【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

新潟県知事選の動向と「市民と野党共闘」連帯の課題

2016-09-29 19:27:07 | 政治・文化・社会評論
新潟県知事選の動向と「市民と野党共闘」連帯の課題
2016/09/29

              国民的統一戦線準備委員会
              提唱者    櫻井 智志


(*報道事実は、一貫性を考え、東京新聞の報道から転載したので、ひとつひとつ転載の出典は明示を控えた。「2 新潟原発」「5 自公が押す森民夫候補と原発政策」については、ウィキペディアを出典としている。)


1 新潟県泉田知事の立候補の意思と取りやめの背景
 新潟県の泉田裕彦(ひろひこ)知事(53)は三十日、十月十六日投開票の知事選に出馬しない意向を表明した。現在三期目の泉田氏は二月の県議会で、四選に向けて立候補表明していた。現職知事がいったん出馬表明しながら、撤回するのは極めて異例だ。
 泉田氏は報道各社に送った文書で、県が出資する第三セクター事業の問題点を指摘する地元紙「新潟日報」の報道などを批判し「このような環境の中では、十分に訴えを県民にお届けするのは難しい」とした。
 東京電力が目指している柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)の再稼働について泉田氏は「東電福島第一原発事故を検証しない限り、再稼働については議論しない」と厳しい姿勢を示してきた。泉田氏の不出馬は、柏崎刈羽の再稼働論議に大きな影響を与えそうだ。
 新潟日報社は「社としての見解は三十一日付朝刊の紙面ですべて明らかにします」とのコメントを出した。
 知事選を巡っては、全国市長会長の森民夫(たみお)新潟県長岡市長(67)が今月十日に出馬表明。泉田氏の県政運営を「独自の主張にこだわり、国や北陸各県、県内市町村との関係を傷つけてきた」と批判していた。


2 新潟原発(以下の出典はウィキペディア)
 2007年7月16日に最大の揺れ993ガルを観測した新潟県中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が起こった。
柏崎刈羽原子力発電所内の運転中の全ての原子炉は緊急停止した。ただし運転を管理する中央制御室では数十秒間にわたり続く揺れのために計器の確認が出来ない状況であった。第一運転管理部長は構内を自動車で移動中に地震発生、3号機建屋からの発煙を発見、運転中の全機がスクラム(緊急停止)したと構内PHSで確認、3号機すぐ横の変圧器から出火を確認、延焼の可能性はないと判断して初期消火を他の職員に任せ、スクラム後の対応に全力を傾けるべきとして緊急時対策室のある事務所建物へ移動。ところが緊急時対策室入口ドアの枠が歪んでドアが開かなくなったために室内に入れず、駐車場にホワイトボード4~5枚を引き出して構内PHSで連絡を取り続けた。
3号機近くの変圧器火災の鎮火の過程
 全ての運転中の炉の中央制御室では、多くのアラームが鳴り続け、職員が対応に追われていた。3号機中央制御室でも100近くの異常を示すアラームに対応するために当直長ら5人の運転職員らは、変圧器火災の情報が知らされ、地元消防に通報を試みるが中央制御室に優先接続電話は無く、電話は繋がらなかった。3号機変圧器の火災現場では4人が消火を試みたが、消火栓の水は地震の影響でほとんど出ず、さらに緊急用の軽トラック搭載消火ポンプは失念していたという。自衛消防隊の招集も忘れていた。この時点で駐車場の第一運転管理部長は、「消火は出来ない」という連絡が入ったため、「地元の消防を待て」と指示した。周辺住民は外部からの携帯電話等の情報で発電所火災を知った。発電所から地元刈羽村への連絡は地震発生から1時間以上経っても無かった。新潟県庁にも詳しい情報は伝えられなかった。各自治体へ伝えられていた環境放射線の測定データも地震直後から途絶えていた。新潟県知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住民避難の相談をはじめていた。地震発生から約2時間後の12時10分、非番からの呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で3号機変圧器の火災は消し止められた。
炉心の冷却
 第一運転管理部長は、3号機と4号機の炉心をスクラム後に冷やす2つの装置の内の片方が停止していて、1つの装置で2つを冷やす事の判断を迫られた。3号機当直長は午後4時、内外気圧の差圧異常の原因が判明、3号機建屋壁面のブローアウトパネルが脱落していた事、すぐには建屋の気密を戻せない事、などを知らされ仮緊急対策本部の第一運転管理部長へ報告。同部長は炉心冷却を3号機優先と決定した。この時、6号機建屋内で微量の放射性の水の漏洩が発見された。本来、放射性物質を扱わないフロアでの発見に3回にわたる試験と調査が繰り返され、漏洩発見から6時間後に同部長へやはり放射性の水の漏洩であることが報告された。これは、後に上の階のプールの水が地震の揺れでこぼれたものが配線の隙間穴から階下へ流れたものであることが判明し、その一部は外部へ排水されたと判った。
翌日の朝6時54分にすべての炉心の冷却を終えて、安全な状態になった。
地震の影響
 この地震では、柏崎市で震度6強を観測したため、運転を行っていた2、3、4、7号機は自動で緊急停止した。原子炉・冷却用冷媒等の重要な機構からの外部への放射性物質の流出は確認されていない。また、3号機建屋外部にあるの所内変圧器から出火したが、地震から1時間57分後の12時10分に鎮火が確認されている。その他、低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶400本が倒れた。うち39本のドラム缶は蓋が開いており、床の1カ所で微量の放射性物質汚染が確認された。6号機の原子炉建物内において鉄製クレーンの駆動部が損傷していた事も分かった。
 以下に確認された放射性物質漏洩を記載する。
 6号機の非管理区域で、微量の放射性物質を含む水が漏れ出し、一部が放水口を通じて海に放出されていたことが確認された。東京電力は、これが、使用済み核燃料プールの放射性物質を含む水が原子炉建屋内の電線を通す管を通り下の階に流れ出たためであると報告した。
 7号機の排気筒からは18日夜までの間、放射性ヨウ素の放出が検出された。大気へ放出された放射能量はヨウ素が約3.12億ベクレル、粒子状放射性物質が約200万ベクレルで、これによる線量は1000万分の2ミリシーベルト(0.0002マイクロシーベルト)と算定されている。操作手順のミスのため、タービンの軸を封じる部分から、復水器内の放射性物質が排気筒に流れ出たことが原因と報告された。なお、排気によって、主排気塔放射線モニタおよびモニタリングポストに有意な指示は確認されていない。
 10月21日、点検中の7号機の原子炉建屋2階で、コンクリート壁にひびが入り、放射能を帯びた水約6.5リットルがしみ出しているのを、20日午後5時20分頃パトロール中の作業員が発見したと発表。水は幅約0.1ミリ、長さ約3.5メートルのひびから漏れていた。この時点で採取した水からは放射能は検出されなかった。しかし、21日午前6時段階で再採取し検査したところ、250ベクレルの放射能(ラドン温泉の約30立方cmに相当)が検出された。東京電力は、使用済み燃料プールが損傷している可能性の他、地震時にプールから溢れた水がひびを伝わって出てきた可能性なども含め原因を調査するとしている。施設内部は地震発生から5日後の7月21日には報道機関などに立ち入りが許可され、公開された。
IAEAによる調査
 国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は、地震発生後に調査協力の用意があると表明。日本政府はIAEAに調査団の受け入れを当面見送る意向を伝えたが、泉田裕彦新潟県知事は7月21日、「IAEAの調査が必要だ」との考えを表明。原子力安全・保安院はIAEAの調査を受け入れると7月22日に発表した。8月14日にIAEAは予想より被害は少ないとの報告を行っており、同機関による事故評価レベル0から8で「0」である。
設計時の予想を超えた加速度
 東京電力から発電所本館に設置されている地震計の記録が発表されており、それによると観測された記録は、耐震設計時の基準加速度を上回っていた。
 その後、3号機タービン建屋1階で2058ガル(想定834gal)、地下3階で581ガル(想定239gal)、3号機原子炉建屋基礎で384ガル(想定193gal)を観測したとの発表もなされた。
柏崎市の緊急使用停止命令
 こうした地震の影響を受け、会田洋・柏崎市長は、東京電力に対し1-7号機のすべての貯蔵タンクなどを対象として、消防法に基づく緊急使用停止命令を出した。また、経済産業省も同社に対して、耐震安全性が確認できるまで、原子炉の運転を再開しないよう指示を出した。
風評被害の発生
 今回の地震では放射性物質の漏れは健康に問題があるとされる量を遙かに下回っているとされるが、たび重なる報道により、観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。さらには2007年7月26日から8月まで秋田、静岡、千葉の3試合を日本で行う予定だった、セリエAのカターニアは、放射性物質の流出を理由に日本遠征を中止した。泉田裕彦新潟県知事は「日本全土が放射能に包まれているような報道が海外でなされ、サッカークラブの来日中止どころじゃない甚大な風評被害が生じている」と語っている。地震後の優先順位は電源確保が最優先され変電機の火災(煙)に対する消火は地震発生時全体に比べ危険度は微々たるものであったが、媒体などで煙をあげる変電機の映像を繰り返し、正確さよりも事故の危険性を煽ることを中心とした報道がなされた。



3 安倍総理の原発政策
  安倍晋三首相は九月二十九日午前の参院代表質問で、核燃料を再利用する「核燃料サイクル」計画について「高レベル放射性廃棄物の管理を安全にし、資源を有効に利用する観点から必要だ」と述べ、維持する方針を強調した。原発の再稼働も「エネルギーの安定的かつ低廉な供給と気候変動問題への対応を同時に実現するためには、原子力は欠かすことができない」と、今後も進める考えを示した。
 これが安倍総理の最新の原発政策と見てよいと思われる。全国の原発とその再稼働を安倍晋三総理の政策が、各自治体の判断を上回る執行権力として左右している。



4 現在の新潟知事選立候補者
  任期満了に伴う新潟県知事選(29日告示、10月16日投開票)に、民進党新潟5区総支部長の医師米山隆一氏(49)が出馬する意向を固めた。共産、社民、生活3党の働きかけに応じた。3党が推薦し、無所属で立候補する見通し。複数の関係者が23日、明らかにした。午後に記者会見して表明する。
 知事選を巡っては、現職の泉田裕彦知事(54)が8月末、4選出馬を撤回。立候補を表明していたのは前長岡市長の森民夫氏(67)だけだったが、告示直前にようやく選挙戦の構図が固まった。米山氏を巡っては、3党が9月17日、民進党新潟県連に擁立を要請。民進は、自主投票を決めていた。
  新潟知事選立候補者(届け順)
三村 誉一みむら よいち  70 元団体職員  無新
森  民夫もり たみお   47 元長岡市長 無新=自公
米山 隆一よねやまりゅういち49 医師     無新=共生社
後藤 浩昌ごとう ひろまさ 55 行政書士   無新




5 自公が押す森民夫候補と原発政策(*ウィキペディア)
「前説」(泉田知事に出馬の意思があるにもかかわらず、本人が生命の危機感を感じるような状況が知事を囲んだ。森民夫氏は、以下に示すような高学歴・市長歴・全国市長会長・北川正恭氏発起人の「せんたく」の発起人など、政治家として新潟県知事を、自民党公明党にとどまらず民進党や社民党も推す他の県知事候補のようなキャラクターももつと想定しうる。)
 新潟県長岡市生まれ。長岡市立四郎丸小学校、長岡市立 南中学校、新潟県立長岡高等学校、東京大学工学部卒業。東大卒業後、民間の設計事務所を経て、1975年に建設省に入省した。建設省では東京ドーム建設計画に関わり、また兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では建築物危険度判定支援本部長を務めた。1995年からは2年間、中華人民共和国に住宅の建築技術の指導のために派遣されている。1997年に建設省を退官し、故郷の長岡市に戻った。
 1999年11月、長岡市長選挙に無所属で出馬する。前市長の日浦晴三郎の任期途中での辞職に伴う市長選では、日浦の後継候補である大原久治も出馬したが、699票の僅差で森が大原を破り、初当選を果たした。なお出馬に際しては主な政党の支援は受けず、高校の同級生やボランティアによる草の根運動的な選挙戦を展開した。そのため長岡市議会は事実上のオール野党体制であり、森は当初は各会派に対し、等しく距離を置く姿勢を取っていた。
 1期目は、日浦前市長時代のバブル景気に乗ったスペースネオトピア事業等の失敗により、悪化した長岡市の財政再建に奔走。2003年の長岡市長選挙では無投票で再選された。長岡市長が無投票で再選されるのは、戦後初の出来事であった。
2期目の途中、2004年6月に平山征夫新潟県知事が、10月の県知事選への不出馬を表明。このため森が保守陣営の有力候補の1人に目され、本人も知事選出馬に意欲を示していたが、新潟県内の首長や県議、財界人で構成された「新しい新潟県知事を考える有志の会」(座長・小川竹二豊栄市長)が特定候補の推薦を見送り、自由民主党や公明党は、民主党の渡辺秀央参議院議員が推した経産官僚の泉田裕彦の推薦を決定。なおかつ長岡市は市町村合併を間近に控えていたため、森は8月23日に知事選不出馬を表明し、その後2005年4月、2006年1月の2回にわたり、周辺9市町村が長岡市に合併した。
 知事選直後の2004年10月23日、新潟県中越地震が発生。就任したばかりの泉田裕彦知事らが対応に追われる中、森が建設省の官僚だったころに兵庫県南部地震の復興に関与した経験が役立つ結果になった。しかし、長岡市は財政的な余裕に乏しく、兵庫県南部地震に比べ国からの支援が少なかったため、市長2期目はほぼ、震災からの復興に追われて終わった。
 2006年12月、地元後援会「志民の会」を結成し、長岡市選出の保守系県議会議員や財界人が多数参加した。2007年11月、長岡市長選挙で日本共産党推薦の宍戸末雄をトリプルスコアで破り、3選を果たす。しかし、市民の間で反対の声が根強い長岡市役所の長岡駅前への移転に反対する宍戸も2万票を上回る票を獲得した。長岡市長選挙で、共産党単独推薦の候補が2万票以上の票を獲得したのは初めてであった。ただし、移設については市長選が行われる以前に、長岡市議会で可決されている。
 2008年1月、元三重県知事の北川正恭が発起人代表を務める「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合(通称「せんたく」)」に参加し、発起人に名を連ねる。知事が多い発起人の中で唯一の市長であった。2008年3月、同会の設立総会で市町村長の世話人・幹事に就任した。
 2009年、全国市長会会長(第28代)に就任。就任にあたり、挨拶で河井継之助や小林虎三郎ら、郷土の長岡が輩出した先人の取り組みを紹介しながら、地方分権の推進に全力を尽くしていく所信を述べた。
2011年11月に4選、2015年11月に5選を果たす。
 2016年8月4日、知事選出馬で調整。8月5日、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に前向きな一部の県議から支援を受けると報道された。 8月6日、首長有志が森氏に知事選出馬要請。8月8日、知事選出馬へ10日表明。森民夫氏の出馬に期待感 国定三条市長。8月10日、知事選出馬を正式表明。
「この稿 後書き」(だがどんなに優秀な人材であっても、県民の生命と暮らしを十二分に保障する知事でなくては、「破滅のための優秀」ならば意味がない。東電柏崎刈羽原発再稼働に積極的な県議や首長有志からの推薦を受けて立候補するということは、自分がどんな政治的立場に立つか自覚あってのことだ。原発に関して言えば、原発再稼働の切り札として登場したことを見逃せない。)




6 私たちは何ができるか
 今回の泉田知事の自らは望まぬ辞退は、森民夫候補ひとりで他に立候補なし、無投票当選、自公直系知事誕生というシナリオ。そのもくろみを打破したのが、生活の党で活躍し、参院選新潟選挙区野党統一候補に無所属で立候補、見事激戦を勝利した森ゆうこさんをはじめとする野党共闘の生活の党、社民党、日本共産党の皆さんと、参院選でも支えた市民連合など市民たちだった。そして、民進党を離党して、野党統一候補の重責を担って勇気ある立候補なされた医師の米山隆一さんの意志である。
米山隆一公式ホームページ
http://www.yoneyamaryuichi.com/
すでに米山隆一さんは、ホームページを開き、着々と10月16日日曜日の投票日を見据えて照準をあわせている。
①私たちは、「新潟知事選」を「原発拡大・核兵器路線」か「原発廃棄・核兵器廃絶路線」かの選択肢として提案しよう。
②私たちは、「下からの新潟県民のこえを生かす新潟県政の推進」か、「安倍政権直系の物言えぬ沈黙の圧力で知事さえ言論圧迫の新潟県」か、選択肢として提案しよう。
③あとは自らが考え、米山隆一さんに迷惑とならない全国市民勝手連として、 個人もグループも団体も創意工夫をこらして応援しよう。
そしてさらに
④新潟「原発選択選挙」と自らの足元の課題をむすびつけてとり組もう。たえば、沖縄県民の反基地闘争は、それ自体が新潟の戦う県民の勇気となるだろうし、新潟県民の勇気ある米山隆一さんを知事に押し上げる選挙闘争は、沖縄県民の心にはりあいとなって共鳴することだろう。
最後に:
「国民的統一戦線への探求」が「国民的統一戦線準備委員会」とはじめて新たな名称を使っていることに一言だけ述べたい。
ほとんど組織的現実的組織とはよべない実態だが、「インターネット老人党」や「全国おばちゃん党」もそうだったろうと推測するのだが、安倍政権とそれを支持する全体主義勢力は、個人として言論を展開することに恐怖と圧力を感じさせる。それでも、言うべきことは言おうと決意した。それが新潟県の「市民と野党共闘」の皆さんの努力と米山隆一さんの勇気を知り、ここでも呼応する事を決意した。
具体的に選挙闘争に意義のあるくふうを提案し続けよう。「準備委員会」提唱者とは、以上のような内容を示している。「・・の探求」が改名したのではなく、「探求」の過程で、実践概念でなければ意図が伝わらないときは、さらに考える。

*写真は公式ブログより米山隆一さんの写真

朝日新聞の過去の栄光と東京新聞の現在の健闘~新潟知事選と新潟原発をめぐる報道

2016-09-27 20:15:41 | 政治・文化・社会評論
朝日新聞の過去の栄光と東京新聞の現在の健闘~新潟知事選と新潟原発をめぐる報道


                   櫻井 智志

 朝日新聞にも、個々に良心的な記者は多いだろう。戦後日本において朝日新聞社の果たした貢献は、いいかげんなものでなく、雑誌の「週刊朝日ジャーナル」「月刊論座」「月刊ASAHI」「週刊アエラ」「週刊朝日」などそれぞれ私は学んできた。

 だが、現在の朝日新聞本紙の論調。下記の孫崎享氏の実際の指摘と東京新聞記事との比較は、読んでみると、朝日新聞がどれほど安倍政権に迎合して、劣化しているかを知り、痛々しい気持ちになる。

 本多勝一氏、村上義雄氏などすぐれたジャーナリストも朝日新聞からは輩出している。本多氏は、現状に失望するばかりでなく、日刊新聞の創刊も考え、「週刊金曜日」を最初の試行期間は「月刊金曜日」として、いまも続けて、「金曜日」は批判的ジャーナリズムの代表格のひとつとして、世論から一目も二目も置かれている。村上義雄氏も多くのジャーナリストに呼び掛けて、重要な企画を推進している。村上氏の発表以前に、小生がうわついたでしゃばりはしない。

 むのたけじさんが亡くなられた。本多勝一氏がはるか前に、むのたけじ氏への批判を書いた時に、私は本多氏に共感を覚えた。ここではその詳細を記す場面ではない。本多氏の批判は、戦時中に戦争迎合記事を書き、それを自己批判して朝日を退社したのち、「たいまつ」社をつくり「たいまつ」を発行し続けたむのたけじ氏。むの氏がおこなった、自らの誓いと反する言動を、本多氏は批判していた。

 さて、孫崎氏はどんな紙面をどんな記事を批判しているのか、それはなぜ批判されているのか。是非ご一読を乞う。


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【孫崎享のつぶやき】

朝日、新潟知事選記事の最後を「そもそも知事に原発を止める法的な権限はない」で締めくくり。悪質な情報操作でないか。稼働を止める権限はないが、点検で休止中等の原発動かす時には地元(知事)権限あり。だから麻生財務相らが泉田立候補阻止で動いて来た。

2016-09-27 07:003



 26日朝日新聞は「新潟知事選 原発争点に」という大々的記事を掲載した。この中に次の記載がある。

{「“まずは知事を代えてからだろう”

「麻生財務相は陳情に来る新潟県の首長や自民党の県議に対して、こう告げることがあったという。麻生氏は電力会社との関係が深く、原発停止による経済的打撃を強調する国会答弁もしている。再稼働を進める政権にとり、泉田氏はやっかいな存在だった」

 しかし、記事は別の記者が継続して書く形をとり、次のように締めくくっている。
 「ただ、そもそも知事に原発を止める法的な権限はない。三反園知事は九電に対して即時停止し安全性を再点検するように要請したが、いずれも拒否された」

 この記事を読めば「知事に権限がない」ような印象を受ける。それならなぜ、麻生財務相は陳情に来る新潟県の首長や自民党の県議に対して“まずは知事を代えてからだろう”というのか。

 朝日新聞が意識的に書いていないことがある。

 点検で休止中の原発の再稼働には、知事権限が働く。「動いている原発をとめる権限がないのは事実だが、点検などで停止中の原発を動かすには知事権限が働く。

 朝日が「「ただ、そもそも知事に原発を止める法的な権限はない。」と書くのは、その狭い分野では正しいが。全体像を見れば再稼働には知事権限が存在するので、この書き方は知事選挙は原発と関係ないという方向に誘導しており、悪質だ。

 この問題は同業の東京新聞が解説しているので、朝日新聞は勉強してください。もっとも知った上で書いてはいると思うが。

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「再稼働可否 知事に主導権 川内原発、秋以降 検査で停止(【東京新聞・核心】2016年8月23日)

鹿児島県の三反園訓(みたぞのさとし)知事は八月下旬にも、九州電力に川内(せんだい)原発(鹿児島県薩摩川内市)の一時停止を求める考えを示している。九電が応じる可能性は低いが、十月以降、定期検査のため1号機、2号機の順に停止していく。定検後の再稼働には地元同意が必要で、知事は川内原発を巡る諸問題に切り込む主導権を握ることになる。 (小川慎一)

近く一時停止要請 運転中は法的権限なし

 ■住民の声

七月に初当選した三反園知事は、熊本地震で「県民の不安は高まっている」として、九電に原発を一時停止して点検するよう求めることを明言。就任後も「原発に頼らない社会をつくる考えはぶれていない」と、脱原発への思いを繰り返し語ってきた。

ただ、知事には稼働中の原発を止める法的権限はない。原子炉等規制法は、重大なルール違反があった場合などに原子力規制委員会が停止を命じることができるとしているだけだ。規制委の田中俊一委員長は、知事発言への感想を求められ、「われわれがきちんと審査してきた原発の何を点検するのか理解できない」と、冷ややかに語った。

しかし、知事は公約を実現しようと具体的な行動に出始めた。十九日、薩摩川内市の南に隣接するいちき串木野市の福祉施設や道路などを視察。住民から事故が起きた際の不安を聞き、「(原発事故時の)避難計画を見直す必要がある」と踏み込んだ。住民の声を背に、九電に乗り込む心づもりでいる。

 ■地元同意

知事の要請で、九電が原発を止める可能性はほとんどない。政治家の要請で原発が止まったのは、二O一一年五月の中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)のケースしかない。

東京電力福島第一原発事故が発生して間もない時期で、要請したのは菅直人首相(当時)の意を受けた海江田万里経済産業相(同)。例外中の例外といえる。

だが、稼働中の原発を止める権限はなくとも、止まっている原発を稼働させるか否かの段階では、知事は強い影響力を持つ。「地元同意」と呼ばれる手続きだ。県や薩摩川内市と九電が結んだ安全協定に明文化された規定はないものの、知事の反対を押し切って再稼働した前例はない。

原発は再稼働から十三カ月で検査のため停止するルールになっている。川内原発は1号機が十月六日、2号機は十二月十六日から定期検査に入る予定。検査期間は二カ月程度が見込まれている。

 ■対象範囲

定検後の再稼働の動きに対し、知事がどう対応するか注目されるが、もう一つ重要なポイントがある。原発の再稼働に同意が必要とされる、いわゆる「被害地元」が現状の狭い範囲でいいかどうかだ。これも知事の判断次第で決まる。

被害地元とは、原発で重大事故が起こった場合、大きな被害を受けると想定される地域のこと。川内原発の場合、事故に備え、三十キロ圏にある九市町は避難計画を策定することが義務付けられている。しかし、伊藤祐一郎前知事は「県と薩摩川内市の合意で十分」とし、他市町は地元同意では蚊帳の外に置かれた。

新規制基準に基づく再稼働第一号に意欲的だった伊藤氏は、いちき串木野、日置両市議会が地元同意に加えるよう求める意見書を可決しても、受け入れなかった。当事者が増えれば、再稼働が遠のくからだ。

川内再稼働から一年、新知事が誕生して一カ月が過ぎた八月十二日、川内駅前に「原発止めろ」と十人ほどの声が響いた。薩摩川内市内の主婦、外園聡美さん(四六)は夫と四男(三つ)と一緒に駅前に立ち、「川内では原発反対と言いにくい雰囲気がずっとある。でも、三反園知事の誕生で光が差してきた」と力を込めた。

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「市民と野党共闘」連帯と「C3の定理」 ~志位和夫委員長が語る日本共産党の成長と野党共闘~

2016-09-24 06:39:16 | 政治・文化・社会評論
「市民と野党共闘」連帯と「C3の定理」
~志位和夫委員長が語る日本共産党の成長と野党共闘~
2016/09/24
             
               櫻井 智志




 公開された日本共産党第六回中央員会において志位和夫委員長は、「結語」報告を行った。その報告には、日本社会の前進に影響を与える意義が感じられた。その一部分を抜粋して転載した上で、その意義について小生の考察を後に記した。


==報告抜粋開始==================

(前略)

日本共産党自身が、野党共闘を通じて、政治的に大きく成長している


 第一は、討論を通じて、野党と市民の共闘が、今後に生きる大きな財産をつくりだしたことが語られたということです。
 他の野党、市民との新しい連帯と信頼の絆が広がっていることについて、参院選1人区はもとより、複数区からも、生き生きと語られました。さらに、二つの点を強調しておきたいと思います。

 一つは、日本共産党自身が、野党共闘を通じて、党機関も、党支部も、政治的に大きく成長しているということです。とりわけ参院選1人区の県委員長のみなさんの発言を聞きますと、県委員長のみなさん自身がそうした政治的成長を体現しているということを強く感じます。
 1人区での野党共闘を成功させるために、いろいろな障害があっても辛抱強く、苦労しながら、誠実に力をつくすなかで、共闘の相手に前向きな変化が生まれ、市民運動のみなさんとも力を合わせて、野党統一候補を実現する。その後の選挙戦も簡単ではありませんでしたが、たたかいを通じて一歩一歩、情勢を前向きに打開していった。こういう取り組みが語られました。

 この取り組みを通じて、わが党自身が多くのものを学び、成長している。本格的な“他流試合”――他の政党との話し合い、さまざまな市民団体との話し合いを行い、共闘の流れをつくりだすことに貢献していく。そういう力量を身につけていったということでは、わが党自身も大きな成長をとげつつあるのです。これは、私は、野党と市民の共闘がわが党にもたらした大きな収穫だと思います。

 日本共産党の田辺健一さんが野党統一候補となった香川県からの発言で、「民進党の県連代表から、『どうですか? 1人区で野党共闘となって、選挙たいへんでしょ』と言われた。彼らは、選挙は『勝つ』『負ける』、1人区であれ何人区であれ、そこに焦点をあてて活動する。その水準から考えて私たちはどうかと問われたなと思う」というものがありました。わが党自身も、他党のみなさんが1人区で勝利というところにかける気持ちや決意に学ばされるところがあったという発言でした。

 そうしたことも含めて、このたたかいを通じて、わが党も学び、鍛えられ、成長している。これは、今後につながる大きな収穫として確認できるのではないでしょうか。


野党と市民の共闘は、曲折があっても、後戻りすることは決してない


 いま一つは、参議院選挙の後も全国各地で、総選挙に向けて、「今後も野党共闘を発展させよう」という話し合いが行われていることです。
 それは、選挙の終わった後のご苦労さん会、総括会議、今後の協力についての会議など、いろいろな形で行われています。そして話し合ってみれば、実践を通じて、野党共闘という道に大義があり、たしかな威力がある。それは誰も否定できない。

 今後、野党と市民の共闘がどうなるか。私たちの立場は、幹部会報告でのべたように確固としたものですが、曲折もありうるでしょう。ただ、今後、曲折があったとしても、大局でいえば、後戻りすることは決してないと、言い切っていいと思います。そこはぜひ全体の確信にして、今後もこの道を発展させていきたい。

 当面、総選挙の選挙協力が問題となりますが、そのための政党間協議は中央段階で責任をもって行います。同時に、それぞれの地域で共通政策の実現のためのたたかいとともに、野党共闘のための意見交換は進めていただきたい。全国で地域から大きな流れをつくりながら、中央でまとめていく作業を今後やっていきたいと思います。

(以下略)

====報告抜粋終了=====

【考察】

 これは新たな政治的市民改革の率直で深い洞察である。
このような視点の努力が、野党共闘候補の一人区11議席勝利の礎となった。選挙結果にとどまらず、政党同士の成長と共産党の「寛容さ」と「柔軟な他党受け入れの党風」とを新たに獲得した。
 さらに、

《今後、野党と市民の共闘がどうなるか。私たちの立場は、幹部会報告でのべたように確固としたものですが、曲折もありうるでしょう。ただ、今後、曲折があったとしても、大局でいえば、後戻りすることは決してないと、言い切っていいと思います。そこはぜひ全体の確信にして、今後もこの道を発展させていきたい。》

この志位和夫委員長の見解の視点は、重要なことを指摘している。


 野党共闘の前に、世論は民主党の岡田代表は多面的な党内をまとめきれないとみなしていた。志位委員長は中期的な長い目で見守ろう、他党のひとびとへの対応の共産党自身の態度に聴く耳をもつ柔軟さを身に着けよう、という意味の言葉を述べた。結果は、見事な野党共闘と岡田克也氏への信頼が共産党の内外にも高まった。

 いま民進党は、代表にはじめて女性政治家蓮舫氏が抜群の民進党内の支持を集め選ばれた。直後に幹事長に野田元総理が就任したことで、世間には失望感が流れた。私も野田氏を「自民党野田派」と認識して書いてきた。紆余曲折はあろう。それでも、民進党を野党共闘に含むか含まないかは、大きな相違がある。参院選時にもまして、民進党には衆院選での「市民と野党共闘」への異論や懸念が根強くわだかまるそうだ。

 私は「野党共闘と市民」とは言わない。市民を最初にもってくる。今回も市民連合や総がかり行動実行委員会など全国の市民の共闘への要望が果たしている役割は大きい。言葉尻でなく、市民が今日ほど節度と分別をふまえた積極的行動は、日本型市民革命の精神でしかも行動は実務を疎かにはしていない。この「市民と野党共闘」連帯は、「21世紀の日本社会における国民的統一戦線」の主体たりうるすぐれた政治家、政党、市民、市民連合の実態をになっている。

 志位和夫氏の発言引用抜き書き箇所《 》を、かりに「志位さんの定理=C3の定理」と定義づけして、考察を進める。
今後、【「市民と野党共闘」連帯】の外延的論理に対置してその本質的内容が【C3の定理】という内包的論理によって、構造的に一体化されて、「共闘」と「共闘への基本的態度」とが充実して満たされていくなら、その意義は非常に大きい。国政選挙闘争にとどまらない。日本的政治風土そのものが根本的向上へと深化発展していくことだろう。その大きな意義には、はかり知れないものがある。

 国民や在日本外国人を囲む暮らしと生活をめぐる情勢は、ますます悪化している。権力をもつ政権や裁判所も、マスコミや文化のメディアも、国民を「教化」する学校教育も社会教育も、福祉や医療も日本の「新貧困化」はとどまるところを知らない。その困難な現実を打開していくこと、それにとり組むすべての市民や政党を、私たちは支持し、ともに歩むように務めたい。ささやかであるが、蟷螂の斧として「ことば」を心から紡いで、人生の最後までまゆの糸のように発していこう。そう静かに反芻している。正しいことは声低く。そして持続しつづけていきたい。

見解発表【国民安保法制懇】 愛敬 浩二・青井 未帆・伊勢崎賢治・伊藤 真・大森 政輔・小林 節・長谷部恭男・樋口 陽一・孫崎 享・柳澤 協二

2016-09-21 17:40:48 | 転載
【国民安保法制懇 見解】

【孫崎享のつぶやき】

国民安保法制懇見解──安保関連法制定から1年を経て「自衛隊の活動やがて国民の安全を脅かすリスクを説明なしに強引に進める政府の姿勢、リベラル・デモクラシーの政府でなく、形ばかりの選挙を施行する非民主的な独裁国家にふさわしい」

2016-09-21 05:334



 《国民安保法制懇》
『《国民安保法制懇》:
愛敬 浩二(名古屋大学教授)
青井 未帆(学習院大学教授)
伊勢崎賢治(東京外国語大学教授)
伊藤 真(弁護士)
大森 政輔(元内閣法制局長官)
小林 節(慶應義塾大学名誉教授)
長谷部恭男(早稲田大学教授)
樋口 陽一(東京大学名誉教授)
孫崎 享(元外務省国際情報局長)
柳澤 協二(元内閣官房副長官補)』


われわれ国民安保法制懇のメンバーは、集団的自衛権行使容認へと踏み出した2014年7月の政府見解、昨年5月に法案が提出され同年9月に制定された安全保障関連法等、憲法9条を正面から破壊しようとする安倍政権の行動を批判し、日本の安全保障および自衛隊の活動に関する冷静で理性的な判断と対応を求めてきた。安全保障関連法の制定から1年が経過したことを踏まえ、現時点でのわれわれの見解を示したい。


政府は、参議院選挙後の8月24日、安全保障関連法に基づく自衛隊活動の訓練を順次実施すると発表した。選挙が終わるまではなりをひそめて安保法への目を逸らし、選挙が終わってから安保法を運用に移したことになる。さらに、いかなる訓練を行うかについて、具体的な説明はまったくない。予想される訓練の中には、PKO活動に参加する国連やNGOの職員らが武装集団等に襲われたとき、武器を携行して救援に赴く「駆けつけ警護」も含まれる。


焦点となるのは、今後、南スーダンPKOに派遣される部隊に「駆けつけ警護」の任務が付与されるか否かである。最近の南スーダンでは、首都ジュバで大規模な戦闘が行われるなど、そもそも派遣要件であるPKO参加5原則、中でも紛争当事者間での停戦への合意が満たされているか否かに疑いがある。そうした状況下で自衛隊に「駆けつけ警護」の任務を与えるならば、自衛隊員の安全に従来を大きく上回るリスクをもたらすことが予想される上、「駆けつけ警護」任務での武器使用が、憲法の禁止する武力の行使に踏み出すことになりはしないか、再度の慎重な検討が必要となっている。


また、自衛隊の武器使用が不幸にも民間人の殺傷をもたらした場合に、それがいかなる責任をもたらし、その責任を国と個々の自衛隊員が
いかに分担することになるかがきわめて不分明であることも懸念材料である。さらに、1999年8月12日付国連事務総長告示「国連主導多国籍軍による国際人道法の遵守」はすでに、戦闘時においてPKO部隊が紛争の当事者として限定的に交戦権を行使することを一般論として想定しており、PKO活動に関する内外の認識が大きく変容しつつあることも、自衛隊の任務遂行の是非に関して考慮すべき要素であろう。


安保法はすでに本年3月に施行されている。自衛隊の活動によって生じる現地での住民感情の悪化や緊張の激化は、やがては国民の安全を脅かすリスクを含むのであるから、この法制の下でどのような活動を行い、どのようなリスク・効果が見込まれるのかにつき、政府は国民に真摯に説明し理解を求める努力を行うべきであった。しかしながら、政府から国民に対する真摯な説明は全くなされていない。


国民への説明を怠って選挙を戦い、選挙が終わりさえすればあたかも国民の白紙委任を得たかのように周囲の声に耳を傾けることなく、強引にことを進める政府の姿勢、人がそれぞれ自律的な判断主体であることを無視し、説明を通じて納得を求めることもしない政府の姿勢、すべては選挙結果を目当てとして人心を操作するための術策であるかのように振る舞う政府の態度は、普遍的価値を標榜するリベラル・デモクラシーの政府にはおよそ似つかわしくない。それは、形ばかりの選挙を施行する非民主的な独裁国家に、むしろふさわしい。


政府が集団的自衛権容認の根拠としてあげた憲法第13条にいう国民の生命、自由、幸福追求の権利を真に守るのであれば、同条が定めるように、すべての国民を個人として尊重することこそが、政府には求められるであろう。
 以上
(2016年9月19日)



【「辺野古」司法判断で県敗訴も 翁長知事に“逆転シナリオ”】転載と私見

2016-09-17 22:08:47 | 政治・文化・社会評論
「前文私見」
 さすが「日刊ゲンダイ」。
高裁ヒラメ判決が下ってから目にした関係文書のなかで、最も展望を示し、最も楽天性があり、最もすぐれた見解である。
 「琉球新報」「沖縄タイムス」は別格である。それ以外の新聞、メディア、政党機関紙のなかで最も秀でた、展望を私たちも自ら開こうという気にしてくれる。(櫻井智志)

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【「辺野古」司法判断で県敗訴も 翁長知事に“逆転シナリオ”】
2016年9月17日   【日刊ゲンダイ】


判決後、怒りをにじませた翁長知事(C)日刊ゲンダイ


 ヒラメ裁判官が国の主張を代弁するような判決だった。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事が処分を撤回しないのは違法だとして、国が沖縄県を訴えた裁判。16日、福岡高裁那覇支部が出した判決は「翁長知事の対応は違法」というものだった。

 辺野古移設をめぐる国と県との対立で、司法判断が出たのは初めて。だからこそ、福岡高裁の判決に注目が集まっていたのだが、多見谷寿郎裁判長は「普天間飛行場の被害を除去するには埋め立てを行うしかない」「沖縄の米海兵隊を移転できないという国の判断は合理性がある」と言い切った。

 琉球新報編集局次長の松永勝利氏が言う。

「高度な政治判断を伴う裁判では、問題を曖昧にしようとする裁判官が多い。ところが、多見谷裁判長は県外移設を訴えた沖縄県側の主張を退けただけでなく、政府の主張をそのまま代弁しました。随分踏み込んだなという印象です。多くの沖縄県民が唖然としたと思います」

 県側は判決を不服として上告する方針を決めた。最高裁判決は早くても年明け以降になる見込みで、国はそれまで中止している工事を再開できない。

■放たれる二の矢、三の矢

 県側の徹底抗戦はこれからだ。16日の会見で「長い闘いになろうかと思う」と怒りをにじませた翁長知事は、二の矢、三の矢で巻き返しを図るつもりだ。

「翁長知事は最高裁で敗訴が確定した場合は『判決に従う』としていますが、一方で『あらゆる方策で移設を阻止する』と次の対抗策を示唆しています。その一つが埋め立て承認の“撤回”です。今、国と争っているのは仲井真弘多前知事が決めた過去の承認の“取り消し”ですが、以前と状況が変わったとして、改めて“撤回”を要求することができます。他にも、翁長知事には国が設計変更の申請を出してきた際に不承認とし、埋め立て工事を停止させる権限もあります。昨年、県議会で成立した『県外土砂規制条例』も大きな武器です。外来生物の侵入防止を目的としてできた条例ですが、大量の土砂を必要とする辺野古移設工事には逆風です」(松永勝利氏)


 そうこうしている間に、米軍撤退をチラつかせるトランプ大統領が誕生しないとも限らない。風向きがガラリと変わる可能性もある。

 それにしてもふざけているのが、16日、スピード違反で略式起訴された鶴保沖縄担当相だ。判決前に「注文はたったひとつ、早く片付けて欲しいということに尽きる」と言い放った。沖縄に寄り添う気持ちゼロのスピード狂大臣なんていらない。

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(*写真はもとの写真がこのブログの規格に合わないので、笑顔の翁長知事のいつもの明るい写真を使用しました。)

「2015年9月15日中央公聴会、奥田愛基さん意見陳述全文」転載と私見

2016-09-15 20:40:09 | 政治・文化・社会評論
シリーズ【一年前に私が書いていたこと】

9月15日中央公聴会、奥田愛基さん意見陳述全文
2015-09-15 20:52:27 | 転載


色平哲郎氏紹介転載

9月15日中央公聴会、奥田愛基さん意見陳述全文
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/264668


 「ご紹介に預かりました、大学生の奥田愛基といいます。
 『SEALDs』という学生団体で活動しております。
 すみません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、先ほどから寝ている方が沢山おられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。僕も二日間くらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしくお願いします。

 初めに『SEALDs』とは、”Students Emergency Action for Liberal Democracy-s”
。日本語で言うと、自由と民主主義のための学生緊急行動です。
 私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を超えて繋がっています。最初はたった数十人で立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。
 その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが考える国のあるべき姿や未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。

 こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。今日、私が話したいことは3つあります。1つは、今、全国各地でどのようなことが起こっているか。人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。

 2つ目はこの安保法制に関して現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちはこの法案に関して、到底納得することができません。

 3つ目は政治家の方々への、私からのお願いです。
 まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも日本中で止みません。つい先日も国会前では10万人を超える人が、集まりました。
 しかし、この行動はなにも東京の、しかも国会前(だけ)で行われているわけではありません。


 私たちが独自にインターネットや新聞などで調査した結果、日本全国2000ヶ所以上、数千回を超える抗議が行わわれています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています。
 この私たちが調査したものやメディアに流れているもの以外にも、沢山の集会があの町でもこの町でも行われています。まさに、全国各地で声があがり人々が立ち上がっているのです。
 また、声を上げずとも、疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。
 強調しておきたいことがあります。それは、私たちを含め、これまで、政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めているということです。これは誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。
 私たちはこの国の在り方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっているのです。
 SEALDsとして活動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。
 例えば『騒ぎたいだけだ』とか、『若気の至り』だとか、そういった声があります。
他にも『一般市民のくせにして、何を一生懸命になっているのか』というものもあります。つまり、『お前は専門家でもなく学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのか』ということです。
 しかし、先ほどもご説明させていただきましたように、私たちは一人一人、個人として声をあげています。不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。
 『政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい』。この国にはどこか、そういう空気感があったように思います。
 それに対し私、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なんだということ、そう考えています。
 その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。そして2015年9月現在、今やデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々がこの社会の空気を変えていったのです。
 デモや至るところで行われた集会こそが『不断の努力』です。そうした行動の積み重ねが基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じています。
 私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。
 安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など誰もいないはずです。
 私は先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。70年前の夏、あの終戦の日、20歳だった方々は、今では90歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そして、その後の混乱を生きてきた方々です。
 そうした世代の方々も、この安保法制に対し、強い危惧を抱かれています。私はその声をしっかりと受け止めたいと思います。そして議員の方々も、どうかそうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思います。

 今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。70年の不戦の誓いを裏切るものではないでしょうか。
 今の反対のうねりは、世代を超えたものです。70年間、この国の平和主義の歩みを、先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい。その思いが私たちを繋げています。
 私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしています。つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として、国会にきています。

 第二に、この法案の審議に関してです。
 各世論調査の平均値を見たとき、初めから過半数近い人々は反対していました。そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。『理解してもらうためにきちんと説明していく』と現政府の方はおっしゃられておりました。
 しかし説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成の意見は減りました。
 選挙の時に集団的自衛権に関してすでに説明した、とおっしゃる方々もいます。しかしながら自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行でしか書かれていません。
 昨年の選挙でも、菅官房長官は『集団的自衛権は争点ではない』と言っています。さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。
 私には、政府は法的安定性の説明することを途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは国民を無視するのと同義です。
 また、本当に与党の方々は、この法律が通ったらどんなことが起こるのか、理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。先日言っていた答弁とはまったく違う説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。
 このような状況で一体、どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。
 SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を私たちが作り出したのではありません。もし、そう考えていられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。
 私の考えでは、この状況を作っているのは紛れもなく、現在の与党のみなさんです。
つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安を感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声を上げ始めたのです。
 ある金沢の主婦の方がFacebookに書いた国会答弁の文字起こしは、瞬く間に1万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。普段なら見ないようなその書き起こしを、みんなが読みたがりました。
 なぜなら、不安だったからです。
 今年の夏までに武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認を、なぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死にに関わる法案でこれまで70年間、日本が行ってこなかったことでもあります。
 一体なぜ、11個の法案を2つにまとめて審議したか、その理由もよく分かりません。
一つひとつ審議しては駄目だったのでしょうか。まったく納得が行きません。
 結局、説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の9月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もう、この議論の結論は出ています。
 今国会での可決は無理です。廃案にするしかありません。
 私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して抗議活動を行ってきました。そして沢山の人々に出会ってきました。その中には自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や、親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。
 確かに若者は政治的に無関心だといわれています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。
 私は彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人といわれる、超格差社会です。親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。今こそ、政治の力が必要なのです。
 どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。
 何も賛成からすべて反対に回れと言うのではありません。私たちも安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができないその態度に、強い不信感を抱いているのです。
 政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人ひとりの生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与える政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です。
 政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。
 世論の過半数を超える意見は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。自由と民主主義のためにこの国の未来のために、どうかもう一度考えなおしてはいただけないでしょうか。
 私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。もっと言えば、この場でスピーチすることも、昨日から寝られないくらい緊張してきました。政治家の先生方は毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。
 一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により法案を審議する。本当に本当に、大事なことであり、誰にでもできることではありません。それは貴方たちにしかできないことなのです。
 では、なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気をふり絞り、ここにこなくてはならないと思ったのか。それには理由があります。
 参考人としてここにきてもいい人材なのか分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。
 ひとつ、仮にこの法案が強行に採決されるようなことがあれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、国会前は人で溢れかえるでしょう。次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。
 当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ています。本当にできることはすべてやったのでしょうか。私たちは決して、今の政治家の方の発言や態度を忘れません。
 『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民を馬鹿にしないでください。むしろ、そこからまた始まっていくのです。新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。
 私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。
 私にとって政治のことを考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です。私は困難なこの4ヶ月の中でそのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。
 最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。

 どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。
 みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります。政治家になった動機は人それぞれ様々あるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。


 勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私はそのことを支持します。
 困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。



 2015年9月15日、奥田愛基。ありがとうございました」


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現在の私見 (2016/09/15 櫻井智志)

 私は奥田愛基さんの著作『変える』(2016年6月河出書房新社)を読んでいる。6章の内1章「自分を変える」は衝撃と感銘を受けた。明るいリーダーの小学生が、いつのまにかいじめられ、ひきこもり、思い切って沖縄の南端の小島に転校する。リストカット、自殺念慮、高校は全寮制の島根の農林高校へ。激動の苦闘の人生史。成績優秀でエリート校を卒業した左右の人材とはまったく違う。ことばは体験のどん底から紡ぎ出され、明治学院大の大学院でまなぶ奥田氏は、いじめから怠学し、傷ついてアメリカに留学した鶴見俊輔氏と似ている。こういうタイプの人間が、模倣でなく独創の人格を形成する。時代をつくる次代のランナーとして、私は希望をおぼえる。

【『安倍首相「最大の壁は男性中心の文化」 異例の自衛隊批判』の真意を見極めたい】

2016-09-14 19:53:00 | 政治・文化・社会評論

【『安倍首相「最大の壁は男性中心の文化」 異例の自衛隊批判』の真意を見極めたい】


                                櫻井 智志


 外国のことは言わない。日本の自衛隊内部で、女性自衛官が内部の男性上司や同僚の男性自衛官から、強姦やセクハラにあって、悩みに悩んだ末、心的トラウマと闘いながら、弁護士などの支援者に支えられて告発した実例がある。また、同様の被害にもかかわらず内部でおしつぶされた事例や告発できなかったケースもある。私がはじめてこうした事実があることを知ったのは、いま沖縄に住む岡留安則氏が編集発行人だった月刊誌『噂の真相』である。最後は本多勝一氏と対立して本多氏から批判された時期もあるが、その本多氏も佐高信氏も連載をもち続けた。特に厳しい権力批判と人間的感性豊かな佐高信氏は、最後の休刊まで執筆し続けた。いまの「日刊ゲンダイ」と似た雑誌だった。それ以外にも単発的に、自衛隊内部の女性蔑視の人権侵害事件は新聞や雑誌など報道されることもある。


 自衛隊内部にこのような女性蔑視の体質があって、どうして多くの女性が自衛官を望むか。考えられるケースは、経済不況が恐慌となった場合だ。テレビ報道で見た実例だが、学問に志し、経済的苦境で奨学金によって進学した大学生が、学費と高額利子つき奨学金の返済に追われ、授業に出られぬほどの長時間バイトで、ついには中退して、残ったものは高額の奨学金返済とバイトのみ。本人がめざした大学卒による資格取得と就職は果たせず、高卒の学歴(高卒や中卒の学歴を否定している論旨ではない、奨学金大学生の人生設計の乖離を述べるためなので誤解しないで下さい)とブラックバイト。このような事例で、女性大学生が困難な状況に追い込まれ、長時間バイトから比較的収入の多い風俗産業に入り、やむなく働くというケースもある。今後、「経済不況」から「経済志願兵」へと進み、海外に派兵される自衛隊に男性も女性も、という文脈から考えると、安倍総理の「男女平等」「女性活躍」の美辞麗句の裏側に、恐るべき圧政の構図を私は考えないわけにはいかない。


 この国の安倍晋三という男が政権の座につき、がらっと変わった。第一次政権ではひ弱で下痢と腸炎で、不本意な辞職をおこなった安倍氏であるが、まるで人が変わったような、剛健(ごうけんは合憲と真逆)反動の指導者と変貌をとげた。ジャパンハンドラーとして、オバマさえ押さえ込む「アメリカ軍産複合体」のマリオネットと化したことで、妄想的自信と異様な高揚感を獲得し、以前は自民党内で若手の期待株だった安倍氏は、オリンピック憲章に違反して、小池百合子都知事の顔に泥をぬりたくったスーパーマリオに変身して、世界中から顰蹙をかったというのに、日本国民は支持率を上昇させキープしているという結果をうんでいる。


 民進党代表選のさいちゅうだが、大手マスコミをつかい、市民と野党共闘の路線を破壊するような「民共合作」などという実態とも離れたデマゴギーは流す、日本と台湾の二重国籍だから代表選をやりなおせ、などと民進党内にひそむ隠れ「アベ」シタンを駆使して、議会制民主主義とは乖離した政治手法の連続。


 ひとつの公式発言や政策のうらに、どれだけ国民を痛め付ける謀略が潜んでいることか。私たちは、「言語ムード」でなく「言語洞察」を心がけたいものだ。


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重要参考資料:

【孫崎享のつぶやき】
〔安倍首相「最大の壁は男性中心の文化」 異例の自衛隊批判、女性比率アップへ積極的な取り組み指示。女性を戦闘に組み込めとでも言いたいのか。人類は長い間女性を戦闘の場から避けさせてきた。戦闘を必要悪と位置付けてきている。〕
2016-09-13 06:5821

A事実関係:
安倍首相「最大の壁は男性中心の文化」 異例の自衛隊批判、女性比率アップへ積極的な取り組み指示。(産経新聞)
安倍晋三首相は12日、防衛省で行われた自衛隊高級幹部会同に出席し、女性自衛官の比率が少ないことに触れ「最大の壁は根強く残る男性中心の働き方の文化だ。これを根底から変えていく必要がある」と述べ、異例の自衛隊批判を展開した。欧米諸国の軍と比べ自衛官の女性比率が低いことも指摘、「男性幹部諸君が自らの問題として積極的に(比率増加に)取り組んでもらいたい」と指示した。
 防衛省によると、自衛官に占める女性の割合は平成27年度末現在で5・9%(1万3476人)。防衛省は42年までに女性比率を9%以上にする目標を掲げているが、米国、フランス、オーストラリアは現時点で約15%もある。
 首相は「欧米諸国にできて日本にできないはずがない」と語り、首相が掲げる「女性活躍社会」を自衛隊も実現するよう迫った。
 自衛隊の女性幹部は、佐官クラスで全体の3・3%(26年度末現在)。将官クラス以上は一人もいない。首相は高級幹部会同に出席した幹部を見渡し、「この場に女性の将官の姿はない。高級幹部の登場も時間の問題だろう。楽しみに待ちたい」と語った。


B:評価:
・一般論として、男女平等、特に雇用の機会を平等にする努力はしていかなければならない。
・他方、歴史的に見れば、僅かな例外を除き、人類は戦闘分野に女性を入れないことで来た。
・それは戦闘を必要悪と位置づけ、戦闘に従事すれば当然死者が出る、これから女性を避けさせたいという配慮がなされた。多分、それは女性が子供を育てるという役割を担い、種の維持という側面があったろう。如何に必要であれ、女性を戦闘に参加させることは人類は避けてきた。
・第2次大戦後この流れは変わった。
 その最大要因は、人員の確保である。特にそれはイスラエルで顕著であった。
・女性の兵隊での比重が高いことは自慢できることではない。充足できない分を女性に回したのが事態の本質だ。
・どこでも「女性活躍の場」を増やせば社会が発展したものという訳ではない。この首相発言には強い疑問を持つ。


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核兵器の破壊力の不可逆性か北朝鮮と他国との歴史的経緯をふまえた分析考察か

2016-09-10 14:52:32 | 転載と私見
核兵器の破壊力の不可逆性か北朝鮮と他国との歴史的経緯をふまえた分析考察か



「前説」
 もっとも説得的な見解に出会えた。目下、私はこれよりも自らがうなづくことのできる見解を読んでいない。進歩的ないくつかの論調も
「核兵器の破壊力の重大なとりかえしのつかない不可逆性」をメインとしている。孫崎享氏は、北朝鮮と諸外国との歴史的経緯をたどりながら分析し考察している。そこに説得力の源泉がある。(櫻井智志)

【孫崎享のつぶやき】

北朝鮮の核開発にどう臨むか。第2次大戦後北朝鮮は世界で最も核兵器攻撃の恐怖下。対抗措置として核開発考えるのは自然。ではどうするか。北朝鮮の政権国家を軍事的手段で崩壊を求めない国際的枠組みを作ること(キッシンジャーの『核兵器と外交政策』の適用)

2016-09-10 08:133


A事実関係

1:北朝鮮は9日午後1時(日本時間午後1時半)、朝鮮中央テレビで「核弾頭の威力判定のための核爆発実験が成功裏に行われた」との声明を伝え、核実験の実施を発表した。北朝鮮の核実験は今年1月6日以来で、通算5回目となる。核弾頭の実験実施に言及したのは初めてだ。核弾頭を搭載した弾道ミサイルの実戦配備に近づいた可能性が大きく、日本や韓国などにとって脅威は一段と増大した。


韓国気象庁は9日午前9時半頃、北朝鮮北東部・豊渓里プンゲリの核実験場がある咸鏡北道ハムギョンプクト吉州キルジュ郡付近を震源とするマグニチュード(M)5・0の人工的な揺れを観測。日本の気象庁や米地質調査所(USGS)などではM5・3の揺れを観測した。(読売新聞)



2:安保理、非公開で緊急会合…新たな北制裁協議か

 国連安全保障理事会は9日午後(日本時間10日午前)、北朝鮮の5回目の核実験を受けた非公開の緊急会合を開始した。非難声明の発表や、新たな制裁決議を含む対応について協議するとみられる。(読売新聞)



B:評価

 今国際社会は制裁強化で北朝鮮の核開発を止めようとしている。それで阻止できるか。どうも逆ではないか。
 もし、本当に北朝鮮の核開発を真剣に阻止したいと単が得るなら次を読んでみてほしい。(『日米同盟の正体』より)

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 キッシンジャーは、核兵器と外交の関係につきさらに次のように述べている。


  ・ 核保有国間の戦争は中小国家であっても、核兵器の使用につながる
  ・ 核兵器を有する国はそれを用いずして全面降伏を受け入れることはないであろう、一方でその生存が直接脅かされていると信ずると    き以外は、戦争の危険を冒す国もないとみられる
  ・ 無条件降伏を求めないことを明らかにし、どんな紛争も国家の生存の問題を含まない枠を作ることが米国外交の仕事である


 キッシンジャーの言葉を現在の極東にあてはめて考えて見よう。われわれにとっては北朝鮮の核兵器開発がどうなるかが、極めて重大な関心事である。

 われわれは通常西側の観点で考える。

では北朝鮮側からはどう見えるだろうか。
ガバン・マコーマックの『北朝鮮をどう考えるのか』(平凡社、二〇〇四年)を参照してみよう。

『========================================================

 米国にとり北朝鮮の核は過去一〇年間ほど主要な問題であったが、
北朝鮮にとっては米国の核の脅威は過去五〇年絶えず続いてきた問題であった。

核時代にあって、
北朝鮮の独特な点はどんな国よりも
長く核の脅威に常に向き合い、その影に生きてきた。

 朝鮮戦争のときには核による殲滅から紙一重で免れた。

米軍はその後核弾道弾や地雷、ミサイルを持ち込んだ。

一九九一年核弾道弾が韓国から撤収されても、
米軍は北朝鮮を標的とするミサイル演習を続けた。

北朝鮮では核の脅威がなくならなかった。

何十年も核の脅威と向き合ってきた北朝鮮が、
機会があれば『抑止力』を開発しようと考えるのは驚くことではない

===========================================』


 北朝鮮がこの恐怖心を持っているさいには、西側はどう対応すべきか。

 ここでキッシンジャーの考えが生きてくる。
キッシンジャーは
「核兵器を有する国はそれを用いずして全面降伏を受け入れることはないであろうし、一方でその生存が直接脅かされていると信ずるとき以外は、戦争の危険を冒す国もないと見られる」
と判断した。

同時に、
「無条件降伏を求めるものでないことを明らかにし、どんな紛争も国家の生存の問題を含まない枠を作ることが米国外交の仕事である」
と指摘している。
この指摘が、北朝鮮の核兵器開発に対する西側の基本理念となるべきではないか。 

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心にきこえるイムジン河

2016-09-10 13:04:00 | 政治・文化・社会評論
イムジン河
                櫻井 智志



 志位和夫論評(【北朝鮮の核実験を糾弾する】2016年9月9日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫 )
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2016/09/post-725.html
は明確な見解であり、日本共産党の社会的・政治的見解をも明確に世間に表明したものとして、重要な見解である。北朝鮮の核兵器実験をもとに、国内のリベラルな民主勢力就中日本共産党への反共攻撃の前にきちんとした説得の根拠となろう。



 ただ、話題は別のことだが、朝鮮戦争もいまだ終わらぬ一時停止中の朝鮮民族にとり、たとえば日本国内でも小池東京都知事は、半島から強制連行して過重労働や差別迫害された朝鮮民族で、日本に定住する「在日」に対して、あまりに人権侵害の教育費削除や減額という在日朝鮮民族の子弟には無縁なことで、教育の論理を無視した政治的介入をすすめている。



 私はいままでに、金芝河の詩集を翻訳した萩原遼が、北朝鮮の実態を告発する文章も読んだ。それにもかかわらず、国民の多くが核兵器開発でヒロシマやナガサキの被曝の悲惨さをわきまえぬ北朝鮮を批判的に見ている。それにもかかわらず、北朝鮮の一連の愚行・暴挙を北の支配層と人民はなぜ阻止しえぬのか、その構造は何なのか。批判意識とともに疑問をもち続けている。



 北朝鮮絶賛論でもなく、北朝鮮罵倒論でもなく、北朝鮮の国家の構造を解き明かし、世界中のマスコミのバイアスをかけなくとも、やはりそうとうに酷いのか。なぜそうなっているのに、改善しえないか。わずかなことで側近の重要幹部を殺戮すると伝えられてきたあいつぐ法秩序とは無縁な圧政。それらをきちんと把握したい。



 ベトナムは、北の労働党と南の解放戦線がともに分業して闘い、ついには南ベトナムのゴ・ジンジェム政権を倒し、北はハノイを解放しアメリカ帝国主義を倒し、1972年4月、民族統一への重要なベトナム戦争勝利を勝ち取った。


 朝鮮は、歴史的に日本以上にすぐれた文明文化をもち、それが近世以降悲劇的な歴史のなかで耐えに耐えて、日本の元号でいえば、明治・大正・昭和の前半をしのびながら、ついには戦争勝利しながら、大国のエゴで朝鮮戦争になってしまい、戦争も終戦ではなく休戦でしかない。
「イムジン河」が哀しくいまも私には心にきこえる。
https://www.youtube.com/watch?v=B28Mjsd2dLE




<リテラ>転載 【芸能人が「憲法9条を守れ」と主張し始めた!】

2016-09-08 20:54:39 | 転載
       ~転載歓迎~
<リテラ>転載
【芸能人が「憲法9条を守れ」と主張し始めた! 鶴瓶、たけし、坂上忍、中居正広、渡辺謙、山崎まさよしも…】
憲法編集部 2016.05.03
goken_160503.jpg
左・笑福亭鶴瓶公式サイト「つるべ.net」/中・山崎まさよし OFFICIAL WEBSITE/右・アヴァンセプロダクション・スクールHPより
 安倍政権による憲法改正の動きがいよいよ具体的になってきた。しかも、メディアへの圧力やダミー団体を使った世論の扇動によって、権力に弱いマスコミは次々に陥落している。ジャーナリストや評論家を見渡しても、憲法改正に賛成しているか沈黙しているかどちらかの人間しかいない、という状況になっている。
 しかし、そんななか、意外な人たちが、この安倍政権の動きに抗し、護憲のメッセージを発し始めているのをご存知だろうか。それは、これまで政治的発言をタブーとしてきた芸能人や、政治と距離を取ってきたミュージシャンたちだ。
 たとえば、その典型が笑福亭鶴瓶だろう。昨年放送された『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』(東海テレビ)のなかで、鶴瓶は安保法制の問題とともにこう語った。
「これ、へんな方向に行ってますよ。そら変えなあかん法律はいっぱいあってもね、戦争放棄っていうのはもうこれ謳い文句で、絶対そうなんですが9条はいろたら(いじったら)あかんと思うんですよね」
「こんだけね、憲法をね、変えようとしていることに、違憲や言うてる人がこんなに多いのにもかかわらず、お前なにをしとんねん!っていう」
 その面持ちは、いつもの目を細めて笑う表情からは想像もつかない、深刻なものだった。言うまでもなく、鶴瓶はこれまで政治とは一線を画して活動してきた。だが、一昨年頃から、メディアで強い反戦の気持ち、そして9条への思いを語るようになったのだ。
「僕らの世代が戦争に行くことはないでしょうけど、僕の孫の世代が戦争へ行かされるなんて道理に合わない。日本は絶対憲法9条をなくしちゃいかんと思います」(しんぶん赤旗14年11月30日付)
 鶴瓶だけではない。お笑いビッグ3といわれていたお笑い界の大物たちも、彼らなりの言葉で戦争への危機感を表しはじめた。
 とくに驚いたのは、明石家さんまだ。さんまは、14年2月15日放送の『さんまのまんま』(関西テレビ)で、こんなエピソードを語った。
「ぼくは昔、日本からアメリカに、戦争のためにアメリカに寄付するということがあったとき、さすがに怒って国税局に行ったんですよ」
「俺は戦争のためとか、人殺しをアシストするために働いてるんじゃないって。そのために税金を納めてるんじゃないって言いにいったんです」
 ノンポリとして知られるタモリも、昨年の正月に放送された『戦後70年 ニッポンの肖像 プロローグ 私たちはどう生きてきたか』(NHK)で、「『終戦』じゃなくて『敗戦』ですよね」「『進駐軍』ではなく『占領軍』でしょ」と語ったことが大きな話題を呼んだ。番組のなかでタモリは、1964年の東京オリンピックの話題では閉会式がもっとも印象的だったとして、こうコメントしている。
「閉会式は各国が乱れてバラバラに入ってくるんです。あれは東京五輪が最初なんです。(中略)それを見てた爺さんが一言いったのをいまだに覚えていますけどね。『戦争なんかしちゃだめだね』って」
 ご存知のとおり、タモリもさんまも、これまで政治的発言とは完全に距離をおいてきた人たちだ。そんな二人が、抑制的ではあったとしても反戦・護憲を意識させる言葉を漏らしたのは、安倍政権による改憲機運の高まりを感じているからに他ならないだろう。
 また、政治的発言はするが、保守的な印象が強かったビートたけしもまた、安倍政権による改憲にストップをかけるような発言をした。14年6月30日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)で、たけしはこのように語ったのだ。
「ふと国の平和を考えたときに、アメリカと日米安保全部含めてやるよりは、貧しくとも憲法を守る平和な日本を、みんなで頑張ってやるべきだと、そう思う」
 今、旬のバラエティタレントからも、護憲メッセージが飛び出している。そのひとりが、タレントの坂上忍だ。昨年9月18日の『バイキング』(フジテレビ)で、こうはっきりと言い切った。
「いまの世界情勢など見てると、(安保関連法は)必要なのかなって気にもなりがちなんだけど、日本も一時、戦争があったときに『お前ら金だけ出して何もやんないのか』って叩かれたときもあったし、でも、逆に言ったらいまだからこそ、武器持たないで憲法9条持ってりゃいいんじゃないの? だって、被爆国なんだから。被爆国にしかできないことあるわけで、いまだからこそ、武器持たない日本でいてほしいなっていうのが強い想いですかね。どちらかと言うと」
 飄々と語っているように見えるが、カットのきかない生放送、しかも自分の看板番組での発言は、坂上の確かな覚悟を表していた。
さらに、トップアイドルからも、護憲、戦後の平和主義の価値を評価する声が飛び出した。
 メインコメンテーターの松本人志をはじめ、“右倣え”のムードが充満している『ワイドナショー』(フジテレビ)。その15年8月9日放送で、安保法制の反対デモを「平和ボケ」とくさす松本に対し、ゲストの中居正広がこう切り込んだのだ。
「でもね、やっぱり松本さん、この70年間やっぱり、日本人って戦地で死んでいないんですよ。これやっぱり、すごいことだと思うんですよ」
 中居の言葉の行間からは、明らかに憲法9条に対する高い評価がにじみ出ていた。アイドルというのは芸能界のなかでもいちばん制約が強い立場。事務所の方針でほとんどのアイドルが政治的発言を封印している。そんななか、ギリギリの発言をした中居の姿勢はあっぱれと言うしかない。
 お笑い芸人やバラエティタレントだけでなく、大物俳優からも、こうした声は高まり続けている。たとえば女優の大竹しのぶ。安倍政権を前にして、反戦と9条への思いを何度も吐露している。
「あの戦争も、人々が『変だよね』と感じているうちに始まってしまったのではないのか」(共同通信インタビュー、13年12月29日付)
「唯一の被爆国として、ノーベル平和賞の候補にもなった『憲法9条』をこんなに簡単にないがしろにしていいものなのかということも、誰もが思うことだと思う」(朝日新聞15年9月18日付夕刊)
 また、俳優の渡辺謙は昨年、ツイッターでこのように呟いて、大きな話題になった。
「一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても」
 役者ではこれまでも西田敏行や市原悦子、吉永小百合らが、護憲の立ち位置をはっきりと明言し、9条を変えることは許されないと、強いメッセージを発信してきた。あるいは近年逝去した菅原文太、愛川欽也もそうだ。
「やはり憲法9条は死守していかなければならない。広島や長崎に原子爆弾が落ちたのも、普天間の問題がくすぶっているのも、そもそも戦争がなければなかったことですからね」(菅原文太『日本人の底力』宝島社)
「憲法を素直に読んでごらんなさいよ。これ、誰がこさえたか、最初が英文だったとか、そんなことはどうでもいいんだ。立派なもんだよ。『戦争放棄』、つまり武力でもってよその国と争うことはしないなんて言っちゃう憲法なんてね、ちょっと嬉しくない?」(愛川欽也、カタログハウス「通販生活」Webサイト掲載/2012年8月21日)
 こうした演劇人・映画人たちが9条について発言すると、ネット右翼たちはすぐに「アカ」とか「共産党の回し者」とかいうレッテル貼りをする。しかし、言うまでもなく、彼・彼女らの護憲への思いはそんな低レベルではない。たとえば女優の渡辺えりは、第一次安倍政権が発足する直前のインタビューで、このように9条と護憲のひとつの本質をついている。
「憲法9条について、『単なる理想にすぎない』って改憲論者は言うけれど、そんなことはない。9条の精神が、世界規模に広がっていけばいいと思う」
「私の演劇は反戦色は濃くありません。演劇は娯楽だと思ってますから、辛気くさいのは嫌いなんです。でも、ピカソだって『ゲルニカ』を残しています。芸術家はみんな反対ですよ。縛られるの、やだもんね。人間が好きだからやってるわけで、人間が殺されるのを指をくわえて見ている芸術家はいないと思います」(朝日新聞06年6月24日付)
 政治権力や戦争という拘束に縛られていては、表現者として生きることはできない。彼・彼女らが目指すのは政治的な「理想」を超えた、人間個人としての生き方、そのものだ。
 そして、こうした9条に関する発言としてもっとも強烈に改憲勢力を批判したのは、あの美輪明宏だろう。昨年の憲法記念日に『美輪明宏 薔薇色の日曜日』(TBSラジオ)で、美輪はこう語った。
「そんなに安倍さんって、自国の国民を、若い男の人やね、お父さん、お兄さん、そういう人たちを前線に送って殺したいのですかねえ。アメリカの軍隊のためにね、どうぞ日本の若い人たち死んでくれ、と言っているようにしか思えませんね。何を考えているのかしら、と思いますよ。非国民もいいとこですよ」
「憲法だってね、世界一の素晴らしい憲法ですからね。じゃあね、それ(集団的自衛権行使容認)に賛成した国会議員の、自民党の方も公明党の方も、他の与党の方もね、まずご自分から戦いに行っていただきたい。そして、息子さんもご兄弟もお孫さんも、みんな前線に一緒に手に手をとって鉄兜かぶって、戦いに行ってください。自分たちが行くつもりじゃなくて、そんなこと言っちゃいけないですよ」
 ミュージシャンたちも黙ってはいない。さまざまなインタビューでの発言はもちろん、護憲の思いを込めた音楽をつくっている者も少なくない。
 たとえば、山崎まさよしは、2013年に発表したアルバム『FLOWERS』に、「#9 story」という楽曲を収録している。これはすべて英語の詞の楽曲だが、その背景として、「週刊SPA!」(扶桑社)13年10月1日号のインタビューで、安倍政権や改憲派の詭弁を強く批判している。
「“自国の軍隊を持たないで子供を守れますか?”みたいなことを言う人がいるじゃないですか。そんな事態になったら犠牲になるのは子供なのに、子供を引き合いにだすのがおかしいんですよ。未来のある子供を、先に死んでいくおっさんやおばさんが切り捨ててどないするねんと」
 実は、山崎の祖父は先の戦争で亡くなったという。
「祖父は零戦に乗っていて戦死しました。僕らの世代は戦争を経験していないけど、不安感とか危機感っていうのは、DNAとして上の世代から受け継いでいると思うんです。日本が兵役のある国にはなってほしくないし、子どもをそんなことには巻き込みたくない。若い世代って戦争から感覚的に遠くなってしまっているけど、日本が戦後復興し、ここまで発展したのって憲法のおかげな気がするんです」(朝日新聞15年8月15日付広島版朝刊)
 役者も、タレントも、ミュージシャンも、それぞれが自分たちの言葉で、憲法を語っている。彼・彼女らの言葉に共通するのは、自分たちが享受してきた日本国憲法が70年もの間、直接戦争に向かわせず、一人も殺さずにやっていけたこと、そのことに対する誇りだ。そして、この戦後の平和主義を捨ててまで、今、政府主導の改憲を行う意味がどこにあるのか? そのことを問いかけている。
 それは、「アメリカから押し付けられた憲法」だとか、「新しい時代に新しい憲法を」とかいう、安倍政権が持ち出す詐術をはるかに超えた説得力を持っている。
 これから先、政権からの圧力は強くなり、マスコミはますますだんまりを決め込んでいくだろう。そして、機を見るに敏なジャーナリストや評論家たちは、あたかもそれが「大人の現実的選択」であるかのような顔をして、憲法改正を肯定し始めるはずだ。
 そんななか、彼らの言葉は、人々の心の裡にある茫漠とした不安を、たしかなかたちにしてくれる。政治権力に対して、おかしいものはおかしいと言う勇気をあたえてくれる。そして何より、沈黙こそ最大の愚行だということを、すべての人に教えてくれる。だからこそ、本サイトは、彼らを心から応援したいと思うのだ。
(編集部)