地球での営みを意識して生きてみよう!Somewhere in the world goo.gl/2TtI8
今、地球のどこかで
Now, somewhere in the world.
今、地球のどこかで泣いてる人がいます。
今、地球のどこかで笑っている人がいます。
今、地球のどこかで銃弾にさらされている人がいます。
今、地球のどこかで大雨に打たれている人がいます。
今、地球のどこかで夕飯のごちそうをワインを飲みながら食べている人がいます。
今、地球のどこかで水汲みに何キロをも歩いている人がいます。
今、地球のどこかで病気で苦しんでいる人がいます。
今、地球のどこかで死んでいく人がいます。
今、地球のどこかで生まれてくる人がいます。
今、地球のどこかで喧嘩している人がいます。
今、地球のどこかで愛し合っている人がいます。
今、地球のどこかで目覚めた人がいます。
今、地球のどこかで眠りにつく人がいます。
今、地球のどこかで仕事に汗をかいている人がいます。
今、地球のどこかで勉強している人がいます。
今、地球のどこかで遊びに興じている人がいます。
今、地球のどこかで結婚した人がいます。
今、地球のどこかで離婚した人がいます。
今、地球のどこかで旅をしている人がいます。
今、地球のどこかで家の中に引きこもっている人がいます。
今、地球のどこかでスポーツをしている人がいます。
今、地球のどこかで歌っていいる人がいます。
今、地球のどこかで楽器を弾いている人がいます。
今、地球のどこかでテレビを見たりゲームに興じている人がいます。
いつも地球のあちこちでいろんなことが起こっています。
地球での営みを少し意識して生きませんか。
Now, somewhere in the world.
今、地球のどこかで泣いてる人がいます。
今、地球のどこかで笑っている人がいます。
今、地球のどこかで銃弾にさらされている人がいます。
今、地球のどこかで大雨に打たれている人がいます。
今、地球のどこかで夕飯のごちそうをワインを飲みながら食べている人がいます。
今、地球のどこかで水汲みに何キロをも歩いている人がいます。
今、地球のどこかで病気で苦しんでいる人がいます。
今、地球のどこかで死んでいく人がいます。
今、地球のどこかで生まれてくる人がいます。
今、地球のどこかで喧嘩している人がいます。
今、地球のどこかで愛し合っている人がいます。
今、地球のどこかで目覚めた人がいます。
今、地球のどこかで眠りにつく人がいます。
今、地球のどこかで仕事に汗をかいている人がいます。
今、地球のどこかで勉強している人がいます。
今、地球のどこかで遊びに興じている人がいます。
今、地球のどこかで結婚した人がいます。
今、地球のどこかで離婚した人がいます。
今、地球のどこかで旅をしている人がいます。
今、地球のどこかで家の中に引きこもっている人がいます。
今、地球のどこかでスポーツをしている人がいます。
今、地球のどこかで歌っていいる人がいます。
今、地球のどこかで楽器を弾いている人がいます。
今、地球のどこかでテレビを見たりゲームに興じている人がいます。
いつも地球のあちこちでいろんなことが起こっています。
地球での営みを少し意識して生きませんか。
出来るだけ多く、世界中の馬を乗りこなすことが
ボクの旅の目標の一つである。
今回はフィリピンでその夢を実現した。
世界60か国を旅し、その約半部近くの国で馬に乗ってきた。
フィリピンで乗馬は、これまでとは違った経験を味あわせてもらった。
スピードよりも、体力、耐性を求められる馬には、背に低い小柄な種類が多い。
山岳地帯では特に走ることより、持久力が重要視される。
―――――――――――――――――――――――――――――
久しぶりに乗馬を堪能したが、
普段使わない部位が筋肉痛に襲われるのはどのスポーツも一緒であろう。
乗馬においては、股関節と二の腕に特にその症状が謙虚だ。
素人の方は、臀部が痛くなるのが常だろうが。
それは、ただ馬上で揺られているだけと、
股で馬の胴体を締め、手綱を自ら操るのとでは運動量に雲泥の差があるからだ。
乗馬は、水泳と同じように全身運動である。
もう一つ特徴的なのは、相手が生きものであるということだ。
それも極めて賢く、繊細な感情を持った哺乳類である。
バイクや自転車を乗りこなすのとは訳が違う。
人馬一体という言葉が示す通り、お互い感情を持った生き物同士なのだ。
もう一つ、馬場内乗馬と、外乗も大きく違う。
外乗は、自然が相手ということも言える。
つまり、常に自然条件に左右される。
馬という生き物に乗って、自然の中を走る(歩く)ことにこそ乗馬の醍醐味を感じる。
今回は、その極め付けを味わった。
―――――――――――――――――――――――――――
話はやや飛躍するが、ボクの持論に
「塾とジム通いは辞めておけ」
というものがある。
つまりモット人間は「自然に学べ」ということだ。
人は何故箱の中に入りたがるのか。
ジムでは、身体は鍛えられても頭は鍛えられない。
考える必要がないからだ。
塾は、頭は鍛えられるかもしれないが、心は鍛えられない。
いずれも、与えられた設備や課題の中で対処しているだけなのだ。
塾で育ったものは、ジムに行きたがる傾向がある。
これは、根拠のないやや乱暴な結論なのだが。
与えられたもので、物事を済まそうとする。
つまり、創意工夫がない。
既成の概念から抜け出せない。
これでは独創的なアイデアなんていつまでたっても出てきやしない。
乗馬もマシンを作ってジョーバとして売り出す。
ウォーキングやランニングマシン、あるいは、自転車マシンなどなど。
都会に住んでいるのだから致し方ない、などという言い訳は聞きたくない。
水泳も同じ。
プールで同じところをぐるぐる回る。
景色も何もない。
大海原で泳いでみないか。
自然の波と流れを読んで、格闘してみないか。
またまた乱暴な言い方をするが、
ジム通いは、マスターベーションの一種である。
もっというなら、ソープランド通いと同次元だ。
それもたまには、イイのだが。
それが日常化することが、怖い。
ジム通いが増えた昨今、反論を待ちたい。
ボクの旅の目標の一つである。
今回はフィリピンでその夢を実現した。
世界60か国を旅し、その約半部近くの国で馬に乗ってきた。
フィリピンで乗馬は、これまでとは違った経験を味あわせてもらった。
スピードよりも、体力、耐性を求められる馬には、背に低い小柄な種類が多い。
山岳地帯では特に走ることより、持久力が重要視される。
―――――――――――――――――――――――――――――
久しぶりに乗馬を堪能したが、
普段使わない部位が筋肉痛に襲われるのはどのスポーツも一緒であろう。
乗馬においては、股関節と二の腕に特にその症状が謙虚だ。
素人の方は、臀部が痛くなるのが常だろうが。
それは、ただ馬上で揺られているだけと、
股で馬の胴体を締め、手綱を自ら操るのとでは運動量に雲泥の差があるからだ。
乗馬は、水泳と同じように全身運動である。
もう一つ特徴的なのは、相手が生きものであるということだ。
それも極めて賢く、繊細な感情を持った哺乳類である。
バイクや自転車を乗りこなすのとは訳が違う。
人馬一体という言葉が示す通り、お互い感情を持った生き物同士なのだ。
もう一つ、馬場内乗馬と、外乗も大きく違う。
外乗は、自然が相手ということも言える。
つまり、常に自然条件に左右される。
馬という生き物に乗って、自然の中を走る(歩く)ことにこそ乗馬の醍醐味を感じる。
今回は、その極め付けを味わった。
―――――――――――――――――――――――――――
話はやや飛躍するが、ボクの持論に
「塾とジム通いは辞めておけ」
というものがある。
つまりモット人間は「自然に学べ」ということだ。
人は何故箱の中に入りたがるのか。
ジムでは、身体は鍛えられても頭は鍛えられない。
考える必要がないからだ。
塾は、頭は鍛えられるかもしれないが、心は鍛えられない。
いずれも、与えられた設備や課題の中で対処しているだけなのだ。
塾で育ったものは、ジムに行きたがる傾向がある。
これは、根拠のないやや乱暴な結論なのだが。
与えられたもので、物事を済まそうとする。
つまり、創意工夫がない。
既成の概念から抜け出せない。
これでは独創的なアイデアなんていつまでたっても出てきやしない。
乗馬もマシンを作ってジョーバとして売り出す。
ウォーキングやランニングマシン、あるいは、自転車マシンなどなど。
都会に住んでいるのだから致し方ない、などという言い訳は聞きたくない。
水泳も同じ。
プールで同じところをぐるぐる回る。
景色も何もない。
大海原で泳いでみないか。
自然の波と流れを読んで、格闘してみないか。
またまた乱暴な言い方をするが、
ジム通いは、マスターベーションの一種である。
もっというなら、ソープランド通いと同次元だ。
それもたまには、イイのだが。
それが日常化することが、怖い。
ジム通いが増えた昨今、反論を待ちたい。
旅先ではなぜもこうアイデアが噴出するのだろうか。
静かなリゾート地でボンヤリしているとき、
対照的に、喧噪のローカルバスの中で閃きは起こる。
物を右から左へと売買する時代は終わった。
特に、日本のようにモノがあふれる成熟社会においては。
それでも新興国や発展途上国では、
まだまだ購買意欲は強く消費活動は活発だ。
だがいかんせん、価格が安い。
日本からそのままものを持って行っても、
薄利を余儀なくされるか採算割れするのが落ちだ。
成熟社会と超高齢化社会でのニッチなニーズがあるはずだ。
こうした社会においては、物はさほど必要ない代わりに、
精神的に満たされたいという欲求が芽生える。
そうしたモノの一つに、出版意欲があると考える。
自己表現と言い換えてもいいかもしれない。
物として財産や資産を後世に残すのではなく、
書籍として、生きた証を残したいという欲求だ。
そうでなくても、ブログやメルマガ、フェイスブックなどのSNSという手段を使って
自己表現をしたがる人は数多い。。
ボクもその一人だが、
出版したいという願望は多くの人が抱いているのではないか。
一日に200冊以上の本が今なお世に排出されている。
とはいえ、商業出版は凡人にはハードルが高いのも事実だ。
ならば自費出版という手がある。
だがこれも高嶺の花でなかなか手が出せない。
電子出版も可能な世の中になってきたが
まだまだ紙の書籍の重要性は変わっていない。
ズシリと手に感触の残るリアルな書籍への願望が根強い。
まともに頼めば、自費出版は200万~300万円が相場である。
これが100万円以内でできれば、より多くのニーズがつかめるのではないか、と考えた。
―――――――――――――――――――――
お分かりだろうか。
今回のフィリピンの旅で、印刷会社とコネクションができた。
日本では高くて手を出せないもので
フィリピンで、技術力もあり、安くできるものはないだろうか。
考えた。
考えた。
そして、
考えた。
そうだ!
出版だ!と閃いた。
日本人のみならず、韓国人も英会話熱が高い。
日本や韓国でなく、フィリピンという特質を生かして今やSkype英会話は花盛りだ。
長期の合宿英会話スクールも韓国を中心に多くの生徒を引き付けている。
それほどではないにしても出版熱もソコソコある。
自費出版が格安でできればビジネスに結び付く可能性はある。
高い日本の出版社や印刷会社でなく、海外で安くできればニーズは必ずあるはずだ。
フィリピンのリゾートで、ホテルの窓からの湖を眺めながらそういう考えに及んだ。
早速指令を出した。
その印刷会社に、だ。
現在調べてもらっている。
まだ海のものとも山のものとも分からない。
だから調べるのだ。
こうしてヒョンなアイデアからビジネスは開花するのだ。
トリビアの泉風に言えば、
まだまだ種の段階だがうまく育つよう尽力するつもりであることは言うまでもない。
―――――――――――――――――――――――――
儲かるだけのビジネスは、つまらない。
人は何を望み、何に喜びを感じるのか。
それを見出し、叶えてやることこそがビジネスなのだ。
そして、自分も一緒になって楽しまなければ意味がない。
ビジネスは自分が楽しんでこそ、ナンボのものだ。
Niche, Original & Enjoy
ボクのビジネスは、常にこの3つの計りにかけられて誕生する。
自分がして欲しいことを、人に施す。
これがサービスの原点だ。
マッサージはいい例だろう。
これからは、心のマッサージが流行る。
メンタルマッサージ屋を開こうか。
――――――――――――――――――――
旅は、ストレス発散やリフレッシュ効果と同時に、
こうしたアイデアをドンドン生み出してくれる。
一所に居ては、滅入るだけの現社会。
水も澱(よど)めば、腐る。
人も同じ。
転がる石にはコケはつかない。
人も動かざれば、苔が生(む)し老いていくのみ。
旅とはかくも素晴らしいものである。
静かなリゾート地でボンヤリしているとき、
対照的に、喧噪のローカルバスの中で閃きは起こる。
物を右から左へと売買する時代は終わった。
特に、日本のようにモノがあふれる成熟社会においては。
それでも新興国や発展途上国では、
まだまだ購買意欲は強く消費活動は活発だ。
だがいかんせん、価格が安い。
日本からそのままものを持って行っても、
薄利を余儀なくされるか採算割れするのが落ちだ。
成熟社会と超高齢化社会でのニッチなニーズがあるはずだ。
こうした社会においては、物はさほど必要ない代わりに、
精神的に満たされたいという欲求が芽生える。
そうしたモノの一つに、出版意欲があると考える。
自己表現と言い換えてもいいかもしれない。
物として財産や資産を後世に残すのではなく、
書籍として、生きた証を残したいという欲求だ。
そうでなくても、ブログやメルマガ、フェイスブックなどのSNSという手段を使って
自己表現をしたがる人は数多い。。
ボクもその一人だが、
出版したいという願望は多くの人が抱いているのではないか。
一日に200冊以上の本が今なお世に排出されている。
とはいえ、商業出版は凡人にはハードルが高いのも事実だ。
ならば自費出版という手がある。
だがこれも高嶺の花でなかなか手が出せない。
電子出版も可能な世の中になってきたが
まだまだ紙の書籍の重要性は変わっていない。
ズシリと手に感触の残るリアルな書籍への願望が根強い。
まともに頼めば、自費出版は200万~300万円が相場である。
これが100万円以内でできれば、より多くのニーズがつかめるのではないか、と考えた。
―――――――――――――――――――――
お分かりだろうか。
今回のフィリピンの旅で、印刷会社とコネクションができた。
日本では高くて手を出せないもので
フィリピンで、技術力もあり、安くできるものはないだろうか。
考えた。
考えた。
そして、
考えた。
そうだ!
出版だ!と閃いた。
日本人のみならず、韓国人も英会話熱が高い。
日本や韓国でなく、フィリピンという特質を生かして今やSkype英会話は花盛りだ。
長期の合宿英会話スクールも韓国を中心に多くの生徒を引き付けている。
それほどではないにしても出版熱もソコソコある。
自費出版が格安でできればビジネスに結び付く可能性はある。
高い日本の出版社や印刷会社でなく、海外で安くできればニーズは必ずあるはずだ。
フィリピンのリゾートで、ホテルの窓からの湖を眺めながらそういう考えに及んだ。
早速指令を出した。
その印刷会社に、だ。
現在調べてもらっている。
まだ海のものとも山のものとも分からない。
だから調べるのだ。
こうしてヒョンなアイデアからビジネスは開花するのだ。
トリビアの泉風に言えば、
まだまだ種の段階だがうまく育つよう尽力するつもりであることは言うまでもない。
―――――――――――――――――――――――――
儲かるだけのビジネスは、つまらない。
人は何を望み、何に喜びを感じるのか。
それを見出し、叶えてやることこそがビジネスなのだ。
そして、自分も一緒になって楽しまなければ意味がない。
ビジネスは自分が楽しんでこそ、ナンボのものだ。
Niche, Original & Enjoy
ボクのビジネスは、常にこの3つの計りにかけられて誕生する。
自分がして欲しいことを、人に施す。
これがサービスの原点だ。
マッサージはいい例だろう。
これからは、心のマッサージが流行る。
メンタルマッサージ屋を開こうか。
――――――――――――――――――――
旅は、ストレス発散やリフレッシュ効果と同時に、
こうしたアイデアをドンドン生み出してくれる。
一所に居ては、滅入るだけの現社会。
水も澱(よど)めば、腐る。
人も同じ。
転がる石にはコケはつかない。
人も動かざれば、苔が生(む)し老いていくのみ。
旅とはかくも素晴らしいものである。
取引先の家族にお呼ばれを戴いた。
偶然にもこの日、小さなこの町はお祭り(Happy Fiesta)だという。
日曜日でもあり、さぞかし賑わいを見せているかと思いきや、
ファミリー・ユニオンと言われる、家族で集まって会食をするのがメインらしい。
そこで、フィリピン料理、といってもシ-フード尽くしの家庭料理を戴いた。
家の裏では3匹の子豚が飼われている。
水はまだ井戸水と雨水を併用している。
トイレも流しもバケツやたらいに水をためて使っている。
これがごく一般的な庶民の生活なのだろう。
通りでは鉄格子越しに買い物をする。
町の路地では道路をふさいでの野外パーティ(?)といったところも。
トライシクロが行きかい、若い子たちが三三五五たむろっていた。
着色されたひよこも売られている
――――――――――――――――――――――――――
この日も車窓からフィリピンの一面を垣間見た。
海の向こうがメガ・マニラ
前回来た時より自動車専用道路の開発は進んでいた。
ただところどころにまだスラムの集落が残っている。
車窓の右側がスラム
道路を挟んで大型ショッピングモールがオープンしたが、ほどなく閉鎖されてしまった。
治安の悪さで客足が悪く、
夜は頻繁に盗難に見舞われたらし苦、経営に行き詰ったと聞いた。
この看板は、自動車道に出て物売りをすることを厳しく禁止したものだ。
スラムの人々が、車が行きかう道路に出て物を売り、はねられる事故が相次いだかららしい。
郊外の町々には大型ショッピングモールが点在して購買力は旺盛だが、
一歩立地を間違うとこのありさまだ。
今回の最後の夜は、ホテル近くのモールで過ごした。
一昨日の不足分20ペソ(40円)も届けることを忘れなかった。
そんなこんなで、今回もいろいろあったが、概ね充実した有意義な時間が過ごせた。
そしてこれから、帰国の途に就く。
偶然にもこの日、小さなこの町はお祭り(Happy Fiesta)だという。
日曜日でもあり、さぞかし賑わいを見せているかと思いきや、
ファミリー・ユニオンと言われる、家族で集まって会食をするのがメインらしい。
そこで、フィリピン料理、といってもシ-フード尽くしの家庭料理を戴いた。
家の裏では3匹の子豚が飼われている。
水はまだ井戸水と雨水を併用している。
トイレも流しもバケツやたらいに水をためて使っている。
これがごく一般的な庶民の生活なのだろう。
通りでは鉄格子越しに買い物をする。
町の路地では道路をふさいでの野外パーティ(?)といったところも。
トライシクロが行きかい、若い子たちが三三五五たむろっていた。
着色されたひよこも売られている
――――――――――――――――――――――――――
この日も車窓からフィリピンの一面を垣間見た。
海の向こうがメガ・マニラ
前回来た時より自動車専用道路の開発は進んでいた。
ただところどころにまだスラムの集落が残っている。
車窓の右側がスラム
道路を挟んで大型ショッピングモールがオープンしたが、ほどなく閉鎖されてしまった。
治安の悪さで客足が悪く、
夜は頻繁に盗難に見舞われたらし苦、経営に行き詰ったと聞いた。
この看板は、自動車道に出て物売りをすることを厳しく禁止したものだ。
スラムの人々が、車が行きかう道路に出て物を売り、はねられる事故が相次いだかららしい。
郊外の町々には大型ショッピングモールが点在して購買力は旺盛だが、
一歩立地を間違うとこのありさまだ。
今回の最後の夜は、ホテル近くのモールで過ごした。
一昨日の不足分20ペソ(40円)も届けることを忘れなかった。
そんなこんなで、今回もいろいろあったが、概ね充実した有意義な時間が過ごせた。
そしてこれから、帰国の途に就く。
旅に予定外や想定外は付き物だ。
特に、約束事は時として破られる。
それも、いとも簡単に。
取引先の好意でマニラからタガイタイまで車で送ってもらった。
有難迷惑でも、好意は甘んじて受けるものである。
特に外国の旅先においては。
だが、時に約束事の意識の違いが誤解や感情のもつれを引き起こす。
責任感の認識に開きがあるような気がする。
時間に関しても、日本人は厳格だ。
一度約束したことは、よっぽどでないと破ることを恥とする。
致し方なく守れないときは、理由を述べて謝る。
だが、他の多くの国においては平然として謝ることもしない。
罪悪感がないらしい。
「規則と約束は破られるためにある」
がグローバルスタンダードなのだ。
だから、それを見越して当初から対処法を考えておく必要がある。
相手を非難しても、何の効果もないからだ。
―――――――――――――――――――――――――――――
それでも、2日後も迎えに来るという言葉を信じて、大きな荷物を車のトランクに残した。
だが、当日になって、仕事で行けなくなったという連絡が入る。
困った。
2日分の着替え以外と必要な書類、道具を入れたままだったからだ。
仕事の関係でもしかしたら来れないかもしれないと分かっていいたなら、
大きなスーツケースも引き取っていたはずだ。
迎えに来るという言葉を信じて、預けてしまったのが間違いの元だった。
―――――――――――――――――――――――――――――
こういう時は素早い心の切り替えが必要だ。
常にAプラン、Bプラン、Cプランと最低3つは計画しておく。
この場合、送迎の車を諦めBプランのバスを乗り継いでいく方法を取らなければならない。
しかも、バッグを取りに寄り道をしなければ。
ちなみに、Cプランは空を飛んでいくことだ。
冗談はさておきプランBに従い、炎天下でローカルバスを待つ。
乗ると、物売りも一緒に乗ってくる。
バスの中は、共存共栄の社会なのだ。
車窓から眺めていると、地方の町のわりに歩道橋が多いことに気付く。
屋根があり、緑のプラントも施され南国を感じさせる。
こうした看板もある。
jaywalking とは、
when someone walks across a road at a place where it is dangerous to cross
危険な場所での横断のことだ。
歩道橋は、ここでは footbridge となっている。
a narrow bridge used by people who are walking
※ 看板による英語の勉強はとても有効だ。
旅先の市民の生活にじかに触れると、いろいろ考えさせられ、学ぶことが多い。
旅の途上で多くのアイデアが浮かぶ。
バッグも求めてミニバスとトライシクロを乗り継いでいく。
無事荷物を受け取り、改めてマニラへ向かう。
実はボクはこうした四苦八苦してたどり着く旅が好きだ。
余りに予定通りに、スムーズにいく旅は物足りなくてしょうがない。
人生も旅も、問題があった方が面白い。
もちろん、災害や事故はたまた事件に遭遇することも想定しておく。
旅先だけでなく日常においても然り。
夕刻も迫るころ、やっとマニラにたどり着く。
クッキー一枚で昼もまともに食べず、夕食にもやっとありつく。
Sinigang という煮込み料理は栄養があって美味い。
ここでまたハプニングが。
マニラビールを飲みすぎて、手持ちの現金が足りない。
コインを合わせても20ペソ(40円)不足なのだ。
荷物を残してATMを探すも、不発。
現金が出てこない。
おまけに回りは真っ暗で物騒この上ない。
もちろん銀行も開いていない。
この場は事情を話して明日持っていくことに。
(40円だからまけてくれるかと思いきや、それは甘かった)
そんなこんなで、移動とトホホの連続の一日だった。
ホテルの冷蔵庫の中のビールを飲んで、バタンキュウ。
これが旅の醍醐味だ。
特に、約束事は時として破られる。
それも、いとも簡単に。
取引先の好意でマニラからタガイタイまで車で送ってもらった。
有難迷惑でも、好意は甘んじて受けるものである。
特に外国の旅先においては。
だが、時に約束事の意識の違いが誤解や感情のもつれを引き起こす。
責任感の認識に開きがあるような気がする。
時間に関しても、日本人は厳格だ。
一度約束したことは、よっぽどでないと破ることを恥とする。
致し方なく守れないときは、理由を述べて謝る。
だが、他の多くの国においては平然として謝ることもしない。
罪悪感がないらしい。
「規則と約束は破られるためにある」
がグローバルスタンダードなのだ。
だから、それを見越して当初から対処法を考えておく必要がある。
相手を非難しても、何の効果もないからだ。
―――――――――――――――――――――――――――――
それでも、2日後も迎えに来るという言葉を信じて、大きな荷物を車のトランクに残した。
だが、当日になって、仕事で行けなくなったという連絡が入る。
困った。
2日分の着替え以外と必要な書類、道具を入れたままだったからだ。
仕事の関係でもしかしたら来れないかもしれないと分かっていいたなら、
大きなスーツケースも引き取っていたはずだ。
迎えに来るという言葉を信じて、預けてしまったのが間違いの元だった。
―――――――――――――――――――――――――――――
こういう時は素早い心の切り替えが必要だ。
常にAプラン、Bプラン、Cプランと最低3つは計画しておく。
この場合、送迎の車を諦めBプランのバスを乗り継いでいく方法を取らなければならない。
しかも、バッグを取りに寄り道をしなければ。
ちなみに、Cプランは空を飛んでいくことだ。
冗談はさておきプランBに従い、炎天下でローカルバスを待つ。
乗ると、物売りも一緒に乗ってくる。
バスの中は、共存共栄の社会なのだ。
車窓から眺めていると、地方の町のわりに歩道橋が多いことに気付く。
屋根があり、緑のプラントも施され南国を感じさせる。
こうした看板もある。
jaywalking とは、
when someone walks across a road at a place where it is dangerous to cross
危険な場所での横断のことだ。
歩道橋は、ここでは footbridge となっている。
a narrow bridge used by people who are walking
※ 看板による英語の勉強はとても有効だ。
旅先の市民の生活にじかに触れると、いろいろ考えさせられ、学ぶことが多い。
旅の途上で多くのアイデアが浮かぶ。
バッグも求めてミニバスとトライシクロを乗り継いでいく。
無事荷物を受け取り、改めてマニラへ向かう。
実はボクはこうした四苦八苦してたどり着く旅が好きだ。
余りに予定通りに、スムーズにいく旅は物足りなくてしょうがない。
人生も旅も、問題があった方が面白い。
もちろん、災害や事故はたまた事件に遭遇することも想定しておく。
旅先だけでなく日常においても然り。
夕刻も迫るころ、やっとマニラにたどり着く。
クッキー一枚で昼もまともに食べず、夕食にもやっとありつく。
Sinigang という煮込み料理は栄養があって美味い。
ここでまたハプニングが。
マニラビールを飲みすぎて、手持ちの現金が足りない。
コインを合わせても20ペソ(40円)不足なのだ。
荷物を残してATMを探すも、不発。
現金が出てこない。
おまけに回りは真っ暗で物騒この上ない。
もちろん銀行も開いていない。
この場は事情を話して明日持っていくことに。
(40円だからまけてくれるかと思いきや、それは甘かった)
そんなこんなで、移動とトホホの連続の一日だった。
ホテルの冷蔵庫の中のビールを飲んで、バタンキュウ。
これが旅の醍醐味だ。
昨日は消化不良だった乗馬を完結したいと火山へ。
どんよりとした天候の中トライスクルで港へ。
とその前に、婦人警官とツーショット。
ピストルを持った女は一層魅力的だ。
ボクも持ってるよ、って言ったら笑ってた。
I have my own pistle too.
こういうジョークが言えたら英会話も上級クラス。
で、火口湖の港へ。
ここはちょうど阿蘇のカルデラに当たる。
阿蘇市の代わりに湖が広がっている。
そしてその中央に3つの活火山がある。
阿蘇の五岳に当たるだろう。
湖のしぶきを受けながら15分ほどでメインの火山へ到着。
ペルーからボリビアへ渡ったチチカカ湖を思い出す。
そこで待っていたものは、数え切れないほどの馬、馬、馬。
約500頭がいるという。
馬を選んでいよいよ乗馬登山が始まる。
本格的山岳登山はネパールのポカラからアンナプルナ登山以来だ。
この島に住む住民の小さな集落を抜ける。
なだらかな斜面と急斜面が交互に道は続く。
狭い岩ばかりの道は、馬同士がすれ違うのもやっとだ。
40分ほどかかってやっと頂上へ。
馬もボクも汗びっしょり。
そこには、意外な女性(?)が待っていた。
ゴルフクラブを持って。
こんなところでオカマのタイガーウッズに出会うとは・・・。
山の頂から火口湖に向かって思いっきり打ちっ放すのだ。
湖がゴルフボールだらけになったらどうするのか、と聞くと、
ちゃんと定期的に回収しているとのことだった。
こうして無事乗馬登山は終わった。
気の毒なのは、馬だ。
毎日何往復するのかとガイドに聞いた。
週に3回だけだという。
つまり、週休4日にしないと馬がもたないのだ。
それも頷ける。
馬でしか登れない火口登山も乙なものだ。
世界遺産になってもおかしくないの所だ。
阿蘇も見習ってはどうだろうか。
どんよりとした天候の中トライスクルで港へ。
とその前に、婦人警官とツーショット。
ピストルを持った女は一層魅力的だ。
ボクも持ってるよ、って言ったら笑ってた。
I have my own pistle too.
こういうジョークが言えたら英会話も上級クラス。
で、火口湖の港へ。
ここはちょうど阿蘇のカルデラに当たる。
阿蘇市の代わりに湖が広がっている。
そしてその中央に3つの活火山がある。
阿蘇の五岳に当たるだろう。
湖のしぶきを受けながら15分ほどでメインの火山へ到着。
ペルーからボリビアへ渡ったチチカカ湖を思い出す。
そこで待っていたものは、数え切れないほどの馬、馬、馬。
約500頭がいるという。
馬を選んでいよいよ乗馬登山が始まる。
本格的山岳登山はネパールのポカラからアンナプルナ登山以来だ。
この島に住む住民の小さな集落を抜ける。
なだらかな斜面と急斜面が交互に道は続く。
狭い岩ばかりの道は、馬同士がすれ違うのもやっとだ。
40分ほどかかってやっと頂上へ。
馬もボクも汗びっしょり。
そこには、意外な女性(?)が待っていた。
ゴルフクラブを持って。
こんなところでオカマのタイガーウッズに出会うとは・・・。
山の頂から火口湖に向かって思いっきり打ちっ放すのだ。
湖がゴルフボールだらけになったらどうするのか、と聞くと、
ちゃんと定期的に回収しているとのことだった。
こうして無事乗馬登山は終わった。
気の毒なのは、馬だ。
毎日何往復するのかとガイドに聞いた。
週に3回だけだという。
つまり、週休4日にしないと馬がもたないのだ。
それも頷ける。
馬でしか登れない火口登山も乙なものだ。
世界遺産になってもおかしくないの所だ。
阿蘇も見習ってはどうだろうか。
マニラから南東へ約60キロ、
標高700メートルの火山地帯にある、タガイタイ。
避暑と風光明媚で知られる。
ここへ来た目的は主に二つ。
Dr.Fishがいると聞いてきたが、残念ながら現在は閉鎖されていた。
利用者が少ないという理由かららしい。
さて、もう一つの目的は、乗馬だ。
ボクの旅には、乗馬が付き物。
世界中の馬を乗り回すのがライフワークの一つ。
今回は、乗ったことがないというPauleenを乗せてやった。
後は思う存分(?)突っ走る。
Pouleenも楽しんでくれたようだ。
なぜかこんなところも。
百獣の王とのご対面。
乗馬に関しては、消化不良。
モット、自由に、モット速く走れるところを探さなくっちゃ。
標高700メートルの火山地帯にある、タガイタイ。
避暑と風光明媚で知られる。
ここへ来た目的は主に二つ。
Dr.Fishがいると聞いてきたが、残念ながら現在は閉鎖されていた。
利用者が少ないという理由かららしい。
さて、もう一つの目的は、乗馬だ。
ボクの旅には、乗馬が付き物。
世界中の馬を乗り回すのがライフワークの一つ。
今回は、乗ったことがないというPauleenを乗せてやった。
後は思う存分(?)突っ走る。
Pouleenも楽しんでくれたようだ。
なぜかこんなところも。
百獣の王とのご対面。
乗馬に関しては、消化不良。
モット、自由に、モット速く走れるところを探さなくっちゃ。