Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

下関歩いて渡ってみました

2015-01-31 20:37:38 | 日記


蛍光灯の光が入って見にくいですが 関門トンネルの構造図です。
大きな円筒が海の中に横倒しになっている・・・・という感じですか?
円筒は 車用の道と 人用の道とが二段になっています。
空気を送る設備とか 水抜きとかが埋め込まれています。  海には柱一本立っていません。
これで 狭い海峡を 船が航行するのに妨げにならないのですね?


思ったより狭い道です。 多少高低差があります。
時々 ご~っと音がします。 
車が上を走っているのを感じます。
長く感じました。 たぶん 景色が全く見えないので 楽しくないのです。
ジョギングする人が 何度も行ったり来たり・・・・
足に悪くないのかなぁ?
でも 何度も行き来することで 人に見られると言うことが有り 頑張れるかもしれません。


県境を通ります。
ここぐらいしかテンション上がりませんから

ひょいと出たところはみもすそ川公園でした。

壇ノ浦の戦いで 八艘跳びを果たした義経と もはやこれまでと碇を身体に付けて海に飛び込むばかりの平知盛の銅像が置いてあります。
清盛に愛された知盛 34才の若さで往くというのは胸が詰まる
今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは(二位の尼)

すぐそばに 長州砲のレプリカが置いてある。

幕末関門海峡での攘夷戦は 長州と英 米 蘭 仏連合艦隊との6次にわたる戦争で終結した。
これをきっかけに明治維新に向って行った訳ですが この青銅砲は戦利品として外国に持ち去られてしまったとのこと
大砲なのに 青銅で美術品のように綺麗でした。
エッチングのような綺麗で精密な模様が彫り込まれていました。
5個(個で良いのかな?)設置されています。

下関を歩いて見ましょう。 唐と市場のあたりまでは行きたい。
相棒がタクシーで行きたそうですが


門司の町が見えます。
あの変わったマンションが目につきます。
大きな船が通っていきます。
やっぱり狭そうですね

赤間神宮は賑わっていた。
後で安徳延納を祀ってあること 耳なし芳一の舞台であることなどを知ってちょっと残念
でも時間そうはないしね・・・・・ 


赤間神宮のすぐ横には史跡春帆楼 日清講和記念館があります。その下にそっとある本陣伊藤亭跡
日清講和条約締結の場所で何時博文ともゆかりがあります。
春帆楼の亭主は吉田松陰とも親しかった。 坂本龍馬とおりょうさんはここを生活の拠点として活動していた事もあったとか
次から次へと押し寄せる歴史の情報に頭くらくら
宮本武蔵が巌流島へ行く時の船出の場所もこのあたりだったようですよ
あれ? 巌流島の戦いって史実?  お話の世界と思っていたけれど・・・・ま 良いか


下関へ行ったら唐戸市場に行っておかないと  と言われていたのですが あれれ お休み
正月旅行は時々そんな事があるのですが がっかり
何年か前に厳島へ行ったときに遠いと言う理由で諦めた場所でしたから


お隣にこんな店がありまして こちらへ行ってみます。
相変わらず食欲ないですが 現地では現地の食文化を・・・・と主義ですから
ふぐを食べようと探してみます。
瓦そばとふぐの店があふれていました。


こんな安い店見つけましたよ
私貧乏性なのか ふぐに何万円もかける勇気はありません。 と言うかあまり味のない魚だなと思っていました。(この瞬間世のグルメ通を敵に回したに違いない)

凄くないですか? これで925円 てっさ てっぴ 唐揚げ アラ煮 味噌汁 ご飯 漬け物
おなかいっぱいの私に 丁度良い量でした。
ごちそうさま。  一番美味しいと感じたのがあら煮というのが申し訳ないですが
亭主は お刺身とふぐの天麩羅定食  身の厚いお刺身が一杯で 大満足だったそうです。



旧秋田商会の見える唐戸桟橋から船に乗ります。
今度は 人道トンネルではなく 船で門司に戻ります。

ひょいと地図を見てみると まだまだ見たいところが一杯。
今日は小倉まで行って新幹線で帰ります。
時間が無いことを本当に残念に思いながら 小倉へ向います。











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歴史を見てきた場所 壇ノ浦を見下ろして

2015-01-29 21:38:34 | 旅行記
バスは 和布刈神社のそばで降ります。
すぐそばが 関門海峡の人道入り口なのです。

和布刈神社は 人でごった返していました。
由緒を見るととても古いもので 和布刈は若布を刈ると言う意味だとのこと
元旦未明 三人の神職が海に入って若布を刈り取りお供えをすると言う神事が行われているとのこと。
何年続いているのだろう?  人々の生活の中にあった和布刈神社は 立ち並ぶ家々に隠されてしまうほどでしたが


鳥居が関門橋の下にさりげなくあります。

反対側の山は めかり公園として整備されています。
門司城跡らしいですが 通り過ぎてしまいました。


めかり公園第二展望地から関門海峡を見ています。

私は 関門海峡のことちっとも知りませんでした。
海の下に道路が出来ていて そこを 人も 車も新幹線も通っているのだと思っていました。
ここに立ってみて あまりに狭い海峡にびっくりしました。
川と変わりありません。
750メートルとかって聞きましたけれど

どうして橋を架けなかったのだろう?
海の下にトンネル掘ることの方が難しい気がするけれどね
きっと潮流の早さや 海峡の狭さがその原因ですね。


関門海峡の一番狭い所 早鞆の瀬戸で繰り広げられた壇ノ浦の戦い。 その絵図が 有田焼の陶板で再現されています。
船の上を飛んでいるのは義経でしょうか?
八艘跳びの絵のようです。

左端になってしまいましたが 二位の尼 安徳天皇 建礼門院の入水の様子が書かれています。
「海の下にも都はありますよ」と幼い安徳天皇を抱いて入水・・・・・子供心に あまりにかわいそうで納得できなかった事を思い出します。

建礼門院徳子は 源氏の兵に助けられ京都に送られます。

大原寂光院で隠棲したことで知られています。

関門海峡が歴史の舞台であったことがたくさんあることを知って 気持ちが高鳴ります。
下関の方へわたってみましょう


エレベータを降りるとそこは人道通路でした。
国道2号線とあります。
海の中の道ですが 立派な国道です。
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見所一杯 レトロな町門司港

2015-01-28 19:10:12 | 旅行記
三日目は 予想通りお天気も持ち直して 少しは暖かいようです。
良かった~~

今日は 中津から東九州自動車道を通って門司港へ行きます。


遠くから見えていた山並み 
小倉に近づいたら 大きくすぐ横に見えたことから考えると足立山でしょうか? 
この辺の地理に詳しくないので 違いますかねぇ
とても綺麗なやまなみです。


最初に行ったところは九州鉄道記念館  九州は鉄道が魅力的なところ・・・・と言ってもさほど見たかったわけでは無いのですが 相棒には別の思惑がありました。
ここからトロッコ電車に乗って 関門トンネルの人道入り口に行く事 
そこから 下関まで歩いて行こうと思っていたようです。

関門トンネル歩く? 歩けるの?

残念ながらトロッコ電車は 冬期休業中とかで 門司の町を少しだけ回ってバスで移動することにしました。


ずっと向こうに 山となんやら建造物が見えます。
下関の火の山展望台らしいです。


記念館のほとんどは外に展示されていましたが この赤煉瓦の建物の中にも展示物があります。
赤煉瓦って 何処でもなんかエキゾティックな感じがするんだよね?
とは言え 煉瓦って基本赤煉瓦だから・・・・函館も 横浜も 神戸も 半田も(私が行ったことあるところだけを並べている)港町だから異国の匂いがするんかなぁ?

ジオラマや 運転シミュレーターもありますが 何処も閑散としてました。 名古屋の鉄道博物館のシミュレーターはくじ引きで無いとできないぐらい人気です。
お正月だからですね?

外にミニ鉄道がありました。
ここはちびっ子に人気でした。
湯布院の森号 かもめ つばめ ソニック 近郊型電車のミニ電車が 自分で運転できるようになっています。

バスに乗る前に 少し門司の町を歩きましょう。


旧大阪商船の建物や 税関が見えます。
あの面白い建物はなんでしょうか?
レトロ展望室とありますけれど
一番上は 展望室になっていますが 下はタワーマンションらしいです。 黒川紀章氏のデザインだそうで・・・・


美しい洋館は三井倶楽部  木造三階建てです。
アインシュタイン博士が来日されたとき宿泊されたとのことで ベッドルームやお風呂の展示があります。


お風呂 広すぎて寒そう
映画に良く出て来るバスルームだけれど あの中で石けん一杯にして洗うの?
良く解らん。  日本人で良かった。


この建物 もともとは山間の谷町にあったのを ここへ移築したそうですが三井物産の社交倶楽部として使われていた頃を感じながら食事も出来ます。
ふぐ料理が主なようですが この地域の焼きカレーをここでもやっていて 海鮮カレーが味わえるようですよ。
ドライカレーの上に ふぐやえび イカなどの海鮮が一敗のっているそうです。
私達は 朝早かったので まだレストランはやっていませんでした。

さて バスに乗って和布刈神社の方へ行きますが 下関のレポートの前に めかり公園の展望台の方を先に載せます。





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官兵衛が夢を見た場所 中津城

2015-01-21 22:45:46 | 旅行記
宿に戻るまでに少し時間があります。
中津へ来たのですから 中津城に寄ってみましょう。
去年 大河ドラマで軍師官兵衛をやっていたので 地元は熱いはずです。
官兵衛は ルーツが京極家の流れを汲み 滋賀県の木ノ本にあると言う事を知っています。

姫路から 九州へ場面を変えてしまいましたが 私も熱い思いで見ていました。(岡田君だったからでは無いですよ)




中津城を扇城と言うそうです。 どうして?
地図を見て解りました。
高瀬川(中津川)と海を天然の堀として作られている様子は確かに扇のように見えます。
このお城は官兵衛が築いた石垣に特徴があるようで 石垣巡りのおすすめコースも用意されていました。
輪取りがあったり 算木積み 穴太積み 野面積 そして古代の山城から持ってきた石を使った石垣やら 色々です。
一周するには時間が足りません。



私にしたら面白い石垣です。 野面でも算木でも無い積み方です。 なんというのでしょうか? 
石には刻印があるものも見られます。


中津城と言っても 当時の城が残っているわけではありません。
残っているのは石垣だけでしょうか?
城は 奥平家歴史資料館になっています。

奥平家?
おや 懐かしい名前です。
黒田家は ここに13年いたのですが やがて福岡に移ります。
その後のことは 案外歴史の中では忘れられてしまいますが 後に(1717年)に奥平家が入城した様です。

奥平家  三河山間部から出た豪族です。 でも奥平家あちこちで名前聞くんです。
私の子どもの頃済んでいた加納に加納城がありました。 そこの城主は奥平信昌  信長に気に入られて信の字をもらったとか
家康には娘の亀姫をもらい出世コースを歩き始めたらしいのですが あまり歴史の表舞台では聞かない名前でした。
私に 思い入れがあるから見つけると嬉しいだけかも
 


あ でも長篠合戦の資料に鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の紹介があってびっくりしました。
奥三河の新城ではみんなの英雄ですが 知っている人そうはいませんよね
いつも もう少しいい絵は無かったのかと苦笑しながら見るのですが 遠くこの地で紹介されているのは嬉しい事でした。


中津川 ずっと先は海に繋がっています。

中津の城下町は官兵衛の統治していた頃に作られたそうです。
町割りや町名にその名残が残っているとか

しかし 大通りはともかく狭い道が多くて 一方通行や鉤道に苦労しました。
「官兵衛さん もう少し広い道作っておいてくれたらねぇ。。。」


関ヶ原の戦いの折 官兵衛が見せた行動は 天下をじぶんの手にするためという説がありますが 私には??です。 この地に立って余計にそんな気がしました。

夕方になって来たので 宿に戻ります。
寒さが 身体を凍らせそうです。
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恩讐の彼方に  青の洞門

2015-01-19 21:22:36 | 日記
今日中に中津まで行かないと 今日の宿が無いことになる。
いつもなら十分時間あるし 心配しないけれど 先程からのあられにちょっと心配になる。
昭和ロマン蔵でもらったパンフレットを見て考える・・・・

う~~ん 気になるところ一杯あるなぁ
富貴寺 夷谷  おお 鋸山も気になる・・・・って山歩きの用意はしていませんが

ってああでも無いこーでも無いと言っていたら
「とりあえず中津まで行って青の洞門 案外近いから行ってみよう。」と

ああ ここも気になっていたところです。
前になごみさんがレポートを書いていました。

私は鳥井峠で恩讐の彼方の場所として モデルになったお坊さんの事を知ったので気になっていました。
雪心配だけど いけるところまで行こう!

耶馬溪は中津と日田の間にある深山幽谷っていう場所でしょうか?
一口に耶馬溪と行ってもとても広いことが解りました。

青洞門は ほんの入り口でした。
奇岩が連なる山が見えてきたなぁと思ったら川沿いに青の洞門  あっけなく通り過ぎます。




手堀だそうです。
ノミの跡見えますか? 長い長いトンネルかと思ったらそうでは無く 川の方に張り出してきた岩をくりぬいて通れるようにしたようです。
こんな岩がいくつ続いたか これが無かった頃はせり出した岩の外側を通らなくてはならなくて 沢山の人が犠牲にんったんでしょうね?

恩讐な彼方ににでてくる主人公は 江戸で主人の愛妾と関係を持ち とがめられたのを反対に主人を殺害 愛妾お弓と逃げ奈良井の鳥井峠で茶家をしていたと  茶屋は表家業で実は人斬り強盗を生業としていた。
そんな人としてあり得ない人間だったのだけれど 御弓と別れ罪を悔いて全国滅罪の旅に出た。
そしてたどり着いたのが ここ 
沢山お人が命を落とす 難所で洞門を作って人々を助けたいと願って 手堀で来る日も来る日もノミを振るった・・・ そんな話だったと思うのだけれど ここに来てそんな記述は何処にも無い。
はて~~

考えてみたら菊池寛の恩讐の彼方には 作り話でしたね? 青の洞門をモチーフに書いたと言うだけの話です。
地元の人にしたら そんな大罪人のことは書きたくないですね?
ここでは実在の僧 禅海さんが作ったのだと書いてありました。
もっとも 一人で掘り続けたわけではなく 托鉢勧進によってお金を集め人を集めて彫らせたというのが本当のようです。
しかも 有料道路だったか・・・・
日本で最初の有料道路です。



これだけでは寂しいので羅漢寺まで行ってみることにします。
禅海和尚ゆかりのお寺です。



少し 俗っぽい道具を使って行きます。
リフトが山頂まで行っていて 羅漢寺は途中で降りるようです。(この日は山頂まではお休み)
寒いのでありがたい。


駅を降りて少し行くと石の大きなアーチがあって このあたりから聖域なので写真撮ることは禁止だそうです。
印象としては自然の石をくりぬいてその中にお堂が治められています。
岩がお堂の上にせり出しているので 上から水が流れてきて滝壺さえお寺の真ん中にあります。
本当に不思議なお寺です。

人物が入っていれば山門前と本堂前に限って写真撮って良いよと言われ取ったのですが 亭主の目に線を入れていたらなんだか嫌な気分になったので載せるの止めます。
是非ご自分の目で見てきてください。


せめてと言うことで お寺の地図を載せておきます。

雪がひどくなってきました 
中津市街地に戻ることにします。
耶馬溪 もっとゆっくり行ってみたかった。

後で地図を見ていて長岩城址を見つけた。
確か黒田長政が 官兵衛がせめるに苦労した山深き場所って言うのがあった。
あの宇都宮氏が治めていた一帯はこのあたりだったのか・・・
ちょっと心にしみる場所でした。
又機会があったら 細かく回ってみましょう。



 
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