世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ブログを書くことの意味

2012年11月23日 | 出版
この3年間、毎日ブログを更新している。

なぜ、こうも書き続けるのか。

英語的表現を使うなら、何がボクにブログを書かせ続けるるのか。

What makes me to keep writing blogs?


改めて考えてみた、その功罪を。




思いの丈を包み隠さず書いている。

ある意味ボクの人生はガラス張りになっている。


だから、初めて会う人でもよくボクのことを知っている場合が多い。

どこどこに行かれてましたねとか、

○○をされてますねとか言われることは日常茶飯事だ。


時には、ボク以上にボクのことを知ってる人もいる。((笑))


特に、女性や恋の話題、失敗談にはアクセスが集まる。

人の不幸にはひとかた関心が集まるのは世の常だ。


それは別にイイ。


ボクの考えに共感にただける場合も、反論を戴く場合も歓迎だ。


ボクは、歯に衣を着せることなく自分の考えをぶつけ、

行動を明らかにしている。


行動に関しては、facebookのタイムライン上やtwitterでも把握は出来る。

ただ、思考に関してはブログでなければなかなか伝わらない。

そこがブログの妙味なのだ。



綺麗ごとや建前論だけを述べるつもりは毛頭ない。

恥部を否応なく曝(さら)け出す。


それだけに不快感を与え、反感や顰蹙(ひんしゅく)も買う。

それは致し方ない。

同じ内容でも、共感したり、慰めを戴くこともある。



日記と違って、ブログには秘密性のかけらもない。

人に読まれることを前提としているからだ。



それも、いろんな立場の人がいるわけで、

この人には読んでもらいたいが、あの人には見せたくないという

選択権はない。


読んでほしい人が読んでいるという保証もなければ

読まれたくない人が読んでいるという危険性が潜む。


それを覚悟で書くのがブログだ。



先日、ある機関がボクのブログをつぶさに検証し、

ボクの個人情報についてチェックしていることを知った。


そんなところまで読まれているのかとゾッとする半面、

ナルホドそんな人まで読んでくれているのかと、思わずほくそ笑んでしまった。



無神経に書いてしまったことで、人を傷つけることもある。

そういう場合は、無条件に謝りたい。



ペンは剣より強しという。


小説家はヌードを人前にさらすと例えられるが

日記を人前で開陳する古くて新しいブログという機能は、

さらに恥部をも見せつけることにもなりうる。


えぐくてエロいのがブログの本質だと考えている。


それだけに自分に有利に働くこともあれば、

自分で自分を傷つけてしまうことも多い。


それでも、敢えてボクは自分のスタイルを変える気は更々ナイ。


想いを書かずにイライラを募らせるより、

書いて発散すして傷つく方がまだましだ。


それに、読みたくない人は読まなければいいだけの話だから。



【追記】

あわよくばこのブログが出版に繋がれば考えている。

ただ、出版ありきのブログではないので、

出版に向けての形式で損をしているのは自覚している。


出版狙いのブログでは、ポピュリズムに陥る危険がある。

それもボクの意に沿わない。


そういう矛盾と葛藤を抱き続けながら、

今日もこうして認めている。



つたない文を読んでいただいている読者の方々には深く感謝しております。

そして、コメントを寄せてくださる方々にはさらに感謝しております。


時には、書くのを辞めようかと思うことも正直あります。

でも多くの方が読んでくださっていることが、

何よりも元気と勇気をボクに与えてくださいます。


本当に、ありがとうございます。

これからも、命のある限り書き続ける所存です。


叱咤激励、ご指導ご鞭撻、心からお待ちしております。 (合掌)
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11月22日(木)のつぶやき

2012年11月23日 | お金
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失敗学的思考法

2012年11月22日 | 苦境
日本人は、失敗しないようにしようと考える。

アメリカ人は、失敗した時にどうすべきかについて考える。


失敗しないことを前提とするか、

失敗することを前提とするか。


性善説に基づくものなのか、

性悪説に基づく考え方なのか。


人は悪いことをしてはいけない、と考えるのか

人は悪いことをするものだというところから出発するのかで

とらえ方は全く違ってくる。


人を見たら泥棒と思うがいいのか、

人は皆親切だと思うのがいいのか。


人から裏切られた時、ショックを受けるのか、

仕方がないと諦めるのか。


振られた時、振った相手が悪いのか、振られた自分がバカなのか。

どう考えるか、いかにとらえるかで人生は大きく違ってくる。


順調にいくことだけに配慮し、

上手くいかなかったときを想定していなかったために

再起不能に陥ることはよくあることだ。
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11月21日(水)のつぶやき

2012年11月22日 | お金
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ピボット (Pivot)

2012年11月21日 | 人生
ピボット(pivot)という言葉はご存じだろう。


一般的には、バスケット用語でお馴染みかもしれない。


球技でボールを持った選手が片足を軸にし、もう一方の足を動かしてからだの向きを変えたりすることだが、

もともと 先端が円錐形になっている回転軸で、計測器や時計に用いられるものである。


ゴルフにおいても、クラブを振る際に背骨を軸にして肩や腰を回転させることを意味する。


ちなみに英語(pivot)では、

1. a central point or pin on which something balances or turns

バランスを取ったり、ターンするときの真ん中のポイントやピン


2. the most important thing in a situation, system etc, which other things depend or are based on.

ある状況やシステムにおけるもっとも重要なもので、

そのほかのことがそれによっているか、基づいているもの。



ボクは、自分軸という認識でいる。

自分の人生で、ぶれない思考や行動を持つとともに、

それに基づいて自由自在に動き、変化していくべきだと考える。


変化は厭わない。

だが、軸がふらついては単なる心変わりに過ぎない。


政治家の節操のない野合集散は日常茶飯事が、

こと自分の生き方はブレナイ軸を貫きたいものだ。


――――――――――――――――――――

では、自分の軸はどこにあるかと問われれば、はたと答えに困ようでは困る。

だから、ズバリ、


『旅』 であると答えよう。


ブログのタイトルにあるように、

すべては旅から学んできたし、

旅抜きでは、自分の人生は成り立たない。


旅というキーワードを軸にして、生きてきた。


だが、旅は生き甲斐であると同時に、逃げ場にもなる。

旅は、逃避行としては最適なのだ。



ボクは

ぶれない、

めげない、

逃げない


を生き方の3大モットーとしている。


もちろん、

大いにブレ、時にはメゲ、またある時には逃げ出したくなる自分がいることも事実だ。


いくらかっこつけて旅に出ても、常に逃げの要素は付きまとう。

敢えて否定はしない。


遊びと言われても、いい加減と後ろ指を指されても、

それでもボクは自分から旅を捨てることができない。


どんなに旅が好きでない人も、

旅が出来なくてイライラしている人でも、

最後はみんな否応なく旅立っていくのだ。


だから、日常においても常に旅支度を怠ることは出来ない。



――――――――――――――――――

もう一つ、自分軸を言うならば、

気障ったらしいかもしれないが、


それは、『愛』である。

これも誤解を与える場合もあるが、

すべての行動に愛を忘れては本末転倒になりかねない。


旅には愛がよく似合う。


愛の無い旅は、逃げにつながる。

―――――――――――――――――――――――――――

もう一つ、

旅は人間(特に男)の持つ、狩猟本能を蘇らせてくれる。


現代人の悲劇は、この狩猟本能を忘れたことに起因すると考える。

狩猟本能は、知性と感性の源だ。


農耕という生産活動を知り、定着したことで

人類は便利と快楽に走り、幾多のものを失ってしまった。


ボク自身もその甘えを享受している。

だから少しでも、旅に出て自己反省をしたいという想いもある。




なんだかんだと屁理屈を並び立てても、所詮非難の目に晒されることは否めない。

それもあらぬ所からのものが多いが。



正直に言おう。

そう、ただ旅に出たいだけ。


時に眠っている狩猟本能がボクを激しく突き動かす。

抗(あらが)わずそれに従うのが賢明だ。


だから、また旅に出る。

軸をブラすことなく。

ただ、それだけ。
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11月20日(火)のつぶやき

2012年11月21日 | お金
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心の持ちようで人生が決まる

2012年11月20日 | 人生
人生は、悲喜こもごもである。

一生という長いスパンでもそうだが、

一日の内にも良いことや悪いことが日々繰り返されている。


その都度、ハイテンションになったり、気が沈んだりと。

だが、明るく生きようが暗く生きようが、同じ人生。


人には、悪いことがいつも起きる人がいるかと思えば

いつもいいことばかりが起きている人がいる。


だが、それは、錯覚にすぎないのだ。

人生の内で、起きていることはほぼ同じ。


受験に失敗し、

失恋し、

仕事に疲れ、

人間関係に悩まされ、

病気し、

やりたいこともままならない。



誰しもがストレスに苛(さいな)まれている。


それでも、人生に差がつくのはなぜか。

スタート(生まれて)からゴール(死ぬ)は、決まっている。


人生は、100キロのマルチアスロン・レースのようなもの。


その間に起きる艱難辛苦は誰しもが味あう。


へこたれたら、ダメ。

諦めたら、ダメ。


泣いてもイイ、

悶絶してもイイ、


それでもひたすら走り続ければイイだけのこと。


強いものが勝つのではない、

賢いものが勝つのでもない、


諦めなかったものだけが、最後に残るのだ。


―――――――――――――――――――――――――――

長い人生の中ではいろんなことが起きる。

予期しなかったことが、いっぱい起きる。


その一つ一つに、いちいちクヨクヨしていたら確かに身が持たない。


ものは考えようという考え方を持とう。


人生は、

自分自身の心(気)の持ちよう

物事の捉え方ひとつ

つまりその人の考え方でほぼ決まってしまう。



自分だけに不幸が降りかかっていいるのでない。

誰かさんだけに幸せが降り注いでいるわけでもない。


みんな平等に、不幸が襲いかかり、

幸せのチャンスが訪れているのだ。



同じことが起きても、

不幸になる人は、それを不幸ととり、

幸せになる人は、幸せになるための試練と解釈する。


ただそれだけの違いが、人生の明暗を分ける。




すべての人に起きていることは、大なり小なりさほど変わりはない。

違うのは、解釈の仕方だけだ。


どうせみな同じことが起きているのなら、

悲観せず、楽しむ方がいい。


能天気と言われようが、

お人よしと言われようが、

おバカさんと言われようが、


楽しんだものが、人生の勝利者になる。


【蛇足の一枚】


    今日も美女とお酒に囲まれて(埋もれて)。
    (昨夜、マリアのジャズ・コンサートで)


自分は持てると錯覚している、

はい、単なるスケベオヤジのおバカさんです。


イイじゃないの、幸せならば。
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11月19日(月)のつぶやき

2012年11月20日 | お金
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アイデアはどこから湧くのか

2012年11月19日 | 人生
アイデアの源は何か。

それは、


「愛デア」 る。

つまり、アイデアの源には常に愛が潜んでいないといけない。

愛デアは、愛で始まり愛に終わるといっても過言ではない。



もっというなら、

愛出会ともいえる。


愛は、出会いが無くては生まれない。

出会いの先に、愛が生まれ、結果的に愛デア が湧く。



人と会い(愛)、人と話し(放)、人と触れ合う(触)。

葛藤の末そこに熱(情熱)が発生し、化学変化を起こして愛デアへと昇華する。


つまり、出会いなきところ愛は生まれず、

愛なきところに愛デアは存在しない。



日々の暮らしの中で、人に会い、人を愛し、素晴らしい愛デアが自ずと湧き上る。


愛と共に生きよ。



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11月18日(日)のつぶやき

2012年11月19日 | お金
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テレパシーの威力

2012年11月18日 | 国際
あの人如何しているかなー、と思っていると、

ばったり会ったりすることはよくあることだ。


また、連絡を取りたいと思っていると、

向こうからコンタクトがあることもたびたび経験する。



カンボジアの知り合いからメールが入った。


kaji様 

その後いかがですか

私今はプノンペン市内で、sushi bar ニュー 東京を運営してちょうど1年がたちました、

今のcambodiaはベトナムと大きくちがいがあります、

個人自営業はほとんど税金がかかりません、

そして名義人もいらない、

外国人の100%投資で商売できます(日本人名義で) 

ビザは1年間有効で〈約290$でOK)銀行送金などもいいし

ベトナムのように規制が厳しくありません

ほとんどがUSドル支払いです 

なんといっても公安がうるさくないのがいいですね。いかがでしょう。

最近は、日本から30代の若い人達が多く見られます。



彼は以前、ホーチミンで日本食レストランをやっていて、

一度ボクは彼の元を訪ねたことがあった。


その時、彼は、ベトナムでの商売のやりにくさをぼやいていた。

そして、一年前プノンペンへと鞍替えしたのだ。 




――――――――――――――――――――――――――

東南アジア進出は、今ミャンマーが熱い。

だが、カンボジアも静かな注目を集めている。


先日、福岡でカンボジアビジネスに関する無料のセミナーがあった。

その時の講師は、古物商で大儲けをして、現在プノンペンに居を構えている。


ボクも2度訪れてその魅力を感じていたところだった。

ただ、いずれの訪問もシエムリアップであって、プノンペンにはまだ行ったことがない。


      ご存じアンコールワット

      シエムリアップの夜



その後、スシバーを経営する彼とは電話で話をした。

プノンペンの街中にはカフェが沢山出来ているそうだ。


ただ、テナント代は2,500ドルほどするそうで決して安くはない。

当然、やっていける店とそうでない店に分かれる。



カフェ計画は以前からハノイに持っている。

来週から、いったんハノイに入る。


さてそれからどこへ足を延ばそうか。

東南アジアは、魅力的なところがありすぎる。

何処も捨てがたい。


ただ、どこも侮(あなど)れない。


場所と職種の選び方次第で、天国にもなれば地獄にもなりうるからだ。


今回、ヴェトナムで落ち合う日本の若者が現時点で二人いる。

彼らも熱く燃えて、ビジネスチャンスと生き甲斐を狙っている。



―――――――――――――――

海外では、ビジネス以前に生活環境がある。

単なる一過性の儲け話に惑わされると、大やけどをする。


自分に合った、環境を見極めることが大事だ。

極端に言えば、好きか嫌いかの問題になる。


風土、食べ物、人間、慣習、政治体制、宗教観などなど。


そして、忘れてならないことは、

現地パートナーと巡り合うことだ。


そのためにも、現場行脚は欠かせない。


東南アジアの旅を楽しみませんか。


人生の可能性は無限です。

今なら同行も可能です。


興味を持ったら、即実行。

行動に移さなければ、幸せの扉は開かない。

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11月17日(土)のつぶやき

2012年11月18日 | お金
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小さな恋人 (短編小説)

2012年11月17日 | 
『小さな恋人』 (かじ えいせい 著)

それはHiという挨拶から始まった。
My mom likes you. (お母さんがあなたのことが好きなんです)と続く。
マムがあなたに会いたいといっています。マムに会いにフィリピンに来てください。
少し前にfacebookで友達になった8歳の女の子からのメッセージだった。

唐突な申し出に少し戸惑いつつも、OKと答えていた。
軽いノリだった。相手も面白半分だと思った。だからこっちもそのつもりだった。
女の子と何回かメッセージのやり取りをするうちに、母親本人から連絡が来るようになった。
どこに住んでいる。仕事は何。何歳。というありきたりの質問のやり取りがしばらく続く。

ある日、Mom is crying. Why? Uncle,と女の子が聞いてきた。
いつしか女の子はボクのことをuncleと呼ぶようになっていた。

母親は、例にもれずシングルマザーで、女の子は自分の父親を知らない。
分からないと答えると、マムがあなたに会いたがっている。だけど、マムは病気です。
いつも病院に行って、時々帰ってこない、という。つまり入退院を繰り返しているらしい。
本人に聞くと、病気だけど大丈夫という。どんな病気かと聞くと、分からないといって教えようとしない。
ただ話の内容から、血圧が極端に低いらしいことは分かった。
めまいや頭痛をいつも訴える。大量の薬を与えられ、飲んでは副作用でいつも朦朧としているようだった。

彼女は、毎日facebookのメッセージでGood morningとあいさつを送ってきていた。
だが、時々まる一日連絡がないときもある。その時は決まって入院しているのだった。
彼女はボクのことをhoneyと呼び、I love youというようになった。
そして、フィリピンにおいでと繰り返して言う。

ボクはまだ一度もフィリピンには行ったことがなかった。興味はあった。一度は行ってみたいと。
女の子とその母親からメッセージが送られてきだして約半年が経とうとしていた。
ボクの気持ちは、行きたいから行かなければ、という風に変わっていた。
その頃、彼女は、自分の友達が同じ病気で亡くなったと伝えてきた。自分より3つ年下の友達だったと。
だから自分ももうすぐ死ぬと。死ぬ前に一度ボクに会いたいと。あなたに会って死にたいと。
ボクはもういたたまれなくなって、フィリピン行きを決めてしまった。女の子のためにも彼女には生きてほしかった。


                ◇


マニラ空港は思いのほか閑散としていた。
入国審査を済ませ、荷物をカートに乗せドアの外に出ると、ボクの経験上からは大勢の出迎えの人たちでごった返しているはずだ。
ところが、ほとんど誰もいない。拍子抜けしながら表の道路に出る。出迎えの人たちに変わってタクシーの客引きが群がってくる。
彼女は迎えに来るといっていた。
ポン引きと見られる人物に訳を話すと、こっちだとボクを促す。半信半疑で道を渡り、左右に分かれたスロープを途中まで下りた時、目を疑った。
フェンスを挟んで数えきれない出迎えの人たちでごった返している光景が飛び込んできたのだ。
この中にはたして彼女はいるのだろうか。
いるとしてもどうして探せばいいのだろうか。
途方に暮れて佇んでいると、フェンスを越えて一人の女性が弱弱しい歩き方で近づいてくる。
疑問が確信に変わるころやっと彼女はボクの前に立っていた。
タオルを口に当てにこりともせず、むしろ怒っているような顔つきだった。
もともと色が黒いせいか、血の気の無い顔は土色をしている。
時折タオルの隙間から除く唇は紫がかっていた。一目で病気持ちだと分かる。
名前を言うと、はにかんだ微笑みを返した。だが、なかなか目を合わせようとはしない。彼女なりの恥じらいのようだった。

娘も、自分の母親も一緒に来ているという。どこにいるか聞いたら、さっき帰ったと答えた。
彼女一人でホテルにいっしょに来るという。全く予期していなかったことだ。
彼女は明らかに病み上がりといった風情だった。
口数は少なく、ボクの問いかけに無言でただ首を振るだけの返事が多かった。
体も衰弱しきっているのだろう。だがそれ以上に何か思いつめた気配が感じられる。
彼女がほとんど口も利かないままタクシーはホテルの前に滑り込んだ。

(続く)



     (写真はイメージ)
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11月16日(金)のつぶやき

2012年11月17日 | お金
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価値観と罪悪感

2012年11月16日 | 国際
人間には人それぞれ価値観の違いがある。


ところが実際は、案外他人の価値観の中で生きている人が多い。


自分の価値観で生きればイイのに。

それが正しいとか不正解とかいうことは一切関係ない。


だから自分の価値観を人に押し付ける必要もない。

自分は自分という自信と勇気があればの話だが。



だが、実際は自分に自信がないから

人の価値観に自分を委ねてしまう。



だから、セミナーに通う。

人の話(価値観)ばかりを聞いて、その時は納得したような気持ちで帰る。


だが、一向に身につかないのがその証しだろう。

人の話(価値観)にはいくら共鳴したところで、所詮自分のものにはなりきれない。



―――――――――――――――――――――――――――

まず、人それぞれ価値観が違うことを認めるべきだ。

相手に自分の価値観を押し付けてはいけない。

理解できない価値観の違いを認めてこそ相手が分かる。


早い話が、男と女の価値観は違う。

外国人との価値観の違いも大きい。

多様性とは、価値観の違いのことだ。


人生観、

政治観

死生観、

文化観

宗教観

これらはすべて価値観に当たる。



価値観の一つに、罪悪感がある。

罪悪感が薄いといろいろと齟齬をきたすことが多くなる。


たとえば、中国のコピー。

彼らは当然のこととして考えているきらいがある。

悪びれる様子もあまりない。



一般的な約束ごとにも価値観の違いがみられる。


特に時間の価値観には大きな開きが見られる。


さらに、ウソの重要度の感じ方が違う。

規則や契約の価値観においても同じ。



ここを理解しないと、腹が立つばかりで

交渉ごとはうまくいかない。



あいつは約束を守らないと思っても、

相手は屁とも感じてないことが多い。


まず、違いを認めてその上で付き合う。

そうすれば、人間関係で悩むことも少なくなるだろう。


【補足】

男と女も、外国人との付き合い方も

一方が他方を見下しているうちはうまくいかない。


お互いが何らかのリスペクト感を持っていればうまくいくことが多い。
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