【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

横井久美子、笠木透ジョイントコンサートで戦時的状況を撃つ

2014-07-12 14:51:57 | 社会・政治思想・歴史

横井久美子、笠木透ジョイントコンサートで戦時的状況を撃つ

櫻井智志


 最近東京新聞が、官邸前抗議活動に持続して参加してはひとりでギター一本で歌い続けるようすを伝えた。その記事でコンサートのことを知った。すぐ電話してコンサートチケットを購入してから、心待ちにしていた。

 七月十一日、国分寺市立いずみホールは、事前に予約券は完売で、会場もすべて埋まった。笠木さんは、中津川労音の事務局長として伝説の中津川フォークジャンボリー3年間の主宰者だった。ベトナムがアメリカを破り、世界史的勝利をとげた1972年4月でベトナム戦争は終わった。学生達の大学闘争は、東大安田講堂に籠城した学生達を強制排除し、浅間山荘に管理人を人質ととり閉じこもった連合赤軍が機動隊によって排除され、仲間同士の悲惨な殺人事件が世間を驚かせた。一気に「政治闘争の冬の時代」へと入って行った。フォークソングが商業主義によって変質し、人々はフォーク歌謡を好んだ。
 しかし、笠木透は故郷の中津川でフィールドフォークを始めて、我夢土下座を率いて自分たちで歌をつくり歌い川で遊び火をおこしキャンプに集った。高石ともやとナターシャーセブン、宇崎竜童、もんたよしのり、横井久美子などフォークの心を大切にする人々が集まった。
 笠木透は、「フォークス」を結成して、本格的なコンサート活動をはじめた。北山修、安達元彦・岡田京子夫妻、高石ともやらがステージで笠木をもり立てた。
 横井久美子は、全国津々浦々をコンサートし続ける一方、音楽の幅を広げて、一般のレコード店で扱うような人々の情感に訴える恋愛の歌などもこなした。アイルランドに何度も留学してその成果は横井久美子の名前を国際的に知らしめた。東欧のフォークソングを集めてコンサートを草月ホールで開き筑紫哲也さんがゲストで参加したこともあった。
 笠木も横井も全国の民衆に歌を伝え続けた。
当日、横井は
①平和に生きる権利②「Love me tender~原発なんていらない」(忌野清志郎の「なにいってんだあ」に匹敵する替え歌)③戦争入門④聖なる父は何というだろう④アジンボナンガ⑤私の愛した街
を歌った。
笠木は二人の雑花塾メンバーといっしょに
①スミレの花②われここにあり③ゲンパツストライキ節④水に流すなアンサー⑤福島の海よ
を熱唱した。
 二人の歌のあいまのMCは、時代をみつめ、日本の政治のひどさを憂い、それでも楽観的な広い心を堅持していた。会場は拍手や手拍子、シングアウトなど活発に応じた。
横井、笠木の二人が
①我が大地の歌②私の子ども達へ③私に人生といえるものがあるなら④おいで一緒に
をジョイントした。

 横井さんはこう語った。
「私は極端な言い方でいうが、いまが戦時中と感じる。広島に原爆が投下された時多くのひとはそんなことがなかったと想う人々が多数いた。長崎に核投下されたときも。福島で原発事故が起きても、知らないことのほうが多い。知らされていないことが多い。私たちが、何気ない毎日の現在に何が起きているかを知らされないまま、戦争準備なんて全く気がつかぬまま過ぎていく。」
 笠木さんもこう語った。
「日本には水に流すことがよいとする風潮がある。しかし福島の原発事故で、東電や政府はいまも汚染水を海に流し続けている。海は世界中につながっている。水に流してはならない。福島のひとや世界中のひとたちにすくないと恥じなければ。」と。

 音楽は政治的プロパガンダにしてはならない。少なくとも横井さんと笠木さんは、歌の力そのもので聴衆を感動で包んでくれた。
芸術が政治を訴えた時、それは感動的なメッセージとして伝わる。しかし、音楽そのもののひとの心の琴線に触れる厳しいアピールのみが、政治そのものへの志向を変革していく。
 横井さんをはじめて聴いたのは、国立市の駅近くの薬局の三階を集会所としたホールで開かれ続けた「おいで一緒にinくにたち」ライブだった。初回から感動した私は、その後も聞きにいった。そこでシングアウトを覚えた「わが大地の歌」の作詞者が笠木透さんと知り、フォークスを結成した頃に何回かコンサートを聴きに行った。横井さんのコンサートも草月ホールやかつてのよみうりホールなどに通った。その後、仕事に追われて聞きにいく余裕がなかったが、久しぶりのコンサート視聴だった。30年近く見ることもなかった横井さんは、驚くほど輝いていた。「嫗(おうな)ざかり」という言葉をパンフで使われていたが、まさにひとはどうしいう生き方をすればこのように美しく輝くことができるのかと想った。つくられたタレントとは異質なことば、身のこなし、語り口に、現代に戦争を阻止してひととひとの温もりを取り戻そうとする音楽家としての姿勢が感じられた。
 笠木透さんは、関西の重鎮うたごえ運動フォークソング運動のすずききよしさんにも似ていた。筋肉がおちてしまって・・・と明るく語る笠木さんはここ数日の台風の激しさのなか、岐阜から東京までつらい痛みの中を駆けつけてコンサートに臨んだ。ステッキをもちながら、歌いながらも痛みをこらえて歌い続けた。笠木さんの歌を最もよく伝えているのが横井さんだ。二人のジョイントは、はじめてのコンサートであるが、素晴らしいコンサートだった。
 いま護憲平和の運動は、厳しい情勢のもとでも戦い続ける人々のおかげで、脈々と続いている。その運動を、音楽そのものがもつ感動的な表現力で伝えてくれる笠木透、横井久美子に感謝し、二人の今後のご多幸を願う。
櫻井智志


 最近東京新聞が、官邸前抗議活動に持続して参加してはひとりでギター一本で歌い続けるようすを伝えた。その記事でコンサートのことを知った。すぐ電話してコンサートチケットを購入してから、心待ちにしていた。

 七月十一日、国分寺市立いずみホールは、事前に予約券は完売で、会場もすべて埋まった。笠木さんは、中津川労音の事務局長として伝説の中津川フォークジャンボリー3年間の主宰者だった。ベトナムがアメリカを破り、世界史的勝利をとげた1972年4月でベトナム戦争は終わった。学生達の大学闘争は、東大安田講堂に籠城した学生達を強制排除し、浅間山荘に管理人を人質ととり閉じこもった連合赤軍が機動隊によって排除され、仲間同士の悲惨な殺人事件が世間を驚かせた。一気に「政治闘争の冬の時代」へと入って行った。フォークソングが商業主義によって変質し、人々はフォーク歌謡を好んだ。
 しかし、笠木透は故郷の中津川でフィールドフォークを始めて、我夢土下座を率いて自分たちで歌をつくり歌い川で遊び火をおこしキャンプに集った。高石ともやとナターシャーセブン、宇崎竜童、もんたよしのり、横井久美子などフォークの心を大切にする人々が集まった。
 笠木透は、「フォークス」を結成して、本格的なコンサート活動をはじめた。北山修、安達元彦・岡田京子夫妻、高石ともやらがステージで笠木をもり立てた。
 横井久美子は、全国津々浦々をコンサートし続ける一方、音楽の幅を広げて、一般のレコード店で扱うような人々の情感に訴える恋愛の歌などもこなした。アイルランドに何度も留学してその成果は横井久美子の名前を国際的に知らしめた。東欧のフォークソングを集めてコンサートを草月ホールで開き筑紫哲也さんがゲストで参加したこともあった。
 笠木も横井も全国の民衆に歌を伝え続けた。
当日、横井は
①平和に生きる権利②「Love me tender~原発なんていらない」(忌野清志郎の「なにいってんだあ」に匹敵する替え歌)③戦争入門④聖なる父は何というだろう④アジンボナンガ⑤私の愛した街
を歌った。
笠木は二人の雑花塾メンバーといっしょに
①スミレの花②われここにあり③ゲンパツストライキ節④水に流すなアンサー⑤福島の海よ
を熱唱した。
 二人の歌のあいまのMCは、時代をみつめ、日本の政治のひどさを憂い、それでも楽観的な広い心を堅持していた。会場は拍手や手拍子、シングアウトなど活発に応じた。
横井、笠木の二人が
①我が大地の歌②私の子ども達へ③私に人生といえるものがあるなら④おいで一緒に
をジョイントした。

 横井さんはこう語った。
「私は極端な言い方でいうが、いまが戦時中と感じる。広島に原爆が投下された時多くのひとはそんなことがなかったと想う人々が多数いた。長崎に核投下されたときも。福島で原発事故が起きても、知らないことのほうが多い。知らされていないことが多い。私たちが、何気ない毎日の現在に何が起きているかを知らされないまま、戦争準備なんて全く気がつかぬまま過ぎていく。」
 笠木さんもこう語った。
「日本には水に流すことがよいとする風潮がある。しかし福島の原発事故で、東電や政府はいまも汚染水を海に流し続けている。海は世界中につながっている。水に流してはならない。福島のひとや世界中のひとたちにすくないと恥じなければ。」と。

 音楽は政治的プロパガンダにしてはならない。少なくとも横井さんと笠木さんは、歌の力そのもので聴衆を感動で包んでくれた。
芸術が政治を訴えた時、それは感動的なメッセージとして伝わる。しかし、音楽そのもののひとの心の琴線に触れる厳しいアピールのみが、政治そのものへの志向を変革していく。
 横井さんをはじめて聴いたのは、国立市の駅近くの薬局の三階を集会所としたホールで開かれ続けた「おいで一緒にinくにたち」ライブだった。初回から感動した私は、その後も聞きにいった。そこでシングアウトを覚えた「わが大地の歌」の作詞者が笠木透さんと知り、フォークスを結成した頃に何回かコンサートを聴きに行った。横井さんのコンサートも草月ホールやかつてのよみうりホールなどに通った。その後、仕事に追われて聞きにいく余裕がなかったが、久しぶりのコンサート視聴だった。30年近く見ることもなかった横井さんは、驚くほど輝いていた。「嫗(おうな)ざかり」という言葉をパンフで使われていたが、まさにひとはどうしいう生き方をすればこのように美しく輝くことができるのかと想った。つくられたタレントとは異質なことば、身のこなし、語り口に、現代に戦争を阻止してひととひとの温もりを取り戻そうとする音楽家としての姿勢が感じられた。
 笠木透さんは、関西の重鎮うたごえ運動フォークソング運動のすずききよしさんにも似ていた。筋肉がおちてしまって・・・と明るく語る笠木さんはここ数日の台風の激しさのなか、岐阜から東京までつらい痛みの中を駆けつけてコンサートに臨んだ。ステッキをもちながら、歌いながらも痛みをこらえて歌い続けた。笠木さんの歌を最もよく伝えているのが横井さんだ。二人のジョイントは、はじめてのコンサートであるが、素晴らしいコンサートだった。
 いま護憲平和の運動は、厳しい情勢のもとでも戦い続ける人々のおかげで、脈々と続いている。その運動を、音楽そのものがもつ感動的な表現力で伝えてくれる笠木透、横井久美子に感謝し、二人の今後のご多幸を願う。

孫崎享氏   「選挙の集計不正問題をもっと真剣に考察すべき」に対するフォロアー反応

2014-07-06 19:04:31 | 社会・政治思想・歴史

2014-07-06 08:27 孫崎享のつぶやき


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「選挙の集計不正問題をもっと真剣に考察すべき」のブログに下記コメントがありました。
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不正選挙は、高松市選管事務局長等3名の逮捕で、初めて組織的な”票操作”の実態が明らかになりました。
これは、不正選挙犯罪のほんの”氷山の一角”と思われます。
”ムサシ型選挙システム”導入で、候補者選別、振り分け、集計が、機械によって高速になされ、事実上人の眼から隔離されたことで、不正選挙が容易になりました。
事務局職員は、機械処理の後処理と整理だけに追われ、選挙作業本来の候補者選別・振り分け、集計、点検はまともにやれていません。
立会人も、高速で処理される”ムサシ型選挙システム”と”集計機”から離れた場所で、機械の運用・操作員(民間受託者)と周辺で機械処理のために、入力用”投票用紙”と”出力投票用紙”の整理(束つくりと検票)を行う事務局員を眺めているだけです。
定食並に、「ちゃんと公正に投票・開票作業が行われました」と言う署名をするだけで、実際のチェックは全く出来ていないのです。
このような、不正選挙を生み出せる”環境”の最大の原因は、じつは投票用紙にそのカラクリはありました。
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私の元々のブログは次の者です。
民主主義の根本は国民の投票にある。
 選挙に関する一般国民の判断は次のようになっているであろう。
選挙期間中、候補者の中には選挙に勝つために手段を択ばない候補者、政党がいる。しかし、投票の集計には不正はない。
投票の開票・集計の段階での不正は発展途上国で行われるもので、先進国で発生するとは誰も考えてこなかった。
 この問題が浮上したのは2000年の米国大統領選挙で、ブッシュ・ゴア両候補の大接戦が続き、フロリダ州の投票に左右される状況で、集計に不正があったのでないか、特に票の読みとり機に不正の操作が可能であるのでないかとの疑惑がもたれた。
 日本国内では集計に関する疑惑が正面から論じられたことはない。
 ただ、個々を見ていくと、候補者Aの得票束の一番上と下に候補者Bの評を乗せ、この候補者Aの票が候補者Bのものとされる事例は発生している。
 こうした中、次の事例が発生した。
6月25日毎日新聞は「公選法違反容疑:白票300票水増しの高松市選管職員逮捕」の標題の下、次を報じた。
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昨年7月に実施された参院選の開票の際、白票を約300票水増ししたとして、高松地検特別刑事部は25日、前高松市選管事務局長で開票管理者代理だった山地容疑者ら3人を公職選挙法違反(投票増減)容疑で逮捕した。この選挙を巡っては、全国で20万票以上を集めて当選した自民候補の得票が同市では「0票」となるなど開票作業に疑問が出されており、地検はこの経緯とも関連があるとみて捜査している。
他に逮捕されたのは、開票作業時に得票計算係の責任者だった元市税務部長で団体職員の大嶋康民と、得票計算係の主任だった市消防局次長の山下光の両容疑者。
 逮捕容疑は昨年7月21日に高松市の体育館であった参院比例代表の開票作業の際、3人で共謀し、集計入力が済んでいる白票を、事情を知らない集計入力担当者に手渡して再度集計、入力させるなどして白紙投票を約300票増加させた、とされる。関係者によると、3人は白票をまとめた束に付けるバーコードを張り替え、二重集計の発覚を免れていた、という。地検は25日までに、市選管を捜索し、パソコンや投票用紙などを押収した。
 (この地域で得票ゼロとされた)衛藤首相補佐官は毎日新聞の取材に対し、「選挙の信頼性を失わせるようなことで信じられない。(得票ゼロと)連動するのか分からないが、有権者の気持ちを踏みにじった行為で許せない」と話した。
 参院選では、比例代表で再選した自民党の衛藤晟一首相補佐官の得票が高松市で0票だった。衛藤氏は07年参院選で432票を得ていた。開票後、複数の有権者が「自分は衛藤氏に投票した」と証言し問題化したが、公選法は有権者が再点検などを求めて提訴できるのは開票日から30日以内と定めているため、再開票はされず、その後の市の調査でも原因は不明とされた。昨年9月、市民の刑事告発があり、地検が捜査する中で白票の水増しが発覚したという。
 25日、会見した高松市選管によると、開票作業で当初、投票者数と票の合計が食い違い、数え直して再度計算したところ合ったという。大嶋、山下両容疑者が計算の責任者だった。市選管は「票数が合わないのを白票で調整したのではないか」とみるが、票の食い違いがなぜ起きたかについては分からないままだという。

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 この事件は深刻である。選挙の責任者が不正に関与した。「集計入力が済んでいる白票を、事情を知らない集計入力担当者に手渡して再度集計、入力させるなどして白紙投票を約300票増加させた」という意図的行為がなされている。現場では不正が察知されずに処理されていた。り、選挙責任者レベルで開票操作を行おうとすれば実施できるということである。この開票に限れば、白票の水増しが行われたことは認められたが、「特定候補の票が消えた」点については何ら解明されておらず、事態の深刻さを示している。
 開票には各種疑惑がある。
 特に得票読み取り機が公平な読み取りを行うシステムになっているかに、一分で強い疑念が出ている。ここでは意図的操作が可能である。
 どの様な票が有効で、どの様な票が無効とされるのか、そのプログラム・システムはチェックすべきである。市民からがかなり深刻な疑惑が指摘されているので、「どの様な票が有効で、どの様な票が無効とされるのか、そのプログラム・システム」をチェックできる体制をとることが極めて重要である。

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★私見★
以前から巷間ささやかれていたり、評論家本澤二郎氏が主張していた選挙開票疑惑が、いよいよ選挙が重要な国政進路決定の局面で孫崎氏のような理論家さえもとりあげる対象となってきました。今後も公正な選挙の根幹が厳しく問われる事態です。



地方自治体で見られる政治倫理の相次ぐ退廃の深化

2014-07-05 21:32:28 | 社会・政治思想・歴史

地方自治体で見られる政治倫理の相次ぐ退廃の深化

櫻井智志

 それは、はじめに東京都議会におけるみんなの党の女性議員の質問演説の時から始まった。いたずら心やジョークとは無縁の複数の畳みかける性差別の連鎖暴言。ひとりではないのに、都議会自民党はひとりをスケープゴートにして、野党からの都議会正常化の要求を押しつぶした。
 しかし、似たような自民党議員による性差別暴言は関西でも、国会でも自民党議員によってマスコミから報道された。あきらかに衆参両院を圧倒的多数派を獲得して、ねじれという名の批判的機能を喪失した自民党のおごりのあらわれである。
 ここ最近、動画やツイッターでグローバルに有名になった議員の釈明会見にまるで幼児の駄々っ子のような了解不能な泣き喚きの連続は、呆れや驚きを超えて情けなくなる。
 このような戯画化された世界のような一方で、自治体がまともに「集団的自衛権」反対決議を掲げることが連続した。一概に自治体総体を否定的にみなすことは、複合的な実態に対応しない面もあるだろう。今時「階級闘争」とい言葉は死語になったのか、頻繁には見かけないけれども、私は「資本家階級が世界中に広げられた剥き出しの利潤搾取の策略によって苦しめられた諸民族と勤労者と国民レベルの広範囲の労働者階級との闘争」は、国際的な規模で激しく続けられていると考える。
 日本における地方自治体での無気力な議会の実態は、現在的な階級闘争を背後に控え、寡占的な資本家階級が、海外への経済侵略と一対の労働者搾取の国民的規模での無政府的対策を最も忠実にになう自由民主党と巧妙に提携する公明党との政権を利用していることの影響である。しかも安倍晋三首相は、正統派自民党から逸脱した軍事主義的偏向の危険な侵略主義の傾向が強い。
 安倍政権の最大の危険な特質は、空疎な詭弁に彩られた無内容な演説で国民を操作しつつ、国民からの意見や批判には全く聞く耳をもっていない独裁主義である。TBSテレビの土曜日夕方の報道番組「報道特集」は、日曜の「サンデー・モーニング」や週日夜の「NEWS23」らとともに、田英夫、古谷綱正、入江徳郎、筑紫哲也などのジャーナリストの自由な伝統を継承している。その「報道特集」がドイツが世界でも有数な民主的なワイマール憲法のもとでなぜナチス・ヒットラーが出現したかに触れていた。ナチスは「憲法を肯定しつつ」、いかなる憲法の条文にもしばられない特殊の超法規的法案を持ち出してきた。『全権委任法』。ヒットラーは紆余曲折を経ながらも、ロシア革命のようになるかも知れない共産党よりは、ナチスを選択した資本家階級の選択によって政権獲得に有利な位置にたった。
 いま日本は、「集団的自衛権」という軍事戦略の一大方針を、憲法を形骸化させるような段取りで自公政権によって押しつけられた。アメリカ政府やアメリカ軍部のせいではない。日本人の傀儡政権をめざす安倍自民党と公明党の連立政権がもたらしたものである。
 今後国内を思想的弾圧が吹き荒れることが予見される。言論の自由、報道の自由、労働の権利、それらに寒風が吹きさらすだろう。国民は官邸前抗議に一万人強が連日集まった。国民は無気力でもないし、無力でもない。さまざまな生活不安や苦悩と悩みながらも、戦後民主憲法の申し子として、自分の愛する子どもたちが戦場で他国民を殺戮することを、そして殺戮されることをおそれ、怒りをもって立ち上がった。この国民の心情を、よく批判される日本共産党は、全国に伝え、支持者たちは党員の努力に呼応して全国30箇所以上で立ち上がった。東京、だけではないのだ。
 そして立ち上がっているのは、一党一派だけではない。党派を問わず、国民総体の自覚である。

 安倍自公政権は、右翼保守反動派の潮流によって支持されている。それは無視しがたい層を占めるに至った。これには都知事選を4期目に放りだした石原慎太郎氏の長年の「功績」がある。自衛隊幕僚長を務めた田母鬼候補が都議選で泡沫候補とは呼べないかなりの動員や得票をたたき出した。この超極右潮流は、戦前の「革新派将校」(政府や財界の要人を暗殺してクーデターを呼びかけたが、うまく軍部上層部に利用され、戦争軍拡につながった)とも連続する思想的連続性をもつ。

 さて、以上のような背景をもとにして自治体の惨憺たる実情がある。ところが来年春には統一地方選挙がある。これは全国の政治地図をオセロゲームのように塗り替える。白色と黒色の地図はどう塗られるだろうか。その際に留意すべき点がある。孫崎享氏のような良心的知識人でさえ、集団的自衛権の与党協議の際には公明党に期待した。市民グループの中にも連日公明党や創価学会に要請行動に日参する人々もいた。「日刊ゲンダイ」政治面は、その時に明確に伝えた。自民党は創価学会の支持と公明党の協力がなけば、国会で50議席以上失う。飯島勲内閣参与が恫喝したように、政教一致が問われれば、創価学会の存亡に影響するだろう。ここまでは通常巷間で言われている。けれどその先がある。日刊ゲンダイ紙は、驚くべき言説を掲げていた。与党協議は、密室内で行われた。ほとんどのマスコミは、自民党の暴走を公明党が抑止しようとしたと伝えた。しかし、積極的だったのは公明党だったのだという。高村自民党副総裁の提案も事実は公明党副代表の北側一雄氏が内閣法制局に作成させ、それを自民党の顔を立てて、高村氏に土産として持たせたというのだ。公明党には最初から連立離脱のつもりは一切なく、予定調和の枠内で解釈改憲として集団的自衛権成立を目論んでいたという。これらの言説は、一庶民が立証するには荷が重すぎるので、そう報道していたことの紹介にとどめる。
 公明党は「平和の党」「福祉の党」というのは、うそではないだろう。けれど、解釈改憲や集団的自衛権をという国家の進路の一大問題で、公明党や創価学会が官邸前の抗議行動に立った一万人
強のなかにいたのだろうか。もはや自民党の暴走は公明党には止められない。公明党も仲良く暴走している二人三脚のような出来合いのレースてべあるとしたならば。

 いまの日本の惨状を救うためにも、地方自治体の本格的な変格に、日本共産党ほか反軍国主義勢力・政党は心して取り組んでほしい。有権者も心して投票を考えたい。安倍自公政権とその手下の官僚組織が、どのような手段をとろうと、日本版「全権委任法」状況を打開して、ナチスへの道を復古するのでなく、戦後民主憲法の道をあゆむ社会にしたい。
 「報道特集」は伝えた。自衛隊が派遣されたイラクなどの諸地域では、武器を行使して殺戮しない自衛隊に対する見方は信頼にも似たものがあるそうだ。もしも自衛隊がそうではない、という状況に変わった時に、日本に対する諸外国の信頼は、大きく揺らぎそれは中国大陸に侵略した第二次世界大戦でのアジアや太平洋諸島での日本軍への記憶へと逆転することだろう。
櫻井智志

 それは、はじめに東京都議会におけるみんなの党の女性議員の質問演説の時から始まった。いたずら心やジョークとは無縁の複数の畳みかける性差別の連鎖暴言。ひとりではないのに、都議会自民党はひとりをスケープゴートにして、野党からの都議会正常化の要求を押しつぶした。
 しかし、似たような自民党議員による性差別暴言は関西でも、国会でも自民党議員によってマスコミから報道された。あきらかに衆参両院を圧倒的多数派を獲得して、ねじれという名の批判的機能を喪失した自民党のおごりのあらわれである。
 ここ最近、動画やツイッターでグローバルに有名になった議員の釈明会見にまるで幼児の駄々っ子のような了解不能な泣き喚きの連続は、呆れや驚きを超えて情けなくなる。
 このような戯画化された世界のような一方で、自治体がまともに「集団的自衛権」反対決議を掲げることが連続した。一概に自治体総体を否定的にみなすことは、複合的な実態に対応しない面もあるだろう。今時「階級闘争」とい言葉は死語になったのか、頻繁には見かけないけれども、私は「資本家階級が世界中に広げられた剥き出しの利潤搾取の策略によって苦しめられた諸民族と勤労者と国民レベルの広範囲の労働者階級との闘争」は、国際的な規模で激しく続けられていると考える。
 日本における地方自治体での無気力な議会の実態は、現在的な階級闘争を背後に控え、寡占的な資本家階級が、海外への経済侵略と一対の労働者搾取の国民的規模での無政府的対策を最も忠実にになう自由民主党と巧妙に提携する公明党との政権を利用していることの影響である。しかも安倍晋三首相は、正統派自民党から逸脱した軍事主義的偏向の危険な侵略主義の傾向が強い。
 安倍政権の最大の危険な特質は、空疎な詭弁に彩られた無内容な演説で国民を操作しつつ、国民からの意見や批判には全く聞く耳をもっていない独裁主義である。TBSテレビの土曜日夕方の報道番組「報道特集」は、日曜の「サンデー・モーニング」や週日夜の「NEWS23」らとともに、田英夫、古谷綱正、入江徳郎、筑紫哲也などのジャーナリストの自由な伝統を継承している。その「報道特集」がドイツが世界でも有数な民主的なワイマール憲法のもとでなぜナチス・ヒットラーが出現したかに触れていた。ナチスは「憲法を肯定しつつ」、いかなる憲法の条文にもしばられない特殊の超法規的法案を持ち出してきた。『全権委任法』。ヒットラーは紆余曲折を経ながらも、ロシア革命のようになるかも知れない共産党よりは、ナチスを選択した資本家階級の選択によって政権獲得に有利な位置にたった。
 いま日本は、「集団的自衛権」という軍事戦略の一大方針を、憲法を形骸化させるような段取りで自公政権によって押しつけられた。アメリカ政府やアメリカ軍部のせいではない。日本人の傀儡政権をめざす安倍自民党と公明党の連立政権がもたらしたものである。
 今後国内を思想的弾圧が吹き荒れることが予見される。言論の自由、報道の自由、労働の権利、それらに寒風が吹きさらすだろう。国民は官邸前抗議に一万人強が連日集まった。国民は無気力でもないし、無力でもない。さまざまな生活不安や苦悩と悩みながらも、戦後民主憲法の申し子として、自分の愛する子どもたちが戦場で他国民を殺戮することを、そして殺戮されることをおそれ、怒りをもって立ち上がった。この国民の心情を、よく批判される日本共産党は、全国に伝え、支持者たちは党員の努力に呼応して全国30箇所以上で立ち上がった。東京、だけではないのだ。
 そして立ち上がっているのは、一党一派だけではない。党派を問わず、国民総体の自覚である。

 安倍自公政権は、右翼保守反動派の潮流によって支持されている。それは無視しがたい層を占めるに至った。これには都知事選を4期目に放りだした石原慎太郎氏の長年の「功績」がある。自衛隊幕僚長を務めた田母鬼候補が都議選で泡沫候補とは呼べないかなりの動員や得票をたたき出した。この超極右潮流は、戦前の「革新派将校」(政府や財界の要人を暗殺してクーデターを呼びかけたが、うまく軍部上層部に利用され、戦争軍拡につながった)とも連続する思想的連続性をもつ。

 さて、以上のような背景をもとにして自治体の惨憺たる実情がある。ところが来年春には統一地方選挙がある。これは全国の政治地図をオセロゲームのように塗り替える。白色と黒色の地図はどう塗られるだろうか。その際に留意すべき点がある。孫崎享氏のような良心的知識人でさえ、集団的自衛権の与党協議の際には公明党に期待した。市民グループの中にも連日公明党や創価学会に要請行動に日参する人々もいた。「日刊ゲンダイ」政治面は、その時に明確に伝えた。自民党は創価学会の支持と公明党の協力がなけば、国会で50議席以上失う。飯島勲内閣参与が恫喝したように、政教一致が問われれば、創価学会の存亡に影響するだろう。ここまでは通常巷間で言われている。けれどその先がある。日刊ゲンダイ紙は、驚くべき言説を掲げていた。与党協議は、密室内で行われた。ほとんどのマスコミは、自民党の暴走を公明党が抑止しようとしたと伝えた。しかし、積極的だったのは公明党だったのだという。高村自民党副総裁の提案も事実は公明党副代表の北側一雄氏が内閣法制局に作成させ、それを自民党の顔を立てて、高村氏に土産として持たせたというのだ。公明党には最初から連立離脱のつもりは一切なく、予定調和の枠内で解釈改憲として集団的自衛権成立を目論んでいたという。これらの言説は、一庶民が立証するには荷が重すぎるので、そう報道していたことの紹介にとどめる。
 公明党は「平和の党」「福祉の党」というのは、うそではないだろう。けれど、解釈改憲や集団的自衛権をという国家の進路の一大問題で、公明党や創価学会が官邸前の抗議行動に立った一万人
強のなかにいたのだろうか。もはや自民党の暴走は公明党には止められない。公明党も仲良く暴走している二人三脚のような出来合いのレースてべあるとしたならば。

 いまの日本の惨状を救うためにも、地方自治体の本格的な変格に、日本共産党ほか反軍国主義勢力・政党は心して取り組んでほしい。有権者も心して投票を考えたい。安倍自公政権とその手下の官僚組織が、どのような手段をとろうと、日本版「全権委任法」状況を打開して、ナチスへの道を復古するのでなく、戦後民主憲法の道をあゆむ社会にしたい。
 「報道特集」は伝えた。自衛隊が派遣されたイラクなどの諸地域では、武器を行使して殺戮しない自衛隊に対する見方は信頼にも似たものがあるそうだ。もしも自衛隊がそうではない、という状況に変わった時に、日本に対する諸外国の信頼は、大きく揺らぎそれは中国大陸に侵略した第二次世界大戦でのアジアや太平洋諸島での日本軍への記憶へと逆転することだろう。