【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

芝田進午の平和思想を20年間追求し続けた人々の存在

2019-04-29 20:10:16 | 学問
~【平和のためのコンサート】は20年目を6月8日に迎える~
                          櫻井 智志


*〔この小論をまとめるに際して、2001年9月25日に初版が刊行された、芝田進午著三階徹・平川俊彦・平田哲男編『実践的唯物論への道/人類生存の哲学を求めて』(青木書店)が画期的に重要な参考文献となった。関係者に謝意を表してから執筆に入りたい。〕


 Ⅰ:おめでとう「平和のためのコンサート」20歳


一通の封書が届いた。見慣れた芝田貞子さんの毛筆の宛名書きの中に、『平和のためのコンサート』~第20回を記念して~と銘打ったコンサートを知らせる丁寧なチラシと手書きのご案内とが入っていた。

この20年の歳月は激動の20年だった。第1回コンサートは、逆算すると2000年に開催された。その5年前の1995年に東京で記念碑的な「被爆50周年ノーモア・ヒロシマ・コンサートが開催されている。1980年に広島と東京で「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」が開始し、1989年まで続けられた。広島のコンサートのほうが東京終了後も続けられたと聞いたことがある。1989年終了、1988年にはいわゆる芝田セミナーともいわれる社会科学研究セミナーも休止している。
 
実は1987年から、芝田進午氏は先生にとり「人生最大の闘争」と」位置付けられた「予研(後の感染研)闘争」が開始されて、その闘いは芝田先生が、闘いのさなか2001年に東京地裁が3月27日に不当判決を下す直前の3月14日に闘病し続けた胆管がんによってご逝去されるまで人生の最後までも続く闘いだった。芝田先生が亡くなられた後も、原告団と芝田先生のご遺族とは高裁、最高裁と闘いを継承されている。

この「平和のためのコンサート」も、予研・感染研裁判を担われた方々である「ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会」「バイオハザード予防市民センター」の方々、芝田進午氏の教え子や友人諸氏が応援されてきた。

そして、なによりも最大の推進役は芝田進午氏の奥様芝田貞子さんと自らもメンバーであるクラシック音楽グループの女性コーラス「アンサンブル・ローゼ」が毎回出演されている。芝田貞子さんの2人の息子さんと配偶者さらにそのお子さんたちも、芝田家ファミリーで支え続けられて、20回を迎える。

継続すること。持続すること。そのことが持つ重厚な重みを、この「平和のためのコンサート」を推進されてきた人々と、第2回には既に会場でお会いすることも叶わなかった芝田進午氏の遺志を継承されてこられた主催者の「平和の」ためのコンサート実行委員会と代表の芝田貞子さんの足跡は、言うはたやすくとも必死の困難の克服と集団的主体の協同そのものであったことと推察される。


Ⅱ:第20回平和のためのコンサート(引用・転載) 

2019年6月8日(土)午後1:00開場 午後1:30開演
料金 ¥2,200(全席自由)
会場:牛込箪笥(たんす)区民ホール  東京都新宿区内
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩10分
主催  平和のためのコンサート実行委員会
後援  アンサンブル・ローゼ   ノーモア・ヒロシマ・コンサート
    ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会
    バイオハザード予防市民センター
お問い合わせ TEL&FAX 03-3209-9666 芝田様方

“平和のためのコンサート”開催によせて

 記念すべき第20回目となる“平和のためのコンサート”を開催することとなりました。
私たちは平和を望みこのコンサートを開催してきましたが、残念ながら世界は平和から遠いように思います。
 日本では国民の生活に目を向けるこうじことなく、防衛費が増大し、アメリカから莫大な額の兵器を購入しようとしています。また、沖縄県民の強い反対があるにも関わらず、辺野古での基地建設が止まることはありません。また、安倍首相は自衛隊を憲法に明記して、憲法9条を骨抜きにしようとしています。加えて、他民族をあからさまに罵倒するヘイトスピーチも蔓延し、社会から寛容さが失われようとしています。私たちが希求してきた平和はどこへ行ってしまったのでしょうか。
 だからこそ私たちは、この“平和のためのコンサート”に集い、あらためて平和を望むことを確認したいと思います。
 第20回記念となる今年は音楽の演奏を充実させました。とりわけ、第一部を「平和への祈り」としました。被爆二世の死が語りと音楽によって歌われる「あの星はぼく」を演奏いたします。
 多くの方のご来場をお待ちしております。
2019年(核時代74年)
平和のためのコンサート実行委員会

プログラム
司会 長岡幸子

第一部 平和への祈り

語りと音楽による「あの星はぼく」被爆二世
詩:名越 操   作曲:木下航二  編曲:腰塚賢二
語り:河原田ヤスケ
歌:アンサンブル・ローゼ   ピアノ:末廣和史
  ソプラノ/池田孝子・斎藤みどり・高橋順子・渡辺裕子
  メゾ・ソプラノ/芝田貞子・嶋田美佐子・高崎邦子・水谷敦子

第二部
[チェロ独奏]佐藤智孝   ピアノ:児玉さや佳
サンサーンス「白鳥」 カザルス編曲「鳥の歌」 ショパン「ラルゴ」
[ヴァイオリン独奏]信田恭子    ピアノ:末廣和史
ラヴェル「ハバネラ形式の小品」 モンティ「チャールダーシュ」

[ロシア民謡とロシア文化]伊東」一郎 ロシア文学者  ピアノ:児玉さや佳
 歌
    「行商人」「行商人」「一週間」「黒い瞳」

[重唱]アンサンブル・ローゼ   ピアノ:末廣和史
「懐かしいロシア民謡」より
  カチューシャ・ともしび・赤いサラファン・百万本のバラ

シングアウト 「青い空は」    小森香子 詩/大西 進 曲
 



Ⅲ:平和と<芝田進午学>復権と

芝田進午氏は、生前に『人間性と人格の理論』を当初考えていた書名『人間性と人格と個性の理論』に変えて内容も、歴史の変遷と展開に対応するいっそうの理論的発展を反映させた改訂版を完成させたいと強く願っていた。
理論的発展のために避けられない諸問題をはじめ、崩壊したソ連や東欧など「社会主義」をどう評価するか、大工業理論をどのように発展させるべきか、「市民社会」「民主主義」「民主集中制」などの問題、そして「共産主義」という訳語の問題にいたるまで。広範な改訂を具体的に構想していた。
 また、『双書・現代の精神的労働』の完結も何度も口にしていた。芝田進午氏は、1962年に三一書房から『現代の精神的労働』を出版し増補版を1966年に出している。それ自体が総括的なまとまりをもっている。さらに全6巻にわたる『双書・現代の精神的労働』(青木書店)を責任編集として構想した。
第1巻 科学的労働の理論
第2巻 組織的労働の理論
第3巻 教育労働の理論   1975年刊行
第4巻 医療労働の理論   1976年刊行
第5巻 公務労働の理論   1977年刊行
第6巻 芸術的労働の理論 上 芸術的労働の社会学 1983年刊行
             下 芸術的創造の理論  1984年刊行
ここで、芝田氏が「完結」を強く念願していたのは、上記の第1巻、第2巻を指している。三一書房版を参照すると、科学的労働とは、科学労働者・科学者や技術労働者・技術者のような仕事の現代置かれている労働の形態を指す。組織的労働とは、新聞労働や放送労働のような領域に包含される労働を指している。

さらに、氏は、1980年に『教育をになう人びとー学校教職員と現代民主主義―』(青木書店)で教育現場で働く実際の仕事に目を」むけ、1983年には有斐閣から『現場からの職業案内―学生諸君!君たちはどう生きるか』を出版、サラリーマン、公務員、ジャーナリスト、教師、技術者、医師などの労働を就職する学生向けの参考となるように、それぞれの専門家からの案内として、精神的労働を伝えている。また、旬報社(当時は労働旬報社)から『協同組合で働くこと』を1987年に出版されている。

良心的学者として、想いを果たさずにいたが、そこに緊急の課題が発生したからだ。芝田進午氏にとり生涯最大の実践的課題となった。早大など教育施設・福祉施設がある新宿区の居住地に、国立予研(改名して感染研)の住宅密集地へ移転を強行し、反対運動の声も無視して実験を開始した。もたらす問題の重大さを見抜き、究極は国家権力を背景にもつ相手に反対運動を継続することが、簡単ではない取り組みであると考え、当初のライフワークも終えぬまま、芝田進午氏は反バイオハザード闘争に取り組み、病いで斃れた。

芝田氏は、反核運動にも生涯の多くを費やした。時代の趨勢で運動には盛り上がるときもあれば、下火の時期もある。『現代の課題 核兵器廃絶のために』(1978年)、『核時代Ⅰ 思想と展望』(1987年)『核時代 Ⅱ    文化と芸術』(1987年)を考察し研究しながら、ノーモア・ヒロシマ・コンサートで文化運動を実践し続けた。

その遺志を20年間も継続し実践し続けてきた。そのような芝田進午の思想と文化論をたゆまず大切にされてきた、この『平和のためのコンサート』とは、そのような意義をもつコンサートである。
百科全書派のように広範な領域に及ぶ実践的知識人である芝田進午の学問として思想を、仮に<芝田進午学>
<芝田学>と呼ぶならば、現在日本こそ<芝田進午学>が多くの民衆に伝承されることが求められている「危機と危機を克服した後の希望の時代」と言えよう。

―了― 2019(核時代74)4.29


【日本歳時記2019.4.27】~TBS報道特集  櫻井 智志

2019-04-27 19:58:21 | 政治・文化・社会評論

Ⅰ: 10連休の実相
10連休とフランスの長期休暇バカンスの違い。
日本人が自ら休む権利を獲得したら、きっとこの国の世の中も余裕ある世の中になるだろう。労働3権は、戦後直後に先人が弾圧と闘いながら、二度と戦時中の翼賛政治社会を再現しないために闘い勝ち取った成果。いま基本的人権の労働権のありようはどうなっているか・・・

「掛け声だけの働き方改革」
誰のための10連休?貧富の差が拡大する中で中小企業や若い子育て家族は保育を頼み、保育所は政府の臨時開園で苦闘。貧しい者はより貧しく、富める者はより金持ちに。労組の最大のナショナルセンターである連合には、日本の弱者の声は聞こえない。政府は弱者を無視し怨念が沈殿してゆく。まともな労働権の主張すら口に出して言えないとしたら、弱者の怨念は、突然想像だにしない形態となって噴出することもないとは言えないだろう。鬱積する庶民の不満に、政府や大資本・大企業は真剣に向きあうべきだ。


Ⅱ:天皇ご夫妻と天皇制
美智子皇后が「国際児童図書年」での講演を、今は亡き出版人にして作家、思想家である小宮山量平氏から教えていただいた。
戦時中に弾圧された児童文学の編集者たち(ここでは山本有三氏らをさす)を間接的に支持するお言葉を知ってから、私は注目してきた。美智子妃を通じて天皇も変わってきた。ご夫妻を支持する。
だが、天皇ご退位の発表後から、世の中は神話と戦前の天皇制時代に急激に激変した。三種の神器、天照大神、神武天皇、まるでこれが昭和天皇の「人間宣言」を1945年直後に聴いた日本国民にとって70年も経ってからの公の出来事だろうか。あまりに皇室の「簡素に」「質素に」と言う声をかき消すようなスケジュールと 内容でことは進んでゆく。安倍晋三政府がおこなっていることは、【戦前並みの天皇制復活】作業でしかない。

きけ
わだつみの
こえを!!


Ⅲ: 差別とハンセン病、さらに・・
群馬交響楽団を今井正監督が戦後まもなく『ここに泉あり』で映画化した。群響は、学校など県内各地を演奏して回った。音楽をきく機会のない様々な場所も慰問し、県内のハンセン病施設も演奏に訪れた。
松本清張の小説『砂の器』の映画化で、野村芳太郎監督は加藤剛・加藤嘉両氏を親子役に充てた。多彩な俳優陣と東京交響楽団が映画のクライマックスで演奏する交響曲「宿命」とは、観客を感動させた。
戦前に、ハンセン病に罹患して、隔離施設に入り苦悶した青年北条民雄。彼の手紙と要望を真摯に受け止め、支え続け、小説『いのちの初夜』を世にだすために尽力したのは、既に「雪国」などで文壇に位置を確立していた若き日の川端康成だった。

ハンセン病患者への差別と迫害。日本だけでなく、外国にも差別とや偏見はある。
それを克服する営みが、世界人権宣言に至る人々の闘いとして、世界人権宣言や国際人権規約として世界の歴史に刻まれた。安倍政権の日本は、国連の人権部会や委員の勧告すら受け入れていない。
疾病に対する偏見も、ハンセン病にとどまらず、結核、肝炎、エイズとさらされてきた。
さらに現代にも続くうえに、疾病以外の領域にも差別や迫害はある。
故人となられた作家に井上光晴がいる。彼は小説『地の群れ』で、被爆者住民と被差別住民の反目と争いを描きだした。日本社会の実像が問われている。




『報道特集』金平茂紀と室井佑月が激論! なぜメディアは沖縄を無視し、韓国ヘイトに覆われてしまったのか(後編)

2019-04-26 22:01:53 | 転載
リテラ > 社会 > オピニオン > 金平茂紀と室井佑月が語る沖縄無視と嫌韓のメディア(後編)
室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」第13回ゲスト 金平茂紀(後編)
2019.04.26 11:16

金平茂紀氏と室井佑月が“安倍政権下のメディアと沖縄を語る!

『報道特集』(TBS)キャスターの金平茂紀氏をゲストに迎えた室井佑月の連載対談。*前編では、安倍政権下で萎縮するジャーナリズムや御用メディア化、テレビの現場で何が起きているかを語ってもらったが、後編ではさらに、無視される沖縄基地問題と嫌韓報道の増殖、リベラルの退潮と排外主義の蔓延がなぜ起きたのか、にも踏み込む。ヒートアップするふたりの対論をぜひ最後まで読んでほしい。
(編集部)

*前編
原文https://lite-ra.com/2019/04/post-4677.html
転載https://blog.goo.ne.jp/dreamtoday/e/502c0591564165d81255f8e97a6bcf36

*この対談の前半と後半の写真を紛らわしくさせないために、金平氏の写真を転載させていただきます。

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室井 メディアの御用化について話してきたんだけど、私が怖いのは、直接的な圧力とか忖度で黙らされてるうちに、みんなの価値観じたいが変わりつつあるということなんです。昔は社内的にマイノリティでも、カッコいいジジイがいて、頑張っていた。本多勝一とか筑紫哲也とか、リベラル左寄りのカッコいいジャーナリスト、メディア関係者が多かったと思うけど、いまは逆。ヘイト発言をするネトウヨみたいな人や、「高齢者の終末医療費を打ち切れ」なんて新自由主義的な主張する古市憲寿みたいな人、体制寄りの人がもてはやされて支持される。百田尚樹や高須クリニッックの高須克弥院長にも熱狂的ファンが付いている。いま、なんでこっち側が「カッコいい」と思ってもらえないんだろう。カッコよければ流れも変わると思うのに。

金平 “カッコいい”。それは大事なキーワードで、今後考えなければならないテーマだね。たとえば沖縄のキャンプシュワブの前で座り込んでいる人たちのスタイルは、確かにカッコよくはない。沖縄平和運動センター議長の山城博治さんとかが「すっわりっこめ〜♪ここへ〜♪」と歌うように促して。これって1950年代の三井三池闘争のときの労働運動歌なんです。それじゃあ若い人はついてこない。安保法制のときのSEALDsの成功を見て、ラップなど新しい試みが必要だね。ところが、いまの若者のなかには、「人と違ったりすることが嫌」という意識も大きい。自分の意見を自分だけで言うのがストレスだと。でも、戦前には自分の主張を貫いた若者もいた。先日『金子文子と朴烈』という韓国映画を観たんです。金子文子は大正天皇の暗殺を計画していたとされ、大逆罪で逮捕有罪(死刑判決、のちに無期に減刑)になった人物だけど、公判で「天皇陛下だって人間だろう。クソも小便もするだろう」と言い放ったらしい。それを演じる韓国人女優のチェ・ヒソもめちゃくちゃ魅力的で、セリフも自分たちで公判記録に基づいてつくって。“天皇陛下だって人間”のセリフも再現している。

室井 カッコいい人はいるんだもの。でも、それが広がらないしムーブメントにならない。若い人たちにもなかなか受け入れられない。そもそも弱者でもある若い人が、自分たちの首を絞めてる安倍政権を応援しているんだから。そういう人に議論を挑んだりもするけど、「自民党以外にどこがあるの?」「安倍首相以外、適任者いないですよ」なんて言われるだけ。

金平 僕も絶望的な気持ちになることもありますよ。僕からすると「格好いいな」と思う若い人はいるんです。でも、同世代にとってそういう若者は「怖くてついていけない」存在らしいしね。ラディカルだったり、自分で考え主張することを嫌う。お利口で聞き分けがいい。しかも30代、40代のメディア企業でいうと編集長とかデスク、キャップクラスがものすごい勢いで保守化している。韓国の金浦空港で厚生労働省の幹部が酔ってヘイト発言して逮捕されたけど、メディア関係者だって「いまの韓国政権なんか大嫌いだからあんなの叩きゃいいんだよ」って平気で口にする人もいるんだから。


【ポータルサイトに氾濫する産経の記事、無視される沖縄の米軍基地問題】

室井 そうした保守化というより国粋主義・排外主義化ってどうしてなの? わたしには本当に理解できない。

金平 はっきり言うとお勉強していないんです。たとえばここ数年、ベネズエラでは深刻な経済危機で略奪が頻発し、強権的な政権の下、危機的状況が続いている。でも、ベネズエラのことを語るとき、南米の国々が、これまでアメリカにどんなことをされてきたかを知らないと、まともな報道はできないはずです。しかしそうした歴史に興味を示さないし、勉強しない。

室井 勉強じゃなくても、映画とか小説からとかでもいいのにね。わたしはそうして勉強した。

金平 みんなスマホしか見てないからね(笑)。これってすごい大事なことで、つまり、知識を得るときに、最初の入り口がスマホだと、ここで目にするのはポータルサイト。そしてそこにはライツフリーの産経の記事が氾濫している。僕のようにアナログ世代は、新聞を読み比べることでリテラシーを取得してきたけど、それがない。しかもネットニュースの字数は少ないから、ロジカルに物事を考える機会も少なくなる。しかもコミュニケーションの基本が変わってきているから、考え方も大きく変わる。僕らの仕事も、スマホとPCがないとなりたたなくなっている。

室井 価値観も大きく違っちゃってるしね。でも、ある意味、楽。若い編集者は飲み会もしないし誘ってもこない。原稿をメールで送って終わりだから(笑)。

金平 でも、そうした変化には弊害も感じますよ。ポリティカル・コレクトネス(PC)ってあるじゃない。PCがあらゆるところに行き渡った社会ってどういう社会になるかって話をある哲学者が書いていたけど。ベトナム戦争の時代にアメリカ軍が空爆してナパーム弾で村が焼かれて、裸の女の子が逃げてくるピューリッツァー賞を取った写真があった。戦争の悲惨さを伝える写真の一枚でベトナム戦争終結にも寄与したはずだけど、いまあれはダメなんだって。女の子が真っ裸で局部も写っているから、PC的に言うとNG、ダメだと。その話を聞いてびっくりして。それがまかり通ってる。

室井 すごい時代になった。文脈とか一切無視なんだね。効率主義がここまできたのか。

金平 だから右の政治家たちが「文学部とか廃止しよう」なんて言い出す。そしてポスト・ヒューマニティ、つまりAI・人新世・加速主義といった社会の諸問題が絡み合うという新潮流のことだけで。でも、効率主義で言うと、これは実は沖縄問題にも通じると思っています。沖縄の基地や経済について東京のメディアは「面倒臭い、関わりたくない、数字取れない」と。沖縄のことは自分たちに関係ないというスタンスがまかり通る。彼らにとって沖縄のことは実感がない=バーチャルなんでしょうね。それがいまの沖縄と本土、そして政府との関係を二重写しにしている。だから沖縄タイムスや琉球新聞が報道しようが、東京のメディア関係者には関心さえない。これはひどいよね。

室井 基地だって、アメリカのまともな学者や軍人は「いらない」って言ってるんでしょ。しかも沖縄では1995年に小学生の少女がアメリカ兵3人に暴行されたというひどい事件があったじゃないですか。それで沖縄だけじゃなく日本全体が反基地・反米感情で盛り上がって。でも、いまは沖縄問題を取り上げない。テレビ関係者は「視聴率が取れない」って言うけど、それは言い訳で嘘だと思う。東京オリンピックだってこれからますます盛り上げる気満々でしょ? テレビで取り上げた商品も爆発的に売れるでしょ? そう考えると、能力はあるくせに、基地問題をやろうとしない。安倍政権になって沖縄と政府の関係が悪くなって。だから忖度している部分もあるんじゃないかと勘ぐってます。


【局内にアンチ筑紫哲也の人たちがたくさんいることに気づかなかった】

金平 残念ながら、いま僕が担当している番組だって、「沖縄の基地問題をやろう」って言ってもあまり反応はないと思います。生活密着型と称して、身近な、小さなストーリーを取り上げるのは一定の意味はあるでしょう。けれども一方で、社会的なこと、政治的なこと、世界のホットスポットで起きている論争や対立を取り上げることは、どこかで面倒臭いという意識が強いのではないかと思う。

室井 でも、韓国軍のレーダー照射問題とかは喜んで延々と放送して。みんな拳をあげて「けしからん。韓国許せない」って。政治評論家もコメンテーターも煽ったほうが儲かるからか、煽る煽る。しかもネトウヨ評論家になったほうが、講演の仕事も来るし。わたしは安倍政権前は講演がたくさんあったのに、いまはほとんどこない! 原発事故もそう。放射能はきちんと測るべきと言ったらバッシングされ、メディア関係者も「そういうことを言うのはいじめだ。福島の物を食べて応援しよう」って。食べてもいいけど、まず測れって言っただけなのに。本当に変な世界にいると思っちゃった。

金平 すぐに風評被害を持ち出すのがメディア。子どもの甲状腺がんにしても、すごい数になったら「検査をしちゃいけない」って。室井さんの言うように本当に変な世界に迷い込んだようだ。昨年、文科省の放射線副読本が改定され、そこから「汚染」という文字が全部消えた。その代わりに強調されるようになったのが、「復興」と「いじめ」という言葉なんですから。

室井 でも、こうして金平さんと話していると、考え方は似てるけど、ひとつ違うのは年代です。金平さんの時代は筑紫さんとかカッコいいジャーナリストがいたけど、わたしたちの世代にはいない。上の世代から引き継げなかった。

金平 僕らの時代にしても、先行世代の背中は見てた。日本赤軍とか連続企業爆破とか、三島由紀夫とか。それらの現象は、内実が解明されないまま、いまだに突出している、宙づりになっている、と僕は思ってるんです。そして、幸いなことに筑紫哲也というオヤジがいた。一緒に何でも話し合い、好き放題できた。迂闊だったのは、それを快く思っていなかった人が局内にいっぱいいたってこと。気づかなかった(笑)。だから筑紫さんが死んだ瞬間に、「なんだこのやろう」と反発を受けた。本当に迂闊だった。いまのテレビがなぜダメになったかというと、こうした継承がうまくいかなかったというのはあると思う。

室井 それで逆に左翼オヤジでもヒドいのが広河隆一。あれは本当に許せない!

金平 実際、ひどいことをされた被害者がいっぱいいたわけで、僕も申し訳ないけど、知らなくて。昔、「DAYS JAPAN」のDAYS国際フォトジャーナリズム大賞の審査委員を3、4年やったけど、結構勉強になったんです。3日間くらい写真ばかり見るんだけど、報道写真は目に焼きついているものが多い。広河さんが編集部でそんな権勢をふるって、そんなことをやっていたなんて思いもよらなかった。

室井 御用ジャーナリスト山口敬之の事件と重なっちゃう部分もあるしね。自分の立場を利用したっていう。でも、山口事件のような、体制寄りの人が、性暴力ふるってもあちらの陣営は権力を使ってもみ消すけど、広河さんみたいな人がやると致命的になる。わたしが正直に思うのは、右のオヤジと左のオヤジがいて、両方女性差別主義者なんだけど、右のオヤジは「女は自分より下で弱いものだ」と思っているから庇ってくれることもある。でも左のオヤジはそれさえなくて、ただ差別してくる(笑)。「どうせバカなんだから」って。女性差別オヤジで言うと、右も左もひどい。ちなみに左のオヤジは食事しても割り勘にしようとする。でも右のオヤジは「俺が払うよ」って金は払う。

金平 わかりやすすぎる。ただそれでその人の、写真家としての業績も同じように終わっちゃう、全否定されるというのは……難しい問題も残りますね。

室井 ピエール瀧が逮捕されたときに作品をお蔵入りにしたのとも似ている話で、ピエールには被害者がいないけど、広河問題は被害者がいる。単なる愛人問題とかじゃなく、性暴力の問題だから。



【エコー・チェンバー・エフェクトをどう乗り越えるか】

室井 それにしても金平さんと話していると、メディア状況は最悪だし、その背後の安倍政権を言葉や言論によって倒せそうにないし、どうしたらいいんですか!

金平 並大抵じゃないんですよ。今回の対談もそうだけど、結局、室井さんと僕の考え、ベースは同じでしょ。それは市民運動をやってる人たちや、“良心的”ジャーナリストなどもそう。“内輪”だけで話をしても、「そうだよね」「そうだよね」となる。それは密室のエコー・チェンバー・エフェクト、こだまになっちゃう。これではやはり、政権は倒れないし、カッコ悪いと思っていて。そこから一歩進んで、安倍政権を支持している人々とも対話する。マイケル・ムーア監督の映画『華氏119』なんかいい例だと思うけど、ムーアはドナルド・トランプの熱狂的支持者と話をすることで、トランプ大統領を誕生させたアメリカ社会に切り込んだ。そして全員が「トランプ! アメリカファースト!」と叫んでいるなかで、講演をする。すごかったのが「お前たちの言っていることはわかるし、だけどお前たちも俺もアメリカ人で、こういう方向を目指してたじゃないか」って言うと、みんなトランプ支持者だった奴らが泣き出して。最後は「マイケル・ムーアが選挙出ろ!」みたいなことになる。日本でもこれは可能なんじゃないか。もちろんネトウヨや在特会なんかはしんどいかもしれないけど、安倍政権を支持している普通の人とは会話ができると思っている。「他に誰がいるの?」くらいに思っている人たちって、結構いっぱいいるはずだからね。

室井 確かに、一方的なテレビの報道で、ここ数年で考える正義の方向性がちょっと歪んでしまった人、いびつになっちゃった人って多いかもね。でも、そういう人たちに対して、上から目線で距離を置いたり、自分が無関係なスタンスを大人だと考えている人はずるいよね。

金平 安倍首相の自民党総裁4選も大っぴらに語られているし、元号が変わって大騒ぎしてるけど、このままでは何も変わらない。変わったのはむしろ若い人たちの考え方、思考様式だと思う。望月衣塑子記者の件でも思ったけど、たとえばスマホの普及で、スマホ的価値、つまり記者会見で「なに面倒臭いこと言ってるんだよ」「もっと簡略にお願いします」「質問は10秒以内」などと邪魔する人間は、すでにそうした価値観に毒されている。ロジカルに長々と質問することだって記者にとっては大切なはずだし、面倒臭いことは大切なんことだと思う。面倒臭い奴は必要だとさえ思う。

室井 わたし、生まれたときからずっと面倒臭い人間だから。あっ、金平さんも同じだね。
(構成・編集部)

金平茂紀
1953年生まれ。1977年にTBS入社後、モスクワ支局長、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長などを歴任。2016 年執行役員退任後も現在まで『報道特集』のキャスターをつとめる。

室井佑月 作家、1970年生まれ。レースクイーン、銀座クラブホステスなどを経て1997年作家デビューし、その後テレビコメンテーターとしても活躍。現在『ひるおび!』『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)、『大竹まこと ゴールデンラジオ』(文化放送 金曜日)などに出演中。


【転載】金平茂紀と室井佑月、萎縮するテレビで孤軍奮闘を続ける二人が語る実態! メディアはなぜ安倍政権に飼いならされたのか

2019-04-25 23:11:30 | 転載
リテラ > 社会 > オピニオン > 金平茂紀と室井佑月が語るテレビの現実
室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」第13回ゲスト 金平茂紀(前編)
安倍政権の言論弾圧体質によって、どんどん悪化している報道の萎縮。なかでも、ひどいのがテレビだ。第二次安倍政権発足以降、政権に批判的なキャスターやコメンテーターが次々と降板に追い込まれ、上層部から現場までが政権の顔色を窺い、批判的な報道はほとんどできなくなっている。
 そんななか、今回は地道に果敢に政権批判を続ける数少ない番組のひとつ『報道特集』(TBS)キャスターを務める金平茂紀氏をゲストに迎えた。金平氏といえば、『筑紫哲也NEWS23』番組編集長、TBS報道局長、アメリカ総局長などを歴任。定年退職後の現在も、『報道特集』キャスターを継続し、政権への厳しい批判も厭わない姿勢を貫いている。
 そんな金平氏に、やはりテレビでコメンテーターを続けている室井佑月が迫る。なぜテレビはここまで萎縮してしまったのか。御用ジャーナリストが跋扈する理由とは何か、そして、安倍政権下でテレビに何が起きたのか。テレビで孤軍奮闘を続ける二人の激論。まずは、前編をお読みいただきたい。
(編集部)

********************

室井 金平さんがこの対談に出てくださってすごいびっくりしました。これまでレギュラー的にテレビに出ている人にはみんな断られていたんです。金平さんは『報道特集』のキャスターをしているのに、こんな対談に出てくださって!

金平 僕はもう2016年にTBSの執行役員の任期も終わっているから、契約ベースでやっている。というか、TBSも扱いかねているんじゃないですか? TBSには定年まで長く勤めていたけど、以前、室井さんと一緒に共謀罪反対の呼びかけ人をしたことあったでしょ? あの記者会見をやった1週間後に呼び出されて上層部に言われたんです。「お引き取り願おうか」と。呼びかけ人と直接の因果関係はないんだろうけど、「もうそろそろ、こういうことをやる人間は扱いかねる」っていう空気があったんじゃないかな。

室井 あると思います(笑)。だって、わたしも同じですから。かれこれ20年情報番組に出ていますが、最近は毎回、会議で名前が挙がってるみたい。「次、降板」って。でも、わたしを降ろしたあとに番組と同じ考えの人を呼んじゃうと、わかりやすすぎるし、ちょっと休んだだけでネットにすごく書かれるから、降ろされそうで降ろされない(笑)。まあ、今後は分かりませんけど、たぶん、五輪前に辞めさせたいんじゃない。

金平 こう言っちゃなんだけど、同じような立場の2人で対談なんかやっていいのかな(笑)。

室井 TBSはかつて“報道のTBS”と呼ばれていて、とくに『筑紫哲也NEWS23』 時代の、家族でやっているような雰囲気は大好きでした。金平さんも筑紫ファミリーだったでしょ。
金平 筑紫時代は全スタッフ、そして番組もが一体となった感じで、うまく回っていた。筑紫ファミリーという疑似家族のような。でも、いまでは良き疑似家族はとっくに壊れています。「老壮青」って言っていたんですけど、いまは誰もファミリーとか思っていない(苦笑)。

室井 でも、TBSと言えば報道だったじゃないですか。

金平 かつてね。


室井 いまでも他局よりは頑張ってると思うけど。

金平 他が酷すぎるんでしょう。論評にも値しないようなところがほとんどになっちゃって。僕はいま65歳だけど、僕らが学生時代のテレビは、NHKは体制を代表する本当のことは絶対言わないメディアで、“お上の代弁者”として捉えられていた。そんななか、民放の報道ではTBSが圧倒的に強かった。かつて『JNNニュースコープ』(1962〜1990年放送)という番組があって、田英夫や古谷綱正、入江徳郎とかのベテランどもがいて、結構な迫力があったんです。当時、「NHKとTBS、どっちが本当のことを言っているのか」と問われれば、みんながみんな「TBSに決まってるじゃん」と言うくらいに力があった時代だった。その頃、他の民放は、テレ朝は、NET=「日本教育放送」時代で報道には力を入れていなかったし、フジテレビは娯楽路線、日本テレビはプロレスと野球。報道をやっていたのがTBSだった。だから本来強いのは当たり前なんです。


【ワイドショーが報道化して報道がワイドショー化、重要な問題が無視】

室井 でも今後はどうなんですか? わたし、情報番組に20年出てますけど、どんどん変わってきていると実感していて。たとえば政治的な問題が起きても、ワイドショーで取り上げるのは「細野豪志が二階俊博と会った」とか本質に関係ない話ばかりで、あとは安倍応援団が安倍首相の代弁を主張していて。

金平 かつてワイドショーとストレート報道の関係は、新聞社でいうと週刊誌と本紙みたいな、妙な上下関係があった。「報道は偉いんだ」という意識ですね。ワイドショーや情報番組はいわゆる井戸端会議。でも、現在のようなネット社会になり、ネットで出ている言葉と、印刷されて出るオールドメディアの言葉が受け取る側から見ると等価になっている。そんな時代ですから、報道番組もワイドショーも等価と捉えられる時代になっちゃった。だからテレビの本質からいうと、どっちもどっちなんです。

室井 テレビも視聴率至上主義だから、森友事件や辺野古新基地建設のことより、「貴乃花が離婚した」ということを取り上げる。ある意味仕方ないとは思うけど、カルロス・ゴーン事件では、その本質にはほとんど触れず、ゴーンが釈放されて変装していることを延々とやる。すごく変だし、本質をごまかそうとしている意図を感じるほど。

金平 ワイドショーが報道化して、報道がワイドショー化したということじゃないかな。いま、夕方のニュースを見ていてもほとんどワイドショーじゃないですか。やってるネタも変わらない。「テレビなんだから同じ」と平準化されてしまった。

室井 テレビ局も番組づくりを制作会社に任せている体制だし、制作会社もなんだかネトウヨ路線の会社も多くなっていて。だからそういう政治ネタを延々流されるより、むしろ「スズメバチが民家の軒先に巣をつくっちゃった」という特集を組んでくれたほうがマシって思っちゃいますよ。しかも沖縄の基地問題という日本にとって需要な問題も、アリバイ的に触れるだけ。

金平 興味ないもん、制作側も視聴者も。実は本土の多数派は沖縄のことに興味ないんですよ。悲しいですけれど。

室井 あります! わたしは興味ありますよ。だって基地問題は沖縄だけの問題じゃないもん。

金平 本来はその通りなんです。僕も在京メディアのなかでは沖縄問題を取り上げ続けている自負はあるし、通い続けてもいる。でも、普通の報道マンは違う。「沖縄やったって数字ついてかないから、やったって仕方がない」と平気で公言している局員もいます。

室井 取り上げ方だと思う。「安倍政権に歯向かってる」みたいなつくり方したら、みんな面白いから絶対見るはず。

金平 いやいや、「安倍政権に歯向かってる」というつくり方をしようと思う報道関係者なんて何人いると思ってるんですか? 室井さんも本当はわかってるでしょう。どんなスタッフがどういうことを考えながら原稿を書いているか(笑)。

室井 確かに、すっとぼけて論点をずらしてるとは思います。それは嘘をついているのと同じことだと思う。たとえば、消費税を取り上げるにしても、ポイント還元の話を何時間も延々とやる。それより増税前の約束と違う使われ方をされようとしていること、大企業は減税されて税収入のトータル額はほとんど変わってないということを指摘すべきなのに。


【メディアが生み出した安倍政権の傲慢、統計不正問題でも厚労省が酷い会見】

金平 わかりやすいからね。自殺した西部邁さんが言ったようにJAP.COM(アメリカ属国株式会社)になっちゃったんだよ、日本は。西部さんの言う通りで、国全体が株式会社みたいになっちゃって、儲けをいくらにするとか、ポイント還元とかの話ばかり。日本人のなかに数値主義、視聴率主義がすっかり根付いてしまった。でも、日本の1968、69年頃はめちゃくちゃ面白かったんです。たとえば最近、「1968年 激動の時代の芸術展」に行ったけど、赤瀬川原平のニセ千円札事件についての展示があって。ニセ札をアートとして制作したが起訴された事件だったけど、裁判になって、法廷で証拠物として“ニセ札”が陳列された。それを彼らは「展覧会」と称していて。しかも当時、時代の最先端にあった彼らは数値をバカにするんです。何でも数値化して何かやるのって「バカじゃないの?」って。でも、いまは数値、数値、ポイントポイントばかり(笑)。原子力資料情報室の伝説的人物の故・高木仁三郎も、1970年代、すでに「朝日ジャーナル」で数値化への批判をしていた。数字を物神化させ、それが唯一の価値の尺度となっている批判だったけど、実際、いまの世の中そうなってしまっている。もちろん税金の話もね。

室井 消費税増税にしても「ポイント還元で儲かる」って言われても、そもそも自分たちが払った税金でしょ。それを還元するって言われてもなんだか詐欺にあっている気分だもの。詐欺といえば、福島第一原発の事故対応費が民間シンクタンクの資産によると最大81兆円だというのが朝日新聞に出ていたけど、数値化がそんなに好きなら、81兆円ってすごく大きい金額だし、ワイドショーで出したら国民ぶったまげだと思うけど、ぜんぜんやらない。

金平 いまの政権にとって数値は自分たちの主張を通すための後ろ盾として使う道具だって考え方だから。数値は客観的な事実とか、そういうものではないという。道具だから。だから都合のいい数値しかあげられない。都合の悪い数値は隠す。

室井 最近では厚生労働省の統計不正なんか典型でしたよね。国民を騙すために政権と官僚が好きなように数字を操作できちゃう恐ろしい時代だと実感しました。

金平 ひどい話だよね。あのとき、厚生労働省が報告書を出したときの記者会見に行ったんです。厚生労働省特別監察委員会の樋口美雄委員長が、とにかくひどかった。会見の時間を区切っちゃって、ろくな解説もしないし、記者もあまり突っ込んだ質問しないんだよ。見てて腹立っちゃって。こんなことで記者クラブの連中も納得しているのか?と大いに疑問に思いましたよ。そのなかで僕は一番の年寄りだから「こんなので納得すると思ってるんですか?」というような質問をしたら、会見場が何だかシラっとするわけです。

室井 すっかり飼いならされてる感じがします。番記者なんか政治家が外遊するときにも同じ飛行機で同行したりして。

金平 ドキュメンタリーをやっていた先輩にこんなことを言われたことがあるんです。「記者の起源なんて(取材対象者に)同行して飯食わされたり飲まされたりして情報の密使の任務を果たす、そういうやつがおまえらの起源だよ」って。たとえば今野勉とか村木良彦などTBSが輝いていた時代のドキュメンタリストは「報道のストレートニュースをやっている記者は敵だ」なんて言ってたからね。「どうせ御用聞きだろう?」って。そのくらいラディカルだった。そういう人たちと番記者の間には緊張関係があったから、逆に僕なんかは悔しいから「そんなことストレートニュース部門の俺たちは言われたくない」って思って、一生懸命がんばって、スクープをモノにしようとしましたけどね。


【望月衣塑子記者問題の官邸前デモに参加した記者はわずか20~30人】

室井 番記者との緊張関係といえば、東京新聞の望月衣塑子さんが話題ですよね。それまでほとんどまともな質問をしなかった記者クラブのなかで、菅偉義官房長官に果敢に質問して。それで官邸から排除され恫喝されているのに、他の記者は知らんぷり。逆に「彼女がいると邪魔だ」って言われちゃったりして。会見を見ていても、記者はみんなうつむいてパソコンをカタカタしてるだけ。

金平 3月14日に首相官邸前で新聞記者などメディア関係者らと市民約600人がデモをおこなって、望月記者への嫌がらせに抗議したけど、しかし現役の報道記者は、正直に言うと、20~30人くらいかな。あとはOB、OG、リタイアした人。現役記者としてはデモに参加すると会社に睨まれる可能性もあるからね。でも、それでは大きな力にならない。一線にいるメディア関係者が大挙してやらないと。人ごとじゃなくて自分たちの問題だという意識が希薄なんてすね。しかも望月記者が孤軍奮闘しているなか、江川紹子などが“どっちもどっち論”を主張するなど、ひどい状況です。

室井 自分は関係ない。自分の問題じゃない。番記者なんだから政府幹部センセイの言い分を聞いていればいい。そんな意識なんじゃない。だから望月さんの記者としての当然の問題意識も理解しないし、ひとり怖い思いをしているのも理解できない。わたしも秘密保護法のデモに行ったことありますが、周りを見渡したらメディア関係者や新聞社の人すら本当に少なくて。味方がいないって、本当に怖い。

金平 僕らの本来の仕事は、「権力は監視するものだ」ということで、とにかく権力を批判することです。「ウォッチドッグ」とも言うけど、そうした批判精神を失ったらメディアは存在価値がない。あと、これは筑紫さんが言っていたことだけど「マイノリティになることを恐れちゃダメだ。マジョリティなことを言い出したらダメ」だと。ダイバーシティ、多様性が大切で、一色に染まるのは「気持ち悪い」と。それはメディア人にとって基本ですよね。権力監視、少数派を恐れるな、多様性を尊重する。この3つがあれば少々の失敗は仕方ない。でも、いまのメディア状況を見ると、全部逆の方向にいっている。権力監視じゃなくて、ポチ、御用記者に成り下がり、それを恥じるどころか嬉々としている。田崎史郎とか岩田明子とか、大昔の山口敬之とかね。権力の真横にすり寄って、人事にまで口を出すようになる。

室井 なんでそんな御用記者がうじゃうじゃいて、まかり通っているのか、まったくわからない。

金平 特に最近顕著だと思うけど、テレビの制作側からしたら「政権に近い=便利に使える」という意識もあると思う。一方、御用記者は、政権や総理に近いことを、社内的生き残りの処世術、人事に使うわけです。「わたしは総理と直接話ができますから」と。みんな苦々しく思っているけど、そういう記者は社内的に力を持ってしまう。

室井 安倍政権で置かれた内閣人事局の構造、やり方と一緒じゃない。安倍さんに近い人、お友だち、イエスマンばかりが出世する。

金平 そうです。それがメディアがダメになった原因のひとつですね。御用記者が優遇され社内で出世する。メディア企業で、安倍政権と同じような構造が出来上がっている。ガタガタうるさいことを言う奴はパージされ、吠えないやつのが「かわいい、かわいい」と重宝される。

室井 なんか話を聞いていると、悔しくて絶望的な気持ちになるね。

(近日公開予定の後編に続く)


【広原盛明のつれづれ日記 2019-04-23 】 転載と私見

2019-04-25 06:06:19 | 転載と私見
Ⅰ:転載
沖縄・大阪衆院補選における自民2敗は〝予定の行動〟だった、大阪維新はなぜかくも強いのか(3)

 統一地方選後半戦と沖縄・大阪衆院補選の結果が出た。統一地方選の結果については何れ論じるとして、今回は沖縄・大阪の2つの衆院補選に的を絞って考えてみたい。選挙結果についての各紙1面の見出しは「衆院補選 自民2敗(完敗)」というもので、いずれもが夏の参院選に対する影響の大きさを伝える内容だった。具体的には「政権『常勝』に陰り」(朝日)、「自民、参院選へ立て直し」(日経)、「自民完敗 参院選に危機感」(産経)、「自公2敗 安倍政権に打撃」(赤旗)など、かなり与党に厳しい論調となっている。



 だが、選挙情勢を深読みすると、安倍政権とりわけ首相官邸にとって今回の衆院補選における2敗は〝予定の行動〟だったと言えるのではないか。沖縄は最初から「負ける選挙」と諦め、大阪は敢えて「負ける選挙」だと位置づけていたので、選挙前から「自民2敗」はすでに織り込み済だったのである。自民党関係者が「今回の補選はそれぞれの地域事情に基づくものであり、夏の参院選にはさほど影響しない」と言うのはそのことを指している。



沖縄選挙がもはや利益誘導策では勝てないことは、自民といえどもわかっている。あれだけ民意を踏みにじってきたのだから、今さらどんな利益誘導策も通用しない。沖縄県民の誇りが許さないからだ。一方、大阪は少し事情が込み入っている。安倍政権の政治戦略からすれば、維新とりわけ大阪維新は改憲勢力の「盟友」であり、これを潰すことは絶対にできない。まして、安倍首相と菅官房長官は橋下氏や松井氏と酒食を共にする昵懇の間柄であり、個人的にもきわめて親しい関係にある。首相官邸が創価学会幹部と共謀して大阪都構想住民投票に漕ぎつけたのも、政府の総力を挙げて大阪万博の誘致に取り組んだのも、すべては維新を安倍政権の「手駒」として使うためだ。



 日本第2の都市大阪で、知事・市長という手駒を自由に使える政治効果は大きい。野党共闘を分断する上でも公明党を手なずける上でも、維新を自家薬籠中の物にしておくことは首相官邸にとって政権維持のための最重要事項といえる。これに比べると、自民の国会議員1人や2人を失うことなど物の数ではない。安倍首相や菅官房長官が大阪ダブル選挙で自民候補の応援に入らず、また衆院補選では「負ける」ことがわかってから首相(だけ)がアリバイ的に応援演説に入ったのは、すべてこの判断に基づいている。



 安倍政権にとって、大阪ダブル選挙や衆院補選で維新が息を吹き返し、野党に流れるかもしれない無党派票を食い止めることができればこれに越したことはない。そのためにも夏の参院選の橋頭堡ともいうべき大阪衆院補選で維新が勝利し、その勢いを強めることができれば「何倍もお釣りが返ってくる」と踏んでいるのである。可哀そうだったのは大阪自民だが、なにしろ「弔い合戦」としか言えないような旧い体質のままだから、こんな連中は切り捨てても仕方がないと思われているのだろう。



 ところで、大阪衆院補選にはもう一つ大きな問題がある。それは、共産の議席を投げ打って野党共闘候補として出馬した宮本氏が惨敗したことだ。宮本氏の得票数は1万4千票、得票率は9%で候補者4人中の最下位だった。



【大阪12区衆院補選確定票数】

        60,341(38.5%) 藤田文武 維新  

        47,025(30.0%) 北川晋平 自新、公明推薦

        35,358(22.6%) 樽床伸二 無前

        14,027( 8.9%) 宮本岳志 無前、共産・自由推薦

        156,751( 100%)



 毎日新聞と共同通信社などが共同実施した出口調査によると、宮本候補が惨敗した構図があからさまに浮かび上がってくる。以下はその要約である(毎日、京都19年4月22日)。

(1)大阪衆院補選で投票した有権者の政党支持率は、維新31%、自民27%、公明9%、共産5%、立憲民主4%、無党派層21%などである。ここで注目されるのは野党支持率の驚くべき低さであり、共産と立民を合わせても9%、これに数字としては上がってこない国民や自由を加えてもせいぜい10%余りにしかならない。これでは表向き「野党共闘」を掲げても、有権者にとってはせいぜい「弱小政党の集まり=烏合の衆」程度にしか見られないのではないか。

(2)宮本候補への支持政党別投票率は、共産支持層77%は当然としても、立民支持層27%、無党派層9%とあまりに少ない(国民はゼロ)。立民支持層の大半(57%)は樽床氏に流れ、無党派層は樽床41%、藤田37%、北川14%、宮本9%に分散している。つまり、宮本氏は「野党共闘候補」として位置づけられず、泡沫候補レベルの投票しか獲得できなかったのである。

※朝日新聞の出口調査でも、無党派層の投票先は樽床35%、藤田34%、北川22%、宮本9%とほぼ同じ傾向が出ている。また宮本氏は、「夏の参院選で野党共闘を進めるべきだ」と回答した投票者の中の僅か10%しか支持されていない。つまり野党支持者や無党派層の中の共闘推進派の中で、宮本氏はその代表として認識されていないのである(朝日19年4月22日)。

(3)大阪都構想に対する賛否は、藤田投票者が賛成93%:反対4%(以下同じ)、北川投票者42%:52%、樽床投票者53%:38%、宮本投票者34%:62%である。「大阪都構想の実現で大阪を成長させる」「維新はそのための改革の旗手になる」という維新のアピールが広く有権者に浸透し、宮本投票者の3分の1までが大阪都構想に賛成しているという世論状況が形成されているのである。この世論状況を勘案しないで「大阪都構想反対」一本やりの公約を連呼しても、有権者の耳にはなかなか届かない。大阪を元気にする政策提起をともなわない安倍政権批判や大阪都構想批判だけでは、有権者の心を掴むことができなかった――。このことが、維新圧勝の背景であり、宮本氏惨敗の原因である。



 これに対して、沖縄衆院補選では名実ともに野党共闘のレベルを超えた「オール沖縄」の共闘体制ができあがっている。そして「オール沖縄」は、普天間飛行場の辺野古移設に反対という強固な世論によって支えられている。屋良投票者の89%が辺野古移設に反対であり、無党派層の76%、公明支持層の31%、自民支持層の18%が屋良候補に投票している(毎日、同上)。無党派層による屋良候補投票76%と宮本候補9%との間には、「天と地の差」があると言ってもいい。



 ところが、2つの衆院補選の結果を受けて立憲民主党の長妻選挙対策委員長は、「自民党の失速を感じている。(今後は)野党共闘を強力に進めていきたい」と語ったという(読売19年4月22日)。また、共産党の志位委員長は「宮本候補を先頭とするたたかいは、今後に生きる大きな財産をつくった」と述べている(赤旗19年4月22日)。大阪衆院補選の惨憺たる結果からどうしてこれほどの能天気な総括ができるのか、その真意はいっこうに分からないが、低迷している野党支持率をそのままにして形式的な野党共闘を組んでも結果は目に見えている。沖縄のように無党派層はおろか保守層の一部までも引き寄せることのできる政策を共有することなしには、夏の参院選はおろか衆参同日選挙にも到底対応することはできないだろう。


Ⅱ:私見


 広原盛明氏の結果分析ぬは、なるほど、と肯くことが多く、まなぶところが大きい。
では、日本共産党宮本岳志氏の無所属候補となり、野党共闘をよびかけた実践はどう評価されるべきか。私は宮本たけし候補と次々に応援が広がる様子を同タイムでネットで見てきたので、広原氏の分析は見事とうなりながらも、選択できた作戦としては、あれはベストに近いと思う。

 それでも、投票の数値を見ると驚愕の念に駆られる。

もはや日本社会の状態は、このような客観的情勢下に置かれている。
ここからの戦略は、仲間内での同感だけではなく、安倍政権首脳部の真相を見抜くことと、安倍自民党を支持する世間の社会心理を「あるがままに」見抜くことだ。

選挙戦で結果は意図と異なる場合でも、闘うことそして結果をできりだけ客観的に把握して、その対策をもとに再度挑戦すること。敗北を教訓化して闘い続けることだ。
そのような教訓として、広原盛明氏の分析は実に大切な見識と感ずる。





安保法をめぐる現在の日本を東京新聞記事を転載しつつ考える

2019-04-24 22:52:32 | 転載と私見
            櫻井 智志
構成
➀(新聞紙面から)安保法違憲訴訟 原告敗訴 札幌 全国22地裁で初判決
②【社説】安保法制判決 何も答えぬ司法に失望
③(紙面から)安保法初適用 自衛隊MFO(「多国籍軍・監視団」)幹部2人に防衛相辞令
④安保法廃止法案を提出 参院 5野党、共闘政策の柱
➄私見

Ⅰ:(新聞紙面から)安保法違憲訴訟 原告敗訴 札幌 全国22地裁で初判決
2019年4月23日【社会】面
この記事は電子版では発見できなかったが、同日に、社説は次のように明確に見解を述べている。

Ⅱ:【社説】安保法制判決 何も答えぬ司法に失望
2019年4月23日

 健全な司法か。「安全保障法制は違憲」と訴えた訴訟の全国初の判決が札幌地裁であった。だが、「訴えの理由がない」と原告敗訴。原告や証人の尋問も認めず、一刀両断する司法には失望する。
 集団的自衛権の行使を可能にした安全保障法制は憲法に反するのではないか-。多くの国民が抱いた疑問だ。長く日本政府が個別的自衛権のみを認め、「集団的自衛権の行使はその枠を超え、憲法上、認められない」と国民に説明してきたからだ。明らかに矛盾している。
 原告四百人余りは国家賠償を求める形で訴訟を起こした。平和的生存権の侵害による精神的苦痛などを理由とした。だから、原告たちには法廷で語らせないと、苦痛への理解は深まらない。証人尋問をしてこそ、裁判官も事実の認定ができるはずである。それらを排斥し、強引に審理を打ち切ったのは、乱暴である。原告の弁護団が「司法権力の乱用だ」と反発したのも理解できる。
 判決では「不安は抽象的」「自衛隊の海外派遣の蓋然(がいぜん)性はいまだ低い」などとの言葉が並んだ。しかし、この訴訟の核心は法律そのものが違憲か否かという点だ。
 政府答弁の矛盾に加え、安保法制の合憲性の裏付けとしている「砂川判決」にも致命的な問題がある。駐留米軍に関する一九五九年の最高裁判例である。ここで確かに固有の自衛権を持つと明示した。だが、あくまで個別的自衛権であるのは常識である。集団的自衛権はここでは全く問題になっていない。さらに判例には「一見極めて明白に違憲」ならば、行政行為を「無効」とできると踏み込んだ表現もある。だから、裁判官は「一見極めて明白に違憲」かどうかのチェックが求められるのではないだろうか。
 憲法との整合性への検討が全く見られない。むしろ判断を回避する理屈を駆使しているように感じる。司法に期待される役割の放棄とも受け止める。自衛隊のイラク派遣訴訟で、二〇〇八年に名古屋高裁は「平和的生存権は基本的人権の基礎で、憲法上の法的な権利」と認めた。今回はそれを「具体的な権利と解せない」と後退させた。納得できない。
 判決の根底には、司法は政治的問題に関わりたくないという消極姿勢がありはしないか。あと全国二十四の裁判所の判断が残る。三権分立の基本を踏まえれば、司法権こそ個人の権利侵害の訴えに誠実に向き合うべきだ。

Ⅲ:(紙面から)安保法初適用 自衛隊MFO(「多国籍軍・監視団」)幹部2人に防衛相辞令
(略)
「新任務の規制事実化」明治大学特任教授纐纈(こうけつ)厚氏に聞く
―派遣の意味は。
「中東の平和と安定に日本が貢献することは必要だ。だが、エジプトとイスラエルの軍事衝突の恐れは現在ほぼなく、MFOの役割も形骸化しっつある。派遣には、安保法の実績を重ねて自衛隊の新任務を既成事実化するとともに、海外での自衛隊の存在感を高めたい安倍政権の政治判断があったのではないか」(後略)

Ⅳ:安保法廃止法案を提出 参院 5野党、共闘政策の柱
2019年4月23日 朝刊

 立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の野党五党は二十二日、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法を廃止するための法案を参院に共同提出した。夏の参院選に向け、安倍政権への対立軸として違憲との批判が根強い安保法制の廃止を掲げ、野党共闘の基本政策の柱とする。
 安保法の廃止法案は、二〇一六年三月の同法施行に先立ち、同年二月に当時の民主、共産、維新、社民、生活の野党五党が衆院に共同提出したが、審議されないまま一七年九月の衆院解散で廃案となった。今回は再提出で、関連法を安保法制定前の状態に戻す内容。
 一六年七月の参院選では廃止法案を提出した野党五党のうち維新を除く四党が三十二の改選一人区全てに統一候補を擁立し、十一選挙区で勝利した。
 法案提出後の記者会見で国民の大野元裕氏は「参院選を前に、野党として統一した歩調をしっかりと打ち出すのが目的」と説明。立民会派の小西洋之氏も「他の野党と提出するのは、参院選前の野党共闘の観点からも大変重要で意義深い」と同調した。 (村上一樹)

Ⅴ:私見
  このような一連の流れを頭の中でぼおーっと考えながら、仕事の帰途、駅売りの夕刊フジのトップに『安保法廃棄5野党狂走』の見出しが飛び込んできた。その記事には、大和大学政治経済専任講師岩田厚氏の文章「5野党のあきれた安保法廃止法案提出」が掲載されている。 雑誌『世界』や『週刊金曜日』の読者は読まなくとも、スポーツ、芸能情報から風俗情報、セクシャルな記事・写真の掲載されている夕刊紙を仕事帰りのサラリーマンはさらっと飛ばし読みしつつ、いつの間にか、<野党はあきれたことやってる・・・>と情報は無意識に沈殿していく。
  野党の共闘が「安保法廃止」法案を提出したことは、きわめて貴重な行動である。小泉純一r郎内閣・安倍内閣は、連続して、中東への介入を契機に軍事立法と莫大な軍事兵器製造・米国からの爆買いに膨大な膨張予算を展開してきた。
 国内は政府決定にノー!と意思表示するものをことごとく潰しにかかる。政治団体、政党、報道局、ジャーナリスト、芸能人、音楽家。政府が危険とマークした人物には、別件で追い落とすためのネタ探しにカメラマンから公安刑事まで監視の目を光らせている。
 まさに、社会の表層での異変にとどまらない。日本の社会の仕組み全体の構造が変形し歪み崩れていく状態になっている。その根源は、日本社会の軍事システムへの無理矢理の強制移行にある。
 安倍自民党政権の即時退陣が要求される。同時に、日本の社会の構造、社会経済構成体の歪みを少しずつでもただしていく政治家や政党でなけtれば、なんら安倍自民党政権と本質は変わらない。
 改めて言うが、5野党共同の【安保法案廃止法案】は、軍事社会に坂を転がる勢いの 日本国を救う需要な問題提起である。―了―

【日本歳時記2019.4.20】~TBS報道特集   櫻井 智志

2019-04-21 19:09:53 | 政治・文化・社会評論
➀ 衆院補選大阪12区沖縄3区

 宮本たけし候補は、TV画面のように共産・自由・社民大阪府連が推薦した。だが運動の高まりの中で、無党派、市民連合(山口二郎代表)、国民民主党、立憲民主党と個人が応援して党首や代表が応援に入り、ついに沖縄補選同様に立憲野党5党と市民の本格的な共闘が成立した。マスコミは徹底して投票日前日になっても、この大事実を黙殺し無視しきった。


➁ 保育・教育の重要性
 保育や教育は、国家百年の基礎。ある大学教授は「保育幼稚園から小、中、高、大と上に行くほどもらう給与が上がっていく。逆だ。保育がどれだけ高度の理論的実践的な仕事か、世間でわかっていない」と嘆いた。もっと低年齢の保育教育に携わる国家予算を十分に支出すべきだ。

➂ 外国人「技能実習生」と奴隷的労働実態

 危険な福島原発事故の対応作業に、外国人労働者を政府は充てると知った。非欧米系外国人への民族差別が透けて見える。安倍政権はうすっぺらで場当たりな政策が目立つ。ひとつひとつの行政が明治の大日本帝国憲法への逆方向を向いている。保守でもまともな政治家に早急に交代すべき。

 「奴隷のように働かせられている」という言葉が外国人技能実習生に関わる人びとから出た。安い労働力としか見ない差別主義。戦後の民主化は労働三権を確立した。ウソのような現在日本。いやな国になったと嘆く、そこで止まっては歴史に埋もれて死んでいった人々に申し訳がない。

④ 小沢一郎氏かく語りき

いまの政権には不正や嘘が満ち溢れている
膿の中にぷかぷか浮かんでいるのが総理
閣僚・官僚みんなが忖度で支えている
言い訳イベント雰囲気作りで不正も嘘もなんのその
不正が当たり前の雰囲気を作ってきた
本当にいいのだろうか
宮本たけし候補はそこを訴えている

正体を現した安倍政権『天皇制復活』の陰謀と現実的危機  櫻井 智志

2019-04-18 01:28:38 | 社会・政治思想・歴史

今上天皇ご夫妻の人格は、日本国憲法が明示した戦後民主主義の天皇条項にふさわしい。


日本国憲法条文
第一章 天皇
第一条【天皇の地位・国民主権】 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の 存する日本国民の総意に基く。
第二条【皇位の継承】 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、 これを継承する。
第三条【天皇の国事行為と内閣の責任】 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、 その責任を負ふ。
第四条【天皇の権能の限界、天皇の国事行為の委任】
1 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有 しない。
1946 年 11 月 3 日 公布
1947 年 5 月 3 日 施行 2
2 天皇は、法律(国事行為の臨時代行に関する法律)の定めるところにより、その国 事に関する行為を委任することができる。
第五条【摂政】 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国 事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第六条【天皇の任命権】
1 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条【天皇の国事行為】 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及 び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授不すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第八条【皇室の財産授受の制限】 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜不することは、 国会の議決に基かなければならない。




大嘗祭:
戦後に11月23日の「勤労感謝の日」が、戦前の「大嘗祭」の日の廃止により定められた。天皇制を軍国主義政治が利用し軍事侵略戦争がアジアや海外諸国に悲惨な戦禍をもたらしたばかりか、国民を戦争によって戦死させ、またアメリカなど相手国によって戦死させられた。米軍により広島、長崎に核兵器が投下され、歴史上はじめて核兵器によって攻撃され壊滅的な被害を受けた。その教訓から、戦前の天皇制にかかわる行事は全面的に見直された。

神武天皇、天照大神:
退位する今上天皇・皇后が、あいついで神武天皇や天照大神を祀る伊勢神宮に「報告」、と報道。ここに至って私は、天皇ご夫妻個人とこの国を大きく戦前の天皇制国家に逆戻が圧倒的な速度で驀進していることに目が醒めた。



三権の長:
何気なく見過ごしがちだ。ニュースが「三権の長として安倍首相が」という言葉を聞いた。司法・立法・行政は、裁判所、内閣、衆参国会がつかさどる。そして、三権の長とは、今まで半世紀以上生きて来た私がそのような場合の恒例は、衆議院議長が行ってきた。安倍晋三がここ数年、自らを「立法府の最高責任者」と僭称するたびに国民は安倍氏はボケてきたのか、と。ワイマール憲法を改悪して、「総統」と独裁者となったナチスのヒットラー。同レベルの野望を抱いている恐れが透けてきた。


news23投稿
天照大神は、モデルはあったかも知れぬが神話上の人物。ご退位寸前で超多忙なご夫妻が訪ずれる最後が伊勢神宮とは・・・・神話と歴史の混合から脱する昭和天皇の「人間宣言」だった。憲法第一章【天皇】第三条【天皇の国事行為と内閣の責任】から言えば、明らかに内閣のミスリードと思う。

全文転載「雁屋哲の今日もまた】2019-04-15『奇怪なこと』

2019-04-17 17:22:15 | 転載
奇怪なことが私の身辺に起こったので、ご報告します。
大変に長くなりますが、事の次第で仕方が無い。
お読み頂ければ大変に幸せです。

話しは2014年に遡ります。

その年の4月末に発売された「ビッグコミック スピリッツ」誌の第22・23合併号に「美味しんぼ 福島の真実編」第22話が掲載されると、突然、新聞、テレビ、週刊誌、インターネットで私に対する非難が巻き起こり、しかも、国会議員、大臣、最後には総理大臣まで乗り出してきました。
安倍晋三首相が「美味しんぼ」を風評被害を巻き起こすと非難するのがテレビで流されました。
その回の「美味しんぼ」で、主人公の山岡が福島の取材から帰ってきた直後に食事中に鼻血を出す場面が描かれています。
この、鼻血がいけないと言うのです。
これでは、福島は放射線量が高くて危険なところであるように思われる。
それは、福島に対する風評被害を生み出す、のだそうです。
「風評」とは「デマ」「うわさ」のことです。
しかし、この鼻血が出た問題は根拠のないことではありません。
私自身が、福島の取材から帰って来た次の日の夕食時に突然たらたらと鼻血が出始めたのです。
私はそれ以前に鼻血を出したことは中学生の時に友人たちとふざけていて、自分で自分の膝に鼻をぶつけたときに一回あるだけでした。
それが、食事中に何もしないのにいきなりだらだらと出始めたので、驚き慌てました。
慌てて、近くのソファに横になりましたが、鼻血は頭を高く上げていないといけないそうで、横になるのは間違いなんですね。
さらに、その頃から、非常な疲労感を覚えるようになりました。
最初は取材旅行が重なったからその疲労なんだろうと思っていましたが、日を重ねてもその疲労感は消えないどころか、ますますひどくなります。
誰かが、私の背骨を摑んで地面に引きずり込もうとしているような感じです。
鼻血は一回だけでなく、翌日また出ました。
私は自分の体験をそのまま「美味しんぼ」に書いたのです。
誰に聞いた物でもなく、噂を書いた物でもありません。
実際に私が経験したことを書いたのです。
私は取材の最後に、2013年4月に、埼玉県に避難していた福島第一原発事故の際の双葉町の町長井戸川克隆さんを訪ねました。
たまたまその際に、偶然、岐阜環境医学研究所の所長の松井英介先生が同席されていました。
松井先生が、「福島に取材に何度か行かれたそうですが、体調に変わりはありませんか」と私に尋ねられます。
で、私が「理由が分からないのに突然鼻血が出まして」といったら、松井先生は「やはり」と仰言います。
同時に、福島取材で色々と力を貸して下さった、斎藤博之さんが、驚いて、「えっ!雁屋さんもなの!僕もそうなんだよ。あれ以来何度か出るようになった。病院に行っても理由が分からないと言うんだ」
すると、取材にずっと同行してくれていた安井敏雄カメラマンが、「僕もそうなんですよ」と言います。
なんと、福島取材に行った我々取材班4人の中の3人が鼻血を出していたんです。
ついでに私が耐え難い疲労感について言うと、斎藤博之さんも、安井敏雄さんも「ああ、私もそうですよ」「いや、ひどく疲れてたまらないんです」といいます。
驚いたことに、それを聞いて井戸川前町長が、「私も鼻血が出ます。今度の町長選の立候補を取りやめたのは、疲労感が耐え難いまでになったからです」と仰言るではありませんか。
さらに、「私が知るだけでも同じ症状の人が大勢いますよ。ただ、言わないだけです」と仰言る。
すると松井英介先生が、「大坂で放射能に汚染されたがれきの焼却処理が行われた際、大阪の市民団体がインターネットで体調変化を訴える声を募ったところ、声を寄せた946人中、842人が、鼻血、目、喉や皮膚など空気に触れる部分の症状を訴えている」と仰言った。
放射線だけの影響とは断定できないと松井先生は仰言ったが、それは大変なことではないでしょうか。
松井先生の説明では、「鼻の粘膜や、毛細血管細胞の70〜80パーセントは水で出来ている。水の分子H2Oは放射能で切断されて水酸基(-OH)のような、毒性の強いラジカルと呼ばれるものになる。しかも、ラジカル同士がくっつくとH2O2(過酸化水素)になる。過酸化水素はオキシフルとして消毒薬に用いられるくらい毒性が強い。放射能は直接粘膜や毛細血管の細胞・DNAを傷つけるが、同時に水の分子が切断されて細胞の中に出来るラジカルによる作用が大きい」
ということです。



福島で人びとが受けている放射能被害は、福島第一原発から放出された放射性微粒子によるものです。
放射性微粒子は呼吸によって肺から血管に入り体中に回ります。食べ物や水と一緒に取り込まれ、消化器から血管内にはいり込み、やはり体内に回ります。
そのようにして体内に入った放射性微粒子は何処かの臓器に付着すると、その臓器の付着した部分に害を与える。
微粒子一個はマイクロの単位で極めて小さいけれど、付着した臓器の微粒子の周辺の細胞は破壊される。しかも、その微粒子の数が極めて多い。結果的に臓器の被害は大きくなる。
空間線量が1ミリ・シーベルトとすると、その空間に浮遊している微粒子の数はそれこそ無数。
一呼吸だけで何千・何万の放射性微粒子が体内に入る。
一個当たりの微粒子の害は小さくても、それが、何千・何万となると鼻血を出させたり、疲労感を感じさせる原因を作るのでしょう。
(斎藤博之さんは、私達の福島取材の前に、取材に適した場所を選ぶために何度も福島に通い、結果として私達の数倍被爆したことになります。
その後、斎藤さんの体調は回復せず、歯茎からも血が出るようになり、2017年に脳梗塞で亡くなりました。死因が放射能によるものかどうかは明かではありませんが、私が「鉄の胃袋魔神」とあだ名をつけたほど、活発で食欲旺盛だった斎藤さんが、福島の取材を終えた後、鼻血、激しい疲労感、歯茎からの出血などで、衰弱したことは確かです。東北地方の民俗学的知識の豊富なことと言ったら歩く民俗学事典のような人で、おまけにマルクスの資本論は端から端まで頭の中に入っているという凄さでした。例えば、私が、マルクスが、ルイ15世の愛妾・マダム・ポンパドールの「我が亡き後に洪水は来たれ」という言葉を引用したのは何処だっけ、と尋ねたら、ちょっと待ってねと言って、3,4分後に、あれは第1部『資本の生産過程』第3篇『絶対的剰余価値の生産』第8章『労働日』に書かれているよ、と返事がありました。感性豊かで、明敏な頭脳。本当に惜しい人を亡くしました。私にとって真の友人であり、同志でした。斎藤さん本当に有り難うございました。ご冥福をお祈りします。

斎藤博之さんについてはこのブログにも書きました。
http://kariyatetsu.com/blog/1902.php
(ご一読下されば幸せです。)


以上に述べたように、私が鼻血を出したことは、また私以外の多くの人間が福島第一原発の事故以後福島で鼻血を出していること、疲労感に苦しんでいることは、事実私が体験したことなのです。
風評でもデモまでもない。
私は、嘘を自分の作品に書くような破廉恥な人間ではありません。
私は自分の書くものは全て第三者にも検証可能な事実しか書きません。
自分で調査した資料は保存してあります。

であるのに、安倍晋三首相を始め、テレビ、雑誌、インターネットでは私の言うことを風評だと決めつけ、私を風評被害を福島に与えると言って非難します。
実に理不尽極まりないことで、私の心は煮えくりかえりました。

ところが、「スピリッツ」誌の編集部は私よりもっと大変な目に遭っていました。
担当の編集者から「朝から抗議の電話が鳴り止まずに、編集部全体が困っています」と聞かされたときには私は驚きました。
読者には私の連絡先が分からないから、安倍晋三首相の言葉を真に受けた人たちが、「スピリッツ」誌に文句を言うために電話をかけてくるのだろうと思いました。
そこで、私は、このブログに「私に文句のある人は、私のこのページ宛てに書いて貰いたい。編集部に電話をかけると、編集部が迷惑するから」と書きました。
それで編集部に対する電話攻撃が収まったから思ったらその逆でした。
「雁屋哲は自分のホームページにこんなことを書いているが、そんな奴の漫画を掲載している『スピリッツ』が悪い」と前より一層激しく電話がかかってくるようになったというのです。おかしなことに、私のこのページには一件も文句の書き込みはありません。

安倍晋三首相の言葉に躍らされて私を風評被害引き起こす悪者扱いするような人たちは、ただ騒ぎたいだけで私に直接文句を言ってくる根性も勇気も無い人たちなのだと私は思いました。しかし、そんな単純なことではないことが後になって分かりました。
鼻血問題が掲載されたのは福島編の第22話です。それから第24話まで2話残っていました。電話をかけ来た人たちは自分たちの抗議に「スピリッツ」誌は恐れをなして、次週から「美味しんぼ」の掲載をやめるだろうと思ったのでしょう。
しかし、第22話が掲載された段階で、花咲アキラさんは第24話まで完成させていました。
「スピリッツ」誌編集部も馬鹿げた脅迫電話に怯むような根性なしではありません。当然、第23話、第24話と最後まで掲載しました。
それで、電話をかけてきた人たちは更にいきり立ったようです。
第23話が掲載された直ぐ後、編集長が善後策を検討するためにシドニーまで来てくれました。
その時編集長から詳しく聞いた話は私の想像を絶するものでした。編集部には電話が20回線引いてあります。
その20回線の電話に朝10時の業務開始時間から夜7時、時には10時近くまで電話が鳴り止まないというのです。
それもいきなり怒鳴る、喚く。電話を受けた編集者が返事をすると、その返事が気にいらないと喚く。返事をしないと、なぜ返事をしないと怒鳴る。それが、1時間にわたって続くのです。
編集部員は相手をそれ以上刺激しないように応対するので、神経がくたくたになってしまいます。
編集部員はその度に応対しなければならないし、電話回線は塞がれてしまい、作家との打ち合わせなども通常の時間に出来ない。
そういうことが、毎晩続く。
編集部員は疲れ切ってしまって、このままでは編集作業が出来ないから「スピリッツ」誌を休刊しなければならないかも知れないところまで、追い詰められていると言います。
これには私は驚きました。
こんなすさまじい話は聞いたことがない。
私はこの電話攻撃は大変に不自然だと思います。
私が最初に考えたような単純な問題では無い。
電話をかけてくるのは最初に私が考えたような普通の市民ではない。特殊な人たちだと私には分かりました。
普通の抗議電話とは違います。明らかに、「スピリッツ」誌の編集を妨害して、小学館を傷つけ、「鼻血問題」について謝罪させようという意図を持ったものだと思います。
私個人に対してではなく、小学館を標的にした行為です。
小学館に謝罪をさせた方が社会的に効果が大きいからです。
これは、そのような意図を持った指導者が脅迫のプロたちに命じてさせたことだと思います。
編集部員に対する脅迫の仕方が、あまりに手慣れている。普通の人間には出来ないことです。
世の中には、様々な企業に難癖をつけるのを職業にしている人間がいます。
企業を脅して、嫌がらせを続けて、企業にことを収めるために何らかの金品などを差し出させるのが目的です。
その連中は、プロのクレーマーと呼ばれています。
私は編集長に、そんなことをして来る人間はプロの集団だから相手にしなければ良いと言いましたが、編集長によれば出版社は読者と称して電話をかけてきた相手には丁寧に応対しなければならないのだそうです。
しかも、卑怯なことに私がこのブログに何か書くたびにそれについての文句の電話が殺到するというのです。
実に卑劣な連中です。
私は編集部に迷惑をかけたくないので、しばらくは自分のブログの書き込みをやめました。
小学館は私を守り、「美味しんぼ」福島編も最終回まで、きちんと掲載を続けました。
あの卑劣な集団は目的を達することが出来なかったわけです。



そして話しは2019年に飛びます。
当時の編集長からメールが来ました。
以下に、氏の承諾を得て、そのメールを書き写します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し愉快なことがございましたので
ご報告させていただこうとメールをさせていただきました。
昨年の12月に中国と日本の出版ビジネスを手がけている会社から
日中のデジタル・ゲーム関係のフォーラムに出席しませんかと声をかけられました。

主催は中国の大きなエンタテインメント会社で、今をときめく成長企業でして
そちらの社内見学もできるということなので
喜んで出席させていただきますとお返事いたしました。
ところがです。フォーラムの主催は中国の会社なのですが
日中のフォーラムということで、北京の日本大使館と
JETRO(日本貿易振興機構)が共催に入っておりまして
仲介をしてくれた会社から「大使館からNGが出ました」という連絡がありました。

最初「?? 中国大使館からNG?」かと思ったのですが
もちろん日本側からでした。
おそらく僕の名前をネットで検索したところ、
『美味しんぼ』関係でいろいろ出てきたので
経産省か大使館の人がそんなヤツは呼ぶな、となったのだと思います。僕も大物になったものです(笑)。

僕ではなく他に小学館の人で出席できる人はいませんか?
というので、さすがに日もないのでお断りいたしまして

「誰がいかなる理由で僕はダメと判断したのか」を教えてほしいと
お伝えしたところ、今にいたるまでなんの回答もありません。
お役所のビジネスマナーは楽でいいな~と思いました。

このような影響力のある作品に関わることができて
大変光栄だなと、この年末年始しみじみ考えておりました。
本当にありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、この後、この話を私のブログに書いて良いだろうかと、氏に問い合わせたところ次のようなメールを頂きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この国は、いったいいつから
こんなつまらないことになってしまったのだろうと
憤慨しております。「忖度」なんて、本当に卑屈な
根性が言わしめる言葉だと思います。
「小学館でほかにいい人いませんか?」というのも
失礼な話です(笑)。

あまりにマナーを欠いた話なので、「経緯を教えてほしい」と要望して
その返事を武士の情けと申しますか、少し気長に待ってあげようかとしているところです。
いよいよ、これは本当に無視するつもりだなと思ったら、
僕も「ちょっと聞いてくださいよ~」とあたりに触れて回ろうかと
思っていますので、ぜひブログにお書きいただければと存じます。

権力のありようについて、『男組』で雁屋さんが示されていた
社会や、登場人物たちのありようを今一度、みなで振り返る必要がありますね!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、この元編集長の味わったと同じようなことを私が味わいました。
それを以下に記します。

それは、今年(2019年)の3月半ば過ぎのことです。
あるテレビ局のディレクター氏からメールが入りました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そのディレクターの関わっている番組である食べ物を取り扱うことになったが、その食べ物は、かつて、「美味しんぼ」で取り上げられたことがある。
そこで、番組の中で、「美味しんぼ」のその場面を取り上げたい。
それについては小学館から承諾を得た。
そこで、原作者の私にも承諾を得て、その上、その食べ物を取り上げた「美味しんぼ」のその回について、また、その食べ物について私の話を聞きたいので電話をかけたい、」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と言う内容でした。

その番組の内容からして断る理由は私には全くありません。
私は、承諾して、シドニーの自宅の電話番号も相手に知らせました。
それが週半ばのことでした。
ところが、その次の週の初めに、そのディレクター氏から、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「実はあの後、上司からの進言で方針が番組の内容がガラっと変わってしまい、『美味しんぼ』のカットを使用するという演出自体がなくなってしまいました」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一体これはどう受取れば良いのでしょう。
安倍晋三首相が私のことを「風評被害を流す人間」と非難するのがテレビで流れて以来、私はなんだかおかしな感じを懐くようになったのです。
おかしな感じというのは、テレビ、雑誌、などのジャーナリズム関係の人が、妙に私に対して白々しい態度を取ることが気になり始めたのです。
私は2015年に「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」という本を出版しました。
これは、私の鼻血問題について「風評被害」だと非難した人びとに対する反論の本です。
その本を、今話に出ているテレビ局とは別のテレビ局が取り上げて私に話を聞きたいと言ってきました。

私は自分の本を多くの人に知ってもらう機会になるだろうと考え、番組に出演しました。
私はあるジャーナリストと対談をする形になりました。
そのジャーナリストは三十代か四十代前半という若い人で、売れっ子であるらしく、書くものを最近週刊誌のコラムで読むことがあります。
そのジャーナリストは、私との対談をするのに開口一番「僕は雁屋さんに反対です」と言いました。
私は、会うやいなやそんなことを言われて驚き、気をそがれました。
何も話をしないうちに、対話の最初にいきなり「雁屋さんには反対で」とは何のことでしょう。
私は私の何に対して反対なのですか、と聞こうと思ったのですが、そのジャーナリストは私に聞く暇を与えず、どんどん話を進めて行きます。
私の何かの意見に反対なのではなく、私という人間の存在に反対だというのでしょう。
その口調もなんだか、事件の被疑者を詰問するような調子で、私は大変に居心地の悪い思いをしました。
いきなり冒頭で、「雁屋さんに反対です」と言ってしまっては、それからのそのジャーナリストは私に反対する立場から私に何か訊くという形になるので、全体の流れは当然私の意見をきちんと伝えることからはほど遠いものになりました。
番組を見ている人たちは、私が懸命に何か弁解しているように思ったことでしょう。

それは一つの例で、その後も何度か頼まれて幾つかの集まりに出席したのですが、そこに集まった人たちの態度が何かおかしい。
私から、一歩引いて接する。よそよそしい。

以前は「美味しんぼ」の原作者と言うことで、非常に好意的に親しく私の話を聞きたいと言う態度を取る人が圧倒的に多数でした。しかし、今は、私を見る目つきが違う。関わり合いになるまいとするように、用心深く私から引く。
私の話しも、話半分程度に聞いている、という感じがするのです。
これは決して、私のひがみ根性のせいではありません。

以前と比べれば、自分がそれまでとは違った受取られ方をしていることは、どんな人間でも皮膚感覚みたいなもので感じ取ることが出来ます。
こんなことがあったので、「美味しんぼ」を番組内で使いたいとテレビ局のディレクター氏が言ってきたときに、私は「大丈夫なのかな」と思ったのです。
それが、「上司からの進言で番組の内容がガラッと変わってしまい」ということになったので、私は「スピリッツ」元編集長の受けた仕打ちや、鼻血問題以来私自身が受けている厭な感じの延長で、この件も受取りかけています。
どうして上司は番組をガラッと変えるような進言をしたのか。
私はそんなことでなければ良いがと思いますが、心の隅に、その上司は安倍晋三首相に「風評被害を流す人間」と名指しで非難された私と関わり合いになることは避けたい、と考えたのではないか、と言う思いが浮かんでくるのです。

こんなことを言うのは、私の一方的な思いこみだと、言われるかも知れません。
しかし、最近こんなことが続いているので、どうしてもそういう考えが浮かんでくるのです。
私がブログにこんな内容のことを書く、と「スピリッツ」の元編集長にメールを送ったところ、元編集長からこんな返事が来ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのディレクター氏が仰有っているように
「同じような演出を考えるディレクター」がいて
次の企画はちゃんと通ることを願ってやみません!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私もそう願っています。
このテレビ局の話は別にして、私の鼻血問題を通じて言えることは、この国では真実を語ってはいけないと言うことです。
反対に、安倍晋三首相とその取り巻きたちはどんな嘘を言っても誰もとがめません。
安倍晋三首相は2013年9月7日にIOC総会で、オリンピックを東京に招致するための演説を行いましたが、福島第一原発について、
「福島の放射能は、福島第原発からの放射能に汚染された水は福島第一原発の港湾から0.3キロ平方メートル以内に完全にブロックした」
「福島の現状は完全にコントロールされている」
「福島第一原発はこれまでに東京にダメージを与えていないし、これからも与えない」
と言いました。

私は、2013年10月3日付けのこのブログに、「Open letter to the IOC」と言う記事を書き、それが、全部嘘であることを指摘しました。
http://kariyatetsu.com/blog/1611.php

外国人にも読んでもらえるように英文で書いてあります。
私の書く英文だから、極めて平易です。ご一読下さい。

そんな嘘を言った人間が、私が実際に体験した鼻血を風評だというのですから呆れるばかりです。
また、その嘘を見逃すこの日本の社会にも呆れるばかりです。
一つの国が滅びるときには必ずおなじことが起こります。
支配階級の腐敗と傲慢。
政治道徳の退廃。
社会全体の無気力。
社会全体の支配階級の不正をただす勇気の喪失。
同時に、不正と知りながら支配階級に対する社会全体の隷従、媚び、へつらい。
経済の破綻による社会全体の自信喪失。
これは、今の日本にぴったりと当てはまります。

私は社会は良い方向に進んでいくものだと思っていました。
まさか、日本と言う国が駄目になっていくのを自分の目で見ることになるとは思いませんでした。
一番悲しいのは、腐敗した支配者を糾弾することはせず、逆に支配者にとっては不都合な真実を語る人間を、つまはじきする日本の社会の姿です。
雁屋 哲

【広原盛明のつれづれ日記】 大阪府議会、大阪市議会でも維新旋風の煽りを喰って野党各派は激減した、大阪維新はなぜかくも強いのか(2)

2019-04-14 17:52:18 | 転載と私見
改憲派「3分の2」時代を迎えて(その150)
2019-04-14



 2019年4月7日の大阪ダブル選挙投開票日から1週間、選挙の全貌が次第に明らかになってきた。統一地方選の後半が控えているので各党の選挙総括はこれからだが、野党各派は総括作業に苦しむのではないか。それほど見事な負けっぷりであり、単なる負け惜しみのコメントだけではすまされないからだ。まずは、知事選と大阪市長選の結果を地域別に見よう。以下は、その概要である。



(1)知事選では、政令市(大阪市、堺市)、府下31市、同10町村のいずれを取って見ても吉村候補(維新)が小西候補(自公、他)をほぼ6:4の割合で圧倒した。大都市から町村に至るまで維新票が平均して6割(強)を占めたことは、維新が浮動票の「風」に乗っているのではなく、安定した固定票によって支えられていることを示している【表1】。

(2)大阪市長選では、衆院選挙区別に見ると若干の差はみられるもの、いずれの選挙区においても松井候補(維新)が過半数の得票で柳本候補(自公、他)を大きく引き離した。また、大阪市における維新票は、知事選70万票(6割強)、市長選66万票(6割弱)でその差がきわめて少ない。「入れ替え出馬」という奇策が「知事・市長セット投票」という有権者の選択行動に結びつき、事前に不利が予想されていた市長選情勢を覆す結果となったのである【表2】。



【表1.大阪府知事選、市町村別得票数・得票率】

       吉村洋文(維新)    小西禎一(自公)    投票者数(含無効票)

大阪市     703,329(60.9%)   436,195(37.8%)   1,155,316(100%)

堺市      203,620(59.5%)   133,252(39.0%)    342,102(100%)

31市    1,309,216(65.6%)    660,218(33.1%)   1,996,038(100%)

10町村     49,938(65.3%)    24,535(32.1%)   76,451(100%)

計      2,266,103(60.9%)   1,254,200(37.8%)    3,569,907(100%)



【表2.大阪市長選、衆院選挙区別得票数・得票率】

                松井一郎(維新) 柳本顕(自公) 投票者数

衆院1区(中央・西・港・天王寺・浪速)122,685(59.1%) 81,927(39.5%) 207,537(100%)

衆院2区(阿倍野・東住吉区・平野) 106,605(53.9%) 88,803(44.9%) 197,897(100%)

衆院3区(大正・住之江・住吉・西成) 106,301(53.2%) 90,710(45.4%) 199,902(100%)

衆院4区(北・都島・福島・東成・城東)149,947(61.1%) 91,876(37.5%) 245,240(100%)

衆院5区(此花・西淀川・淀川・東淀川)124,583(58.4%) 85,321(40.0%) 213,204(100%)

衆院6区(旭・鶴見) 50,698(56.1%) 38,214(42.2%) 90,372(100%)

計      660,819(57.2%) 476,351(41.3%) 1,154,152(100%)





次に、府議選、市議選の結果の傾向についてである。前回統一地方選における両選挙の党派別得票数をまだ入手していないので詳細な比較はできないが、総じて大阪は府議選、市議選ともに革新・リベラル勢力が(著しく)後退しており、かっての支持層であった無党派層の大半が維新に流れているとみられる。



(1)府議選、市議選の党派別得票数は、維新が府議選では過半数、市議選ではそれに近い比重を占めて圧倒的な存在を示した。これに対して自民は両選挙とも2割前後、共産はその半分の1割前後、公明は府議選では1割、市議選では1.5割強であり、立民は影が薄い。【表3】。

(2)府議選は、定数1の選挙区が全53選挙区の6割近い31選挙区を占め、第1党派が議席を独占する傾向が強い(いわゆる「小選挙区制」の影響)。維新は、前回選挙の1人区で自民から議席を奪って躍進したが、今回は31選挙区で26議席(8割強)の議席を獲得し、また定数2以上の選挙区でも第1党の位置を譲らなかった。その結果、維新は前回の40議席に対して51議席を獲得し、過半数を制したのである。これに対して公明は現状を維持したものの、自民は9議席を失って15議席に後退した【表4】。

(3)大阪市議選は定数1の選挙区がなく、定数2が5選挙区(2割)、定数3以上が19選挙区(8割)と事実上の中選挙区制である。その影響で府議選のように大きな議席変動が起こることは少ないとされていたが、それでも今回は維新の躍進で共産が9議席から4議席へ半減(以上)するという激変が生じた。共産は市議会運営においてもこれまで無視できない影響力を発揮してきただけに、今回の大幅減によって議会運営に構造的な変化が起こることも予想される【表5】。



【表3.大阪府議選、大阪市議選、党派別得票数・得票率】

      維新   自民   公明  共産   立民  無所属  計

府議選 1,530,336 698,403 311,332 243,270 58,695 173,507 3,017,349

(%) 50.7 23.1 10.3 8.0 1.9 5.7 100.0

市議選  499,275 190,951 173,045 111,462 38,367  43,976 1,058,685

(%) 47.1 18.0 16.3 10.5 3.6 4.1 100.0



【表4.大阪府議選、定数別、党派別議席】

          維新 自民 公明 共産 立民 無所属 計

定数1(31選挙区) 26 3 ―   ―  ―   2 31

定数2(15選挙区) 15 7 8   ―  ―   ―   30

定数3(2選挙区)  2   2 2  ―   ―   ―    6

定数4(4選挙区)  7   2 4 1   1  1   16

定数5(1選挙区)   1   1  1 1 ―   1    5

計(53選挙区)  51  15 15 2 1 4   88

改選前 40 24 15 2 ―  3   88(欠員4)



【表5.大阪市議選、定数別、党派別議席】

          維新 自民 公明 共産 無所属  計

定数2(5選挙区)   5  2   2   ―   1   10

定数3(9選挙区)  15  6 5   ―  1   27

定数4(5選挙区) 10  3 5 ―  2   20

定数5(4選挙区)  8  4   4 4 ―   20

定数6(1選挙区)   2  2  2 ― ―    6

計(24選挙区)   40 17   18 4 4 83

改選前 33 21 19 9   2  86(欠員2)



 今回の大阪ダブル選挙(知事、大阪市長選)の結果については、各紙とも大きな紙面を割いて分析しているのであまり付け加えることもないのだが、府議選・市議選の結果はそれに劣らず重大な影響を与えるものと思われる。そのことに言及した数少ない解説記事に、毎日新聞(4月11日)の分析がある。以下、抜粋して紹介しよう。

 「7日投開票の大阪市議選(定数83)で共産党大阪市議団が9議席から4議席に半減し、56年ぶりに本会議で代表質問できない『非交渉会派』になる可能性が浮上している。大阪維新の会の大勝で立憲民主党は議席を得られず、議会の総保守化が進行している。大阪市議会では、代表質問権などを持つ『交渉会派』になるには内規で5議席が必要だ。共産党市議団が非交渉会派になれば、1963年以来。共産は今回、22人を擁立したが、瀬戸一正団長ら現職4人と元職2人を含む18人が落選。このままでは議会運営委員会に入れず、本会議での一般質問もできなくなる」 

 選挙結果を受けて、すでに公明には大きな変化が生まれている。大阪都構想の住民投票に向けての協議に公明が入らなければ、次期衆院選で公明現職がいる関西6選挙区で対抗馬を立てる―と維新から恫喝されているからだ。既得権益を何よりも大事にする「常勝関西・公明」のこと、「虎の子」の衆院6議席を失うことなど想像もできないだろう。いかなる犠牲を払っても取引に応じることは容易に予想されることから、遠からず大阪都構想法定協議会での議論が始まるだろう。そのとき、「反維新」各会派はいかなる行動をとるのか、これからの新たな戦略なしには事態に対応できない。今回の選挙総括はそのことと密接に結びついている。


【私見】
 大阪市議会の議席の現状は、危機的な様相を呈している。
➀大坂自民党は維新の会よりはまともで、リベラルである。日本共産党が自民党と共闘して府知事選・市議選で候補を擁立していることに異論はない。
②ただ、神奈川県知事長洲一二氏の3期目、川崎市長高橋清氏の2期目に、社共をベースとした初当選に旧民社・公明以外に、自民が相乗りした時点で地域の共産党は独自候補をたてるようになった。明確な変質を見越しての独自候補だった。
➂衆院大阪補選に、宮本たかし参議院議員が共産党から無所属の野党共闘候補として立候補。自由党社民党が推薦に回った。
➃立民・国民は公然とは明示していない。しかし、無所属元とうたった樽床伸二候補は、民進党が小池都知事の策謀で民進党解体をはかって「希望の党」を作った時の民進側から出た初代の代表代行である。そのような候補に国民党立憲民主党が明確な態度もあきらかにせず、野党共闘も投げ出している。
 以上4点を広原盛明氏の深い示唆から得たことに感謝している。