【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

山城博治氏逮捕・勾留棄却は重大な法理違背

2017-02-25 12:59:27 | 政治・文化・社会評論
修羅の国にっぽんは何処へ~《山城博治氏逮捕・勾留棄却は重大な法理違背》


             櫻井 智志
                   


 人権の最後の砦、最高裁が沖縄県の平和運動家の保釈を認めないと、被告側の特別抗告を棄却した。

 胃を摘出し、がんと闘病中の山城博治さん。辺野古移設・普天間移転の建設を強行する中で反対運動家を逮捕・起訴。最高裁は特別抗告棄却した。
 日本から三権分立も司法権の独立も消えた。情けなく、山城さんにすまなく思う。琉球王国を破壊した日本は、沖縄県民の人権も破壊している。こんな国家の国民である自分を呪詛する。もはや、救いようもない国家ニッポンが滅亡していく修羅場を静かに凝視し続けていこう。
 


 そんな想いで鬱々と過ごしている最近に、親族の見舞いに小旅行に出かけ、駅ビルの書店で、重要な示唆を感じる文章に出会った。
 森川恭剛(やすたか)琉球大学法文学部教授が、出てまもない雑誌『世界』2017年3月号に時宜を得た有益な文章「山城博治議長の解放を ―不正は刑事司法の側にある-」を発表なさっていた。


 以下に転載する文章は、森川恭剛氏が雑誌『世界』3月号に執筆したものである。転載した文は著作権等の考慮から全体のごく一部分であり、転載の責任所在は櫻井智志個人に帰することを明示する。
 原文冒頭から途中までの引用を開始する。



〔基地建設が不正ではないのか〕

 沖縄平和運動センターの山城博治議長が、昨年10月17日から刑事拘禁されている。
 この間に日本政府は、米軍北部訓練場の一部返還式典を行ない、また、名護市辺野古の新基地建設事業を再開させた。
 前者はSACO(日米特別行動委員会)最終報告の計画及び措置の実施を日米政府が祝う式典、つまり在沖米軍基地の再編統合計画の進捗状況(すなわち日本同盟関係の強化)を日本政府が米側にアピールする機会であり、沖縄県知事は防衛省からの招待を断って欠席した。 その式典開催の条件は、東村高江周辺の北部訓練場内に六カ所のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)が完成していることであった。
 二年前に二カ所の工事を終えていた沖縄防衛局が、再着工するのが昨年7月の参院選後である。この短期強行の工事に対して、北部訓練場ゲート前で座り込みなどをして抗議行動をした市民らのリーダーの一人が山城氏であった。


 沖縄県知事と多数の市民らがヘリパッド建設工事の再着工に反対したのは、まず、それが米軍輸送機オスプレイの訓練用施設として使用され、その騒音被害と墜落のおそれなどのために高江周辺の住環境が悪化していたからである。
 オスプレイの配備撤回と普天間基地の閉鎖撤去・県内移設断念を求める「建白書」(政治的保革を超えた「オール沖縄」の総意を示すものとして2013年1月に安倍首相に手渡された)を軸にして誕生したのが現在の沖縄県政である。
 次に、それは世界的にも貴重であるとされるやんばるの森を切り開く自然破壊の工事でもあった。「沖縄のアイデンティティ」を標榜する県知事にとって、これは米軍に奪い取られた沖縄の土地がさらに理不尽に踏み荒らされることであり、容認できることではなかったであろう。
 もちろん軍事施設のための土地開発は、とりわけ平和を尊ぶ戦後沖縄の思想に反する。同じことが大浦湾の海を埋め立てる辺野古の基地建設についてもいえた。基地を返還するのであれば、県内移設の工事をすることなく、単に返還してもらいたい。これが日米政府に対する県知事や山城氏らの基本的な考え方であると思われる。


 そうすると法的にみて、山城氏らの抗議行動は、高江の人々の平穏な生活と沖縄の自然環境や平和を守ろうとする価値保全の行為であった。そして、これは民主的に表明された県民の多数意見に基づく県政上の立場でもあるから、むしろ防衛省の基地移設事業が地方自治体の権限を脅かしていた。


 一言でいえば、市民らは憲法上の権利行為をした。さらに国際法的には沖縄の自己決定権の観点から、その正当性を論じうるだろう。
 つまり山城氏は、器物損壊などの疑いで逮捕された、ということになっているが、これは政治的に一面的なものの見方である。
 それゆえ日本の刑事法研究者らは、昨年末、山城氏に対する逮捕・勾留の処分が違法であるとする緊急声明を発表した。
1月17日の二次集約までに64人の研究者が「山城氏を速やかに解放すべきである」としている。


(中途省略) このあとは岩波書店月刊誌『世界』2017年3月号(p100~p103)をご覧いただきたい。

===以上=======




昭和亭魯迅VS櫻井智志

2017-02-23 16:55:42 | 政治・文化・社会評論
修羅の国にっぽん

                   昭和亭魯迅

人権の最後の砦、最高裁が沖縄県の平和運動家の保釈を認めないと、被告側の特別抗告を棄却した。胃を摘出し、がんと闘病中の山城博治さん。辺野古移設・普天間移転の建設を強行する中で反対運動家を逮捕・起訴。最高裁は特別抗告棄却。日本から三権分立も司法権の独立も消えた。情けなく、山城さんにすまなく思う。琉球王国を破壊した日本は、沖縄県民の人権も破壊している。こんな国家の国民である自分を呪詛する。もはや、救いようもない国家ニッポンが滅亡していく修羅場を静かに凝視し続けていこう。

櫻井智志‏@satoshitoday

人権の最後の砦、最高裁が平和運動家保釈の特別抗告を棄却した。胃を摘出しがんと闘病中の山城博治氏。基地移転の建設を強行する中で逮捕・起訴し特別抗告棄却。日本国の司法権の独立は崩壊した。山城さんにすまなく思う。琉球王国を滅亡させ沖縄県民の人権を破壊する国家の国民である自分を呪詛する。


危機的状況が継続、収拾はしていない福島原発事故

2017-02-16 05:18:04 | 転載と私見
危機的状況が継続、収拾はしていない福島原発事故

                     櫻井智志

 孫崎亨氏は言う。

《福島原発事故は収拾していない。危機的状況が継続》。

原発事故について危機的だという情報を目にすることはつらい。

 しかし、危機を知らされずに状況悪化のままでいることは、もっと危機的な状態へと深刻な局面に深化していても、そのまま破滅的な、早急に取り組むべき課題に取り組まない政府の怠慢と一緒に破滅へと至るのではあるまいか。事実報道を「風評被害」と決めつける論難は問題外だ。

 アメリカ・スリーマイル島や旧ソ連・チェルノブイリの原発事故対応を参考に、世界史的視野で、まつとうに取り組むことを放棄している安倍晋三自民党公明党政権。旧・民主党政権よりもはるかに後退した、「棄民」原発政策だ。
 それは、沖縄県民の犠牲的負担をトランプアメリカ大統領へ「手土産」と差し出す売国的奴隷的依存症安倍首相が政権ぐるみでもたらす政策全般のもと、「共通した」政権の認識のもとに推進されている。
 はやくから預言している大江健三郎氏の評論集のタイトル『鯨の死滅する日』の到来したことを告げる。「鯨の死滅する日」、沖縄も福島も日本列島も壊滅的な「日本沈没」(小松左京氏)が寓話にとどまらない現実化の凶暴な事態の破滅ゾーンへ突入する。

 私たちは、日本共産党が他の立憲野党とともに、成熟した市民運動主体の「ニッポン・市民的革命」の実現によって、この国民的危機を打開しよう。国際社会に尊敬されていた戦後民主化日本の名誉失墜は、「市民と立憲野党」共闘を変革主体とする国民的救国運動によってしか回復されえない。

 いそいそとアメリカを訪れ、アメリカ国民でさえ、支持もしない大統領と目と目を見つめ合い、固く手と手を携える倒錯軍事同盟に依存し続ける亡国首相に依存し続ける日本国民は、今のまま闘争から逃走していては、卑弥呼以来のニッポンの歴史は終焉を迎えざるを得まい。古代ペルー・インカ文明や現代ソ連のように、滅亡や解体した国家は現実に存在している。余程国民が自覚しない限り、日本は実態において今でも相当破壊されている。このまま手をこまねいていて、依存するに足る解決能力は皆無の自民公明維新勢力なのだ。


===【孫崎亨のつぶやき】======
2017-02-15 07:26

【福島原発事故は収拾していない。危機的状況が継続。その①福島2号機危機、1~3号機のデブリのおよそ半量の138トンが未反応、連鎖反応なら広島原爆約7,000発分の放射性物質(セシウム137換算)が生成(村田光平氏)】


原発の危険を発信続けている元駐スイス大使村田光平氏からのメールです。

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 元国連職員の松村昭雄氏から寄せられたメールをお届け致します。

同氏とは福島4号機の危険性を協力して世界に訴えた経緯がありますがこのたび竹本修三京大名誉教授の見解を踏まえ、新たに浮上した福島2号機危機への真剣な対応を共に世界に呼びかけ出しております。

別添の入口 紀男熊本大学名誉教授の見解は、下記の通り日本の将来を深刻に憂慮させるものであり、また、予見される国際社会の反応もあり、対策として建設費が100兆円ともいわれる石棺の要否についての検討を急ぐ必要があると思われます。

「1~3号機のデブリのおよそ半量の138トンが未反応であろうと考えられます。その未反応のデブリは、濃度と形状によっては、あるとき周囲の水を中性子減速剤として核分裂連鎖反応を起こし得ます。すると熱エネルギーと同時に広島原爆約7,000発分の放射性物質(セシウム137換算)が生成される可能性があります。

 使用済み燃料は、常に水中になければ、そこから発せられる中性子によってヒトは敷地全体に近づけません。一方、未反応のデブリは、逆に、周囲に水があるとそれが中性子減速剤となって、あるとき、たとえば無理に取り出そうとしたときに再臨界を迎えかねないという矛盾をはらんでいます。デブリを奇跡的に取り出すことができない限り、その(再臨界の)可能性はこれから100万年間続くでしょう。」

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原子炉デブリについての某氏と入口先生のFB上での質疑応答

原子炉デブリに関する質疑応答(Toshiko Kato‎ ― 入口 紀男)

4基の原子炉、石棺は可能なのでしょうか?いまもこれからも大量の水で冷却していますが、冷却水ストップして、デブリ臨界に達しないのでしょうか?

教えてください。

入口 紀男 1~3号機のデブリのおよそ半量の138トンが未反応であろうと考えられます。その未反応のデブリは、濃度と形状によっては、あるとき周囲の水を中性子減速剤として核分裂連鎖反応を起こし得ます。すると熱エネルギーと同時に広島原爆約7,000発分の放射性物質(セシウム137換算)が生成される可能性があります。

 使用済み燃料は、常に水中になければ、そこから発せられる中性子によってヒトは敷地全体に近づけません。一方、未反応のデブリは、逆に、周囲に水があるとそれが中性子減速剤となって、あるとき、たとえば無理に取り出そうとしたときに再臨界を迎えかねないという矛盾をはらんでいます。デブリを奇跡的に取り出すことができない限り、その(再臨界の)可能性はこれから100万年間続くでしょう。

Toshiko Kato ありがとうございます。未反応デブリはウラン235と中性子減速材などがとけて固まった物。デブリから中性子が出ていて、水が減速材として働くと再臨界が起こるのですか ?なぜ減速材が再臨界に必要なのかが分かりません。これとは別に、石棺は可能なのでしょうか?

入口 紀男 ひとつの中性子が「ほど良いスピード」で核燃料に衝突すると、核燃料の中から二つ以上の中性子をたたき出します。二つの中性子が「ほど良いスピード」で核燃料に衝突すると、核燃料から四つ以上の中性子をたたき出します。このようにしてねずみ算のように増えていくのが核分裂連鎖反応ですね。

中性子のスピードが速すぎると、核燃料の表面ではじかれてしまいます。これは本当です。そこで中性子減速材として周囲に「水」や「カーボン」(黒鉛)があると、中性子は減速されて「ほど良いスピード」になるのです。

核燃料棒を水の中に沈めて数センチの距離に近づけると、効率よく核分裂連鎖反応が起きます。これが原子炉ですね。

 石棺は、先ず原子炉の地下を掘って水が流れ込まないようにコンクリートを流し込みます。次に全体を石棺で覆います。しかし、建造する前に、デブリが水につかって再臨界(核分裂連鎖反応を起こすこと)をしないように、「水なし」となるようにしなければなりません。これも困難です。チェルノブイリは黒鉛炉でしたので「水なし」にする工程が省けました。福島第一の1~3号機ではまだ水冷が行われていますね。

水冷をやめても格納容器の底(1インチの厚さの鋼鉄)にあると思われるデブリが発熱で底を溶かしてメルトアウト(格納容器からデブリが地下などの環境に出ること)しないように熱を外部に上手に逃がしながら行います。また、中性子は、デブリが水に沈んでいないと格納容器を通り抜けて環境に出てきますので、それが周囲の作業者を被ばくさせないように上手に建造していくことが必要です。これも容易でありません。

100兆円かかるでしょうが、できても、何十年かでやがて老朽化するでしょう。外側に大きな石棺が必要となるでしょう。

Toshiko Kato 程よいスピードが必要、わかりました。汚染水を止められない日本の科学・技術・工学では、石棺も無理ですね。燃料取り出しも無理。分厚い圧力容器を破ったメルト燃料は、格納容器内に止まるほどラッキーではない、とメルトスルーも考えられますね。1号機は格納容器にみずを循環させて冷やしているらしいですが。

入口 紀男 「メルトスルー」(炉心貫通)とは、デブリが圧力容器の底を突き抜けて格納容器の中に出ることで、それはすでに1~3号機で起きました。「メルトアウト」(炉心露出)はデブリが格納容器の底を破って環境(地下)に出ることですが、それが起きているかどうかはまだ分かりません。

******転載終了*************

浮遊する言語空間と変革主体形成の危機

2017-02-10 21:24:31 | 政治・文化・社会評論
浮遊する言語空間と変革主体形成の危機

                    櫻井 智志

  福島原発事故の後に、被災地を訪問した徐京植さんの様子をNHK・Eテレが報じた。その番組を見ながら、徐さんの「根こぎ」という言葉が強く印象に残った。「根こぎ」は「根こそぎ」と同義である。

  原発事故に怒りと憤りを感じた国民の各層が、広範に都内の明治公園、代々木公園、官邸前、国会議事堂前に、数万人、数十万人と集まった。その多くは、組合や団体からの動員ではなく、自然発生的に立っていられない気持ちで集まった方が多かったときく。

 長年の沖縄県民の復帰闘争には、悲惨で不合理な体験のもとに耐えに耐え続けてきた沖縄県民の怒りが岩盤のような土台にある。実際の現実のなかから、「オール沖縄」が構築された。選挙戦術や政治政策の方便だけなのではない。

 沖縄県民の、国会から自治体までの選挙における圧倒的選挙の勝利は、沖縄の民意の総意を鮮やかに示した。それに対する本土政府の安倍晋三政権は、差別と強権の「植民地宗主国」政治対応に終始した。

 国会の政権閣僚の汚職、国民蔑視、立憲野党への答弁になっていない答弁など、行政の劣化には目を覆うものがある。ひとつや二つを例示できるような段階のものではない。多くの発言の虚偽、詭弁、方便など首相から閣僚、官僚のお粗末な公式発言は、議会政治の頽廃のきわみに達している。国民生活の改善をまともに実行する法案には、無関心で、カジノ・共謀罪・年金改悪などの反国民的法案を「自民」「公明」「日本維新」「日本のこころ」などの与党・与党従属政党によって強行採決し、強行採決をもくろんでいる。
稲田朋美・高市早苗・丸川珠代など安倍首相お気に入りの女性閣僚、安倍政権下ですでに交代した女性閣僚たちは、むしろ女性の地位向上や政治家・閣僚の増加を世間に反発を感じさせるレベルの低い答弁に終始していて、「だから女は駄目なんだ」という差別意識を高めてしまうような酷いものだ。かつての社会党土井たか子さんや二院クラブの市川房枝議員のような平和と福祉、護憲と暮らしの改善をきめ細かに気付き提案し実行しつづけた政治家とは異なる。現代でも、日本共産党、社民党、民進党、自由党など立憲野党のすぐれた女性政治家と比べても、明確に異質な閣僚たちだ。

  なぜ、一方では反原発の市民・国民たちがいて、他方では劣化し続ける安倍政権への比較的高めの支持率と暴政とがあるのだろうか?

  安倍政権は、まっとうな政治によって国民的支持の高い政権ではない。やっていることは、極右の軍国主義思想・破綻した新自由主義経済策・福祉切り捨て弱者切り捨ての福祉政策・軽率な海外発言と国民の税金ばらまきの大判振る舞い外交。そのどれをとっても、反国民的な政権である。

 そんな政権が高支持率なのは、二つのアメとムチ政策がある。
安倍首相を批判するマス・メディアへの徹底的な恫喝と介入は、先進資本主義国でも稀有な弾圧である。高市早苗総務相は、「偏向報道は、放送免許剥奪につながる」という驚くべき無知と報道対応を公的発言している。TBS「news23」とテレビ朝日「報道ステーション」への目に余る偏向攻撃と首脳陣への放送免許剥奪もちらつかせる安倍政権の高圧的姿勢。
 政権からの弾圧で、岸井成格氏と古館伊知郎氏が、番組から降りた。岸井氏は、前からのテレビ局内での方針で、急な降板ではないことを月刊誌のインタビューに応えている。
 あらかじめお断りしておきたいことがある。良心派、理性派の報道番組について限定している。ここでとりあげない日本テレビやフジテレビの報道番組のキャスターなどについては、検討の対象としていない。比較的ジャーナリズムの役割を果たしてきた番組を対象としている。それだけ国民世論の形成に強い影響を与えてきたからだ。お名前をあげて批判するが、そのような前提をご留意いただきたい。
 「news23」は全員が、「報道ステーション」は小川アナウンサー以外が変わった。それぞれの番組の中枢とも言えるキャスターは、「news23」は星浩元朝日新聞幹部が、「報道ステーション」は、別の報道番組にもいた後藤謙次氏の両氏が、新たな若手のアナウンサーを補佐する立場で起用されている。星浩氏・後藤謙次氏ともに不適格である。他の報道サイトでも後藤氏が批判されていたが、両氏ともに、ジャーナリストとはとても言えない。新聞テレビの高等幹部社員に過ぎない。Aという意見もあるが、Bという意見もあるという中和剤コメントで、問題の本質を的確に伝えるというスタンスではない。首相や重要閣僚と酒席をともにし、完全に取り込まれている「態勢維持のマスコミエリート」に過ぎない。温和で「人情派」の星浩氏は、決して反動派でなく、むしろ穏健な客観的なマスコミ人であるけれど、自分が会社から求められた「立場」を忠実に順守する毎日の放送の中で、田英夫、古谷綱正、入江徳郎、筑紫哲也、岸井成格らの諸氏が築き上げた「報道のTBS」を見事に経営陣とともに、瓦解させてしまった。TBSは日曜だけの「関口宏のサンデーモーニング」、土曜だけの「報道特集」によって辛うじて、ジャーナリズムの実を保持している。
 このような「客観主義的」体制維持の報道マンは、ほかにもいる。もっと酷い連中である。田崎史郎氏などおだやかな語り口から,出てくる言葉は国民馴化の安倍政権擁護のデマゴギーである。このようなマスコミの安倍首相のお先棒をかつぐ輩があまりにも多すぎる。安倍首相という「強大権力」に阿る連中のオンパレード。

 連日流される国民馴化のマスコミの堕落は、権力からの弾圧で経済的危機に陥らせられたなかでの究極の存立保持策であるのかも知れない。これ以上マスコミを論じることの虚しさを感じる。

 トップに掲げた徐京植さんの「根こぎ」「根こそぎ」という言葉。それは、現代の、「記号」として量産され消費され、泡と消える空虚の「ことば」文明への警鐘である。


 自らが体験したことを己の肉体で言語化して紡ぎ出すことばこそ、たやすく瓦解したり時流に押し流されたりしない「ことば」である。以下に自らの私的体験をまとめて述べる。

私は37歳に「櫻井智志37歳」として、『民主文学』読者欄に投稿した。「琉球新報」読書欄への丸木正臣氏の書評一面写真入り、週刊金曜日の『北朝鮮に消えた友と私の物語』(萩原遼氏著作。彼は金芝河の詩集を何冊も翻訳したことで重要な意義を果たした)の書評見開きニページ、『葦牙ジャーナル』『葦牙』への評論などを執筆。ほかに『日曜セミナー』季刊『群馬評論』月刊『技術と人間』月刊『軍縮問題資料』に評論を掲載された。そのかたわら『語り継ぐ人間性と人格の教育』と題して、教育実践記録と文化・思想への省察を、定年間近にまとめて出版した。『座標―吉野源三郎・芝田進午・鈴木正』を出版した。しかし、それらの活字媒体での社会的発言は、思わぬインターネット上の出来事によって、蹉跌経験を味わい、インターネット・ブロガーに専念して、一切の活字メディアを離れて今にいたる。

そうやってインターネット空間に浸る中で、徐京植さんの「根こぎの現実」に立ち向かう上で、圧政に立ち向かい抵抗するためには、変革主体形成とそこでの各人の自らの言語形成の営みの重要性にたどりついた。
 あれほど沖縄の県民のために,政治実践や選挙闘争やしんぶん赤旗などの広報活動を蓄積し続けている日本共産党中央委員会が、人権蹂躙の不当勾留四カ月を超えるいまに至るまで、国民的救出運動の実践にとりくまない、そのことは私にとり強い衝撃であった。
なぜ、なのか・・・・?

 ユニークで斬新な数々の選挙手法や政治的実践によって、低迷していた時期を脱した共産党は、東京都議選、都知事選、国政選挙が相次いだ時点から、急速に国民的支持を復活させた。全国に護憲平和勢力の要として、誠実で私心無き党員の活動と的確な指導部の政策や指針、志位和夫委員長の謙虚な人柄と有力な指導によって、国民の信頼に耐えうる見事な実際の運動を展開した。
それを否定するものはなにもない。ラインやインターネット、ツイッターなどの新たなコミュニケーション・ツールを駆使して、より効果を倍増させてもいる。

 ただ、インターネットを離れて、沖縄県民の反圧政、反基地闘争において、現地に入り市民運動とともにせっかく共闘しながら、平和運動のリーダー山城博治さんを、今もなお手術後のがんと闘病する山城さんを救出できていない。私もインターネットでの署名や救出アピールを行ってきた。それは効果として実現されていない。
今井正監督の映画『小林多喜二』を鑑賞して、作品としては『ひめゆりの塔』『きけわだつみのこえ』に比して決して成功した仕上がりとは言えないと思った。だが「多喜二」が特高の手にかかり虐殺され、遺体には皮下出血で全身が虐殺を無言の告発をおこなっていた。

 治安維持法最大の被害者であった日本共産党は、山城博治さんが社民党から国政選挙に出馬するなど、なんらかの懸念や「はねあがりや挑発による権力ひきだし」に警戒するケースも政党としての政治体験史から教訓化してることも想定した。

 そして私はこういう考えを初めて持った。インターネット選挙で成功してきた日本共産党は、躍進後の若い世代や新しい加入党員たちが、「自らの体験や疑似体験を通して血肉化した熟成したことば」を持っていないのではあるまいか?共産党全体が、目の前の現実に即時対応する前提としての《ほんもののことば》を各人が持っていないのではあるまいか?

 このような《自らが血肉化したことば》は、反安倍政権の側にも広く問題として広がっているのではあるまいか?

『浮遊する言語空間と変革主体形成の危機』とは、いま記したような「仮説」を表象している。
私の仮説が、実際とかけ離れた、日本共産党批判であったなら、それは名誉の毀損として謝罪と訂正に応ずる所存である。

 そしてなによりも、私は自らの《インターネット表現者》としての今までの自らの在り方を、この機会に改める。それを最後の結論に掲げて結びとする。


【結論】
「浮遊する言語空間と変革主体形成の危機」を、我がこととして認識し、表現活動の改善に務める。

[Ⅰ]自らのことばとして、熟考し発酵し熟成した言語を自らの結論として発信する。
[Ⅱ]多くの情報を、Ⅰと連携させ、他の記事の転載を自らの結論とはしない。必要な情報は転載して「私見」は添えるが、できるだけ「事実の提示」を心がける。

―終了―