Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

父の年賀状と弾撥指

2008-10-10 14:52:32 | 日記・エッセイ・コラム

去年から 実家の父の年賀状を作っている。 父の書いた水墨画を年賀状に入れて欲しいという願いもあって いままでは業者に頼んでいたけれど 「私も出来るじゃん」というわけで 頼まれた。 もともと 絵はがきは作っていたし・・・

義父の年賀状も「私も頼む」と言われ(こちらは 既成のデザインから選ぶので大変では無いけれど) もう少しすると我が家は年賀状印刷工場に変わる。(笑)

さて 去年は短冊を入れてデザインして欲しいとのことだったけれど 今年は色紙を頼まれた。

Yukinosato Fuyujitaku

父の絵はふるさとの飛騨の山々や母と知り合ったいなかの風景が多いのだけれど 年を取るにつれてふるさとへの思いは強くなるようで 風物詩 風景 気が向くと何かがのりうつった様に書いていた。

父の長い闘病生活の中での大事な糧でもあったようだ。定年を終えてから始めたにしては めきめき腕をあげ 師範にもなって 親善大使として海外に出向くことも何度かあった。

だから父は 絵をとても大事にしていることが分かるので 今回はデザインに困った。 5枚の色紙を渡されたけれど どれも娘から見たら甲乙付けがたい。 そしてこれらの絵を生かすと年賀状いっぱいになってしまって 白いところが全くない。

「どうしようか?」 書家でもあるので 年賀状には必ず自筆で一言を付け足していたしそれを礼儀と思っていた様なので 白いところも作りたい。

いくつかのデザインを持って行ったら簡単に 画面いっぱい水墨画の広がったデザインが選ばれた。 あれ?

実は父にはもう筆を取れない理由が出来ていた。 弾撥指(バネ指)と言うらしいのだけれど 茶碗も落としそうなぐらい指が勝手にはねるし いたくて仕方が無いのだそうだ。腱鞘炎の一種らしいのだけれど 年も年だし もう治らないのだと・・・ (少し大げさなところがあるので分からないけれど)痛み止めも効かないしとしょんぼりしていた。

副木を添えて指を動かさないようにしている。 命に別状無くても 唯一の趣味を取り上げられてしょんぼりしている父を見ると胸が痛む。 大事にしていたらきっと良くなるよ。。。って言いたいけれど

父の渾身の作がのった年賀状は 事情を知らないで待っている人のところへ来年も届く。

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