Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

風に負けた

2005-03-29 18:26:50 | 日記・エッセイ・コラム
今日は 滋賀県に行く予定だった。
安土を歩くか 余呉湖から賤ヶ岳方面へ行くか 石山寺の方に。。。と考えていた。
準備もして 眠い目をこすりながらも 洗濯もすませて出かけるばかりになっていた。
ゴミをだしてぇー  
ううっ  何なのこの寒さは
冬の間 どんなに雪が降っても凍っていても寒いと感じなかったのに 今日は寒い。
天気予報を見てみる。 予想気温15度って書いてあるぞー  そんなはずはない。
風が強くて体感温度が下がっているのは確かだけれど この寒さは尋常ではない。
ううー どうしようこの寒さ  そういえば昨日からひどくおなかが痛いし。。。 とだんだん言い訳ばかりが増えてきた。
だから だから今日はゆっくりすることにした。
ゆっくりしすぎてひるまで寝て、 昼から息子のhりゃに足りない物を買いに出かけ。。。
せめてホームページのたまったレポートwを一つぐらいアップしようと思っていたのに いったいいつになるのやら
親しいお友達のホームページ散歩もままならない。

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ボードデビュー

2005-03-29 00:09:42 | 日記・エッセイ・コラム
家の姫 冬になると気もそぞろ  ボードができる場所を あちこち探して 休みは無駄なく滑り歩く。
シーズン中は良い。  友達も誘えばついてくる。
ところが 3月も終りとなると話は別。  まず 滑れるところがあるかどうか。。。
その上一緒に行く人となると皆無に等しい。
ところが 今年は良いかもがいた。 家の若  引っ越しをほぼ済ませて 年度末ですることなくてぶらぶらしている。
ただし彼は運動音痴。
何しろ 小さいときとてもからだ弱くて 毎年進級できるかどうか危ぶまれるくらい病気で休んだ位の子だったから  勉強だけはしていたけれど 運動はあんまり。。。
小学生の時 よせば良いのに 安城のお正月マラソンにでると言い張って どべから2番目でゴールしたことがある。
見ていても 本当に前に走っているのかしら? という遅さ。
そんな子だから ジムで自転車に乗ったりはしたけれど 団体でやる競技は全く駄目。
絶対いやがると思った。
ところがなぜかOK  
姫 「友達とボード行くときに恥じ書かないように練習しようよ! 私と一緒なら転んでも大丈夫だし」
と言葉巧みに誘ったらしい。
朝方 二人で出かけていくのを 寝ながら見送ったけれど  本当は気が気ではなかった。
面白くなくて けんかしていないか?  二度とボードやらないって言わないか?。。。

どうだった?
帰ってきた姫に聞く。
「滑ったよ」  「え? のそのそーっと?」
「ううん」
「はじめの5分は立つこともできず。 立ち上がっては転び 立ち上がっては転び。。。 ありゃ やっぱり無理かーって思ったんだけどね  思いっきり転んで そのうちに学習したんじゃない? 10っぷんもしないうちに 一人でのそのそ滑り出してきたの。  だんだんふつうに滑るようになって 悔しいけど 私のボードデビューの時より うまいよ!」
何だ  そうだったのか  若にもできるスポーツがあったんだ。
今年はもう終りだけれど 来年は二人で 毎週雪山に出かけるのかな? 

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陸の難所

2005-03-27 01:09:29 | 旅行記
古道にはどこにも難所といわれる場所がある。
私が経験しただけでも 熊野古道の八鬼山  東海道のさった峠 箱根越えなんぞは どう考えても人の脚で越せそうには思えない険しさが有る。
鈴鹿越えもしかり  中山道の鳥井峠もそう
今私は いろんな古道を歩きながら 先人の苦労を忍んだり共有したりしてみるのだけれど 私が今感じていることがそのまま昔の人の感じていることともいえない。
toriitouge1

さった峠。 確かに急な坂道だったけれど 一気に峠と同じ高さに登ってしまったら 後はだらだらの山道を歩く。
とても心配していたけれど 思ったほど大変ではなかった。 最も今は道路がとても整備されているしね
箱根は 温泉街を歩くだけでも アップダウンのくり返し 車で行ってもかなりの坂道を緊張してハンドルを握ることになる。
先日 鳥井峠では 一つ間違えば 遭難?という経験もした。
前に中山道贄川の関所跡で話を聞いたとき関所破りの話を聞いた。
関所破りは ほとんど成功しないそうだけれど 本当は不思議に思った。
山道を少しはずれて行けば 関所破りなんて できないことの方が不思議に感じていた。
でも 間違いだった。 
女の旅行者がとても多かったといわれる中山道だけれど 女の脚で山を越えるのはやはりかなりきつい。
いくらいまの私たちより脚力があるといっても わらじでごつごつした岩を踏んだり 雪の山を越えたり それは死闘ともいえる物だってことを身をもって体験した。 登山道をはずれて山を越えることは 並大抵のことではない。
あんなに大変な峠越えをしなければならない陸の旅。
人々は 何の為に旅をしたのだろう?
物見遊山に出かけるゆとりはあったのだろうか? それは難所を越えてもなお行く価値のある物だったのだろうか?
暗くなっても 次の宿に辿りつけなかったこともあるかも知れない。
そんなことを考えると それでも旅に出かける意味が分からなくなって 立ちはだかる峠にしばし立ちすくんでしまう。

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お米変えた?

2005-03-23 12:08:21 | 日記・エッセイ・コラム
息子が学校を家から通うことになって 戻ってくることになった。
預けてあった両親も疲れてしまったと言うことだったので。。。
ま それはそれでよいとして 彼は炊飯ジャーを変えるべきだという。
我が家の炊飯ジャー二台目?  壊れていないから使い続けているのだけれど そう不便もない。
難を言えば 炊いてから長くおくと黄色くなるし 少し匂いもついてくる。
当たり前か。。。 我が家はこういっちゃなんだけど お米だけは良いの使っているんだい。 糖度が高けりゃ 熱で変化しやすいでしょう。
ところが息子は主張する。
いまのお釜はそんなこともないんだよ。 家へ戻るのは何も不満ないけれど お米がまずくなると思うと。。。
何というやつじゃ!
毎回ご飯炊いてやるよ!
しばらく 言わなくなったけれど どうしても我慢できなかったらしく 勝手にネットで買って送ってきた。
IH炊飯ジャーなるもので そりゃ最先端のものだもの機能も良いでしょ。
母は 使えるものを捨てることに抵抗があって 知らん顔して遠巻きに見ている。

息子が帰ってきて 少し私に遠慮しながら中身を取り出し 
一つ一つ言い聞かせるように 遠くから私に見せる。
おかゆも炊ける(これは鍋で炊かないと ふつうのご飯を炊くときに困るので使えない) 玄米まで炊ける
炊きあげ時間も設定できる。 堅い 柔らかい も設定できる。

そして お釜を変えてからのご飯
今まで3人で3合炊けば お弁当を持っていても二日もったのに あららー 
三合で一回分しかない。
お米変えた?
ううん お釜変えた
の後は ご飯食べすぎだって! 太っても知らないから

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プチ遭難

2005-03-16 00:08:01 | 旅行記
かなりショックだったので なかなか書き出せなかった。
一月に中央線に乗ったときに 中山道は結構雪が深いことを知った。
3月に入って ひどく暖かい日が続くので そろそろ雪も解けて 奈良井から鳥井峠越えができるかも知れないと思った。
それでも現地のことは分からないので 前日観光協会に電話した。
雪が残っているところもあるので それなりの装備をしてきてください。
かんじきはいりますか?
それほどではないですが 長靴や 登山靴で来てください。
それを受けて 滑るところもあるかも知れないと アイゼンだけはもって峠越えに望んだ。
それはど高い峠ではない 1100メートルほど  元々奈良井の宿が 900以上あるところなので 200メートルほどの山登りと一緒。
東の鎮守様を越えて歴史民族博物館を越えたら直ぐに 鳥井峠の登り口
少しずぼっと 雪にうまったものの 石畳の道に張り付いたような雪が滑りやすくなっているだけで 何とか登っていける。
急と言えばきゅうだけれど このくらいの道は良く歩いている。
道しるべが 雪に埋もれて 何度も確認しないと分からなかったことをのぞいては 滑らないように慎重に進んでしく。
恩讐の彼方にの舞台 葬沢を越えたあたりから 足もとには谷川が流れ だんだんに高度を上げていく。
とても気分良く 展望台にも行ってしまった。 
時間的にも十分なゆとりがあるはずだった。
それが要すが変わってきたのは 峠が見えてきてから 1キロもないあたりから
思いがけず雪が深くて 急さかなので 脚が埋まって進めない
脚の付け根まで埋もれることも困るけれど 春めいて暖かくなって 脚は下の方で滑って斜めに埋もれる。
抜こうと思っても抜けない。 無理をすると骨が折れるかも知れない。
雪をかきだして 少しずつ抜き出す。
そんなことのくり返しで 峠に着いたときには すっかり疲れ切っていたし とても不安になっていた。
予定の時間にはつけそうにないことも分かってきた。
峠の避難小屋には障子の入った暖かそうな部屋があったけれど 気がせくので よることもしないで 先を急いだ。
峠からは下りなので少しは楽になるだろうと思ったけれど 100メートルほどは 同じように苦難の道 たかが100メートルだけれど 1メートル進むのに1分はかかるような進み方。
戻ることも 進むこともできない状態。
折しも雨がきつくなってきて 山は真っ白に煙っている。
分岐のところまで来たけれど 気持ちはもうどっちにも進みたくない。 分岐は一つは林道らしく車が通れる様だったけれど 通行止めになっていた。 残りの道は腰までたっぷり雪がある登り道。 トレースはない
遊歩道と書かれた道 これが私の進むべき道なのは分かっていたけれど やはり雪が深くて また脚を抜きながら進まないと駄目のよう。
雪のない通行止めの道がとても魅力的だった。 どの道を行くべきか?
地元の人に聞いてみたかった。
途中でもらったパンフレットで役場に電話する。  先の様子が聞きたかった。
あの今鳥居峠を下りている途中なんですけれど。。。
悪いことに ここで電話が切れた。  携帯が圏外になった
仕方なく 暗くなっても良いように ヘッドライトを用意して 覚悟を決めて歩き始める。 雪の道を
苦労はしたものの しばらく行くと雪は 比較的扱いやすい深さになって ゆっくり行けば歩けるようになった。神社をすぎたあたりで もう大丈夫  距離は長いかも知れないけれど 深い雪の箇所はきっともうないに違いない。
そう感じたら さっきの電話が気になった。 
若し私が受けた側なら いったいどうなってしまったのだろう? と気になるに違いない。
携帯を見ると 三本たっている。
再度役場に電話  
案の定とても心配していらした様で はっきりはおっしゃらなかったけれど 途中まで探しにでていらした様な感じが。。。
私としては 考えられることをして 地元の人にも情報を頂いて 歩いた峠越えだったつもりだったけれど 雪を知らない私と地元の人とのギャップがあったことも考慮に入れるべきだった。
寒くなかったものの 雨に撃たれて 今日もまだ熱がひかないで寝ている。
反省

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