【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

  鈴木正『戦後精神の探訪』を読む

2020-12-30 23:59:00 | 社会思想史ノート
2019年12月30日 | 社会思想史ノート

 思想史家鈴木正の労作である。『書評拾集 日本近現代思想の諸相』『月日拾集 日本近現代思想の群像』につぐ戦後日本における思想史の探究である。
 誠実な実践家であった鈴木は、肺結核に罹患してやむなき静養につとめる。唯物論研究会と思想の科学研究会の研究会に所属して、今までに思想家論に力点を置き、社会思想史の研鑽に努めてきた。
 私が氏の存在に着目したのは、「岩田義道論」や、古在由重とご本人との対談など数回に及ぶ労作を掲載した季刊『現代と思想』においてである。この季刊雑誌は、一九七〇年から十年間にわたって青木書店から、江口十四一編集長のもとに刊行され続けた思想哲学雑誌である。統一戦線の思想的基盤を形成することをめざして編集された。一九七〇年代の革新運動の知的思想的母胎のひとつとよんでも大げさではない。そこで鈴木正の言論に感銘を受けて、以降氏の著作を店頭などで見つめると必ずといっていいくらいに購読したり図書館で借りたりして読み続けてきた。

 本書は二〇〇五年三月が初版である。副題として「日本が凝り固まらないために」と記されている。歴史、人物、思想の三章から成立している。そのいずれも独創的な着眼点から思想を見つめ、堅苦しくない語り口の文体で、新鮮な思想史学を読者に提供している。中でも私には、第二章の「人物」編が強く印象に残った。
 第二章で取り上げられている人物は、のべ二十人。「思想の科学研究会」における最良の方法論を駆使して、著名な思想家に偏らず、草の根の無名な人々に着目している。我が国の民衆史において継承するに値する真価を腑分けしてる。読み進むにつれてひきこまれてゆく。
 梅本克己、芝田進午、古在由重、尾崎秀實、小林トミ、中江兆民研究者、安藤昌益研究者、白鳥邦夫、栗木安延、石堂清倫、家永三郎、藤田省三、土方和雄、江口圭一、高畠通敏などの広範で多岐にわたる人物についての叙述は、鈴木正ならではのものである。
 中には、日本共産党の側にいるひと、日本共産党から追われたひとなどひとつの視点から見たら、相反するように見える人物選択には、鈴木の政治と思想に対する生き方と着眼点の見事さをうかがい知ることができる。誰でもなんでもよしとする、というのではない。同時代にどのように生きていたかの人間的な姿のありようを見極めて、多面的な人間像として把握するとともに、その矛盾や実態についてしっかりと見極めている。
 古在由重は、核廃絶問題に取り組み、原水禁と原水協との統一行動における大衆運動の実践をめぐり、日本共産党と対立した結果、除籍された。芝田進午は、胆管がんでご逝去されて偲ぶ会の席上、友人代表として挨拶に立った上田耕一郎から永年党員と賞賛された。日本共産党からすれば、一方は好ましい存在として、他方は党の方針と異なる行動をとった存在として、両者は百八十度異なる価値付けをされるかも知れない。
 だが、芝田は古在由重を戸坂潤とともに、戦前に独創的な世界レベルの唯物論哲学を築き上げた実践的唯物論者として尊敬していた。
 鈴木正は、古在由重が戦時中に日本共産党員がすべて獄中につながれ、党が壊滅した後で、京浜地域の工場労働者たちの秘密学習会のチューターとして、実質的な党活動を行ったことを紹介している。同時に、中国共産党が日本からの侵略下で、激しい弾圧に対して「偽装転向」として転向上申書を書いて獄中から出て、即刻反戦活動を行ったことを述べている。その偽装転向は、中国共産党の政治的高等戦略として、中央指導部からだされた極秘方針として広く浸透していった。古在由重は、二度転向の上申書を提出している。ところが獄から出て、古在は即刻コミンテルンのスパイとして逮捕されていた尾崎秀實を釈放するために、弁護士を探すことに奔走し、弁護士を探し出すことに成功した。結果は、尾崎秀實は釈放されることはあたわずに、日本人共産主義者として唯一死刑に処された。鈴木正は、古在の実質的な抵抗としての反戦党活動の意義を、戦時下の中国共産党の戦略と照らし合わせて意義を讃えている。
 また芝田進午についても、「私にとって芝田さんはフェアで寛容な人だった。」という書き出しで始まり、「小宮山量平氏(元理論社会長)がいう左翼に多い”分裂体質”とはちがった芝田さんのありし日の面影を偲びながら、つくづくもっと生きて活躍してほしかったと思う。」と結んでいる。小宮山量平は、つい最近2012年4月13日に95才の長寿ながら老衰でご逝去された。鈴木正は、本書では直接論じてはいないけれど、小宮山量平の「統一体質」という思想の気風で共通するものをお互いに感じている。鈴木と渡辺雅男と二人で小宮山から聴き取る対談集を『戦後精神の行くえ』(こぶし書房刊)として出版している。小宮山量平については、いずれ機会を改めてその比類なき文化形成の労作ぶりについて検証したい。
 梅本克己は主体的唯物論として、石堂清倫は構造改革派として、藤田省三も政治思想的問題でそれぞれ日本共産党からは除名や除籍されている。鈴木正は、この三者をレッテル貼りで済ますようなことはしない。とくに石堂清倫は、グラムシを日本に紹介した先駆者である。いわゆる運動戦に対置して陣地戦をグラムシは提起して、先進的資本主義国での革命の論理を提起した石堂の卓越さを、惜しむことなく讃える。そして、石堂清倫と同郷で先輩の中野重治をも視野に入れて論じている。藤田省三についても、丸山眞男の政治学を継承した政治思想史の碩学として、藤田の学問的人間的豊かさを描き出している。 
 戦後直後に「主体性論争」の一方となる梅本克己についても、「戦後活躍した哲学者の中でも最も好きな一人である」と述べて、懐かしく梅本の、大衆につながる日常感覚の確かさと民族・日本人への深い関心の二点を特筆している。主体性論については、先に挙げた小宮山量平が、戦後直後に理論社から『季刊理論』を出版して、初期の黒田貫一をいちはやく逸材として発掘して、表現の場を与えている。黒田は、日本共産党と袂をわかち、革命的共産主義者同盟を組織して、革共同が分裂してからはいわゆる革マル派の理論的指導者として注目された。小宮山は日本共産党とも革共同とも無縁であったが、党派にとらわれず、納得したり共鳴したりする点では広く胸襟を開いて対話を行っている。その思想的体質は、小宮山量平と鈴木正とに著しく共通する点で、後の世代が継承するべき大切な事柄と考える。

 鈴木をしてこのように戦後史における知識人を、近現代思想史上に位置づけて的確に把握させている基盤や原動力はなになのか?そのことが第一章の「歴史」、第三章の「思想」を読むと、はっきりとわかる。鈴木は、名も無き民衆の生活知と賢い理性とを大切にしている。そのことが、歴史上の無名な民衆や歴史の奥底で眠る重要な存在を発掘している。
 「アテルイを知っていますか」という第一章の節では、桓武天皇の命を承けて東北地域「制圧」のために派遣された坂上田村麻呂によって滅ぼされた側の蝦夷の大将アテルイについて言い及んでいる。この節を読むと、歴史をどう見るかということを単眼でなく、複眼で見ることの鈴木の視座が明晰に伝わってくる。この見識も、2000年に京都清水寺の境内の墓碑の発見から始まっている。何気ない事物を虚心坦懐に見つめ、そこから思想史学を構築してきた鈴木の学問的方法論に、氏が青年の頃から学んできた思想の科学研究会での新たな学問的アプローチが体現されている。限られた紙数では語り尽くせない氏の、戦後史に題材をとった豊かな学問的発掘が本書には展開されている。
 副題の「日本が凝り固まらないために」が同時に副題とされている第一章中の「敗走の訓練と散沙の民」という文章が象徴的である。森毅が、朝日新聞の対談記事で、
「昔の軍事教練で、敗走の訓練を覚えてます。隊列を組むな、バラバラで逃げろといわれた。・・・・・固まって逃げたら一斉にやられる。今、経済は『第二の敗戦』といわれてるでしょ。そんな時、みんな一緒のことやってたら、終わりです。」と述べていることに思いを寄せる。鈴木は、こうも述べている。
「メールをすぐ送るとか、ワープロで打った習作か草稿程度の文章を他人(ひと)に見せるとか、近ごろははき出すことが多すぎてどうも念慮が足りない。どうせ大した調査研究でないから、あとで盗作や剽窃といった心配も一向にないらしい。じっと息を懲らさないと表現は彫琢できないのに。携帯電話も同じで、ゆっくりする時間を奪う。ある友人は、恋人の間ではケイタイは監視機能を果たす凶器だ、とくさしていた」。
 この節には、じっくりと考え、思想を熟成するような営みを軽んじて、電脳「文化」によって文化がculture「耕される」ものではなく、多機能映像機器の駆使としてしか扱われていない文明論的危機の表明が提起されている。さらに、孫文が中国の民衆を「散沙の民」と称したことと絡めての重要な指摘がなされている。こちらは直接これから読書なされるかたのために省略する。

本書に収められた鈴木正の論文は、名古屋哲学研究会の機関誌『哲学と現代』や労働運動の機関誌『人民の力』に執筆した論文が多い。名古屋をはじめとする中京文化圏は、名古屋大学哲学科の古在由重、真下信一や日本福祉大学の嶋田豊、福田静夫など有数の哲学者の足跡がある。法学の長谷川正安、社会学の本田喜代治、政治学の田口富久治などの学者の名が思い浮かぶ。唯物論研究協会に結集する哲学者の中にいる鈴木は、同時に鶴見俊輔や久野収などの思想の科学研究会でも今も研究を続けていらっしゃる。二つのフィールドが鈴木の学問をいっそう広く深いものとしている。
 叙述の方法としては、鈴木は、歴史や人物に依拠しながら、思想について思想家を通じて論じている。何回か読む内にはっとした。叙述は読者が読みやすいような語り口となっ
ている。しかし、研究の方法としては、かなり構造的な範疇と歴史性とを踏まえて研究を進められていらっしゃる。そのことは、第一章の歴史編を読み、論じられている内容に注意すると見えてくる。その点を明確にしたいと考えたが、評者の力に余る作業なので中途で挫折した。いくつか事例をあげることで代えたい。
 たとえば、「日中友好に尽くした人々」は、副題として「政治家、学者、芸能人から無名な一市民に至るまで」と書かれている。日中友好という歴史的事業がどのような担われ方をしたか、その主体と運動に着眼した構想をを示す典型と思う。また、「老人よ 哲学に戻れ」や「『愛』『反戦』の背後にあるもの それは人間」「孤高を嫌う現代人」などのタイトルに、主題と着眼点、思想史学の方法などが明晰に示されている。

 最後にひとつ。第一章「歴史」の中の『「愛」「反戦」の背後にあるもの それは人間』の節である。著者は、最後をこう結んでいる。
「愛の神エロスと人間男女間の好色的(エロティック)な愛の境界線を引き離してはいけない。それが平和を愛する人間の知恵である。」と。
 真面目である人、潔癖な正義感のもち主が、通俗のなかの光るものまで卑属とさげすみ、汚れると感じて、根っからそういうものをバカにして目も向けないとしたら、それは独善となってさまざまな多くの人と協力して戦争反対の実をとることはできない、鈴木はそう主張する。その主張には私は賛成する。たとえば休刊となった月刊『噂の真相』の健闘がある。編集者・作家の岡留安則は、いまは沖縄に住んでジャーナリスト活動をしている。その岡留が送り出した『噂の真相』は、一方ではスキャンダルやエロティックな記事も共存していた。スキャンダル記事は、当時の自民党政治家など権力者を撃った。本多勝一氏とは裁判にいたるなどさいごは犬猿の仲となったが、同じ週刊金曜日の佐高信などからはそのすぐれた報道感覚を評価されてきた。岡留の場合には、鈴木の主張が的確にあてはまり私にも理解できる。しかし、その根拠のひとつとしてヌードモデルとしてメッセージ入りの写真集などを発売しているインリン・オブ・ショイトイの事例があげられているる。週刊現代のグラビアの写真のそばに、彼女自らによって添えられたメッセージがある。
「愛 国家を捨て、個人のために生きよう。暴力を捨て、理性の為に生きよう。人間なら生存の為に出来るはずだ。」「非戦 平和を願うことは、ボケでも、理想主義でもない。平和は対話努力で築くものであり、武力・軍事同盟で生まれる事はあり得ない。」
 正直私には、迷いがある。若い女性のインリン・オブ・ショイトイについては知っているが、著者の所論と彼女の芸能活動とは接続するものなのか。現在東京新聞の夕刊で、瀬戸内寂聴が『この道』と題する長編のルポルタージュを執筆している。そこでは大杉栄と伊藤野枝のやりとりをはじめ、性愛の奔放な実際と人間史を描き出している。エロスは人間の解放と分かちがたい。けれど、たとえば沖縄返還に関する密約を暴き出した毎日新聞の西山記者は、外務省の女性事務官との間を「情を通じて」いう偏見におもねる謀略で失墜させられて、長年経ってアメリカ機密外交文書が公開されるまで辛酸を舐める苦闘に陥った。そのことは山崎豊子の小説『運命の人』とそのTBSテレビドラマ化で広く知られている。戦前の非合法化の日本共産党の党員とハウスキーパーの女性たちとの関係は、戦後に厳しく世間で冷たい目にさらされた。鈴木正の展開の八割には、納得しながらも、生命の再生産過程に位置する恋愛や婚姻、性行為や出産など広義の「性」は、鈴木の結論とどのように構造化されるものか、私には読み下せない残り二割の課題として残された。          (農山漁村文化協会人間選書 2005年 定価1950円)

左翼から右翼への転換とマルクス主義の方法の問題(2013年)社会思想史ノート

2020-12-30 23:31:45 | 社会・政治思想・歴史
櫻井智志


 牧太郎氏は毎日新聞社の記者だった。牧氏がサンデー毎日で連載『牧太郎の青い空 白い雲』を受け持っている。四月七日号を呼んでびっくりした。石原慎太郎氏の三男の宏高氏のパチンコメーカー業者との「腐れ縁」スキャンダルを取り上げつつ、書いている別のことに驚いたのだ。

 牧太郎氏の原文のまま写す。
【石原一家は慎太郎・裕次郎の天才的な兄弟が作ったファミリーである。結束の家族である。その柱を作ったのは、二人を産み、育てた母親だった。
 今でこそ、右翼?の慎太郎さんだが、高校生の時は左翼だった。『太陽の季節』を引っ提げて華々しくデビューしたとき、『サンデー毎日』は「五つの道をゆく”石原慎太郎批判”」と題し、9ページの特集を組んだ(1956年9月9日号)。記事の中にある湘南高校時代の教師の証言。
「慎太郎が高校一年生の時だった。学生運動が盛んになろうとしていた48年に、民主学生同盟にいち早く入り、学内に社会研究会を作った。日本共産党へのヒロイックな気持ちにかられていた時、母は”大衆のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても後悔しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい。それならお父さんが、どんなに反対しても、私は賛成する”と言った。この言葉にそのあくる日から慎太郎は学生運動を離れている」
 慎太郎は後に「主義主張が母親の意見で変わるなんてウソですよ」と否定的に語っているが、慎太郎は若い時から「家族」を大事にするタイプだった。】

 この話で出てくる民主学生同盟は、日本共産党との関係はやや微妙である。日本共産党の幹部であった志賀義雄氏(徳田球一氏とともに獄中に十八年いて非転向を貫いた)が、ソ連の核実験の時に、共産党主流派と対立してソ連を支持した。そのために志賀義雄氏、中野重治氏、佐多稲子氏らとともに共産党を除名され(主体的には離党して)「日本共産党日本のこえ」を創設した。このときに共産党の青年組織であった民主青年同盟(民青)と別に結成されたのが民学銅である。私は1970年代初期に早稲田大学の民学同にいたいとこから一緒に活動しないかと入学時に勧められてあいまいにことわった記憶がある。民学同の学生は、自らを新左翼とは思っていないし、早稲田大学で学生運動の主導権を当時握っていた革マル派からは「スターリニスト!」と呼ばれていた。
 
 かつて週刊金曜日の編集委員で私が尊敬する評論家の佐高信氏が石原慎太郎氏と対談したことがあった。対談の内容が掲載された雑誌の次週の投書欄は、佐高氏が石原氏とあいまいで強く厳しく論破していないことに読者は怒りを感じたらしい。
 だが、石原氏がかつて左翼学生運動を高校生の頃に経験していて、なおかつ60年安保の時には大江健三郎氏、江藤淳氏らとともに「若い日本の世代の会」を結成して安保反対の意思表示もしたことがあった。石原氏は既に保守反動化していたと思うが、左翼経由の石原氏に佐高氏は活字にならない対話があったか、予想していた石原氏と異なる何かがあったのだろう。本多勝一氏が大江健三郎氏を『貧困なる精神』で徹底的に批判したのと比べて、佐高氏と石原氏の議論にはやや性質の相違が感じられる。

 私は今年2013年3月にこぶし書房から双書こぶし文庫「戦後日本思想の原点」シリーズの一巻として復刻され出版された鈴木正氏の『日本思想史の遺産』を思う。
 そこで鈴木正氏は「有機的知識人の思想と行動」として古在由重氏を読み解いている。

【古在によれば、本来の方法とは、ものの見方・考え方ということばから、ともすれば表象されがちな、知識を獲得するための一つの術といった外的なものではない。それはわれわれの知識と生活のすみずみにまで養分を与え、それを成長させるための根のようなものである。生活と闘争のなかで、真に生きてはたらく思想体系は、かならず実践と結合するはずだが、その連結点にこそ、方法の問題がよこたわるというのが古在の立場である。それにひきかえ、理論と実践の行動の統一の確立ないし回復をくりかえし規定しなおし、再定義してゆく領域を、マルクス主義が自覚的にもっていることを認めないものには、所詮、方法の問題は意識されずに終わる。
(中略)「現在」と「実践」に参加する姿勢と切れた、ひたすら「過去」と「文献」をあさる態度である。 そこには史料操作の技術的方法(批判)はあっても、まともな意味での歴史的方法(批判)は、最後まで存在しない。われわれが思想の生きた歴史をみるとき、思想の科学性だけではなしに、思想に対する誠実、勇気、責任等の実践性ないし倫理性をみすごすなら、けっしてその真相をつかむことができないだろうというのが、これと対極に位置する存在の思想史の方法である。】

 大江氏の評論に「言葉の再定義」というような表題の評論集を読んだ覚えがある。大江氏は、マルクス主義者ではないが、鈴木正氏が古在氏の思想を継承している箇所(太字部分)を見事に無意識のうちに踏襲している。

 鈴木正氏が表現した文中は、左翼とは何か、左翼が右翼になぜ簡単に転換するかの疑問を解く本質がある。通り一遍の左翼用語を難解な言葉で論文に書いたりしゃべるようになるまでは、さほどの年月は要しない。しかし、繰り返し繰り返し理論と実践の行動との確立を規定しなおし、再定義しなおすという生き方は、それほど簡単なことではない。
言い換えれば、左翼とよばれる集団や個人の中にも、情勢が変われば簡単に周囲の状況に適応して保守反動にも容易に転換する事例が多々あるだろう。

 私は神奈川県に住んでいるが、他の地域が中心の社会人の学習運動に消極的に加わる機会があった。生活の多面的な要素をとらえて、講演会や映画鑑賞会、学習会をインターネットなどの現代的機器も活用してかなり広範な人数を動員している。私は内部のメーリングリストの討論に加わった。情勢が戦前のような危機の時代に入ったら、この集団は変わっていくだろうと思った。それは指導者自らが、思想的方法として体系化された左翼思想にはくわしいけれど、他者の意見と自分たちの意見とがどこが違うかを吟味して、討論して相手の指摘する事実が何を示しているのかを理解しようとする態度に疑わしい様子がうかがわれたからである。ツイッター、フェイスブック、メーリングリストと現代が軍事技術開発の鬼子として生まれたインターネット・テクノロジーは革命的な技術である。文明の様相を大きく変えたといってよい。それを容易にこなしている独創性は素晴らしいし、現代社会の特徴である最新技術をこなしていると感心する。
 ただインターネットの向こう側にある思想の方法はどうか。ふだんのやりとりはそうでもないが、たまに起きる事柄がある。指導者とその支持者が発言に権力をもち、異論を差し挟む者たちが指導者に問い続けている内にそれは起こる。異論を唱える者を強制的にインターネットのサークルから排除していく。私の友人も同じ処置を受けたが、それから次の年に、私も退会に付された。見解の応酬に疲れはて三月いっぱいで退会すると公開で表明した。わずか四日後に月がかわるのに、即刻強制的にインターネットの回路から切断された。理論は述べても、相手の意見をうけとめない。両者が議論において公平な立場にない。その学習運動の代表者への異論は、学習運動団体からの排除へとつながっている。
 ここに私は科学=技術革命の資本主義的形態をまとって技術革新時代における新たな装いの教条的方法主義をみる。ルソーやペスタロッチ、日本で言えば林竹二、丸木政臣、中野光などの教育思想家たちは「教師は子どもによって教育を媒介として教育される」ことを見究めて、学習や教育の思想的意味をあきらかにしている。

 現代の肯定すべき左翼、さらにいえばマルクス主義者たちは、自らが対象とむかいあい相手の現象や人間達とのずれを見つめつつ、それにどう対話し議論するかについて、理論と自らの実践との統一的な確立を規定し直し、再定義しなおす勇気が必須である。
 そのような覚悟のない左翼や社会主義者たちは、簡単に右翼に転換する。現在の左翼の中でも最も伝統的理論的正統的な日本共産党や社民党が、七月の参院選の結果によっては参院から政党でなく政治団体に転落しそうな厳しい政治の季節を迎えているのは、マスコミの操作や教育による教化、選挙制度の改悪、労働運動への弾圧と懐柔など系統的な反動支配層からの戦略的対策が功を奏してのことである、
 しかし、もしも本当に社会主義や共産主義が政治的冬の時代でも次の歴史を展望させるだけの民衆的支持を得ようと心から願うのならば、教条的で固定的なスタンスではなく、虚心坦懐に他者の意見を吟味し、時には受け入れ時には説得し、理論と行動との統一のために何度も何度も規定し直し再定義し直していく勇気ある謙虚さが必須である。
 このことがわからないと、自分への批判を誹謗しているのだと思い込んで冷静さを失う。相手に非難を浴びせ続け、サークルにおける相手の存在そのものを否定しようとしていく。かつて「内ゲバ」は、日本の革新運動に壊滅的なダメージを与えた。連合赤軍リンチ殺人事件はその典型だった。日本以外で、カンボジア・ポルポト政権、戦時中のソ連、毛沢東指揮下の文化大革命。次々に異端者が処刑されていった事実があきらかになった。長い目で見ると、一進一退の連続で世界史は変わり続けてきた。けれど、科学的社会主義が思想の方法としての社会主義の人類史的な理想的意義を示すとしても、思想の方法が実践された場合だけである。

【色平哲郎氏のご紹介】 斎藤幸平 NHK 100分de名著

2020-12-30 20:11:05 | 転載
2021年1月4日(月)2225-2250 Eテレ

第1回 「商品」に振り回される私たち
【指南役】斎藤幸平(大阪市立大学経済学部准教授) 
日本人初、史上最年少でドイッチャー記念賞を受賞した俊英。 著書に「大洪水の前に」「人新世の資本論」などがある。
資本主義下では、社会は豊かになっていくのに一部の人々はますます貧しくなっていく。この「富のパラドッ クス」をマルクスは鋭く分析した。もともと水や土地、エネルギーといった公共財は無償であり潤沢に存在し ていた。ところが資本主義黎明期、これら公共財は、もっとお金が稼げる「商品」として農民から強制的に引 きはがされる。いわば資本によって公共財が解体され「希少性」が人工的に生み出されていった。結果、農民 たちは賃労働をせざるを得ない賃金労働者へと変貌。「商品」に頼らないで生きていくことはもはや不可能に 。「商品」を購入するには「貨幣」が必要だ。だから「貨幣」を求めて人々は必死に働かなければならないが 、多くの人は借金、貧困、失業の脅威に晒され続ける。一方で一部の人はますます富をため込んでいく。第一 回は、「希少性」に取りつかれた社会の不安定性と矛盾にメスを入れることで、私たちがいかに「商品」とい うものに翻弄されているかを明らかにする。 https://bit.ly/2JsTJhd

第2回 なぜ過労死はなくならないのか

第3回 イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を産む!?

第4回 〈コモン〉の再生 ○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」 576円 https://www.nhk-book.co.jp/list/series-33014.html
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<月刊 SDGs 2020年12月号>過疎の命綱 住民が高齢者の足 ◆日本発 母子手帳 世界へ 甲南女子大・中村安秀教授に聞く https://bit.ly/2KzDsYr
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「敗戦後論」 この本の中で加藤さんは、日本の侵略戦争の犠牲になったアジアの2000万の死者に哀悼を捧げ、 彼らに謝罪するためには、その前に、日本の300万の死者を哀悼しなくてはならない、 と論じています。 すると、右派と左派の両方から激しく批判されました。 右派からの批判は加藤さんとしても織り込み済みのものだったと思います。 右派はーーつまり靖国の英霊を崇拝するような人たちーーは、アジアの2000万の死者に 謝罪するのが気に入らなかったわけです。 加藤さんが予想していなかったのは、左派からの批判です。 左派は、加藤さんが、日本の死者への哀悼を先においたことが気に入りませんでした。 それは、靖国の英霊を称えるのと同じだと思われたのです。 しかし、そうではないのです。 加藤さんはこの点でやや説明不足だったのですが、アジアの死者への哀悼だけではなく、 日本の死者への哀悼にもまた、一種の「謝罪」の意味が含まれているのです。 何を謝罪するのか、というと、「現在の我々」が「我々の死者」を裏切らざるをえない、 ということをです。 彼ら、日本の戦争の死者は、「我々」のことを思い、崇高な大義のために死んだつもりです。 しかし、「現在の我々」は、その思いを受け継ぐわけにはいきません。 そして、日本の死者に対して、その死を無意味だった、といわざるをえません。 我々が、敗戦によって得た理念ーー平和や戦争放棄や国民主権の理念ーーに基づき、 アジアの死者に哀悼を捧げるということは、日本の死者を裏切り、 「あなたたちの死は無意味だった」と宣告する、ということです。 これほど日本の死者に申し訳ないことはありません。 だから、現在の我々は、アジアの死者に哀悼を捧げる前にまず、日本の戦争の死者を、 深い謝罪の意味を込めて哀悼しなくてはならない、というわけです。 これは、現在の日本人が、敗戦以前の「我々の死者」を独特の仕方で取り戻す ことを意味しています。 「独特の仕方」という部分が重要です。 加藤さんは、「ねじれ」という言葉を使っています。 一方では、現在の我々と「死者」との間の連続性を認めています。

しかし、それはまっすぐな連続性ではなく、ねじれた連続性です。 死者を裏切るのですから。 けれども、自分たちは死者を裏切ったことを自覚し、そのことに痛みを感じなくてはならない のです。 そのことによって、死者と現在の我々との連続性を認めたことになるーー つまり死者がまさに「我々の死者」になるーーわけです。

少し難しげな表現を使えば、死者との間に否定を媒介にして連続性を確立することで、 その死者を「我々の死者」とするということです。 「否定を媒介にする」とは、「裏切りと謝罪」を同時におこなうことです。 このような意味での「否定」という要素を介在させることでのみ、 日本人は、「我々の死者」を取り戻すことができます。

繰り返しますが、すでに死んでしまった者の思いを受け取ることができない人は、 まだ生まれて来ない未来の他者のことを思うこともできません。
「敗戦後論」 加藤典洋の著書。 1995年『群像』1月号に「敗戦後論」を発表。 他国の戦死者に対する哀悼よりもまず自国の戦死者への哀悼を優先すべし、という挑戦的な 提案をめぐって、社会思想研究家・高橋哲也(1956ー)他の知識人との論争が展開された。
加藤は翌年よりパリの哲学国際学院で研究に従事したが、それらの論争はパリ滞在中にまとめられ、 97年に『敗戦後論』(伊藤整文学賞受賞)として出版された。


加藤典洋  1948ー2019。 文芸評論家。 山形出身。 国立国会図書館勤務時代にカナダに留学し、同地にて鶴見俊輔の英語による授業を聴講する。 帰国後評論活動をはじめ、1985年に日本の戦後を新たな角度からとらえた 『アメリカの影』を発表し注目される。 著書に『言語表現法講義』『敗戦後論』『戦後的思考』など。 明治学院大教授、早大教授を歴任。 【「ナショナリズムの成り立ちと構造」より抜粋 大澤真幸  NHK出版 「ナショナリズム」 2020年9月】

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QUIZ 「ある自民党議員」とは、いったい誰でしょう?
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2010年は民主党の鳩山内閣のときでした。 2010年2月5日の衆議院予算委員会で、ある自民党議員は当時こんなことを言っていました。 ひとつは小沢一郎さんの事務所が、政治資金規制法違反の疑いで元秘書だった方を含めて逮捕、 起訴された直後のやりとりです。 その自民党議員は 「非常に残念だが、民主党の皆さんから異論や批判の声がほとんど出ていない。 民主党に自浄作用・能力がないのではないか。 小沢幹事長も全くと言っていいほど説明責任を果たしていない、 総理の対応も適切でない、というこれが国民世論だ」 と迫っていました。 さらには鳩山さんも刑事事件になっているからお答えは差し控えますという、 今回の菅さんのようなことを言っておられました。
しかし自民党議員は、 「総理、それは全くおかしいと思いますよ。 これだけ重要な事案を民主党の代表として確認していないということはおかしいじゃないですか」 「検察が厳正に公平な捜査をできる環境をつくるのも、総理大臣の役割だ」 ということも迫っていました。 この自民党議員は2010年からさかのぼること10年前、2000年の夕刊フジのコラム を引用して見解を求めました。 この議員曰く 「鳩山総理は非常に洞察力のある政治家だと私は思いました。 総理は自自連立政権ができるその直前にこう書いているんです。

〈小沢氏の発想は、明文化された法律でも内閣次第でどのようにでも運用可能というもの。 独裁者の思考なのです。 「自自連立」政権が続いて小沢首相が誕生することなれば、 「オレは法律だ」「オレに従え」と振る舞われるつもりなのか? とても、法治国家の政治家の発言とは思えません。 戦時中の統制国家が復活する危機感を感じますよ〉。

これは総理が署名入りで書いています。 いかがですか」 と見解を求めました。 ・・・ QUIZ 「ある自民党議員」とは、いったい誰でしょう? 【前新聞労連委員長 南彰さん 「権力とメディアの関係を問い直す」 より抜粋】  「私と憲法」2021年1月1日号掲載

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「船の底は地獄」16歳で娼婦 からゆきさんの肉声 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見 毎日新聞 2020年12月29日


「一日一晩のうちに、49(人と)したよ……」。16歳の少女は、船底で汚物にまみれて海を越え、見知らぬ異 国で春を売った。幕末から明治、大正にかけ、貧しさから海外に渡り、娼婦(しょうふ)として働いた女性「 からゆきさん」。その一人が約60年前、その過酷な体験を赤裸々に語った約12時間分の肉声がテープに残され ていた。からゆきさんが自らについて語ったり書き残したりした史料はほとんど残っていない。この女性はシ ンガポールで裕福なイギリス人に身請けされ、たくさんの宝飾品を贈られて「ダイヤモンドおなご」と日本人 の間で呼ばれた。30歳半ばでホテル経営に乗り出すほど成功したが、帰国後、だまされてほぼ無一文になるな ど、波乱に富んだ生涯だった。しかし、海外に渡った女性の存在は地元でも秘されてきたという。なぜ女性は 肉声を残したのか。古いテープを再生してみたい。

【牧野宏美/統合デジタル取材センター】

12時間に及ぶインタビュー音声 肉声テープが残されていたのは長崎県島原市出身で、シンガポールに渡った女性。記録では1888年に生まれ、1 967年に死亡したとされる。
録音テープが見つかったのは次のような経緯があった。島原出身の作家、宮崎康平氏(1917~80年)が61年、 シンガポールから帰国していた女性と自宅で面会。録音しながら2回にわたりインタビューした。宮崎氏は「『 からゆきさん』についての小説を書きたい」と知人に依頼し、この女性を紹介されたが、その後別の仕事で多 忙になり、小説は未完のまま死去した。テープは宮崎氏の妻が保管していた。 妻は2011年、元島原市職員で舞台の創作活動をしている知人の内嶋善之助さん(68)にテープを託し、内嶋さ んが長期保管するためにデジタル音源化した。語られた内容はその後、「からゆきさん」の研究を続ける嶽本 新奈(たけもと・にいな)明治学院大助手が分析している。 テープは約12時間分。女性はインタビュー当時、73歳だった。シンガポールへ行くまでの経緯や、密航した船 の中の様子、娼館での労働環境、娼館を出た後の生活などが島原の方言で詳細に語られている。 極度の貧しさから渡航 「船底は地獄」 貧しかった。家族は父、母、妹2人、弟1人の6人。父は神経症のため働けず、女性は10代前半から奉公に出され 、島原の揚屋(遊女を呼んで遊興する店)で下働きをしていた。16歳の時に母親が死亡すると、家計を支える のは女性ただ一人に。揚屋の給料では到底足りない。そんな時、銭湯で見知らぬ高齢女性から「高い給金が出 る。遠いところに行かないか」と誘われ、外国行きを決意する。 女性をあっせんする女衒(ぜげん)と呼ばれる男性たちの手引きでシンガポールに密航したのは1904年。日露 戦争開戦の年だ。島原の港から24人の若い女性たちと4人の男性と船に乗り込み、石炭などを置く船底部分に身 を潜めた。暗闇で便所もなく、汚物は垂れ流し。航海は約1カ月続き、世話役の男性が女性たちに性的暴行を加 えることもあったという。この女性は自分の体に汚物をつけることで暴行から逃れたといい、「船の底は地獄 だった」と振り返る。 シンガポールに着くと、日本人が経営する「女郎屋」へ連れて行かれた。マレー街と呼ばれる、日本人娼館が 集まっていた通りだ。イギリスの植民地だったシンガポールでは、移民の増加に伴って1890年代にヨーロッパ 、中国系などの娼館が急増。からゆきさんは1905年ごろまでに増えた。当時109の日本人娼館に633人の娼婦が 働いていたとの記録がある。

10年の「福岡日日新聞」では、現地を訪れた記者がマレー街のからゆきさんの様 子をこう描写している。

「家は洋館にして青く塗たる軒端に、一二三の羅馬(ローマ)字を現はしたる赤きガス燈を懸け、軒の下には 椅子あり。異類異形の姿せる妙齢の吾(わ)が不幸なる姉妹、之(これ)に倚(よ)りて数百人とも知らず居 並び、恥しげもなく往来する行路の人を観て、喃喃(なんなん)として談笑する様、あさましくも憐(あわ) れなり。衣類は目を驚かす色あざやかに派手なる浴衣をまとひ、ことごとく細帯のみにして、髪は高きヒサシ に大なるリボンを掛く」

「忙しかときは痛かとですよ」
 性病検診も重荷に この女性は女郎屋の主人から衝撃的な「事実」を知らされる。シンガポールに来るまでの旅費や宿泊費、手数 料などとして膨大な額の借金を負わされていた。絶望的な気持ちになり、涙があふれた。 最初の客は現地で商売をする日本人だった。初めての体験だった。「水揚げ」は人気が高く、客は通常より高 い料金を払うが、すべて女郎屋が受け取り、女性の取り分はなかったという。 短時間(ショート)は3ドル、一晩で15ドル。
女性は「借金」を返し、日本に残した家族に送金するため懸命に 働いた。 女性の肉声が残っている。
「忙しかときは痛かとですよ、あそこが。それで這(は)うて廊下と階段を行くとですよ。あれが女郎の地獄 ですよ」
「そんなんとを、49(人)したよ。わたしゃ、一日一晩のうちに。いっぺん、そういうことのあった。昼の午 前中、9時から。晩のちょっと3時ごろまでな。もうね、泣くにゃ泣く」
客が多いときは朝から未明まで、1日49人の相手をした。痛みは、ワセリンを塗ってしのいだ。
「ほんなごて、情けなか。いやらしゅうて、今も忘れられん。おそろしゅうて……」
苦痛に追い打ちをかけたのは、性病対策のための洗浄だった。当時、性病のまん延を防ぐため、娼婦は1人の客 の相手が終わるごとに、膣(ちつ)内を消毒洗浄するよう指示された。疲れた体をひきずるように部屋から洗 い場まで毎回階段を上り下りすることは重い負担だった。この洗浄が原因で不妊になった女性もいるという。
「いっぺん、一人一人、一人一人、階段でしょう。そりゃもう立派な階段ですよ。それが上りくんだりで、お まけに熱いお湯に、な。衛生が正しかけん向こうは(娼館は衛生がすべてだから)。やかましかっですもん」 娼婦に毎回の洗浄を求めたのは、週に1度、医師によって行われる性病検診に引っかからないようにするためだ った。娼婦は1人1冊、日記帳のような帳面を渡され、月経周期やいつ客を取ったかなどを細かく記録していた 。医師は検診で問題がない場合はそれにサインし、客も安全であることの証明として帳面を娼婦に見せるよう 求めていた。
「それ(帳面)がものをいうとですたい、女郎にはな。客が威張って出せって言う。(帳面を見て)『はい』 って言うてから、オーライって言うてから、……馬んことやらす」
性病検診は、軍人や船乗り、クーリー(苦力=中国人労働者)らが性病にかかり、まん延することを防ぐこと が目的だった。娼婦が性病にかかっていると分かると、娼館が営業停止になるなどペナルティーを受けたとさ れる。嶽本さんは「重視していたのは公衆衛生のため、娼館のため、客のためという視点です。働く女性自身 のためではありませんでした」と話す。
英国人に身請け、中絶と不妊手術迫られる 1年半、娼館で働いた後、18歳になった女性はイギリス人のフォックスという男性(当時27歳)に身請けされる 。身請けとは、娼館への借金を肩代わりして精算し、娼婦をやめさせることだ。シンガポールでは、イギリス 人が現地で娼婦を愛人にすることは珍しくなかった。 当時女性には他に好きなイギリス人がいたが、強引に身請けしたフォックスと8年間暮らすことに。フォックス は宝飾品をたくさん買い与え、島原の実家にも送金してくれた。
身請けされた後、女性は日本人の間で「ダイ ヤモンドおなご」と呼ばれ、経済的には不自由のない生活を送ることができた。
しかし、結婚をして子どもを持つという生き方は選べなかった。22歳のころ、妊娠が分かった際は、フォック スに中絶と不妊手術を迫られた。
「ハーフで生まれると子どもが差別に遭う」「正式に結婚しておらず、日本 人娼婦との関係はイギリス人コミュニティーで悪く言われる」といった理由からだった。女性は自分も承諾し て手術したと説明するが、こう漏らす。 「おれは大喜びしてます。おめでとう、みたような気持ちを抱いとったわけですたい」
「ところが、ある朝、 相談があるちゅうとですもん」「おろせっていうとですたい」「今度は殺してしもうたとよ。子宮をば」 語られた内容を分析している嶽本さんは「思い出したくない経験を吐露しているからか、それまでの受け答え はしっかりしていたのに、この時の語りは意味を把握するのが難しいほど錯綜(さくそう)しています」と話す。
フォックスは女性を残し、1914年に始まった第一次世界大戦に出征。女性は26歳ごろ、フォックスから得た資 金などでゴム園を購入し、中国人らを雇って運営する。そのもうけを元手に、30歳半ばでホテルを建て、経営 に乗り出す。成功するが、第二次世界大戦の開戦を機に客が減り、閉鎖を余儀なくされる。戦中、シンガポー ルなど東南アジアに住む日本人は、イギリスによってインドに抑留された。女性も「インドのキャンプ(収容 所)にいた」と語っている。 帰国後にだまされて財産を失う 終戦後の1946年ごろにインドから帰国。ホテル経営で得た財産を宝石に換えて引き揚げ船に乗ったが、その後 だまされてほぼすべてを失ったと明かしている。帰国後は島原で近所の子どもの面倒を見るなどしてわずかな 収入を得て、亡くなった妹の子どもを育てたという。最晩年の様子はよく分かっていないが、インタビューか ら6年後、80歳ごろ、その生涯を閉じた。 女性にインタビューした宮崎氏は未完の小説「からゆきさん物語」(2008年に宮崎氏の妻の手で出版)を残し ている。妻はあとがきで、インタビュー時の女性の様子をこう振り返っている。 「上背があり、がっちりとした体格。若い頃は彫りの深い、エキゾチックな顔立ちだったかと思われた。ワー カー(労働者)、ウェスケ(ウイスキー)などシンガポール仕込みの英語がポンポン飛び出す」。シンガポー ルでの暮らしを思い起こせるよう、準備したコーヒーやバナナ、ウイスキーを口にしながら、夜を徹して語っ たという。 「サンダカン」おサキさんとの共通点 「からゆきさん」を世に知らしめたのはベストセラーとなったノンフィクション「サンダカン八番娼館」(197 2年)だ。女性史研究をする山崎朋子氏(1932~2018年)が、天草に住む元からゆきさんの女性、おサキさんと 3週間生活を共にし、その際に聞き取った娼婦時代の話をまとめたものだ。おサキさんが語る体験は、先述の女 性の証言と多くの共通点がある。 おサキさんは9歳のころ、家計を支えるためにボルネオ島のサンダカン(現マレーシア)に渡り、13歳から娼婦 として働くようになる。忙しいときは一晩で30人の客を取ったといい、客ごとに消毒を欠かさなかった。
そして、日本人客について「(現地住民や英国人、中国人らと比べて)一番いやらしかった。うちらの扱いが 乱暴で、思いやりがなかった」と嫌う。
女性も同じような評価を下している。「日本人は好かん。外人が一番よか。日本人の人は言いよらす、君、う れしかろうが、気持ちがよかろうが……」。嶽本さんは「日本人客の男尊女卑を前提とした振る舞いが嫌悪感 を抱かせたのではないか」と語る。
ここで、そもそも「からゆきさん」とは何かをたどりたい。もともとは19世紀後半に海外へ出稼ぎに行く人は 男女問わず「唐行きさん(外国へ行く人)」と呼ばれていたが、次第に外国で売春業に就く女性を指すように なった。地域はシベリアや中国大陸、東南アジア諸国、インド・アフリカ方面まで広範囲に及んだ。日本全国 から渡ったが、特に九州の天草地方(熊本県)、島原地方(長崎県)出身者が多かったとされる。過酷な環境 下で若くして命を落とし、故郷へ帰ることができなかった女性も少なくない。 からゆきさんを生み出した植民地主義 なぜ女性たちは海外で娼婦となったのか。オーストラリアの東南アジア歴史学者、ジェームズ・フランシス・ ワレンによる「阿姑とからゆきさん シンガポールの買売春社会1870―1940年」は、「根深い貧困、家族単位 のひ弱な経済基盤、そして豊かになるかもしれないという期待が、おびただしい数の女性や少女を海外に送り 出す供給源になった」と指摘する。 特に農村部は極端な貧困状態で、中でも島原や天草は耕作地が少なく、中国大陸や南洋諸国に近かったことな どから多くの「からゆきさん」が生まれた。さらに、家父長制が、農村での女性の価値を低くし、搾取される 存在にしたと分析する。
つまり、貧困と女性の地位の低さが背景にあるというのだ。 忘れてはならないのは日本の植民地主義の影響だ。当時、人口急増を背景に明治政府は積極的に移民政策を推 し進めていた。嶽本さんは「対外膨張には日本人女性による性的慰安が必要である」という認識が一貫してあ ったと指摘する。思想家の福沢諭吉も1896年、自身の新聞の社説で「海外の移植地に娼婦の必要なるは明白に して、むしろ公然許可するこそ得策なれ」と主張している。 一方で、明治期以降、公娼制度を廃止すべきだという「廃娼運動」がキリスト教関係者を中心に活発になり、 彼らは「一夫一婦制」を旨とする西欧の性規範を取り入れて娼婦を「醜業婦」と呼び、特に海外売春婦を「金 銭目的で自ら外国に渡り、外国人に性を安売りしている」と敵視した。 嶽本さんは「実際はからゆきさんは強制された『人身売買』と自発的な『出稼ぎ』の境界があいまいで、この 批判は一面的です」と指摘する。続けて「近世社会では娼妓(しょうぎ)奉公をしていた女性も奉公を終えれ ば結婚をし家に入るという経路が確保されており、西洋のような娼婦のスティグマ化(負のレッテル貼り)は みられませんでした。明治以降の近代化に伴って廃娼運動などをきっかけに娼婦への差別、蔑視が強まり、母 や妻の立場にある女性からの反発も大きくなったのです」と解説する。

消えゆく「からゆきさん」の記憶
天草地方出身で、約20年前から「からゆきさん」の研究を続ける嶽本さんは、こうした差別的なまなざしがあ ることから、からゆきさんが体験を語ることを避け、地域も「恥ずかしい過去」として積極的に明かそうとし てこなかったと見る。 また、たとえ記録を残そうとしても、からゆきさんは教育の機会がほとんどなく、読み書きができない人が多 かったため、書き残すことも困難だった。現在、存命のからゆきさんはいないとみられ、関連資料もほとんど 残されていない。 嶽本さんは調査の過程で、昨年、島原に住む70代の女性から、からゆきさんとの思い出を聞いた。高校卒業後 に就職したゴルフ場でいつも女性を気にかけて優しく接してくれる寮母さんがいた。親しくなったある日、寮 母さんは自身がからゆきさんだったと明かし、スカートをまくし上げて太ももの付け根にあるやけどの痕を女 性に見せた。 やけどは、働いていた娼館の屋号が焼き付けられていたのを隠すため、日本に帰る際に自ら塩酸をかけてでき たものだった。女性は嶽本さんに「既にその寮母さんも亡くなった。私が語らなければからゆきさんの記憶が なくなってしまう。地元の人に言ってもきちんと受け止めてくれなかったので、誰かに伝えたかった」と明か したという。 嶽本さんは力を込める。「同じからゆきさんでも、その生き方はひとくくりにはできません。何も知らずだま されて連れて行かれ、性奴隷のように働かされた人もいれば、覚悟の上で娼婦になり、現地で成功を収めた人 もいる。ただ、どんな経緯でもつらく過酷な体験をしたことは間違いなく、国家もその責任の一端を担ってい た。その歴史を検証するためにも、からゆきさんの存在をなかったことにはできません。一人でも多くのから ゆきさんの生き様を掘り起こし、後世に伝えたい」 12時間に及ぶテープの分析も、まだ続いている。 https://bit.ly/2WW0Hy4

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その略奪行為は地中海全体に及び、西アフリカの大西洋岸や南アメリカ、さらには北大西洋のアイスランドま で広がっていたが、主な活動領域は西地中海だった、、、 その攻撃の主目的は北アフリカや中東でのイスラム市場に送るキリスト教徒奴隷を捕まえることだった。 このような襲撃は、イスラム教徒がこの地域を征服してから間もなく始まったが、バルバリア海賊という言葉 は通常16世紀以降の襲撃者について使われるようになった、、、 海賊は数多くの船舶を捕獲した。スペインやイタリアの海岸線はほとんど全て住民が放棄することになり、19 世紀まで定住が進まなかった。16世紀から19世紀、バルバリア海賊は80万人ないし125万人の人々を捕まえて奴 隷にしたと推計されている、、、 1600年頃、ヨーロッパの海賊がバーバリ海岸に最新式の航海術と造船術をもたらし、そのことで海賊行為は大 西洋にまで広がり、17世紀初期から半ばが最盛期になった、、、 完全に無くなったのはフランスが1830年にアルジェを征服した時だった。 https://bit.ly/3rATcLh

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ファーティマ朝の8世紀と9世紀の期間は、奴隷のほとんどはスラヴ系東ヨーロッパ人(サカーリバと呼ばれた )であった。しかしその後、、、 幅広い地域から様々な出自、民族の人々が集められた。 18世紀と19世紀においては、東アフリカ出身の奴隷がインド洋上のザンジバルに拠点を置いたオマーン・スル タン国、及びザンジバル・スルターン国の勃興を助けた、、、 650年から1900年までの間に、1000万から1800万人のアフリカ人がアラブ人奴隷商人によって奴隷にされ、紅海 やインド洋、サハラ砂漠を越えて運ばれたと歴史家は推測する、、、 同様に、アラブ人はヨーロッパ人も奴隷にした。Robert Davis によれば、16世紀から19世紀の間に100万人か ら125万人のヨーロッパ人が、オスマン帝国配下のバルバリア海賊によって捕らえられ、奴隷として売られた、 、、 こうした攻撃の威力は国土を荒廃させた、、、 フランスやイングランド及びスペインはそれぞれ数千の船隻を喪失し、スペインとイタリアの長い海岸線はほ とんどが住民によって完全に放棄された。19世紀まで海賊の襲撃によって居住は阻害された。 https://bit.ly/3rDVNEn

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1980年代から現在までで、医学部の偏差値は急上昇した。一番低い大学の偏差値40台が、60前後まで上昇した のだ。だが、過熱する医学部人気は、本当に医療界のためになっているのか。 ――論文では、長年暗黙の了解だった、私大医学部の「裏口入学」についても触れていますね。70年代には私 大の新入生の約65%が裏口入学だったと。 論文を書くに当たり、裏口入学についてはしっかりと調べたんですよ(笑)。元の文献には当たれなかったの ですが、宇沢弘文先生という高名な経済学者の文献を引用しました
(※宇沢弘文『近代経済学の再検討―批判 的展望』1977年、岩波新書184ページ)。

当時の文部省の調査結果だったようで、全国の16の私大医学部に対す る調査となっています。 ちなみに同文献によると、裏口入学金の平均は600万円となっていますが、当時のCPI(消費者物価指数)は 現在を100とすると30程度ですので、現在の価格に換算すると2000万円にも上ります。 70年代の私大医学部は「裏口入学率65%」の衝撃! 現代医療界の構造問題 https://bit.ly/3pvboE5

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クリスマスが過ぎ、年末になっても、市長が「年内にこだわる」「100%実現できる」と断言した5万円の応援給 付金は、38万人の市民には届きませんでした、、、 10月のことです。 「とにかく全市民おひとりに5万円お戻しします」 市長選が始まる5日前、元国会議員の中根康浩さん(58)はこの公約を打ち出して、3期目をめざした現職(68 )を破りました、、、 岡崎だけじゃなかった 「とにかくコロナ対策 全市民に1人あたり5万円還元!」「100億円もかかる新庁舎は要らない!」 岡崎市長選から1カ月後の11月半ば。人口6万3千人の兵庫県丹波市の市長選では、こんな公約を告示日に表明し た元市議会議長の林時彦さん(66)が、初当選しました。 公約の表現、サプライズの表明、財源のつくり方、「公約による市民の買収」と指摘されていることまで、そ っくりです。 https://bit.ly/3hq3hGc

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(書評より)カリブ海の黒人奴隷解放運動の指導者の生涯を初めて本格的に紹介した本 カリブ海の最貧国ハイチが黒人奴隷の解放運動によって、奴隷制を倒して実現した黒人の独立国家であること を豊かな史料と生き生きとした文章によって伝えた記念碑的な本である。読書を通じてフランスの啓蒙思想の 影響を受けた黒人指導者のトゥーサン・ルーヴェルチュールがナポレオンの人種差別主義政策によって圧殺さ れていくくだりは手に汗を握った。軍事介入したフランス軍に黒人の民衆がゲリラ戦によって抵抗していく姿 、また黄熱病によってフランス軍が壊滅していく過程も初めて知った。黒人指導者の人間像を通して、彼を謀 殺したナポレオンのフランス帝国の実像も知った。フランス革命とナポレオン帝国の「闇」を見た思いだ。 「ブラック・ジャコバン」 https://amzn.to/3aRFxcE QUIZ 「ある自民党議員」?  正解 ガースー

【色平哲郎氏のご紹介】民主主義は古代ギリシア起源ではない。

2020-12-27 18:37:50 | 転載
2020年12月27日 午後 5:12

民主主義は古代ギリシア起源ではない。

とはいえ、他の諸文明のもとでより立派に体現されてきたわけでもない。それはむしろ、文明と文明、文化と文化の「あいだの空間」で、人びとが非暴力的な共存を希求する中に生まれるのだとグレーバーは説く。民主主義とは、意見を異にする人びとが粘り強い交渉を通して行う合意形成のプロセスにほかならないのだ。賛否の分断を生む古代ギリシアの多数決方式は、むしろ特殊事例にすぎない。

彼によれば、互いを理解し配慮するという人間一般の「ケア的」本性が共同体を可能にする。こうした楽観性を、彼は誠実に生きたように見える、、、

新たな代表作となるはずの遺作(共著、来年原著刊)は実に五万年の時空を探索し、『サピエンス全史』の歴史学者ハラリに典型的な、陰鬱(いんうつ)な未来像を打ち破ろうとする野心的な仕事だ。何世紀も生きられるとしても決して退屈しない、それなら新しい言語や楽器や核物理学の勉強を始めたいと語った人類学者の早すぎる死を、筆者はまだ適切に受け止められずにいる。

人類学者デヴィッド・グレーバーさんを悼む 
人間の本性、対立超えると信じた 
朝日新聞2020年9月16日掲載
https://bit.ly/3aJPtVy


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さいしょに物々交換があったのではない。それは経済学者たちの夢想にすぎない。歴史学や人類学がしめすところによれば、原初的な状態でみられるのは「信用」による取引である、、、

こうした「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」は、古代国家だけにみられるのではない。グレーバーが人類学者として調査したマダガスカルでも、一九世紀にフランスによって植民地化されたさいには同じことがおきている。「文明化」の名のもとで貨幣が導入され、ひとびとは重税と負債の支払いのために奴隷へと転落していった。あるいは、今日のIMF体制についても、同様の機制が反復されているといえるだろう、、、

アラブ諸国がオイルショックによってえた膨大なドル――その裏づけはアメリカの軍事力である――は、スイスの銀行を経由してアフリカ諸国に高利で融資された。取り立てにあたるのはIMFである。この金融によるコントロールこそ、第二の植民地化であり、、、

注意すべきは、まず主人と奴隷の関係があり、所有という概念はその派生物にすぎないことである。奴隷はひとをものあつかいすることではない。ものを奴隷とみなすことが所有するということである。

https://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun/3294_1.html
『負債論――貨幣と暴力の5000年』


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菅政権が医療逼迫するなか195億円かけて「病床削減」する狂気の沙汰!
コロナ治療最前線の公立病院リストラ政策も続行

しかも、先に触れたように、政府は昨年9月に「再編統合の議論が必要」だとする全国の公立・公的病院を名指ししたリストを公表し、名指しした約440の病院がある都道府県に2020年9月までに統廃合の結論を出せと要求していたが、じつは政府が統廃合を要求した約440の病院のうち、53施設(106床)は国や自治体が認定する感染症指定医療機関であり、119施設がコロナ患者を受け入れてきた。つまり、まさにコロナ患者治療の最前線となっているのである。だが、政府はこの統廃合を迫る検証期限を延期したものの、いまだに「リストの白紙撤回」をおこなっていない。実際、11月17日におこなわれた参院厚労委員会で共産党の倉林明子参院議員が「コロナを経験した今、検討のたたき台とすること自体が不適切」と追及したが、田村憲久厚労相はリストの白紙撤回を明言しなかったのだ。

https://lite-ra.com/2020/12/post-5738.html


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宣教師 いったいなにをしているのかね! 
そうやってごろごろして、人生をムダにしちゃだめじゃないか。

サモア島人 どうしてだね? 
じゃあいったいなにをすればいいのかい?

宣教師 そら、ここには椰子の実が山ほどある。
干して売ったらいい。

サモア島人 いったいぜんたい、なんでそんなことしなきゃいけないないんだ?...

宣教師 おかねがたくさん手に入るではないか。
そのおかねで干し機を買えば、もっと手早く干し椰子の実がつくれるし、
そうすればもっとおかねがもうかるのだ。

サモア島人 なるほど。
でも、どうしておかねをもうけなきゃいけないんだい?

宣教師 おかねもちになれるではないか。
それで土地を買って、木をたくさん植えて 事業を広げればいい。
その頃には、きみはもう働かなくてよくなっているのだ。
たくさん人を雇ってやらせればいい。

サモア島人 でも、どうしておかねもちになって、
そういうことを人にやらせなきゃいけないんだい?

宣教師 ううむ、椰子の実と土地と機械と雇い人ともうけたおかねで、
おかねもちになったら、引退できるではないか。
そうすれば、もうなにもする必要はない。
一日中、きみは浜辺で寝ていられるのだ。 

サモア島人 今だってそうしているじゃないか。


デヴィッド・グレーバー「負債論」 貨幣と暴力の5000年


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「お金がないから貧乏だなんて、いったい誰が決めたんだろうね」

自分には金が十分にないから、
思うようにお前に勉強させてやることができない。
そこで、30歳まではお前の好きなようにしなさい。
私も勘当したつもりでいる。
30になったら、親のことを思い出せ。
それでも、もし困ったときや病気のときは、
いつでも島へ帰っておいで。
いつも待っている。
酒やタバコは30までは飲むな。
30を過ぎたら好きなようにしてよい。
金を儲(もう)けるのはたやすい。
使うのが難しいのだ。
自分の身をいたわり、同時に人もいたわりなさい。
自分でよいと思うことはやってみよ。
それで失敗したからといって親は責めはしないから。
そして、人の見残したものを見るようにしなさい。
その中に、いつも大切なものがあるはずだ。
あせることはない。
自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
先は長いんだから……。

80年近く前、瀬戸内海の島に住む男性が、
大阪に息子を奉公に送りだした。
15歳の息子を送りだすにあたり、父親は息子に、
この言葉「家郷の訓(かきょうのおしえ)」を贈った。
父親は特に学校で勉強したわけではない、
半農半漁の、ありふれた島の人だった。
息子は後の民俗学者・宮本常一(つねいち)、その人である。
このような「贈る言葉」は信州の山中にも、
さまざま残っているようだ。
当時は、自分が生きていくだけでも際どかった時代だ。
「口減らし」や「身売り」という形で都会に出ていく人も多かった。
そんな状況下でこのような言葉が、
息子や娘を送り出す親たちから伝えられたものだと聞いている。
あるおばあさんは(呆けてはいるが)、
自分の祖母から伝わる大事な教えとして、いつもこう言った。
「お金がないから貧乏だなんて、いったい誰が決めたんだろうね」
確かにお金はなかった。
今もないようだ。
独りで山奥に暮らし、隣近所で、かろうじて支え合う生活ぶりだ。
肺炎になったりして、
どうしても家においておくのは無理だ、
と思って入院させると、すぐにち(漢字で)ほうが進む。
なぜか。
お互い顔を見知った中でこそ、お金を介さずに、
しっかり生活できていたのが、
他人の中では自分を見失ってしまうようだ。
「施設」や「病院」などの管理された人工的な場では、
一種の防衛反応なのか、お年寄り方は、急速に呆けていく。
家に戻せば、すぐに回復し、もとの彼女に戻る。
施設での呆けた「弱者」としてのお年寄りの姿だけを見て、
どうだろう。
私も医学生の頃(あるいは看護学生さんもそうだろうが)、
「老人は弱者である」と刷り込まれてきた。
この見方は、果たして本当なのだろうか……。
私は現在41歳。
医師として働いている。
医者というのは、実は「いまここ」、
目の前のことについてしか役に立たない。
ある意味では、目の前のことだったら少しはなんとかなる。
そういう存在だ。
「人の見残したものを見極めるようにしなさい。
その中に、いつも大切なものがあるはずだから……」
――先日、佐久地方で進学校といわれる高校で講演する機会があった。
自戒を込めて、私はこの言葉を高校生たちに贈った。

2001年3月22日 朝日新聞長野県版
「贈る言葉  子送り出す 親の知恵」  色平哲郎


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真に自由な社会を追求しまくった デヴィッド・グレーバーさん
【追悼】 David Rolfe Graeber 9月2日没

1961年生まれ。人類学者。2011年のウォール街占拠運動で指導的な役割を果たす。邦訳書に『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)など。
よりによってデヴィッドの追悼文を書かなくてはならないなんて、今年はそれだけでも最悪の年だ。まだ59歳。冴えまくっていた時期の突然死は衝撃以外の何ものでもない。
「アナーキスト人類学」を創設し、「負債」は返さなくてもよいと実証し、「民主主義」は西洋起源ではないと喝破し、あらゆる「官僚制度」を解体し、「経済学」を脱構築し、「資本主義」のオルタナティブを構想し、海賊船に「基盤的コミュニズム」を見出し、「新自由主義」下での仕事の本質をあばいたグレーバーには、もっと対象を広げて、「オキュパイ!」「ブルシット!」と言い続けてほしかった。

彼ほど、会う人を励まし霊感を与え、旅した活動家・知識人はいなかった。本物の人類学者だったから、生きている人も死んでいる人も、人種やジェンダーや出自や文化にかかわらず愛し、愛されたのだ。彼にはどんな「壁」も無縁であり、すべての対象に開かれた身体と言葉を持っていた。たしかに彼の本は日本語でも読むことができる。しかし、もう限られた数の本でしか、その言葉を聴くことができないと思うと、本当にさびしい。せめて私たちは、デヴィッドが『負債論』(以文社)の最後に登場させるサモア島人に倣って「でも、どうしておかねをもうけなきゃいけないんだい?」と自問するところから、新しい年の歩みを始めるほかないのかもしれない。

本橋哲也(東京経済大学教員)
週刊金曜日 2020年12月25日号


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パイサーン・ウィサーロ僧 

1 略歴

パイサーン・ウィサーロ僧は、1957年バンコク生まれである。高校時代から政治問題に関心を持ち、1975年、タマサート大学に入学する。マルクス主義が学生運動の主流であったタマサート大学にあって、彼は非暴力主義のグループ に所属していた。1976年の10月、タマサート大学構内に政府による学生運動の鎮圧、大量逮捕 の時に、彼は、タノーム元首相が僧侶の格好をして亡命先から帰国したことに 抗議してハンガーストライキをしている最中だった。大学構内にいた学生はすべて攻撃の対象となり、彼も警官に殴られ、逮捕された。3日後に釈放されるが、この学生革命での体験が、彼の積極的な社会への取り組みの原点となる。1980年に大学を卒業後も、人権問題に関するNGOで働き、国内では人権侵害 の調査をし、国外とはアムネスティ・インターナショナルなどの人権団体とつ ながりをもつようになる。しかし彼は、活動の中で疲労困垣していった。しばらくの旅の後、自分の人生の中に安らぎを取り戻すことを信じて、チャイヤプー ム県のスカトー寺にて1983年、出家する。深い森の寺での修行の中で、師匠のカムキエン・スワンノー僧の影響を受け て、村人と共に森林保護活動を始めるようになる。コミュニティレペルでの森 林管理の重要性を訴え、マスコミ等でも取り上げられた。

2 日本とのかかわり

彼の日本との関わりは、出家前に活動していた人権団体を通じてすでにあったが、ここでは僧侶の立場で日本に関わったものだけを取り上げる。1994年、INEBJapan(仏教者国際連帯会議、日本支部)の招きで、当時闘う開発僧として有名だったプラチャック・クッタジット僧も一緒に森林保護運動の現状について各地で講演をした。1996年から始まった在日タイ人のための支援活動は、パイサーン僧の日本での最も特筆すべき活動である。きっかけは国際化の中での人権問題に詳しい政治学者の武者小路公秀氏ら在日外国人の人権支援グループからの要請であった。また山梨県を拠点とするオアシス(山梨外国人人権ネットワーク)や長野県のアイザック(佐久地域国際連帯市民の会)などのNGOとも連携して、バブル期に日本にタイから出稼ぎに来たものの、様々な問題を抱えているタイ人に対するケアが始まった。長野県の佐久から善光寺までの約100キロを1週間かけて頭陀修行をしながら、各地のタイ人を励ました。その様子は、新聞やテレビなどのマスコミにも取り上げられ一躍話題になった。当時の在日タイ人の様子をパイサーン僧はレポートにまとめ、過酷な日本での生活実態が明らかになる。暴力団に追われ、ビルから飛び降り脊髄を損傷したタイ人女性が、HIV感染者と判明したため手術を拒否されるケース、異国での寂しさとストレスからギャンブルや酒におぼれていくケースなど、オーバースティでアンダーグラウンドな生活を余儀なくされる彼らの様子を赤裸々に報告し、希薄であったタイ人同士コミュニティづくりと日本人との連帯の必要性を訴えている。日本の受け入れ側であるNGO関係者や医師たちは、彼らに対する精神的なサポートを僧侶に要請する一方、身体的そして制度的な側面をサポートしていった。 パイサーン僧のみならず、ナラテボー僧、そしてタイからの若い僧侶も、その後日本での支援活動を続けている。2002年現在では、1996年の時点とでは在日タイ人の取り巻く状況も変化し、結婚し定住化する家庭内の問題や子供の就学の問題などに焦点は移り、緊急援助的な支援は減少してきている。
様々なネットワークを利用して日本にやってくるタイ人僧侶もいるが、パイサーン僧のように最も困難な状況にある人々に対してアプローチする僧侶は少ない。中には布施や寄進目当てとも受けとられかねないような来日もあるという。パイサーン僧の活動が目立ったのは、社会問題に目を向ける僧侶がどれだけ少ないかを逆に示すことになっているのかもしれない。また2002年には、アジア諸国のパブリック・インテレクチュアルの新たなネットワーク構築に向けて日本財団のアジア・フェローシップ主催の研究者として選ばれ、日本、インドネシア、フィリピンをそれぞれ数ケ月程度滞在して、グローバリゼーションの中での宗教の役割について調査を行った。
宗教原理主義の強まり、新しい宗教グループの勃興、消費宗教(物質主義的 な傾向を持つ宗教)の拡大という3つの視点から東南アジアにおける宗教を分析し、その問題点を指摘している。
また、人々の消費の中に宗教的な要素を求める傾向があることも同時に論じ、グローバル時代においても究極的に人間は宗教的な生き物であると捉えている。テクノロジーの発達によるグローバル化 の流れは必ずしも宗教にとって批判すべきことばかりではなく、貪欲さを引き出す資本主義に対抗するグローバルな力ともなりうる可能性を持ち、草の根からのグローバル化を目指すべきだと締めくくっている。パイサーン僧の立場は、グローバル化の影響で新しい宗教グループの隆盛に理解を示しながらも、人々の精神的な飢えに対する既存宗教の対応の脆弱さを 指摘している点で、既存宗教の改革に主眼が置かれた主張だと思われる。これは彼の国内での発言に影響を与えるものとなっている。
次に彼の改革派僧侶としての発言を見てみたい。

3 改革派僧侶としての発言

彼の国内活動の主な人脈は、スラク・シワラク氏、ピポップ・トンチャイ氏 などのNGO活動家、オルターナティブな開発・発展系の言論を数多く持つプラウェート・ワシー博士、プッタタート比丘の弟子たち(パヨム僧やサンティ ガロー僧など)、プラタンマピドック僧、評論家のニティ・イーオシーウォング 氏、社会学者のスリチャイ・ワングーオ氏や仏教哲学を専門とするスワンナー・サターアナン氏などである。
もちろんここで取り上げた人脈以外にも彼の活動を支え、協力する人もいる わけだが、主な人脈を見てもわかるように、タイのオルターナティブな開発・発展の言論を展開している論客たちである。 彼らとの共著も多く見られ、テーマも金銭と宗教、コンピューター時代における人間の状況と運命、消費主義について、現代社会における生と死について など、多岐にわたっており、研究者並みの言論活動を展開している。
近年では、サンガ改革の必要性も訴えている。とりわけ僧侶の教育に対して熱心に発言している。ドラッグがタイ国内の深刻な問題となっているが、それは僧侶の世界とも無縁ではない。20歳未満の若い出家僧であるネーンや出家して間もない僧侶たちの中には、出家以前からヤーバーなどの覚せい剤の常用が 止められずにいる者もいる。もちろん出家時には止めようと決意したのだが、なかなか止められず苦しんでいるというのだ。 このような問題に対して、長老の僧侶や宗教局の役人たちは触れたがらない。世間の悪評を恐れて認めようとしないのである。パイサーン僧をはじめ、北タイでHIV/エイズケアを行っている元僧侶のマウンド氏などは、問題を封印しようとする傾向に対して、彼らの問題はタイ社会全体の問題として受け止める べきだと述べている。そして寺の年長者への理解促進と、僧侶と地域コミュニティとの関係強化などを提案している。
以上のようにパイサーン僧の活動は国内外と多岐にわたっている。
2000年には、平和や民主主義に貢献した人物に贈られるプリーディー・パノムヨン賞の4人のうちの1人に選ばれた。ここ数年で、特筆すべき現象は、スカトー寺をリトリートの場として選びパイサーン僧からのレクチャーを受けるタイ国内の様々な公的機関が増えているということだろう。
学校や病院、警察といった機関がそれぞれの立場で仏教の智慧を求めて森の寺でのグループ学習を行っている。とりわけ警察のグループは、パイサーン僧の非暴力活動に関心を示し、度重なる市民との衝突の場面をいかに回避するかを模索している。パイサーン僧は、これらの現象に対し、喜ばしいことと憂慮すべきであることの両方があるという。
喜ばしいこととは、公的な機関に従事する人々が仏教に関心を持ち生活の中に生かそうとする姿勢であるといい、一方で憂慮すべきこととは、仏教を学ぶのにこうして遠くまで足を運ばないといけないこと自体、社会と真剣に関わっている寺がいかに少ないのかを示していると述べている。 パイサーン僧が批判を向ける矛先は、自身を含む僧侶全体のあり方へと変わりつつあるのである。

https://bit.ly/2KRE1wm


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学校法人 佐久学園 「人間福祉学部」新規開設について
2020年10月28日 佐久学園 理事長 盛岡正博

”ヒューマンケアの佐久大学”

少子社会で地方都市に、何故、文系の新学部を開設するのか?

(説明趣旨)・・・
・コロナ後社会を生き抜くことを思考し、行動力を持つ人財育成を図る
・ヒューマニズムなきグローバリズムは”暴力と侵略”である
・排他主義や利己主義と反智性主義の潮流に抗う共生社会を目指す


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シンポジウム 「アフターコロナを生き抜く人材育成」 2020年12月19日 
コーディネーター 野口定久 人間福祉学部学部長予定者 日本福祉大学特別任用教授

”ヒューマンケア”の佐久大学人間福祉学部は、信州佐久の地に拠点を置いて、地域社会を基盤とした豊かな人間性を育み、地域社会に貢献できる、社会福祉領域を中心に看護領域および地域医療領域と連携した専門職人材を育成します。

ヒューマンケアという用語は耳慣れないと思いますが、
第1に、すべての人の命と健康をまもる保健医療の領域。(生命)
第2に、豊かな暮らしを実感する地域生活の領域。(生活)
第3に、人生100年時代を生きる健康長寿の領域(人生)
をカバーする新しい学問領域でもあります。


佐久大学人間福祉学部の学部長予定者の野口です。

(1)医療・福祉・介護現場は、いま新型コロナウイルスに直撃されています。”ヒューマンケア”の佐久大学人間福祉学部は新型コロナウイルスを克服する、新しい学問と実践の領域です。
(2)皆様方と一緒に、あたらしい学問領域を切り開き、医療・福祉・介護現場を楽しい、エッセンシャルワークの人材育成の場に変えてまいります。
(3)具体的には3つのプログラムに重点化して教育と研究を進めてまいります。
・地域で実際に学ぶ教育プログラム
・佐久ケア・モデルの実践
・地域で活躍する福祉系専門職資格の取得


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新型コロナウイルスに対する安倍晋三首相の専制独断に思う・補論

2020-12-27 10:32:43 | 言論と政治

【問題の所在】
2020年もおし迫った12月25日、安倍首相時代の「桜を見る会」の公選法など違反容疑で国会議事運営委員会に出席した安倍晋三氏は衆参議員からの質問に「秘書がおこなったことで私はなにも知らなかった、秘書は辞任した」と応えた。国会議員も世論からも、この国会での安倍晋三氏の発言に多くの批判の声が高まった。私は2020年2月に以下の文章を書いた。いま安倍晋三とは専制独断という以上に、まともな政治家としての人格的政治家的資質そのものを持たないイージーな「お坊ちゃま政治家」であることがより一層わかった。三代政治家でありながら、基本的な政治的素養も見識も持たない欠陥が強い、総理になる資格を持たない上流家庭出身で世間を知らないし、世間の庶民の暮らしも生活苦にも関心をもたない人物であることが透けてきた。いまますますコロナ禍のパンデミックと感染力の強いウイルス変異種が日本にも入ってきた現在、菅首相が引き継ぐと言明した安倍前首相の2020年初期におけるコロナ対策の基本的特質を改めて確認したいと考えるものである。



【序】 
なぜコロナウイルス肺炎が発生し蔓延したのだろう?結果として中国、日本、韓国で被害が広がった。自然発生でそうなったのか?事故か意図によってそうなったのか?安易な憶測は避けたい。ただ、張作霖爆破やトンキン湾事件など現代史で策略やテロ、謀略による  事件もあった。慎重に吟味したい。


 新型コロナウイルスの流行は、東アジアから疾病と死者は世界に拡散している。だが、新型コロナウイルスによる肺炎に比べ、インフルエンザのほうがはるかに病状は重く死者も比にならない。
インフルエンザを死因とする死亡者の年度別人口動態統計(1950~2018)は厚労省によるとグラフのとおり。 https://honkawa2.sakura.ne.jp/1955.html?fbclid=IwAR04B3W2ieqxJJtdYMnA3NJUaawrE6e7N8WO65qfbET5xhpJFsdiDlqVmts


「#この要請で何か問題が生まれれば政府が責任をとる」?「#私や妻が関わっていたら総理はおろか議員も辞める」! 責任とは何か。 言葉のあやを織りなす修飾語を、憲法は「責任を果たす」とは言わない。幾千万人の犠牲で生まれた日本国憲法。方便で泥を塗りたくる。前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)さんがリツイートで安倍総理の児戯を拒否する。
「休業」=#しごとを休むこと 「休校」=#学校が授業を休みにすること 
安部総理は会見で「きゅうぎょう」すると話した。どのニュースも「きゅうこう」とテロップを流した。きょうのTBS『報道特集』は「休校」と正しく報じた。安倍総理の発言に正確に吟味している姿勢を感じた。安倍総理にとって「#責任」とはどのようなものとしてとらえられているのだろうか?

良いことも「決め方」や「日本国行政への全面的影響」はどうか?卒業は「思い出づくり」ではない、学校から社会へ定められた教育と人格陶冶を修養したことを証す画期だ。#閣僚官僚にもはからず社会への悪影響も不十分だ。#総理の責任では担えない巨大行政案件だ。


インフルエンザと新型ウイルスの比較をしたのか?インフルエンザを死因とする死亡者の年度別人口動態統計は厚労省によるとグラフのとおり1950~2018だ。もっと落ち着いて行政すべき。#総理は興奮し自己陶酔するも冷静な認識がない。 https://honkawa2.sakura.ne.jp/1955.html?fbclid=IwAR04B3W2ieqxJJtdYMnA3NJUaawrE6e7N8WO65qfbET5xhpJFsdiDlqVmts


危機は?独断でアピールする安倍総理の補佐官が、同時刻に立食の宴会に出ている。予算は各国より一桁も低い。 口先だけで、予算も執行閣僚の内容もあまりにお粗末。 これだけの重大事態は安部総理の「責任」のことばでは担いきれない。全閣僚全官僚の知恵を結集すべし。報道では、総理要請発言を菅官房長官さえ当日まで知らなかった。総理側近と思えた文科大臣は、全国一律休校に反対したという。政府内閣の機能が総理専断に陥っている。小中高が休みで学童保育や公立保育園は開業状態。学校より狭い学童ホールに密集状態で、子どもの安全と健康をどう守るのか。


『報道特集』が取材した、うえむら小児科内科クリニックの発熱外来の創意。一般外来と発熱外来をわけ、赤の部屋、緑の部屋、黄の部屋3つの発熱外来も換気扇でウイルスが入らないようなエアカーテンなど完璧な仕組み。医師が患者の部屋に出向き医師の細かなアルコール消毒。親への温かさ。


今年度予備費2千数百億を「休職した保護者の保証金」に回す。これは最初の数百億円への野党から批判で出されていたことだ。だが、おし潰されそうな貧困層に生活保障を考えると補償金、保証金で十全ではない。「#総理の私が決断したことだから私の責任において」自惚れの自信過剰に失笑。


感染症医師の発言と『TBSnews23』の小川彩佳キャスターの応答は意義深いものがあった。市民の切実な疑問を代弁し、それに臨床医の専門性からわかりやすく応えていた。このような啓蒙がワイドショーから消えて、国民に不安や偏見を煽るような傾向があることを元外務省の田中均氏も『見えない戦争』で触れている。


【むすび】
安部晋三総理が行おうとしていることは、新型コロナ問題を盾に #社会のシステムを一時的に停止して危機管理態勢の実験なのではないか?日常的営みに混乱と動揺を与えどう制止するかの総理専断回路確立を。コロナを真剣制御するなら軍事費突出の予算案に充分な対策費を盛り込まないはずがない。充分な聞き取り、調査も極めて不十分で、文科相や厚労相など関係部局の意見もほとんど無視し、菅官房長官さえ発表の当日まで知らされていないという内閣としての意思統一を欠いた大失態である。
 安倍晋三氏には、内閣総理としての国政統治の能力も正統性も皆無に近い。
―了―



【広原盛明のつれづれ日記】政治はすべて結果責任、100回超の虚偽答弁は万死に値する、安倍前首相は即刻議員辞職すべきだ、菅内閣と野党共闘の行方(15)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その240)

2020-12-26 23:42:04 | 転載
2020-12-26



❶ 「度し難い人物」とは、まさにこういう人物のことを指すのだろう。東京地検特捜部が12月24日、安倍前首相の公設第1秘書を政治資金規正法違反の罪で略式起訴したことを受け、安倍前首相が開いた記者会見がそうだった。「噓八百」というが、まるでそれを地で行くような人物だ。100回を超える国会虚偽答弁を認めざるを得なくなったにもかかわらず、自分は「知らなかった」「知らされていなかった」と全責任を秘書に押し付け、自らの政治責任を免れようとする有様は醜悪そのものだった。



❷ 翌25日の衆参両院議院運営委員会での態度はもっと悪質だった。自ら釈明すると申し出たのに、野党議員の質問に対しては「事前通告を受けていない」と居直る始末。事前通告の有無にかかわらず、自らが進んで事実を明らかにするのが本来の釈明の姿ではないか。ところが、これまでの国会答弁のように「事前通告を受けていない」と屁理屈をこねて答弁をはぐらかし、中には回答まで拒否するのだから始末に負えない。



❸ 要するに、今回国会で釈明すると申し出たのは、「謝罪した」という格好をつけて「それで終わり」と幕引きするつもりだったのだろう。「責任を痛感する」「反省している」「心からお詫びする」など、大げさで形式的な言葉を繰り返しながら、その実、表情や態度を見ていると全く反省していない。こんな茶番劇で国民を騙せると思っているのなら、きっと酷いしっぺ返しを喰うこと間違いなしだ。



❹ それにしても、こんな度し難い人物が7年8カ月もの長きにわたって首相の座に居座っていたかと思うと、はらわたが煮えくり返る。本人は委員会後、記者団に「説明責任を果たすことができた」と胸を張ったというが、いったい何処からそんな言葉が出て来るのか不思議でならない。証人喚問には応じるつもりはないというし、おまけに来年の衆院選については「出馬して国民の信を問いたい」と言うのだから(朝日12月26日)、これで「一件落着」「みそぎ(の儀式)は終わった」と思っているのだろう。



❺ 菅首相も24日、安倍政権時代の官房長官としての国会答弁については、「私自身も事実と異なる答弁になってしまい、国民に大変申し訳ない」と一応謝罪したが、これもうわべだけのことで言動が全く一致していない。「桜を見る会」について、記者団から招待者名簿などの再調査を行うかと聞かれて、「国会の中で質疑応答がきちっと行われてきている。予定はない」と平然と述べているのである(朝日、同上)。安倍前首相が100回を超える虚偽答弁を繰り返してきたというのに、「質疑応答がきちっと行われてきた」と言うのだから、こちらの方も安倍政権の忠実な後継者と言うほかない。「噓の上塗り」もいいところだ。



❻ 新旧首相が揃いも揃って自らの政治責任を認めず、安倍前首相などは議員辞職など「どこ吹く風」といった具合だから、このような厚顔無恥の政治家は世論の力で倒すしかない。なかでも政権基盤の弱い菅首相にとって、内閣支持率の動向は決定的だ。内閣支持率がこれ以上下がれば「菅では選挙戦を戦えない」との声が高まり、「菅降ろし」が始まると言われているからだ。



❼ このところ、菅内閣の支持率は先週末から40%を下回って急落している。新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、その原因となった観光支援策「Go Toトラベル」の停止タイミングなどに対して、政府の対応への不満が高まっているからだ。なかでも菅政権を驚愕させたのは、支持率下落の大きさだろう。12月19、20両日実施の朝日新聞調査では、内閣支持率は11月の前回調査の56%から17ポイントも大幅下落して39%となった。一方、不支持率は前回20%から15ポイント増加して35%になった。ANNが同期間に実施した調査でも、支持率は38.4%で前月から17.5ポイント低下。不支持率は39.6%と17.1ポイント増え、不支持が支持を初めて上回った。



❽ 事実を語らない安倍前首相の「釈明会見」、Go Toトラベル事業の突然停止に伴う混乱、コロナ感染状況の「過去最多」日々更新、吉川元農相の収賄容疑などなど、菅政権を取り巻く政治環境は刻々と悪化している。このまま年末年始を迎えて機能不全状態に陥るのか、それとも起死回生の一打を打ち出すことができるのか、菅政権は文字通り瀬戸際に追い詰められている。次回の世論調査結果で支持率が30%台を割るようなことになれば、何時政変が起きても不思議ではない。2021年の年明けは、風雲急を告げる時代になるかもしれない。(つづく)

#嘘~コロナと政府に黄昏の木枯らしが吹く

2020-12-26 22:12:10 | 言論と政治
写真は映画『ジョニーは戦場へ行った』の一場面

1 12月26日のコロナ

949人東京コロナ感染者数。81人重症者。変異種コロナウイルス感染者も検疫で発見されたひと以外に新たにイギリス航空路機長日本人夫妻の感染確認。いま日本は、「コロナ」という媒体を通じて国民と政府がどのような行政と社会を培っているかが洗い出される。自衛隊、地方議員や国会議員の宴会、会食。政府要人から始まった自粛破棄の波の伝播。あまりに酷い実態だ。

2 対比すると露骨な嘘が透けて見える

菅首相・加藤官房長官「人の移動は感染に影響を与えないというエビデンスを専門家から受けている」
釜萢敏日本医師会常任理事「人の移動は感染を拡大させる。都合のよい部分を斬り合わせて発言なさることに忸怩たる思いを禁じえない」。

3  にんげん

「10か月ぶり 母との面会」を見ながら、胸をうたれながらある映画を思い出した。
『#ジョニーは戦場へ行った』世界大戦で上下肢顔を失い体躯のみベッドに固定された元兵士。だが彼は意識を明確にもっていた。体全体でモールス信号のように発信している。看護婦さんが唯一、体躯の塊だけとなった兵士の心を受け止め共有する。


4 お年寄り介護にコロナ被害が押し寄せている

介護施設にも問題は波及している。 経営の悪化、さらに家族の面会禁止。私も故郷の老人ホームに入居している義母を、家族で南関東から北関東へ見舞う。老母にコロナを感染させないように面会できぬ期間の後いまは一日10分を許されている。



5 社会的に差別されている被害者に集中する無情の攻撃

コロナ禍で女性労働者に著しいしわよせが集中している。労働者の生存権侵害に加え、女性差別にも。 さらに、家庭で働く夫は仕事のストレスを妻子へのDVを増大という二重三重の新たな矛盾を連鎖的に呼び起こしている。


「news23」星浩氏、安倍前首相の「桜を見る会」問題に「権力が腐敗すると、こういうことが起きる…私たちは目に焼き付けておいた方がいい」

2020-12-25 09:18:21 | 転載
「news23」星浩氏、安倍前首相の「桜を見る会」問題に「権力が腐敗すると、こういうことが起きる…私たちは目に焼き付けておいた方がいい」
12/25(金) 8:23配信スポーツ報知
写真:安倍晋三前首相(ロイター)

 24日のTBS系「news23」(月~木曜・午後11時、金曜・午後11時半)で、安倍晋三前首相が「桜を見る会」前日の夕食会費用補填問題を巡り国会内で記者会見したことを報じた。

 安倍氏は政治資金収支報告書に補填分が記載されなかった会計処理を知らなかったと釈明し「道義的責任を痛感する」と述べた。現職首相としての国会答弁が事実に反していたと認め「国民、全ての国会議員に深くおわびする」と陳謝した。衆院議員辞職や自民党離党は否定した。安倍氏が公の場で答弁の誤りを認め、陳謝したのは初めて。会見は1時間余りだった。25日に衆参両院の議院運営委員会で答弁を訂正する。首相経験者として異例の対応となる。

 アンカーの星浩氏は、今回の問題で浮き彫りにしたものを「7年8か月続いた安倍1強政治の負の部分だと思います」と指摘した。その上で「桜を見る会の公私混同に対して自民党の中からいさめる声も出ない。野党が追及しても数の力で押さえ込んじゃうということ。権力が腐敗すると、こういうことが起きるということを私たちは目に焼き付けておいた方がいいです」とコメントしていた。

【孫崎享のつぶやき】2020-12-25 08:50

2020-12-25 09:04:12 | 転載
特捜部が、公設第1秘書を政治資金規正法違反(不記載)で略式起訴。東京新聞「家宅捜索等せず、罰金で幕引き。言い分を聞くだけなら上申書と同じ」読売:検察判断に言及せず。朝日「納得できない国民は多いのではないか」→逃げ。貴紙は自分の判断を述べられないのか。



東京地検特捜部が、公設第1秘書を政治資金規正法違反(不記載)で略式起訴した。東京簡裁は罰金100万円の略式命令を出した。これに対する各紙の社説。

1:タイトル
(1) 読売「安倍氏不起訴 不誠実な答弁の責任は重い」
(2) 朝日「「桜」刑事処分 政治責任は極めて重い」
(3) 毎日「「桜」で安倍氏不起訴 秘書の責任では済まない」
(4) 東京「安倍氏不起訴 捜査は尽くされたのか」
(5) 産経「安倍氏秘書を起訴 政治家として責任は重い」

1:東京地検の判断についての是非

(1) 東京:秘書は略式起訴だが、安倍晋三前首相は不起訴−。「桜を見る会」夕食会をめぐる東京地検の結論だ。家宅捜索などはせず、罰金で幕引きの構図である。これでは捜査は尽くされたのか疑問だ。
 言い分を聞くだけならば上申書と同じでもある。家宅捜索など考えられる捜査を尽くした上での判断なら理解する。それを行わず、なぜ安倍氏の弁明をうのみにできるのだろうか。
 考えてもみてほしい。「桜を見る会」前日の夕食会は後援会が二〇一三年から毎年、地元の支援者らを招き開かれていた。一人五千円の会費で足りないから、安倍氏側が一六〜一九年の四年間に限っても計約七百万円を補填(ほてん)していた。つまり表面化すれば違法性が問われる事態を、安倍氏を守るべき秘書が続けていたというシナリオが信じられるだろうか。
 不記載額が約三千万円で「少ない」との判断があったと伝えられるが、これが検察の正義なのか。国民は到底、納得できまい。安倍氏が真に迫って「補填はしていない」「明細書もない」と国会答弁を重ねていたが、これが虚偽だったとは、自分の事務所や秘書を統制すらできないことを意味するからだ。にわかに信じ難い。
 確かにまだ検察審査会による異なる判断もありうる。だが検審とて証拠がなくては、検察の不起訴判断を覆すことは困難だ。その意味でも今回の「一件落着」には疑問を持つ。
 今回、簡裁は略式命令で秘書に罰金刑を科した。正式な裁判は開かれず、補填に至った経緯や原資などについて法廷で明らかにされることはなくなった。公判審理を選ばなかった簡裁の判断は極めて残念だ。

(2) 読売:特に言及なし。

(3) 朝日:特捜部は安倍氏からも事情を聴いたが、補填に関して指示や同意を与えるなどした証拠を見いだせず、罪に問うことはできないと判断したという。だがこの説明に納得できない国民は多いのではないか。
 2019年分に関しては、補填の疑いが国会で問題になった後に作成・提出された。異なる対応も考えられたのではないか。
 検察が公設秘書を略式起訴にとどめ、簡裁がただちに罰金100万円の命令を出したことにも、釈然としない思いを抱く。その立場や社会的関心の大きさを考えれば、公開の法廷で審理してしかるべきだった。

(4) 毎日:秘書だけが刑事責任を負うことになったが、それでは済まされない。
 特捜部は、安倍氏の共謀を裏付ける証拠を見つけられなかった。安倍氏は記者会見 でも「知らない中で行われていた」と述べた。とはいえ、首相経験者が在任中の「政治とカネ」の疑惑で検察の事情聴取を受けたことは、極めて異例であり、深刻な事態だ。
 安倍氏は公職選挙法違反容疑でも告発されていた。費用補塡は有権者への寄付行為であるほか、桜を見る会に支援者を参加させたことは買収に当たるというものだ。
 特捜部は、これらも不起訴とした。参加者に利益を得たとの認識がなかったことなどが理由だ。
 だが、桜を見る会は、首相が各界の功労者を慰労するために、国費で開催されてきた。そこに多くの支援者を招待していたことは、「私物化」に他ならないだろう。前夜祭もその一環である。
 東京簡裁が秘書に罰金100万円の略式命令を出したため裁判は開かれない。検察審査会による強制起訴がない限り、公開の法廷で真相を解明する道は閉ざされる。


2:安倍首相の責任について

(1)読売:政治資金の透明化を目指した法律が、日本のリーダーの足元で踏みにじられていた。安倍前首相は猛省し、説明責任を尽くさねばならない。
 安倍氏は、嫌疑不十分で不起訴になった。特捜部の任意の事情聴取に対し、「首相退陣後に事実を把握した」と述べた。秘書も独断で行ったと話しているというが、安倍氏の責任は免れない。
 安倍氏は国会で、前夜祭について「後援会としての収入、支出は一切ない」などと何度も答弁していた。菅首相も、官房長官として答弁を追認してきた。
 秘書やホテル側に十分確認をせず、国権の最高機関である国会で事実に反する説明を繰り返したことは、看過できない。虚偽の答弁と批判されても仕方あるまい。
 安倍氏は記者会見で、補填分は手持ち資金から支払われた、と語った。国会でも事実関係や経緯を真摯に説明する必要がある。

(2) 朝日
 首相在任時の政治活動をめぐって、側近、それも国費が支給される秘書が刑事責任を問われる由々しき事態だ。似たような事態を受けて、役職を退いたり議員バッジを外したりした政治家も少なくない。安倍氏の政治的・道義的責任は極めて重い。
 不記載と認定された収支報告書のうち19年分は、補填の疑いが国会で問題になった後に作成・提出された。疑惑を指摘された以上、政治家たるもの、関係者に詳細を確認し、自ら書類を点検するのが当然の務めだ。
 安倍氏がそうしなかったとすれば、国会、そして国民をとことん愚弄していたことになる。訴追するか否かは、金額の多寡やこれまでの処分例との均衡など様々な要素がかかわってくるとはいえ、少なくともこの年分に関しては、異なる対応も考えられたのではないか。

(3) 毎日:不起訴になったからといって疑念は消えない。安倍氏は「会場のホテルと契約したのは参加者で、後援会の収入、支出は一切ない」と強調してきたが、あまりに荒唐無稽な説明だった。
 国会で追及されていたのに、ホテルからの明細書や領収書を確認しなかったのも理解しがたい。
 前夜祭について安倍氏は「補塡はない」などと繰り返してきた。こうした「虚偽答弁」は、5カ月で少なくとも118回に上る。

【色平哲郎氏のご紹介】 " 虚偽答弁118回は間違いなく世界記録、と言うか普通の国は1回でクビである。"

2020-12-24 23:43:19 | 転載
(mixiではこの長文は一回で掲載できないのでこちらに転載しました)



" 虚偽答弁118回は間違いなく世界記録、と言うか 普通の国は1回でクビである。"
twitterより

よせられたコメント  「除夜の鐘より多い、、、」

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賭けマージャン問題、黒川元東京高検検事長に「起訴相当」議決…検察審査会
2020年12月24日 13時55分 読売新聞
黒川弘務・元東京高検検事長(63)らによる賭けマージャン問題で、東京地検が単純賭博罪で不起訴(起訴猶予)とした黒川氏について、検察審査会が「起訴相当」と議決したことがわかった。

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「金で買えないものはない」のではありません。そうではなく、「金で買えないものはあってはならない」という理念が正当なものとして承認される経済システムを資本主義というのです。
「世界は贈与でできている」p57

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どれだけ多くを知っていたとしても、それだけでは教養とは言えません。手に入れた知識や知見そのものが贈与であることに気づき、そしてその知見から世界を眺めたとき、いかに世界が贈与で満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶのです。
「世界は贈与でできている」p242

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「私は国鉄の民営化は賛成だったが分社化には大反対であった。私の育った四国や北海道、九州は切り捨てられると直感したからである。以前から私は、何故品川=名古屋間の地下鉄(リニアと呼ぶらしいが)を作る必要があるのか?今の新幹線とどちらかの大赤字は必定であろうと主張してきた。恐らく狙いは外国進出のショーウィンドーで、そのために四大ゼネコンが談合しゼネコンのゼネコンによるゼネコンのための事業だというのが今回発覚した、というのが本当の所であろう」

「令和の改新」 日本列島再輝論 邉見公雄 197ページ 20年2月

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帰国を目前にした移住労働者、「ビニールハウス宿舎」で冷たい遺体となって発見
12/24(木) 14:28 ハンギョレ新聞

カンボジア出身の女性農業労働者 
帰郷のため来月10日の航空券を買ったが 

https://bit.ly/2WHMe95

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<法の枠外>
タイ労働省によると、雇用許可制度を通じて韓国で働くタイ人労働者とその家族は、病気や死亡に際しては当局から金銭支援を受ける資格がある。しかし、同省当局者は、問題は大半の出稼ぎ労働者が不法滞在で、法の保護の外にあることだと話す。 タイ政府は近年、啓蒙ビデオ作成や、たちの悪い人材採用ウェブサイトの取り締まりなど、海外での不法就労を防ぐ措置をいくつか導入した。 しかし、労働者の人権保護に取り組む活動家らは、それでは問題は解決しないと指摘する。タイ政府が、海外で国民が合法な状態で働きやすくする制度を整えるべきだとも訴える。 元出稼ぎ労働者のタイ人男性(51)はかつて、ブローカーの斡旋で入国したところ、最終的に大邱市の養豚場に送られた。休みは1日もなかった。3カ月働いても給与が支払われなかった時、男性は逃亡を決めた。 抜け出す前、寝ていた部屋の壁にタイ語で警告メッセージを残した。「タイの仲間達へ。ここに働きにやられたら、給料はもらえないと心得よ」──。

https://bit.ly/3rqt3i7
焦点:出稼ぎタイ人は「小さな幽霊」、韓国で数百人が死亡

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外国人技能実習制度の闇 ~彼は駅に捨てられた~

神戸大学大学院 斉藤善久准教授
「実習生が帰国するまで監理団体がサポートするのが当然ですが、いまはコロナ禍で経営が厳しく雇い続けられない企業も多い一方で、すぐに帰国させることもできない特殊な状況です。制度が始まった当初はこうした非常事態が想定されておらず、監理団体だけで対応するのが難しい部分も出てきています。もともとは国が始めた制度なので、国は民間に丸投げするのではなく、帰国できるまでの間、実習生をシェルターで保護するなど、積極的に支援をしていくことが必要です」

https://bit.ly/2M8Zdid

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人手が不足しがちな農業の貴重な担い手として連れてこられた実習生が、コロナの影響で日本人労働者を採用できるようになると、今度は邪魔者扱いされる現実。外国人技能実習生は、結局「雇用の調整弁」に過ぎなかったのである。そして、今年7月には、冒頭で紹介したとおり、社長の息子が技能実習生3人の住むアパート(会社の寮)に押しかけて、「スリランカに帰れ!」「いらねえよ、てめえなんか!」などと10分以上にわたって実習生を怒鳴りつける事件が発生した。キッカケは実習生たちが、自分たち3人の休みの日を合わせてほしいとお願いしたことのようだが、こんなささやかなお願いに激昂するのは異様である。また、女性3人の住むアパートに使用者の男性が勝手に上がり込むこ
とも、許される行為ではない。別の日には、社長の息子が突然アパートに押しかけ、Aさんらにご飯を作らせたり酒をつがせたりした挙句に、そのまま酔いつぶれてアパートで寝るなどの行為に及んだこともあるという。これらは重大な人権侵害行為である。さらに、今年9月には、社長の息子が勤務中に怒り出し、Aさんに「クビ」と言って帰らせ、監理団体を通じて、翌日以降の出勤を禁じる旨を伝えて、事実上Aさんを解雇してしまった。

https://bit.ly/3hfD9O5

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ケビン・ベールズ博士が現代の奴隷制度について感動的かつ現実的な説明をします。奴隷関連ビジネスは、今でも数百億ドルの経済規模を持つ地球上で最悪な産業です。博士は統計や現地での体験を交えながら、地球上の全ての奴隷を解放して社会復帰させるコストと価値を語ります。

https://bit.ly/34EwesK

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保険業の発展は奴隷貿易と密接なかかわりを持っていた。1771年英国籍のゾング号事件が起きた。440人の奴隷をすし詰めにしたゾング号は伝染病で60人の奴隷が犠牲となった。感染の拡大を恐れた船長は「自然死の奴隷は船主の損失となる。生きたまま海に投げ込めば保険会社の損失となる」と114人の奴隷の手を縛り海に投げ捨てた。英国に帰港したゾング号の船主は奴隷一人当たり30ポンドの保険支払いを裁判に訴えたが敗訴。これが奴隷貿易禁止の世論となった。奴隷解放運動の担い手は、クウェイカー教徒と英国国教会福音主義派であった。奴隷貿易は1866年キューバでの禁止により400年の幕を閉じた。が、現在も奴隷がいる。動産奴隷制、債務奴隷制、契約奴隷制で全世界で4580万人と報告されている。

https://bit.ly/3mJr5Wx

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「イギリスの奴隷船は180年にわたって550万人の黒人奴隷をアフリカからカリブ海に運んできた。奴隷制が廃止された時、残っていたのはわずか80万人だった」「奴隷制と虐殺の邪悪なシステムが確立されたのはこの英下院だ。この下院は法律を可決し、財政政策を取りまとめ現在、修正を必要とする有害な遺産と永続的な苦しみを生み出すという罪を犯した」「下院はまた奴隷制からの解放と植民地主義からの独立を実現した。私たちが今期待しているのは、補償のための法律が制定されることだ。過去のひどい過ちが是正され、これらの歴史的犯罪の恥と罪悪感から人類が最終的にそして真に解放されると信じている」
ベックルズ教授によると、奴隷約80万人分の価値は約4700万ポンドで支払われた補償金約2000万ポンドとの差額である約2700万ポンドは解放された元奴隷による「実習」、要はタダ働きで支払われたそうです。ベックルズ教授は例えば次のような形の補償を求めています。
(1)大英帝国最大の奴隷植民地だったジャマイカは1962年の独立時には80%が非識字者。イギリスはジャマイカの教育と人材育成に投資を。
(2)大英帝国最初の奴隷社会であるバルバドスでは砂糖と塩の摂取率が高く、糖尿病と高血圧が蔓延している。イギリスはバルバドスの教育と健康に責任を負っている。

https://bit.ly/2M6YE8v
どうやって払うの? 歴史の清算は高くつく 英奴隷貿易35兆円、米奴隷制は1285兆円也

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グレーバーの最新著『啓蒙の海賊あるいはリバタリアの真実の歴史』(フランスの出版社リベルタリアから英語原文に先立ち2019年11月刊行、日本語訳は以文社から刊行予定)では、海賊たちの冒険こそが「啓蒙」のひとつの起源なのだという仮説が提示されている。リバタリアとは、17世紀のマダガスカルに建設されたとされる海賊たちの共和国だ。
その実在は否定されている。けれども、海賊たちの自由が広く知られていたからこそこのような神話が生み出されたのであり、この神話的共和国への憧れが当時のヨーロッパに別の社会の可能性を信じさせたのであってみれば、リバタリアはたしかな現実として歴史を動かしたと言うべきではないか。グレーバーはこのように説く。こうして彼は、民主主義のみならず啓蒙をも、西洋的伝統の純粋な産物としてではなく、他なるものとの出会いから生まれたものとして捉え返す。グレーバーはこのような啓蒙理解の刷新を、「啓蒙の脱植民地化」のプロジェクトとして定式化している。誤解してはならないのは、これが啓蒙の理念をあえて擁護するための企てであることだ。しばしば啓蒙は、非西洋を支配するための口実を提供したものとして、ラディカルな西洋批判者たちによって告発されてきた。しかし彼によれば、文芸サロンの女性たちや既存の制度外の男性たちにより促進され、しかもヨーロッパ外との対話により触発されて生まれたこの運動を一概に退けることはできない。「民主主義」も「啓蒙」も西洋独自の文化遺産ではなく、同様の理念は世界のあちこちに見出すことができるのだから、ラディカルな西洋批判者による告発は的外れであるというこのような発想は、言うまでもなく論争的なものだ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73871

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多くの人が「西洋」からイメージするのはヨーロッパとアメリカでしょう。そして、「西洋」の一部であるギリシャのアテネから「民主主義」は生まれ、ヨーロッパで育ち、アメリカで具体的な形になった。その「常識」にデヴィッド・グレーバーは意を唱えます。ユーラシア大陸は三つのシステムからなり、一つが中国を中心とした東方システム、インドを中心とした南アジアシステム、そして、中東を起源とする西方システムです。
文化が知識の連鎖(主に文字情報による)だとすれば、ヨーロッパに最終的に根付いた文化の多くの出発点はメソポタミア、つまり現在の中東であり西方システム(北太平洋システム)となります。次に、民主主義がアテネで発明され、西洋で育ったのも違うとデヴィッド・グレイバーいいます。民主主義は世界のどこでも発生しうる。実際にアメリカのイロコイ族や北欧の海賊も民主的な制度を持っていました。デヴィッド・グレイバーによれば「民主主義」が発生する要因として二つあります。
・決定に関して平等に発言権があるべきというコンセンサス
・決定事項を実行に移す強制力
この二つはなかなか両立せず、特に二番目の強制力は多くの場合は「暴力」を伴います。それゆえに直接民主主義は軍事的な起源を持つことが多いのだそうです。実際に民主主義がヨーロッパを含む北太平洋システムでポジティブな言葉として捉えられるようになったのは比較的最近だといいます。18世紀末にヨーロッパの人たちが「民主主義」を知ったのはトマス・ホッブズが翻訳したトゥキディデス『戦記』だそうです。アメリカの制度が意識したのはローマの共和制であり、民主主義ではありませんでした。民主主義を全面的に押し出したのは第7代アメリカ大統領となったアンドリュー・ジャクソンからで、それすら「共和制」を「民主主義」に置き換えただけだとデヴィッド・グレーバーは指摘します。

https://bit.ly/37JriVm

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世界中のイスラム教指導者に迫られる選択
 
2015年1月にイスラム過激派テロリストが新聞社「シャルリー・エブド」の本社を襲撃した事件や、同年11月にパリ市街や郊外で相次いで銃撃や爆発が起きたパリ同時多発テロなど、フランスは相次ぐイスラム過激派によるテロに見舞われている。いま、仏の世俗主義、共和制は既に瀕死の状態にあるという危機感を多くの仏国民が共有しているのだ。
世界中のイスラム教指導者は、あくまでもイスラム的価値を普遍的なものとして押し通し、フランスだろうとどこであろうと預言者ムハンマドを冒涜した人間が殺害されるのは自業自得だと主張し続けるのか、それともイスラム過激派テロとの戦いを優先させ非イスラム諸国とも連携し協力していくのか。いま、その選択を迫られている。

https://bit.ly/2Ko8l1V
《パリ教師殺害》日本では報じられない事件の”真相”とフランス国民の本音

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[劣化する政治] どん底の前に終止符を 藤原辰史
毎日新聞2020年12月24日 東京朝刊

「覚悟はいいだろうか。侮辱者が法に則(のっと)り裁かれるまで、あなたの尊厳と生命がじゅうりんされる覚悟はもうできているか。」藤原辰史氏は多数の庶民が犠牲になったナチス・ドイツと大日本帝国の歴史を踏まえ、現状の劣化する政治に強い危機感を提示した。

「行く所まで行かないと日本人はわからないよ、自分たちがどれほど愚かだったかを」。最近、2人の方からこんな言葉を聞いた。どちらも悲壮感が漂っていた。国会は、小学校の学級会よりレベルが低い。誇張ではない。これがみんなの尊厳と学びと生命を守る人たちですと小学生に紹介できない。首相は野党の批判を原稿棒読みで逃げ、前首相の118回の「虚偽答弁」は国権の最高機関、国会を冒とくした。政府の批判者たちが特高に逮捕されても、非国民だと隣人が言われても、海の向こうから伝わる戦果報道をオ
リンピックのように消費した国民は、度重なる大空襲に遭って、飢餓に陥り、家族を失い、原爆を2回も落とされてやっと大本営が嘘(うそ)を自分たちにつき続けていたことを知った。批判者が次々に収容所に送り込まれても、体制に合わない文学や研究書が焚書(ふんしょ)に処されても、ビラを配布しただけで学生たちがギロチン刑に処されても、ドイツ国民は、直接的な生命の危機に晒(さら)されるまで、自分たちの生命をゴミのように捨てる人間を首相に選んだことを認識できなかった。再び、行く所まで行くのか。そうならないために私たちは歴史を学んできたのではなかったか。愚行を繰り返さぬために批判を怠ってはならぬと、大量の血を流して知ったはずだったのではなかったか。覚悟はいいだろうか。侮辱者が法に則(のっと)り裁かれるまで、あなたの尊厳と生命がじゅうりんされる覚悟はもうできているか。私はそんな覚悟を持てない。だから、底無しに劣化する政治に終止符を打たねばと焦るのだ。

◆今月のお薦め3本 藤原辰史
■特集 軍艦をめぐる「歴史戦」(能川元一・外村大、週刊金曜日12月18日号)
■勝ち馬追わず、敗者を背負え(大島新、Journalism12月号)
■公文書隠蔽(いんぺい)、トップダウンで終止符を(大場弘行、同号)

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[理想の記者] 政治家の資質見抜く目 山本章子
毎日新聞2020年12月24日 東京朝刊

山本章子氏は自らの恩師で一周忌を迎えた新聞記者の業績を振り返りつつ、あるべき政治記者像を示した。
 12月11日は、中日新聞社相談役で元専務・東京本社代表の宇治敏彦氏の一周忌だった。心から尊敬する人物で政治史の師である。宇治氏は華々しい役職を歴任したが、肩書を自慢したことがない。田中角栄首相や鈴木善幸首相のブレーンだったが、それを初めて明かしたのは2013年だ。記者のかたわら大学で教べんを取るが、教授職への誘いは断った。死ぬまで一記者だった。
 だが、宇治氏ほど政治にさめた記者はいない。学生時代から版画を彫り、棟方志功が認めた才能を持ちながら文化部志望で東京新聞に入った彼は、政治部配属が不本意だった。世阿弥の「離見の見」を座右の銘とし、政治家との緊張関係を忘れた派閥記者は新聞記者ではない、が持論だった。
 宇治氏の本の出版記念会に中曽根康弘氏と大平正芳氏が訪れた折、中曽根氏のファンだった受付の女性が渡した記念品を、中曽根氏は無言で合図して秘書に受け取らせた。大平氏は「ありがとう」と言って自ら受け取った。その日から女性は大平氏のファンになる。政治家の資質は政策や理念だけではないのだと、宇治氏は語った。
 私は以前、遺族が図書館に寄贈した橋本龍太郎文庫の目録を作った。すると宇治氏が「山登りの本と『美味(おい)しんぼ』はあった?」どちらもないと答えた私に、国会議員初当選時から橋本氏を知る彼は「橋本さんの愛読書はその二つだけだよ」。政治家が残した資料には懐疑的であるべしと学んだ。
 馴(な)れ合うのも印象に弱いのも見栄(みえ)を張るのも人の性(さが)だが、それを律するのもまた人の理性であると、宇治氏から教わった。

◆今月のお薦め3本 山本章子
 ■文春編集局長が語る「信頼とは」 スクープがもたらす正のスパイラル 親しくなっても書く覚悟(新谷学、Journalism11月号)
 ■反論したり煩悶(はんもん)したりしていい 私は記者の言い分を読みたい(プチ鹿島、同号)
 ■勝ち馬追わず、敗者を背負え 問われる政治家の覚悟と矜持(きょうじ)(大島新、Journalism12月号)

山本章子(やまもと・あきこ)氏
 琉球大准教授(国際政治)。1979年生まれ。

宇治敏彦さん(うじ・としひこ=中日新聞社元専務)2019年12月11日、胆のうがんで死去、82歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長女美穂さん。東京本社論説主幹、同本社代表を歴任。12~16年に国際新聞編集者協会理事を務めた。1937年大阪府生まれ。早稲田大学卒業後、東京新聞を経て中日新聞入社。政治部次長、経済部長、論説主幹などを経て中日新聞社専務取締役、東京新聞代表を務める。ほかに日本政治総合研究所常任理事、フォーリンプレスセンター評議員、日本生産性本部評議員など。『首相列伝』『実写1955年体制』『論説委員の日本分析』など著書多数。版画製作が趣味で『木版画 萬葉秀歌』の著書もある。

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すべての人はどうあがこうが、「時代の子」たるをまぬがれえません。哲学とてその例外ではなく、その思考のうちに時代の刻印が押されています。哲学がそのいとなみの行なわれる現代世界を超越できると考えることは、人が時空を超えてロードス島でジャンプできると考えるのとおなじくらいばかげたことです。ヘーゲル

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「私は、いついかなる場所で、人が、あるいは神が、突然、私の胸の中 へ入って来て、私の精神状態や私の考えていることを探ろうとも、 私は恥ずかしくない人間になることを、心がけてきた」三島海雲

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海外融資のデフォルト危機を警戒する中国
【経済着眼】壮大な「一帯一路」の致命的な欠陥とは
2020/12/24 俵 一郎 (国際金融専門家)

ザンビアの債務不履行(デフォルト)に関する拙稿でもお伝えしたように、中国は2014年に発表した「一帯一路」戦略の一環として新興国のへ1兆ドル(約110兆円)におよぶインフラ投資に多額の融資を行ってきた。この1兆ドルという規模は第二次大戦後、米国が欧州復興のために拠出したマーシャルプランの数倍の規模...

https://bit.ly/2JfYYk3

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菅政権が医療逼迫するなか195億円かけて「病床削減」する狂気の沙汰!
コロナ治療最前線の公立病院リストラ政策も続行

https://lite-ra.com/2020/12/post-5738.html  

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コロナ禍における診療体制維持

都内民間病院院長 匿名

2020年12月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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新型コロナウィルス(正式名称:SARS-CoV-2、通称:COVID-19)感染症の猛威が全世界に及んでいる。日本は感染者数が少ないとされるが検査体制の違いもあるため実態は判然としない。生活習慣が感染予防に適している等の論拠もあるが、第3波での患者数急増や市中感染の動向を見ていると果たしてどうなのだろうか。

新型コロナ感染症は感染者数急増、高齢者での感染増加に伴う死者数増加、無症状者でも急変し死亡する場合がある事など日々報道が過熱しており、今般のGOTO事業停止を含め新型コロナ対応に国も翻弄されている。

我々もこの1年間、新型コロナに翻弄された。当初から発熱外来を開き、依頼により少数の入院も受け入れた。急速に感染者が増加し緊急事態宣言が出され、地域の要請もあり通常病床を閉鎖して新型コロナ病床を作った。工事や人員配置に時間がかかり、オープンした時はすでに終息傾向になりつつあった。病床減少により通常診療が制限される事となり、経営は大幅に悪化した。新規感染の報告も少なくなったため、新型コロナ病床を閉鎖して通常診療に再転換した。ただ発熱外来は継続し、さらにこのころから問題視されていた疑似例に対応すべくCOVID19迅速遺伝子増幅検査を院内導入して、緊急疾患を持つ発熱者を個室で受け入れる体制を構築した。救急診療、通常診療が回復し一時は優良な経営状態まで回復した。そこで院内クラスターが発生した。救急診療停止、新規患者受け入れ停止、病棟閉鎖と次々に通常診療の制限をかけざるを得なくなり、かつてないほ
どの減収減益となった。現在は完全に感染制御が出来たため通常診療に戻っている。

この間に多くの事を学んだ。

新型コロナ診療は通常診療が出来ない等の現場の意欲低下、患者や自らに加え家族への感染という多大なストレス、さらに大幅な経営負担を強いる。病床転換により通常診療が制限される事に加え、多数の感染者が出れば病棟閉鎖となり救急を含む通常診療を止めざるを得ない事態にもなる。急性期病院は診療報酬改定や地域医療構想に伴う施策ですでに経営的な余力が無い。新型コロナ病床への転換、患者受け入れに対する国からの多額の補助金が今年は出ている。しかし新型コロナの終息が見えない中、いつまでもこの補助金が持続するとは誰も思わない。経営破綻に追い込まれている中小企業も多くこれらの業種への補助も必要であり、財源がこの先も続くなど甘い期待は到底抱けない。

今、中小企業の倒産と同様に民間医療機関も存亡の危機に瀕している。新型コロナ患者増加とともに医療機関への受診を控える患者も増加している。かかりつけ医には発熱外来を設けるには余剰スペースが無い事も多く、発熱外来を行っても人件費やPPE、通常診療への影響などで経営が厳しくなる場合もあると聞く。

報道の中で自治体長達は新型コロナ診療病床を増やすと宣言している。急性期病院ならば病床転換して新型コロナ病床を作るべきとの無言の圧力を感じる。彼らは民間医療機関がすでに経営困難となっていると言う現場の真実の姿を知らない。民間病院群は今までも経営のため使えるスペースは診療関連に転換しており、一部の病院を除けば金を生まない余剰なスペースなど持ちえない。新型コロナ患者を診療するには通常患者よりはるかに多い人員が必要となる。民間急性期病院には場所も人も足りないのだ。自ら選択して新型コロナ病床を作り診療している医療機関には尊敬の念を抱く。一方で経営的な余力もスペースも無い医療機関にとっては、新型コロナ病床を作る選択肢は選べない。事は新型コロナ診療に協力するかしないかでは無いのだ。民間医療機関は従業員や地域のため、存続することが第一の命題である。余力があればどの医療機関も協力したいと考えるだろう。存続不能な状況になり得るから新型コロナ病床への転換に踏み切れないのだ。

最近不思議に思うことがある。政府の分科会で医師の代表として発言されている尾身先生は常に冷静な発言と穏やかな物腰で話され、一般の方々は安心していると思う。また医療関係者の給与問題やGOTOへの強い懸念等、我々の立場を守る強い発信をしてくださっている。しかし、今の新型コロナ診療の難しさは通常診療との併存が困難と言うことだ。先に述べたように多くの民間医療機関は新型コロナの入院診療に対応する事は難しく、中心として働くことは困難と言わざるを得ない。今を憂いているならばぜひとも発信してほしい。自らが属する地域医療機能推進機構(JCHO)所謂第3セクター医療機関や公的医療機関が新型コロナ診療に特化するなど中心的役割を果たすと。

国のコロナ封じ込めしつつ経済を回すと言う策は結果的には明らかな失敗と言えよう。医療界も同様である。このまま公立病院も民間病院も同列で全病院が2つの診療機能を併存していくなら、そう遠くない時期にあるだろう国の新型コロナ補助金停止後に多数の民間病院が閉院に追い込まれるだろう。民間病院には公的病院のような補助金は無く余力が無いのだ。急性期病床の7割は民間医療機関である。公的病院だけでは救急医療を含む通常診療は賄いきれない。新型コロナ診療と通常診療の両輪を回すことは民間医療機関には困難であり、もし民間が倒れてしまえばより患者数の多い通常診療も行えなくなる。

これこそが最悪のシナリオではないのか。

公的病院群には倒産の恐れは無く、民間は収益悪化すればいつでも閉院となる。今こそ公的病院群は民間と同じ医療機能を争うのではなく、自ら新型コロナ診療の中心となっていただきたい。駒込病院などすでに中心的役割を担われている病院群には本当に感謝している。通常診療は新型コロナ入院が困難な病院群が中心になり、他の病院では出来ない特殊な機能を持つ公的病院や高度な機能を持つ大学病院はその診療機能を維持継続していく。非常事態であるコロナ禍では医療界にも棲み分けが必要ではないのか。

感染症への対応において感染者が多数になれば、コホートエリアを作り患者を集め早期終息に向かうべく努力するのが通常である。この点は病院群も同様ではないか。新型コロナ診療病院群と通常診療病院群を分け診療していくことで、患者への感染リスク低減と通常診療の永続的提供が可能となると思う。

民間医療機関の閉院に伴う医療崩壊が起こる前にぜひともご英断をお願いしたい。

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新型コロナ対策など人類共通の課題では国家の枠組みを超えた科学の連携が必要だ


科学や知識は誰のためにありますか――。

ダ・ヴィンチ、コペルニクスらの才能を生んだルネサンス期。欧州では天文学、医学などが発達し、17世紀の科学革命への道を開いた。支えたのは宗教の教義からの解放だ。人間らしさを追求し、イスラム世界の知識も貪欲に吸収した。

ルネサンス前の中世には考えられない光景だった。キリスト教に反するような自然科学の研究は停滞し、当時の科学の中心だったイスラム世界とは断絶。「暗黒の西洋」と呼ばれる時代だ。


現代も科学研究に暗い影が忍び寄る。「データを中国の研究機関に持ち込むつもりか」。7月、米ボストンの空港の搭乗口で、ボストン大の大学院で研究していた中国籍の張平さん(仮名、26)は突然足止めされた。パソコンを探り始めた職員は計算化学の研究データを見つけるや単語や数字を一つ一つ指さし、説明を求めた。

2時間の押し問答を経て搭乗できたがパソコン類は没収された。「政治が学問を妨害するなんて」と張さんは憤る。米政府の中国人研究者への警戒には理由がある。

中国人民解放軍の関与を隠して航空宇宙工学の教授のもとに留学し、研究上の秘密を盗もうとした――。米連邦捜査局(FBI)は全米の大学関係者宛ての資料で複数の事例を挙げ、「米国の開かれた研究環境を外国勢力は食い物にしようとしている」と警告した。


中国との経済関係を重視してきた欧州も姿勢を変えつつある。欧州連合(EU)が21年から始める7カ年の研究開発戦略「ホライズン・ヨーロッパ」。第三国の管理下にある組織がEUの研究促進策に参加するのを「排除、もしくは制限することがある」と明記した。中国による介入阻止を意図したものとみられる。

中国の研究開発費は2000年代に欧州主要国や日本を上回り、世界一の米国に迫る。成果は有力科学誌に掲載される論文で、引用数で上位1%に入る「トップ論文」の国別シェアが物語る。学術データの英クラリベイトによると、00年に50ポイント以上の差があった米国との差は19年に5ポイントまで縮小。20年は新型コロナウイルスの研究論文の急増もあり、米国を初めて抜く公算だ。

現状は中国への警戒から「知の保護主義」の色彩が強まる。世界の頭脳を集めてきた米国では国務省が9月、中国の人民解放軍との関与が疑われる研究者・留学生1千人のビザを剥奪したと公表。米国で研究する留学生の数は20年春時点で前年比2%減った。前年割れは14年ぶりだ。米国は研究の分野でも世界に「壁」を築きつつある。


「人類は大きな変革の入り口に立とうとしている」。次世代の高速計算機などに使われる量子技術が開花し始めた現状を、情報通信研究機構の佐々木雅英フェローはこう例える。量子分野でも国境を越えた研究者の交流は盛んだったが近年は状況が一変。米中をはじめ国家間の競争が激しくなった。人材交流に制約がかかり「研究速度が鈍りかねない」と懸念する。

国家が国力を競い知の発展を支えてきたのは事実だ。だが保護主義が過ぎれば、人類共通の課題に立ち向かえなくなる。新型コロナや気候変動など課題が山積する今、科学の停滞は許されない。

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