【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅱ】 2013年 第14回平和のためのコンサートと人類生存哲学の思想
櫻井 智志
1.平和のためのコンサートと時代
芝田進午・貞子ご夫妻は1980年に東京と広島でノーモア・ヒロシマ・コンサートを開始した。東京では1989年まで10年間、広島ではそれよりも長く持続された。
芝田氏は、広島大学に勤めるようになり、「反核文化」について考察し顕彰する。小説、詩、映画、音楽など多彩な分野に及ぶ。ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、これらの反核文化研究と併行した実践の帰結のひとつである。
哲学者・社会学者である芝田進午氏は、帝国主義的国際秩序を「旧国際秩序」、核時代の国際秩序を「ジェノサイド的秩序」と呼んだ(『核時代Ⅰ思想と展望』)。これに対して民衆が作り上げるべき「新しい国際秩序」とは、あらゆる形態のジェノサイド(民族皆殺し)を廃絶してゆく秩序をさす。芝田氏は、そこで民族自決権のなかにある戦争発動権の制限を提起した。注目すべきは、日本国憲法の《一方的不戦宣言》《一方的軍備撤廃宣言》は、核時代における国家主権の在り方を示す先駆的なものであると位置づけている。
芝田氏はさらに被害者側の苦悩を社会科学の対象として考察した。被爆者の「罪意識」についてアメリカの精神医学者R・J・リフトンの『死の中の生命―ヒロシマの生存者』(1967年朝日新聞社刊 原題Death in Life)と、被爆者問題で重要な研究を続けている石田忠氏の『原爆体験の思想化』『原爆被害者援護法』(ともに1987年未来社刊)の著作を紹介している。限界状況における行動の理論的解明に今まで未着手であることを課題視している。多彩で他寮域に及ぶ「芝田学」において、核時代における文化と思想の研究は、人間が人間らしくその尊厳を尊重されるための足がかりとなる広範で多彩な取り組みであった。芝田氏がご逝去されたのは、2001年3月14日のことであった。もしも先生が2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故をご生存中に体験なされていたら、現在反原発運動を推進している良心的な原子力物理学者や反原発運動家たちとともに立ち上がって共闘なされたことだろう。「核時代」と「反核文化」、「人類生存哲学の思想」は、さらに精緻をきわめ、実践のスケールを今以上に拡大する貴重な指針を、私たちに提起なされることはほぼ間違いあるまい。
ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田進午氏逝去後は、夫人の芝田貞子氏を主催者として「平和のためのコンサート」として継承された。さらに、芝田進午氏が、「人生最大の闘争」として位置づけた予研(改称して現在は国立感染症研究所)との闘争が開始される。1986年から開始された予研=感染研との闘争は、芝田氏の哲学者・社会科学者としてのすべてのアカデミックな研究から芝田氏を遠ざけた。けれど氏は、闘争途中の2001年に胆管がんによってご逝去なされるまで、この大問題に取り組み続けて、この闘争の間で出版された書籍、雑誌、刊行物、パンフレット、チラシなど厖大な資料とともに取り組まれた。とくにバイオハザード予防市民センターとストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会は、毎年このコンサートの後援団体としてコンサートを支えて具体的な運営への支援も惜しまず献身的に応援なされている。
今年2013年で14回目に及ぶことは特筆されるべきである。著作『実践的唯物論への道 人類生存の哲学を求めて』(2001年青木書店刊)の中で、芝田氏はご夫人が声楽家でなければ、ノーモア・ヒロシマ・コンサートは10年以上も運営できなかったと述べている。
2.高橋哲哉氏の講演
今回は、第一部で高橋哲哉東大大学院総合文化研究所教授が、『犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える』のテーマで講演をひきうけてくださった。原発事故をめぐる国民から世界上の民衆の平和的生存が、戦後これほど深刻な課題となったことはなかろう。また、沖縄県を最大の被害者としてアメリカ軍による基地問題の無理難題がひきおこす深刻な被害は、日本の平和と日本国民の安全と幸福を危うくしてきた。
講演
「犠牲のシステムから平和の秩序へ〜原発と基地問題を考える」
高橋哲哉「平和のためのコンサート第一部講演」(記録文責・櫻井智志)
高橋哲哉氏は、「犠牲のシステム」について研究してきた。ずっと米軍の基地問題を研究し、沖縄の米軍基地を中心に取り組んできた。けれど福島第一原発四基のうちの三基が爆発した時に、現状で、日本における原発を「犠牲のシステム」を研究するようになった。 原発の事故自体が収束していないし、東京にもホットスポットがあり事故と無縁でない。原発事故以前は基地問題に「犠牲のシステム」を使っていた。福島第一原発の事故は、「犠牲のシステム」の典型である。
平和憲法にもかかわらず、沖縄に平和という状況はあったのか。4月28日に政府は「主権回復」の式典を行ったが、沖縄は大反発した。1972年まで米軍の軍政下にあった。しかしそれ以降も、日本全国の0.6%の面積の沖縄県に、米軍基地の広さは、沖縄県がなんと75%もの米軍基地の面積を占めている。沖縄は、日米安保体制によって犠牲のシステムを被っている。福島原発事故も「犠牲のシステム」をこうむっている。誰かの犠牲の上に誰かが利益をもうけているシステム。
ドイツは、日本でも原発事故が起こるのだから、と言って脱原発へ転換することを認めた。福島にはGビレッジという区域があった。原発事故前からである。
そこは、原子力発電所での作業を行う労働者が居住するため往復している。そこで、ガンや白血病患者もいたが、原発事故でその地域の存在が表に出てきた。原発にはウランを必要とする。ウラン鉱山の採掘を行うウラン鉱夫は被曝してきた。
日本でも岡山県にウラン峠があったが、被曝の問題でそこをとりやめ、カナダやオーストラリアから輸入するようになった。
原発から出る放射性廃棄物には、使用済み核燃料がでる。いま大飯原発以外国内の原発はとまっているが、再処理でプルトニウムを取り出しウランと混ぜる。
使用済み核燃料への対応や最終処理場の問題がある。核には、①原発②核事故③被曝労働④放射性廃棄物による危険、の四つの問題がある。「犠牲のシステム」とは、ある人々の犠牲の上に成り立っている。ある人々とは、①核被曝の人々、福島原発事故の影響を受けた人々②健康の犠牲③土地、家、財産における犠牲を受けた人々④いのちの犠牲⑤人としての尊厳、生きる希望などを犠牲を受けた人々である。「犠牲のシステム」は、正常化できない。それは、平和的生存権を奪い、生命・自由・幸福追求の権利の犠牲を受けている。このことは、沖縄での憲法否定、憲法の犠牲により人として正常化が困難をきわめるのと似ている。
4月17日から被災地の新規定値が決まり、立ち入り禁止区域のひとつに高橋哲哉氏が小学校生活を過ごした故郷富岡町が含められた。被災地の再編が行われた。帰還困難区域は、1年間に50ミリミリシーベルト以上。居住制限区域は20〜50ミリシーベルト。避難指示解除準備区域が20ミリシーベルト以下である。福島原発事故前の国民が1年間に被曝が許容されるのは、1ミリシーベルト。
この数値はICRPでも認められている数値(1ミリシーベルト)である。
ところが福島原発事故後に日本政府が、子どもを許容値としたのは、20ミリシーベルトまでは住めますという国の基準を発表した。原発作業員の限度は1年間に50ミリシーベルト、5年間に100ミリシーベルト。福島県民は、原発作業員なみの放射能にさらされている。チェルノブイリ原発事故後7年間は1ミリシーベルトだった。ソ連が解体しウクライナやロシア、ベラルーシでのチェルノブイリ法は、避難の権利を提唱した。放射能にさらされたなら、国民は避難する権利をもつので、権利を行使することができ、公的サポートを受けられるということが、決められている。年間5ミリシーベルトの数値なら、強制避難となる。
福島では20ミリシーベルトまではそこに居住できる。なんという違いだろうか。
福島県郡山市の小中学生と保護者が、市に対して「集団疎開」を求めていた抗告審で仙台高裁は、仮処分申請は却下したものの、低線量被ばくの危険に日々さらされ将来的には健康被害が生じる恐れがあるとはっきり認めた。この裁判の一審は、年間100ミリシーベルトをも子どもたちに許容されるというものだっただけに高裁の危険判断ははるかにましといえる。国や県など行政の判断がきわめて重要である。福島県の健康調査では、17万人に12人の甲状腺がんの発生がわかった。通常は100万人に2人。民主党政権時に、細野豪志大臣は、年間20ミリシーベルトを5ミリシーベルトに下げるべきだと主張した。政府はそれを却
下した。
沖縄県では長い米軍基地の歴史がある。宜野湾市にある米軍基地を鳩山首相は、国外に移す、最低でも県外に移すことを県民に約束した。しかし、妨害する勢力のために、孤立無援となり辞職した。沖縄県民は、米軍基地を沖縄におしつけ続けたヤマトンチュー(本土)日本人に怒りをもたざるを得ない。 オスプレイ機は、墜落事故が多くアメリカでも問題になっている。そのオスプレイ機を沖縄に12機配備した。安倍首相は、辺野古にすみやかにすすめるとオバマ大統領に約束した。沖縄県民の心を完全に無視した。
日米安保条約を平和友好条約に転換するべきである。米軍基地を撤退して本土のヤマトンチューへの批判に応えることが必要である。
憲法違反の状況が福島にも沖縄にも見られ、憲法の外へおかれている。グローバル化の波は、規制を撤廃し、新自由主義や市場原理をすすめている。貧困下で若い世代が、正規雇用につけないでいる。日本の為政者は、人権保障の基準に従って、それらの問題を改正すべきである。憲法の原則を解体して九条を撤廃させようとしている。4月28日の「主権回復」式典もこれらの流れの中にあり、安¥倍政権は九条改憲国防軍設置を最大のねらいとしている。世論調査では、「9条を変えるべきではない」が多い。しかし質問があいまいだと「憲法を変えるべきだ」が多い。今の政府は、96条改憲をめざし、改憲を発議するための衆参両議院の3分の2以上の国会議員の賛成を過半数の賛成に変えようとしている。よく日本は憲法改定の発議のハードルが高すぎるという改憲派の声があるが、諸外国でもハードルは3分の2以上が多く、一般法の過半数の賛成という国はない。憲法は国家権力者をしばるためのものであり、この立憲主義を大切にしている。日本国憲法の権利を侵害し、憲法改悪の動きをぜひとめたい。
3,第14回コンサートの全体像
以下に第14回平和のためのコンサートのホームページやパンフレットで伝えられている詳細を簡潔に記す。
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第14回平和のためのコンサート
http://www.biohazards.jp/index-c.htm
2013年6月15日(土)午後2時 開演(1:30開場)
会場:牛込箪笥区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩10分
料金:2,200円(全席自由)
第一部〜講演〜
高橋哲哉
「犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える」
第二部〜コンサート〜
重唱 アンサンブルローゼ ピアノ=野本哲雄
村の娘(ラツァロ作曲)
モルダウの流れ(スメタナ作曲)、
懐かしのヴァージニア(ブランド作曲)
オーラ・リー(プールトン作曲) その他
ソプラノ : 岩淵裕子 高崎邦子 高橋順子
メゾ・ソプラノ : 水谷敦子 山田恵子
アルト : 芝田貞子 嶋田美佐子
アルプス音楽団 楽しいアルプスの世界にようこそ
狩人のポルカ、クフシュタインの歌 双頭の鷲の旗の下に
アルプホルン3重奏 雪のワルツ(クーグロッケン演奏)その他
竹田年志:トロンボーン 栗田真帆:メゾ・ソプラノ
藤井裕子:トランペット 浦松優子:アコーディオン
本間雅智:チューバ
みなさまとご一緒に 「青い空は」 小森香子詞 大西進曲
司会:長岡幸子
【主 催】平和のためのコンサート実行委員会
【後 援】アンサンブル・ローゼ ノーモア・ヒロシマコンサート
ストップ・ザ・バイオハザード 国立感染研究所の安全性を考える会
バイオハザード予防市民センター
【平和のためのコンサート実行委員会連絡先】
〒162-0052 東京都新宿区戸山1−18−6 芝田貞子
TEL&FAX:03−3209−9666 E-mail : snc66543@nifty.com
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(続く)