Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

待っていた亭主に付き合って  犬山へ

2012-05-31 23:27:20 | 旅行記

Inuyamaeki

久しぶりにやってきた犬山駅。 あれは秋祭りの時だったか 雨の降る祭りだった。

駅前のモニュメントは笙かなぁ?

良くわからん

Sakagura
あのとき ここから出てきたお婆さんが私達をつかまえて「孫が山車に乗っている」と自慢げに話していた。

Sankirai
サルトリイバラの葉っぱがいっぱい。

このままちぎってお餅をまけそう。

秋になったら実が鈴なり・・・・だろうか?

Urasima今日のランチはここ 浦島

豆腐解析のお店

え~~っ? 人気無いのかなぁ?

車一台も停まってないよ。

そう思ったけれど よく考えたら犬山に車で来る人は少ない。 みんな町歩きを楽しんでいる。

Lunch
二段の重箱を開けると 綺麗に飾られたおかずが

お豆腐さんだから豆乳も・・・・ 味が付いていたので豆乳って分らなかったけれど

Dengaku
田楽もついている

Karaage
菜めしに おすまし・・・

で気分よく食べていると これが出てきた。 唐揚げ?

うん 唐揚げの味

でも 鳥ではなく これは豆の唐揚げだって 練って練ってグルテンを出して・・・

だから歯ごたえはまるで唐揚げだった。味もなぜか鶏唐揚げ

鳥の香料でも入れているのかなぁ? それはまがい物や

Dezato
はじめ綺麗だけれど量が・・・・と思っていたけれど デザートが出た頃にはおなかいっぱいで フウフウ言いながら食べる事になる。

犬山城に行くことにする。さっきまで人通りの多い道を一本外していたので大通りに出てびっくり。 犬山は この数年のうちに人を呼ぶことが上手になった。

Busyou
おや おもてなし武将隊か?と思えば素人さん。

犬山では衣装を貸してくれるところがあってつかの間の侍気分に浸れるらしい。

その後何人かのお侍に出会った。

Sannomaru_2
三之丸とある

ここから犬山城までまだ少しある。

こじんまりした可愛らしい犬山城を子供の頃から愛していたけれど 犬山城 結構大きかったのねぇ

今は犬山の山車などのからくりを展示する施設になっている。

Kaidan
登城道は緩やかな階段 

手前に神社や稲荷があってそこを抜けて行った方が近いと書いてあるけれど・・・・ 少しでも賽銭を落とす人を狙って・・・と浅ましいことを考えてしまう。

Hakuteijyouおお~

ハナミズキが綺麗なこと

それに何じゃこの人だかりは・・・・

30分待ちだと

今まで何度も来ているけれど待ったことは無いなぁ

Tensyukakukara_2
待っている間に大村愛知県知事登場

奥様とお嬢さんを連れていた。 きちんと並んでいらしたところを見ると 今日はプライベート? それでもSPが二人ついていた。

大変ねえ

天守から見下ろしていたときすぐ下に並んでいた。

Kisogawa
えっとぉ~ 猿ばみ城方面かな?

川は木曽川

木曽川の電気は関西電力 なんだか不思議だけれど

Higasi
犬山遊園の観覧車が見える。 モンキーパーク方面

前に登った継鹿尾山 鳩吹き山が見える。 また 行こう

唐様の小さな屋根を付けて飛び出しているのが特徴。

その小さな隙間にちびっ子が陣取っている。

Karafuuyane

Yaneあの中程の丸っこい屋根のところが上述の窓

古いお城にありがちな はしごのような階段を下りて来る。 なかなかやっかいだ

Taiko

こんなのや

Yurukyara
こんなゆるキャラも・・・

なんて言うんだろう?犬にゃンじゃぁないし・・・・

ワン丸だって

Yosimoto吉本の芸人サムタイムズは観光大使見習いと称して 人力車を引いている。

人を呼ぶ仕掛けをあっちこちに仕掛けているのだ

Funaita_2この日一日誕生日を主張する亭主に付き合って 何となく消化不良な町歩きだったけれど 名鉄のクーポン上手に使ったよね。

これで義理は果たしたぞ

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待っていた亭主に付き合って  御嵩散策

2012-05-31 19:55:04 | 旅行記

4月29日は亭主の誕生日でした。

この年になったら誕生日も忘れるくらいなこの頃。ところが本人は何もしてもらってないと思うらしく・・・・仕方ないのでつきあいで一日遅れの誕生日記念のお出かけです。

亭主の得意な電車とお昼のセットのクーポンです。

犬山のホテルあるいはその周辺のお店のランチを戴くのですが 今回は豆腐ランチにしました。 歩きの恰好で犬山ホテルに入るのはちょっと。。。。

その前に御嵩に行きたいというのです。 出来るだけ有効に使うのが主義のようです。

Kaniyakusi駅に隣接している観光協会で地図をもらって歩き出します。

この町前も歩きました。 中山道の旅のうちその日のゴール地点でした。

疲れた足を引きずってのゴールだったので 詳しく見てはいません。

蟹薬師様(願興寺)です。最澄が始めたお寺だそうです。弘法大師のお寺はいっぱいあるけれど 意識するようになって初めてかもしれません。

Rouka
廊下を見るとこのお寺がとても古いことが分ります。

Midori
新緑がとても綺麗です。

お寺に優しさと美しさを添えています。

中を見ることができなかったのでここを出ます。 

Koinobori中山道御嵩宿は 中山道になる前は東山道でした。

関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は 宿駅伝馬制をしき この御嵩宿に「伝馬掟朱印状」を下したとのこと

とても大事な宿だったらしい。

Mitakekan
中山道みたけ館です。

ここへ行けば御嵩および中山道の歴史が見えるかな?と思って寄ってみます。

Kaginote
外へ出ると・・・・

鍵の手です。 ここは西からの入り口でしょうか?

まえ ここを駅に向って足を引きずりながら歩きました。

あのときあった道ばたの野菜やさんは今日はやっていないようです。

Tizu
天保の頃の地図だそうです。

現在地の前にある竹屋さんに入って見ます。

竹屋さん 今で言う総合商社だそうですが

Turusibina
端午の節句が近いからでしょうか?吊るしびなが飾られています。

こんなの作ってみたいと前挑戦しましたが綺麗に出来ませんでした。

Koinobori2
面白い鯉のぼりです。

古ぎれが 鯉になっています。

これなら私も出来るかも・・・・って何処に飾るんや?

Tutibina
懐かしい土びな

昔母の実家に行くとこれが飾ってあったけれど子供心に綺麗でないおひな様に落胆したんだった。

Nakanoma
部屋も懐かしい。

父の実家は町屋だったので 何から何までそっくり 中庭から蔵までの間取りも・・・灯り取りも 吹き抜けも・・・

Daidokoro

Kura

Akaritori_3
こんな風にまったりと見物していたら時間が無くなってきた。

本当は御嵩の森で季節の花を見るつもりだった。

お昼の時間が動かせないのがいたい。

中途半端な町歩きの後 御嵩の森を教えてくれた観光協会のおじさんに見つからないようにこそっと駅に滑り込み 犬山に向ったのだった。

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佐渡番外編

2012-05-29 23:38:36 | 旅行記

佐渡の主な歴史の舞台はもう一つある。

それは相川地区なのだそうで 今では都会と全く違わない様子を見せている。 コンビニはもちろん 大手スーパーや 家電量販店 「しまむらまであるよ」とnobu-sanが笑う。

「相川は他とは違うんだよ 何でも韃靼人が祖先らしいよ。だから相川地区の人は顔が違うの。そんなこと言うと違うっていって叱られますけれどね」と容子さんも笑う。

相川は 通っただけの町だから詳しい事は知らないけれど 韃靼塚って言うのがあるのは確かのようだ。 韃靼人って何人? 青い眼?。。。。。?????

思わぬインターナショナルな情報にもう少し調べてみたいなと思う。

しかし 今日はもう帰らないと・・・・きっとまた行く。

Oosado行く手に広がる 雪化粧の大佐渡山脈。 

綺麗。

何年か前 あの稜線を歩いたんだった。きつかったな。

車は金井地区に向っている。 かつての道の駅に 佐渡の焼き物を集めた施設が出来ているとのこと

Yakimononosato
昨日泊った宿のご主人は陶芸家である。渡辺陶生さんと言い 佐渡の陶芸をもっとみんなに見てもらいたいと ここに佐渡の作家さんの作品を集めてアンテナショップの様なものを作ることを考えた。

まだ オープンして間もないので人も少なかったけれど 素敵な作品がいっぱい並んでいた。

佐渡は無名異焼きが代表的

佐渡の鉱産から出る酸化鉄を含んだ赤い土を年度に混ぜて焼き上げたもの

使い込むと色も変わってくるそうで愛好家が多いのだと。。。。私は残念ながら初めて知りました。

Mumyoui
こんな色・・・

その後 本間家の能舞台がみたいとあっちへ行ったりこっちへ行ったり・・・・佐渡空港を通り 加茂湖を一周して・・・・・おかしい 前は簡単にいけたのに。。。。

どうなってるの? このナビ君

Noubutaiとても立派な能舞台だったけれど 普段は公開していないのかしら?

連絡先は東京だった。。。

みたいと言えば東京から駆けつけてくれるのかしら?

まさかね

この場で世阿弥が残したと思われる(私が勝手に思っている)佐渡に残る能を見たかったな

本間家は 佐渡における宝生流の能楽の中心になっているそうです。

前は 能舞台の前にある道の駅の二階だったかに能の事を展示したスペースがあったのでそちらで。。。と思ったのに 道の駅さえ今では閉鎖されていた。

来る人いないんかなぁ?

Hagoromo_2

仕方ないので両津港方面へ戻る。 お昼も食べなきゃ。

Onidaiko
時間は二時過ぎていたので お店を選ぶことも出来ず 駅前の不思議なお店で腹ごしらえ。

まだ車返すまで時間あるし・・・遠くまで行けるほどでもないし。。。。

本当はドンデン高原まで連れて行ってあげたかったんだよね。 あの辺少しだけ歩いてシラネアオイとか カタクリとか見せてあげたかった。

仕方ない。いかにも時間ないもの   今度がきっとある。

Yakei
新潟まで1時間かからないんだもの

また行こう

飛行機の窓から夜景を眺めながら次の訪問地を考えている私でした。

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佐渡のれきしを探る 真野

2012-05-25 22:37:47 | 旅行記

佐渡の歴史の足跡のうち 宿根木は前も見て歩いたので今度は違うところに行きたい。

容子さんに「佐渡の印象はどう?」と言われて即座に「両津に降り立つとこの島がなんだか品のある島だって気がするんだよねぇ」と行った。 お世辞じゃなく そんな風に感じた。

これは佐渡の歴史に少し興味を持っていたせいかもしれない。

流人の島として有名ではあるけれど その流人は位が高かったり 文化人であったり・・・この島に大きな影響を与えたに違いないから

前にこの島を訪れたときはドンデンから金北山への縦走が目的だったからあまり回ることが出来なかった。 今回はうろ覚えの歴史に少しだけ確かな知識を得たいと思った。

だから 真野

Enden塩田を見ながら 真野湾方向にひたすら進むんだけれど・・・・

前述の通り どうしても海沿いの道を行くことが出来ない。

Sakura
諦めて宿根木に戻り 来た道を戻ることにした。 随分時間のロスはあったけれど 郷の美しい景色を堪能できたから良し

何しろ春の花が一斉にほころび 明るくて華やいだ それでいて優しい表情をしていたからね

Oowarajiでかいわらじがかかっています。

倉谷地区の行事に欠かせないわらじだそうです。 春来(はりきり)の行事に正月に大わらじを作り村の両端に欠けておきます。

あるとき賊がこの大わらじを見て「こんなでかい足の男がいるのではかなわない。」と逃走したとか・・・・疫病や悪人よけの一種の道祖神だそうですが これ前にもよそで見たことがあります。

三重県の大王崎でした。デイタラボッチの大わらじで 話は全く同じでした。

大王崎も九鬼水軍の町。 海を行き来しているうちにこんな話が伝わったのでしょうか?

Jinmeniwa
真野湾に入ってきたのでしょうか? 大佐渡山脈を見つめる人面岩があります。

時間的にも難しいので真野御陵と佐渡歴史伝説館で大まかな歴史見学をする事にしました。真野は史跡の大部分が集中している場所と言って良いでしょう。

Manogryou

 

真野御陵は 順徳天皇のお墓  正確に言うとお墓ではなく火葬した場所だそうです。

後鳥羽上皇と一緒に承久の乱を起こし配流 22年も島にいたのですが 今日に帰る望みも絶たれ絶食の果てに1241年9月12日 亡くなりました。 46才

思いきや雲の上をば余所に見て

真野の入り江にて朽ち果てんとは

その後お骨を父親である後鳥羽上皇の傍らに埋葬されるべく大原へ運ばれたようです。無念だったでしょうね? 人生の半分は罪人としての暮しでした。

このとき後鳥羽上皇は隠岐の島 お兄さんの土御門上皇は土佐へ配流されました。

すぐ下に伝説館があります。 中は歴史上の人物がロボットで作成されていて 簡単に理解できるようになっています。 あまりにリアルでちょっと気持ち悪いですが・・・・

Keikosinnou慶子女王

佐渡で生まれた順徳天皇の第一皇女

島流しというと 順徳天皇だけが佐渡へ渡ったのかと思えば 家族全部で渡ったようです。

それなりに穏やかな生活が送れたのではないだろうか?と思うのですが なにしろ生まれが生まれですからねぇ

耐え難かったのでしょうね

日蓮上人もこの地に島流しされました。

Atunokuti
北条時宗の勘気にふれて鎌倉竜の口で処刑されるところだったけれど 日蓮上人が題目を唱えたところ雷光がおき処刑は取りやめられたのだと

で 少し減刑されて佐渡に配流

島流しの時 海が荒れて大変だったけれど 上人が題目を唱えたら海が穏やかになったと

そんな数々のエピソードが伝わります。

佐渡での暮しは 宗教人として羽いつもと変わりなかったようで 一間四方の粗末な庵にいろんな宗派の僧が押しかけ白熱した問答が交わされたとか(塚原問答)

Kanzemotokiyo世阿弥さんの場合は 72才で島流しです。美を追求し続けた世阿弥

雨乞いの舞を舞うと大粒の雨がたちまちに降り注ぎ 大地は潤い 島民はその踊りに立ち尽くして見とれたとか

島流しの話ばかりですね? 他の歴史も知りたかったのですが 伝説館ですから・・・・

それでも佐渡の文化に都の文化が大きく影響していたことは想像が出来ます。 佐渡に沢山ある能舞台は きっと世阿弥の影響でしょう。

その後民話の世界に入っていきます。

夕鶴伝説 安寿と厨子王の伝説(相川にゆかりの地があるようです) おけさ伝説・・・・子供の頃から聞いていた話です。

ここまで見ただけでも佐渡は遠く離れた島ではなく いつも本土と深いつながりがあった島だったと感じました。

佐渡出身の人間国宝佐々木象堂さんの美しい作品を見た後 売店にどうしても行かないと帰れないようになっていて そこに曽我ひとみさんのご主人ジェイキンズさんが売店でおせんべい売ってました。 おせんべい買うと一緒に写真を撮れるようでした。

Sakana_2史跡を本格的に見て歩くほどのゆとりは無いので先を急ぎます。

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佐渡島の歴史を探る  沢崎鼻灯台あたり

2012-05-16 11:09:14 | 旅行記

佐渡島は大化の改新以後8世紀以前に佐渡国が置かれた・・・とあるので思っていたより昔からこの島に人が渡っていたことを知り益した。

そりゃそうかもしれません。 新潟から大きく横たわる佐渡島が見えます。 当然舟が漂流したり舟を漕いで行ってみたり(フェリーでも2時間以上かかる距離 信じられませんが)で何かの関わりを持っていたことは想像できます。

宿から更に走って行くと沢崎岬があってそこに神子島があると聞きました。 神子島は人が初めて上陸した場所だそうです。 これは神話かもしれないので何時のことだか・・・・

Mikosima
丁度道路の工事中で 感動は得難かったですが・・・・

この島にとりついたのだとか

もっと登りやすい場所あったでしょうに

Mikosima2こんな風に出ています。 あのあたりに舟を着けたのでしょうか?

遠くに雪化粧をした大佐渡山脈が見えます。まるで別の島のように海に浮かんでいます。

岩場に白いところが見えますか? 

何でも塩を作っているのだそうです。

何でも古墳時代から作られているそうで人間の叡智に驚きです。

Ryou
海に何艘かの舟が出ています。 人が身を乗り出して海の中を見ています。

何かの漁の様です。

Dangai

Takenoko

タケノコみたいな岩がひょこっと出ています。

このあたり海の底が隆起および沈没で出来たそうです。

とても美しい風景でした。

Toudai
沢崎鼻灯台です。

佐渡島はs字を潰したような形をしています。 この灯台はその一番西の端に位置しています。

一番新潟および能登に近い場所で 神子岩に初めて人が上陸したという話も納得がいきます。

この灯台直江津から小木港を目指すフェリーの目印として大事な役割を果たしているのです。

Yamanasi
その後真野湾まで行きたいと車を走らすも 何度挑戦しても山の中に入って 鼓童村に行き着いてしまうと言う有様で・・・・

工事中の箇所もいくつかあったので見落としたのかもしれません。

しかし 青い海 光る海 花開く山

絵に描いたような 景色を長めながらのロングドライブは結構気持ちの良いものでした。

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