【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

岐阜県知事選2021にみる市民と共産党の共闘の可能性

2021-01-25 10:30:48 | 政治・文化・社会評論
➊ 1月24日に行われた岐阜県知事選の結果は次の通りである。NHK選挙WEBのデータを典拠としている。
岐阜県知事選
• 立候補者数 4
• 有権者数 1,655,160
• 投票率 48.04%
• 開票終了
告示日:1月7日 投票日:1月24日  1月25日 00:02 更新
当選古田 肇無現73歳当選:5回目
元外務省経済協力局長元経済産業省商務流通審議官
388,563票(49.2%)

江崎 禎英無新56歳
元内閣府大臣官房審議官元岐阜県商工労働部長
319,188票(40.4%)

稲垣 豊子無新69歳推薦:共産
新日本婦人の会岐阜県本部会長元小中学校教諭
49,928票(6.3%)

新田 雄司無新36歳
薬剤師元岐阜県職員
32,316票(4.1%)

❷ 結果をみると、保守分裂した現職と新人の2人を足すと、707751票に達する。だが、有権者数 1,655,160票において保守合計2人の得票率は、
707751÷1655160×100=42.76%と、なんと有権者の過半数にも達していない。
投票率自体が 48.04%と、山形県選挙としては低い結果である。
 
❸ 県民の立場にたついながき豊子候補の投票結果を見る。
県内42か所の市町村ごとの選挙結果を見ると、全県で6.3%のいながき候補が10%
前後に到達している地域がある。いながき候補が8%を超えた地域は以下の通りである。

➀多治見市投票率40.95%開票終了
古田 肇19,522(52.5%)
江崎 禎英12,573(33.8%)
稲垣 豊子3,063(8.2%)
新田 雄司2,061(5.5%)
②中津川市投票率52.89%開票終了
古田 肇20,471(61.1%)
江崎 禎英8,203(24.5%)
稲垣 豊子3,380(10.1%)
新田 雄司1,448(4.3%)
③恵那市投票率55.07%開票終了
古田 肇13,402(59.4%)
江崎 禎英6,242(27.7%)
稲垣 豊子2,022(9.0%)
新田 雄司897(4.0%)
④可児市投票率41.56%開票終了
古田 肇16,422(50.5%)
江崎 禎英11,573(35.6%)
稲垣 豊子2,625(8.1%)
新田 雄司1,924(5.9%)

 一方、いながき候補が最下位の市町村は以下のとおりである。
➀白川村投票率84.40%開票終了
古田 肇828(76.0%)
江崎 禎英206(18.9%)
新田 雄司35(3.2%)
稲垣 豊子21(1.9%)

②白川町投票率70.35%開票終了
古田 肇2,975(61.5%)
江崎 禎英,405(29.1%)
新田 雄司231(4.8%)
稲垣 豊子224(4.6%)

③富加町投票率59.99%開票終了
古田 肇1,447(52.6%)
江崎 禎英997(36.2%)
新田 雄司164(6.0%)
稲垣 豊子143(5.2%)

④坂祝町投票率51.86%開票終了
古田 肇1,555(47.2%)
江崎 禎英1,054(32.0%)
新田 雄司484(14.7%)
稲垣 豊子200(6.1%)

以上からいえることは
・県内21市全市では、いながき候補が最下位の市はない。
・県内21の町村では、4町1村で最下位である。
・いながき候補は都市部では健闘の跡がうかがえるが、町村部浸透が課題である。

❹ いながき豊子氏は、教育運動でも女性運動でも卓越した実践家である。
「恵那の教育」で全国的に知られる中津川市・恵那市では市民のあいだでも10%前後の支持を得ている。新婦人の会でも選挙運動でツイッターの応援を幾度も見かけた。
 Wikipediaによると、この知事選の「政党の動き」として次の記述がある

《公明党と民主党(民進党)は過去4回の選挙では自民党に相乗りする形で古田を支援していたが、今回は擁立劇の「蚊帳の外」に置かれた。野党第一党の立憲民主党県連内では自民の混乱に乗じて「独自候補を立てるべし」との強硬論も一部で出たが、選挙までの時間不足などを理由に断念し、今回、公明党・立憲民主党・国民民主党の県組織は自主投票となった。日本共産党は元小中学校教諭の稲垣豊子を推薦した。薬剤師で元岐阜県職員の新田雄司は、政党の支援を受けていない。》

野党共闘どころか、今まで県内保守に便乗してきた野党が、擁立の段階から「蚊帳の外」に置かれていたという呆れた内情だったという。こうしてみると、市民運動を政党側は日本共産党が共闘したというのが実態だったのだろうか。
 はじめて「市民と立憲野党の共闘」が全国ではどの程度浸透しているのかいぶかしく思う。他党派が委縮していても、堂々と政治の根本を踏まえた選挙を行わないと、野党が総崩れする事態もありうる。
 その点からすると、いながき豊子さんと氏を支持し擁立し選挙戦を戦いきった人々への新たな視野が拓けてくるのを感じる。-了―

#追悼横井久美子さん 今はご冥福を祈るとともにその音楽表現の深さに感動と感謝を捧げます

2021-01-16 01:45:26 | 音楽と人生
Ⅰ:【序】

#追悼横井久美子さん
笠木透さんは生前横井さんとジョイントコンサートをおこない、まもなくご逝去されました。反商業主義で草の根で歌は全国に広まりました。横井さんも広範な分野の音楽を吸収して日本のフォークを創造なさいました。ベトナム・アイルランド・ネパールなど国際的な音楽活動を展開し国際友好に努めました。今はご冥福を祈るとともにその音楽表現の深さに感動と感謝を捧げます。



Ⅱ:【横井久美子さんのブログ】転載

<片腎KUMIKOのビスターリ(ゆっくり) ライフ>

No. 60 2021年1月15日 お知らせ
 
横井久美子は、2019年8月、20回目のアイルランド・ツアーから帰国した直後に、下腹部に少し痛みを感じ、精密検査の結果、9月末に腎盂癌が発見され、2019年10月12日に右側の腎臓を全摘出する手術をうけました。

その後1年3ヵ月の間、たくさんの方々に励まされながら、病気と全力でたたかってきました。苦しい抗癌治療を続けながら「歌う楽校」を再開し、この間に、ブログ〈片腎KUMIKOのビスターリ(ゆっくり) ライフ〉を執筆してきました。しかし、昨年11月20日に、ブログの第59回を書いたころから、急速に病状が進行し、2021年1月14日夕刻、自宅で家族に見守られながら、76歳の生涯を安らかに終えました。

ブログを読んでいただいていた皆様に、この悲しいお知らせを謹んでご報告するとともに、これまでのご支援、ご厚誼に、心から感謝いたします。

葬儀については、生前の本人の希望に沿って、身近な親族のみによる家族葬としてとりおこなう予定です。

なお、最後のブログで「どんな本になるか楽しみに待っている」と書いている本については、残念ながら著者の手に届けることはできませんでしたが、後に残された者によって完成させる予定です。

                                      親族を代表して 友寄英隆(夫)


Ⅲ:【横井久美子50周年記念コンサートの驚き  櫻井智志】

2020年01月28日 20:11



 2019年7月21日、日曜日。東京都中野区にある中野ZERO大ホール。北口にある中野サンプラザとちょうど反対の南口側にある。一階二階の1300人近くの客席は満員。

コンサートをイメージしてゆくと、あっと驚く。午後2時開場で入ると、広いロビーには、【手を取り合って 地球は謳う!】というイヴェントが何と14:00〜15:00まで・休憩時・演奏終了後〜19:00まで行われるという。〈ベトナム〉〈歌う楽校〉〈おいで一緒にinくにたち〉〈平和・人権コーナー〉〈アイルランド〉〈ネパール〉のコーナーがたくさんの人びとの活気であふれている。

     世界を旅して出会って歌って50年。
     人と人が紡ぎあってできた
     楽しいタピストリーのような世界!

  この構想は、本番のブザーがなってコンサートが開始された時に、より鮮明となってゆく。


 
 コンサートは、午後3時に開始。ギター/コーラスの安田雅司郎さん、バイオリンの今井真実さん、ベース/クラリネットの中村和彦さん、さらにフラットマンドリン/パーカッション/コーラスの北村しんさん。豊かで音楽性の高い楽器演奏者が前奏を奏でる中、横井さんの歌声は聞こえるが姿が見えない。会場内満員の観客の視線は声を追って客席の後ろにふりかえる。オプニングの「私に人生といえるものがあるなら」(笠木透作詞・アメリカ民謡)はこうして始まった。

休憩の15分をはさんで、前半15曲、後半14曲。約30曲を横井久美子さんはこの日歌い続けた。
ちなみに、2曲目からの作品は以下のとおり。

2 あくび 谷川俊太郎作詞 横山作栄作曲

3 自転車にのって 横井久美子作詞/作曲
元歌に続けて、子どもの頃のご長男とのほほえましいやりとりが替え歌として相次ぎ、親子のコミュニケーションと子育て、親離れの家庭史がほのぼのと伝わってくる。 

4 なみちゃん 刈谷美津子原詩/横井久美子作詞/作曲

5 My Son 横井久美子作詞/作曲
思春期に入り、自我の確立に悩む息子さんを、母親として一定の距離を保ちつつ成長を慈しみ見守る時間が、再現される。

6 母に贈る言葉 横井久美子作詞/アイルランド民謡
私は、横井さんがお母さんの生前に、大人同士の或る葛藤を感じさせる言葉をうのみにしていた。横井さんの心の奥に深い母への追慕と感謝の表現を、ことばでも歌唱でもお聴きして、胸をうたれた。自らが亡父に生存中は尊敬と愛憎の相反する気持ちでいて、亡くなってから今ではもはや片側のコミュニケーションのみ。横井さんが自立する青春期に反発し、そこで鍛えた感情は、より深い人間洞察と静かな親への慕情が結晶化し、我が身をふりかえる契機となった。

7 人生のはじまり 横井久美子作詞/作曲
「40歳代後半は様々なことがあって・・・」。MCのことばに、最初同時にこの歌が入ったアルバム『メッセージ』で聴いたときを思い出していた。1980年12月に東京・草月ホールで「女を歌う・横井久美子リサイタル」を5日間開いた。ゲストにジャーナリストの筑紫哲也さんが登場。2人のやりとりを会場で興味深く聴いていた。

8 おいで一緒に パブロ・ネルーダ詩/笠木透作詞/ディナ・ロット作曲
Song Uniteとして尾崎ツトムさん、山本さとしさん、松島よしおさん、いわき雑魚塾、増田康記さん、斎藤悟さん、横山作栄さん、島袋美恵子さん、鈴木幹夫さん、大熊啓さん、カーミーズ の素晴らしいフォークシンガーたちがこの名曲を歌い横井さんともに会場を「おいで一緒に」ワールドへ招いてくれた。

9 あなたを見ていると  横井久美子作詞/作曲
櫛田ふきさんの80才の誕生日を祝う作品。2001年に102才でお亡くなりになるまで「ふきと久美子のトーク&ライブ」は17回開催されたそうだ。婦団連の会長を務めた櫛田ふきさんと丸岡秀子さんは、私にも戦後に女性の人権回復・向上の取り組み以外でもベトナム反戦運動など平和運動でも大きな足跡を残された。

10 飯場女のうた 井尻光子原詩 横井久美子作詞/作曲 朗読:「飯場女のうた井尻光子
横井さんに紹介され最初に朗読した井尻光子さんは90才を超えていた。無実の夫が冤罪で、飯場で働き家族を支え続ける。民衆が国家権力の強大さの前でたとえ抵抗しても無力であるかも知れない。だが、耐え続け生き続けて40年以上の歳月を入れて生き続けてゆく。その姿は頼もしく、崇高な強烈さを保持し続けてゆく。




11 筑豊の子守歌  大野隆司作詞 岡田京子作曲
 作曲の岡田京子さんと夫の安達元彦さんを、横井久美子さんか笠木透とフォークスのコンサートかどちらかでステージで拝見したことがある。フォークス結成時に安達元彦さんはそのメンバーだったと思う。やはり横井さんのコンサートのほうか。岡田京子さん作曲のこの歌は、民謡とフォークとが相俟って、表現する横井さんの歌唱力の高さで、聴いていても新たな視野を感じる

 12 赤い椿と青いげんぼし 田中 暢作詞 横井久美子作曲
 新潟に住む小林ハルさん。ごぜの世界を身をもって体得したいと熱望する横井さんはハルさんに入門を願い、結果としては断られる。歌の中に、強烈にアピールするごぜの存在を通して、訴える表現力の深さは聴く者を感動へいざなう。横井さんの歌の中で私が好きな作品の上位曲である。

 13 ノーモア・スモンの歌 横井久美子作詞/作曲
 ステージにスモン訴訟の画像とスモン訴訟東京弁護団弁護士鈴木堯博さんの朗読が始まる。横井久美子さんがいかに社会問題に怒り参加し音楽で表現する。とことん全国のスモン訴訟に加わり広く国民に伝達したかの足跡を知ることができる。なおかつ、その歌は陳腐な宣伝ではなく、歌として音楽として聴く者の心を揺り動かす。社会的課題のなかに入り、そこで把握した人間的感性の深さが、歌自体としても社会運動としても共に見事な峰に到達している。

 14 夫へのバラード  横井久美子作詞/作曲
 はじめこの歌を聴いたときに、文字どおり夫へのメッセージとして聴いていた。今回の記念コンサートで、北海道じん肺訴訟弁護団の三上直子さんが朗読した。このうたが大きなすそ野の上に立脚したメッセージソングと知る。

 15  にんげんをかえせ  峠三吉詩/アメージンググレイスより
 峠三吉の名作を、アメージンググレイスと組み合わせ、横井久美子ワールドを造出した。ノーモア・ヒバクシャ訴訟弁護団の中川重徳氏が朗読し、尾藤廣喜氏の尺八の音色が歌に深い音色をそえていた。

ここまでが前半の15曲である。

30ページを超えるパンフレットは、受付で無料配布してくれた。この冊子には、これ自体が一冊の横井久美子bookとして出版されれば、全国の横井久美子さんを知るファンにとっても音楽研究者にとっても、実に貴重なパンフレットである。この冊子も50周年記念コンサートも、コンサート委員会の充実したかたがたの努力と熱意がみなぎるものである。横井久美子さんの夫、ご長男、ご長女のエッセイは実に家族の愛情にあふれ、感銘を受けた。



 
 後半に入る。

 16 世界中の愛をあつめて 横井久美子作詞/作曲
この歌を初めて聞いたように思う。プログラム全曲の中で他の曲としっかり溶け込む。

 17 レッサン・フィリリ 横井久美子作詞/ネパール民謡
この歌とともにネパール・サチコール村に横井さんを導いた桜井ひろ子さんとサチコール村「マガール子バンド」が、舞台に登場。ダン・バハール・タダさん(40歳)を団長に6名が来日、レカ・サルさん(副団長45歳)、ジャナック・シング・タダさん(太鼓25歳)、クッソン・サルさん(太鼓13歳)、ホーリ・バハドールさん(笛16歳)、ルビン・ラクカルさん(ギター17歳)。マガール子バンドについては、横井久美子さんのご著作『村人総出でつくった音楽ホール』(本の泉社1512円)DVD『いのち燦めく村』(横井久美子監督 税込み1500円)が参考となる。来日した青年たちは、このドキュメンタリー映画に出演しているという。

 18 戦争は動けない 門倉訣作詞/青山義久作曲
 1970年前後。ベトナム戦争がアメリカ軍の陸海空の軍隊の攻撃とベトナムの民衆との抵抗によって熾烈を究めた。日本にある米軍基地の武器が、相模原補給廠から横須賀港の米軍艦へ移動、この時に生まれた名曲だ。戦争に反対する市民たちや社会党共産党の活動家など広範なひとびとが補給路に身を横たえるなど戦争への反対意思表示を行った。横井さんは1973年11月に「女性文化代表団」の一員としてベトナムを訪れ、故松本清張氏と共にファン・ヴァン・ドン首相に会見し、ホン・ハー劇場など11カ所で公演した。プログラムの年譜によると、1994年、2003年、2004年、2005年からは毎年のように ベトナムを訪問している。1971年に拡声器から流れる歌「戦争は動けない」を聴いた13歳のチャン・フォン・リエンさんは興味をもち独学で日本語教師となる。リエンさんはその歌手横井久美子さんと2007年5月に会うことが実現し、横井さんも同年8月にリエンさんを日本に招待して、「戦車闘争から13年横井久美子コンサート」を神奈川県相模原市で開催する。日本語教室を主宰するリエンさんとベトナムの中高生は、ステージに登場して朗読した。横井さんの歌にシングアウトする会場。

 19 戦争入門〜ブレヒトによせて〜 横山作栄作詞/作曲
 この歌を以前からカセットやCDで聴いたことがある。1960年代のフォークが21世紀の今も新たな響きがある。
ブレヒトによせて、横山作栄さんが作った作品も、横井さんの歌唱も、強くこころに訴えるものがある。

 20 よみがえれ我が大地  横井久美子作詞/アイルランド民謡
 ハープの種類と思うがアイルランドの楽器を演奏しながら、横井さんはこの歌を歌った。やはり国立音大で音楽を専門的にまなんでいるためと思うが、このコンサートでも打楽器や外国の民族楽器などを自在に駆使して、歌唱をより効果的に高めている。

 21 風の中のレクイエム 横井久美子作詞/作曲
  きわめて自然体の歌詞に、深い意味合いと心地よい音感が感ぜらる。歌曲として、新たな地点を獲得した象徴と思う。

 22  アシンボナンガ(姿が見えない) ジョニー・クレッグ作詞/作曲 横井久美子訳詞
 この歌は、横井さんとバンドの安田雅司郎さん、北村しんさんの掛け合いがとても音楽効果を高めている。南アフリカのマンデラ氏は獄中に数十年閉じ込められていた。この歌もレジスタンスの中で世界中に広まった。マンデラは後に獄を出て、大統領となっていく。

 23 四月のカーネーション G・ムスタキ作詞/作曲 横井久美子訳詞
 「ヒロシマ」「私の孤独」で、私もムスタキを知っていた。この歌は、コンサートの中で横井さんが歌の成り立ちを教えてくれた。カーネーション革命とも呼ばれるヨーロッパの民衆の革命運動を、ムスタキが歌にして、それを訳して横井さんは日本に定着させてくれた。

 24 私の愛した街 フィル・コルター作詞/作曲  横井久美子訳詞
 1975年2月にベルリンでの「第5回ポリティカルソングフェスティバル」に招待されて歌った横井さんは、そこでこの歌を知る。歌の謂れを知り、翻訳して自分でも歌い続け、さらに歌が生まれたアイルランドに何度も渡航し、1998年には文化庁芸術家在外研修員として、アイルランドのリマリック大学アイリッシュ・ミュージック科に半年間留学した。横井さんは、コンサートの始めに、ラストに、この歌を歌うことが多かった。

 25 辺野古の海  横井久美子作詞/宮古島民謡
 横井さんは、沖縄県に何度も足を運ばせている。米軍基地の移転に対する県民の闘いを何度も応援している。高江に住民の抗議を県外からも機動隊が多数派遣された。横井さんは一緒に座り込み県民の闘いを共有した。「おいで一緒にinくにたち」のライブでも、「もし本土から2000人の応援があったら、阻止できた」と嘆く現場にそのとき200人の県民と共にいた。さらに、横井さんはコンサ−トを那覇市で開いたときく。
 この歌のステージには宮里幸子さんが琉球舞踊を踊った。舞踊の立ち居振る舞いに、沖縄文化の風格を感じた。

 26 阿武隈高地 哀しみの地よ   伊東達也作詞/横井久美子作曲
 「阿武隈高地 哀しみの地よ」同名のアルバムが当日発売され会場で、購入できた。そこに横井さんの解説が掲載されている。

<原発ゼロを目指して>
阿武隈高地は、はるか昔、日本列島が形成される以前に、海底から隆起して、その後、幾世紀もかけてできた緑豊かな大地です。宮城県南部から茨城県北部まで170kmにわたり、東から浜通り、中通り、会津盆地が走り、人々の暮らしを育みながら、東北の自然や歴史や文化のふるさとになってきました。私は、福島を訪れる度に、この阿武隈高地が、原発被害のために、鋭い叫び声をあげ、今また海底に沈みこもうとしている恐怖を感じます。それも、日本列島全体をジワジワと道づれにして、この恐怖に打ち勝つには、「原発をなくせ」と声をあげ、裁判で闘う人たちと想いを共にすることだと思います。そんな想いでこのCDをつくりました。(横井久美子)

 この歌のステージでは、「歌う楽校」「いわき雑魚塾」「さんしょ」「パパラギ一座」の皆さんが、横井さんの想いを後押しした。

 27  わが大地の歌  笠木透作詞/田口正和作曲 with50周年記念合唱団
 2014年7月11日、「秘密保護法廃止・原発ゼロ〜横井久美子&笠木透コンサ―ト」が国分寺市いずみホールで超満員のなかで行われた。ガンと闘病中の笠木さんは快諾して歌った。客席にいた私は笠木さんから目を離せなかった。杖をもちつつも力強く歌い、時に苦痛を耐え途中歌声が途切れても、バックの雑花塾が素晴らしいフォローを行った。
同年12月22日、笠木透さんは亡くなった。
横井さんは1972年以来、笠木透氏と出会い、中津川フィールドフォークで高石ともやさん、もんたよしのりさん、宇崎竜童さん、我夢土下座など多彩な人々と音楽や交流を愉しんだ。
 横井さんも笠木さんも【貧困や差別や暴力のない平和な暮らしのために文化で闘う】共通する志をもっていた。

 28 歌って愛して  横井久美子作詞/作曲   
with50周年記念合唱団の温かく力強いうたごえとともに、横井さんが歌い続けた気持ちがあふれ会場に伝わってきた。

 29 歌にありがとう 横井久美子作詞/作曲
 30曲近くの歌をこの日、横井さんは歌い続け、新曲をプレゼントして、ステージ正面の階段を降り、中央階段を昇り退場した。照明が全開にされた会場を拍手が鳴りやまなかった。
 
退場して、観客と交流している横井久美子さんに、尊敬の気持ちで一言こえをかけて満員の出口を後にした。<終>


Ⅳ:【笠木透さんの「雪の野辺おくり】


広い田んぼも
畑の枯れ草も
あたり一面
雪にうもれて
どこまでも白い
この世界を
行列が行く
雪の野辺おくり

白いのぼりと
五本の旗が
ハタハタと風に 
はためいて
花かごの細い竹のヒゴが
ゆらゆらゆれる
雪の野辺おくり

きみに出会えて
ほんとうに
よかった
さようなら
これでお別れさ
この世から出ていくのには
とてもいい日だよ

きみの家族と
友人たちと
一緒に生きた
人たちの群れが
きみをそこまで
送って行く
黙って歩く
雪の野辺おくり

ほほをさす風は
冷たいけれど
光は空から
降ってくる
雪山のむこう
はるかな空へ
きみは旅立つ
雪の野辺おくり

きみに出会えて
ほんとうに
よかった
さようなら
これでお別れさ
この世から出ていくのには
とてもいい日だよ








『報道特集2021.1.9』を視聴しながらコロナ危機を考える

2021-01-09 22:42:53 | 言論と政治
ⅰ:
飲食店一軒一軒が様々なつながりと食材とひとと文化を背景にもっている。従業員や家族も控えている。数量化される前に、ひとりひとりが毎日を暮らしている生活の主体だろう。デジタル化のみにこだわる今の日本政府のやり方は、パソコン操作を一度過てばとんでもない影響を国民に与える。首都圏は背後に全国地域と繋がっている。

Ⅱ:
生活苦で苦しむ都民を、民間NPOが元旦に教会で食事支援を行った。その映像を見ていてはっとした。宇都宮健児氏が食事支援介添えの姿。小池都知事と宇都宮健児氏との決定的な違いだ。上から命令する役人でなく共にコロナ禍の苦労を分かち合う。いま日本の政治トップが持たない人徳だ。

Ⅲ:
繁華街の前夜の人出が、前回の「宣言」直後に比べ増えている。私は国民がもはや政府首相や都知事を信頼できない状態にいると思える。国民の驚きや不安、苦悩に答えずのろのろした行政。医療逼迫とともに、もはや政府へのぬぐいがたい不審が広がりはじめている。


Ⅳ:
救命救急センターの医師の詳細な取り組みをみて、これだけ献身的に働く人々の姿に心を打たれた。医師や看護師、医療従事に携わるすべてのひとびと。「データをとりながら取り組む」必要を聴きながら共感をもった。

Ⅴ:
東アジアで世界で最もコロナ対策に成功した国台湾。そのようすを海外取材した報道はなるほどと思った。台湾IT相オードリー・タン氏「私の仕事はすべて開放してもらって結構です」。透明性と公開を市民に明らかにする政策。毎日制限なしの会見で市民の不安を解消。市民から大臣以上の案が出る「透明性と公開」の台湾の記者会見。台湾と日本との違い。オードリー氏は、台湾と中国のことを聞かれ「対立は違いによってよりよい対話や論争でさらに高い段階に至ることができます」。オードリー氏自身トランスジェンダーで、台湾では多様性が大事にされている。

危機をのりこえ、希望ある新しい日本をつくる年に 党旗びらき 志位委員長のあいさつ

2021-01-06 00:56:41 | 転載
2021年1月5日(火)しんぶん赤旗転載

 日本共産党の志位和夫委員長が4日の党旗びらきで行ったあいさつは次のとおりです。

 お集まりのみなさん、インターネット中継をご覧の全国のみなさん、2021年、明けましておめでとうございます。

 新型コロナウイルスの感染拡大が続く緊張した状況下での新年となりました。今年を、この未曽有の危機をのりこえて、すべての国民が安心して、希望をもって暮らせる新しい日本をつくる年にしていきたい。その決意を込めて、新春にあたってのあいさつを行います。

一、コロナ危機をどう打開するか――二つの根本的転換を求める
 いま新型コロナ危機は、たいへん深刻な局面を迎えています。

 感染拡大が止まりません。重症者が増え、多くの地域で医療が崩壊の危機にひんしています。こうしたもと、東京都と首都圏3県の知事が、政府に緊急事態宣言の発出を要請するという事態にまで立ち至りました。

 これらは菅政権が無為無策と逆行を続けてきた結果であり、その責任はきわめて重大です。感染拡大は、“菅政権による人災”というほかないものであります。

 安倍・菅政権によるコロナ対応には、端的に言って二つの致命的欠陥があります。危機を打開するためには、従来の対応の根本的転換が急務になっています。

科学の無視――「検査・保護・追跡」という科学的大原則にたった取り組みを
写真
(写真)あいさつする志位和夫委員長=4日、党本部

 第一の致命的欠陥は、科学の無視であります。それは人口比で直近の数字で、世界149位というPCR検査の異常な遅れに象徴されています。

 なぜこんなに遅れたか。新型コロナの一番やっかいなところは、無症状の感染者が知らず知らずのうちに感染を広げてしまうところにあります。ところが政府は、無症状者を把握・保護するという検査戦略を持とうとしません。もっぱら「クラスター対策」をいいますが、これは症状のある人を中心とする感染集団を見つけて、そこからさかのぼって接触者を追跡するという、いわば「点と線」の対策です。これだけではその外にいる無症状者を把握することはできません。

 これを根本からあらためて、「検査・保護・追跡」の抜本的拡充という感染症対策の科学的大原則にたった取り組みが必要です。

 日本共産党は、感染集積地(エピセンター)を明確にし、「面の検査」――その地域の住民や働く人の網羅的検査を行うこと、医療機関・高齢者施設等への「社会的検査」を行うこと、この二つの点で、無症状者を含めた積極的な検査戦略への転換をはかることを強く求めてきました。感染追跡を専門に行うトレーサーをはじめ、保健所体制の抜本的強化を求めてきました。今からでも、こうした方向への政策転換が必要だということを、私は、声を大にして訴えたいと思うのであります。(拍手)

 とくに市中感染がこれだけ広がってしまっている現状では、ハイリスクの人を感染から守る「社会的検査」に大きな力をそそぐ必要があります。医療機関・福祉施設での集団感染は、厚生労働省の調査でも全国でこれまでに1218件と多発しており、重症者を減らすうえでも、「社会的検査」はまさに急務中の急務となっています。

 すでに住民運動やわが党地方議員団の奮闘もあり、全国各地の自治体で「社会的検査」が始まっています。世田谷区では、高齢者施設等への「社会的検査」をのべ309施設で行い、5421人を検査し、55人の陽性者を把握しています。その大多数は無症状者であり、保坂区長は、「もし社会的検査に取り組んでいなかったら、無症状の感染者から感染がまん延し、手に負えない状況になっていたかもしれない」と語っています。「社会的検査」は現に高齢者の命を救う重要な成果をあげていることを強調したいと思います。

 「社会的検査」の重要性は、政府も否定できなくなり、自治体に対して事務連絡などで実施を促しています。しかし、「検査の費用の半分は自治体持ち」という問題点が是正されておらず、自治体が検査拡大に二の足を踏む重大な原因となっています。私は、政府に言いたい。この期に及んで、予算を出し惜しんでどうするのか。みなさん、自治体がちゅうちょなく取り組めるよう、全額国費で「社会的検査」を行う仕組みをつくり、医療機関と高齢者施設を守れ――このことを強く求めていこうではありませんか。(拍手)

 感染拡大に拍車をかけた「Go To」事業は、科学無視の最たるものであります。国民的批判が広がり一時停止に追い込まれましたが、菅首相には反省のかけらもありません。首相は、年末の記者会見でも「Go To」は感染拡大と関係がないと強弁し、赤羽国交大臣は、可能な限り12日から再開すると表明しました。感染拡大のもとでの再開などまったく論外ではないでしょうか。「Go To」事業はきっぱり中止し、観光・飲食業などへの直接支援策に切り替えることを、強く求めるものであります。(拍手)

「自己責任」押し付け――医療機関への減収補填、自粛と一体に補償を
 第二の致命的欠陥は、「自己責任」の押し付けであります。

 菅首相は、「自助、共助、公助」、「まずは自分でやってみる」と繰り返してきました。ここまであからさまな新自由主義の「自己責任」論の「国家像」を説いた首相はかつていませんでしたが、「自己責任」だけではどうにもならないコロナ対策にまでこの思想を押し付けていることは、きわめて罪深いといわなければなりません。

 この年末年始にも、各地で相談会や食料支援など生活困窮者への支援活動が行われ、多くの方々が利用し、ボランティアが参加しましたが、これは本来ならば政府がやるべき仕事であり、「公助」の貧しさを痛感させる光景ともなったのではないでしょうか。

 政府は、医療機関への減収補填(ほてん)を拒否し続けてきました。その結果、医療現場で何が起こっているか。日本看護協会は、12月22日、看護師や准看護師の離職があった病院が15・4%にのぼるという調査結果を発表しました。福井トシ子会長は、次のように訴えています。

 「看護師たちは第1波から約10カ月にわたり、これまで経験したことのないような職場環境の中で絶えず緊張を強いられてきました。……それなのに、コロナ対応と一般患者の減少で病院の経営が悪化したため給料やボーナスが減らされた看護師は多いのです。第3波では、頑張っても頑張っても終わりが見えない。給料は減る一方で『Go To』で旅行や会食を楽しむ人が大勢いるわけです。医療従事者にとってはやりきれません」

 いま懸命に奮闘している医療従事者を、政治が全面的に支える――この姿勢を示さずして、何のための政治かということになるではありませんか。ただちに医療機関への減収補填に踏み切り、すべての医療従事者への特別手当の支給を行うことを、政府に強く求めるものであります。(拍手)

 中小・小規模事業者への対応はどうでしょうか。政府が、昨年12月、コロナ感染拡大のさなかに決めたのは、中小・小規模事業者の「命綱」となってきた持続化給付金や家賃支援給付金を無慈悲にも打ち切るということでした。雇用調整助成金のコロナ特例も2月末までで縮小の方針が出されました。「一回こっきりの持続化給付金では事業は続けられない」「給付金の再給付を」という業者の強い願いに背を向ける冷酷な態度であります。

 この背景には、コロナに便乗した中小企業淘汰(とうた)の政策があります。大企業に対しては「デジタル化」や「国際金融センター」などの名目でさまざまな支援策を強化する一方で、中小企業に対しては直接支援を打ち切り、業態転換や事業の再編成を迫り、コロナに便乗して淘汰を進めようとしているのであります。こんな血も涙もない政治を、断じて許してはなりません。

 みなさん、持続化給付金の第2弾をはじめ直接支援を継続・拡充せよ、休業や時短営業を要請するなら今度こそ十分な補償を行え、仕事や住居を失って生活困窮に陥っている方々への支援に全力をあげよ――このことを強く求めてたたかおうではありませんか。(拍手)

声をあげれば政治は変えられる――「自己責任」押し付けを社会的連帯ではねかえそう
 私が、昨年のたたかいを振り返って訴えたいのは、「声をあげれば政治は変えられる」ということです。日本共産党は、民主勢力・諸団体と手を携えて、全国各地で、「お困りごとは何でもご相談ください」と、国民の命を守り、苦難を軽減する取り組みに全力をそそいできました。このなかで、政治を前に動かすさまざまな成果をかちとってきました。その成果は多岐にわたりますが、特筆すべき成果として二つをあげたいと思います。

 一つは、「自粛と一体に補償を」の声をあげ、政府がかたくなに拒否してきた直接支援の道をこじあけてきたことであります。

 私は、昨年11月、全商連の定期総会に参加する機会がありましたが、民商・全商連のみなさんは、持続化給付金、雇用調整助成金のコロナ特例、家賃支援給付金など、さまざまな直接支援の制度を実現する先頭に立つとともに、“どうせ無理”と諦めていた方に一声かけて励まし、申請を応援し、次々と支給を実現させてきました。持続化給付金で民商が支援して支給されたのは5万6千件、638億円を超えると聞きました。こうしたなかで、5月以来、連続的に会員さんが増え、定期総会に明るい活気がみなぎっていたことはたいへん印象的でした。

 いま一つは少人数学級の前進であります。

 政府は、昨年12月、現在は1クラス40人(小1のみ35人)と定められている小学校の学級編成基準を、2025年度までに全学年35人以下に引き下げることを決めました。小学校の学級規模の一律の引き下げは実に40年ぶりであり、全教、新婦人、教育研究者、地方自治体、校長会、教育委員会、PTAなどの共同の取り組みがつくった重要な前進となりました。わが党が、6月に発表した緊急提言で、「子どもたちに少人数学級をプレゼントしよう」と呼びかけたことも、一つの貢献となりました。対象を中学校、高校にも広げ、一刻も早く30人学級を実現するために、引き続き力をつくしたいと決意しています。

 みなさん、「声をあげれば政治は変えられる」。このことを確信にして、冷酷な「自己責任」の押し付けを社会的連帯ではねかえそうではありませんか。「困った人にやさしい政治」をつくろうではありませんか。コロナの先には、安心して希望をもって暮らせる新しい日本をみんなで力を合わせてつくる年にしていこうではありませんか。(拍手)

二、歴史的勝負の年――共闘の勝利、日本共産党躍進で、新しい政権を
菅政権の終わりが見えた――総選挙で退場の審判を下し、新しい政権をつくろう
 今年は、総選挙が必ず行われる、歴史的勝負の年であります。

 昨年12月に開催した第2回中央委員会総会は、菅政権について、日本学術会議への人事介入など「安倍前政権を上回る危険性」をもつとともに、まともな答弁一つできないなど「政権担当の能力を欠く姿が露呈した」と批判しました。そして、「どのような強権とゴマカシを弄(ろう)しても、この政権と国民との矛盾は広がらざるをえない」と指摘しました。

 それから半月、わずかな期間に、2中総の指摘通りの事態が進展しています。年末に行われたメディアの世論調査では、内閣支持率が軒並み急落しました。最大の要因は、コロナ対応が誰の目にも行き詰まったということにあります。どの世論調査でも、菅政権のコロナ対応を「評価しない」と答えているのが6~7割に達しています。

 それに追い打ちをかけたのが、「政治とカネ」の問題が噴き出したことです。「桜を見る会」前夜祭で費用の補填が行われており、安倍氏や菅氏が1年にわたって国会で虚偽答弁を行っていたという重大事実が明らかになりました。吉川元農水相が鶏卵生産大手企業から巨額の現金を受け取っていた贈収賄疑惑も、きわめて深刻な問題に発展しつつあります。

 発足して3カ月半。はやくも菅政権の終わりが見えてきました。みなさん、来たるべき総選挙で引導を渡そうではありませんか。市民と野党の共闘の勝利、日本共産党の躍進で、菅政権に退場の審判をくだし、政権交代を必ず実現し、新しい政権――野党連合政権をつくろうではありませんか。(拍手)

 市民と野党の共闘は、昨年も国会共闘などで重要な前進を記録しました。一昨年の8月以来続けてきた政権協力に向けた話し合いを、ぜひとも実らせたいと決意しています。自公政権に代わる新しい政権を協力してつくる――この点で前向きの合意をつくることは、共通政策をねりあげ、選挙協力を具体化する話し合いに大きなはずみをつけることになります。政権協力で合意してこそ、選挙協力にも「魂」が入り、勝利への道を開くことができるということを、強調したいと思います。

 わが党自身の取り組みとしては、2中総で固く意思統一したように、わき目もふらず日本共産党の躍進――とくに比例代表での「850万票、15%以上」を獲得するための活動に思い切って力を集中する。この姿勢を揺るがずに堅持し、日本共産党躍進の政治的・組織的勢いをつくりだすことが、わが党自身にとっても、共闘を成功させるためにも、何よりも大切になっています。わが党が比例代表で850万票を獲得することは、小選挙区で野党統一候補が勝利をかちとるうえでも、その土台となるものであります。

 そのために、2中総が呼びかけた、4月末までを期限とする「総選挙躍進、1千万対話・党勢拡大特別期間」を必ず成功させる決意を、年頭にあたってみんなで固めあいたいと思います。(拍手)

「新しい日本をつくる五つの提案」――二つの国民的体験を踏まえてまとめあげた
 総選挙に向け、国民に何を訴えるか。まず呼びかけたいのは、2中総が提唱した「新しい日本をつくる五つの提案」を縦横に語ろうということであります。

 五つの柱、20の項目からなる「新しい日本をつくる五つの提案」は、これまで党が発表してきた総選挙政策とは、根本的な違いがあります。これまでの選挙政策は、「野党として実現のために努力する」――政府・与党に実行を迫っていくという性格のものでした。それに対して、「五つの提案」は、自公政権に代わる新しい政権――野党連合政権が実行する「政権公約」に向けたわが党としての提案――「政権公約」のたたき台として提唱したものであります。国民の力で政権交代を実現し、新しい政権をつくるならば、どれも実行に道が開かれてくるものであります。

 「五つの提案」をまとめあげるうえでは、次の二つの点に留意しました。

新型コロナ危機の体験から得た教訓を踏まえ、新しい日本を構想する
 第一は、新型コロナ危機の体験から得た教訓を踏まえて、新しい日本を構想するということであります。「提案1。新自由主義から転換し、格差をただし、暮らし・家計応援第一の政治をつくる」、「提案4。地球規模の環境破壊を止め、自然と共生する経済社会をつくる」、「提案5。ジェンダー平等社会の実現、多様性を大切にし、個人の尊厳を尊重する政治を」などに、その内容を盛り込みました。

 たとえば、「提案1。新自由主義から転換……」は、その全体がコロナ危機の体験を踏まえたものとなっています。その最初の項目は「ケアに手厚い社会をつくります」となっています。同志社大学教授の岡野八代さんとの「しんぶん赤旗」日刊紙での新春対談でも、コロナ危機の体験を踏まえて、ケア労働が対談の焦点の一つとなりました。長年にわたってケア労働の重要性を研究されてきた岡野さんは、「医療、介護、保育、教育などケアに携わる人たちの悲鳴に耳を傾けない政治でいいのか」と強い怒りを語りました。人間はさまざまなケアなしには生きていけない。ところがケア労働がたいへん粗末に扱われている。そのことをコロナ危機は明るみに出しました。「ケアに手厚い社会を」ということは、コロナ危機を体験して多くの人々が痛切に願っていることではないでしょうか。

 「提案4。自然と共生する経済社会」も、コロナ危機が、地球温暖化、野生生物の生息域の縮小など、地球環境を破壊する人間の経済活動のあり方の根本からの見直しを迫っているもとで、焦眉の課題をまとめたものです。コロナ危機からの経済社会の回復は、グリーン・リカバリー(環境に配慮した回復)――脱炭素、脱原発、再生可能エネルギーの思い切った推進によって進めるという、世界では当たり前となっている流れを明記しました。

 「提案5。ジェンダー平等社会の実現……」も、その全体がコロナ危機の体験を踏まえたものとなっています。コロナ危機で多くの女性が職を失い、DVなどさまざまな困難に直面し、女性の自殺が増えています。こうした体験を踏まえ、ジェンダー平等社会をめざす主要な課題を明記しました。さらに、外国人労働者の人権擁護、少人数学級の実現、文化・芸術を守り育てる国づくりも、コロナ危機のもと、その重要性が痛切に実感されたものであります。

安倍・菅政権がつくった負の遺産を一掃し、政治の抜本的刷新をはかる
 第二は、安倍・菅政権がつくった負の遺産を一掃し、政治の抜本的刷新をはかるということであります。「提案2。憲法を守り、立憲主義・民主主義・平和主義を回復する」、「提案3。覇権主義への従属・屈従外交から抜け出し、自主・自立の平和外交に転換する」などに、その内容を盛り込みました。

 たとえば、安保法制廃止、集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回は、「野党共闘の一丁目一番地」とも言うべき重要な課題ですが、地球的規模での日米軍事一体化への暴走のもとで日本の平和にとって急務であるだけでなく、わが国の立憲主義、法治主義を立て直していくうえでも急務となっています。

 毎日新聞客員編集委員・倉重篤郎さんとの「しんぶん赤旗」日曜版の新春対談で、日本学術会議への人事介入を合理化するために、内閣法制局が「クーデター的な法解釈の改ざん」を行ったことについて、こうした堕落がどこから始まったかが議論になりました。やはり分水嶺(れい)は2014年7月にあったと思います。安倍政権が、この時、内閣法制局長官の首を強引にすげかえて集団的自衛権は合憲と解釈変更をさせた。これが分水嶺となって、法制局は「法の番人」としての矜持(きょうじ)を失い、政権の意のままに、どんな反憲法的な法解釈も平気で行う下僕へと堕落した。これは今日につながっている。ここで意見が一致しました。

 安倍・菅政権によって壊された立憲主義を取り戻すことは、今日のあらゆる問題につながる文字通りの急務であるということを、私は、強調したいと思います。

 こうして、「五つの提案」は、新型コロナ危機の体験、安倍・菅政権の体験という、二つの国民的な体験を踏まえて、国民の多くが願っていること、国民多数の要求をまとめあげたものになっています。私は、ここに「五つの提案」の何よりもの生命力があると確信するものです。みなさん、「新しい日本をつくる五つの提案」を縦横に語り、さらに豊かにしていく取り組みに、力をそそごうではありませんか。(拍手)

改定綱領を縦横に語ろう――岡野八代さんとの新春対談にふれて
 いま一つ、訴えたいのは、改定綱領を生かして、日本共産党の魅力を縦横に語ろうということであります。

 2中総決定は、「改定綱領は、ジェンダー平等、貧富の格差、気候変動など、さまざまな新たな問題を“入り口”にして、未来社会への道をより豊かに多面的に示すものとなりました」と指摘し、「これらの問題の解決に向けて、まずは資本主義の枠内で最大の取り組みを行いつつ、その根本的解決の展望は社会主義にこそあることを、大いに語ろうではありませんか」と呼びかけました。

 この点で、新春対談での岡野八代さんの発言は、たいへんに示唆に富み、刺激的なものでした。岡野さんは、長年にわたってジェンダー平等に情熱をもって取り組んでこられた研究者ですが、対談のなかで、岡野さんは、「コロナ危機を通して、新自由主義の破たんが明らかになりましたが、同時に、資本主義そのものの矛盾ということも考えざるをえません」とのべ、「資本主義の大きな矛盾は、……労働者と、その労働者をつくる仕組み――ケアを酷使し、それに見合う報酬を出さないことにあるのではないでしょうか。この矛盾は資本主義である限りなくならないのではないでしょうか」と指摘しました。

 そして、「資本主義によらない政治の形というのを、いま模索しています。……私は今、自分の研究上も、最もコミュニズム(共産主義)に近い線を走っているところです」と語りました。私が、ジェンダー平等というのは、まずは資本主義の枠内でもその実現のために最大の努力を傾けなければならない目標だが、コミュニズムに進んだときには、全面的に達成できると考えていると話しますと、岡野さんが、「ゴールはたぶん同じところにあると思います」と応じたことも、たいへんに印象的でした。

 この対談を通じて、私は、科学的社会主義とジェンダー平等の流れとの接近、響き合いを強く実感し、新鮮な感動を覚えました。

 新型コロナ・パンデミックのもと、「資本主義の限界」を指摘し、「資本主義の見直し」を求める声がさまざまな形で広がっています。まさに、私は“社会主義の新たな出番の時代”がやってきたと思います。改定綱領を縦横に生かし、私たちがめざす未来社会――社会主義・共産主義の展望を大いに語っていく年にしようではありませんか。(拍手)

三、「総選挙躍進特別期間」を必ず成功させよう
「特別期間」の初動の取り組みについて
 最後に、2中総が呼びかけた「総選挙躍進特別期間」について報告します。

 「特別期間」の提起は、全党にきわめて積極的に受け止められ、実践が開始されました。12月の取り組みの到達点は以下の通りであります。

 対話は、2中総後、取り組みのテンポが1・5倍化し、7万人近くの伸びで、到達は57万5千人であります。後援会員は、8900人を増やし334万人を超えました。JCPサポーターまつりオンラインが大成功し、サポーターは新たに1千人増え、1万3千人となりました。

 12月の党勢拡大は、党員拡大では、入党の働きかけが約2千人、入党申し込みは302人で、残念ながら現勢では後退の見通しであります。読者拡大は、拡大数では、大幅増勢した昨年5月や9月を上回る拡大数となる全党のみなさんの大奮闘が展開されましたが、購読中止の読者がそれを上回り、残念な後退となりました。

 同時に、昨年1年間を通してみると、党員拡大では、現勢では前進できなかったものの、新しい法則的な党員拡大運動が始まり、一昨年を上回る5千人をこえる新たな同志を迎え入れることができました。読者拡大では、年間の拡大数では、2016年以降では最大規模となりました。私は、コロナ危機という未曽有の困難のもとでの、全党のみなさんの大奮闘に心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。(拍手)

 みなさん、目前の総選挙に必ず勝利するために、2中総決定を力に、「支部が主役」で「特別期間」の運動を本格化させ、宣伝と対話でも、党勢拡大でも、この1月から見るべき前進をつくりだすために、全力をつくそうではありませんか。(拍手)

26歳の新入党員――「綱領が自分の思いにことごとく一致していることに驚いている」
 「総選挙躍進特別期間」を成功させる条件は大いにあります。

 新春にあたって、全党のみなさんに、私たちが勇気づけられた二つの経験をお伝えしたいと思います。

 2中総の討論では、「これまで党と接点がなかった人々が、自らの力で党を発見し、出会いが起こっている」ことが、さまざまな形で明らかにされましたが、きょうは、大企業が発行する雑誌の編集部に勤務する26歳の男性の入党について紹介したいと思います。

 男性は、検察庁法問題で、ネットに抗議の声が広がるなか、もっと詳しく知りたいと「赤旗」電子版無料購読を申し込みました。その後、日刊紙を購読、民青に加盟し、記念講演を視聴し、入党しました。入党の感想と決意を次のように語っています。

 「綱領に全面的に賛同します。新自由主義ではうまくいきません。資本主義ではダメ。社会主義的な考え方が一番自分に合っています。綱領を読み進めるなかで、これまで政治に距離をとってきた自分の思いとことごとく一致していることに驚きました。こういう綱領を掲げている政党があることに驚き、それに一致していく自分にも驚き、希望を覚えました。改定綱領で、僕はこの党に入るべくして入ったところがあります。弱い人のために寄り添う社会、やさしい社会をつくれるように、一歩ずつでもいいから頑張っていきたい」

 検察庁法問題を契機に日本共産党に出会い、綱領を読んでみたら自分の思いにことごとく一致していて驚いた。ここにも、わが党がいま大きく発展していく可能性が示されているのではないでしょうか。

「赤旗」記者特別募集――若い同志たちが魅力を感じジャーナリストの道を踏み出している
 いま一つ、紹介したいのは、「しんぶん赤旗」の記者特別募集の取り組みです。

 「しんぶん赤旗」は、「桜を見る会」スクープのJCJ大賞受賞を契機に、かつてない社会的注目を集め、政党機関紙の域を超えて、日本を代表するジャーナリズムとして、社会的に認知されるようになってきています。

 そうしたなか8月から10月にかけて取り組んだ「赤旗」記者特別募集には、50人を超える応募があり、当初の目標だった15人を超える20人程度の採用が見込める状況になっています。これだけの若手・中堅の党員が、「赤旗」記者という党中央の専従活動家になることを決意したことは、党全体の世代的継承にとっても重要な成果であります。「発行体制面でも『赤旗』を守ろう」という私たちの呼びかけにこたえた全党のご協力に、心からの感謝を申し上げるものです。

 新しく編集局に入る同志たちの3分の1は、この2年ほどの間に入党した同志ですが、「赤旗」記者になりたいという思いから、この機会に入党した同志も少なくありません。

 入党前に編集局に問い合わせの電話をしてきたTさんは次のように語っています。「大手紙は記者クラブに入っているが、『赤旗』はそのなかに入っていない。一人一人が問題意識を持っている。それができるのも綱領があるからだと思う。だからスクープも生まれる」

 もうひとかた、通信社に勤めていた経験をもつAさんは次のように語っています。「『赤旗』には独立性がある。スポンサーの制約を受けず、手を緩めず社会問題に切り込み、真実を暴くことができる、電通や外環道の問題など、他のメディアが取り上げないなか、追及できる。『桜』疑惑でも、野党が追及チームをつくれるところまでいった。『赤旗』には国を動かす力がある」

 「赤旗」が社会的注目を集めるなか、若い同志たちが、この仕事に魅力とやりがいを感じて、新しいジャーナリストの道を踏み出している。何ともうれしく頼もしいことではないでしょうか。(拍手)

党創立99周年の年――党史に残る歴史的な年となるよう力合わせ頑張りぬこう
 みなさん、これらの経験は、2中総でも確認した、コロナ危機のもとでの情勢の変化、国民の意識の前向きの変化を、生きいきと反映しているではありませんか。

 今年は、党創立99周年の年であります。

 前進の条件をすべてくみつくして、「総選挙躍進特別期間」を必ず成功させ、今年が、総選挙での新しい政権――野党連合政権の樹立と、日本共産党躍進を実現した、党史に残る歴史的な年となるよう、力を合わせて頑張りぬくことを誓いあって、年頭にあたってのあいさつといたします。


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【色平哲郎氏のご紹介】砂漠を緑地化させ気候変動を逆転させる方法「草原を守ることが万物共生の道」

2021-01-05 22:07:05 | 転載
2021年01月05日 午後 2:03



「どうすればいいのでしょうか 選択肢はただひとつです 繰り返します 気象学者と科学者に 残された選択肢はただひとつです その考えもしなかった方法とは 家畜を使い 群にして遊牧して 以前の群や肉食動物のような 自然を真似するのです 人類に残された選択肢は他にありません」

(以下3行、モンゴル研究者からよせられたコメント)

そーなんですよ。昔のモンゴル人なら誰でも知っていました。五畜を飼い、《富まず、乏しからず》、草原を守ることが万物共生の道だということを。禁酒法ならぬ、禁収奪法をつくり、お馬鹿経済を止めて、遊牧民に見習おう!

==

「砂漠化は、陸地が砂漠になることを表すしゃれた言葉に過ぎません。」

アラン・セイボリーは静かな口調で、この力強いトークを切り出します。恐ろしいことに、砂漠化は世界中の草原地帯の3分の2の地域で進んでおり、気候変動と伝統的な放牧民の社会崩壊を引き起こしています。セイボリー氏は砂漠化を止めることに一生を捧げています。彼が提唱し、実証が進む手法は驚くべき要素を取り入れて、草原の環境保全と砂漠地帯の緑化に効果を発揮しようとしています。

https://bit.ly/2XaK55T


砂漠を緑地化させ気候変動を逆転させる方法
アラン・セイボリー TED2013  Allan Redin Savory 22分
Japanese translation by Akira Kan. Reviewed by Takuya Iwata.


00:05
想像を絶するほどの 大規模な災害が次々と 襲いかかっています
この一連の災害が もたらすのは恐ろしい現実 ますます悪化する現実です
迫り来る現実には技術で対処しようと 私たちは信じて疑いません
無理もありません
パーフェクト・ストームをひき起こすのは 百億人に達しようとする 人口増加 陸地の砂漠化 そしてもちろん気候変動です

00:54
疑う余地はありません
化石燃料の代替には 技術革新が不可欠です
しかし化石燃料 すなわち石炭 石油が 放出する二酸化炭素だけが 気候変動の原因ではありません

01:11
砂漠化は 陸地が砂漠になることを表す しゃれた言葉に過ぎません
砂漠化は人間の活動で 荒涼地が増える現象です
それ以外ありません
私が注目したいのは 砂漠化が進む世界の大部分の陸地です

01:32
では皆さんにとても簡単かつ 大きな希望を与える話をします
地球上には1年を通して 湿度が高い地域があります
これらの地域には 荒涼な土地ができません
何をしても自然がすぐに回復してくれます
一方 他の地域では 数ヶ月おきに雨季と乾季が 繰り返します
砂漠化はそういう地域で起きます
今日では宇宙技術のおかげで宇宙から観測できます
すると割合がよく分かります
一般に緑色の地域は 砂漠化していません
一方で茶色の地域は 地球上の大部分を占めています
この世界の約2/3の地域で砂漠化が進行中です

02:28
ティハマ砂漠で撮影した写真です
25mmの降雨がありました
200リットルのドラム缶に換算すると その場所では一日に1ヘクタールあたり 千本以上の降雨量です
翌日はこうなりました 水はどこに消えたのでしょう
洪水よりも 土壌にしみ込んだ水の大部分は 蒸発してしまったのです
まるで庭の土を 覆わない時と同じです
水と二酸化炭素は土壌の有機物と 密接な関係があります
土壌を破壊すると二酸化炭素が発生します
二酸化炭素は大気に放出されます

03:19
皆さん繰り返し聞いたように 砂漠化は乾燥帯と 半乾燥帯だけで起きており このような多雨地帯の草原には影響がないと言われます
しかし草原の土壌を見てみると その大部分は荒地で 藻に覆われていることがわかります
水が流出し 蒸発しやすい状態です
実はこれが砂漠化の元凶です
手遅れになるまで気付きません

04:01
砂漠化の原因は家畜と考えられます
牛 羊 山羊などが 植物を食べ尽くし 露出した土壌からメタンガスが発生します
ほぼ誰もが知っています
ノーベル賞受賞者も ゴルフ・キャディーも 私もそう思っていました
ご覧になっているのは 私が育ったアフリカの埃っぽい風景です
野生動物が大好きだった私は 害をおよぼす家畜が 大嫌いでした
生態学者を志した大学の授業も その信条を裏打ちしました

04:45
でも お知らせがあります
以前 私たちは世界は平らだと 信じていました
それは誤りでした 誤りは繰り返します
では皆さんを私がたどった 再教育と再発見の旅に お連れしましょう

05:08
まだ若かったころ アフリカに住む若い生物学者として 私は素晴らしい一帯を国立公園として 保護する計画に参加しました
1950年代のことです
動物保護のため狩猟をして 太鼓を叩く民族を転移させた途端に 土地の劣化が始まりました
できた国立公園はご覧のとおりです
家畜は関与しておらず 象が増えたことが原因と仮定しました
調査の結果それを証明し 地域が持続可能な数まで 象の個体数を減らすことを提言しました
私にとっては非常に辛い決断でした
政治的にも火種でした
そこで政府は専門家チームを作り 再調査させました
その結果は同じでした
その後数年に渡り 被害を止めようと4万頭の象を撃ちました
状況は好転どころか悪化しました
象を愛する私にとり 人生最大の悲劇かつ汚点です
墓場まで持って行きます
これがきっかけで 解決策を見つけることに 自分の人生を懸ける決断をしました

06:41
アメリカに来て非常に驚いたことに このような国立公園が アフリカ同様に砂漠化しているのです
この地域には70年以上 家畜は放牧されていません
そしてアメリカの科学者は 荒涼とした自然という以外は その理由を説明できませんでした
アメリカ合衆国西部全体で 調査可能なあらゆる地域について 調査してみました
砂漠化を止める目的で 牛の放牧を止めた結果をみると 逆に悪化していました
例えば この調査地点では 1961年には緑が濃かったのに 2002年にはこうなってしまいました
写真を引用した気候変動報告書を 執筆した方々の見解は 単に"原因不明"でした

07:45
多くの文明を破壊し 今や世界的危機の 砂漠化の原因は何なのか 私たちは理解していなかったことは 明らかです
1メートル四方の土地を このように更地にすると 腐葉土に覆われた状態に比較して きっと夜明け前には より冷たく 日中はより熱くなることでしょう
局地的気候変動が起こったわけです
同様に世界中の 陸地の半分以上で更地を増やせば 地球規模の気候変動をひき起こします
しかし私たちが理解できなかったのは なぜ砂漠化が1万年前から起きはじめて 最近顕著になったかです
全く無知だったのです

08:45
見過ごしていたことは 世界中の季節的な湿度の変化や 土壌そして植生を保つのは 莫大な数の草食動物であり それらの草食動物を 捕食する肉食動物だということです
肉食動物から身を守るために草食動物は 群を作ります
群は大きければ大きいほど安全です
大きな群は自分たちの食べ物の上に排泄します
そのため常に移動しなければなりません
その移動のおかげで 植物を食べ尽くすことがありません
そして定期的に踏みつけられた 地域の土壌は草で覆われます
群が通過した場所を見ると分かります

09:40
典型的な季節性草原の写真です
4ヶ月の雨季が終わったばかりで 8ヶ月の乾季が始まろうとしています
この長い乾季に起きる変化を見てみましょう
地表の草は次の生育期までに 全て生物学的に分解する必要があります
さもなければ草原と土壌は死んでしまいます
生物学的に分解しないと 長くゆっくりした酸化現象が発生し 草原は死滅して 草木の多い植生の荒地になり 二酸化炭素を放出します
それを防ぐために火を使ってきました
しかし火も荒地の原因になり 二酸化炭素を放出します
さらに悪いことに 野焼きは1ヘクタールあたり 車6千台以上の有害物質を放出します
車6千台以上の有害物質を放出します
アフリカでは毎年10億ヘクタール以上の 地域で野焼きをしていますが 話題にすらなりません
科学者は野焼きは枯れた植物を 取り除き植物の再生を促すために 必要だといいます

11:14
では乾燥化が進んだこの草原を見てみましょう
どうすれば健全な状態にできるでしょうか
これは世界中の地域で起きていることです
動物の生息数を減らしても砂漠化と 気候変動が進むだけです
野焼きしても砂漠化と気候変動が 進むだけです

どうすればいいのでしょうか
選択肢はただひとつです
繰り返します
気象学者と科学者に 残された選択肢はただひとつです
その考えもしなかった方法とは 家畜を使い 群にして遊牧して 以前の群や肉食動物のような 自然を真似するのです
人類に残された選択肢は他にありません

12:09
さっそく試してみましょう
この草地の手前側だけで試してみます
自然を真似て牛にとても踏みつけてもらいました
その結果はご覧のとおりです
草が土の表面を覆っています
糞尿と混ざって堆肥化しています
庭いじりする方にはお分かりのとおり 土は雨水を吸収して保ち二酸化炭素を貯蔵して メタンを分解できる状態です
しかもそれを 火を使って土壌を破壊せずに達成し 植物は自由に成長できます

12:49
私は初めて 科学者が悪者扱いする 家畜を使うしか 気候変動と砂漠化に 対処できないことに 気づき重大な葛藤にかられました
どうやってこの先 進めばいいのでしょう
遊牧には1万年の歴史があり 動物の群を作り 移動する方法は確立されています
しかしそのせいで人工的な 砂漠が世界中で増えています
一方降雨に関する科学研究は この百年あまりですが 砂漠化は進む一方です
はじめにアフリカで顕著になり アメリカでも確認されました
連邦政府が管理する地域は このとおりの状況です
明らかに動物の群を作って人間と共に 移動される以上の何かが必要でした
千年以上もの間それだけでは 自然の複雑さに対応できなかったのです
しかし私たち生物学者も生態学者も これほど複雑な挑戦をしたことはありませんでした
そこで一からやり直すのではなく 他業種で同様な取組みが なかったか調べました
そしてある計画的手法を応用して 生物学的要件に対応することにしました
それを基に私は統合的に放牧の 計画管理をする工程を作りました
その手法は自然の持つ複雑さと人間の 社会 環境 そして経済的要素に対応します

14:20
今日ではこのような若い女性が アフリカの村落で動物の群の作り方 自然を真似た放牧の方法 夜間の滞留のしかた等を 指導しています
これらの方法は肉食動物にも配慮しています
土地はたくさんあるので 昼夜を通して滞留させれば 作物を植える畑を耕すことになり 収穫量も画期的に増えています

14:47
いくつか事例を見てみましょう
ジンバブエにある私たちの管理地域周辺です
今年は4か月の間たくさん雨が降りました
そして長い乾期に入ろうとしています
しかし見てのとおり雨水は 地表からほとんど蒸発してしまいました
川は雨があがったばかりなのに干上がっています
永続的に食糧支援に頼る人は15万人を数えます では同じ日に近くにある 私たちの土地を見てみましょう
降雨量は同じです
見て下さい
川は水量があり健全できれいです
すばらしいです
草 灌木 木 野生動物 全てが活き活きとしています
もはや干上がる心配は ほとんどありません
何をしたかというと 牛と山羊の数を4倍に増やして 自然を真似て 放牧を行いつつ 象 水牛 キリンや 他の動物との共生を図ったのです
しかし始める前はこんな様子でした
この土地は雨量に関係なく 30年以上に渡り荒廃し続けました
目印をつけた木に注目して自然を真似た 家畜がもたらした変化を見てください
別の場所です
この土地は荒廃が進み 目印のある小さな木の地表は 30cmも土壌が流出しました
再び自然を真似た家畜が もたらした変化を見てください
今では倒木があります 改善した土地に象などが戻ってきたのです
メキシコのこの地域はひどい状態でした
丘を目印にしました ものすごい変化が起きたのです

16:52
(拍手)

17:00
1970年代に私はカルー砂漠に 住む家族の支援を始めました
この右側の砂漠を緑化しようとしています
有難いことに孫たちはこの土地で 将来への希望を持つようになりました
この例もまた信じられない変化を示しています
侵食でできた溝が 自然を真似た 家畜のおかげで完全に修復されました
ここでも住んでいる家族の三世代目が 希望に満ちて生活しています

17:33
パタゴニアのとても広い草原が砂漠化しています
ご覧のとおりです
真ん中にいるのはアルゼンチン人の研究者です
羊の数を何年もの間減らしたのに伴い 土地が荒廃していく様子を見てきました
そこで2万5千頭の羊をひとつの群にして 自然を真似た計画的放牧を行った結果 最初の一年で土地の生産性が5割向上しました
最初の一年で土地の生産性が5割向上しました

18:04
危険なアフリカの角地帯では 自然を真似た計画的放牧を行っており 放牧家はこれが彼らの家族と文化を守る唯一の方法だと公言しています
この土地の95%では 動物に頼らないと人間が食べていけません

18:23
他の世界中の地域も同様に 私たちの運命を握っているのです
世界で最も危険な地域を含めてです そんな地域の95%では動物に頼らないと 人間が食べていけないのです
世界中で人間の活動が 化石燃料と同じ位 あるいはそれ以上の規模で 気候変動をひき起こしています
さらに悪いことに飢饉 貧困 暴力 社会崩壊 そして戦争をひき起こしています
何百万もの老若男女が 苦しみ死んでいます
その状況が続けば たとえ化石燃料を排除したとしても 気候変動を止めることはできないでしょう

19:17
お見せしたのは自然を真似ることにより とても安価に この傾向を逆転することです
この取組みは既に 五大陸 1千5百万ヘクタールの 地域で始まっており 私よりもはるかに二酸化炭素に詳しい方々が この手法を実行すれば 大気中から何千年分もの 二酸化炭素を草原に吸収させて 貯蔵する効果があると試算しています
お見せしたことを世界中にある 草原地帯の大半で行えば 産業革命以前の水準に戻せるし 食糧事情も改善します 私たちの地球 子供たちや その子孫 そして人類にとり これ以上の
希望を 与えることは他にないと思います

20:17
ありがとうございました

20:20
(拍手)

20:42
ありがとうございます

20:43
私も きっと聴衆の皆さんも たくさん質問があるし あなたをハグしたいことでしょう
ひとつだけ手短かな質問があります
はじめに動物の群を砂漠に放つ際に いったい何を食べさせるのですか
その点はどうなるのでしょう
どうやって始めるのでしょうか

21:02
もう何年にも渡り実施しているわけですが 餌を提供する必要があったのは たったの一度だけ 完全な荒地だった鉱山を 緑地化したときだけです
何年も前にジンバブエの 最も劣悪な地域で活動したときには 160キロにおよぶ土地で草1本でも 見つけたら5ポンドを提供することにしました
そこでは使う動物の数を調整して 一年目は餌を与えることなく 移動により自然を真似して S字曲線理論を使ってうまくいきました
少し専門的な説明でしたが

21:42
本当に興味深く重要なアイデアです
きっと多くの優秀な人が ブログなどで話かけることでしょう
ぜひこの件についてもっと 色々なことを教えてください

21:53
驚くべき 本当に驚くべきお話しでした
ここにいる皆さんが応援し続けると思います
本当にありがとうございました
こちらこそありがとうございました

22:02
(拍手)

市民運動創造と宇都宮健児ら群像

2021-01-02 14:53:36 | 言論と政治
➊ 市民運動を高めたのは、私見によれば、ミサオ・レッドウルフ氏らの「首都圏反原発連合」、山口二郎・中野晃一氏ら「市民連合」そして高田健氏らの「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」である。これらの市民運動は、沈滞していた日本の左翼政党とくに日本共産党を再び自党の努力もあわせ活性化させた。



❷ さらに2020年東京都知事選に、政党に依存せず自ら立候補する決意を固め動いた宇都宮健児氏の動きは、いままでの社共政党による「明るい革新政党をつくる会」形式のパターンを変えた。宇都宮健児氏は、二度都知事選に出馬し次点の得票を安定的に獲得した。だがそのつぎの都知事選に野党共闘を重視した野党共闘勢力は実質民進党の言うがままに引きずられて、宇都宮氏をおろし鳥越俊太郎氏を候補と決めた。鳥越氏自身は一定のリベラルなジャーナリストだが、選挙中に週刊文春らのマスコミは女性スキャンダルを大々的に流した。このたくらみは背後に権力が公安筋を駆使したことが推測される。それはその後菅義偉政権が公安ら警察の要職を務めた杉田内閣官房副長官を任命したことによって、いくつかの政治的事件の連携を容易に推測させた。

 鳥越氏の次点にも入らぬ第三位という結果、それを外から見ていた宇都宮氏は、美濃部亮吉都知事3期12年の都政を教訓として、市民からの要請を足場に次の知事選に臨んだ。野党共闘が支持したのは後追いに近い。ただ宇都宮氏も野党共闘も、そのような経過にこだわらず、見事な選挙戦を展開した。私が着目したのは、市民選対の創造性である。弁護士海渡雄一氏、PARC代表理事内田聖子氏、医師日本共産党衆議院選挙候補谷川智行氏らを中心に実に創意ある選挙を担っていった。この都知事選は充実感を支持者たちにも選対幹部も宇都宮氏にも実感させた。



❸ いま市民運動は、新たな段階にある。宇都宮健児、山本太郎らの運動は、プロの政治家・政党に、市民の運動も政治変革の主体として登場している。前川喜平ら優れた人々が自立した個性的市民として、日本共産党ら立憲野党とともに今の日本の救国の最前線を透視している。




【広原盛明のつれづれ日記】 2021-01-02

2021-01-02 08:13:02 | 転載
2021年の〝恐縮〟な新年を迎えて、それでも為すべきことが多い、菅内閣と野党共闘の行方(16)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その241)


 新年はおめでたいものだと相場が決まっている。暮れには「よいお年を」と言って仕事を終え、年明けには「明けましておめでとう」と挨拶をかわす。そして、元旦には年賀状を読む...。これが日本人の平均的な姿であり、私も成人してからそうしてきた。しかし、ここ数年(正確には10年近く前から)、新年を迎えるのが少しずつ辛くなってきた。最大の理由は、自分が年賀状を欠礼しているのに、多くの方から年賀状をいただく〝恐縮〟状態が続いているからだ。



 現役時代は年賀状を沢山書いていた。数百通に及ぶことも珍しくはなかった。親しい友人には新年の抱負を語り、年来の知人には無事を確かめ合う意味で書くことが喜びだった。ところが、あるときからこれが苦痛になってきたのである。師走になると大量の年賀状を買い込み、毎日書かなければこれだけの数は消化できない。もともと筆不精の私が「年賀状だけは」と思って頑張ってきたのが、遂に限界が来たのだった。



 賢明な友人たちは既にパソコンで省力化していたが、私はどうしても表裏すべてがプリントされている賀状には抵抗感があり、どこかに自分の下手な字を記すことにこだわった。それが原因で段々と指や手首が動きにくくなり、遂には「ギブアップ宣言」する羽目になった。そこで、ある年の賀状にこれまでのお礼を述べ、来年からの賀状は欠礼すると非礼を詫びたのだが、事態はこれで収まらなかった。それ以降も(数は減ったが)毎年、年賀状が届くのである。



 嬉しくもあり、懐かしくもある。しかし、それ以上に「申しわけない」との気持ちの方が大きい。ならば、返礼すればいいではないかとも思うが、選別するわけにはいかない。全部返礼するとなると、ふたたび以前のような状態に陥る。これはもう自分の体力(気力も)からして不可能だ。だが、いただいた賀状は全てとってある。自分が物理的に存在しなくなった時のためだ。家人の誰かに委ねるしかないが、「年来のご無沙汰」をお詫びするためにも、最後の返礼だけは果たすつもりでいる。



 それからもう一つ、新年になるたびに決断を迫られることがある。こちらの方は「憂鬱」と言う方がふさわしいが、積もり積もった蔵書の始末をどうするかという大問題だ。現役を退いてからすでに軽トラ3台分ぐらいの雑誌や資料は整理してきたが、どこかで言うように「断捨離!」とはいかない。研究者の端くれである私にとって蔵書は切り離しがたい分身であり、それを始末することは「身を切る」のと同じぐらい辛いことだからである。



 そこで、年末から物置(書庫)に入って整理を始めたが、気持ちの整理がつかないので作業が一向に進まない。それでも、毎日回ってくる古紙回収のオジサンのためにも何らかの成果を出さなければならないので、泣く泣く段ボール10数箱ぐらいは整理した。だが、そのうち寒さとストレスで身体が動かなくなり、それを口実にして作業を中止した。



 でも、収穫がなかったわけではない。ここ10数年ほどは3年に一度ぐらい著書を出してきたが、関連する資料が山積みになっていたのを何とかテーマごとに大分けして、物置と書斎に分類することができた。家人は、私が居なくなった時は躊躇なく「葬儀屋の前に古紙回収のオジサンに電話する!」と言っているので、このような事態を回避するためにも、また次のテーマに取り掛かるためにも、一定の整理作業は不可欠のプロセスだったのである。



 2021年の今年は、大きな課題が待ち構えている。神戸市では阪神淡路大震災から26年目の今年、新長田駅前再開発事業の検証報告書を1月に公表する。私は4年前に神戸の友人3人と一緒に『神戸百年の大計と未来』(晃洋書房)を出版して、この大艦巨砲主義の再開発事業は「日本の都市計画史上最大の失敗だ」だと評価したが、神戸市の報告書ではどうなることか、誰も責任を取らない方向で報告書がまとめられることになっているらしい。



 神戸ではすでに「神戸市の検証報告書を検証する市民研究会」(仮称)を立ち上げる準備が進んでおり、1960年代末から神戸のまちづくりに関わってきた私は、人生の総仕上げのひとつとして研究会に参加するつもりでいる。神戸の都市計画・まちづくりに関わった数多くの研究者の中にも、1人ぐらいは市当局の意のままにならない気骨ある学者がいることを証明したい――と思うからである。



 一方、京都市ではコロナ禍で瀕死の状態にある観光を立て直すため、「京都観光振興計画2025」の審議会が開かれ、2月には答申が出されることになっている。京都では『ねっとわーく京都』というNPО法人が発行する辛口の月刊誌があり、私は自称コラムニストとして2011年以来、毎月論説めいたコラムを120回近く書いてきた。だが残念なことに、同誌は今年3月に休刊になるということなので、今後は別の場所でコメントする機会をつくらなければならない。



 そんなこともあって、昨年10月には同誌掲載の3年半のコラムをまとめた『観光立国政策と観光都市京都』(文理閣)を出版した。反響は「イマイチ」だと言うが、読むべき人は読んでいるらしい。こちらの方は、拙ブログでもこれから系統的に追いかけて論評を加え、次期が来れば『続編』を出版したいと考えている。年は変わったが情勢は変わらない。何とかに「水」といったことには気にしないで、今年も老体に鞭を打って頑張りたいと決意している。(つづく)

hiroharablog 35分前