Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

その後いかが?

2018-01-01 19:20:24 | 日記
その後いかが?
こう聞かれて戸惑ってしまうこの頃です。
想像もできないほどいろんなことが起きました。
いったい誰のことを聞いているの?

昨年7月 草津の友達と備中松山城へ行く約束をしていて 荷物を作っていた時のことでした。
「お母さんが転んで起きない」
大慌てで飛んでいきました。
よくあることです。 何度も夜中に電話がかかってきていました。
しかし 今回はちょっと違っていました。 お義父さんがちょっと無理に引っ張ったようで 痛がってどうしても立とうとしません。
結果 大腿骨の骨折でした。 それも付け根から外れてしまっていて ドクターも 手術をする気はない様子。
お義母さんの認知症がひどく進んでいたことも原因でした。 
手術してもあと リハビリを続けることはとても難しかったので

食事もしないで 吐き散らす。(飛ばし散らす)
で 点滴を施していたのですが 預かってくれる老健では医療行為ができないので 胃瘻にしてくれと・・・・
ドクターは 高齢だし胃瘻は・・・と否定的でしたが だからと言って命の期限を切ることもできないと 手術に踏み切りました。
受け入れ先が決まるまでほぼ二か月 毎日 胃瘻の様子を見守ってほしいといわれ 帰ってくるのは8時過ぎでした。
晩御飯を作って食べたことがりません。
外で 遅い食事をぼそっと食べる毎日

それでもありがたいことに親身になってみてくださる施設が見つかり少し日々のお世話から解放されたのですが

孫2が心臓の手術を受けることになりました。
心臓の弁だと思うのだけれどふさがらないので手術をしましょう・・・・とのこと
生後しばらくしてそういわれていたのですが 様子を見ても改善はされませんでした。
お嫁ちゃんの闘病生活もありいつにするかは悩ましいところでしたが 比較的お嫁ちゃんが元気な時 手術を受け入れられる年になっていること(ひどく甘えん坊ですから)を考えて4歳の10月に決めました。
結局は熱を出したりして実際には11月16日になりましたが
手術は成功しました。
ほぼ三か月になろうとしていますが今は元気です。
しかしお嫁さんには過酷な入院生活だったようです。
狭い病室でシングルベッド一つで二人が寝ます。 4歳では目が離せませんから
すっかり体調を崩したようで 何度も名古屋までお嫁ちゃんを迎えに行きました。息子が仕事の合間を縫って交代です。

疲れてしまったのでしょう
年末はかなり具合悪そうでした。
肝臓の数値が なかなかよくなりません。
お正月に里帰りをしたいと家にやってきときには黄疸が出ていました。
返したくない・・・・・今すぐ救急車呼んで入院させたい・・・・・
その一方で これが最後の里帰りになるかもしれないと思うと無理に引き留めることもできませんでした。

里から無事に帰り 次の治療に行くときには私が連れて行く
そんな準備をしていた時に 私がとても大好きで世話になっていたおばさんが亡くなりました。
私の憧れでした。
明るくて きれいで かわいらしくて 勝ち気で 親切で
町に生まれ蝶よ花よ・・・とかわいがられてきたのに山奥の村に嫁ぎました。
幼子二人を抱え ご主人に先立たれて 苦労を重ねた人生でしたが それを思わせないような生き方でした。
最後にサルコドーシスだか 何だか難しい名前の難病にかかり 最後の最後まで苦労の人生でした。
エンバーミングってすごいです。 少女のような美しさで静かに眠っていました。
私の心にある彼女をこれからも目標として頑張ります。

芦原からかえってすぐにお嫁ちゃんを病院へ

入院でした。
ステントを入れるとか いろんな処置をしてもらったのですが いまだに改善はみられません。
初めは10日ぐらいで とりあえず退院できるのでは・・・と言われていたのですが

そんな時 義父からと思われる電話が鳴ります。
出ません
携帯にかけても出ません。
何だか嫌な感じがして 駆けつけました。
「あ 電気が暗い きっと寝ているんだ」
それだったら良かったのですが 義父はベッドサイドで起き上がれなくて倒れていました。
とても痛がります。
起こそうとしても足が麻痺したようになっていて 立てません。
渋る義父と亭主を説得して救急車を呼びました。
聞いてみると 昼過ぎにはもう倒れていたようです。 何とか連絡を取りたいとはいずりながら電話をしてみたけれど 話すこともできなくてそのまま寝転がっていた・・・とう結果だったようです。
麻痺したように見えるのは何時間も同じ格好で倒れていたからでしょう。
心細かったでしょうね?
五日の私の姿かもしれません。
大事にはならなくて 今は家に戻っています。
私は前のように通えなくなったので 亭主が時々泊まるようにしています。

そして 一番つらいことですが お嫁ちゃんの治療が頓挫しています。腎臓にも癌は転移しているようで 今は尿を作る機能が失われているとか
「少しで長い間 ご家族で過ごしてくださいね」と言われてしまいました。
意味は分かるのだけれど 受け入れられない。
あんなに頑張ったのに どうしてもだめなの?
お嫁ちゃんは私の手を取って「お義母さんごめんなさい ごめんなさい」と泣きます。
一緒にと言ってもまだ4歳と1歳のちび達を病院にしばりつけておくことができません。
彼女の記憶を子供たちにどう残してやれるのだろう?
たとえ車椅子になっても手が無くなっても足が無くなっても生きてさえいてくれたら 私はどんなことでもするよ
そうおもいながらも 日々の生活に追われ どこかで彼女のいなくなった生活をどうするか考えている私が情けないです。
コメント (7)
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