【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

第17回平和のためのコンサートの新鮮な感動 〜2016年(核時代71年)6月18日 〜

2016-06-26 09:01:42 | 政治・文化・社会評論
第17回平和のためのコンサートの新鮮な感動
〜2016年(核時代71年)6月18日 〜

               櫻井 智志


 例年報告の大半を第一部の「講演」に大きく割いてきた。今回も鷹巣直美さんと石垣義昭さんの「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の講演は興味深いものがあり、なかでも提唱者の鷹巣直美さんのパワーポイントを使いながらの講演からは、斬新な内容を含み、なぜノーベル平和賞の受賞者を「日本国民」としたのか、そこに深い見識が感じられ、大いに示唆を受けた。また高校教師であった石垣義昭さんの講演のなかで堤未果さんやSEALDsで大活躍している奥田愛基さんと学校教育との洞察は、現在日本の学校教育の根本に迫る内容も一緒になされ、大いに参考となった。

 今回は、第二部のコンサートそのものについて今まであまり報告してこなかったので、そちらを主に報告したい。

①重唱 アンサンブル・ローゼ
ビアノ:末廣和史さん

 アンサンブル・ローゼは、七人の女性ボーカリストから構成される。
ソプラノが、池田孝子さん、高橋順子さん、渡辺裕子さんである。メゾ・ソプラノが、芝田貞子さん、高橋邦子さん。アルトが嶋田美佐子さんである。
 今回は「待ちぼうけ」「野の羊」「この道」「浜辺の歌」の四曲を歌った。日本のうたをしっとりと聴かせる。歌が途中で転調する歌があった。澄み切ったハーモニーは変わらず、このグループの歌唱力がもつ声楽としての水準の高さを感じさせる。毎回さまざまなバラエテイの楽曲をこなし、洋楽やクラシックの歌唱の時もあったが、実に多彩などんな楽曲も「うたのこころ」をしみじみと響かせて共感を感じさせてくれる。
 ピアノの末廣さんは今までにも加わっていて、重唱の効果をよく高めていて聴き心地がよい。

②チェロ独奏 佐藤智孝さん
ピアノ:児玉さや佳さん

 プログラムには、「メネエット ト長調」(ベートーヴェン作曲)、「ムーア人の踊り」(ファリャ作曲)が記載されている。私のメモでは三曲と記されている。もう一曲の題名はわからないが、深いチェロの響きと伴奏のピアノとのコラボレーハョンが見事である。チェロのしみじみとした味わいをピアノの演奏が重厚な立体感を醸し出している。

③バリトン独唱 奥村泰憲さん
ピアノ:外林由貴子さん

 歌劇「はだしのゲン」から”麦のように強くなれ”(保科 洋作曲)、「音頭の船頭歌」(広島県民謡)、歌劇「悪魔の壁」から"一人の美しい女性が”(スメタナ作曲)の三曲。曲想や種類が三曲とも異なるけれども、どの曲も音楽的に高いレベルとして演奏されていた。民謡、クラシックなど歌い手にとっては異質な楽曲であうるけれども、ひとつひとつの歌唱がピアノとよ
く共鳴しあっていて、バリトンとピアノのコンビネーションがよく合っている。


【感想】
 ノーモア・ヒロシマ・コンサートを含めて、平和のためのコンサートは、芝田進午先生の「反核文化としての音楽」を実に豊かに体現化してきた。17回の平和のためのコンサートのすべて、ノーモア・ヒロシマ・コンサート(広島と東京)の東京都新宿区朝日生命ホールのコンサートのほとんどを聴いてきた。私の故郷には群馬交響楽団が昔からあって、群馬県内の平地・山間部を問わず広く小中学校の講堂や体育館で公演を行ってきた。そのことが、子どもたちの感性に一定の影響を及ぼしてきた。

 この「平和のためのコンサート」も、広くおだやかで豊かな感覚と反核文化の普及に努めている。とくに派手なコンサートではないが、毎回持続して17年間も続いてきたことに、驚きと主催者への尊敬を覚える。
 芝田進午・貞子ご夫妻と二人の息子さんご夫婦などのご家族がその担い手である。さらに芝田進午先生が生涯の最後にとり組んだ新宿区の住宅街・早稲田大学などのある文教地区に移転と実験を強行した国立感染研(旧国立予研)に対する実験強行差し止め裁判闘争をともに闘った人々や芝田先生の法政大学・広島大学・民間の芝田ゼミなどの教え子たち、さらに芝田貞子先生もメンバーのアンサンブル・ローゼの関係者たちのコンサート開催の実務支援は重要な意義をもつ。
 このコンサートが平和と反核文化に国民に与える影響は大きい。過去にピートシーガーや美輪明宏さん、葦原邦子さんなども無料で賛助出演なされている。このコンサートの出演者は、確か無料出演と聴いたことがある。コンサート自体が、出演者・開催者・聴衆の三位一体となって、日本と世界の平和と平和文化に貢献している。
 そして、第1部の講演「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みが、世間的な噂よりももっと深く「戦争を阻止し平和な社会」を形成する運動として深い意義をもっていることを、コンサート参加者に正確に知らせている。
 第1部、第2部あいまって、「平和」を感じ考えさせてくれる。このコンサートの意義は、コンサート会場に出かけた人々を通して、広く深く社会に伝わっていってほしい重要な文化的社会的実践である。

三宅洋平が帰ってきた

2016-06-22 21:46:48 | 転載と私見
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私は忘れていない、吉良佳子さん、山本太郎さんを当選させた参院選東京地方区で
当選はしていないがお二人以上の候補者が、緑の党トップで総得票が少ないため
比例区候補の中で全国落選者トップの得票を得た男がいたことを。
その男が東京選挙区シーンに無所属候補として帰ってきた。
その名を【三宅洋平】という。
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【孫崎享のつぶやき】

参議院選挙、東京選挙区、三宅洋平氏はどうなるのか。田中龍作氏の記事を転載

2016-06-21 21:072


私はかつて三宅洋平氏が企画するTPP反対の渋谷での集会に出掛けたが、市民レベルの動員ではTPP反対で最も大きい物だったのでないか。

その動員力に驚いた。若者が集結しているのである。

 三宅洋平氏はこれまで選挙に投票しなかったような人々を投票所に導くのでないか。

≪東京選挙区≫ 三宅洋平陣営 民進党しのぐ組織力(田中龍作ジャーナル)を転載する。

(http://tanakaryusaku.jp/2016/06/00013873

2016年6月21日 00:26 田中龍作ジャーナル、阿修羅掲載

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権力にとって不都合な男が、もう一人増えるかもしれない。参院選に出馬するミュージシャンの三宅洋平(無所属・37歳)が当選に向けて勢いづいているのだ。

三宅の選挙事務所(渋谷区)を覗いて驚いた。東京都内の全区市町村、さらには島しょ部まで「花マル」が付いていた。

「(花マルは)選挙公示日(22日)に掲示板にポスターを貼る人の手配がついている地区です」と選挙事務所スタッフは説明した。

つまり三宅洋平陣営は公示日に都内の全区市町村と島しょ部にポスターを貼れるのである。作業をするのはボランティアだ。

民進党は「労働組合に頼らなければポスター貼りができない」と言われる。

公示日のポスター貼りは組織力を計る目安となる。三宅陣営は民進党を上回る「自前の組織力」を持っていることになるのだ。

組織力は集票力でもある。三宅が民進党の小川敏夫を上回る票を獲得しても いっこうに おかしくないのだ。

前回(2013年)の参院選で山本太郎選対に入っていた有力スタッフが今回、三宅選対を手伝う。

そのうちの一人は「(三宅の)勢いは山本の選挙以上」と話す。「政策は太郎さん以上ですよ」とまで言った。

昨夏の安保国会で山本は安倍政権を追い詰めた。山本を上回る政策を持っているというのだから、三宅は相当に勉強したのだろう。

「自民党もびっくり、マスコミもびっくり。選挙に行ったことがないアイツが選挙に行ったんだってさ。そんな選挙にしたい」- 渋谷ハチ公前で行われた立候補記者会見(14日)で三宅は抱負を語っていた。

「自民党もびっくり、マスコミもびっくり。三宅洋平が当選したんだってさ」。開票日(7月10日)の夜は、こんなフレーズが日本中で飛び交うかもしれない。

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沖縄の真実を語る作家・大城立裕さんにまなぶ感銘

2016-06-08 22:39:32 | 政治・文化・社会評論
沖縄の真実を語る作家・大城立裕さんにまなぶ感銘
                 櫻井 智志

「前置き」
きょうの東京新聞の朝刊社会面で、注目する記事が掲載されていた。
しかし、東京新聞webは予想どおり、この記事が「多く人に読まれない」措置を講じた。
それも正当な新聞営利事業の一環であるし、本来新聞記事の転載は掲載しないのがルールであるとは思っている。
ただ、東京新聞社に比べて、東京新聞webインターネット事業は、あくまで個人的な印象だが、一歩ひいていると感じてきた。
同じ記事でも、新聞記事本体に比べて、インターネット記事は、グローバルに伝播するものであるから、当然のことかもしれない。
「web記事」
【東京新聞】
ここから本文
【核心】
ヤマトゥに分かってほしい 「沖縄の思い」語る 芥川賞作家・大城立裕さん
2016年6月8日

 沖縄県議選で名護市辺野古(へのこ)への米軍新基地建設に反対する翁長雄志(おながたけし)知事派が勝利した。それはヤマトゥ(本土)から受ける「構造的差別」への抵抗にほかならないと、沖縄初の芥川賞作家、大城立裕(おおしろたつひろ)さん(90)は語る。「沖縄の人は強くなった。沖縄の心をヤマトゥの人々が理解してくれないなら、日本政府だけでなく、ヤマ
トゥの国民からも離れていく」と警告する。 (聞き手 編集委員・佐藤直子)

【こちらは記事の前文です】
記事全文をご覧になりたい方は、東京新聞朝刊をご利用ください。
東京新聞は、関東エリアの駅売店、コンビニエンスストアなどでお求めいただけます。
「東京新聞電子版」なら全国どこでも、また海外でも、記事全文が紙面ビューアーでご覧いただけます。
ホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ
しかたない、視写します。東京新聞がそれだけ広く読まれて、権力からの抑圧を防御する本音だとしたら、転載拡散は新聞社のポリシーを無視することになるので、《以下転載禁止》で閲覧で我慢なさってください。しょっちゅう東京新聞に御世話になっているので、道理は新聞社側にあります。なお、私は電子版を申し込み三カ月購読しましたが、新聞と同じ内容を重複し、コピー&ペーストもできない仕様となっているので、電子版だけやめました。「日刊ゲンダイ」は電子版を購読して、大いに参考となっています。なお、きょうから私は情報運搬屋はやめて、自らの思考を発酵させるサイトをめざしたいと考えています。
ここの読者は、それを期待してはいないかも知れません。しかし、追い風が吹いている現在がもっとも危険な情勢です。仕掛けや謀略、でっち上げやフレームアップなどで、一気に逆転し、管理全体主義、いわゆるファシズムの社会が到来することに、私は最も注意をはらい、日本社会の社会的システムや個々人の内面的熟成をめざすべきと考えているのです。
ホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ
第一章 大城立裕さん、佐藤直子編集委員のインタビューに伝えた言葉
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本 土
ヤマトゥに分かってほしい
根底に構造的差別/治外法権の地位協定
「沖縄の思い」語る   芥川賞作家 大城立裕さん

おおしろ・たつひろ  1925年生まれ
1943年、上海の東亜同文書院大学入学。戦後は米軍通訳、教員を経て琉球政府、沖縄県庁に勤務しながら執筆を展開。
「普天間よ」「小説 琉球処分」など小説や戯曲、エッセーを多数発表。1967年「カクテル・パーティー」で沖縄発の芥川賞、2015年「レールの向こう」で川端康成文学賞を受賞。
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第一節【追随せぬ】
 県議選は、従来とは違う「新しい形の革新の姿」を示した。翁長知事を支える共産や社民などの県政与党議席が増えたのは、米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設を大義にして、辺野古にごり押しする日本政府に従っておれんという度々の意思表明です。
 日米安保条約と日米地位協定という体制の中で、沖縄の米軍基地は政治的な構造的差別の最たるもの。元海兵隊員の軍属が女性の遺体を遺棄した事件も、この構造の中で生み出された。
 戦後、米軍犯罪に苦しめられてきた県民は「基地はいらない」と訴えている。だが、日本政府は「辺野古移設が唯一の解決策」と繰り返し、普天間と辺野古の間に本来あるべき「県外移設」という選択肢に触れない。日米安保のために米軍基地が必要なら、他の都道府県にも分散させるべきだが、沖縄だけに泣いてもらおうとはね、構造的差別です。

第二節【総仕上げ】
 基地の恩恵は確かにある。軍用地料などね。だが、基地の受け入れとは別次元の問題だ。基地が恩恵をもたらすだけなら他の県も受け入れているはず。
「基地収入があるでしょ」
と責任を逃れるのは、意識しない構造的差別です。
 歴史を振り返ると、沖縄県民は好んで日本国民になったわけではない。独自の文化と外交を持つ琉球という独立国を明治政府が滅ぼしたのは一八七九年、政府は「琉球処分」と呼んだ。
 沖縄はそれから、差別に抵抗するよりも、「日本人」として認められようとした。沖縄戦での県民の戦いも同化を求める精神構造の中で起きた。戦後も独立した日本から切り離され、米軍と泥沼のような軍用地闘争をしていましたよ。
 この治外法権と抑圧から解放されるために、県民は、基本的人権を保障した日本国憲法の下に復帰するしかないと考えた。戦後の私は戦争の反省から、もう日本人として生きていかなくていいと疑ったが、治外法権からの解放という一点で支持した。でも、また裏切られ、[日米地位協定という]治外法権は残った。
 「朝三暮四」という言葉がありますよね。話がいつの間にかすり替えられて、結局は同じだと。沖縄では「いぬむんとーいぬむん」(同じものは同じもの)というんだが、辺野古の問題はまさにそう。危険な普天間を引き揚げるような顔をして、違う所に新しい基地を建設するんだからね。
 本土防衛の捨て石にした沖縄戦への反省もなく、日本政府は相変わらず沖縄を軍事的植民地のように利用し続ける。辺野古への新基準建設はその治外法権の拡大解釈であって、琉球処分の総仕上げだと私は思う。

第三節【異化志向】
 袋小路に陥った構造的差別を解消するには、ヤマトゥの人々に自己批判を伴う議論こそしてほしい。沖縄に基地が必要というが、他国から侵略の可能性はどの程度あるのか、新基地を建設し、海兵隊を置くことがテロや侵略への抑止力になるのか。今はその議論が何一つ示されていない。
 沖縄にはも琉球国以来の文化と民族のアイデンテイティーが残っています。構造的差別に対して、本土の人たちが理解を示してくれないのなら、沖縄は自らのアイデンテイテイーを守るために、日本政府だけでなく、ヤマトゥの人とも反目してしまう恐れがある。
 「独立論」とか「自己決定権」というような論議が沖縄では日々盛んです。日本への「同化」とは逆の「異化志向」の爆発的高まりですよ。
 構造的差別をはね返そうとする沖縄の抵抗は辺野古の闘いに収れんされた。沖縄は同化志向から脱した。異化志向で強くなった。本当に強くなりました。

第二章  沖縄タイムスの社説・オピニオン
第一節  蝶になったRINAさんへ ~元米兵死体遺棄事件の衝撃~
2016年5月31日 14:00
三上 智恵(みかみ ちえ)
映画監督、ジャーナリスト
1964年、東京都出身。成城大学文芸学部文化史学科卒。毎日放送、琉球朝日放送アナウンサーを経て、現在は映画監督、ジャーナリストとして活躍。女性放送者懇談会「放送ウーマン賞」(2010年)。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』がギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞など18の賞を受賞。2015年に映画『戦場ぬ止み』を公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)。
うりずんの 島の空 高く
黒い蝶が舞い 消えていった
緑豊かな やんばるに育まれ
愛をいっぱい浴びて 笑って 周りを照らして
そして 愛を確かめあった人と
命をあわせて 命を生み出し
愛のバトンを渡していく はずだった
その命のリレーは 唐突に終わった
20歳の光り輝く日に
彼女の残した笑顔が
あまりに愛らしかったので
天の神さまは
舞い上がる蝶の 最後の記憶を 消した
愛の詰まった地上の記憶
それだけを持って
黒い蝶は 天に迎えられた
神さまは
蝶の最後の記憶を
黒い粉にして
おろかな国の民
すべての頭の上に
まんべんなく 降らせた
そして
光り輝く季節を終わらせ
島の人々が 心置きなく泣けるよう
黒い雲で覆った
 今年3月に米兵が那覇で起こしたレイプ事件について、この連載(「三上智恵の沖縄撮影日記<辺野古・高江>」)の第45回で文章を書いた。あまりに五臓六腑を絞るように言葉を手繰り寄せて書いたせいか、その後具合が悪くなった。だから、軍隊と暴力とレイプの関係や、沖縄が70年も他府県と違ういびつな社会構造の中、告発する声さえ押し殺してきたことや、守れなかった島の男性たちの心をも壊すものであることや、そんなことはもう書きたくない。できればこの事件についてなにも書きたくない。事件の詳細は他でみて欲しい。ウォーキングをしていたら元海兵隊の男に突如棒で殴られ、性の捌け口にされて草むらに遺棄された。ここまで言葉を並べるにも、息を削るように不自然な呼吸になってしまう。このことについては冷静でいられない。
 5月22日の日曜は 米軍司令部の前で緊急追悼集会が開かれた。怒り悲しむ沖縄の女性たちの呼びかけに応じて、黒か白の服を着た人の列が道の両側を埋め尽くした。シュプレヒコールもなく、マイクで叫ぶこともなく、静かに葬列のように歩きながら満身の怒りをこめて「全基地撤去」を求めた。
 「謝罪と再発防止」はもういい。今回はみなそう口をそろえる。「綱紀粛正・オフリミット」。それで何も変わらなかった。事件事故の度にそんなごまかしで中途半端に抗議の拳をおろしてきた自分たちが、何よりも呪わしいのだ。殺人・レイプ・放火など米軍の凶悪事件だけで500件を超える。もしも過去のどこかで徹底的に抵抗して基地を島から追い出していたら、彼女の人生は続いていたのだ。
 敗戦と占領で、他国の軍隊との共存を余儀なくされた。でも70年もその状況を甘んじて受け入れ、変え切れなかったのはだれか。私もそのうちの50年、少なくとも大人になってからの30年の責任からは免れない。新たな犠牲が出るまでこの状況を放置したのは、私。変え切れなかったのは私だ。
 沖縄に住む大人たちだけの責任ではない。戦争をしないといいながら、よその国の武力に守ってもらうことの矛盾には向き合わず、彼らの暴力を見て見ぬフリをしてきた国民全員が加害性について考えてみるべきだ。「安全保障には犠牲が伴う」などという言説に疑問も持たずに、武力組織を支え、量産される罪を許し、予測できた犠牲を放置した。彼女を殺したのは元海兵隊の、心を病んだ兵士かもしれない。が、彼女を殺させたのは無力な私であり、何もしなかったあなただ。
 米軍の凶悪犯罪をもうこれで本当に最後にしたい。あらゆる対策は無効だった。どうすればよいか? すべての米軍に出て行ってもらうしかない。
「いくらなんでもそれはちょっと…」と言いながら、解決策も提示せず、動かずにいる人は、次に起きる凶悪事件の無意識の共犯者だ。
 「なぜね、命まで奪ったの? と犯人にいいたい」
 喪服を着て車椅子に乗ったまま、文子おばあは泣いた。
 「凍りついたようになって、何も言えないよ」
 シールズ琉球のメンバーとして基地問題に体当たりし、座り込み、声を上げてきた大学生の玉城愛さん。同年代の女性が暴力の末に草むらに捨てられていた事実を受け止めきれない、話せませんと、メディアのインタビューを辞退していた。
 「1995年の暴行事件は学んで、理解し、受け止めているつもりだった。でも当事まだ1歳で本当にはわかっていなかった。こんな私が人の前で言葉を発していいのか」
 混乱する彼女に、沖縄の20代の声を代弁してもらいたいと殺到するマスコミの群れ。両者の気持ちがわかるが痛々しい場面だった。
 高江のゲンさん一家は家族みんなで集会に来ていた。ゲンさんは前夜、一人でもゲートを封鎖しに行くといって、夜中の北部訓練場ゲートに向かったという。震えるような怒りでいっぱいのゲンさんたちは、翌日から本当に行動に出た。それは動画を見てほしい。
 1997年の市民投票のときからずっと辺野古の基地建設に反対してきた、瀬嵩に住む渡具知さん一家も親子で駆けつけていた。ちかこさんと私はこの20年、お互いにどれだけ基地のことで頑張ってきたか知ってるだけに、悔しくて情けなくて2人で泣いた。
 大学生になった武龍くんが言った。
 「むかし、妹が早朝にランニングしたいといったけど、家族全部で反対したんですよ。シュワブの兵士も走っているから、と。その時はちょっと神経質かな、と思ったけど、やっぱりこれが現実なんだと。散歩も、ランニングもできない。異常ですよ」
 この息子に基地だらけの島をプレゼントしたくない。そう思って渡具知さんご夫婦は自分たちなりの反対運動を始めたのだった。その息子が大学生になり、彼と同世代の女性が元米兵の狂気の犠牲になった。この家族が歩んだ20年を思っても、やりきれない。
 基地に苦しめられ、声をあげてきた方々と一緒に、こんな日を、さらに苦しくなるような日を共に迎えるなんて、私もどの人と話をしていても涙腺が決壊、まともにインタビューもできなかった。それはあのオスプレイがきた2012年10月1日と同じだった。1995年の少女暴行事件、その少女の受けた苦しみを無駄にすまいと頑張ってきたこの20年の日々は、これでもか、これでもかと打ち砕かれる。
 しかし、今回の怒りはどこまで広がるかわからない。先週末から辺野古では「殺人鬼は出さない」とゲート前に立ちはだかっているし、高江でも少人数ながら車と横断幕で米兵の出入り口をふさいだ。ゲンさんたちは北部訓練場に入る民間の作業車は入れようとしたが、米軍車両が引かないために通れず、渋滞ができた。でも作業車の人たちにその事情を説明したせいか、足止めになってつらいはずの運転手たちも「仕方ない。同じ県民だからわかるよ」と答えてくれた。
 沖縄県警もこの事件については思うところも多いのだろう。座り込みに対する対応も手荒ではなく、辛そうな表情をにじませる人もいた。今まで米軍基地に対して肯定的だった人や無関心だった人も、今回だけは許せないと動き出している。大規模な県民大会も6月19日と決まったが、今回は県民大会でガス抜きをするなどという形では収まらないだろう。
 20歳の輝く日に突然未来を奪われた彼女の苦しみを引き受けよう。そして肉親や友人らが抱えて行く二度と晴れない空を思って震えながら、いつか彼女が生まれてきた意味をみんなで肯定できる日を迎えるために、前に進むしかない。陳腐な怒りも、涙も、意気消沈も、責任のなすりあいも、彼女のためにならない。次の犠牲者のためにならないのだ。
 周囲の人たちの言葉から、愛に溢れて生きていた彼女のまさに花開こうとしていた未来を思う。それが閉ざされた。特に最後の数時間は彼女の人生にふさわしくないので、記憶ごと地上に置いていってもらおう。私たちが引き受けますから、光り輝く記憶だけを持って軽やかに天を目指してください。尊い使命を帯びたあなたの魂を、天がきっと癒すでしょう。そしてあなたが残した波紋が島を守る力になって、ついに暴力を払拭する日が来るはずです。みんなで頑張りますから、楽しみに見守っていてください。(初出:「マガジン9」)

第二節  【金平茂紀の新・ワジワジー通信(15)】オバマ大統領 沖縄訪問を 変わらぬ理不尽 悲劇再び
2016年5月26日 11:02
金平茂紀(かねひらしげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。
 よくよく考えてみると、異常だし、決して通常ではないし、正当な理由が見当たらない理不尽きわまりない状態であっても、それがあまりにも長く続いてしまうと、そのこと自体にしだいに感応しなくなり、ああこれが普通のことなんだという麻痺(まひ)状態に陥るのが私たち人間の悲しい性(さが)だ。

 たとえば、百年ほどの近現代の歴史を振り返ってみても、いわゆる先進国においてさえ、女性に参政権が認められていなかったり、人種差別が制度化され、有色人種が入れないレストランや、黒人が乗れないバスや列車があったりした。さらには、奴隷制が当たり前のように存在していたり、植民地が世界各地にあって、宗主国の人間たちが、植民地の人間たちを「二等国民」扱いするような差別的な振る舞いを当たり前のように行っていた。

 インド独立の父と言われるガンジーは若い頃、南アフリカの駅で乗車券を購入し、列車の1等席に乗車しようとしたら、駅員につまみ出され、荷物もろともホームに放り出された経験があった。1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会の「学術人類館」で、異民族のサンプルということで「琉球人」が生きたまま展示されていた。これらは今からみれば随分と異常なことである。だが一定の時間続くとそれが普通になる。

 それで問いかけてみる。そもそもアメリカという国は、21世紀の今に至るまで、何だって自分の国の外の、別の国々の領土に軍事基地を持っているのか? なぜそれが当たり前のようなことになっているのか? それを今の日本という国でみたとき、なぜ独立国である自分たちの国の領土に外国の軍の基地が当たり前のように居すわっているのか? 僕らはそれをなぜ当たり前のように受け入れているのか? 

 ウオーキングをしていた沖縄の20歳の女性が、見ず知らずの男に、いきなり襲われ、凌辱(りょうじょく)され、殺害され、その遺体を雑木林に捨て去られるむごい出来事が起きた。発見された遺体は損傷が激しく言葉を失うような状態だったという。

 その男は、沖縄に当たり前のように居すわっている米軍事基地の海兵隊員だった男で、今は除隊して軍の基地内で軍属として働いているアメリカ人だった。逮捕連行される際のテレビ映像をみると黒人兵だったことがわかる。どのような人生の来歴を、アメリカや海外の戦場でたどってきた人物なのだろうか。被害者の無惨(むざん)な遺体が見つかった場所に足を運んだ。鬱蒼(うっそう)とした恩納村の森があった。こんなところに捨てられていたのか。言葉にできない感情に支配された。「基地がなければこんなむごい出来事は起こらなかった」というのは論理的に正しい。

 実は、僕は1995年に沖縄で起きたもうひとつの悲しい事件のことを思い出していた。あれも実にむごい出来事だった。日米地位協定でまもられた海兵隊員3人の身柄を米軍当局は沖縄県警に引き渡そうとしなかった。沖縄県民の怒りは沸点に達して、8万5千人の県民抗議集会が開催された日に、当時、普天間高校3年生だった女性が次のように訴えた。「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な沖縄を返してください」

 その訴えから21年。一体何が変わったというのだ。日米地位協定はどうだ? あの95年の事件が直接的なきっかけになって、普天間基地の返還を、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が合意して大々的に記者会見したのは翌96年のことだった。けれども、あれだって冷徹に考えてみれば、沖縄県民の反米感情・反基地感情を押さえこむために、当時の橋本内閣が、大田昌秀県知事らが策定していた「基地返還アクションプログラム」の最優先項目を借用しただけのことだったのではないか?

 世界一危険な米軍基地・普天間の移転が「はじめにありき」というのはウソである。1995年の出来事があって、沖縄県民の怒りの声をおそれたからあのような「成果」が必要だったのだ。

 先週、訪米した翁長雄志沖縄県知事と会談したモンデール氏は、その当時のいきさつについて本紙の取材に対し「ハシモトが電話で『普天間を閉鎖したい。手助けしてくれないか』と聞いてきた。その日の午後にペリー国防長官に電話で打診したところ『よし、やろう』と言ってくれた。2日間で大枠をまとめた」と証言したそうだ。橋本首相の言葉には「移設」の言葉は見当たらない。だとすれば、辺野古に新基地をつくらせようとしている真の主人公は誰なのか。もうそろそろ気づいてもいい頃だろう。

 伊勢志摩サミットと、それに続くオバマ大統領の歴史的な「広島訪問」を前に、今度の出来事は「最悪のタイミング」で起きたと評論するコメンテーターや記事にこれでもかというほど接した。何とも言えない不快感がこみ上げてくる。これらの人々にとっては、政治日程をそつなくこなすことの方が、ひとりの人間の生命が理不尽に奪われたことの意味を考えることよりもはるかに重要だと言わんばかりだ。

 かつて沖縄サミットの際に平和祈念公園を訪れたビル・クリントン大統領(当時)は、沖縄のことを「太平洋の要石」とさらりと言ってのけた。その「要石」の立場を強いられている沖縄の社会で、どのような出来事が起きているのかに微塵(みじん)たりとも想像力も働かせまいとするチカラが働いているかのようだ。オバマ米大統領は、何も個人的な遺産づくりのために広島を訪問するのではあるまい。広島と同じ比重で、もうひとつの不条理の地、沖縄をいつの日か訪問されてはいかがか?

 そのためには、沖縄の置かれている理不尽な状況について、僕らはもっともっとアメリカに伝えなければならない。あなたの国の軍事基地は沖縄の地元の人々からは、もはやのぞまれていないのだ、と。(2016年5月25日付 沖縄タイムス文化面から転載)
弟三節  沖縄タイムスの社説
社説[与党が過半数堅持]基地への拒否感根強く
2016年6月6日 05:00 社説 沖縄県議選2016 注目
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 2014年12月に就任した翁長県政の「中間評価」と位置付けられた県議選。結果は辺野古新基地建設でぶれない翁長雄志知事の姿勢を後押しするものだった。
» 翁長知事支える与党が過半数維持 沖縄県議選
 任期満了に伴う第12回県議会議員選挙(定数48)は5日投開票され、翁長知事を支える県政与党が引き続き過半数を堅持した。
 改選前の議席数(欠員2)は46議席で、議長を除き与党が23議席、野党・中立が22議席だった。与党は各選挙区で善戦し改選前の議席に上積みした。
 政府と対峙(たいじ)する翁長知事にとって、県議会の後ろ盾を得た意義は大きい。14年の名護市長選、県知事選、衆院選で示された県内潮流が大本では変わっていないことをあらためて裏付けた。
 女性遺体遺棄事件が起き、反基地感情が高まる中、与党側は辺野古新基地建設に明確に反対を表明。野党側は辺野古を含むあらゆる可能性を追求するとし、争点ぼかしの「あいまい戦術」をとった。宜野湾市長選のときの戦術を踏襲したのである。
 米軍の綱紀粛正と再発防止策に実効性がなく、日本政府が決めた応急対策にも県民から疑問が噴出した。
 投開票前日には米海軍二等兵曹の女が酒酔い運転で国道58号を逆走し車両2台と衝突する事故が発生、道交法違反容疑で現行犯逮捕された。相次ぐ事件・事故の発生によって県民の怒りはかつてないほど高まっており、それが選挙結果に影響したものとみられる。
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 今回の県議選については与野党とも、7月10日投開票の参院選の前哨戦と位置付け、重視していた。
 翁長知事は告示前から候補者選考の調整に主導的に関わった。名護市区と宮古島市区では与党候補者の新旧交代を果たした。
 告示後も、当落線上にいると判断した候補者に対しては選挙区に複数回入るなど、強力に後押しした。
 自民党も国政並みの取り組みをした。テレビ、ラジオCMで経済振興や雇用対策を訴えた。
 子どもの貧困や待機児童問題などについては与野党が共通して訴え、有権者の関心も高かった。
 宜野湾市長選で敗北した「オール沖縄」陣営は県議選に勝利したことでその勢いを参院選につなぐ構え。過半数を制することができなかった野党は参院選に向け、取り組みの見直しを迫られることになりそうだ。
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 投票率は53・31%。前回12年の52・49%に比べ0・82ポイント上回ったことになる。
 復帰後の県議選で投票率が最も高かったのは1976年の82・28%。その後も70~80%台の高い投票率を維持してきたが、92年から毎回のように低下し続けた。
 今回の上昇をもって長期低下傾向に歯止めがかかったと判断するのは早計だ。
 新しい議会は「政策形成」「執行部監視」の機能を高め、住民との対話や情報公開などを通して住民との距離を縮めてもらいたい。投票率の低迷に議会上げて本腰で取り組むときだ。
(*いつも琉球新報の記事を掲載してばかりいるので、今回は沖縄タイムスを典型として転載させていただきました、)
第三章   毅然と抵抗を貫く沖縄県知事 翁長雄志氏の想いをご著作に訪ねる

第一節  翁長雄志のプロフィール(角川書店の解説転記)
 翁長雄志著『戦う民意』
2015年12月15日初版発行。角川書店刊。
翁長雄志 おなが・たけし/沖縄県知事
1950年、沖縄県那覇市生まれ。父は琉球政府立法院議員や真和志市長、兄は沖縄県副知事を務めるなど保守政治家の一家に育つ。1975年、法政大学法学部法律学科卒業。85年より那覇市議会議員を2期、沖縄県議会議員を2期務めた後、2000年、那覇市長となり以後4期務め、行財政改革や環境問題などで大きな実績を上げる。2014年10月、オール沖縄で「米軍普天間飛行場の辺野古移設反対」を訴えて沖縄県知事選挙に立候補。前職の仲井眞弘多氏を10万票の大差で破り、同年12月に第7代沖縄県知事に就任した。政府と粘り強く交渉を続ける一方、日本の知事として初めて国連人権理事会で基地問題について演説。2015年10月、前知事が行った辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消し、政府と本格的に対決する姿勢を打ち出した。
第二節   「戦う民意」を読む
 壮絶な一冊である。
政治家一家に生まれた翁長氏は、保守政治家の家柄に育ち、幼い頃から沖縄の現実を見つめつづけてきた。那覇市長を歴任され、沖縄県知事選挙で見事当選して、オール沖縄の牽引役として日本是全体の刷新に貢献し続けている。

 胃がんで切除し、余命について医師から宣告された後に、翁長氏は幼い頃から差別され続けてきた沖縄県民の実態を見つめ続けてきた。差別は、日本本土からの差別とアメリカ軍・アメリカ政府からの二重の差別である。沖縄の差別の過酷な実態は、薩摩藩の琉球処分、明治政府の沖縄の露骨な差別政治、戦時中の日本政府と日本軍からの差別である。唯一陸上戦の熾烈な戦場となった沖縄は、アメリカ軍からの爆撃とともに日本軍隊からも自殺のための手榴弾をひとつずつ渡され、「アメリカ軍兵士から陵辱される前に大和撫子の貞操を堅持せよ」の身勝手な自殺を命令された。世界各国に侵略していった日本軍は、自らが侵略地で行った現地女性への強姦などの暴力が露見することに脅えつつ、他国の軍隊も日本国軍兵士と同等としか認識できず、多くの無惨な沖縄県民への不幸をもたらした。
 戦後も、沖縄は日本の延命のために、沖縄を犠牲にして、差し出した。米軍基地の横暴は、戦後七十年たっても一向に終わってはいない。1972年の沖縄返還では、佐藤栄作総理とアメリカ政府との間に密約がかわされ、ふたたび沖縄県民は日本政府によって、二重三重に差別政治の犠牲となってきた。

 翁長雄志沖縄県知事は、幼いころから保守政治家の家庭に育ち、沖縄の実態とそれを克服しようと努力し続けた両親親族の政治家実態とそれを克服しようと努力し続けた両親親族の政治家としての厳しい実践をも見つめ続けてきた。翁長氏は、「イデオロギーよりもアイディンテイーを」と唱える。琉球王国は、江戸幕府が鎖国を続けていた時代に、海洋国家として世界各国との豊かな貿易を続け、海外からの知識や文化も吸収して、見事な国家であった。
 しかし、明治維新は沖縄を差別下におき、薩摩藩の琉球処分以降の沖縄差別・弾圧政策を続けた。翁長氏は、マルクス主義や社会主義の運動を見ながら、沖縄の解放は、沖縄が積年差別され続け、沖縄県民の自己証明を名誉ある回復をすることによって、県民が自らのアイデンテイテイーに目覚めて、アメリカ軍からも日本国家からも、差別し続けてきた存在から、沖縄県民自らの尊厳と誇りを自覚し、自分たちの足で歩きたい、そう訴え続けている。
 保守とか革新とかそのような二分法では、とても解決しきれない長年の被差別から、思想信条の違いを超えて、沖縄県民全体の解放を願っている。翁長氏は、那覇市長時代も沖縄県知事になってからも、保守政治家として反対運動の先頭に立った。
翁長氏はこう述べている。
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 「生き証人」の証言は生きた教科書であり、歴史的事実そのものです。悲惨な集団自決の事実を次の世代にどう継承していくかが重い課題となっている中で、戦争世代の遺言を消し去ることはできません。正しい過去の歴史こそが未来を指し示す道しるべになるのです。
 二〇〇七年九月二九日、保守と革新を超えた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が宜野湾市の宜野湾海浜公園で開かれ、怒りとともに立ち上がった一〇万人が集まりました。
 このとき私は初めて保守の政治家として反対運動の先頭に立ちました。県内全市町村を代表して「絶対に歴史を曲げてはいけない」と文科省の検定意見の撤回を求め、結果的に一定程度の是正がなされました。
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 翁長雄志氏の著作には、このような歴史的事実と自らの生命を賭けて、沖縄県民を通して日本全体の解放への熱い思いと冷静な理性的熟考に裏付けられた思索に満ちている。貴重な自然環境を守り、人と人とが支え合う社会を願う翁長氏は、「しまくとぅば」(島言葉)「うちなーぐち」と呼ばれる琉球語、沖縄の言葉を大切にしている。ユネスコの規定で、単独の言語で保護対象にあたる「うちなーぐち」を、自分たちの言葉を復権し、大切に守り育てることが、人々の誇りと尊厳をはぐくむはず。その考えが、那覇市長時代も今の沖縄県知事になってからも「はいさい・はいたい運動」をおこない日常的に沖縄の言葉を使っていこうと使い続けている。翁長氏は、その普及は懐古主義ではなく大変重要な意味をこめている。ぜひ読者は自ら読んでご確認いただきたい。
 二〇一六年。県選挙管理委員会(当山尚幸委員長)は15日、県議会議員の任期満了(6月24日)に伴う第12回県議会議員選挙を5月27日に告示し、6月5日に投開票とする期日を決定した。
 私はこの書物、『戦う民意』において何を翁長知事は、考えてきたか、何を日本国民全体に伝えたいのか、ぜひご一読をお勧めする。できれば、沖縄県議選の前に読むことをお薦めする。壮大な「翁長沖縄県知事の構想」をしっかりと、ともに受け留めたい。(*上記文章は小生・櫻井智志の執筆)

第三節   目取真俊さんのこと

 安倍政権とアメリカ軍部に抗議した正当な意思表示にもかかわらず、作家の目取真俊さんは、その著名人であることの効果を計算して不当逮捕・拘束された。ブログ「海鳴りの島から」を拝読すると、沖縄県議選の前日6月4日は、「新宿での抗議集会とデモ」「モハメッド・アリが死んでしまった。」の2編。県議選の後は6月7日の「ジョン・ミッチェルさんの講演」である。
 このことを私は、どう受け取るべきか迷った。
 目取真さんは、決して政治に無関心ではない。むしろ米軍基地抗議行動のように高い政治的見識をもっている。前日も、新宿で抗議集会に沖縄から遠路を参加している。二つのブログを転載させていただき、その後に翁長県政下の県民のひとりである目取真さんのこころに思いを馳せたい。
 所用で東京に来ているのだが、3日は夕方から新宿のアルタ前で開かれた集会とデモに参加した。沖縄で起こった元海兵隊員の米軍属による女性殺害、死体遺棄事件に抗議するもので、辺野古新基地建設反対や先島への自衛隊配備反対を含め、沖縄からすべての軍事基地を撤去することを訴えた。

第一項
新宿での抗議集会とデモ
2016-06-04 09:44:36 | 小説  *写真6枚が掲載されています。
 集会のあと新宿の繁華街をデモ行進した。6月19日に沖縄で開かれる県民大会にあわせて、国会前で開かれる「怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応するいのちと平和のための6・19大行動」への参加も呼びかけられた。
 私も集会とデモの中で発言させてもらった。下のツイキャスで集会とデモの様子が見られる。
http://twitcasting.tv/chikapin1/movie/276499821

第二項
モハメッド・アリが死んでしまった。
2016-06-04 22:11:00 | 生活・文化
 4日は午後から東京オペラシティ アートギャラリーで開かれているライアン・マッギンレーの写真展を見にいった。館内での撮影OKだったので遠目に紹介。壁一面に張られたヌード写真の1枚がとても気に入った。
 そのあと渋谷アップリンクで映画『オニールの壁』を見た。沖縄のミハマでもやっているのだが、1日に1回だけの上映でなかなか見られなかった。客は10人ほどだったが、多くの人に見てほしい映画。
 モハメッド・アリが亡くなった。いつかこの日が来るとは思っていたが、私にとっては一番好きで偉大な人だった。家族や親戚が死んだ次くらいに悲しい。
 1971年、小学生の時にジョー・フレイジャーとの試合を白黒テレビで見たのが最初だった。父はまだカシアス・クレイと呼んでいて、ベトナム戦争への徴兵を拒否をしたことやほら吹きクレイと呼ばれていることなどを話していて、興味を持って兄と二人で試合を見た。
 以来、アリの試合はテレビで放映されるたびに必ず見た。ユーチューブにはアリの映像が数多くある。スポーツの枠を超えて、政治的にも大きな影響力を持ったボクサーがいたことを、若い人たちにも知ってほしいものだ。

第三項
ジョン・ミッチェルさんの講演  (*空白はそこに写真が掲載されていました。)
2016-06-07 22:26:55 | 米軍・自衛隊・基地問題

 7日は午後から短い時間だが、キャンプ・シュワーブのゲート前に行った。これまで沖縄の米軍基地で使用されてきた枯葉剤の問題を追及してきたジャーナリストのジョン・ミッチェルさんが「沖縄ー太平洋のゴミだめ」と題してゲート前テントで講演を行っていて、質疑応答も活発に行われていた。
 産業廃棄物を積んだトラックが今日もゲートから出ていった。
 沖縄はいま鳳凰木が満開を迎えている。上の写真は辺野古交番前の木。下はキャンプ・シュワーブの金網フェンスのそばで咲いている木。サイパンやテニアンでは南洋桜と呼ばれていて、戦争の記憶と結びついた木でもある。
 5日は埼玉県で講演を行った。4週連続で週末はヤマトゥに行き、講演を行った。国と県の代執行訴訟和解による工事中断だからできた。合計1300人以上の人に話したが、そのうちのどれだけの人が辺野古に来てゲート前の座り込みに参加し、カヌーに乗ろうと挑戦してくれるか。

【結びにかえて】
 目取真俊さんの表現には、日常的に暮らしと高い政治意識とが普通に融合している。
沖縄県民は、脈々と波打つ創造的な歴史的文化的背景をもって今に至っている。日本政府安倍政権が、前近代的で非合理で暴力的な対応をしているならば、良識が抑圧政治に明確な抵抗を示すだろう。
 すでに沖縄県議選の結果自体が、ヤマトゥの参院選をリードする「オール沖縄」という選挙闘争母体を結成して国政選挙も闘ってきた。日本国民は、沖縄から謙虚にまなぶべきである。それはヤマトゥの自民党にも言える。自由民主党沖縄県連幹事長がどのように、政治刷新のために動いたか。本土で翁長氏に匹敵する自民党政治家と言ったら、宇都宮馬氏(脱党して無所属で軍縮に後半生の生涯を戦いきった)、石橋湛山氏、伊東正義氏などわずかしかいない。しかも現在の本土自民党の中でも政権閣僚の劣化したぶざまな実態はG7で際だった。カイロ宣言、オリンピック誘致国際会議と国際的に疑問を持たせ続け、伊勢志摩サミットでは、決定的な恥さらしとなって、日本国外交は「危機的事態」と言っても虚飾ではない。
 がんと闘病しつつ、人生の総てを注ぎ込む翁長雄志知事。このような政治家像が、日本国全体の総理大臣とならなければ、日本は亡国に至ることもあり得る。

沖縄県議選の意義と今後の或る見通し

2016-06-07 21:40:47 | 政治・文化・社会評論
沖縄県議選の意義と今後の或る見通し

           櫻井 智志



 沖縄県議選で、「大勝利」(翁長雄志沖縄県知事)を獲得した背景に、多くの人々の必死の努力があって、それが報われたことに大きな喜びをおぼえる。改選前の拮抗した議席を大きくのばし、翁長知事支持派が差を広げることを勝ち取った。さて、この勝利を国政にどう発展させることができるか。次の課題となる。

 きょうの夜のNHKテレビニュースで、参院選にのぞむ安倍総理と陣営の様子、野党陣営の様子が報道されていた。野党四党(日本共産党・社民党・生活の党・民進党)と市民連合が参院選に共闘するために共同の結束の様子が報道されていた。

 野党共闘は重要な成果である。しかし、「市民連合」(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合 ◆呼びかけ団体(有志):戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会/安全保障関連法に反対する学者の会/安保関連法に反対するママの会/立憲デモクラシーの会/SEALDs)の役割は画期的である。野党共闘の政党が、市民の役割を十二分に認識していることも素晴らしい。

 市民の動きは、日本国民と在日外国人の政治的実態をよく表している。SEALDsと学者の会では、師弟で率先してとり組む姿が見受けられる。ママの会の役割も、実に創意工夫に満ちて、国民全体を活性化させている。総がかり行動実行委員会が効果的に繰り出す国民的集会は、東京中央とともに、全国各地で活発な集会が全国に轟いている。





 かつて安倍政権は、アベノミクスや世論盛り上げ、水面下に出ない企業や連合など団体への徹底的な働き掛け、さらにマスコミ受けする自民党議員の動員など様々な対策を講じていた。世耕官房副官房長官のようにインターネット選挙に天才的。頭脳的な分析と対策をチームとして組織化し綿密な世論対策を講じてきた。

 だが、肝心のリーダー安倍晋三氏が、国際的な場面で、致命的な欠陥をさらしてきた。

 G7サミットでは、国民向けに公的に発言していた経済分析とは全く真逆の「リーマンショック並みの危機」を開会直後に唐突にグラフを持ち出して提言した。このことはドイツやイギリスの首相らに、驚きと違和感、反対する批判発言をもたらした。やがて、唐突な発言が、国内の「消費税10%増税延期」のために、国際舞台の成果を得て、国政選挙に、参院選は無論、うまくいったら衆参ダブル選挙で、一気に憲法廃止・自民党憲法草案をもとにした明治憲法レベルの新憲法を制定していく「合法的なクーデター」を試みる一世一代の賭けに出たものと思われる。
 このことは、読み間違えなどというものではなく、安倍総理の国民観、憲法観、政治観を集約的に暴露させるものとなった。





 このような情勢は、第二次大戦前にあった。ドイツ・ワイマール憲法のもとで、緊急立法による憲法機能の停止と国会議事堂を自ら放火してそれをドイツ共産党(社会民主党)のテロとでっち上げて一気に弾圧していった。この情勢によく似ている。しかも安倍内閣副総理麻生太郎は、はっきりと「ナチスのやりかたをやればよい」という重大な欠陥発言を公的におこなっているのだ。安倍晋三総理ひとりなのでなく、総理副総理とそろって、議会制民主主義、立憲主義から逸脱している。

 このような様相のなかで、追い詰められると、ファシズムは必ずテロリズムとフレームアップに出る。その一端が、ヘイトスピーチヘイトデモの今日的様相である。大久保から川崎へと舞台を移して、市民運動や日本共産党など複数の政党も強く異議申し立てするなかで、川崎市長は公園使用を禁じた。国会でも、罰則抜きのヘイトスピーチ禁止条例を決めた。そんな中で、ヘイト団体は川崎市中部中原区の道路使用を神奈川県警に申し出て、なんと神奈川の県警はこれを認めた。国会や市議会が禁止した中での警察の動き。この不気味な懸念を阻止したのは、ヘイト団体のデモに抗議するために集結した数百人の市民たちの動きだった。県警は危険を考慮して、デモを禁止せざるを得なくなった。
 今後もこのような根をファシズムとしてもつ暴力や人権侵害行為は起こりうる。

 それは、熊本地震の時に、あいついで熊本に朝鮮民族が井戸に毒を入れたというデマと類似の情報がネットなどで流布した。なんとういうことか!戦前の関東大震災の時に、警察は意図的に「朝鮮人が井戸に毒を投じた」とデマ情報を流し、そのために日本人に虐殺された、韓半島から強制連行され、極寒の北海道で線路敷設などで酷使させられ死亡した朝鮮人、中国人の数は相当数いた。茨木のり子さんは長編叙事詩「りゅうりぇんれんの物語」によって、実在人物の事件を表現した。関東大震災では、憲兵甘粕中尉(大佐?)によってアナーキスト大杉栄氏とその家族が虐殺された。




 今後、安倍政権の暴政に対して、参院選の選挙戦が展開されていく。議会制民主主義と立憲主義、憲法の根本理念にねざした平和と幸福の社会化を促進するとともに、日本社会が重要な政治的問題をかかえていることも無視しがたい。宗教法人「生長の家」からたもとをわかった勢力が「日本会議」として、安倍政権の閣僚の相当数を占めている。「日本会議」「ヘイトスピーチ」だけではない。経済のアベノミクス政策は、中間層を分解し、富裕層と貧困層の二極分化を拡大している。生活的困難で苦しむ貧困層が、アメリカでは事実は異なるのに幻想を投影して、共和党トランプ大統領候補におしあげた。そのようなすそ野の勢力と、民主的な対話と批判によって、社会の全体主義化を阻止する実践は、これから重厚な意味をおびるだろう。

警戒をしなければならない歴史の教訓

2016-06-04 02:26:14 | 政治・文化・社会評論
警戒をしなければならない歴史の教訓
2016/06/04
            「国民的統一戦線への探求」
             主宰者 櫻井智志




 ヘイトスピーチに抗議した人々から、時折聞こえてくる。
警察は、ヘイトスピーチをしている連中ではなく、抗議している
私たちを取り締まるとしか思えない時がある。
 川崎市長が、公園のヘイトスピーチを禁止したにもかかわらず、在特会系なのか、ヘイトスピーチをする団体の申請を、警察が許可した!!
 私は、神奈川県議会における異様な雰囲気とつらなるものを今回の警察の対応に感じている。
 それは、全国で参院選一人区すべてで統一野党候補が擁立したことに、安倍晋三は異様な危機感と焦りを感じていることと無縁ではあるまい。



 ディミトロフはコミンテルンの委員会で、
「ファシズムは最も凶墓な金融資本の暴力的独裁政治である」
と規定して、当時世界を荒れ狂っているイタリアのムッソリーニ、ドイツのヒットラー、日本の軍部東条英機首相らと闘うことを重要視し、それまでのコミンテルンの社民主要打撃論を自己批判し、反ファシズムの統一戦線を提唱した。
歴史は繰り返す。




 見通しの甘い安倍首相が、G7伊勢志摩サミットで、ドイツとイギリスの首相から「リーマンショツク以来の経済危機の予想と対応策としての財政出動」をグラフの数値も捏造し、G7各国の経済実態もきちんと見極めもせずに打ち出した構想。
サミット諸国と世界のG7先進国のジャーナリズムから相次いで不審と批判を浴びた ことで、その見え透いた魂胆が、日本の市井の庶民にさえばれてしまった。
しかも、自民党首脳の麻生副総理、稲田自民党役員らから公然と消費税増税延期に反対の声がだされた。
「リーマンショツク以来の危機→財政出動のG7合意形成→
消費税10%増税の延期→参院選圧勝→憲法廃止と明治憲法級の自民党憲法草案の強行突破→自衛隊を「国軍」とし、自らは
「立法府の長」になって世界中への「国軍」派遣」
以上のシナリオが破綻した。





いま安倍晋三が考えている二つの対策
①おおさか維新を政党の与党パートナーとしつつ、社会状態では
日本会議をベースに極右反動勢力をフルに稼働し、社会不安を醸し出し、警察は治安維持の名目で、極右の台頭を援護し、市民運動や野党共闘などの国民運動を弾圧ないしは牽制し続けること。
②連合幹部の財界人に手を回し、野党共闘の比例区名簿作りを、
社民党や小沢一郎氏らとは全く異質な観点から進めようとしている。現状を把握している民進党岡田代表の意向を押し切って、連合として、比例区名簿作りによって、共産党や市民運動派を下位に下げて、大幅なダウンを 画策していると予想される。
この策動は、民進党内部に動揺をもたらしうる。連合は、自らの財界および自民党安倍グループと手をうらでくんだ方針をのまない候補は当選させないと恫喝をかけるであろう。




この二つの安倍方針を計画の段階で阻止する策がひとつある。
 それは、ジャーナリズムである。しかも朝日など大手新聞でもないし、テレビでもない。『「市民運動・野党共闘」連帯』の中から無数の小グルーブて、ライン、メール、インターネットメディアで『「市民運動・野党共闘」連帯・事実報道局』を構築し、情報の事実の核を澎湃と生産し続ける ことだ。それが゜やがて政党の報道機関やマスコミへと拡大していった時に、安倍総理系列の「美しい言葉のデマゴギー」は見事に破産せざるを得まい。