【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

芝田進午の平和思想を20年間追求し続けた人々の存在

2019-04-29 20:10:16 | 学問
~【平和のためのコンサート】は20年目を6月8日に迎える~
                          櫻井 智志


*〔この小論をまとめるに際して、2001年9月25日に初版が刊行された、芝田進午著三階徹・平川俊彦・平田哲男編『実践的唯物論への道/人類生存の哲学を求めて』(青木書店)が画期的に重要な参考文献となった。関係者に謝意を表してから執筆に入りたい。〕


 Ⅰ:おめでとう「平和のためのコンサート」20歳


一通の封書が届いた。見慣れた芝田貞子さんの毛筆の宛名書きの中に、『平和のためのコンサート』~第20回を記念して~と銘打ったコンサートを知らせる丁寧なチラシと手書きのご案内とが入っていた。

この20年の歳月は激動の20年だった。第1回コンサートは、逆算すると2000年に開催された。その5年前の1995年に東京で記念碑的な「被爆50周年ノーモア・ヒロシマ・コンサートが開催されている。1980年に広島と東京で「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」が開始し、1989年まで続けられた。広島のコンサートのほうが東京終了後も続けられたと聞いたことがある。1989年終了、1988年にはいわゆる芝田セミナーともいわれる社会科学研究セミナーも休止している。
 
実は1987年から、芝田進午氏は先生にとり「人生最大の闘争」と」位置付けられた「予研(後の感染研)闘争」が開始されて、その闘いは芝田先生が、闘いのさなか2001年に東京地裁が3月27日に不当判決を下す直前の3月14日に闘病し続けた胆管がんによってご逝去されるまで人生の最後までも続く闘いだった。芝田先生が亡くなられた後も、原告団と芝田先生のご遺族とは高裁、最高裁と闘いを継承されている。

この「平和のためのコンサート」も、予研・感染研裁判を担われた方々である「ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会」「バイオハザード予防市民センター」の方々、芝田進午氏の教え子や友人諸氏が応援されてきた。

そして、なによりも最大の推進役は芝田進午氏の奥様芝田貞子さんと自らもメンバーであるクラシック音楽グループの女性コーラス「アンサンブル・ローゼ」が毎回出演されている。芝田貞子さんの2人の息子さんと配偶者さらにそのお子さんたちも、芝田家ファミリーで支え続けられて、20回を迎える。

継続すること。持続すること。そのことが持つ重厚な重みを、この「平和のためのコンサート」を推進されてきた人々と、第2回には既に会場でお会いすることも叶わなかった芝田進午氏の遺志を継承されてこられた主催者の「平和の」ためのコンサート実行委員会と代表の芝田貞子さんの足跡は、言うはたやすくとも必死の困難の克服と集団的主体の協同そのものであったことと推察される。


Ⅱ:第20回平和のためのコンサート(引用・転載) 

2019年6月8日(土)午後1:00開場 午後1:30開演
料金 ¥2,200(全席自由)
会場:牛込箪笥(たんす)区民ホール  東京都新宿区内
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩10分
主催  平和のためのコンサート実行委員会
後援  アンサンブル・ローゼ   ノーモア・ヒロシマ・コンサート
    ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会
    バイオハザード予防市民センター
お問い合わせ TEL&FAX 03-3209-9666 芝田様方

“平和のためのコンサート”開催によせて

 記念すべき第20回目となる“平和のためのコンサート”を開催することとなりました。
私たちは平和を望みこのコンサートを開催してきましたが、残念ながら世界は平和から遠いように思います。
 日本では国民の生活に目を向けるこうじことなく、防衛費が増大し、アメリカから莫大な額の兵器を購入しようとしています。また、沖縄県民の強い反対があるにも関わらず、辺野古での基地建設が止まることはありません。また、安倍首相は自衛隊を憲法に明記して、憲法9条を骨抜きにしようとしています。加えて、他民族をあからさまに罵倒するヘイトスピーチも蔓延し、社会から寛容さが失われようとしています。私たちが希求してきた平和はどこへ行ってしまったのでしょうか。
 だからこそ私たちは、この“平和のためのコンサート”に集い、あらためて平和を望むことを確認したいと思います。
 第20回記念となる今年は音楽の演奏を充実させました。とりわけ、第一部を「平和への祈り」としました。被爆二世の死が語りと音楽によって歌われる「あの星はぼく」を演奏いたします。
 多くの方のご来場をお待ちしております。
2019年(核時代74年)
平和のためのコンサート実行委員会

プログラム
司会 長岡幸子

第一部 平和への祈り

語りと音楽による「あの星はぼく」被爆二世
詩:名越 操   作曲:木下航二  編曲:腰塚賢二
語り:河原田ヤスケ
歌:アンサンブル・ローゼ   ピアノ:末廣和史
  ソプラノ/池田孝子・斎藤みどり・高橋順子・渡辺裕子
  メゾ・ソプラノ/芝田貞子・嶋田美佐子・高崎邦子・水谷敦子

第二部
[チェロ独奏]佐藤智孝   ピアノ:児玉さや佳
サンサーンス「白鳥」 カザルス編曲「鳥の歌」 ショパン「ラルゴ」
[ヴァイオリン独奏]信田恭子    ピアノ:末廣和史
ラヴェル「ハバネラ形式の小品」 モンティ「チャールダーシュ」

[ロシア民謡とロシア文化]伊東」一郎 ロシア文学者  ピアノ:児玉さや佳
 歌
    「行商人」「行商人」「一週間」「黒い瞳」

[重唱]アンサンブル・ローゼ   ピアノ:末廣和史
「懐かしいロシア民謡」より
  カチューシャ・ともしび・赤いサラファン・百万本のバラ

シングアウト 「青い空は」    小森香子 詩/大西 進 曲
 



Ⅲ:平和と<芝田進午学>復権と

芝田進午氏は、生前に『人間性と人格の理論』を当初考えていた書名『人間性と人格と個性の理論』に変えて内容も、歴史の変遷と展開に対応するいっそうの理論的発展を反映させた改訂版を完成させたいと強く願っていた。
理論的発展のために避けられない諸問題をはじめ、崩壊したソ連や東欧など「社会主義」をどう評価するか、大工業理論をどのように発展させるべきか、「市民社会」「民主主義」「民主集中制」などの問題、そして「共産主義」という訳語の問題にいたるまで。広範な改訂を具体的に構想していた。
 また、『双書・現代の精神的労働』の完結も何度も口にしていた。芝田進午氏は、1962年に三一書房から『現代の精神的労働』を出版し増補版を1966年に出している。それ自体が総括的なまとまりをもっている。さらに全6巻にわたる『双書・現代の精神的労働』(青木書店)を責任編集として構想した。
第1巻 科学的労働の理論
第2巻 組織的労働の理論
第3巻 教育労働の理論   1975年刊行
第4巻 医療労働の理論   1976年刊行
第5巻 公務労働の理論   1977年刊行
第6巻 芸術的労働の理論 上 芸術的労働の社会学 1983年刊行
             下 芸術的創造の理論  1984年刊行
ここで、芝田氏が「完結」を強く念願していたのは、上記の第1巻、第2巻を指している。三一書房版を参照すると、科学的労働とは、科学労働者・科学者や技術労働者・技術者のような仕事の現代置かれている労働の形態を指す。組織的労働とは、新聞労働や放送労働のような領域に包含される労働を指している。

さらに、氏は、1980年に『教育をになう人びとー学校教職員と現代民主主義―』(青木書店)で教育現場で働く実際の仕事に目を」むけ、1983年には有斐閣から『現場からの職業案内―学生諸君!君たちはどう生きるか』を出版、サラリーマン、公務員、ジャーナリスト、教師、技術者、医師などの労働を就職する学生向けの参考となるように、それぞれの専門家からの案内として、精神的労働を伝えている。また、旬報社(当時は労働旬報社)から『協同組合で働くこと』を1987年に出版されている。

良心的学者として、想いを果たさずにいたが、そこに緊急の課題が発生したからだ。芝田進午氏にとり生涯最大の実践的課題となった。早大など教育施設・福祉施設がある新宿区の居住地に、国立予研(改名して感染研)の住宅密集地へ移転を強行し、反対運動の声も無視して実験を開始した。もたらす問題の重大さを見抜き、究極は国家権力を背景にもつ相手に反対運動を継続することが、簡単ではない取り組みであると考え、当初のライフワークも終えぬまま、芝田進午氏は反バイオハザード闘争に取り組み、病いで斃れた。

芝田氏は、反核運動にも生涯の多くを費やした。時代の趨勢で運動には盛り上がるときもあれば、下火の時期もある。『現代の課題 核兵器廃絶のために』(1978年)、『核時代Ⅰ 思想と展望』(1987年)『核時代 Ⅱ    文化と芸術』(1987年)を考察し研究しながら、ノーモア・ヒロシマ・コンサートで文化運動を実践し続けた。

その遺志を20年間も継続し実践し続けてきた。そのような芝田進午の思想と文化論をたゆまず大切にされてきた、この『平和のためのコンサート』とは、そのような意義をもつコンサートである。
百科全書派のように広範な領域に及ぶ実践的知識人である芝田進午の学問として思想を、仮に<芝田進午学>
<芝田学>と呼ぶならば、現在日本こそ<芝田進午学>が多くの民衆に伝承されることが求められている「危機と危機を克服した後の希望の時代」と言えよう。

―了― 2019(核時代74)4.29