予防医療教育はとかくマイナーな分野だと思われているが、理論上、潜在的にはかなりの可能性がある。例えば、すべての人がタバコを止め、アルコールをほどほどにし、食事もほどほどにして、週3回運動をする。この4つを完全にやれば、医療費が全体の3分の1が減ることわかっている。で、前述したようにいま43兆円が使われているので、14兆円が生まれる。逆に言えば、14兆円の医療費を削減できるのであれば、効果が高い予防医療のエビデンスを
積み重ねれば、雇用がそこで生まれる。医薬品と違って予防教育を担当する栄養士さんなどが地元で雇用できることになる。
・いま米国でも大きな産業で残されたのは医療だけ
こうした動きはいま、世界中でもいえる。例えば、米国においても大きな産業は実は医療しか残されていない。米国の地方都市、ボルチモアを例にあげれば、昔の米国映画では、製鉄業と造船業があって、USスティールで栄えていたのだが、いまも100万都市なのだが、最大の雇用先はジョンス・ポプキンス大学病院である。ここは全米でもトップ3の大病院なのだが、最大の雇用先となっている。雇用がなくなれば人がいなくなり、地方が衰退するので、地方消滅を防ぐためになんとか病院だけは残したいと、地方自治体が補助金を出している。しかも、ハイテク医療では、マネーが外に出て行ってしまうので、同じ医療費であっても予防にマネーや人間のリソースをシフトさせていくべきである。
https://bit.ly/3y9xCAb
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0534「北東アジア経済共同体」 新たな国際関係
3755 非営利組織の拡充 賃金の引き上げ
4325 医療(予防医療)分野での雇用創造 新しい非営利活動
トータル 5638 医療経済学による所得倍増計画 ゆうへいきょう
1%の富裕層ではなく、99%の人々の生活を豊かにする!集英社新書医療経済学の立場から、日本の進むべき道を示唆。皆さんも考えてください。
(庶民大学TV Japan 三木義一・青山学院大学名誉教授)
https://bit.ly/3A19scQ
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「もはや国際協力の時代ではない」・・・・・卒業した学生から出た一言。国際協力NGOの訴求力のようなものが減っているとずっと思っていたので、無言のまま聞く。グローバル化がこれほど進むのに、「国際協力」に対する人々の関心の輪郭がぼやけてきているのはなぜか。その理由として私の中には3つのことがぼんやり浮かぶ。
「貧困(または災害・難民)だけを見て、それ以外のグローバル要因を見ない」
「チャリティ的距離で市民を寄付者化する」
「組織維持マインドがにじみ出てしまう」。
どうしたらいいのか?
この3つを裏返して言ってみると、「多様なグローバル要因とその関係を意識する」「ビジネスや市民の参加で活動の持続性担保する」「社会インパクト重視」となるのだろうか?
https://bit.ly/3denX3e
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藻谷浩介・評
『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』=安田峰俊・著
毎日新聞2021/6/26
来たのは弱者でも敵でもない、人間
今の日本は、幕末に似ている。平和で治安も良く、大衆文化は花盛りだ。しかし政治行政は江戸幕府なみの旧例踏襲体制で、新たな課題に新たな手法で対処する意欲も力もない。幕末じみた“身分制度”も存在する。性別、年齢、入学歴、正規・非正規の別、会社の親子関係、親族の社会的地位など、実力と無関係の属性次第で、地位も賃金も変わるのだ。おまけに、諸問題を外国のせいにして、日本人だけで引きこもりたいとの、“攘夷(じょうい)”的な気分が蔓延(まんえん)している。
だが、幕末とまったく違う点もある。たとえば、何国人相手でもフラットな目線で交われる本当の国際人も、若い世代を中心に存在する。それに鎖国時代と違って、300万人近い外国籍の人が、日本に住民票を置いて暮らしている。
そんな正規の在日外国人の中には、「外国人技能実習生」が40万人前後含まれる。だがその実態は名称とは違い、最低賃金で資格不要の肉体労働に従事する「『低度』外国人材」だ。かつて多かった中国人は彼我の経済格差縮小で激減し、今はベトナム人が中心となっている。そのベトナム人にとっても魅力は薄れており、情報に弱い者が勘違いして応募する例が増えているらしい。最低賃金すらピンハネされる職場を逃れる者もおり、昨年秋に北関東で頻発した家畜や果実の窃盗事件では、そうした不法滞在者(ベトナム人は兵士(ポドイ)と呼ぶ)の集団が摘発されている(詳しくは本書最終章参照)。
というような話を聞けば、「不良外国人は入れるな」と“攘夷気分”の反応を示すか、弱者を虐待する制度は改めよと唱えるか、どちらかの人が多いだろう。だが“本当の国際人”の一人である著者の、このレポートを読めばわかる。外国人労働者は、別に悪人でも一方的な弱者でもないと。いい奴(やつ)もちょっとイヤな奴も、気の回る女も“コミュ障”の男も皆、私欲と自堕落さと愛嬌(あいきょう)と、いくばくかの利他精神とを併せ持った、普通の市井の人たちなのだ。
フラットな目線で、取材相手と車座で語りあい、生きた日本語で再生する著者の文章は、掲題書に限らないがとにかく面白い。笑いあり、脱力あり、ホロリと哀愁ありで、止(や)められずに読み終えてしまうだろう。そして改めて「はじめに」の、「われわれは記号としての弱者や敵を想定していたのに、いたのは人間だった」との一文に、納得する。
攘夷気分は、外国人を「記号」として見るところに発生し、相手も生身なのだと感じた先に鎮まる。攘夷を唱えつつ後に開国に転じた薩長もそうだったし、「鬼畜米英」と呼んだ相手にチューインガムをもらって愛想笑いした、我々の父祖もそうだった。そうした過去を忘れて、人間の記号視を続けると、異性をも記号化して体の触れ合いのない人生を送り、知己をも記号化してデジタルの世界にこもり、しまいには自分が「日本人」という記号だけで括(くく)られた「1億2千万分の1」になりかねない。
ベトナムでも経済発展と少子化が進む。次はカンボジア人だ、〇〇人だと焼き畑的な募集を続けるほど、「低度外国人材」が片隅に吹き溜(だ)まる。それを避けたければ、低所得の日本人を含めた老若男女・国籍多様の労働者たちを、記号ではなく普通の人間として扱うことから、始めるしかない。
(日本総合研究所主席研究員)
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(書評より)とても信じられないほどの事件の続出
私が一大教養(修養)小説と呼ぶ「石光真清の手記」4部作のうちの第2巻がこれ。日清戦争の結果、ロシア研究の必要を痛感した著者は、当時の陸軍のロシア研究の第一人者参謀本部次長田村怡与造の方針に従って留学先をブラゴヴェヒチエンスクに選ぶ。当地はロシアの満洲侵略のための最大の軍事拠点だった。留学といっても森鴎外などのアカデミックなドイツ留学などとはまるで性質がちがう。身分を偽ってロシア人宅に寄留し、語学に熟達したスパイとなってロシアの軍事状況を探索するのが最大の役目である。
著者はその目的を達するために、究極的にはハルビンで写真館を開業する事とし、そのための資金は参謀本部が負担することとなったが、そのハルビンがどんな所かは、陸軍参謀本部とはいえ、知る者は殆どいない。著者がその途上でどう行動しようとある程度は自由であるが、その結果は、国家には絶対に迷惑がかからぬようにせよというのが軍の方針である。つまり「死しても骨を拾う者なし」というスパイ映画でおなじみの酷薄な境遇に、著者はみずから望んで身を置くことにするのである。
当時はシべリア鉄道、東清鉄道の建設の途中で、その建設にはかなり多数の日本人の技士や工夫が関係していたらしい。秘密を探るべく、ドイツ、イギリス、アメリカ等の各国のスパイが魑魅魍魎よろしく暗躍している最中である。そこに義和団の事件が起こり、ロシアの拠点が攻撃されたのを奇貨として、ロシアは一挙に満洲侵略を開始する。ブラゴヴェヒチエンスク近辺で起こり、現在でも「黒竜江事件」として知られるロシアの清人虐殺事件を、著者はマザマザと見ることになる。
それ以後の著者の身辺に起こる事件は、小説家がフィクションとして書いたら、とてもリアリズムとしては成立しそうもないことばかりである。例えば、著者は、厳寒の北満で、暖気の全くない馬賊の石牢に放り込まれ、一日一回のメシとかけ茶碗一杯の水で2カ月過ごして骨と皮のようになるのであるが、はたしてホントだろうか。骨と皮ばかりか、数日間で凍死するのが当然ではないかという疑問が湧いてくるが、そこはそれ、ノンフィクションということでとにかく納得させるような書きっぷりになっている。 この作品は一々地図と照合することなしに理解はできない。私などは叔父が満鉄に勤務していた関係上多少とも満洲の地名には馴染みがあるが、それも夏目漱石の「満韓ところどころ」どまりであって、チチハルだの、満洲里、まして愛暉(アイグン
)だのという地名は満洲全地図と首っぴきをしなければ理解できない。さいわい本書には冒頭に略図が載っているのが便利であるが、いつかは本書を解説する博学の評論家が現れ、縦横に解説してくれる日がくることを
待ちたい。
「曠野の花」石光真清
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「文字の獲得は光の獲得でした」 346万回視聴された
[ハートネットTV] 不発弾で両目と両手を失って教師になる | NHK 2021/04/16
https://www.youtube.com/watch?v=C_Yftji3qf0 5分
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積み重ねれば、雇用がそこで生まれる。医薬品と違って予防教育を担当する栄養士さんなどが地元で雇用できることになる。
・いま米国でも大きな産業で残されたのは医療だけ
こうした動きはいま、世界中でもいえる。例えば、米国においても大きな産業は実は医療しか残されていない。米国の地方都市、ボルチモアを例にあげれば、昔の米国映画では、製鉄業と造船業があって、USスティールで栄えていたのだが、いまも100万都市なのだが、最大の雇用先はジョンス・ポプキンス大学病院である。ここは全米でもトップ3の大病院なのだが、最大の雇用先となっている。雇用がなくなれば人がいなくなり、地方が衰退するので、地方消滅を防ぐためになんとか病院だけは残したいと、地方自治体が補助金を出している。しかも、ハイテク医療では、マネーが外に出て行ってしまうので、同じ医療費であっても予防にマネーや人間のリソースをシフトさせていくべきである。
https://bit.ly/3y9xCAb
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0534「北東アジア経済共同体」 新たな国際関係
3755 非営利組織の拡充 賃金の引き上げ
4325 医療(予防医療)分野での雇用創造 新しい非営利活動
トータル 5638 医療経済学による所得倍増計画 ゆうへいきょう
1%の富裕層ではなく、99%の人々の生活を豊かにする!集英社新書医療経済学の立場から、日本の進むべき道を示唆。皆さんも考えてください。
(庶民大学TV Japan 三木義一・青山学院大学名誉教授)
https://bit.ly/3A19scQ
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「もはや国際協力の時代ではない」・・・・・卒業した学生から出た一言。国際協力NGOの訴求力のようなものが減っているとずっと思っていたので、無言のまま聞く。グローバル化がこれほど進むのに、「国際協力」に対する人々の関心の輪郭がぼやけてきているのはなぜか。その理由として私の中には3つのことがぼんやり浮かぶ。
「貧困(または災害・難民)だけを見て、それ以外のグローバル要因を見ない」
「チャリティ的距離で市民を寄付者化する」
「組織維持マインドがにじみ出てしまう」。
どうしたらいいのか?
この3つを裏返して言ってみると、「多様なグローバル要因とその関係を意識する」「ビジネスや市民の参加で活動の持続性担保する」「社会インパクト重視」となるのだろうか?
https://bit.ly/3denX3e
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藻谷浩介・評
『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』=安田峰俊・著
毎日新聞2021/6/26
来たのは弱者でも敵でもない、人間
今の日本は、幕末に似ている。平和で治安も良く、大衆文化は花盛りだ。しかし政治行政は江戸幕府なみの旧例踏襲体制で、新たな課題に新たな手法で対処する意欲も力もない。幕末じみた“身分制度”も存在する。性別、年齢、入学歴、正規・非正規の別、会社の親子関係、親族の社会的地位など、実力と無関係の属性次第で、地位も賃金も変わるのだ。おまけに、諸問題を外国のせいにして、日本人だけで引きこもりたいとの、“攘夷(じょうい)”的な気分が蔓延(まんえん)している。
だが、幕末とまったく違う点もある。たとえば、何国人相手でもフラットな目線で交われる本当の国際人も、若い世代を中心に存在する。それに鎖国時代と違って、300万人近い外国籍の人が、日本に住民票を置いて暮らしている。
そんな正規の在日外国人の中には、「外国人技能実習生」が40万人前後含まれる。だがその実態は名称とは違い、最低賃金で資格不要の肉体労働に従事する「『低度』外国人材」だ。かつて多かった中国人は彼我の経済格差縮小で激減し、今はベトナム人が中心となっている。そのベトナム人にとっても魅力は薄れており、情報に弱い者が勘違いして応募する例が増えているらしい。最低賃金すらピンハネされる職場を逃れる者もおり、昨年秋に北関東で頻発した家畜や果実の窃盗事件では、そうした不法滞在者(ベトナム人は兵士(ポドイ)と呼ぶ)の集団が摘発されている(詳しくは本書最終章参照)。
というような話を聞けば、「不良外国人は入れるな」と“攘夷気分”の反応を示すか、弱者を虐待する制度は改めよと唱えるか、どちらかの人が多いだろう。だが“本当の国際人”の一人である著者の、このレポートを読めばわかる。外国人労働者は、別に悪人でも一方的な弱者でもないと。いい奴(やつ)もちょっとイヤな奴も、気の回る女も“コミュ障”の男も皆、私欲と自堕落さと愛嬌(あいきょう)と、いくばくかの利他精神とを併せ持った、普通の市井の人たちなのだ。
フラットな目線で、取材相手と車座で語りあい、生きた日本語で再生する著者の文章は、掲題書に限らないがとにかく面白い。笑いあり、脱力あり、ホロリと哀愁ありで、止(や)められずに読み終えてしまうだろう。そして改めて「はじめに」の、「われわれは記号としての弱者や敵を想定していたのに、いたのは人間だった」との一文に、納得する。
攘夷気分は、外国人を「記号」として見るところに発生し、相手も生身なのだと感じた先に鎮まる。攘夷を唱えつつ後に開国に転じた薩長もそうだったし、「鬼畜米英」と呼んだ相手にチューインガムをもらって愛想笑いした、我々の父祖もそうだった。そうした過去を忘れて、人間の記号視を続けると、異性をも記号化して体の触れ合いのない人生を送り、知己をも記号化してデジタルの世界にこもり、しまいには自分が「日本人」という記号だけで括(くく)られた「1億2千万分の1」になりかねない。
ベトナムでも経済発展と少子化が進む。次はカンボジア人だ、〇〇人だと焼き畑的な募集を続けるほど、「低度外国人材」が片隅に吹き溜(だ)まる。それを避けたければ、低所得の日本人を含めた老若男女・国籍多様の労働者たちを、記号ではなく普通の人間として扱うことから、始めるしかない。
(日本総合研究所主席研究員)
==
==
(書評より)とても信じられないほどの事件の続出
私が一大教養(修養)小説と呼ぶ「石光真清の手記」4部作のうちの第2巻がこれ。日清戦争の結果、ロシア研究の必要を痛感した著者は、当時の陸軍のロシア研究の第一人者参謀本部次長田村怡与造の方針に従って留学先をブラゴヴェヒチエンスクに選ぶ。当地はロシアの満洲侵略のための最大の軍事拠点だった。留学といっても森鴎外などのアカデミックなドイツ留学などとはまるで性質がちがう。身分を偽ってロシア人宅に寄留し、語学に熟達したスパイとなってロシアの軍事状況を探索するのが最大の役目である。
著者はその目的を達するために、究極的にはハルビンで写真館を開業する事とし、そのための資金は参謀本部が負担することとなったが、そのハルビンがどんな所かは、陸軍参謀本部とはいえ、知る者は殆どいない。著者がその途上でどう行動しようとある程度は自由であるが、その結果は、国家には絶対に迷惑がかからぬようにせよというのが軍の方針である。つまり「死しても骨を拾う者なし」というスパイ映画でおなじみの酷薄な境遇に、著者はみずから望んで身を置くことにするのである。
当時はシべリア鉄道、東清鉄道の建設の途中で、その建設にはかなり多数の日本人の技士や工夫が関係していたらしい。秘密を探るべく、ドイツ、イギリス、アメリカ等の各国のスパイが魑魅魍魎よろしく暗躍している最中である。そこに義和団の事件が起こり、ロシアの拠点が攻撃されたのを奇貨として、ロシアは一挙に満洲侵略を開始する。ブラゴヴェヒチエンスク近辺で起こり、現在でも「黒竜江事件」として知られるロシアの清人虐殺事件を、著者はマザマザと見ることになる。
それ以後の著者の身辺に起こる事件は、小説家がフィクションとして書いたら、とてもリアリズムとしては成立しそうもないことばかりである。例えば、著者は、厳寒の北満で、暖気の全くない馬賊の石牢に放り込まれ、一日一回のメシとかけ茶碗一杯の水で2カ月過ごして骨と皮のようになるのであるが、はたしてホントだろうか。骨と皮ばかりか、数日間で凍死するのが当然ではないかという疑問が湧いてくるが、そこはそれ、ノンフィクションということでとにかく納得させるような書きっぷりになっている。 この作品は一々地図と照合することなしに理解はできない。私などは叔父が満鉄に勤務していた関係上多少とも満洲の地名には馴染みがあるが、それも夏目漱石の「満韓ところどころ」どまりであって、チチハルだの、満洲里、まして愛暉(アイグン
)だのという地名は満洲全地図と首っぴきをしなければ理解できない。さいわい本書には冒頭に略図が載っているのが便利であるが、いつかは本書を解説する博学の評論家が現れ、縦横に解説してくれる日がくることを
待ちたい。
「曠野の花」石光真清
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「文字の獲得は光の獲得でした」 346万回視聴された
[ハートネットTV] 不発弾で両目と両手を失って教師になる | NHK 2021/04/16
https://www.youtube.com/watch?v=C_Yftji3qf0 5分
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