【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【広原盛明のつれづれ日記】米紙ワシントン・ポスト、東京五輪は「完全な失敗」、五輪への期待は「熱気から敵意に」と論評

2021-07-24 16:05:39 | 転載
2021-07-20
米紙ワシントン・ポスト、東京五輪は「完全な失敗」、五輪への期待は「熱気から敵意に」と論評、菅内閣と野党共闘の行方(36)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その261)


7月18日付の共同通信をネットで見て驚いた。東京五輪の現状についてこれほど的確な論評が出されるとは思いもしなかったからだ。ワシントン共同によると、米紙ワシントン・ポスト電子版は17日、開幕を23日に控えた東京五輪について、これまでのところ「完全な失敗に見える」と指摘し、1964年の東京五輪のように日本に誇りをもたらすことは期待できないと指摘した。新型コロナウイルス流行の影響で国民に懐疑論が広がり、当初の五輪への「熱気は敵意に」すら変わっていると報じたのである。



翌日7月19日には、時事通信がより詳しい内容を伝えた。米紙ワシントン・ポスト(電子版)は17日、今週開幕の東京五輪について「完全な失敗に向かっているように見える」と論評するコラムを掲載し、五輪招致の理念だった「おもてなし」の精神は後退し、外国人への警戒に取って代わられたと記した。新型コロナウイルス禍の中で開催を強行する国際オリンピック委員会(IOC)や政府の姿勢に国民の反発が強まり、「熱気は不満、無関心、ついには敵意に変わった」と論じた。敗戦からの復興を象徴した1964年の東京五輪と異なり、国家の誇りや経済効果は期待できないとも指摘。周囲と遮断された会場や納税者の負担となる膨大な請求書を見るにつけ「東京都民はなぜ、誰のためにこの犠牲を払うのかを自問自答している」と指摘した。



 もう一つ、私を驚かせた記事があった。それは毎日新聞が7月19日、「トヨタ、五輪関連CMの放送取りやめ」「社長の会場応援も見送り」と伝えたことだ。東京五輪の最高位スポンサーを務めるトヨタ自動車は、国内で予定していた五輪関連のテレビCMの放送を取りやめ、豊田章男社長ら関係者の開会式などへの出席も見送るというのである。毎日は、新型コロナウイルスの感染拡大で大会開催に慎重な世論が根強い中、自社のブランドにマイナスイメージが広がるリスクを避けたと分析している。



 続いて7月20日、今度は朝日新聞が「五輪最高位スポンサー、パナソニック社長も開会式見送り」と伝えた。パナソニックは最高位のスポンサー契約を国際オリンピック委員会(IOC)と結び、映像用の機材などを納入している。同社によると、業務上必要な幹部は会場に入るが、楠見雄規社長は開会式に出席しない方針だという。五輪に関しては、トヨタ以外にも協賛企業として「ゴールドパートナー」となっているNTTも幹部の開会式への出席を見送る考えだといい、五輪への対応を見直す動きが広がっている。もはや、東京五輪は企業にとっても「マイナスイメージ」に転化したのである。



 その一方、IOCバッハ会長は来日以来、連日「進軍ラッパ」を吹き鳴らしている。国際オリンピック委員会(IOC)総会が7月20日、都内のホテルで開かれ、トーマス・バッハ会長、菅義偉首相、五輪組織委の橋本聖子会長、JOCの山下泰裕会長らが出席した。バッハ会長は冒頭のあいさつに立ち、「世界中のアスリートが自分たちの五輪の夢を実現するのを楽しみにしてきた。アスリートは、日本国民の忍耐強さを共有する。今、舞台が整った。感動、涙、喜びがアスリートによって作り出される。それが五輪のマジックとなる。まさに日本も輝く時だ」「世界中の何十億という人々が五輪を楽しみ、日本の国民を称賛する」と滔々と述べたという。「日本はIOCのためにあるの!」「世界はIOCのためにあるの!」と高らかに歌い上げたのである。



IOCバッハ会長は先週、菅首相に対し「日本人に対する感染リスクはゼロ」「日本人は大会が始まれば歓迎する」と手前勝手なことを吹聴し、あまつさえ感染状況が改善すれば「有観客」を検討してほしいとまで要求している。東京都民や首都圏住民が感染爆発の危機に直面しているというのに、東京五輪さえ開催できれば、「後は野となれ山となれ!」の態度丸出しだ。それを黙って聞いている菅首相は馬鹿にされているとしか思えないが、本人はそれを自覚していないのだから仕方がない。これが日本の宰相だというのだから、国民は怒りを通り越して悲しくなる。



では、開催前の現実はどうか。五輪関係者や選手の中からすでに50人を超える感染者が出ており、濃厚接触者はそれを倍する勢いで広がっている。ところが、IOCは感染の実態を明らかにしない。「個人情報保護」と言って屁理屈で、感染の原因や実態を覆い隠し、「調整」とか何とか言ってとにかく競技をスタートさせることに必死なのだ。大会が中止になりあるいは途中で打ち切られることになれば、巨額の放映権料の返却が派生するので、犠牲者などは横目に競技を続行する以外に選択肢が残されていないのだ。



菅内閣はもはや国民の信頼を失っており、政権担当能力が疑われている。直近の世論調査によれば、全てのメディアで内閣支持率が政権発足以来の最低水準を記録している。不支持が最高水準に達しているのはいうまでもない。菅政権にとって誤算だったのは、ワシントン・ポストが指摘するように、東京五輪に対する国見感情が「熱気から敵意に」変化したことだ。菅首相は、国民が日本人選手の金メダルラッシュに狂喜乱舞すれば全ての暗雲が吹っ飛び、菅政権の将来が開けると期待していた。しかし、そこにはこれまで培ってきた政治経験と強権的手法があっただけで、政治哲学も科学的思考もなかった。



トヨタ自動車やパナソニックの態度は象徴的だ。東京五輪の最高位スポンサーが東京五輪から身を引くというのである。国民はもとより大企業からも見放された菅政権に未来はない。「叩き上げ者」の限界であり、終末である。(つづく)

【色平哲郎氏のご紹介】参加型民衆演劇―アウグスト・ボアールの例

2021-07-22 14:47:54 | 転載
カタルシス catharsis

https://bit.ly/3Boar7D   

アリストテレスが演劇学用語として使ったのちに、医学用語として転用され、薬剤を用いて吐かせたり、下痢を起こさせる治療行為を指した。アリストテレスは、『詩学』内で悲劇の効用としてカタルシス論を展開し、効果のひとつとしてカタルシスに言及する、、、
近世フランス詩学においては、アリストテレスのカタルシス論は悲劇論の中核をなすものとして理解され、カタルシスは、観者の魂に「怖れと憐れみ」によって浄化を起こすものと理解された。
精神科医のジークムント・フロイトがこの語を採用したことから、カタルシスは代償行為によって得られる満足を指す心理学用語としても用いられるようになった。


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「ホメロスは他の多くの点でも称賛に値するが、とくにほめられてよいのは、詩人たちのなかで彼だけが作品中で作者自身がはたすべき役割」を見落としていない点である。すなわち、詩人は [作品中に顔を出して]自らが語ることをできるだけひかえねばならない。
というのも、自らが語っているかぎり、その詩人は模倣家 [ミーメーテース]ではないからである。
しかるに、他の叙事詩人たちは、徹頭徹尾自分を表面に出しつづけて、ほんの少数のことについて、ほんの少数の機会にしか模倣をおこわない。
これに対してホメロスは、前置きを短くすませておいて、ただちに男や女、あるいは他の役柄の人物を[作品中に]登場させる」

アリストテレス「詩学」24章


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演劇による自己変容のプロセスに関する成人教育学的研究
丸山 里奈 Tohoku University
http://hdl.handle.net/10097/00128187

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3. 演劇の特徴と理論 (1) 抑圧への抵抗


演劇は芸術分野であるため、情操教育の一環として捉えている人が 多いが、むしろ歴史的にみると、その時代に生きている抑圧された民 衆の心の叫びを発信する社会的活動としてとらえることができる。例 えば、日本では、歌舞伎は庶民のものであり、そこでは社会的地位が高 い権力者の名前に酷似した登場人物を作品に組み入れて、わざとコメ ディータッチに創りあげた社会風刺作品が多かった。民衆の遊び心と 笑いのかげに、権力者への批判と挑戦があったといえる。


社会風刺にとどまらず、社会改革に積極的に演劇を利用した史実は たくさんある。その一つに、ペルーの事例がある。非識字率が高い深刻 な社会問題の改善と民衆の意識改革のためのツールとして「演劇」が 社会的役割を果たした出来事である。これは先の学習理論のところで あげたパウロ・フレイレの業績である識字事業と深く関係があり、ま さに演劇と学習理論の「批判的文化理論」との接点である。


参加型民衆演劇―アウグスト・ボアールの例


1973 年ペルーの革命政府は 1400 万人の国民に対して 300 万-400 万人の非識字者が存在することを問題とし、総合識字計画を発足した。 ブラジルの演出家アウグスト・ボアール(1984、里見ら訳)は「識字 は母国とスペイン語の両方でおこなう。一方のために他方を犠牲にす ることを強制しない」ため、「可能なあらゆる言語を用いて識字を行な う。とくに演劇、写真、人形劇、映画等の芸術的諸言語、新聞などを活 用する」という識字事業の演劇部門にかかわることになった。「“ひと つの言語としての演劇”を、 芸術的な才能をもつかもたぬかには関係なく誰しもがつかうことのできるひとつの言語としての演劇」(ボア ール 1984)を描いていた。ボアールの著書『被抑圧者の演劇』の中 で「私は実践のなかで、演劇が被抑圧者に役立ちうるものであるとい うこと、演劇をとおして被抑圧者たちは自己を表現し、この新しい言 葉をつかいながら、表現すべき新しい内容をも発
見するにいたるもの である」と語っている。


ボアールが非識字率の高い民衆を社会改革に導くことに成功した大 きな要因の一つは、「参加型演劇」を築き上げた点である。この参加型 演劇の基盤は、「演者を観ている人(観客)」を「演じる人(行為者=俳 優)」へと転じるという特徴がある。「観る」という客体から「演じる」 という主体にかわることが何回か繰り返され、演じられているストー リーは次々と変わっていき、変わっていくことで問題の解決を模索し ていく。「演劇は解放の武器である」(ボアール、1984)というように、 解放された観客は、仮構の中で「演じる」ことに身を投げていくことが でき、これをボアールは「革命のリハーサル」と呼んでいた。


なぜ、ボアールは参加型演劇を考えついたのか。彼は演出家として、 ブルジョワ演劇に対抗したブラジル独自の演劇を模索し、最初は「情 緒的記憶」8に注目していたが、次第に「誰のための演劇か」という疑 問にぶつかっていった(高橋&鈴木 2011 : 260)。劇団一座の旅中に 出会った神父が、小作農に対する搾取の実体を彼に伝えたことが大き な転機となる。「『われわれは行動を起こす人間(actors)でなければなら ない。土俵(stage)に上がって戦わなければならない。不正で不平等な 戦いの傍観者(spectators)になることは罪だ!』」(高橋&鈴木 2011: 自伝からの引用)という神父の言葉が響き、行動を起こす観客 (active spectator)の着想が生まれたという。単なる「傍観者」でいられる集団 の「何もしなくなる」心理学的な現象を放置せずに、刺激をつくるチャ ンスにしていくことを彼は考えた。この集団の「無関心になる」現象 は、心理学者ジンバルドーの「ルシファー効果」9の概念や集団心理10 にも関係している。また、オルテガ・イ・ガセット(1995)のいう「自分 自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は『すべての人』と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であ ると感じることに喜びを見出している」(オルテガ 1995 : 17)という 「大衆」とも共通点があり、社会変革にはこの「傍観者」という「なに もしないでいる集団」の存在にボアールが目をつけ、個人単位だけで はなく「集団の変容」を求めていった点は社会的意義が大きい。


次に参加型演劇がなぜ社会変革に至るのか見直すことにする。


表 1-2 参加型演劇 出典:『被抑圧者の演劇』(ボアール, 1984, 晶文社)

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このようにボアールの参加型演劇は、社会の上部構造を暴きだし、 最後は民衆の現実の要求にこたえるものとなる民衆演劇である。演劇 が観客の悲劇的な感情を浄化するものであることを反対し、問題意識 をもち、その問題は自分達で解決しうるものであるという活力を与え る目的がある。

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古代ギリシャの五大芸術(詩、音楽、絵画、彫刻、建築)にも演劇と いう分野は存在しなかったが、悲劇と喜劇は叙事詩とともに「詩」に位 置づけられていた。そして近代になってから、舞踏、演劇は芸術分野に 加えられたという歴史がある。

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演劇をとおして「他者とのコミュニケーション力が身につ く」「表現力が豊かになる」などの抽象的な良いイメージはあっても、 なぜそうなるのかという根本的なことを学問として専門にしてきた人 が日本の教育現場には少ない。広瀬(2011)は、シュタイナー(Rudolf Steiner)の教育理論に支えられているオーストリアのヴァルドルフ学校でのリサーチをもとに、日本で演劇教育への期待が高まる一方で演 劇を理論として勉強して指導できる教員養成がともなっていない問題 点を指摘している。

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学校教育での意識の改善も課題であるが、フォーマルな学校教育よ りもインフォーマルな成人学習では、演劇を専門とする研究者・指導 者の導入のチャンスが多いので、学習としての発展の可能性はある。


・ドラマ(劇)的演劇から叙事的演劇へ


芸術として認識される遅れはあったといえども、演劇の分野はすで にいろいろな形で人間の生活に関与している要素があるためか、幅広 く発展していった。その中でも西洋演劇史で大きな貢献をしたのが、 アリストテレスによるギリシャ悲劇の定義である。ドラマ(劇)的演劇 (dramatisches theater)では感情移入が重視され、イリュージョンで 観客を登場人物に同化させるものであった。一方、その後、これに対立 的なものとして「非アリストテレス的ドラマトゥルギー」が現れた。観 客を傍観者とするベルトルト・ブレヒトによって提唱された叙事的演 劇(epische theater)の疑念である。これは、「表象される世界と出来 事を自然なもの、人格や感情に関して不変なものとして見せるのでは なく、矛盾を抱え、議論の余地あるものとして立ち現われるようにす る」(クリスティアンら 2009 :170)ので、ドラマ(劇)的演劇と大き く異なり、観客を同化させるのではなく、異化させることに力を入れ た33。さらに観客だけにとどまらず、演じる側にも登場人物を客観的に とらえる力が要求される。


このブレヒトの概念を、アウグスト・ボアールは発展させ、本研究の 第 1 章-3(1)でとりあげたように、劇の進行中で観客と演者の立場 を入れ替えながら現実社会を理想のものに変えていく民衆演劇を支持 した34。ボアール(1984)は「現実に行動する前に、仮構の行動をして みるわけだ。ぼくはこのテクニックを試みてみたんだよ。それで驚く べき結果をもたらすことが分かったんだ。それはカタルシス効果とは ちがう。・・・(略)
従来の演劇がやっているのはカタルシス35だろう? その浄化作用に訴えて、観客から、よこしまな意識だと、その他もろ もろの不純物をとりのぞくことをやっているわけだよ。それとはちが うんだ」(ボアール 1984:322)とカタルシス効果を不要とし、「観客の 意識を変えることを援けるだけでは駄目なんだ。観客が現実を変えて いくということは、つまりからだで、それを変えていくということな んだよ」(ボアール 1984 :321)と語っている。要するに意識変容に 「演じる=参加するからだ」を重要視している点からも、本章で「演じ る」ことに焦点をあてることに研究として意味がある。

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成長への意欲が引き出されるには、内側から生じる「面白い」という 感情も必要であるが、外部からの成長への刺激的な誘導も必要な時が ある。例えば、前に述べたボアール(1984)は「舞台でやったことを 現実のなかでやってみたいという欲望を引き起こす目的」により、「現 実の行動によってしかみたすことのできない欲求不満」を引き出した。 これは,「面白い」というプラス方向の感情とは違って、不満というマ イナス方向の感情を引き出すことで、民衆に意欲を燃えさせる結果と なっている。このような視点で事例をみなおすと、そのような意図的 な外部からの刺激はないにしても、人間がもともと持っている「実現 できない悔しさ」で葛藤する意欲の語りは、不満から湧き出る自己成 長(自己改革)意欲として関係があると考える。


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1. 身体化された学習

2. 批判する力を育む学習

3. 仮想現実を利用した学習

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ゲームに夢中になっている子ども達が多い現代社会と合わ せて考えていきたい。今ゲームに夢中で部屋から出ない子どもたちも、 いずれ成人である。ゲームがなぜそんなに魅力的なのか、なぜ親は反 対するのか、この点も今後の成人学習を考えていくときに無視できない社会現象である。ゲーム世代が親になる時代が来る。ゲームを頭か ら否定するだけでは先に進まない。

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しかし、本研究を通して、創造性・自発性の重要性をあらためて感じたためか、バーチャルリアリティの仮想体験の欠点が見えてきた。本 物の「身体」がないところが大きな弱点である。

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4. ホリスティックな学習

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おわりに

成人学習は成人の現実の日常生活のなかに学びがある社会的なもの である。人生の意味づけにより自分の人生の振り返りをおこなってい く。「人間はただの空間の中でぽつんと生きているのは耐えがたいもの で、自分の生きていることに対して、自分をとりまく世界から、何かて ごたえを感じないと心身共に健康に生きて行きにくい」(神谷 1985 :15) と感覚遮断の実験から神谷は言っている。このてごたえは、ライフイ ベントが楽しい良いことばかりである必要がないことを意味している。 本研究では、学習理論でも演劇という学問でも「批判する目」を持って 生きていく力が成人には求められていることが明らかになった。成長 にはレジリアンスやエンパワメントが必要であり、そこには「怒り」 「悲しみ」などのマイナスの感情が原動力になっている。演劇のカタ ルシスもそのような感情をもって発展し、やがて身体置き去りの感情 では表現ができないこと、観ている人に伝わらないことを人々は学ん でいる。演劇が民衆の社会への叫びであったように、成人教育の発展 には、学習者の批判や叫びが貴重なものとして必要とされていくとい う課題が見えてきた。


演劇による自己変容のプロセスに関する成人教育学的研究
丸山 里奈 Tohoku University
http://hdl.handle.net/10097/00128187


34 ブラジルの演出家アウグスト・ボアールは,社会変革のため支配階級の手 から演劇を民衆に渡す。1973 年ペルーの改革政府は 1400 万人の国民に対 して 300‾400 万人の非識字者が存在することを問題にし,総合識字計画を 発足した。そこでボアールは演劇を言語とし,参加型演劇を提唱した。

35 カタルシスはアリストテレスが著書『詩学』の悲劇論で「悲劇が観客の心 に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄 化する効果」として書いている。演劇用語にはなっているが、精神医学でも よく取り入れられ、フロイトが治療にも使っていた。


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「いい蛇紋(じゃもん)岩だね」

サンプルの目利きを頼まれたサイモン・リチャード・ウォリス(59)が頷きながらルーペで覗き込み、その場で簡単な講義が始まると、地質学者の卵たちの目に輝きが宿る。ここは関東から中部地方、紀伊半島、四国を経て九州の佐賀関に及ぶ日本最大の広域変成帯「三波川変成帯」の起点であり、地質研究の聖地だ。巨大なプレート同士がぶつかり合い、一方が沈み込んでもう片方が隆起し、変形する。1億年以上の時間をかけて地中深くから地表へと顔を覗かせた貴重な岩石には、その年月が蓄えた情報が詰まっている。

野外調査で学生や若手研究者を率いるウォリスは東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授であり、日本地球惑星科学連合で副会長を務める斯界(しかい)の重鎮だ。アルプスやチベット、南米の山々など野外調査の現場は地球規模に及ぶ。しかし、無駄のない足取りで山野を駆ける佇(たたず)まいは、権威とは無縁の冒険家のそれだ。

「簡単に言えばプレートの沈み込んだ深いところで何が起きているのかについて、岩石、構造地質学の観点から世界的な業績を上げている研究者です。だけど本人は『ウォリス』と呼ばれるのは好まなくて、学生も『サイモン先生』と呼びますね。そういえば『西門』という三文判を作ってきて、ペタペタ押して喜んでたな」

https://bit.ly/3zi1BWP

岩石から見る地球の記録に探求心が止まらない 地質学者、柔道家サイモン・ウォリス<現代の肖像>〈AERA〉
地質学者、柔道家サイモン・ウォリス。少年時代の夏休みを英国の美しい森で過ごしたサイモン・ウォリスは、柔道を通して日本に親しみを持った。地質研究をきっかけに来日し、強固な意志で日本語を習得。


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■フォッサマグナを見てしまった  

来日してすぐ、浅間山が噴いた。ドイツには活火山はない。多くの外国人が浅間を見に行き、ナウマンも出かけた。ただ、ナウマンはなぜか、同じ道を帰ってこなかった。ちょっと西の平沢村に寄り、遠く南の雲海に富士山がぽっかりと浮かび、西側の切り立った山々の麓は平坦な平野となっているという非常に奇妙な地形を見てしまった。ナウマンはこれをフォッサマグナ(ラテン語でフォッサは溝、マグナは大きいという意味)と名付けた。日本独自の地形で、本州を南北に切り裂くように走る。その成因はいまも謎で論争が続く。ナウマンは地上でそれを見出してしまった。生涯、その成因を追究することになる。

https://bit.ly/3ezPSeo

「見てしまった男」地質学者ナウマンの知られざる一面とは?
いくつか重なった偶然により、人生が大きく左右されることがある。明治の初めに来日し、10年ほどの間に東大教授として地質学を教えたエドムント・ナウマンもそうだったのかもしれない。


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中島 健FB「週刊金曜日」読者会 7月15日 4:32
対中国侵略戦争の準備を隠すための東京オリンピックは、1936年のナチスがやった「ベルリン・オリンピック」と同様に断罪すべきだ。ベルリン・オリンピックは世界から「ボイコットせよ」の声が上がったが、IOCがユダヤ人が一名ドイツ代表で出場するからとして宥和策に転じたために開催を許した。その結果が、1939年のポーランド侵略=第二次世界大戦への突入だった。過ちを繰り返してはならない。


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【カイロ=蜘手美鶴】ナイル川上流のエチオピア北西部に建設中の巨大ダムへの注水を巡り、エチオピアと下流2カ国との緊張が高まっている。ナイル川の水量減少を懸念するエジプトとスーダンは、注水ペースや貯水量についての合意を求めるが、エチオピアが拒否。今月初旬に一方的に2回目の注水を始めたことで、下流2カ国が国連安全保障理事会に紛争解決を求める事態に発展している。

グランド・エチオピア・ルネサンス・ダム 高さ155メートル、長さ1.8キロ、総貯水量740億立方メートルの水力発電ダムで、アフリカ最大規模。総工費は48億ドル(約5100億円)で発電量は6450メガワット。2011年、貧困を脱する目的で建設を始め、当時の公務員は建設のため給与1カ月分を拠出。政府は小口のダム債券を発行し、国を挙げて建設を進めてきた。

https://bit.ly/3Bh1Sv8


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Ct値が重要です!

感染拡大を抑え込むためのキーワードとして「スーパースプレッダー」をなくすことが大切だと話す。直訳すると「超拡散」つまり、1人が多くの人に感染させることを指す。
武市医師は、若者が感染していることを知らず、街を歩いてスーパースプレッダーになっていると話す。なぜ、若者がスーパースプレッダーになりやすいかというと、若者は体力があるため、ウイルスを持っていても無症状の人が多いからだという。感染していてもその自覚がないから、いろいろな人に感染させてしまう。若者を対象にした接種は、順次始まる。武市医師は、多くの若者が接種することが集団免疫をつくる鍵になると話している。

https://bit.ly/3wPONpc


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演劇を「手法」と捉える際、本プロジェクトが足がかりにしているのが、ブラジル出身の活動家である Augusto Boal の演劇への接近法とその意図である。Boalは、Bertolt Brecht や Paulo Freire の影響を受けながら、応用演劇を生み出した人物とされ、演劇を、問題の意識化や人々の解放、社会変革の道具として用いた人物である。このBoalの「演劇」を「道具」とする捉え方は 、本プロジェクトが「演劇」を「手法」と捉える際の指針とした。また、Boalの目指した人々の「意識化」という考えは、本プロジェクトの学びの目的である「意識化」と直接つながりを持ち、その 学びの目的へのアプローチ法として位置づけている。

https://bit.ly/3wTxGCK


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ブレヒトは自身の演劇を「叙事的演劇」と呼び、従来の演劇「劇的演劇」と自身のそれとを区別した。ブレヒトによれば「劇的演劇」は、観客を役に感情移入させつつ出来事を舞台上で再現(リプレゼンテーション)することによって観客に様々な感情を呼び起こすものであり、それに対して「叙事的演劇」は役者が舞台を通して出来事を説明(デモンストレーション)し、観客に批判的な思考を促して事件の本質に迫らせようとするものである。ブレヒトはこのような「叙事的演劇」を、悲劇を観客にカタルシスを起こさせるものとして定義したアリストテレスに対して「非アリストテレス的」と呼び、一方「劇的演劇」を現実から目を背ける「美食的」なものだとして批判した。

https://bit.ly/3eBoJI8

【色平哲郎氏のご紹介】 若月俊一先生の墓前にて、賞に恥じないことを誓いました

2021-07-19 22:14:22 | 転載
邉見公雄 2時間前
7月9日、第29回若月賞を受賞しました。
当日朝、若月俊一先生の墓前にて、賞に恥じないことを誓いました。
授賞式の後、記念講演を行いました(自己紹介は初級手話で)。
また、18歳からの医学部同級生で畏友、盛岡正博理事長自ら、
佐久大学を案内して下さいました。


(邉見 へんみドクター・返信コメント)
ありがとうございます。地域医療がコロナや新自由主義で危ないのでしっかりせよとの先人からのイエローカードとも^_^
宜しくご指導くださいますよう

https://www.facebook.com/akouhige/posts/2962092070778241


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中村哲さんの死を悼んで

https://bit.ly/36MmYDG

河合文化教育研究所


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カンダハール州のスピン・ボルダック陥落

https://bit.ly/36K0Auq

【映像】パキスタン国境検問所を制圧 アフガン反政府勢力タリバン

ここの陥落は、致命的・・


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伊丹万作

「だまされた者の罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」


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評・藤原辰史
『スターリン 独裁者の新たなる伝記』 オレーク・V・フレヴニューク〈著〉
〈宿敵トロツキーのような優れた演説や文章の才を持たないスターリンは「極度の単純化が生み出す明解さと簡潔さを追求した」。彼の行動力や官僚的細やかさは特筆すべきだが、社会主義的発言はレーニンの思考の「鋳直し」。思想的深みはなく、困ったら人のせいにして、脅迫と恐怖で人を支配する。つい私たちの周囲にはびこり、権力を振るう小スターリンたちを数え上げたくなる。〉

朝日新聞2021/7/17

 ■脅迫と恐怖で支配、民の声届かず
 スターリン博物館は彼の出生地ジョージアのゴリにある。野外には生家や専用列車が展示され、露店がグッズを売る。銅像の隣で写真を撮る観光客も多い。館内にはデスマスクも展示されている。
 訪問して驚いたのは彼を偉人と感じ取ってもおかしくない展示風景や訪問者の高揚感だった。ロシアにはスターリン時代を神話化する言説や本が増えていると聞く。
 本書はそのスターリンの伝記である。訳者によると、著者は最もスターリン時代の史資料に目を通してきた国際的にも著名な歴史家だ。史資料から読み取れることだけを頼りに彼の出生から死までを追う。膨大な調査を経てなお不明な点は不明だと言う慎重な態度が、伝記の信頼を高めている。
 本書は読みどころが満載だが、とくに心に残ったのは三点。
 第一に、彼の死をめぐる克明な叙述。一九五三年三月二日に彼が別荘で失禁して倒れ、幹部四人が集まったが医者を呼ばない。「率先して事を起こすのに慣れていなかった」。ボスのパージに震え上がっていた取り巻きは、彼のご機嫌をとり、誰かに責任を押し付ける所作が染み付いていたのである。娘のスヴェトラーナが残した死の描写も印象的だ。いまわの際で「彼は突然目を開き、部屋にいる全ての者たちを一瞥(いちべつ)した」。そして周囲の人々に「呪い」をかけるように上を指さす。猜疑(さいぎ)心に取りつかれた独裁者の死路が暗い。
 第二に、独ソ開戦後のスターリンの動揺の激しさ。別荘に引きこもった彼の元を幹部らが訪問、彼を戦争の最高指導者に据え、政治に復帰させるお膳立てをした。「党政治局内部の権力の再バランス化」が訪れる。息をのむ場面だ。
 第三に、スターリンの元に届けられた無数の直訴状は、ほぼ読まれていないこと。彼は民衆へ関心を一度も抱かなかったという著者の分析は衝撃だ。一九二八年、珍しくシベリアへ向かい穀物徴発の指揮をするが、彼にとって農民は穀物を隠す敵対者であり、武器を向けても当然となる。一般人の食の状況も十分とは言い難かった。三二~三三年は大飢饉(ききん)を招き、五〇〇万人以上の人が餓死した。他方で、上流階級は良い医療や食事や教育を受けられたという格差社会ぶりは予想を上回る。
 宿敵トロツキーのような優れた演説や文章の才を持たないスターリンは「極度の単純化が生み出す明解さと簡潔さを追求した」。彼の行動力や官僚的細やかさは特筆すべきだが、社会主義的発言はレーニンの思考の「鋳直し」。思想的深みはなく、困ったら人のせいにして、脅迫と恐怖で人を支配する。つい私たちの周囲にはびこり、権力を振るう小スターリンたちを数え上げたくなる。
 評・藤原辰史(京都大学准教授・食農思想史)
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 『スターリン 独裁者の新たなる伝記』 オレーク・V・フレヴニューク〈著〉 石井規衛訳 白水社 5060円
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 Oleg V. Khlevniuk 59年生まれ。モスクワ大歴史学部教授。ロシア連邦国立文書館に長く勤務し、30年代のソビエト・ロシア史とスターリン研究の第一人者。邦訳に『スターリンの大テロル』。


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東大助教授だった丸山眞男は高級参謀に敬語で迎えられ現代史の講義を頼まれた

2021/07/16 公開「保阪正康 日本史縦横無尽」

 軍人たちは、原爆を太陽の光を利用した爆弾と早合点し、陽光にあたらなければ大丈夫だと部内に伝達した。根拠があろうとなかろうと、とにかく被害を軽微に見せて戦争継続を企図しようとしていたのである。
 しかし、それほど大きな傷を負わなかった兵士たちは、この爆弾で亡くなったのは熱風、放射能、光線によるのが一般的だと主張した。その一方で、皮膚を陽光に直接当ててはいけないとの言い伝えが、兵士たちの間に漠然とだが、広まっていたというのである。兵士の間に、アメリカ軍が上陸してくるという噂が広まったというし、この爆弾を、軍部が徹底して戦う口実にするのではないかとの不安も広がったというのである。
 すでに紹介したのだが、東大助教授だった丸山眞男は、一兵士として被爆体験を持ち、その10日ほどのちに敗戦を迎えている。すると意外なことが連続して起こるようになったと証言している。
 敗戦の翌日(8月16日)には、高級参謀に呼ばれて部屋に入ったという。するとその参謀は「どうぞおかけください」と丁重なことばで挨拶した。その上で「満州事変から以後の現代史を私に講義してくれないか」と言いだしたのである。参謀は「その講義では詳しく話して構わない。言論の自由も保障する」とまで言い、2週間にわたり講義をしてほしいと依頼した。
 丸山は参謀長らのお歴々が座っている席で、汗ばみながら、ひたすら広島に至るまでの歴史を語った。その歴史の授業には参謀のほかに下士官、兵士らも参加して、丸山の近代日本史の分析に耳を傾けていた。
 原爆の威力はごく普通の将校や下士官、兵士に近代日本の歴史を垣間見る機会を与えた。もう日本は負ける、ジタバタしないで次の時代に備えておいたほうが、これからの人生に役立つ、と誰もが内心では実感していたのである。
 丸山は1960年代には、アメリカの大学でも教壇に立ったのだが、その折に「自分は原爆の被災者である」と言うと、アメリカ人は途端に真剣な表情になった。
 そして、反原爆の話などにもほとんど意見を言わなかったという。
 日本は反核の意見を常に世界に発信する立場にいるという証しである。
 今日、その立場を大切にしていると言えるであろうか。

=つづく

https://bit.ly/3wQC7OW


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軍医は戦場の悲惨を見た  

 戦争体験の語られざる事実
「本来なら彼ら(重傷者)は事前に手榴弾で死ぬか、それとも青酸カリで自決しているはずであった。自身でできなければ、衛生兵や同僚の兵士によって、強制的に口を開けさせられ、アカダマを飲まされて死んでいるはずである。」

保阪正康「「世代」の昭和史」42

兵士が命を投げ出さざるを得ない構造

 もう一つ、軍医の証言を紹介しよう。
 日本軍は捕虜になることは認めない。「戦陣訓」に書いてある通りだ。このことが兵士たちにいたずらに、戦争の恐怖を教えた。有り体に言えば、戦場で戦う兵士は、家族や身内が人質に取られていて、命を投げ出さなければならない構図が出来上がっていた。この構図がいかに残酷なのかは、これまできちんと論じられてこなかった。家族を人質に取られて戦っているとの現実は、まだ20歳を超えたばかりの兵士にとってはまるで逃げ場のない空間に身を置いているという意味になる。
 自分が命を投げ出さなければ、家族が郷土で卑怯者とか非国民と謗られる光景は、親不孝の最たるものとして糾弾される。そういう強迫観念が兵士の心情を支配している。私が問題にしているのは、兵士、下士官でも20代後半、あるいは30代ならば、ホンネとタテマエを使い分けることも可能だが、20歳を超えた青年兵士、20代前半の兵士にとってはこの使い分けなどできるわけがない。家族が人質に取られているが故に、青年兵士は軍内のとんでもない慣習に振り回されていたのである。
無理やり薬を飲ませ、安楽死を強いた
 捕虜にならないために、日本軍は撤退する時に重い怪我をしている重傷の兵士を置いていかざるを得ない。捕虜にさせないために安楽死をさせるのである。具体的にどうすか。青酸カリを飲ませるのである。部隊によって言い方は異なるが、ある部隊は、クスリとかアカダマとか各種の言い方をした。軍医がそれを重傷者に飲ませなければならないが、軍医は大体が衛生兵にそれをさせる。どういう光景が描かれるか。
 重傷者は傷を負って歩けないにせよ、生命機能は特に瀕死というわけではない。だからこれを飲めと言っても飲まない重傷の兵士は少なくない。逆に口を閉じて拒否をする。衛生兵の中には強引に口を開かせ、クスリを口の中に投げ込む。その時の様子を、ある衛生兵は実演して見せてくれたが、途中で泣き出してやめた。昭和50年代の初めのことである。なんと残酷なことをしたのか、と幾つもの光景がフィードバックしてくるのである。ある軍医が密かに私に証言している。
「私たちは兵隊に、安楽死など強要できませんよ。医学を学んだのは、生命の救済にあるんですよ。どうしてアカダマなんか飲ませられますか。そういうことは衛生兵にやってもらうことで、私たちは心の救われる思いがしました。でも衛生兵だって泣いているんですよ。日本の軍隊はどうしてこんな戦陣訓なんか作って、兵士を苦しめたんですかね」
 この軍医は、戦争の終わった後に、出身大学の医学部に戻り、最終的には医学部の教授になった。意外なことに昭和40年代の大学医学部の教授たちには、軍に駆り出されて戦場で軍医として軍務を命じられたり、あるいは陸海軍の教育機関で学び、戦後は一転して医学部に入り、医師となったり、医学研究者になった者も少なくない。彼らに共通しているのは、軍医時代の話はほとんどしないことだ。
 なぜなら人の命を救う職務が、それと全く反対の軍務に使われたことに強い憤りを持っているからだ。私自身、こうして彼らから聞かされた史実を書くのは、自分たちの年代の者が亡くなってから書くのはいいが、その場合も肩書や名前などは決して書かないようにとの前提で聞かされたからである。
 玉砕の地で負傷兵が、仲間と共に最後の突撃を行うことができずに、ほとんど寝たきりの状態でアメリカ軍の捕虜になるケースがある。本来なら彼らは事前に手榴弾で死ぬか、それとも青酸カリで自決しているはずであった。自身でできなければ、衛生兵や同僚の兵士によって、強制的に口を開けさせられ、アカダマを飲まされて死んでいるはずである。ところが衛生兵の中に、あるいは同僚の兵士の中に、そのようなことをしない、あるいは青酸カリを飲ませたごとくに見せかけて命を救った例があるということであろう。
 ある軍医は、玉砕の地で捕虜が何人いるといったようなことを聞かされるとほっとしたという。誰も彼らを安楽死させていないのだという事実が確認できるからだ。この裏に安楽死の手伝いなどごめんだという衛生兵や軍医の抵抗が宿っていることに気がつき、ほっとするというのであった。軍医たちはほとんど戦友会に出ない。兵士の死には、さまざまな死があり、それを思い出として語るにはあまりにも心理的な負担が大きいというのであった。

https://bit.ly/3rs3bmA


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【ワシントン=黒瀬悦成】バイデン米政権高官は14日、アフガニスタンの駐留米軍や米政府機関で通訳や翻訳係などとして協力したアフガン人とその家族らを7月最終週から空路で国外に退避させると明らかにした。

https://bit.ly/3hNuHYg


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> https://www.facebook.com/nobuhiko.utsumi/posts/4178487412228995
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> 2018年7月17日
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>  もうすぐウィーンに行きます。アドルフ・ヒットラーは、ウィーン美術アカデミーの入試で2年続けて落とさ れました。ヒットラーは自分が入試で落とされたのは、「ユダヤの長老の世界規模の陰謀」だと信じて、自分が地位を築き名声を得るのを「ユダヤの陰謀」が妨害していると思い込むのです。受験の失敗は、「ユダヤの 陰謀」ですって!
>
>  ドイツ映画『我が闘争 若き日のアドルフ・ヒトラー/Mein Kampf』では、若干の脚色もありますが、若き日 のヒットラーが芸術家に憧れ、芸術を学ぶためにウィーンに来て、入試で落とされ、芸術家になることを断念 させられたのはユダヤの陰謀だと信じ込み、復讐するために反ユダヤ主義者になっていく過程をリアルに描いています。
>
>  今の日本では、反安倍であろうが、反資本主義であろうが、想像以上に多くの人種差別主義者が、世界は「金融ユダヤ」が支配していると信じ込み、自分が「陰の勢力」から監視され、目に見えない「闇の権力」に支 配されていて、能力に溢れた自分が認められないのは「ユダヤが世界を支配している」からだ…だなんて思い 込んでいるんです。
>
>  「陰の勢力」だとか、「闇の権力」という連中は、陰ではなく天皇制と支配階級や、日本の三井・三菱金融 資本と言えない臆病者です。ネット上の弱虫たちのマスターベーションにちょうどお手軽なおかずが、「陰」 だとか、「闇」なのです。マスターベーションの習癖から、「隠れユダヤ」なんて反知性的な妄想が生まれるんです。
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>  表の三井・三菱は会社に知られたらまずいけど、「隠れユダヤ」なら会社も許してくれる…だなんて、情けない連中です。これはアドルフ・ヒットラーの倒錯と同じです。ナチイデオロギーを基にして生まれた反ユダ ヤ主義のオウム真理教に洗脳された若者とそっくりなんです。
>
>  日本は世界で一番、反ユダヤ主義者が溢れているレイシスト社会です。日本に来た外国人が驚くのは、なぜ 日本で反ユダヤ主義が、広範に蔓延していることです。ナチのイデオロギーがここまで浸透しているのは、ドイツの友人も呆れていました。
>
>  しかも極右と手を取り合って、いわゆる自称リベラル派に、ナチイデオロギーが浸透しているのです。ドイツの友人と私は、この矛盾について議論したのですが、1920年代のドイツと今の日本に共通するルサンチマンが、被抑圧者に浸透していると二人とも考えています。
>
>  自分が抑圧され、認められないのはユダヤ人が妨害しているからだ、自分は陰の勢力から監視され、闇の権力に支配されている…だなんて思い込むのはなぜでしょう。それは、歴史認識を裏打ちする思想と哲学の貧困 が、想像を絶するほど劣悪なのです。高学歴だろうが、一流大学出だろうが、かえってそういう知的レベルが高いんだと錯覚している人ほど、ナチの人種理論や、反ユダヤ主義にはまりやすいのです。
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任命拒否する政権 歴史学者・加藤陽子さん
それでも、日本人は「五輪」を選んだ

朝日新聞2021/7/15

画像)「それでも日本人は五輪を選びました。底を見るかもしれませんが、政府任せでは失敗するという教訓は学べたのでは」=北村玲奈撮影

 日本学術会議の会員に推薦されながら、菅義偉首相によって任命を拒否された問題が報道されてから9カ月余り。歴史学者の加藤陽子さんがインタビューに応じた。1930年代を中心にした戦前の日本近代史の研究で知られる加藤さんは、拒否した理由を説明せず、批判されても見直しに応じない現政権を、どう見ているのか。
 ――菅首相が6人の任命を拒否したと報道されたのは昨年10月でした。自身の任命が拒否されたことをどのように知ったのですか。
 「9月29日の午後5時ごろに学術会議の事務局から電話があり、任命されなかったと伝えられました。『寝耳に水』という言葉が実感として浮かびました。私のほかにも任命されなかった推薦者が誰かいる、とも言われています」
 ――詳細に覚えているのですね。日時は確かなのですか。
 「確実です。私はこの件が始まって以降、記録として残すために日記をつけていますので」
 「日記には学術会議のことだけでなく、その日の新規感染者数などコロナ禍の情報も書いています。社会の雰囲気や同時代的な偶然性も含めて記録するためです」
 ――拒否された6人の中で見ると、加藤さんはこの問題について人前であまり語っていない印象があります。会見には出ましたか。
 「出ていません。ひと様の前に顔を出して語ることには積極的ではありませんでした。研究者としての就職を控えた人たちを大学で多く指導しているので、彼らの未来に何か負の影響が及んではいけないと懸念したのが要因です」
 ――では、なぜこの段階でインタビューに応じたのでしょう。
 「政府とのやりとりが先月末で一区切りを迎えたことが一因です。私たち6人は、任命が拒否された理由や経緯がわかる文書を開示するよう政府に請求していました。たとえ真っ黒に黒塗りされていようと何かしらの情報は開示されるものと思っていたのですが、実際の政府の回答は『文書が存在するかどうかも答えない』という非常に不誠実なものでした」
 ――6月に出された不開示決定ですね。どう感じましたか。
 「納得できませんでした。回答した政府機関のうち内閣官房は、該当する文書は存在しないと通知してきました。内閣府の回答はさらにひどく、文書が存在するかどうかを明らかにしない『存否応答拒否』でした。文書が隠滅された可能性もあると思います」
 「インタビューに応じたもう一つのきっかけは、報道機関などによる調査が進んで、学術会議の自律性が前政権の時代から何年もかけて掘り崩されてきた過程が明らかにされたことです。関係者に迷惑をかけずに私が発言できる状況が整ってきたと判断しました」
     ■     ■
 ――任命拒否が判明した直後の昨年10月、加藤さんは、菅首相の決定には法的に問題があるとするメッセージを公表していますね。
 「日本学術会議法は、会議の推薦に基づいて首相が会員を任命すると定めています。この首相の任命権については1983年に中曽根内閣が答弁しており、首相が持つのはあくまで形式的な任命権であって会議の推薦が尊重される、との法解釈が確定していました」
 「しかし今回の菅首相による拒否は、会議の推薦を首相が拒絶できるという新しい法解釈に立っています。つまり政府の解釈が変更されているのです。解釈変更が必要になった場合には政府は国会で『どういう情勢変化があったから変更が必要になったのか』を説明する義務があるはずです。けれど菅首相は説明していません」
 ――同じメッセージの中で、決定の背景を説明できる決裁文書はあるのか、とも問いましたね。文書にこだわった理由は何ですか。
 「私は日本近代史を研究する者として、行政側が作成した文書を長らく見てきました。だから、何か初めてのことをするときには文書記録を作成する傾向が官僚にはある、と知っていたのです」
 「ただ近年、官僚が官邸からの要求に押され、適切に文書を作成できない事態が生まれていると感じていました。安倍晋三政権の時代からです。集団的自衛権に関する憲法解釈を閣議決定で変えたり、検察庁幹部の定年延長に関する法解釈を政府見解を出すだけで変えたり……。法ができないと定めていることを、法を変えずに実行しようとする人々が、どういう行動様式をとるのか。それを確認したい気持ちが今回ありました」
 ――任命拒否について菅首相は十分な説明をしていない、と批判してきましたね。何をすれば「十分な説明」になるのですか。
 「日本が立憲的な法治国家である以上、行政府の行為は、国民や立法府からの批判的検討を受ける必要があります。その行政活動には法的な権限があるのか、その権限を行使することに正統性があるのか。自らが任命拒否した行為について国会でそれらを正面から答弁することが、説明です」
 「首相が『人事の問題なのでお答えを控える』と言うとき、彼は『なぜ外されたのか分かるよね?』と目配せをしているのだと思います。自民党を批判したからだろうとか、政府批判にかかわったからだろうとか。国民がそう忖度(そんたく)することを期待しているから、説明しないのでしょう。忖度を駆動させない対策が必要です」
     ■     ■
 ――政権や指導者が国民や議会に十分な説明をしないことは、社会に何をもたらすのでしょう。
 「日本の歴史を振り返れば、政権や指導者が国民に十分な説明をしなくなりやすいのは、対外関係が緊張し安全保障問題が深刻化したときでした。しかし歴史は、そうした傾向が国民に不利益をもたらしたことも教えます」
 「戦前の日本は、満州事変(1931年)を機に国際連盟を脱退し、常任理事国であるという巨大なメリットをみすみす手放してしまいました。もし脱退の必要性を政権が国民に説明していたら、それは国益に資するのかという幅広い検討機会が生み出され、脱退しない展開もありえたはずです」
 ――ご自身を菅首相が外した理由は何だと推測していますか。
 「歴史記録を長年眺めてきた者の直感ですが、2014年ごろから安保法制に反対したり『立憲デモクラシーの会』に参加したりしたことを含めて、政府批判の訴えをしたからでしょう。新聞や雑誌にコラムを書いたり勉強会で講師をしたりといった大衆的な影響力を警戒されたのだと推測します」
 「任命拒否問題の本質は、政府が法を改正せずに、必要な説明をしないまま解釈変更を行った点にあり、それは集団的自衛権の問題や検察庁幹部の定年延長問題とも地続きであること。私が国民の前でそれを説明することができる人間であったことが、不都合だったのではないでしょうか」
     ■     ■
 ――菅政権が任命拒否した人数は、なぜ6人だったのでしょう。謎だとされている部分です。
 「象徴的な数字として使われたのではないかと私は見ます。前回17年に105人の新会員が任命された際、当時の学術会議会長は政府側から要求されて『事前調整』に応じています。推薦者の名簿に本来の人数より6人多い111人の名前を書き、見せたのです」
 「しかし今回は山極寿一会長(当時)が事前調整に応じず、初めから105人ぴったりの推薦名簿を出しました。それに対する政権の反応が、私たち6人を外す決定です。『次回は2017年のように6人多く書いて来いよ』というシグナルなのでしょう」
 ――任命拒否された6人のうち加藤さんを除く5人は、学術会議会長から連携会員や特任連携会員に任命されるという形で実質的に会議の活動に参加していますね。加藤さんは断ったのですか。
 「はい。昨年11月に学術会議の幹部と話した席で『特任連携会員として会議に参加する道もありますが、どうですか』と聞かれ、希望しませんと伝えました」
 ――なぜですか。
 「『実』を取るより『名』を取りたいと思ったからです」
 「特任連携会員になって学術会議の活動を支援することには確実なメリットがあります。実を取る道と言えるでしょう。ただ、政府が問題のある行為をした事実、批判されても決定を覆そうとしない態度をとっている事実を歴史に刻むことも大事だと私は考えました。実質的に欠員が生じたままにしておくこと、私が外されたという痕跡を名簿の上に残しておくことが、名を取る道です」
 ――歴史に事実を刻み得たとしても、それによって政治がすぐに良くなるとは思えません。
 「すぐには変わらないかもしれません。しかし事実として、出入国管理法の改正にしても東京都議選の結果にしても五輪の進め方にしても今、社会は政府や与党の望む通りには動いていません」
 「6人が外されたこと。6という数字には特別な意味が込められていたかもしれないこと。みんなでそれを覚えておくことが、もう一度6人を削ろうとする動きへの牽制(けんせい)球になるでしょう。そこに希望を見いだしたいと思います」(聞き手 編集委員・塩倉裕)

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 かとうようこ 1960年生まれ。東京大学教授。小林秀雄賞を受賞した「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」など戦前期に関する著書で知られる。

【永岡浩一さんからの通信】文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ(2021/7/15) 望月衣塑子

2021-07-15 16:25:31 | 転載
【永岡浩一さんからの通信】文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ(2021/7/15) 望月衣塑子 西村大臣一人のデタラメだけが問題ではない、人間と人権を大切にせず恫喝で押し切る菅政権のヤクザ的体質を斬る&谷口真由美 オッサンスポーツ社会の病理を語る


 永岡です、文化放送ラジオの、大竹まことゴールデンラジオ、本日の大竹紳士交遊録は月一回の登場、東京新聞の望月衣塑子さんでした。大竹さんお休みで司会は武田砂鉄さん、パートナーは小島慶子さん、アシスタントは砂山圭太郎さんでした。

 その前に、大竹メインディッシュに法学者の谷口真由美さん出られて、森組織委員長によるラクビー協会理事解任のことを語られて、これは概略のみ追跡しますが、谷口さんはラクビーのあり方を問われてオッサン社会に排斥されて、新リーグをラグビーのために組織という意図があり、プロリーグではないが、サッカー、野球など様々なスポーツがあり、ラグビーにお金を出してくれるファンはどれだけいるか、少子高齢化で15人のチームの維持は大変で、それらが今後課題。しかし森重隆会長が谷口さん排斥、この森氏と谷口さんあまり話していないが、ラグビー協会の理事を離れて、今の会長の人事は不明だが、もちろん問題。

 森氏、ラグビー協会の会長、そしてシンキロー氏の差別発言も多くのファンが知り、ラグビーの新リーグの経緯が残っていないのは問題と武田さん、小島さんも説かれて、重要な記録が残っていない。2月のシンキロー氏差別発言、スポーツ界の透明性に問題、うるさい谷口さんを外したのはどうかと小島さん問われて、武田さんも五輪の組織委の問題点に言及されて、そして二人の森氏、シンキロー氏、ラグビーの名誉会長を退き重隆氏を会長にした=シンキロー氏の影響だと谷口さん説かれて、小島さんも谷口さんパージはスポーツに問題と怒られて、谷口さん、自分のことで騒がせてすいません(笑)。小島さん、多くのスポーツファンは、ラクビーだけでなく、スポーツで女性の声を入れない問題点だと説かれて、女性がスポーツの主役になるべき、シンキロー氏の差別発言の問題点に言及されて、谷口さん、自分のことが報じられて、女性から同じ様な目にあった、#ME TOOと説かれて、武田さん、人事は日本だと不当目うだと説かれて、谷口さん、しぶとく生きている(笑)と説かれました。



 望月さん、最初に今の日本は多くの外国人の協力に支えられて、若い人はそれを認識しているのにオッサン、オバハンがそれを認識していないと最初に説かれて、メインのネタはインケツ西村大臣のデタラメ、ずっと騒ぎ、西村氏、酒を出したところに融資を金融機関とともに止めると恫喝、その後に批判されて優先的地位の乱用、弱いものいじめへの批判があり、自民の票田のお酒の業界で、SNSで自公に投票しないと示して、西村氏撤回、国税庁は酒を出す飲食店恫喝、そして昨日の国会でも問題になり、お酒を出さないと給付金を出さないなどデタラメ。内閣官房かお酒に締め付け、西村氏の問題だけでない。武田さんも用意周到なもの、西村氏の失言ではないと説かれて、望月さん、西日本新聞で西村氏、菅氏にはしごを外されたと発言したと報じられて、この圧力には様々な根回しが必要、菅氏、麻生氏も共犯、麻生氏は応じられないというが、課長補佐などでは帳尻合わせをして西村氏が発表。問題は菅氏が知っていたか、望月さん、西村氏のデタラメは取材されて、事務方が説明、総理番の記者が菅氏を追及してもちゃんと答えず、詳細な議論なし=菅氏は聞いていないもの。今日も文春に出て、西村氏は思いこむと一直線のバカ、前しか見えず、西村氏のワンマンショーではない、どこかでブレーキが掛けられるべきだが、菅氏も共犯、西村氏を犯人としているが、政府全体に責任がある。

 そして、五輪、今日も東京で感染者1000人越え、菅氏は腹を切る責任なし、西村氏のことも菅氏見殺しだが、上に立つ総理としてダメ。菅氏には説明責任がある。武田さん、菅氏は西村氏が1日感染を考えているというが、先週は兵庫県知事選に来たと説かれて、小島さんも恫喝で金融機関、酒販店は委縮、疑心暗鬼と説かれて、菅氏の無責任、ちゃんと補償して、それで罰則ではないのは問題、心理的に庶民を追いつめていると批判されて、罰則の前に補償すべきものをせず、国民締め付けに恫喝はおかしいと説かれて、言葉で説明すべきと説かれて、望月さん、追い詰められている飲食店を救うべき。感染対策は必須、予備費は2兆円残っていて、業界に補償がなく、東京都への支援もなく、苦しんで追い込まれている人を追い込むのはダメ、お酒なしで飲食店がやれる補償なしで、締め付けは死ねである。武田さん、東京で感染拡大、しかし政府が無策で、西村氏の辞任は必須だと怒られて、望月さん、取材で官邸の官僚は西村氏辞任は不可避、ただし、西村氏は安倍氏の時から長いものだが、とかげの尻尾斬りを危惧されて、武田さんも菅氏の責任があると怒られて、望月さん、西村氏一人の責任ではなく、政府全体の責任と説かれて、小島さん、西村氏一人の問題ではない、武田さんも菅政権は恫喝が好きだと怒られて、菅政権のデタラメを放置したら日本破綻と望月さんも強調されました、以上、望月さんのお話でした。

 

【孫崎享のつぶやき】 随想56 マルティン・ニーメラーの言葉と望月衣塑子氏のツイッター事件

2021-07-12 22:26:35 | 転載
【孫崎享のつぶやき】
随想56 マルティン・ニーメラーの言葉と望月衣塑子氏のツイッター事件
2021-07-12 07:485


マルティン・ニーメラー(1892年- 1984年)は、ドイツの福音主義神学者である。彼はナチ党の宗教政策に反対し、1937年7月逮捕され、1941年ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所に移送され、1945年にイタリア、南ティロルに移送された。彼の発言に基づくとされる言い回しが1946年頃に生まれたと見られ、1950年代初期には詩の形で広まっていた。それが次の句である。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
 2021年7月11日、ツイッターの「トレンド」を見ていたら、「#望月衣塑子記者の凍結を解除しろ」という項目がった。望月衣塑子氏のツイッターを見ると、「注意、このアカウントは一時的に制限されています」とあり、更に、「このアカウントは不審な行為が確認されています」と記載されている。
 望月衣塑子氏は東京新聞の記者である。望月衣塑子氏は記者として、日本歯科医師連盟のヤミ献金事件、前川喜平に対する取材(前川喜平前事務次官が在職中に出会い系バーに通っていたという報道に対し)、伊藤詩織に対する取材等を行った。望月衣塑子氏が特に注目されたのは、菅官房長時代、官房長官記者会見でほとんどの記者が真摯な質問を行わない中で執拗に質問したことで注目された。ウィキペディアは彼女について「ニューヨーク・タイムズ紙の記事によると、官邸会見で望月の質問が報道室長によってしばしば妨害されたり打ち切られたりすると紹介したうえで、“会見で政治家へ鋭い質問をぶつける”という多くの国で記者が当然の仕事として行っていることが日本では当たり前ではないために、逆説的に望月が著名人になっている、と皮肉を込めて報じた」と記載されている。
 確かに彼女は政府について不都合な発言や、質問を行ってきているが、彼女の言動は「多くの国で記者が当然の仕事として行っていること」の範疇内の行動である。
 望月衣塑子氏のツイッターの停止に対し、人々は迅速に反応した。トレンドでは35,711件のツイートが記録されていた。勿論、抗議のツイートである。内田樹氏は「望月さんのアカウントが凍結ですか。僕のアカウントもそれそろですね。『ゴジラ』じゃないけど「ゴジラが鉄塔に向かってきています。みなさん、さようなら」とアナウンスしながら凍結されるのかな」とツイートした。皆危機感を感じたのである。
 幸い望月氏はその後「みなさま、昨日深夜に発生した私のTwitterアカウントの制限が先ほど解除されました。原因は不明ですが「不審な操作があった」と表示され、投稿出来なくなってました。witter社に報告、本日10時過ぎに制限が解除され、普通に使えるようになりました!」とツイートした。
 35,711人が声をあげたのである。それは皆、「彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」を避けるためにである。