Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

ご挨拶

2009-12-27 12:27:01 | 日記・エッセイ・コラム

少し早いですが 今年のご挨拶をさせていただきます。

Sazanka2

いろんな事ありました。 父とお別れをしました。 そんなに仲良しの父では無かったけれど 日が経てば忘れられると思っていたはずなのに 日が経てば経つほど悲しみが増す事が分りました。

年をとるという事は ただ年を重ねる事だ・・・みたいに思っていたけれど 体は年なりにくたびれてくる事を実感し そろそろ引退かな?と思うようにもなりました。

それでも毎日はそれなりに楽しく 良い気分で残りの人生を生きていかないとなぁ と思っています。

明日 息子のお嫁さんになるだろうと思うお嬢さんが家にやってきます。 遠いところからお迎えする事になり 少し心配。 でも楽しみです。

来年はどんな年になるんだろう? 

仕事は暮れまであり バタバタしているので これが今年最後の記事になると思います。 ご挨拶にいけないかもしれませんが 今年いろいろありがとうございました。 来年もよろしくお願いいたします。

繖山のレポなど書きかけの記事が突然出現するかも。。。ご愛敬と言う事でお許しくださいね

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ツルの恩返し

2009-12-21 11:14:10 | 日記・エッセイ・コラム

機織り機を買った。 買ったらやりたくてやりたくて仕方が無い私。 今年佐渡へ行ったときにお土産屋さんでみた裂き布織りを見て あ こんなの作りたい。

テナントの手芸屋さんに相談して取り寄せてもらった。

折しも大寒波が近づいているとき  縦糸を張るのにああでもない こうでもない とやっと張り終えた頃に 体調がおかしい事に気付き それでも 縦糸張ったからには 織ってみたい。

がったん バッタン (そんな音はしないけれど) あれれ? 何だか思うようにはできないなぁ

形にはちゃんとなっているんだけれど 味が無い  道は遠いなぁ

三日坊主になると恥ずかしいので家族に内緒でやっていたのだけれど  ケッシテノゾカナイデクダサイ

気付いたら夕方  未完成のまま自分の部屋にしまい込んで ご飯作らなきゃ。。。。

立てない。。。れれ 立てない 頭もがんがん

結局寝込む事になってしまった。 仕事は運良く連休が続いたけれど 一番忙しいとき  休み明け這うようにして仕事  仕事始めると何とかなるんだよね これが

で戻ってきては 寝て 寝て

そんなわけで もう少し お休みします。

ケッシテノゾカナイデクダサイ

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最後の紅葉を求めてⅡ

2009-12-11 00:34:00 | 旅行記

岐阜へ向かう途中 亭主が突然「松尾池行きたい。」と言い始めた。

「だって 綺麗って聞いているけれど 行った事無いもん。」 あはは ひょっとしてすねてますか? ええですよ。あそこも 父と母の思い出の場所でござんす。と言うわけで 美濃加茂手前で関の方に入り 松尾池をめざす。

松尾池 長良川を挟んで金華山と対峙する岐阜市内で一番高い山百々が峰 その麓にある池で 岐阜の町中にありながらこんな静かな場所があるのね と思える大好きな場所。

今日は紅葉真っ盛りらしく 車が遠くの駐車場まであふれている。 夕方なので帰る車もあり池の傍らに駐められた。

Matuoike もう言うまいと思っていた言葉が また口をついてでる。 お天気良かったらねぇ

湖面に岩舟荘を映し出し 百々が峰の紅葉を映している。

Iwafunesou ここに人が集まってくるのは 只この景色が良いからというわけではない。

鴛鴦がやってくる池と言う事で人が集まる。

あ カワセミ

青くて綺麗な鳥が湖面をすれすれに飛んで行ってしまった。 カワセミ 初めて見た。 あまりに早くて写真に撮れなかったけれど。。。

Osidori ここではカメラマンがたくさん待機していて 少しでも近づこうものならにらまれそう。 何しろ普通のカメラじゃないんだから。。。

ドングリを撒いたり カワセミを呼ぶために 魚を撒いたりしているのはちょっと。。。

Kouyou

Iwafunesou2 百々が峰を仰ぎ見て「あそこに岩場があるの分る? あそこを通って頂上へ行くんだよ。」

と言うと 「私何処へでも付いていけるよ。」と母

へぇ そうですか? こりゃ頼もしい。 あの岩場コース 挑戦してみますか?

お天気悪くて消化不良の紅葉ではあったけれど 今年の紅葉狩り行事も終わったかな?

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最後の紅葉を求めてⅠ 

2009-12-10 13:55:29 | 旅行記

11月の29日 やっとの事で日曜日に休みを取る事が出来た。 母を野麦峠に連れて行きたかった。 父と母の作品が野麦峠資料館にあると言う事で なんとか見せてあげたい・・・

朝向かえに行く。 中津川のチコリ村で早いお昼ご飯を食べる。今弟のやっているホームの看護婦さんや ヘルパーさんのご飯を作っているので 献立の参考になれば。。。と。野菜いっぱいのメニューに 子どもの様に感動してくれて メモでもとりそうな勢い。 良かった

で 野麦峠に電話しても あれれ 繋がらない。 ホームページでは11月いっぱいとあったけれど・・・ 道路が閉鎖されたので資料館も閉めて冬眠に入ったと。。。。残念。

どうする?

ここまで来たら 付知峡とかまわって下呂に行って41号線で岐阜まで戻ったら? と半ばやけくそで 裏木曾街道を北上。 

実は 少し前にブログ人仲間のnobuさんが下呂にいらっしゃると言う事で 紅葉の事が少し気になっていた。 nobuさん 下呂の紅葉間に合ったかしら?

Kannondaki 中津川の北にある付知峡 やっぱり紅葉は終わったねぇ

Takitubo 瀧の見える所まで たいして距離は無いけれど 高低差が少しあるので心配したけれど 何でも無く 歩いていく。

柱状節理の並ぶ 見事な観音滝の前で 吸い込まれそうな滝壺を眺めながら しばし

財布からおもむろに父の写真をとりだし

「お父さんは滝の絵を描くのが好きだったからねぇ。私が代わりにかけると良いのだけれど。」と  母は 変なところだけれど 財布の中ならいつでもいっしょだからね といたずらっこの様に笑う。

Fudoudaki 不動滝から折り返すのだけれど もう一つねじ樽があるのでそちらも行く事にする。 なかなか年にしては強い足腰だわ。

Nejidaru 片目が病気でほとんど見えないのだけれど それをいつも感じさせないぐらい ひょこひょこ歩く。

とはいえ ここは岩がいっぱいで足もと悪いよ。

全く紅葉はかけらも無くなって冬枯れの 寒々とした滝だったけれど 水の美しさは並みでは無く それだけでも 十分な ちょっと寄り道だったかしら?

ここから舞台峠まで行くと 途中で雨がぱらぱら。。。

ついてないなぁ  お天気に合わせてお出かけできると良いんだけれど。

下呂を通ったけれど 町中に入るのは止めて 41号線を南下する事にする。

お天気悪くてくすんでいるけれど 紅葉はちょうど盛りだったように思う。 川の両側 山の斜面 何処もみんな綺麗。 「お日様がでていたらねぇ」 何度つぶやいた事か。

Nakayamasitiri

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ずっと戦争の表舞台? 関ヶ原

2009-12-05 11:34:48 | 日記・エッセイ・コラム

先日 大垣で不発弾の処理のために 大垣から関ヶ原の間のJRが普通になった。戦争が終わってもう60年以上たっているのに 不発弾? と言うのも驚いたけれど 場所が大垣と言う事にも ちょっと驚いた。 思い当たる事があった

時々勉強会に参加している 関ヶ原エコミュージアムは 伊吹山の麓にある。 木の実の調査をしている時に 道路の脇に お屋敷の門番が良そうなボックスが草むらに隠れて建っているのを不思議に思った。 この辺り 例えばメナードスケートセンター(正式名は違うかも)とかあったと聞いていたのでその名残? それにしては古いぞ。

Danrakuko お屋敷の門だとしたら ずいぶん大きなお屋敷だけれど。。。

やがてここが玉の弾薬庫の門跡と知る。大正三年に開設された正式名を「名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠」と言うらしい。実際に作ったのは玉の住民や関ヶ原の住民 指導に当たったのは岐阜68連隊 後に敦賀19連隊と交代 完成後は第9師団第19連隊の管理下になった・・・と記述があり とても大規模な弾薬庫だった事を思い知らされる。

11月の勉強会のときは鍾乳洞の方まで歩いて来た。すると あるわあるわ 弾薬庫の跡

Eimon 間違いなく営門だよね。営門がいっぱいある。よほど大きな弾薬庫だったんだろうと見ると 周囲6キロ 面積270ヘクタール で 東洋一の規模だったのだと。。。

Iriguti 今では 当然中身は無いので放置されている。 つまり中を見る事が出来る。

あんまりこういうところ得意では無いのだけれど。。。

Danyakuko さして変った様子はないのだけれど 中へ中へと同じような部屋があるようでだんだん真っ暗で何も見えなくなる。 フラッシュをたいても無理

脇に何かあるような気がしたけれど・・・ ブルぶるっ

Dorui 更に歩いていくと こんな物が

これも弾薬庫と思えば 向こう側に穴が突き抜けている。 土塁だそうだ

弾薬庫にもしもの事があったら この土塁で付近への被害を食い止めようと。。。

ここにこのような大規模な弾薬庫が作られた背景には 交通の便 回りに小高い山がいくつも連なり 洞窟が作りやすかった等の 好条件があったようだけれど

思えば関ヶ原は大昔から歴史に残る大戦の部隊だった。 壬申の乱の舞台は 近畿地方に大きく広がっているが 大海人皇子が吉野から脱出してきた場所として関ヶ原がある。

歴史に興味が無くても 関ヶ原の戦いを知らない人はいないだろう。 何しろ 大げさに言えば日本を二つに分けての大戦だったのだから

そして陸軍の弾薬庫

何気なく通っていた 近江と美濃を繋ぐ道は いにしえからの大事な道路だった事もさりながら 国を守るために必要なキーポイントでもあったらしい。

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