【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【随想】高崎市長富岡賢治氏、期待と失望~高崎官製談合の背景~  櫻井 智志

2020-01-18 14:09:03 | 随想

 新聞で見ていたが、故郷上州を離れていると、読み流していた。群馬県で大学教授を務める畏友熊倉浩靖氏と電話でやりとりしていて、「高崎官製談合」事件について全く無知なことに気付いた。熊倉氏は、18枚にわたる新聞記事(地元紙の上毛新聞・毎日新聞・讀賣新聞・朝日新聞)のコピーを送ってくれた。熊倉氏は京都大学理学部に学ぶ一方、上田正昭教授から古代史を学んでいる。地元高崎市で高崎観音を建立した井上保三郎のご子息井上房一郎氏の指導のもと、高崎哲学道設立運動に尽力し、完成すると高崎経済大学教員になるまで高崎哲学堂運営に熱意をこめた。

 かいつまんで「高崎官製談合」とはなにかを言えば、2019年11月19日に、「高崎芸術劇場」の備品購入をめぐる官製談合事件で、官製談合防止法違反で逮捕されていた高崎財団副理事長、高崎市課長で高崎芸術劇場副館長、市内大手の電機会社社長の三人が送検された。
 発端は高崎市議会である。日本共産党議員伊藤敦博議員の質問に市当局が答えた。高崎市で2019年9月にオープンした高崎芸術劇場の照明備品購入をめぐる官製談合事件にからみ、劇場本体の工事価格が予定価格と同じ落札率100%だったことが、市議会本会議で明らかとなった。
 さらにいえば、前橋地検は12月9日に、3人への対応を「処分保留」とした。
処分保留とは、刑事手続が進められていく上で、期間内に十分な証拠が揃わなかった場合、起訴・不起訴の判断を保留して釈放させることである。

 富岡賢治市長は、高崎市内の中学から群馬県立高崎高校に入学。中学時代に教頭として富岡氏を知っていた亡父は、富岡氏の人柄と努力を誉めていた。高崎高校の生徒会長を務めて一浪して東京大学に入った。文科省に入り、初等教育課長から国立教育政策センター所長を経て群馬県立女子大学長に就任。6期24年に及ぶ松浦幸雄高崎市長市政を支えた民間ブレーンは富岡賢治氏の兄だった。NPO法人として熊倉浩靖氏も、松浦氏の政策を支援した。松浦氏引退後の2011年、富岡賢治氏は新顔4人の市長選争いの一人だった。県立女子大学長だった富岡氏の弱点は知名度不足と組織の少なさで、 力になったのが母校高崎高校の同窓生らだった。今回逮捕された3人のうち2人は選挙支援のメンバーの中の人物であり、結果は大接戦を制した。再選時は圧勝し、今春2019年は無投票3選だった。
 だが、富岡氏は高崎市政のトップで居る間に、徐々に変わっていった。前市長の松浦幸雄氏や当初は政策を学問的裏付けをもつブレーンとして尽力した熊倉浩靖氏らを市政ブレーンから排除するようになった。
 今回逮捕された人々は優秀でひいでた能力をもつ人材だったが、市長の不得意分野を思うように任されていくうちに、権力と財力とを得ることに麻痺していったのだろうか?


 中央政府のあいつぐ失態に比較すれば、高崎市課長が照明設備予定価格5800万円を漏らし、業者に5680万円で落札させて入札の公正を害した疑い。業者が得た利益は120万円。
 高崎市近辺からは、政界に福田赳夫首相、中曽根康弘首相、小渕恵三首相、福田康夫首相を輩出し、現在の下村博文元文科相らも出ている。
 私は、富岡賢治氏を、政治家として、金権腐敗政治家とは全く思っていない。高崎市や群馬県が関東の北部で独特の文化と自然環境と実直な県民性をもつ豊かな特質をもつ。東京から高崎に帰った時、群馬県立女子大学は適切な選択と思った。政治家の仕事よりも、教育・文化で氏の才能と見識を発揮していってほしい。
 権力は長く居座ることで腐敗する。~了~


編集者芝田暁の疾駆~文化活性化の炎~[増補版]

2020-01-13 11:01:43 | 政治・文化・社会評論
編集者芝田暁の疾駆~文化活性化の炎~[増補版]
櫻井智志

1:芝田暁とは?
 圧倒されるような情熱で、人生を疾駆していった。芝田暁54歳。芝田進午の次男として、高校大学と早稲田で学ぶ。芝田暁の恩師高橋敏夫教授は、暁氏の著作『共犯者―編集者のたくらみ』(駒草出版2018年11月)の解説「きらめく非常識へ跳躍する共闘者たち」でこう記している。
【引用開始】
これは、もう芝田暁しかいない。
 徳間書店、幻冬舎、そしてみずから創業したスパイスで活躍、多くのベストセラーを生み出し若くしてエンターテインメント系編集者のレジェンドと言祝がれ、ノンフィクションや実録ものの制作にも携わったのち、今は朝日新聞出版にいる芝田暁の話を学生に聞かせたい、と私は切望した—。 (中略)
 講義概要にはこう記した。ノンフィクションは、事実をただ記述する事実追認型のジャンルではない。個々のノンフィクションライターが、確固とした思想と、独自の取材方法と、独特な文体によってつくりだす事実発見型のジャンルであり、その発見にもとづく事実批判型(さらに「事実をのせている構造」批判型)のジャンルである。
文学部の学生には、表現者志望の者と同じぐらい編集者志望の者がおり、表現者とともに作品制作にかかわる創造的な編集者の日々を知りたいという要望があった。
 これは、もう、芝田暁しかいない—。
【引用終了】
芝田暁は、早大で高橋敏夫教授に学んだ。幻冬舎等で著者を援護する「共犯者としての編集者」を続けた。昨年6月9日、「平和のためのコンサート」会場で購入。熱意溢れる好著だ。暮れ12月22日永眠。闘病生活も綴られている。芝田進午・貞子ご夫妻のご次男である。幾度か著作の中で見た両親やご家族への言葉に胸が熱くなる想いがした。

2:大月書店・徳間書店・幻冬舎・スパイス
 高校時代自由奔放にアルバイト生活を過ごしていた著者は、早く大学を卒業して社会人として働きたいと思った。当時大学生の就職活動は四年生になってからで、大学四年になると、待ちに待った就職活動が始まった。
 著者は「父がかなり知られた左翼の学者なので、たぶん一般企業は無理だろう」と判断し、マスコミ企業のジャンルで、テレビ・新聞社と吟味して出版社を選んだ。
 講談社、集英社、小学館、光文社を受け、唯一大月書店から内定をもらった。1988年4月、入社。
「大月書店は民主的で従業員を大切にする雰囲気なので決して悪い会社ではなかった」。
こう著者は述べる。けれど三つの違和感から居心地が悪く、辞めたら会社に迷惑をかけるから最低一年間はがんばろうと決める。学生時代から古典は別として現代小説はほとんど読まなかった著者は、「このミステリーがすごい!」(宝島社)を読んでから、船戸与一、志水辰夫、北方謙三、逢坂剛、大沢在昌らを次々に読破。小説にしかできないリアルで圧倒的な世界観に、文藝編集者に強く関心をもつようになった。
 一年数か月が過ぎて、宮崎駿を輩出した「月刊アニメージュ」などを出していた徳間書店で「文藝書籍編集部」の求人を知り、中途採用試験に合格し採用された。
 以後、徳間書店で59冊の単行本を編集している。小松左京、西村寿行、花村萬月、山田正紀、荒巻義雄、井沢元彦、吉岡道夫、赤川次郎、浅田次郎、梁石日(ヤン・ソギル)ら20人の作家の作品である。徳間書店入社とともに西村寿行を担当した。当時西村寿行と大藪春彦は徳間書店にとって最重要作家であるが仲が悪く、担当者は絶対に重ならないように会社の不文律があった。『紺碧の艦隊』の荒巻義雄も著者が担当した。初期の浅田次郎の作品を編集し続ける。最初は売れなかったが『鉄道員』(ぽっぽや)で直木賞を取ると、あっと言う間に屈指の人気作家に昇りつめ、今は直木賞選考委員を務めている。
 また著者が手掛けた山田正紀の『おとり捜査官』シリーズは、徳間書店、幻冬舎文庫、朝日文庫と出版社を移して、三社からタイトル(題名の漢字)や装丁を変えて続いた。テレビ朝日からテレビドラマ化され松下由樹が主演し2017年現在で20作のロングシリーズとなる。初期作品の担当プロデユーサーは、のちに『相棒』シリーズの立役者となる松本基弘である。
著者は徳間書店の労働組合書記長も歴任した。徳間書店徳間康快社長は傑物だったが、日中合作の大作映画『敦煌』などに投資して膨大な借金を抱え経営危機に陥っていた。経営者側と労組の板挟みで疲れきっていた。
 そんな著者を、幻冬舎が招いて、七年間在籍した徳間書店から幻冬舎へ移動した。
幻冬舎社長見城徹は、安倍首相と懇意になっていく。だが芝田暁にとり活躍の職場となった。事実、国立感染研(旧国立予研)の主任研究員で敬虔なクリスチャンの新井秀雄が、内部から感染研の安全性に疑問を感じ『科学者として』を2000年11月に幻冬舎から出版。この科学者の学問的良心の著作は、芝田暁が応援したことと推測する。
 幻冬舎で著者は66冊の著作を編集者として尽力する。数々の取り組みに見城轍社長のもとで活躍しつづける。梁石日の『血と骨』は、徳間書店オピニオン月刊誌「サンサーラ」で連載されていた。今は休刊となったが、小生も月刊誌「サンサーラ」に関心をもっていた。著者と梁石日との交友は信頼感につながり、サンサーラ休刊後は、「『血と骨』の出版を幻冬舎から出させてください」という芝田暁の願いに梁石日は静かに笑いながら快諾した。
 1998年1月に発売されると、見城徹は朝日・読売・日経・毎日に全五段の広告を打ち、初版1万五千部は破格の部数だったが、十万部売れ重版された。その後山本周五郎賞を1988年3月に受賞した。『血と骨』は2004年11月に公開。その過程はかなり著者の制作構想や計画とは異なる力学で苦闘の中で映画化に辛酸を舐めたことが綴られている。それでも映画化を実現した崔洋一監督はじめ制作側裏方の奮闘を讃えている。
 著者は、幻冬舎文庫も創刊に取り組み、自社から出版した単行本の梁石日と浅田次郎の 二冊を文庫にする担当となった。
 毎日新聞社会部編『破滅 梅川昭美の三十年』を幻冬舎アウトロー文庫に収録した。この親本は1979年に晩聲社から出されている。晩聲社は幻冬舎アウトロー文庫に収録することを快諾。社長の和多田進は、芝田進午社会学部教授の教え子で、著者は自らが学生の時からの知り合いであったそうだ。
 徳間書店に続き、幻冬舎でも、宮崎学、大谷明宏、森村誠一など多彩な人物の著作を「共犯者」として尽力し続けた。
 幻冬舎を円満退社後に、自らの出版社「スパイス」を2004年に創業している。森村誠一の「写真俳句」など異例の売れ行きをおさめる。西村健の「笑い犬」も出版した。
出版不況下で、経営者としてたえず会社のやりくりに、睡眠や食事も不十分な過酷な日々が続く。2007年1月、スパイスを廃業した。

3:森村誠一と宮崎学のあたたかさ

 森村誠一の奥さんから真心のこもった御品と十万円をいれた封筒と手紙が添えられていた。
【引用】1
「この度のことは残念でしたけど、またいつかご一緒にお仕事できると信じています。本の出来栄えもさることながら、芝田さんが一所懸命に売ろうとしてくださった姿勢に、大出版社には無い熱いものを感じ、感動致しました。私達も長生きして、是非また芝田さんに本を作っていただくことを楽しみにしています。 森村」

  著者は、「編集者冥利に尽きると感じいってしまい、いくら感謝の言葉を思い浮かべようとしても適切な言葉が見つからず、ただただその場に呆然と立ち尽くした。」

【引用】2
 しばらくして宮崎学からも電話があって、
「おおっ、芝田。久しぶりだな。元気か?渡したいものがあるから全日空ホテルまで取りに来てくれ」と言われて何だろう、と思って宮崎が打ち合わせでオフィス代わりにしているラウンジに行くと宮崎が「取っとけ」と封筒を私に渡したので中身を開けると十万円が入っていた。
 私が恐縮して本当にすいません、助かりますとお礼を言うと、
「おおっ、芝田。男は会社を潰した数だけ大きくなるんだ。もう一回、出版社をやって何回でも潰せ!また良い本をつくろうな」
と宮崎学は笑顔で叱咤激励してくれた。
 私はうれしくて、
「いやあ、私は宮崎さんみたいには、とてもなれませんよ。とりあえずサラリーマンに戻ります」と笑って言い返した。

 私は宮崎学の器の大きさに改めて感動し、思わず涙腺が緩んだ。【引用終わり】

4:広範な影響
 著者はスパイス廃業後、ポプラ社一般書責任者を一年余り務め、2008年から朝日新聞社の出版部門が独立した朝日新聞出版の創業に合わせて入社し、文藝編集長などを経て宣伝プロモーション部に所属した。

 また、アメリカ在住の作家小手鞠るいは『炎の来歴』(新潮社)のあとがきを以下のように記している。著者が小手鞠るいの作品を編集したのは朝日新聞出版『私の神様』一冊だったが。
【引用】
 この小説を書いているあいだ中、私は、ひとりの女性が私たちに呼びかけてくる声を聞いていた。そして今も、彼女から届けられた命の言葉に感電したままでいる。

世界を
すべての人間が人間らしく
平和に生きる場所にするか
それとも破滅させるか
それを決める責任は
みなさんの手にあるのです。

 アリス・ハーズの残した書簡集『われ炎となりて』と、哲学者・社会学者であられた芝田進午氏の著書『ベトナム日記 アメリカの戦争犯罪を追って』を私にご提供くださった、芝田氏のご子息、芝田暁氏に心より感謝いたします。
2018年4月
                   小手鞠るい
【引用終わり】

5:継承者芝田暁
 芝田暁は、芝田進午の平和と人権の思想を見事に継承し、それを人々に伝えていた。
だが2016年に50歳でがんを発見。入退院を7回繰り返し、完治したと思えたが、2018年に再発し50日入院を余儀なくされた。
2019年6月に新宿で開催された第20回平和のためのコンサートでは、実行委員会の皆さんと芝田暁、芝田潤(芝田進午貞子ご長男)らご家族も受け付け会場で円滑な運営に携わっていた。出版のお祝をつげ、「書評を書いて送りますよ。」と付け加えた。氏は、穏やかな笑顔で頷かれた。

私は、2020年に芝田貞子様のはがきで喪中と知り、呆然とした。

芝田進午の「人類生存の哲学を求めて 実践的唯物論への道」を大衆文学の現場で見事に継承した。54歳の人生を、堂々と生き切った。私は学生時代芝田家を数度訪問したことがある。まだ小中学生期の潤さん、暁さんをお見掛けした。お二人の息子さんの爽やかで理知的な姿が彷彿とする。芝田進午のご著作の一節に、ベトナムがアメリカ帝国主義を破り、完全勝利をとげた時に、家族がベトナム支援の研究と実践を担い続けた父に皆でお祝いの場を設けてねぎらったエピソードが記されている。進午氏亡き後も貞子さんを中心に家族が「平和のためのコンサート」を20年間も持続している。そのひとりである芝田暁の死は哀しい死ではない。多くのひとびとに芝田家の平和と生きる権利のための営みを思い出させる想いの夭逝だ。  合掌

編集者芝田暁の疾駆~文化活性化の炎~ 櫻井智志

2020-01-12 13:49:05 | 政治・文化・社会評論
編集者芝田暁の疾駆~文化活性化の炎~
櫻井智志

1:芝田暁とは?
 圧倒されるような情熱で、人生を疾駆していった。芝田暁54歳。芝田進午の次男として、高校大学と早稲田で学ぶ。芝田暁の恩師高橋敏夫教授は、暁氏の著作『共犯者―編集者のたくらみ』
(駒草出版2018年11月)の解説「きらめく非常識へ跳躍する共闘者たち」でこう記している。
【引用開始】
 これは、もう芝田暁しかいない。
 徳間書店、幻冬舎、そしてみずから創業したスパイスで活躍、多くのベストセラーを生み出し若くしてエンターテインメント系編集者のレジェンドと言祝がれ、ノンフィクションや実録ものの制作にも携わったのち、今は朝日新聞出版にいる芝田暁の話を学生に聞かせたい、と私は切望した—。
(中略)
 講義概要にはこう記した。ノンフィクションは、事実をただ記述する事実追認型のジャンルではない。個々のノンフィクションライターが、確固とした思想と、独自の取材方法と、独特な文体によってつくりだす事実発見型のジャンルであり、その発見にもとづく事実批判型(さらに「事実をのせている構造」批判型)のジャンルである。
文学部の学生には、表現者志望の者と同じぐらい編集者志望の者がおり、表現者とともに作品制作にかかわる創造的な編集者の日々を知りたいという要望があった。
 これは、もう、芝田暁しかいない—。
【引用終了】

芝田暁は、早大で高橋敏夫教授に学んだ。幻冬舎等で著者を援護する「共犯者としての編集者」を続けた。昨年6月9日、「平和のためのコンサート」会場で購入。熱意溢れる好著だ。暮れ12月22日永眠。闘病生活も綴られている。芝田進午・貞子ご夫妻のご次男である。幾度か著作の中で見た両親やご家族への言葉に胸が熱くなる想いがした。

2:大月書店・徳間書店・幻冬舎・スパイス
 高校時代自由奔放にアルバイト生活を過ごしていた著者は、早く大学を卒業して社会人として働きたいと思った。当時大学生の就職活動は四年生になってからで、大学四年になると、待ちに待った就職活動が始まった。
 著者は「父がかなり知られた左翼の学者なので、たぶん一般企業は無理だろう」と判断し、マスコミ企業のジャンルで、テレビ・新聞社と吟味して出版社を選んだ。
 講談社、集英社、小学館、光文社を受け、唯一大月書店から内定をもらった。1988年4月、入社。
「大月書店は民主的で従業員を大切にする雰囲気なので決して悪い会社ではなかった」。
こう著者は述べる。けれど三つの違和感から居心地が悪く、辞めたら会社に迷惑をかけるから最低一年間はがんばろうと決める。学生時代から古典は別として現代小説はほとんど読まなかった著者は、「このミステリーがすごい!」(宝島社)を読んでから、船戸与一、志水辰夫、北方謙三、逢坂剛、大沢在昌らを次々に読破。小説にしかできないリアルで圧倒的な世界観に、文藝編集者に強く関心をもつようになった。
 一年数か月が過ぎて、宮崎駿を輩出した「月刊アニメージュ」などを出していた徳間書店で「文藝書籍編集部」の求人を知り、中途採用試験に合格し採用された。
 
以後、徳間書店で59冊の単行本を編集している。小松左京、西村寿行、花村萬月、山田正紀、荒巻義雄、井沢元彦、吉岡道夫、赤川次郎、浅田次郎、梁石日(ヤン・ソギル)ら20人の作家の作品である。徳間書店入社とともに西村寿行を担当した。当時西村寿行と大藪春彦は徳間書店にとって最重要作家であるが仲が悪く、担当者は絶対に重ならないように会社の不文律があった。『紺碧の艦隊』の荒巻義雄も著者が担当した。初期の浅田次郎の作品を編集し続ける。最初は売れなかったが『鉄道員』(ぽっぽや)で直木賞を取ると、あっと言う間に屈指の人気作家に昇りつめ、今は直木賞選考委員を務めている。
 また著者が手掛けた山田正紀の『おとり捜査官』シリーズは、徳間書店、幻冬舎文庫、朝日文庫と出版社を移して、三社からタイトル(題名の漢字)や装丁を変えて続いた。テレビ朝日からテレビドラマ化され松下由樹が主演し2017年現在で20作のロングシリーズとなる。初期作品の担当プロデユーサーは、のちに『相棒』シリーズの立役者となる松本基弘である。
著者は徳間書店の労働組合書記長も歴任した。徳間書店徳間康快社長は傑物だったが、日中合作の大作映画『敦煌』などに投資して膨大な借金を抱え経営危機に陥っていた。経営者側と労組の板挟みで疲れきっていた。
 そんな著者を、幻冬舎が招いて、七年間在籍した徳間書店から幻冬舎へ移動した。
幻冬舎社長見城徹は、安倍首相と懇意になっていく。だが芝田暁にとり活躍の職場となった。事実、国立感染研(旧国立予研)の主任研究員で敬虔なクリスチャンの新井秀雄が、内部から感染研の安全性に疑問を感じ『科学者として』を2000年11月に幻冬舎から出版。この科学者の学問的良心の著作は、芝田暁が応援したことと推測する。
 幻冬舎で著者は66冊の著作を編集者として尽力する。数々の取り組みに見城轍社長のもとで活躍しつづける。梁石日の『血と骨』は、徳間書店オピニオン月刊誌「サンサーラ」で連載されていた。今は休刊となったが、小生も月刊誌「サンサーラ」に関心をもっていた。著者と梁石日との交友は信頼感につながり、サンサーラ休刊後は、「『血と骨』の出版を幻冬舎から出させてください」という芝田暁の願いに梁石日は静かに笑いながら快諾した。
 1998年1月に発売されると、見城徹は朝日・読売・日経・毎日に全五段の広告を打ち、初版1万五千部は破格の部数だったが、十万部売れ重版された。その後山本周五郎賞を1988年3月に受賞した。『血と骨』は2004年11月に公開。その過程はかなり著者の制作構想や計画とは異なる力学で苦闘の中で映画化に辛酸を舐めたことが綴られている。それでも映画化を実現した崔洋一監督はじめ制作側裏方の奮闘を讃えている。

 著者は、幻冬舎文庫も創刊に取り組み、自社から出版した単行本の梁石日と浅田次郎の 二冊を文庫にする担当となった。
 毎日新聞社会部編『破滅 梅川昭美の三十年』を幻冬舎アウトロー文庫に収録した。この親本は1979年に晩聲社から出されている。晩聲社は幻冬舎アウトロー文庫に収録することを快諾。社長の和多田進は、芝田進午社会学部教授の教え子で、著者は自らが学生の時からの知り合いであったそうだ。
 徳間書店に続き、幻冬舎でも、宮崎学、大谷明宏、森村誠一など多彩な人物の著作を「共犯者」として尽力し続けた。
 幻冬舎を円満退社後に、自らの出版社「スパイス」を2004年に創業している。森村誠一の「写真俳句」など異例の売れ行きをおさめる。西村健の「笑い犬」も出版した。
出版不況下で、経営者としてたえず会社のやりくりに、睡眠や食事も不十分な過酷な日々が続く。2007年1月、スパイスを廃業した。

3:森村誠一と宮崎学のあたたかさ

 森村誠一の奥さんから真心のこもった御品と十万円をいれた封筒と手紙が添えられていた。
【引用】1
「この度のことは残念でしたけど、またいつかご一緒にお仕事できると信じています。本の出来栄えもさることながら、芝田さんが一所懸命に売ろうとしてくださった姿勢に、大出版社には無い熱いものを感じ、感動致しました。私達も長生きして、是非また芝田さんに本を作っていただくことを楽しみにしています。 森村」

  著者は、「編集者冥利に尽きると感じいってしまい、いくら感謝の言葉を思い浮かべようとしても適切な言葉が見つからず、ただただその場に呆然と立ち尽くした。」

【引用】2
 しばらくして宮崎学からも電話があって、
「おおっ、芝田。久しぶりだな。元気か?渡したいものがあるから全日空ホテルまで取りに来てくれ」と言われて何だろう、と思って宮崎が打ち合わせでオフィス代わりにしていると宮崎が「取っとけ」と封筒を私に渡したので中身を開けると十万円が入っていた。
 私が恐縮して本当にすいません、助かりますとお礼を言うと、
「おおっ、芝田。男は会社を潰した数だけ大きくなるんだ。もう一回、出版社をやって何回でも潰せ!また良い本をつくろうな」
と宮崎学は笑顔で叱咤激励してくれた。
 私はうれしくて、
「いやあ、私は宮崎さんみたいには、とてもなれませんよ。とりあえずサラリーマンに戻ります」と笑って言い返した。

 私は宮崎学の器の大きさに改めて感動し、思わず涙腺が緩んだ。【引用終わり】

4:広範な影響
 著者はスパイス廃業後、ポプラ社一般書責任者を一年余り務め、2008年から朝日新聞社の出版部門が独立した朝日新聞出版の創業に合わせて入社し、文藝編集長などを経て宣伝プロモーション部に所属した。

 また、アメリカ在住の作家小手鞠るいは『炎の来歴』(新潮社)のあとがきを以下のように記している。著者が小手鞠るいの作品を編集したのはは朝日新聞出版『私の神様』一冊だったが。
【引用】
 この小説を書いているあいだ中、私は、ひとりの女性が私たちに呼びかけてくる声を聞いていた。そして今も、彼女から届けられた命の言葉に感電したままでいる。

世界を
すべての人間が人間らしく
平和に生きる場所にするか
それとも破滅させるか
それを決める責任は
みなさんの手にあるのです。

 アリス・ハーズの残した書簡集『われ炎となりて』と、哲学者・社会学者であられた芝田進午氏の著書『ベトナム日記 アメリカの戦争犯罪を追って』を私にご提供くださった、芝田氏のご子息、芝田暁氏に心より感謝いたします。
2018年4月
                   小手鞠るい
【引用終わり】

5:継承者芝田暁
芝田暁は、芝田進午の平和と人権の思想を見事に継承し、それを人々に伝えていた。
だが2016年に50歳でがんを発見。入退院を7回繰り返し、完治したと思えたが、2018年に再発し50日入院を余儀なくされた。
2019年6月に新宿で開催された第20回平和のためのコンサートでは、実行委員会の皆さんと芝田暁、芝田潤(芝田進午貞子ご長男)らご家族で受け付け会場で円滑な運営に携わっていた。出版のお祝をつげると穏やかな笑顔で頷かれた。
私は、2020年に芝田貞子様のはがきで喪中と知り、呆然とした。
芝田進午の「人類生存の哲学を求めて 実践的唯物論への道」を大衆文学の元場で見事に継承して54歳の人生を生き切った。
合掌

宇都宮健児、プロフイールと東京都知事選

2020-01-02 23:04:42 | 声明・転載記事
序 
宇都宮健児氏が主宰する公式ブログ「希望のまち東京をつくる会」を通じて、充実した都市づくりの意欲と実践に、共鳴をおぼえた。いかの叙述は、その転載を編集したものである。
(櫻井智志)

Ⅰ:宇都宮健児、自らを語る
宇都宮けんじってどんな人?
貧しい人の力になりたい
1946年12月、愛媛の漁村に生まれ、9歳の頃、開拓農家として大分県に移り住む。電気もない荒れた土地を必至で耕す親の姿を見て育ちました。親孝行したい一心で猛勉強し、東京大学に入学。卓球部で汗を流す一方、「貧しい人の力になりたい」と弁護士になることを決意し、在学中に司法試験に合格。

サラ金問題改善の立役者
下積み生活の中でサラ金問題に出会います。とりたてに追われる人の苦しみを目にして、解決のために奔走。「青白く、やつれた相談者の顔が、みるみる明るくなっていく。それが私にとってはお金以上の財産だった」。サラ金業者からは、何があっても引き下がらない弁護士として知られる存在に。「取り返すのは金ではない。狂わされた人生だ」。2006年、多くの仲間とともに国会に働きかけ、グレーゾーン金利を撤廃させる画期的な貸金業法の改正を実現させました。この改正により、サラ金業者がムチャな金利を取ることができなくなり、多重債務者は「払いすぎた分を取りもどす」こともできるようになりました。その姿は、宮部みゆきのベストセラー推理小説『火車(双葉社)』のモデルにもなりました。

貧困と格差が広がる昨今は、生活に苦しむ人びとへの法律相談も多く引き受け、多くの相談者から絶大な信頼を寄せられています。

日本弁護士連合会 会長として
2010年、3万2000人の弁護士を束ねる日本弁護士連合会(日弁連)の会長選挙に、史上はじめて完全無派閥で立候補し、激戦の末に当選を果たしました。日弁連会長として、人権擁護などに尽力するなかで、東日本大震災と福島原発事故が発生。福島をはじめとする被災者の支援に、先頭に立って取り組んできました。

2012年と2014年の都知事選で次点
2012年と14年の二度の都知事選挙では、猪瀬氏・舛添氏を相手に「人にやさしい東京」「希望のまち東京」を訴え、それぞれ次点の得票を得ています。

*2012年東京都知事選
【2012年(平成24年)12月16日執行】
有権者数:10,619,652人
投票率:62.60%(前回比:+4.80%)
猪瀬直樹66 無所属 新 公明、日本維新支持
4,338,936票 65.27%
宇都宮健児66 無所属 新 未来、共産、社民、緑、新社、東京・生活者支持
968,960票 14.58%
松沢成文54 無所属 新
621,278票 9.35%

*w2014年東京都知事選
【2014年(平成26年)2月9日執行】
有権者数10,685,343人
投票率:46.14%(前回比:-16.46%)
舛添要一65 無所属 新 公明、自民都連推薦
2,112,979票  43.40%
宇都宮健児67 無所属新 共産、社民、緑の党、新社推薦
982,594票 20.18%
細川護熙76 無所属 新 民主、生活、結い支援
956,063票 19.64%

2016年の都知事選出馬を断念
2016年の都知事選では立候補を決めるも、野党4党(民進党、日本共産党、自由党、社会民主党)の統一候補が鳥越俊太郎氏に決定したことを受け、出馬を撤回するという苦渋の決断をしました(2016年 東京都知事選挙 総括報告はこちら)。その後も当選した小池百合子氏に対し、積極的な政治提言を行っています。
*2016年東京都知事選
【2016年(平成28年)7月31日執行】
※当日有権者数:11,083,306人 最終投票率:59.73%(前回比:+13.59%)
候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
小池百合子
64 無所属 新 2,912,628票 44.49% かがやけTokyo、自由を守る会 支援
増田寛也
64 無所属 新 1,793,453票 27.40% 自由民主党、公明党、日本のこころを大切にする党推薦
鳥越俊太郎
76 無所属 新 1,346,103票 20.56% 民進党、日本共産党、社会民主党、生活の党と山本太郎となかまたち推薦
上杉隆
48 無所属 新 179,631票 2.74% なし
桜井誠
44 無所属 新 114,171票 1.74% なし
マック赤坂
67 無所属 新 51,056票 0.78% なし
七海ひろこ
32 幸福実現党
新 28,809票 0.44% なし
立花孝志
48 NHKから国民を守る党
新 27,241票 0.42% なし
高橋尚吾 32 無所属 新 16,664票 0.25% なし
中川暢三
60 無所属 新 16,584票 0.25% なし
山口敏夫
75 国民主権の会 新 15,986票 0.24% なし
岸本雅吉 63 無所属 新 8,056票 0.12% なし
後藤輝樹 33 無所属 新 7,031票 0.11% なし
谷山雄二朗
43 無所属 新 6,759票 0.10% なし
武井直子 51 無所属 新 4,605票 0.07% なし
宮崎正弘
61 無所属 新 4,010票 0.06% なし
望月義彦 51 無所属 新 3,332票 0.05% なし
山中雅明 52 未来(みらい)創造経営実践党 新 3,116票 0.05% なし
今尾貞夫 70 無所属 新 3,105票 0.05% なし
内藤久遠 59 無所属 新 2,695票 0.04% なし
※21位は関口安弘、64歳、無所属、新人、1326票、得票率0.02%。

Ⅱ:2016年 東京都知事選挙 総括報告
2016.11.04
お知らせ
10月28日に開催された希望のまち東京をつくる会リスタート集会「2016年東京都知事選挙からの、リスタート。“困った”が希望に変わる東京へ」にて公開いたしました「2016年東京都知事選挙 総括報告」を掲載いたします。

2016年 東京都知事選挙 総括報告概要
1. 「3度目の挑戦」に向けた私たちの取り組み
また突発的な都知事選挙――舛添知事辞任
→ 前回に続いて「政治とカネ」の問題で知事が辞任、3年で4回の選挙という異例事態
2014年の選挙後の私たちの取り組み
→ 前回の総括を踏まえて、イベント開催、都議会傍聴、勉強会などの取り組みを継続してきた。
都知事選に向けた当初の私たちの動き
→ 参院選・野党共闘にも配慮し、支持を拡大しながら参院選後の7月11日に立候補表明と決定。
野党「都知事選も共闘候補」の枠組みを決定
→ 野党4党は6月21日に都知事選も野党共闘でたたかうと決定。しかしその後具体的動きはなかった。
6月中旬段階の情勢調査――状況次第で勝機も
→ 独自の意識調査で宇都宮は前回に倍する支持を獲得。広報戦略を策定して選挙戦準備を進める。
“困った”が希望に変わる東京へ――7月8日、希望政策フォーラム
→ キャッチフレーズ決定。公約案を公表し、築地問題・羽田低空飛行問題・住宅問題を話し合う。
「小池劇場」と都知事選への高い注目――知名度優先の野党候補者選びの難航
→ 野党の候補者探しの混迷を脇に、小池氏がメディア露出で独走態勢を築く。
2. 立候補表明から一転して辞退へ
立候補表明――記者会見で触れた政策
→ 7月11日午後2時に立候補表明し、公約を発表。多くの方からの歓迎の声。
野党側から初の接触――11日、夕方は「古賀」、5時間後に「鳥越」
→ 都知事選告示3日前の初の接触で「古賀茂明氏へ一本化」要請。5時間後に鳥越氏に変転。
鳥越氏の立候補表明と野党4党の推薦表明
→ 都政課題への政策を示さないままの表明。辞退をめぐる論議は判断を宇都宮さんに一任へ。
苦渋の判断――立候補取り下げ
→ 「共闘」への対応で準備に遅れも。保守分裂の好機を活かし、運動の分断を避けるため、苦渋の判断。
鳥越候補への応援演説見送りをめぐって
→ 宇都宮さんの政策反映を明確にしない鳥越氏。週刊誌報道への対応の問題もあって応援見送り。
3. 小池圧勝・鳥越大敗の選挙結果をどう見るか
政党推薦を受けない小池氏の圧勝
→ 前回比で投票率上昇の中、無党派・全年代から支持を受け小池圧勝。政党存在感は低下。
年代別投票先——―若者からの支持を得られなかった鳥越氏
→ 得票率伸びず、若い世代の支持は失い、「野党共闘」の成果は出ず。
都民が重視した政策と投票先
→ 支持者は景気・雇用・福祉を重視。市民ニーズをとりこんだ小池氏。
参院選東京選挙区、都議補選との比較から見る野党共闘の失敗
→ 補選の野党得票の半数前後しか鳥越氏は獲得できず。完全に失われていた「野党共闘」効果。
前回都知事選における宇都宮との地域別の得票比較
→ 区部では鳥越氏は前回宇都宮の得票率より減。前回大雪の影響の消えた山間部で得票増。
選挙結果から見えた野党の課題
→ 若い世代からの支持獲得の失敗、市民のニーズに答えることへの失敗をどう総括するかが野党側の課題。
4. 今回の都知事選挙から得られる教訓と私たちの課題
多くの市民の支持をいかに得るか
→ 圧倒的多数の無党派層から支持を得る必要性。政党支持者の「数合わせ」戦略の限界。
知名度とストーリー選挙
→ 政策本位の選挙を大前提として、効果的発信のツールとしての知名度とストーリー性。
日常的な準備
→ 都知事選は都政を問う選挙と浸透させることなど含めて、日常的活動が決定的に重要。
宇都宮さんへの期待と支持
→ 「撤退」以降、むしろ知名度が拡大し、築地問題など政策も浸透。
政党からの支援をめぐって
→ 野党共闘の支援を得られなかった私たちの側の力量も問題。政策実現のため政党への働きかけを続ける。
地域に根ざす市民のつながりの強化
→ それぞれの地域の“困った”を持ち寄り、その原因と解決策を考え、都政を動かすことが次につながる。
5. 私たちは東京を希望のまちへ変える運動を続けていく
なぜ私たちは立候補できなかったのか
→ 前回総括で得た教訓を実行できていなかった。力量をつけつつ、連携を呼びかけていく努力を続ける。
東京を希望のまちに変革するため、運動を続けていく
→ 「次」に向けてのリスタートを期すため、私たちの運動の原点を趣意書という形にまとめた。
ー了ー