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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

五月晴れの空の下 五色の滝で極上弁当を食らう

2016-05-30 19:59:03 | 山歩き
奥伊吹に曲谷というがあります。
姉川をどんどん登っていくとそのはあるのですが 堰堤の脇を入って行くと 沢山の滝があります。地図に載っていない滝は 米原の秘境と言われるそうですが私達が 毎年この時期に観察会のプランとして楽しみにしている場所です。
沢山の山菜を横目に見ながら指をくわえて歩くのもちょっと残念。 それでは 山菜弁当を作ってもらいましょう・・・・と言うことで 甲津原の漬け物加工センターにお弁当を頼みます。
青空と 緑を駆け抜ける風 爽やかな水しぶきを上げる滝を見ながら山菜弁当を戴く・・・この上ない贅沢です。

堰堤の橋を越えて歩きながら上の登山口を目指します。(標高490メートル)
林道にはどんな花が どんな植物に出会えるのでしょうか?

歩き始めは吊り花です。
林道が綺麗に整備されていて明るいので気分良いです。
山笑う春はどんどん緑が増えてきて美しい。

カーブを曲る度に歓声が上がります。
スミレだけでも沢山の種類があります。

シハイスミレ ニョイスミレ タチツボスミレ・・・

エンゴサクの仲間はすっかり姿を消してムラサキケマン キケマンがあちこちに咲いています。


木々はどうでしょうか?
アオダモの白い花が咲いています。 煙るように咲いている花は風情があります。

ウワミズザクラも盛りです。桜のイメージからはほど遠いですが 優しい表情をしています。 「赤い実を果実酒に付けると良いとか 桜の葉は生葉の時は匂わないのに 塩漬けにしたりアルコールに漬けるとクマリンという成分が出てきて良い匂いがするの」だとか 食べられる植物に詳しい会員さんの説明が興味を惹きます。

暖冬で思いっきり花が進み 華やかさという面では 一寸寂しい林道ですが エニシダの黄色がとても目立っています。

汗を拭き拭き登った林道もやがて五色の滝の入り口にやってきました。
標高580メートルぐらいだと思われます。

しばらくは森の中を歩きます。
5月の森らしく気持ち良いです。時々水の音が聞こえてきたりするのを確かめながら慎重に降りて行きます。
シロモジの花は終わりかけでほとんどが登山道に落ちています。



珍しい花がありました。
ヤブレガサの花です。
ヤブレガサ自体は珍しくないですが 花はあまりお目にかかれない。



チゴユリ 可愛らしい花を付けていました。 葉っぱだけの赤ちゃんがいっぱいいたので 来年は沢山見られるでしょうか?




フタリシズカももう少しで花穂を解きそうです。

マムシグサは小さいですが 頭を持ち上げています。ここのマムシグサは大きくなれないのでしょうか?

そうこうしているうちに水音が大きくなってきました。
滝は直ぐ足下にあるようです。



滑滝をいっぱい重ねたような滝ですが 高低差もあってかなりの迫力です。
五色の滝の最上部の滝です。 しばし暑さを忘れて佇みます。
このあたり例年はイカリソウがいっぱいですが 今年はもう終わっています。
株はあるので 消えたわけではなさそうです。
お昼の大分廻っています。
楽しみなお弁当を食べるために 石切場へ急ぎます。

一気に降りて行きます。
標高差50ぐらいですが 足下あまり良くありませんからね。
第一の難関は 滝の直ぐしたの徒渉です。
下見に行ったときに 水量が多いと渡れないと思いましたので 若い会員にアルミの脚立を持って歩いてもらいました。
彼らの手助けのおかげで 無事渡れました。


何でもなさそうに見えてとても危険な徒渉です。
流れが急なので 足をすべらすと立つことが出来ず そのまま下の滝壺に吸い込まれる可能性があります。
前は一の滝から五の滝まで縦走できたのですが 度重なる豪雨で橋が流され トレッキングシューズだけでは歩けなくなりました。
早く整備されると嬉しいのですが。


お弁当です。
筍ご飯 岩魚の塩焼き 山菜の天ぷら
コゴミの胡麻和え 筍の山椒煮 灰汁ワラビ 芽 琵琶湖の小魚とくるみの佃煮 おからコロッケ 漬け物各種
 味付けも優しくて こんな贅沢なお弁当は久しぶりです。
それに5月の光と風と匂いがおいしさを引き立ててくれます。


食後 Kさんの恒例になったクロモジ茶が振る舞われます。
爽やかな香りに さらに贅沢感がきわまります。 自然の恵みを五感で楽しめました。
さて ここにはまだまだ見るべき花があります。

ツルシロカネソウ
毎年楽しみにしている花です。 伊吹山麓では 今のところここ以外では見たことがありません。
他にどんな花があるでしょうか?
食事が済んでから うろうろ歩き回って調べます。
ヤグルマソウは花はまだです。

ウワバミソウもとても小さい。


イカリソウが残っていました。メギ科の特徴を感じる葉っぱで株は直ぐ見つかるんですが。 
チャルメルソウは水辺に咲いたシャボン玉のようです。





エンレイソウにカキドオシ 石切場にはそれなりに花がありました。
石切場の跡地にはシャガがいっぱい咲いています。
五色の滝の全コースには石切場が7箇所あるそうです。
良質の石灰岩が摂れると言う事で有名だったそうで 垂仁天皇の御崩御の折の石棺の蓋はここで作られたとか・・・
随分歴史のある場所です。
転がっている陽らっぺたくて丸い石は石臼の部品です。
これを二枚合わせてごりごりと大豆を挽いたり 蕎を挽いたりしたのですね?
今ではもう廃村になってしまいましたが 源氏の落ち武者が流れてきた場所でもあるようです。

おっとっと みんなが楽しみにしていたコケイランは今年は見られないのか? 
二年続けて沢山のコケイランを見て来たのでとても残念です。

「あ コケイラン」と言われて駆け寄ってみると何とまだ蕾
良くこんな状態で見つけることが出来るなぁと花好きの観察眼に脱帽です。

いろんな花探しも終えて4の滝を後にします

前から気になっていた 諏訪神社の大銀杏を見て来ます。





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お魚三昧 敦賀

2016-05-24 21:40:09 | 散歩
マキノから戻ってきたら 日本海側 敦賀に行ってみる。
青春18切符の利便性をめいっぱい使って 塩津から20分ぐらいだったでしょうか?

最近とても綺麗になった敦賀駅です。

敦賀
ツアーバスに乗ると 昆布館やかまぼこ工場に連れて行かれます。
インディアン平原のある岩籠山に登ったことがあります。
下りがきつくて よろよろになって帰ってきました。
敦賀駅にはいっぱい思い出があります。 乗り降りに使ったことは今回が初めてです。
古い駅の時から 娘との待ち合わせに使っていました。 懐かしいです。

しかーし そのほかには全く縁が無い場所でしたねぇ
少しだけ 縁を結びましょう。

おなかが空いたので駅前通のお魚が美味しそうな店を探します。
見た目で分るわけありませんが


ん? 何これ? 何処かで見たことある人だよ。
このおじさん 松本零士さんの様です。
一升瓶を抱えてご機嫌です。
一体どうして?
この道 シンボルロードって言って松本零士さんの銀河鉄道999や 宇宙戦艦ヤマトの名場面が建っているんだそうです。
他にも 古代進と森雪 メーテルと星野鉄郎などいっぱい並んでいます。
はて? 松本零士さんは 敦賀の人だっけ?

かつては東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした。1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置しました。
なんて書いてありましたけれど よくわかりませんでした。

それより飯 飯・・・
駅から歩いてしばらくの所にある まるさん屋にしました。
駅のホームから一番目立っていたからです。

入って見てびっくり。 大正解でした。

刺身盛  舟盛りではありませんよ。
1200円の小さい方を頼んだのに びっくりの盛りよう。
そして凄く美味しかったそうです。

山菜天ぷら  これもあり得ないぐらい乗っている。
美味しくてばりばり食べました。

私はこれです。
焼き鯖定食。
福井らしく棒にさしたでかい焼き鯖です。
福井を回っていると 棒にさして丸ごと焼いた鯖を良く見ます。
初めて見たときは 福井の人は 鯖を囓りながら襠を歩くのかしら?って 本気で思いました。
鯖から出て来る油と 塩がくっついて焦げた味が何とも言えない。
それにしても 私にはでかすぎました。
定食に付いていた 漁師汁を亭主がうらやましがって単品で頼んだら これもでかい。


お酒で良い気持ちになった亭主は最後に鯖寿司を頼んでぱくぱく
美味しかったぁ
本当は 煮魚も食べたかったし 海鮮丼も気になったけれど もうむり~~

又18切符の時に来ようね。
うん 私は 金ヶ崎城跡も気になるんだけれど・・・・・
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今度は優雅に?舟から桜  海津大崎

2016-05-18 21:12:01 | 旅行記
18切符がまだ二枚残っている。
どうしよう? 
亭主は「名松線に乗りたい」という。
何を見に行くの? のんびり何もしない時間を過ごす。
忙しさにかまけているのは確かだけれど それだけに 何もしない時間はもったいない。
「海津大崎へ行って その後敦賀で美味しいお魚を食べよう。」
と言うことで 又桜見物です。


きっと山桜ですね?
所々ピンクに染まって 優しい表情をしています。

マキノで降ります。
去年 マキノの吉田酒造を尋ねました。 基本的には酒蔵見学はしていないと言うことでしたがKさんが中に入ってくれてとても有意義な? 酒蔵見学が出来ました。
その時に 桜の頃 お弁当を持って舟に乗って桜並木の直ぐしたまで行く事が出来るんだよ・・・・と聞きました。
うん なかなかいい響き

駅を降りると 商魂たくましく 弁当や飲み物 土産物を売るテントが建っています。
普段はどちらかというとシャイな人々という印象だったので 一寸びっくり

舟の案内もあります。
マキノサニービーチまで行けば乗れるようです。

あれかぁ
湖面すれすれにずっと続くピンクの帯

4キロにわたって樹齢70年を越える桜の並木道がトンネルを作っているんだとか
4キロかぁ・・・・ 往復8キロ
いくら綺麗でも 桜ばかり見て歩くのも一寸飽きるかも
やっぱ舟だね


当たり前のことだけれど目線がひどく低いので 驚きました。 新鮮です。



水の色も綺麗です。


海津大崎にやってきました。
どこから来た遊覧船でしょうか?

大崎寺があります。
ちょっと降りてみたかったのですが それは出来ないようでした。
半分舟で 半分歩きたかったな

手こぎのボートや カヌー サーフボードみたいなの いろんな道具で桜の下に近づいています。


竹生島が見えるあたりでUターンです。



西浜が見えてきました。

金沢藩の飛び地だった名残の石垣が見えてきました。


舟が少し大きかったのででしょうか?思ったほど近づいてはくれません。
桜のとんネルの真下を通るという訳にはいきませんでした。



沢山の人が湖岸遊歩道を歩いています。


金沢藩の石垣です。


近づいて桜も撮ってあげないと
ソメイヨシノは寿命が90年ほどと聞いたことがあります。
とすると ここの桜は 後20年もすると 枯れてしまうという事でしょうか?
琵琶湖八景に「暁霧 海津大崎の岩礁」として数えられているので 若木を植えて 対策は打ってありますよね? きっと


これも北国街道になるのでしょうか? この道を西浜方面に戻って 吉田酒造に寄ります。
これも亭主が楽しみにしていた事です。
さぁ 敦賀に急ぎましょう。
おなか空きましたよ。
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物好きにも程がある  雨の中の薄墨桜

2016-05-12 19:09:44 | 散歩
今日 北海道の稚内では桜が咲いたとのこと。
これで 日本全国桜が咲きそろったそうですが
此方では桜はとっくに終わって 遠い昔のことのようにさえ思えるのですが
こんな時に 桜の話題を載せるのもとても気がひけます。
ま 4月の旅行記と言うことで・・・・

4月7日 「青春18切符を使って岐阜の薄墨桜を見に行こう」というKさん企画にのることにしましたが・・・・
あららぁ 大雨です。しとしとという程度では無いです。
それでも行くかぁ
18切符が余ってしまいますから

大垣で垂井鉄道に乗り換え こんな日に行く人いないよね

電車 がら空き
雨をよけてさしてきた傘から流れた雨粒が 電車の床を転げ回っています。
それでも何人かいらっしゃいました。
私のような物好きが
楽しみ方は 色々あるようで 運転席から見える車窓を(行く手は車窓っていえるかなぁ?電車でGOの画面みたいです。)ずっととり続けている撮り鉄とか やはり18切符組と思われる 女子旅とか・・・・
私達は3人でした。正確に言うと4人です。
一人は横浜からの参加で もう現地に着いてしまったと


この電車 シーズンになると 立って乗ることさえ出来ない程混むのだと
まぁ よかったのかもしれない。



それでも桜は真っ盛り これでも科って言うぐらい咲いていました。
雨に打たれて 花を落とすも絨毯のように綺麗です。

樽見駅しゅうてんまでやって来ました。 大垣から案外時間かかります。
立ちんぼだと一寸辛いかもしれません。
横浜からYさんが来ていました。 「もう行ってきたから 次へ行くよ」
付き合えとも言えず 私達3人の花見になりました。


私は 結婚するまで岐阜で暮らしました。
根尾谷の薄墨ザクラは有名でしたが 一度も行く事が無く 何処にどんな様子で咲いているのか想像が出来ません。
薄墨ザクラは あの川向こうの山の麓にあるようです。
とことこ歩かなければいけません。

「晴れていたら ここに能郷白山が見えるんだけどな」とKさんが悔しそう。



ここにも桜の絨毯。
すべりそうで心配ですけれど


もう少し登っていくと薄墨公園です。

じゃ~~ん 思ったよりこぢんまりとした一本ザクラです。


薄墨桜は彼岸桜の一種で(和名 ウバヒガン)樹齢1500年にもなるそうです。
何だって? 1500年? えっと・・・奈良時代まえから咲いているって事?
ソメイヨシノの寿命は90年とか聞きました。
凄いです。
都での迫害を逃れてこの地に潜んでいた男大迹王(をほどのおおきみ)が長じて29歳の時 都に迎えられて皇位を継承しました。
継体天皇として この地を去るに当たって形見として植えられたのだと伝えられているそうですから 嘘のような樹齢です。


樹高 17.2メートル 枝張り東西23.9メートル 南北21.2メートル 幹回り9.1メートル
その佇まいは美しいです。 幽玄の世界を感じます。
薄墨の謂われがある墨色はあまり感じませんでしたが

 
薄墨桜は 1500年元気いっぱいここにあったわけはありません。
雪の重みで枝が折れたりして 枯死の危機がありました。
何とかしたいと言うみんなの熱意と 岐阜士の医師前田利行さん 大工 中嶋英一さん達によって根接ぎを238本行った結果今の姿に生き返ったと言う事です。
枝接ぎでは無くて根接ぎ・・・・考えるだけでもとても難しくて根気のいる仕事と思われますが
その成果があっったわけですが 私はそのことをニュースなどで知っていると勘違いをしていました。
昭和23年では私が生まれていません。

ふ~~ん
その疑問が分りました。
根尾谷の薄墨桜はもう一度危機を迎えています。
伊勢湾台風の時です。太い枝が何本も折れて見るも無惨な姿になりました。
樹勢の回復が進まない姿をご覧になった宇野千代さんが知事に訴え 桜を保護するプロジェクトチームが結成されたのです。
凄い話です。
1500年の歴史の中で みんなの思いや願い 愛があって ここまで守って来られた。
自然が 簡単に壊れていく今の時代に 一寸反省。

雨の中傘を差しながらの 薄墨桜でしたが これはこれで風情合って良いんじゃ無いの? と強がりでは無い満足感で戻ることにしました。
ツアーバスは予定を変えることが出来ないようで どんどん人が増えてきました。


駅のそばで お昼を戴きます。
アマゴの煮付け アマゴのフライ こんなにアマゴいらないよ
と言うメニューでしたが 酒好きが酒飲みに変わってグビグビやっています。
私は 山菜の天ぷらなどを戴きました。
この時期のごちそうです。



雨は止みそうにありません。 
大垣へ行って 住吉灯台に行きます。

大垣は水の都です。
大垣城を訪れたことが無いので はっきりしたことは分りませんが 城を囲むようにして水路があるので 城のお堀だったかもしれません。
湧水が何カ所かあります。
奥の細道の結びの地でもあります。
関ヶ原の戦いでは 初め石田三成が陣を置いたと言う歴史もあります。


桜が満開ですが雨に打たれて不思議な風情です。
ここは 川湊になります。伊勢湾に案外近いですからね。
今はこの水路を利用して桜見物の船が出ます。
桜が 散るも 水門が開いているのか流れが速くて 花筏は出来ません。

花の絨毯は出来ています。

住吉灯台は1840年に作られたそうです。 江戸時代ですね。
比較的歴史が浅いといえども200年弱の間 その美しい姿で水門川を守ってきたのです。


さすがに これだけ雨に打たれると 歩いて駅まで・・・と言う気にもなれず タクシーで帰路へ
思いがけず 幽玄の世界を見ることができた と言うことで楽しい思い出に成りました。


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牛若丸が天狗と遊んだ山 鞍馬寺Ⅲ

2016-05-11 21:43:01 | 山歩き
やっと本堂です。
と言うことは奥の院はまだ先 登りが続くのかしら?
足の不調は続き かなり遅れをとっています。

「何となく君にまたるるここちして
いでし花野の夕月夜かな」與謝野晶子
「遮那王が背比べ
石を山に見て 
わがこころなほ明日
を待つかな」
與謝野寛(鉄幹)
唐突に与謝野晶子と鉄幹の歌碑が出てきます。
鞍馬寺先代管長の詩の師が与謝野夫妻だったと言う事で 歌碑があるそうです。
晶子の書斎も移築されています。


やった~ もう下りになったよ。
と思ったら

又こんなに登っていますやん。
だんだんしゃべる気も無くなってきました。

息継ぎの水
牛若丸が深夜奥の院へ兵法を学ぶために通った道で 息継ぎのためにここのわき水を飲んだのだとか
私 水を飲む気にもなれなくて(ついでに写真も撮らず)
牛若丸の飲んだ水 飲んでみたらよかったな。

木の根道を避けて下ります。

僧正ヶ谷です。
牛若丸が兵法を学んだ場所として知られています。

義経堂は 義経を遮那王尊として祀られています。
奥州で非業の死を迎えた義経ですが その魂は懐かしいこの地に戻ってきて安らかに鎮まっているそうです。
ひょっとしたら 鞍馬のお山を楽しそうに駆け抜けているかもしれませんね?


魔王殿です。
お詣りしましたが 魔王様の姿が見えませんでした。
「魔王殿」は太古、護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝さ れてきました。とあったのでお姿が無いのかもしれません。

さて 今度こそ降りるばかりのようです。

葛篭折れの下り道も結構厳しく ゆっくり降りなくてはいけません。
取りのこされてしまったようです。

チビは?
葛籠折れの何段も先 小さな豆粒のようになってぴょんぴょん跳ねている子がいます。
あれ チビ?
ただでさえ歩きにくい山道をびっくりです。
超未熟児だったチビは 私の心には現代の牛若丸に見えました。(言い過ぎかぁ)


小さな川にかかった赤い橋を渡ると貴船口にでます。
貴船神社
私は 行くのを諦めました。
チビと お父ちゃんは 喫茶店に入ってお店のおばあちゃまに愛想を振りまいています。
何と たくましくなったことか。。。。

と言うわけで たかだか標高差300メートルの山を足を引きずって歩くことに成りましたが それでも終わってしまうと楽しい思い出です。
さすがに その後四条でsou souに寄ったときにはただ座っているしか出来ませんでしたが

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