【色平哲郎氏からのご紹介】
農業実習すると、英語と世界史の偏差値が15ポイントずつ、上がる学院
>教食員組合の集まりで、「政治活動が禁止されていますが、(自分が)投票に行っても大丈夫でしょうか?」という質問があったと聞き、びっくりしました。
====
内務省文部局→陸軍文部局→GHQ文部局→自民党文部局→経産省文部局
(文科省のニックネーム、その変遷)
====
「感想文」、、あれ、苦痛だったなぁ、批評が許されない、、クリティークのない学問なんてねぇ、、
「偉人伝」さらに苦痛だった、、「偉人であるか否か」は他人に決めてもらうものでなく、自分で読んでから、決めるべきものでしょうよね、、
ヴィジョン(=自らの座標軸)を他人から強要されたくはない!
語られることばが生きているのでしょう、文面になっているものは死んだことばでしょう
社会の現状、将来に向けた展望について、教師・生徒の分け隔てなく「生きたことば」で語り合う、そんな「生きたことば」による「生きた教育」とは、教科書のような書物からでなく、対話や討論を通じて人びとが互いに触発しながら学んでいくことを意味する
「教師が教壇に立って一方的に教科書に沿った授業をするのは『死の教育』だ」
(N・F・S・グルントヴィー)
====
権威主義国家では、決定がなされると反対意見は沈黙する。
しかし民主主義社会では、あらゆる決定が相対的で、正しいことがらへの接近にすぎず、それゆえに、討議は止むことがない。
(デンマークの)Hal Koch「生活形式の民主主義」
民主主義は、完成されるべきシステムでも教理でもない。
それは自分のものにすべきひとつの生活様式だ。
ハル・コック「生活形式の民主主義」
勝ち負けを決めるのに、さまざまな武器を用いることができる。
古代ギリシャでは、剣や槍で戦った。
近代の権力相互の戦争は、戦車や飛行機で戦った。
いなか町では、噂や中傷で戦われる。
「教区評議会」での戦いは、投票によっておこなわれる。
しかし投票は、平和的だが、民主主義ではない。
民主主義の本質は、投票によって規定されるのではなく、対話や協議、相互の
尊敬と理解、そしてここから生まれる全体利益に対する感覚によって規定される。
ハル・コック「生活形式の民主主義」
====
農業実習すると、英語と世界史の偏差値が15ポイントずつ、上がる学院
荒川朋子[著]『共に生きる「知」を求めて ――アジア学院の窓から』
評者:色平哲郎
朋子さん!
今年2023年は朋子さんが校長を務めるアジア学院創立50周年ですね。
誠におめでとうございます。
そして、貴著〈共に生きる「知」を求めて〉の出版、うれしいことです。
一読、すばらしい。
周囲の高校生や医学生、看護学生に勧めたいと存じます。
私たちが家族で学院を訪ねたのは30年ほど前のこと。
西那須野駅から歩いて参りましたことを覚えております。
高見敏弘先生がお元気でした。
高校生や(医学部)浪人生向けに講演する際など、学院での農業実習を勧めるようにしております。
「実利的に申し上げれば、英語と世界史の偏差値が15ポイントずつ、上がります」
などと申し上げるのは、学院理念に照したなら、通俗的にすぎることでしょうか。
ですが、実際に、学院の皆さんと一緒に農作業で汗を流し、
食卓を囲んだ経験のある生徒さん、学生さんからは
「おもしろかった」「たのしかった」
「いのちをいただいているんだ、ということを自覚させていただいた」
といった感想が寄せられます。
こういった現場体験とともに、文字通り世界中の若者と英語で語りあうことを通じ、
世界の、地球上の現状や闇を理解しつつ、しかも英語と世界史の偏差値が上がるのであれば、
それはそれですばらしいことでありましょう。
「東京のICU(国際基督教大学)のリベラル・アーツが体験できる場なんだよ」
と申し上げております。
学院の先駆性は「ともに生きる」という理念を、理屈を超え、
日々実践されている点にありましょう。
私の勤務する佐久総合病院は、別名「サケ騒動病院」と呼ばれるほど、
(地域住民としての)農民たちとの交流を大事にしております。
現在は「病院の形」をとってはおりますが、78年前、敗戦直後の設立時には
「ユニオン」であって、「農民とともに」をモットーに、この間、
地域に根ざした保健医療福祉介護の実践に取り組んで参りました。
だいぶ以前から貴アジア学院と交流をもちたいものだと考えておりました。
そして念願かなって、当院の研修医たちに通ってもらうことが叶いました。
学院での農業研修後、彼らはフィリピンのレイテ島を訪問し、
短期間ですが保健実習をしています。
医師(石)頭になりがちな臨床医に、若いうちにこそ「世界」と「世間」を知っていただき、
「広い視野」と「低い視点」を大事にした診療を続けていただきたいと願うからです。
プライマリー・ヘルス・ケアということばがあります。
住民が医療機関のオーナーシップを保ちながら、プロフェッションたる技術者と
「ともに」地域づくりにとりくむという発想で、1978年のアルマアタ宣言に体現されています。
プライマリー・ケアということばと似ていますが、「方向性」が真逆となります。
PHCでは住民が主体で、技術者とともにとりくむ。
PCでは医療技術者が主体で、住民は客体です。
学院での日々の実践から、この地球の矛盾や悲しみ、驚きや喜びを英語で共有できる、
弱い人、貧しい人、苦しんでいる人、小さくされている人へのケアに関心をもつ、
そんな若者たちが育っていくことを期待します。
ホモ・サピエンスというより、ホモ・クーランスとよばれる人間観を体現した
各国の若者たちに、今後の「地球の健康」(プラネタリー・ヘルス)
が託されることを期待しております。
「ちがい」と「まちがい」を尊重できる、そんな寛容な貴学院の
「創立100周年式典」に、2073年、ぜひ参加させてくださいネ。
(いろひら・てつろう=JA長野厚生連佐久総合病院内科医師)
(新書判・二四〇頁・一三二〇円・ヨベル)
====
私は「大日本帝国」の体制下にあって小国デンマークの意義を先駆的に 論じた内村鑑三の講演「デンマルク国の話」(一九一一年)ついて言及せずにはおれない、、、この講演内容はたしかに歴史家によって伝聞と創作の所産であり、史実とは異なる日本的なデンマーク受容の現象と批判されている、、、
内村はデンマークの小国化の教訓を、第一に国の興亡は戦争ではなく、民衆の平素 の修養、すなわち啓蒙と陶冶形成に依存すること、第二に天然の自然は無限のエネルギーと生 産力を擁していること、第三に、国の力は軍事力や経済力によって測られるのではなく、「信仰」の 力に依拠すると主張していることである。第三点目の「信仰」をあえて広い意味で、普遍的視野に 立つ「哲学」と考えることにしよう。すると、これらの諸点はいずれも小国主義の基本諸要素に的確 な表現を与えていると思えるのである。なるほど内村は「グルントヴィ」の名をあげていない。彼は 無教会派であり、そもそもグルントヴィを知らなかった可能性がある。だが、先の三点はいずれもグ ルントヴィから読み取れる基本思想である。たとえば一点目についていえば、本書の「デンマーク への祝賀」などでグルントヴィは拡張主義や侵略主義を排し、デンマークと同様に他の諸民属の 存在の権利も承認し、小国デンマークに満足することを明言している。この意味で、国は一九世 紀に「陸の六分の一を占める英国」であるべきではなく、さらに日本がかつての帝国ドイツから学 んだような侵略的軍国主義であってはならなかった。第二次大戦後の脈絡でいえば、旧ソヴィエト 型国家社会主義でも、アメリカ型新自由主義でもあってはならない。むしろ内村はデンマークに、 多種多様な大国覇権主義を克服しうる小国型発展モデルを直観していたのである。
二点目に、デンマークはチェルノブイリ原発事故以前の一九八五年に議会で原子力発電不採 用の決断を行い、周知のように再生可能エネルギーの開発に国をあげて力を注いできた、、、
最後に、「哲学」としてはすでに長々と述べてきたので、ここではグルントヴィ哲学が小国型国民 国家形成を支え、さらに社会経済や社会保障制度、先駆的自然エネルギー開発など現代的な社 会的ヒューマニズムを具体化することによって、その人類史的意義が認知されはじめていると再確 認することでよしとしよう。このようにグルントヴィ哲学は、一方で独自の知的・政治的文化と社会制 度とによって一国の安定的な生活保持へ経路を照らし出したし、他方で遅ればせであるが、その 普遍的な「人間性」(Menneskelighed)への貢献が評価されつつある。「デンマルク国」とはこの ような質をもつ小国哲学の結晶、作品と考えることができるのである。
http://www.is.nagoya-u.ac.jp/dep-ss/koike/doc//koike4.pdf
グルントヴィのホイスコーレ構想が拓いたもの ――知的改革と政治・「社会」形成
小池直人
====
若月の提唱した農村医科大学は医科大学(医学部)ではありません
あえていうなら公衆衛生大学院(SPH)でしょう
若月の主著「農村医学」も、医学書ではありません
現代の言い方なら、コミュニティ(ヘルス)ケア
若月はプライマリー・ヘルス・ケアの先駆者であり、プライマリー・ケアの先駆者であり、
ヒューマン(ヘルス)ケアの先駆者であって
プラネタリー(ヘルス)ケア「地球の健康」SDGsの先駆者でもありました
この意味で「地球の健康」は医学ではなく、醫(技術・ケア・祈りの三位一体)です
以下、つい今しがた、知人とやりとり:
==
・ケアを学ぶことは、決していわゆる「ケアワーカー」の専門的な知識や技術を身につけることではありません。
ケアは私たちが人間として生きていくために与えられた可能性であり、時代を超えて引き継がれてきた「文化」です。
高度な科学文明のもとで複雑に絡み、悩み多き現代の日常を生き抜いていくために、 今や私たちの誰もが「ケア」の視点を備え、人と世界のあり方を見つめなおしていく必要があるように思われます。
・その通りです!「医学部」がこの観点を欠くことを自覚すべき、と本郷公衆衛生大学院で話しております
====
多くの人が意外かと思う(ヘレン)ケラーの主張と人生:
・ベストセラー作家や政治・障碍者団体の活動家として活躍し、88歳で亡くなるまで自ら生計を立てていた
・優生論者であり、知的障害や難聴の子供を殺す事に賛成していた。
・社会主義活動家となった。
・ショービズネスに入り、ヴォードヴィルのスターになった。
・サリバン先生や家族に婚約者からも、仕事からも引き離され、盲目団体の資金稼ぎのスポークスマンにならされた。
====
文化運動は、医療と地域を、あるいは病院と地域を結び付けるキーである。
地域医療では、病院と住民との直接の対話が必要だが、
その機会を地域での文化活動が与えてくれる。
文化活動が「人間が人間らしく生きるための営み・生き方」を言うのであれば、
医療・保健・福祉の中に文化活動が含まれていなければならない。
医療と文化とは切っても切り離せない関係にある。
病院は医療運動体であると同時に、文化運動体でなければならないと言えよう。
松島松翠(佐久病院名誉院長)
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農業実習すると、英語と世界史の偏差値が15ポイントずつ、上がる学院
>教食員組合の集まりで、「政治活動が禁止されていますが、(自分が)投票に行っても大丈夫でしょうか?」という質問があったと聞き、びっくりしました。
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内務省文部局→陸軍文部局→GHQ文部局→自民党文部局→経産省文部局
(文科省のニックネーム、その変遷)
====
「感想文」、、あれ、苦痛だったなぁ、批評が許されない、、クリティークのない学問なんてねぇ、、
「偉人伝」さらに苦痛だった、、「偉人であるか否か」は他人に決めてもらうものでなく、自分で読んでから、決めるべきものでしょうよね、、
ヴィジョン(=自らの座標軸)を他人から強要されたくはない!
語られることばが生きているのでしょう、文面になっているものは死んだことばでしょう
社会の現状、将来に向けた展望について、教師・生徒の分け隔てなく「生きたことば」で語り合う、そんな「生きたことば」による「生きた教育」とは、教科書のような書物からでなく、対話や討論を通じて人びとが互いに触発しながら学んでいくことを意味する
「教師が教壇に立って一方的に教科書に沿った授業をするのは『死の教育』だ」
(N・F・S・グルントヴィー)
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権威主義国家では、決定がなされると反対意見は沈黙する。
しかし民主主義社会では、あらゆる決定が相対的で、正しいことがらへの接近にすぎず、それゆえに、討議は止むことがない。
(デンマークの)Hal Koch「生活形式の民主主義」
民主主義は、完成されるべきシステムでも教理でもない。
それは自分のものにすべきひとつの生活様式だ。
ハル・コック「生活形式の民主主義」
勝ち負けを決めるのに、さまざまな武器を用いることができる。
古代ギリシャでは、剣や槍で戦った。
近代の権力相互の戦争は、戦車や飛行機で戦った。
いなか町では、噂や中傷で戦われる。
「教区評議会」での戦いは、投票によっておこなわれる。
しかし投票は、平和的だが、民主主義ではない。
民主主義の本質は、投票によって規定されるのではなく、対話や協議、相互の
尊敬と理解、そしてここから生まれる全体利益に対する感覚によって規定される。
ハル・コック「生活形式の民主主義」
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農業実習すると、英語と世界史の偏差値が15ポイントずつ、上がる学院
荒川朋子[著]『共に生きる「知」を求めて ――アジア学院の窓から』
評者:色平哲郎
朋子さん!
今年2023年は朋子さんが校長を務めるアジア学院創立50周年ですね。
誠におめでとうございます。
そして、貴著〈共に生きる「知」を求めて〉の出版、うれしいことです。
一読、すばらしい。
周囲の高校生や医学生、看護学生に勧めたいと存じます。
私たちが家族で学院を訪ねたのは30年ほど前のこと。
西那須野駅から歩いて参りましたことを覚えております。
高見敏弘先生がお元気でした。
高校生や(医学部)浪人生向けに講演する際など、学院での農業実習を勧めるようにしております。
「実利的に申し上げれば、英語と世界史の偏差値が15ポイントずつ、上がります」
などと申し上げるのは、学院理念に照したなら、通俗的にすぎることでしょうか。
ですが、実際に、学院の皆さんと一緒に農作業で汗を流し、
食卓を囲んだ経験のある生徒さん、学生さんからは
「おもしろかった」「たのしかった」
「いのちをいただいているんだ、ということを自覚させていただいた」
といった感想が寄せられます。
こういった現場体験とともに、文字通り世界中の若者と英語で語りあうことを通じ、
世界の、地球上の現状や闇を理解しつつ、しかも英語と世界史の偏差値が上がるのであれば、
それはそれですばらしいことでありましょう。
「東京のICU(国際基督教大学)のリベラル・アーツが体験できる場なんだよ」
と申し上げております。
学院の先駆性は「ともに生きる」という理念を、理屈を超え、
日々実践されている点にありましょう。
私の勤務する佐久総合病院は、別名「サケ騒動病院」と呼ばれるほど、
(地域住民としての)農民たちとの交流を大事にしております。
現在は「病院の形」をとってはおりますが、78年前、敗戦直後の設立時には
「ユニオン」であって、「農民とともに」をモットーに、この間、
地域に根ざした保健医療福祉介護の実践に取り組んで参りました。
だいぶ以前から貴アジア学院と交流をもちたいものだと考えておりました。
そして念願かなって、当院の研修医たちに通ってもらうことが叶いました。
学院での農業研修後、彼らはフィリピンのレイテ島を訪問し、
短期間ですが保健実習をしています。
医師(石)頭になりがちな臨床医に、若いうちにこそ「世界」と「世間」を知っていただき、
「広い視野」と「低い視点」を大事にした診療を続けていただきたいと願うからです。
プライマリー・ヘルス・ケアということばがあります。
住民が医療機関のオーナーシップを保ちながら、プロフェッションたる技術者と
「ともに」地域づくりにとりくむという発想で、1978年のアルマアタ宣言に体現されています。
プライマリー・ケアということばと似ていますが、「方向性」が真逆となります。
PHCでは住民が主体で、技術者とともにとりくむ。
PCでは医療技術者が主体で、住民は客体です。
学院での日々の実践から、この地球の矛盾や悲しみ、驚きや喜びを英語で共有できる、
弱い人、貧しい人、苦しんでいる人、小さくされている人へのケアに関心をもつ、
そんな若者たちが育っていくことを期待します。
ホモ・サピエンスというより、ホモ・クーランスとよばれる人間観を体現した
各国の若者たちに、今後の「地球の健康」(プラネタリー・ヘルス)
が託されることを期待しております。
「ちがい」と「まちがい」を尊重できる、そんな寛容な貴学院の
「創立100周年式典」に、2073年、ぜひ参加させてくださいネ。
(いろひら・てつろう=JA長野厚生連佐久総合病院内科医師)
(新書判・二四〇頁・一三二〇円・ヨベル)
====
私は「大日本帝国」の体制下にあって小国デンマークの意義を先駆的に 論じた内村鑑三の講演「デンマルク国の話」(一九一一年)ついて言及せずにはおれない、、、この講演内容はたしかに歴史家によって伝聞と創作の所産であり、史実とは異なる日本的なデンマーク受容の現象と批判されている、、、
内村はデンマークの小国化の教訓を、第一に国の興亡は戦争ではなく、民衆の平素 の修養、すなわち啓蒙と陶冶形成に依存すること、第二に天然の自然は無限のエネルギーと生 産力を擁していること、第三に、国の力は軍事力や経済力によって測られるのではなく、「信仰」の 力に依拠すると主張していることである。第三点目の「信仰」をあえて広い意味で、普遍的視野に 立つ「哲学」と考えることにしよう。すると、これらの諸点はいずれも小国主義の基本諸要素に的確 な表現を与えていると思えるのである。なるほど内村は「グルントヴィ」の名をあげていない。彼は 無教会派であり、そもそもグルントヴィを知らなかった可能性がある。だが、先の三点はいずれもグ ルントヴィから読み取れる基本思想である。たとえば一点目についていえば、本書の「デンマーク への祝賀」などでグルントヴィは拡張主義や侵略主義を排し、デンマークと同様に他の諸民属の 存在の権利も承認し、小国デンマークに満足することを明言している。この意味で、国は一九世 紀に「陸の六分の一を占める英国」であるべきではなく、さらに日本がかつての帝国ドイツから学 んだような侵略的軍国主義であってはならなかった。第二次大戦後の脈絡でいえば、旧ソヴィエト 型国家社会主義でも、アメリカ型新自由主義でもあってはならない。むしろ内村はデンマークに、 多種多様な大国覇権主義を克服しうる小国型発展モデルを直観していたのである。
二点目に、デンマークはチェルノブイリ原発事故以前の一九八五年に議会で原子力発電不採 用の決断を行い、周知のように再生可能エネルギーの開発に国をあげて力を注いできた、、、
最後に、「哲学」としてはすでに長々と述べてきたので、ここではグルントヴィ哲学が小国型国民 国家形成を支え、さらに社会経済や社会保障制度、先駆的自然エネルギー開発など現代的な社 会的ヒューマニズムを具体化することによって、その人類史的意義が認知されはじめていると再確 認することでよしとしよう。このようにグルントヴィ哲学は、一方で独自の知的・政治的文化と社会制 度とによって一国の安定的な生活保持へ経路を照らし出したし、他方で遅ればせであるが、その 普遍的な「人間性」(Menneskelighed)への貢献が評価されつつある。「デンマルク国」とはこの ような質をもつ小国哲学の結晶、作品と考えることができるのである。
http://www.is.nagoya-u.ac.jp/dep-ss/koike/doc//koike4.pdf
グルントヴィのホイスコーレ構想が拓いたもの ――知的改革と政治・「社会」形成
小池直人
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若月の提唱した農村医科大学は医科大学(医学部)ではありません
あえていうなら公衆衛生大学院(SPH)でしょう
若月の主著「農村医学」も、医学書ではありません
現代の言い方なら、コミュニティ(ヘルス)ケア
若月はプライマリー・ヘルス・ケアの先駆者であり、プライマリー・ケアの先駆者であり、
ヒューマン(ヘルス)ケアの先駆者であって
プラネタリー(ヘルス)ケア「地球の健康」SDGsの先駆者でもありました
この意味で「地球の健康」は医学ではなく、醫(技術・ケア・祈りの三位一体)です
以下、つい今しがた、知人とやりとり:
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・ケアを学ぶことは、決していわゆる「ケアワーカー」の専門的な知識や技術を身につけることではありません。
ケアは私たちが人間として生きていくために与えられた可能性であり、時代を超えて引き継がれてきた「文化」です。
高度な科学文明のもとで複雑に絡み、悩み多き現代の日常を生き抜いていくために、 今や私たちの誰もが「ケア」の視点を備え、人と世界のあり方を見つめなおしていく必要があるように思われます。
・その通りです!「医学部」がこの観点を欠くことを自覚すべき、と本郷公衆衛生大学院で話しております
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多くの人が意外かと思う(ヘレン)ケラーの主張と人生:
・ベストセラー作家や政治・障碍者団体の活動家として活躍し、88歳で亡くなるまで自ら生計を立てていた
・優生論者であり、知的障害や難聴の子供を殺す事に賛成していた。
・社会主義活動家となった。
・ショービズネスに入り、ヴォードヴィルのスターになった。
・サリバン先生や家族に婚約者からも、仕事からも引き離され、盲目団体の資金稼ぎのスポークスマンにならされた。
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文化運動は、医療と地域を、あるいは病院と地域を結び付けるキーである。
地域医療では、病院と住民との直接の対話が必要だが、
その機会を地域での文化活動が与えてくれる。
文化活動が「人間が人間らしく生きるための営み・生き方」を言うのであれば、
医療・保健・福祉の中に文化活動が含まれていなければならない。
医療と文化とは切っても切り離せない関係にある。
病院は医療運動体であると同時に、文化運動体でなければならないと言えよう。
松島松翠(佐久病院名誉院長)
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