【色平哲郎氏からのご紹介】
192 人道的危機の地を支える「地球のお医者さん」
日経メディカル 2022年5月30日 色平哲郎
あらゆる戦争は、最悪の人権侵害であり、生命を尊重することを使命とする医療者にとって、最大の「敵」であろう。
大学の先輩医師で、NPO法人カレーズの会理事長のレシャード・カレッド先生が、日本文化厚生農業協同組合連合会が発行している『文化連情報』という雑誌で「アフガニスタンからみた世界と日本」というコラムを連載中だ。2022年5月号では、ロシアのウクライナ侵攻への憤りと、一刻も早い和平への思いを記している。
一方で、長い間、戦乱が続いたうえに大干ばつで500万人もの子どもが飢餓に直面する祖国アフガニスタンへの、国際社会の「無関心さ」にも言及。アイルランドの国会議員クレア・デイリー氏の「欧州議会」での演説を引用している。その内容は、レシャード先生の胸の内を代弁しているかのようだ。少し長くなるが、大切なことに気づかせてくれるスピーチなので孫引きをお許しいただきたい。
「現在私たちが壊滅的な危機に直面していることは間違いありません。
支配者による戦争によって、罪のない民間人の命が犠牲になっています。しかし、ウクライナだけではないのです。前回の総会以降、何万人ものアフガニスタン国民が、食料と安全を求めて避難することを余儀なくされています。
500万人の子どもたちが飢餓に直面し、苦しく辛い死を迎えています。
児童婚が500%増加し、生き残るために売られている子どもたちが増加しています。この場 (欧州議会)では、そのことには一切触れないのです。この国でも、どの国でもです。
ありとあらゆるテレビ放送や緊急人道支援も全く触れませんし、特別総会もなければ、この欧州議会総会の話題に上がることもありません。
(中略)
彼らは、自分たちの人道的危機が、なぜそれほど重要でないのか不思議に思っているに違いありません。
皮膚の色が問題なのですか?
白人ではないから?西洋人ではないからですか?
彼らの問題はアメリカからの武器と侵略が原因だからですか?
彼らの国の富を奪う決断をしたのは専制的なアメリカ大統領だからですか?
専制的なロシア大統領ではないからですか?
(中略)
すべての戦争は悪であり、すべての犠牲者は支援に値します」
このように「すべての戦争は悪」と断じるところからしか、人道は浮上してこない。
住民の生活を守り育てる「地域復興モデル」
昨年8月、アフガニスタンから米軍が撤退し、タリバン政権が復活した。国際社会は、タリバンの女性の権利侵害などを理由に経済制裁を行っている。アフガニスタン経済は悪化の一途をたどり、人道的危機に歯止めが利かない。
そうした中、レシャード先生の「カレーズの会」は、アフガニスタン南部のカンダハル診療所の現地活動を継続している。カンダハル診療所は、市域の東にあるため、昨年夏の激しい戦闘に巻き込まれなかった。国外退避を希望する職員も出ず、医療活動が続けられている。
昨年9月上旬には、タリバンの州政府調査団がカンダハル診療所を訪ねてきた。
調査団は診療所の活動内容を確認し、女性スタッフによる「夜間出産」についても熱心に聞き取ったという。その結果、「今まで通りの活動を継続してよい」と承認された、とレシャード先生は「カレーズの会」のウェブサイトで報告している(外部リンク)。
https://www.karez.org
タリバン政権であれ、人命の尊重は当然なのだろう。
現在アフガニスタンの病院や学校などの公的機関、民間ビジネス、NGO団体などの預金口座は凍結されている。
「カレーズの会」も現地職員の給与や医療品、検査消耗品などの支払いが困難な中で、「無償の医療サービス」を継続中だ。その実践力に頭が下がる。
アフガニスタンといえば、故・中村哲先生が立ち上げた「ペシャワール会」も、現地で重厚な活動を続けている(ペシャワール会ウェブサイト)。
http://www.peshawar-pms.com/index.html
アフガニスタン東部ナンガルハル州の山間部にあるダラエヌール診療所では、昨年8月の米軍撤退時期に現地の医師や看護師、薬剤師ら14人が数日間、自宅待機したが、戦闘や混乱は起きず、住民の要望を受け、診療を再開したという。
2019年末に中村先生が凶弾に倒れてからも、ペシャワール会は活動全体を継続している。
中村先生が「地球のお医者さん」として、大干ばつに立ち向かうために起工した用水路は、約27kmにも及び、広大な砂漠を緑地に変えた。農場では穀類、野菜、果樹の栽培や畜産などが営まれ、65万人の農民の生活を守り育てる「地域復興モデル」として注目 されている。
医療の視点から生命を守ろうとすれば、「地球のお医者さん」の活動領域は無限に広がるといえるだろう。
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「全く逆です。命を守るどころか、かえって危険です。私は逃げます」中村哲医師
◆自衛隊来るほうが危険(2014年5月16日 西日本新聞)
アフガンで人道支援 ペシャワール会 中村哲氏
アフガニスタンで医療活動や灌漑水利事業などの人道支援を30年間続けている非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表中村哲氏(67)=写真=は15日、西日本新聞の電話取材に応じ、集団的自衛権が行使された場合、安倍晋三首相の主張とは逆に、海外で邦人が危険に巻き込まれる可能性が高まることを指摘。憲法9条の存在が国際社会での日本の立場を高めていることを強調した。
アフガニスタン人にとって、日本は軍事行動に消極的な国だと思われています。一言で言うと敵意のない国。これは自衛隊の行動を縛ってきた憲法9条の威力です。
アフガニスタン人も、日本には他国の戦争に加担しないという「掟」があることを知っています。
アフガニスタンで活動する中で、米軍のヘリコプターに撃たれそうになったり、米軍に対する反政府側の攻撃に巻き込まれそうになったりしたことはありますが、日本人だからという理由で標的にされたことはありません。この「掟」があるからです。
今、活動拠点のアフガニスタン東部のジャララバードには私以外、外国人はいません。大勢いた欧米の人は逃げ出しました。米同時多発テロの後、米国を中心とする多国籍軍が集団的自衛権を行使し、軍服を着た人々がやって来てから、軍事行動に対する報復が激しくなり、国内の治安は過去最悪の状況です。
アフガニスタン人は多くの命を奪った米国を憎んでいます。日本が米国に加担することになれば、私はここで命を失いかねません。安倍首相は記者会見で「(現状では)海外で活動するボランティアが襲われても、自衛隊は彼らを救うことはできない」と言ったそうですが、全く逆です。命を守るどころか、かえって危険です。私は逃げます。
9条は数百万人の日本人が血を流し、犠牲になって得た大いなる日本の遺産です。大切にしないと、亡くなった人たちが浮かばれません。9条に守られていたからこそ、私たちの活動も続けてこられたのです。私たちは冷静に考え直さなければなりません。
==
日本は今、米国本位の中国排除と対中戦の最前線に立たされつつある。軍事面でも経済面でも。もし対中国戦が勃発すれば戦火にさらされるのは米国ではない。日本の国民と国土である。中国の徹底排除で経済に破壊的ダメージを与えられるのは米国ではない。日本の経済と企業である。日本国民は、日本が米国の「踏み台」・「捨て駒」にされつつある現実を見抜き、今、何としても日本の中立・平和と経済、そして国民の命を守らねばならない。
坂本雅子「米国の対中国・軍事・経済戦の最前線に立つ日本」
「経済」6月号
==
「カリスマ」を支え続けた功労者が遺したもの
10月11日午後、私が勤める佐久総合病院の松島松翠(しょうすい)名誉院長が、92歳の天寿をまっとうされた。世間的には佐久病院といえば、終戦直前に赴任した若月俊一名誉総長(1910-2006)が「農民とともに」のスローガンを掲げて地域に密着した医療を展開し、住民の支持を受けて地方では稀有な大病院に育てたことで知られている。
確かにその通りではあるが、若月先生の理念を実体化したのは松島先生だった。本田技研工業を創業した本田宗一郎氏に藤沢武夫氏という名参謀がいたように、佐久病院も若月先生のカリスマを支える松島先生がいて発展を遂げることができたのだ。
松島先生は、若月先生の指示を単にそのまま受けるのでなく、現実に落とし込んで、少しずつ実現させていった。松島先生は温厚な性格で知られるが、時に若月先生に直言し、言い返すこともあった。そして周囲や部下をかばったりもした……。このあたり、必ずしも一般には伝わっていない。
松島先生は1928年生まれで、東京大学医学部卒業後の1954年、佐久病院に就職した。当初は外科医で、後に健康管理部門に転じた。1960年に健康管理部長に就任。住民と一緒になって健康づくりを進める旧南佐久郡八千穂村(現、佐久穂町)での「全村健康管理」や、長野県内全域で巡回健診を行う「集団健康スクリーニング」などを積極的に進める。文字通り「予防は治療にまさる」を牽引し、農村での病気の予防、早期発見、早期治療の仕組みを確立した。
いつも笑顔の松島先生は、行政の保健師たちと仲良しだった。彼女たちの(彼女たちを経由して住民から届く)提言、さらには苦言や批判を素直に聞き入れて病院づくりに反映する度量があり、この点が際だっていた。1978年から15年間、南佐久郡八千穂村(当時)で衛生指導員を務めた若月賞受賞者・高見沢佳秀さん(79)は、松島先生が亡くなったことを受けた信濃毎日新聞の取材に対し「上から押しつけず、同じ目線で住民の話を聞いてくれた」とコメントしている(10月16日朝刊)。
亡くなる直前、松島先生は「季刊佐久病院41号」(2020年秋号)に載せる「漫画になった吉野源三郎」という原稿の加筆、修正をされていた。以前、一度、執筆した原稿だったが、その中で『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎について触れながら佐久病院の「社会科学的認識」の弱まりを指摘し、克服しなくてはならないと説いていた。社会科学的認識とは、地域の実情や歴史、人と人との関係、経済状況の変化など、医療を取り巻く様々な要因をしっかり把握しておくこと、といえようか。松島先生らしい原稿なので、一部、引用しておきたい。
「現在の働き方改革からすれば、異論を唱える人がいるかもしれないが、『社会科学的認識』を深めていくには、まず地域をよく知ることだと私は思う。病院の中に閉じこもっているだけでは、地域は分からない。地域へ出て地域がどのような社会的問題点を抱えているのか見極めることだ。そのなかで、地域の人たちと心が通じ合う仲間になることがすべての始まりである」
住民と病院との心理的距離を縮める
時に松島先生は、佐久病院の演劇活動の中でアコーディオンを奏で、若月先生が書いた詞に曲をつけた。住民の前で芝居を演じる「文化活動」で公衆衛生への意識を高め、住民と病院との心理的距離を縮めた。そうした地道な実践の上に、現在の佐久病院はある。
私自身は、1995年の夏、若月先生と松島先生のお2人に東京・本郷の東京大学医学部の山上会館で講演いただいたときのことが忘れられない。
数カ月かけて準備をした。東大医学部国際保健計画学教室の教授の招きで、2人は母校の演壇に立った。若月先生がほとんどの時間を使ってお話をされたが、「私の3つのアピール(「予防は治療にまさる」「農民とともに」「学問を討論の中から」)を、現実にして見せてくれたのは、この松島院長(当時)なんだよ」とおっしゃ
って紹介されたのが印象的だった。
俳優で、反戦・脱原発の活動にも力を注いだ菅原文太氏が、2014年に亡くなる直前の講演で松島先生編著の『現代に生きる若月俊一のことば』を聴衆に向かって何度も掲げ、地域に根付く医療の大切さを強調していたことも思い出す。
戦争をくぐり抜け、戦後日本の礎を築いた人がどんどん少なくなっていく。合掌。
2020/11/30 日経メディカル 色平 哲郎(佐久総合病院)
192 人道的危機の地を支える「地球のお医者さん」
日経メディカル 2022年5月30日 色平哲郎
あらゆる戦争は、最悪の人権侵害であり、生命を尊重することを使命とする医療者にとって、最大の「敵」であろう。
大学の先輩医師で、NPO法人カレーズの会理事長のレシャード・カレッド先生が、日本文化厚生農業協同組合連合会が発行している『文化連情報』という雑誌で「アフガニスタンからみた世界と日本」というコラムを連載中だ。2022年5月号では、ロシアのウクライナ侵攻への憤りと、一刻も早い和平への思いを記している。
一方で、長い間、戦乱が続いたうえに大干ばつで500万人もの子どもが飢餓に直面する祖国アフガニスタンへの、国際社会の「無関心さ」にも言及。アイルランドの国会議員クレア・デイリー氏の「欧州議会」での演説を引用している。その内容は、レシャード先生の胸の内を代弁しているかのようだ。少し長くなるが、大切なことに気づかせてくれるスピーチなので孫引きをお許しいただきたい。
「現在私たちが壊滅的な危機に直面していることは間違いありません。
支配者による戦争によって、罪のない民間人の命が犠牲になっています。しかし、ウクライナだけではないのです。前回の総会以降、何万人ものアフガニスタン国民が、食料と安全を求めて避難することを余儀なくされています。
500万人の子どもたちが飢餓に直面し、苦しく辛い死を迎えています。
児童婚が500%増加し、生き残るために売られている子どもたちが増加しています。この場 (欧州議会)では、そのことには一切触れないのです。この国でも、どの国でもです。
ありとあらゆるテレビ放送や緊急人道支援も全く触れませんし、特別総会もなければ、この欧州議会総会の話題に上がることもありません。
(中略)
彼らは、自分たちの人道的危機が、なぜそれほど重要でないのか不思議に思っているに違いありません。
皮膚の色が問題なのですか?
白人ではないから?西洋人ではないからですか?
彼らの問題はアメリカからの武器と侵略が原因だからですか?
彼らの国の富を奪う決断をしたのは専制的なアメリカ大統領だからですか?
専制的なロシア大統領ではないからですか?
(中略)
すべての戦争は悪であり、すべての犠牲者は支援に値します」
このように「すべての戦争は悪」と断じるところからしか、人道は浮上してこない。
住民の生活を守り育てる「地域復興モデル」
昨年8月、アフガニスタンから米軍が撤退し、タリバン政権が復活した。国際社会は、タリバンの女性の権利侵害などを理由に経済制裁を行っている。アフガニスタン経済は悪化の一途をたどり、人道的危機に歯止めが利かない。
そうした中、レシャード先生の「カレーズの会」は、アフガニスタン南部のカンダハル診療所の現地活動を継続している。カンダハル診療所は、市域の東にあるため、昨年夏の激しい戦闘に巻き込まれなかった。国外退避を希望する職員も出ず、医療活動が続けられている。
昨年9月上旬には、タリバンの州政府調査団がカンダハル診療所を訪ねてきた。
調査団は診療所の活動内容を確認し、女性スタッフによる「夜間出産」についても熱心に聞き取ったという。その結果、「今まで通りの活動を継続してよい」と承認された、とレシャード先生は「カレーズの会」のウェブサイトで報告している(外部リンク)。
https://www.karez.org
タリバン政権であれ、人命の尊重は当然なのだろう。
現在アフガニスタンの病院や学校などの公的機関、民間ビジネス、NGO団体などの預金口座は凍結されている。
「カレーズの会」も現地職員の給与や医療品、検査消耗品などの支払いが困難な中で、「無償の医療サービス」を継続中だ。その実践力に頭が下がる。
アフガニスタンといえば、故・中村哲先生が立ち上げた「ペシャワール会」も、現地で重厚な活動を続けている(ペシャワール会ウェブサイト)。
http://www.peshawar-pms.com/index.html
アフガニスタン東部ナンガルハル州の山間部にあるダラエヌール診療所では、昨年8月の米軍撤退時期に現地の医師や看護師、薬剤師ら14人が数日間、自宅待機したが、戦闘や混乱は起きず、住民の要望を受け、診療を再開したという。
2019年末に中村先生が凶弾に倒れてからも、ペシャワール会は活動全体を継続している。
中村先生が「地球のお医者さん」として、大干ばつに立ち向かうために起工した用水路は、約27kmにも及び、広大な砂漠を緑地に変えた。農場では穀類、野菜、果樹の栽培や畜産などが営まれ、65万人の農民の生活を守り育てる「地域復興モデル」として注目 されている。
医療の視点から生命を守ろうとすれば、「地球のお医者さん」の活動領域は無限に広がるといえるだろう。
==
「全く逆です。命を守るどころか、かえって危険です。私は逃げます」中村哲医師
◆自衛隊来るほうが危険(2014年5月16日 西日本新聞)
アフガンで人道支援 ペシャワール会 中村哲氏
アフガニスタンで医療活動や灌漑水利事業などの人道支援を30年間続けている非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表中村哲氏(67)=写真=は15日、西日本新聞の電話取材に応じ、集団的自衛権が行使された場合、安倍晋三首相の主張とは逆に、海外で邦人が危険に巻き込まれる可能性が高まることを指摘。憲法9条の存在が国際社会での日本の立場を高めていることを強調した。
アフガニスタン人にとって、日本は軍事行動に消極的な国だと思われています。一言で言うと敵意のない国。これは自衛隊の行動を縛ってきた憲法9条の威力です。
アフガニスタン人も、日本には他国の戦争に加担しないという「掟」があることを知っています。
アフガニスタンで活動する中で、米軍のヘリコプターに撃たれそうになったり、米軍に対する反政府側の攻撃に巻き込まれそうになったりしたことはありますが、日本人だからという理由で標的にされたことはありません。この「掟」があるからです。
今、活動拠点のアフガニスタン東部のジャララバードには私以外、外国人はいません。大勢いた欧米の人は逃げ出しました。米同時多発テロの後、米国を中心とする多国籍軍が集団的自衛権を行使し、軍服を着た人々がやって来てから、軍事行動に対する報復が激しくなり、国内の治安は過去最悪の状況です。
アフガニスタン人は多くの命を奪った米国を憎んでいます。日本が米国に加担することになれば、私はここで命を失いかねません。安倍首相は記者会見で「(現状では)海外で活動するボランティアが襲われても、自衛隊は彼らを救うことはできない」と言ったそうですが、全く逆です。命を守るどころか、かえって危険です。私は逃げます。
9条は数百万人の日本人が血を流し、犠牲になって得た大いなる日本の遺産です。大切にしないと、亡くなった人たちが浮かばれません。9条に守られていたからこそ、私たちの活動も続けてこられたのです。私たちは冷静に考え直さなければなりません。
==
日本は今、米国本位の中国排除と対中戦の最前線に立たされつつある。軍事面でも経済面でも。もし対中国戦が勃発すれば戦火にさらされるのは米国ではない。日本の国民と国土である。中国の徹底排除で経済に破壊的ダメージを与えられるのは米国ではない。日本の経済と企業である。日本国民は、日本が米国の「踏み台」・「捨て駒」にされつつある現実を見抜き、今、何としても日本の中立・平和と経済、そして国民の命を守らねばならない。
坂本雅子「米国の対中国・軍事・経済戦の最前線に立つ日本」
「経済」6月号
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「カリスマ」を支え続けた功労者が遺したもの
10月11日午後、私が勤める佐久総合病院の松島松翠(しょうすい)名誉院長が、92歳の天寿をまっとうされた。世間的には佐久病院といえば、終戦直前に赴任した若月俊一名誉総長(1910-2006)が「農民とともに」のスローガンを掲げて地域に密着した医療を展開し、住民の支持を受けて地方では稀有な大病院に育てたことで知られている。
確かにその通りではあるが、若月先生の理念を実体化したのは松島先生だった。本田技研工業を創業した本田宗一郎氏に藤沢武夫氏という名参謀がいたように、佐久病院も若月先生のカリスマを支える松島先生がいて発展を遂げることができたのだ。
松島先生は、若月先生の指示を単にそのまま受けるのでなく、現実に落とし込んで、少しずつ実現させていった。松島先生は温厚な性格で知られるが、時に若月先生に直言し、言い返すこともあった。そして周囲や部下をかばったりもした……。このあたり、必ずしも一般には伝わっていない。
松島先生は1928年生まれで、東京大学医学部卒業後の1954年、佐久病院に就職した。当初は外科医で、後に健康管理部門に転じた。1960年に健康管理部長に就任。住民と一緒になって健康づくりを進める旧南佐久郡八千穂村(現、佐久穂町)での「全村健康管理」や、長野県内全域で巡回健診を行う「集団健康スクリーニング」などを積極的に進める。文字通り「予防は治療にまさる」を牽引し、農村での病気の予防、早期発見、早期治療の仕組みを確立した。
いつも笑顔の松島先生は、行政の保健師たちと仲良しだった。彼女たちの(彼女たちを経由して住民から届く)提言、さらには苦言や批判を素直に聞き入れて病院づくりに反映する度量があり、この点が際だっていた。1978年から15年間、南佐久郡八千穂村(当時)で衛生指導員を務めた若月賞受賞者・高見沢佳秀さん(79)は、松島先生が亡くなったことを受けた信濃毎日新聞の取材に対し「上から押しつけず、同じ目線で住民の話を聞いてくれた」とコメントしている(10月16日朝刊)。
亡くなる直前、松島先生は「季刊佐久病院41号」(2020年秋号)に載せる「漫画になった吉野源三郎」という原稿の加筆、修正をされていた。以前、一度、執筆した原稿だったが、その中で『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎について触れながら佐久病院の「社会科学的認識」の弱まりを指摘し、克服しなくてはならないと説いていた。社会科学的認識とは、地域の実情や歴史、人と人との関係、経済状況の変化など、医療を取り巻く様々な要因をしっかり把握しておくこと、といえようか。松島先生らしい原稿なので、一部、引用しておきたい。
「現在の働き方改革からすれば、異論を唱える人がいるかもしれないが、『社会科学的認識』を深めていくには、まず地域をよく知ることだと私は思う。病院の中に閉じこもっているだけでは、地域は分からない。地域へ出て地域がどのような社会的問題点を抱えているのか見極めることだ。そのなかで、地域の人たちと心が通じ合う仲間になることがすべての始まりである」
住民と病院との心理的距離を縮める
時に松島先生は、佐久病院の演劇活動の中でアコーディオンを奏で、若月先生が書いた詞に曲をつけた。住民の前で芝居を演じる「文化活動」で公衆衛生への意識を高め、住民と病院との心理的距離を縮めた。そうした地道な実践の上に、現在の佐久病院はある。
私自身は、1995年の夏、若月先生と松島先生のお2人に東京・本郷の東京大学医学部の山上会館で講演いただいたときのことが忘れられない。
数カ月かけて準備をした。東大医学部国際保健計画学教室の教授の招きで、2人は母校の演壇に立った。若月先生がほとんどの時間を使ってお話をされたが、「私の3つのアピール(「予防は治療にまさる」「農民とともに」「学問を討論の中から」)を、現実にして見せてくれたのは、この松島院長(当時)なんだよ」とおっしゃ
って紹介されたのが印象的だった。
俳優で、反戦・脱原発の活動にも力を注いだ菅原文太氏が、2014年に亡くなる直前の講演で松島先生編著の『現代に生きる若月俊一のことば』を聴衆に向かって何度も掲げ、地域に根付く医療の大切さを強調していたことも思い出す。
戦争をくぐり抜け、戦後日本の礎を築いた人がどんどん少なくなっていく。合掌。
2020/11/30 日経メディカル 色平 哲郎(佐久総合病院)