない。 幸せって あっても目に見えないんだよね。 心で感じるものなんだよね?

三つ目はレストハウスの中にあるように書いてあったけれど 見つからない。 く く 悔しい。 ちょこっと不幸になった。 作り損ねたと思われるハートもあちこちに埋まっていた。 あ 失恋の石か?

それにしてもこの敷石いつ頃敷いたもの? 最近だったらちょっと。。。だし グラバーさんの時代に作ったのだったら なかなかおしゃれじゃん

答えはいらない がっかりすると思うから

さて 亭主殿を空港までおくっていきまひょ と思ったはずが 途中でたらみによって重い程のたらみを買い込み 空港では預け荷物30キロになって 追加料金を2000円も払い さんざんな思いで送り出す。 明日帰るからね~

戻ってから NHKの大河ドラマは ちょうど舞台を変えて長崎 私たちが歩いたグラバー邸はライトアップされて ロケ地に変身。 おっ 懐かしいな

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九州大漫遊記  龍馬伝に湧く長崎Ⅰ

2010-07-29 11:59:01 | 旅行記

一大イベントも何とか無事に終え 家に帰る。 と言いたいところだけれど まだまだ せっかく出てきたんだからと もう一日のお休みを確保していた息子と私。 会社人間で仕事を休むことがなかなかできない亭主

湯布院でもう一泊と企んでいる私たちに「良いなぁ湯布院」と言いながらもこの日の夕方には大村空港からセントレアに・・・ そのあいている時間を長崎で過ごしたいという亭主。 じゃあねと言うのも酷なので 搭乗時間近くまでつきあうことにする。

できれば稲佐山除いて長崎を歩いて回りたいと思うけれど 時間が許さず べたにグラバー園へ   

ちゃんぽん発祥の地 四海楼の脇の地下駐車場に車を入れて 緩い坂道を登っていく。

Sakamiti Bowling

坂道は辺に斜めに仕切られて ちょっと下だけを見ていると気持ち悪い。 何でも雨水を流す工夫だとか たぶん左右どちらかに傾斜がついている

ボウリング発祥の地?

日本の一般庶民は何も知らないで暮らしていたころ ここには西洋の文化があふれていたからね いろんな初めて物語があるんでしょうね?

Ehonbijyutukan 角煮饅一つを 味見にみんなで分け合って(そりゃそうでしょう さっき思いっきり食べました)歩いていると 綺麗な石造りのお家  祈りの丘絵本美術館だそうです。

Oouratensyudou どん付きが大浦天主堂です。木造ゴシック建築って・・・木造?

そんな風には見えない。現存する中では一番古いものだとか。それよりも驚いたのは これを作ったのは日本人だと言うこと。小山秀之進さんと言うらしいのだけれど この人があのグラバー邸とかオルト邸を作った。 日本人って凄い。

Garabairiguti 標識に従って登っていく。

お父ちゃん 肩にタオル架けるのやめてくれん? それでいてよく落とすんだわね。ほんとにもう。

エレベーターに乗って 高いところに すぐそこに海があることはわかるけれど 見えないんだよ。

Kesiki

Dokkuhausu2  三菱のドックハウス 犬の家じゃないよ

あれはドッグか

修理のために造船所に入っている間の乗組員が泊まった施設  なんとまあおしゃれな

Kyouryuutisakai 外国人が住む場所は決められていたんだね 神戸でもこんなの見た事ある。

Ikari 三菱で使っていた碇

龍馬伝で見る岩崎弥太郎は いやになるほど下品で 時々人間の良さをのぞかせたりするけれど 周りにいたらなかなか理解でき無いような人物に描かれているけれど 本当に大きな仕事をしたんだねぇ。 

Apagansasu Ajisai

Woka 歴史の泉なる階段をおり旧長崎高商表門衛所 地方裁判所長官舎を越えると旧ウォーカー邸 屋根からひさしをだすなど日本建築の要素も取り入れた建物だそうですが 素通りしました。残念

Orutotei 長崎に残る石造りの洋風住宅のうちでは一番大きいのだそうで 確かに立派なものでした。海に向かって突き出たポーチ 広いベランダを支えるギリシャの神殿のような列柱は天草石だそうです。

天草石  初めて聞きました。立派な石が取れるんだね。

Asufaruto 旧リンガー邸の斜め前に 珍しいものが

初めて物語り アスファルト舗装

グラバーさんの息子さんが作った道だそうですが これは日本で初めてのもので 少しだけですが残されていました。傷みが来ています。 

Jiyuutei またまた初めて物語り

旧自由亭 ここは西洋料理発祥の地だそうな

草野丈吉は 出島のオランダ人の元で修行をし料理の腕を上げたのだそうです。 二階が喫茶店になっていたので入ってみたかったけれど おなかが苦しいよって言っている

Garaba さて 見慣れた建物の上に来ました。 グラバー邸の屋根のようです.少々長くなりましたので 続きはまた今度

 

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一大イベント お嫁さんにください

2010-07-29 00:42:07 | 日記・エッセイ・コラム

今回の一番の目的は この日にあった。 諫早に住む お嫁さん候補のお家にご挨拶に行くこと。

私たちはみんな彼女がお嫁さんとして来てくれることに依存は無い・・・どころか大歓迎で早く早く。。。と思っているけれど 正式にお話をしたわけではなく  キチンとすべきはきちんとしなきゃね   と言うわけで

11時 諫早の道具屋で待ち合わせ。 っていうかここで今日のイベントは行われる。 道具屋? 変わった名前のホテルだよ。 何でも昔結納などの道具を扱っていて その名前だけが残ったのだと。。。インパクトある名前だねぇ

本来なら 仲人さんと うちの亭主とで ご挨拶に行くんだけれど 遠い所だし 略式で その代わり 親戚みんなに挨拶をしてほしいと言われ あれあれ もう披露宴みたいだよ。

Meganebasi 時間が早いので あまり早く行って向こうに気を遣わせては。。。とお勧めの眼鏡橋に行ってみる。

高城城跡のお堀にかかる

元々はすぐ近くを流れる本明川に架かっていた石橋。あんまりがっしりしていたので 水害の時かえってゴミが引っかかって 災害の規模を大きくしてしまったと言うので ここに移した。

長崎の眼鏡橋? って思ってしまうけれど全長45.4メートル 石段38段の大きさは見事なもので 長崎の眼鏡橋よりも先に重要文化財になったそうだ。 諫早の自慢らしく それを教えてくれたときにはみんな誇らしげだった。

城址公園として市民に緑を提供しているここには たくさんの大楠の木が聳えていて なかなか良い公園だった。 ツツジの頃には3万株が満開となって公園を彩るのだとか 綺麗だろうな

本当はお天気が良かったらここでみんなで写真を撮るつもりだったらしい。 行ってきたなんて 口が裂けても言えん。 お口チャック

さて 本当の目的は。。。。 首尾良く? うちへ来てもらえることになり 遠い所から来てもらうのだから 自分の着るものだけを用意したら 後は全部うちで用意するからね  と念を押して 家族だけの密談終わり。

外の部屋で待っていた親戚が合流して 4家族の顔合わせと食事会。

おじさんも おばさんも○○ちゃんのことを話そうとして言葉にならず 涙を・・・うれしいんだよって言いながら 声を詰まらせて・・・

みんなとても仲良しの親戚のようで いとこも兄弟のよう。 私もみんなが自分の子になったような錯覚を覚えるような楽しい会だった。

「遠い所へ行っちゃうんだねぇ」「一年に一度ぐらいは里帰りさせてくださいね」等々 寂しさとうれしさと・・・・

ホテルを出るときに息子に言った。 「あんなに大事にされているお嬢さんをもらうんだから 一緒に幸せにならないとね。」

この記事の写真は とてもプライベートなので 無し。 そのうちに 我が家の一員として登場するかも。。です。

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九州大漫遊記 温泉三昧?

2010-07-27 11:37:25 | 旅行記

嬉野温泉は良いよ~~  と息子のお勧めもあって 本当はハウステンボスの日航ホテルに泊まる予定だったけれど ゆったりできるしと 嬉野温泉

私の住む近く三重県にも嬉野っていうところがあるので ちょっと違和感のあった場所だった。

この町不思議なことに 町にいる間 温泉街って感じがしないんだよね。 普通の町で 宿に向かって奥の方に入っていって初めて温泉の町って感じた。 これはよその温泉街とひどく違うところだな・・・と

Toyotamahimejinnjya 豊玉姫神社 豊玉姫は海神の姫様で竜宮城のお姫様として有名。乙姫様やね 水の神 海の神としてみんなに慕われているけれど この姫様とても肌が美しかったんだって 乙姫様のお使いはナマズで この神社にも美肌の神様としてナマズが祀られていた。

乙姫様のお使いはナマズ? た~いやヒラメのまいおどり~♪ じゃなかったの? それにナマズって川魚だと思うんだけれどねぇ 

 それにしてもこの神社の歴史は古いんだと。 1573年に(天保年間)兵火で焼かれたってことはそれより前にあったんだよね 

Toyatamahimejinjya2

Namazu おっ! ナマズが金色に光っている。

御利益があれば これからの私は玉の肌~  どうだ!

ちなみに 素肌健康 皺退散 皮膚病退散に効くらしいです。

従って嬉野温泉のお湯も 皺退散に効果あるわけで。。。。。ちょっと一回ばかりでは駄目かぁ

昔 塙君が佐賀を題材に歌っていたことがあった。 もう覚えていないけれど 何にもないよていうような内容だったと思う。

ところがポスターで見た佐賀は なかなか興味をそそられるものだった。 吉野ヶ里遺跡 熱気球大会 有田焼 唐津 伊万里・・・・そしてその中に 佐賀には竜宮城があるっていうのがあった

竜宮城? 竜宮城って佐賀の昔話だっけ? ま 桃太郎伝説もあちこちあるしね。。。

Takeoonsen 武雄温泉の入り口 あ~あ これだったんだ 竜宮城への門

門から左手上を眺めると

Houraisan おお~っ 何だ あの山の形は? 中国の蓬莱山の様だ・・・って行ったこと無いけれど

桜山とも言われている蓬莱山の麓に沸いているから昔は蓬莱泉と言われたそうなんだけれど

その歴史にびっくり

1200年も前に開湯って え~と 今が2010年だから平安時代?  何でも神功皇后が 太刀の束でこんこんとしたら湧きだしたのが始まりなんだって

以後秀吉も朝鮮出兵の時 負傷兵の湯治場として使ったそうで 鍋島氏 宮本武蔵 伊達政宗 吉田松陰 シーボルト。。。 めちゃ人気のお湯だったんやねぇ

鍋島藩の専用お風呂も残っていて今は貸し切り風呂としてつかえるようになっている。 これはやっぱり一度は行ってみないとあかんでしょう。

Takeoonsen2  嬉野温泉のすぐ隣の温泉。 一時は歓楽街になっていたらしいけれど 今十分風情のあるすてきな温泉場ですよ~

湯布院温泉

由布岳の恵みをいっぱいに受けたお湯。 この町はいわゆる歓楽街を作らないで 厳しい節制を保ってきたおかげで じょうひんでおしゃれな温泉街というよりは 九州の清里・・・みたいなイメージになった。 今回温泉に行くのが目的では無かったので 湯布院が大切に守ってきた温泉(古民家を改造したような共同湯 下ん湯)を楽しめなかったので残念。 しかし宿は 一軒一軒離れにした部屋で それぞれに内湯と 露天風呂がついていて 露天風呂は24時間お湯があふれていた。 こんな贅沢して良いの? 豊富な湯量日本で3番目ならではですね? においのないさらっとしたお湯だったけれど 湯布院を守る人々の真心が詰まっているような お風呂でした。

Roten Utiyu

これも これもはちょっと贅沢でしょ?

さて 最後はラムネ温泉(長湯温泉)

ラムネって? ラムネを湧かしているの?って そんなはずもないだろうけれど 息子がどうしても行きたいと言う。 最後の日 帰るばかりになっていて 忘れていると思ったら かわいらしいおじさんが頭に手ぬぐいを乗せている絵を見つけてしまった。

「あそこ行くよ」 「はい」

Nagayuonsen もはや何処にいるのかさっぱりわからん。久住の山々を越えて反対側に出たらしい。 竹田から大分に戻る途中で見つけたんだから。

道の駅で 何処がお勧めか聞いてみる。

Kyoudouramune 大丸旅館 外湯

共同浴場のようになっていた。

ラムネ温泉の名付け親は 文豪大佛次郎さんだそうで 歴史はさほど古くない。 いや 長湯温泉としてはきっと歴史は長いのだろう?

入るとどんな感じがするのかな? シュワシュワして肌に気持ちいいのだろうか? あれ~? 思ったよりも何も感じなかった。 ラムネのような泡もさほど無くて。。。。

コップで飲んでみた.うへっ あんまりおいしいものでは無いね。 有馬温泉で飲んだラムネの元と言われるお湯もこんな感じだった。 

でも やっぱり温泉。 出た後は とてもすっきりさわやか。 良い気分で帰途につきました。 三泊四日の一大イベントを抱えての旅行だった割には 温泉三昧で もったいないような旅行でもありました。 感謝

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