【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

新聞うずみ火 最新号 2020年4月号

2020-03-30 20:11:04 | 転載

1面~3面
福島市から自主避難 加藤さん「新型コロナ 再び試練」(矢野宏、栗原佳子)
東日本大震災、その直後に発生した東京電力福島第一原発事故から9年がたった。震災から1ヵ月半後、子どもの被ばくを懸念し福島市から京都市に自主避難した加藤裕子さんは、働きながら一人娘を育ててきた。大学生になった娘は今年春から韓国留学を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大の余波で、渡韓の道を絶たれた。「我が家にとっては二度目の災害」という試練の中で迎えた9年。加藤さんとともに振り返る。

現在進行形のコロナ騒動は加藤さんにとって「3・11」の再来だ。
「情報も入り乱れて、どれが正確なのかがわからない。不安だけが募ります。デマが流れ、食料などがスーパーの店頭から消えたのも似ていますよね。マスクをかけて外出していましたし、『外に出てはいけない、屋内に留まるように』と言われ、子どもたちも外で遊べないのでストレスを抱えていて……」
加藤さんが重ね合わせる9年前。それは2011年3月11日午後2時46分、福島市の勤務先で震度6弱の大地震に遭遇したのが始まりだった。
震災から3日目、電気が復旧し、テレビをつけると、「原発の建屋が吹き飛んだ」というニュースが飛び込んできた。福島第一原発1号機の水素爆発だった。それまでの生活で原発を意識したことはない。自分が住んでいる場所が福島第一原発から60㌔の距離にあることも初めて知った。
やっとつながりはじめたネットにかじりつき、福島県が1時間ごとに発表する放射線量のチェックも始めた。5日目の午後6時40分、福島市の放射線量は24・24マイクロシーベルトと表示された。通常の600倍という数値だった。
… 

4面~5面

原発事故9年 今中さん講演「後始末は百年計画」(栗原佳子)
3月のうずみ火講座は14日、京都大学複合原子力科学研究所(旧原子炉実験所)研究員の今中哲二さんを迎え、大阪市西区の市立西区民センターで開講した。今中さんは、原発の危険性を訴えてきた研究者グループ「熊取6人組」の一人。東京電力福島第一原発事故から9年。「福島第一原発と放射能汚染のいま」と題し、解説してもらった。講演要旨をお届けする。

9年前の3月11日、福島第一原発6基のうち1、2、3号機が運転中だった。原子炉運転員の緊急事態時のスローガンは「止める・冷やす・閉じ込める」。地震で自動的に原子炉に制御棒が入り、核分裂の連鎖反応は止まった。地震でやられた外部電力に代わり非常用発電機が動き出したが、それも津波で水をかぶってしまった。冷やすことに失敗し、閉じ込めることにも失敗した。12日に1号機、16日には3号機が水素爆発した。2号機は1号機が爆発した時に外壁に穴が開き、水素が漏れたため爆発はしなかった。しかし15日に格納容器が壊れたらしく、放射能の放出が一番多かったのがこの日だった。
1平方㍍あたり1万ベクレル以上、セシウム137に汚染された面積は約2万5000平方㍍。本州の約1割にあたる。1万ベクレルという数字は、それなりに無視できない汚染が起きているということ。東京のサンプルもたくさん測っているが、東京もセシウムだらけだ。
事故から1カ月以上たって避難指示が出た飯館村で調査を続けている。人口約6000人の村に3000億~4000億円の除染費用が投じられた。住民のいない村に毎日6000人の作業員が通っていた。それはもうすごかった。去年までの8年間で飯館村の放射線量は20分の1になったが、事故前に比べると10倍~20倍の放射線量が続く。セシウム137は15%しか減っていない。半減期は30年。50年、100年先を考えていかないと村は元に戻らない。
……
6面~7面
大阪の「体験を語る会」3月解散「空襲の語り部続けます」(矢野宏)
「大阪大空襲の体験を語る会」が3月末で解散する。大阪の主婦が「空襲の記録を残そう」と呼びかけて半世紀近く、会員の減少と高齢化で活動そのものが困難になったため。代表の久保三也子さん(90)=大阪市福島区=は一抹の寂しさを感じつつも、「空襲体験の語り部は体が許す限り、続けていきます」と力強く語った。

大阪は太平洋戦争末期の1944年11月から敗戦前日の45年8月14日までに50回を超える空襲を受け、死者・行方不明者は約1万5000人。100機以上のB29爆撃機が来襲した大空襲は計8回を数える。
70年に作家の早乙女勝元さんらが「東京空襲を記録する会」を発足。刺激を受けた大阪府豊中市の主婦、金野紀世子さん(2008年5月に85歳で死去)が翌71年3月、朝日新聞に「大阪大空襲を私たちの手で記録にとどめよう」と投稿。2カ月後、天王寺区の教育会館に15人ほどが集い、「語る会」を発足した。久保さんは金野さんと新聞投稿仲間。金野さんから体験記の整理を依頼され、加わることになった。7月には最初の「大阪大空襲体験記」を自費出版する。その後も会員らが手弁当でコツコツと証言を聞き取り、97年までに体験画集を含めて9冊の体験記を出した。
初代代表だった金野さんは生前、こう語っていた。
「どんな人でも話しながら泣きます。聞きながら私たちも涙が出てきます。涙と一緒の仕事やから、よけいしんどいんですわ。そやけど、風化の一途をたどる大空襲の犠牲者への供養になると思ってます」
語る会では空襲で亡くなった「母子像」の建立や追悼式典の開催にも尽力するとともに、小中高校を回って自らの空襲体験を語ってきた。
……


 99年に金野さんが脳梗塞で倒れ、2001年に2代目の代表となった久保さんは会員名簿を整理し直し、主なメンバーらと証言を語り継いできた。
 久保さんは1929年、4人きょうだいの次女として生まれた。父親はアメリカへの留学経験があり、貿易業などを営んでいた。41年12月に太平洋戦争が始まった時、「戦争が2年以上続いたら、日本は負ける」と語っていたという。
 大阪が最初の大空襲に見舞われたのは45年3月13日。当時、久保さんは府立泉尾高等女学校(現・府立大正白稜高校)3年生だった。福島区の自宅から南側を見ると、B29爆撃機が投下した焼夷弾のリボンが燃え、「火の滝が降ってきたようだった」と振り返る。
 「きれいなもんやなあと思いました。火の滝の下側に浮かび上がっていた家々が次々に消えていくのです」
 13日深夜から14日未明にかけての3時間半で、274機のB29によって焼夷弾1773㌧、6万5000発あまりが投下され、大阪市の中心部、当時の西区や浪速区、南区、大正区などが灰燼に帰した。
8面~9面
最高裁「強制わいせつ罪」で判断「性犯罪 法改正前にも適用」(粟野仁雄)
最高裁判所の判決は、事件発生から年数もたち、関心が薄れていることも多い上、難解などで重要なことでも新聞でもあまり大きく取り上げられないことが多い。しかし、実は国民に大きな影響を及ぼすのである。
日頃、刑事裁判のコメント取材でお世話になっている甲南大大学院の園田寿教授にそうした判断が示されると聞き、久しぶりに最高裁へ行ってみた。
「筆記具とノート以外は一切持ち込めません」。荷物をロッカーに入れて空港のような厳重なチェックを経て最高裁第三小法廷の傍聴席に座った。傍聴者は少なかったが若者が多かった。後で聞けば、司法修習生だったようだ。
午後1時半、宮崎裕子裁判長が4人の男性裁判官を従えて入廷した。傍聴席の人たちも起立・礼をする(強制ではないが事前に職員に求められている)。着座した宮崎裁判長は被告人のいない法廷で「主文。本件上告を棄却する」と言い渡し、1分ほど理由(後述)を述べた後、くるりと背を向けて法廷を去った。
通常の裁判取材では、閉廷すればフリーランスの筆者も新聞記者たちと当事者や弁護人などの関係者を追う。しかし最高裁では法廷の出入りが自由な司法記者会の記者と違い、筆者は一般傍聴人として番号札を持たされており、指示があるまで勝手に退廷もできない。H被告の弁護人である奥村徹弁護士(大阪弁護士会)は出て行ってしまい、雨の中を走り何とかつかまえ、一緒にタクシーで走った東京弁護士会館で解説していただいた。
2016年、奈良市在住の30代の男性H被告が少年に対して文字にするのもはばかられる行為を自ら撮影し仲間に配信したという犯罪である。H被告は同性愛者ではないようだが歪んだ性癖の持ち主でこれ以外にも同様の事件を十数件起こしてきた。実は社会的な地位も高いのだ。
広島県警に逮捕され「強制わいせつ罪」「児童買春」などで起訴され、18年に広島地裁で懲役5年、執行猶予(保護観察付き)3年の判決となり控訴も棄却され上告していた。「よく猶予がついたな」と思うほどのおぞましさだが、奥村弁護士によれば事実関係は争いようもなく、弁護側は上告に際し、奥の手として「違憲論」に賭けたのだ。
さて、最近まで強姦などの性犯罪は被害者の女性や身内が刑事告訴しなければ起訴されず、女性も世間体などから告訴せずに示談金で済まされることも多かった。「親告罪」という。これは同じ罪を犯しても資力のある人間は得するという「社会的不公平」にもつながっていた。
ところが17年7月から施行された改正刑法で、強制性交や強制わいせつの罪は、親告罪ではなくなり、客観的に事実関係が固まれば告訴がなくとも殺人などと同じように起訴されるようになった。
一般的には、改正後の法律を、改正前の事件に遡及(時間的にさかのぼること)して処断することはできない。憲法39条は「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定して、明確に「法律の遡及」が禁じられている。ところが改正刑法は2条2項の「付則」として「改正前の事件でも告訴なしに起訴できる」となっている。
この「付則」について奥村、園田両弁護士らの弁護団は「憲法違反ではないか?」と問題提起したのである。
H被告の犯罪行為は改正される前年だった。
憲法39条の前半は、事後法があった場合、前の事件に遡及することを禁じ、後半では一度刑罰を受けた人が同じ犯罪で二重に処罰されることを禁じている。
「二重処罰禁止」は1980年代に起きた「ロス疑惑事件」で、2008年に米国で獄中自殺した三浦和義氏について盛んに取り沙汰されたのを覚えている人もいるだろう。
旧来の「強姦罪」の被害者は女性だけだが、強姦罪が改正された新たな「強制性交罪」では成人男性や少年も加わった。だからといって既に刑事起訴されていたH被告を検察が改めて「強制性交罪」で起訴することはできないわけだ。さらに「旧法」の強姦罪時代だったから「強制わいせつ罪」で済んだのだ。
……

10面~11面
ヤマケンのどないなっとんねん「『泥縄』の強気リーダー」(山本健治)
安倍首相をはじめ何としても改憲を進めようとしている連中が、あらゆる機会を改憲の契機にしようとしていることについては、誰もが危惧してきたことである。
前号でもふれたが、今回の新型コロナウイルス肺炎流行に際しても、それに対する感染チェック、感染者医療体制確立、対応ワクチンや薬品の可及的速やかな開発、また、学校の一斉休校、自宅待機・出勤停止などによる収入の減少、イベント自粛・中止などに伴う失業、全世界的経済危機の進行による生活危機に対する具体的かつ有効な政策はまったく不十分なまま、憲法に緊急事態条項を新設するよう改憲すべきだと言い立て、新型インフルエンザ等特別措置法を改正し、与党と維新、立憲、国民などが賛成して、首相が「緊急事態宣言」できるようにした。
このもとになったインフルエンザ等特別措置法は、新型インフルエンザ流行に対し、国民を守るためとして2012年4月、当時の民主党政権のもとで成立し、5月に公布された。今回と同じように、法律学者や日弁連、基本的人権制限を危惧する市民などが反対の声をあげ、こんな法律を作るよりいつでも誰でも感染チェックができ、感染がわかった場合には安心して医療を受ける体制を確立すべきで、当然のことながら有効なワクチンや薬の開発に力を入れるべきだという声があがった。
しかし、当時の民主党政権は、東日本大震災、それに伴う福島原発事故への対応が後手後手に回り、対応したところで的外れで、国民から厳しい批判を受け、政権は崩壊寸前といっていい状態だった。そんな状態で新型インフルエンザが流行してパンデミックになるとどうしようもない。そうならないように緊急事態対応ができるようにということで、急きょ、特別措置法を成立・公布させたものである。
昨年末に新型コロナウイルスによる肺炎が中国で発生、日本国内でも1月半ばに流行が明らかになったものの、すでに指摘した通り安倍首相は正月気分のまま、また、憲政史上最長の首相になったことに酔いしれていたのか、対岸の火事だと見て、連日、お友達と会食したり、ゴルフしたりしていたのだが、中国での流行は収まるどころか、どんどん拡大し、それが日本にも蔓延して、クルーズ船や中国滞在者、中国や中国人と濃厚な関係を持っている者だけではなく、一般でも感染者が出てくるようになって、首相の対応に対する批判が出始め、支持率も下がってきて、ようやく危機感を持ち始めたのだった。
そして、中国で感染者が7万~8万人、死者も3千人、日本国内でも、クルーズ船も含めると感染者は千人近くになり、死者も60人近くになってくると、今度はパニックに陥ったかのように、ここ1、2週間が感染が押さえ込めるか否かの分かれ道だと言って、維新の大阪府知事・大阪市長が学校一斉休校と言い出した途端、文科大臣らと何も相談しないまま、「学校一斉休校」だと言い、北海道知事が「緊急事態宣言」を発して、メディアに好意的に取り上げらると、オレも「緊急事態宣言」だとばかりに、特別措置法をつくって「緊急事態宣言」できるようにしたいと言いだした。
立憲や国民の幹部たちは、かつて自分たちが政権にいた頃に、先に記した「インフルエンザ等特別措置法」を成立させ、公布しているのだから、それを使えばいいではないか、安倍内閣は9条の解釈改憲や法律拡大解釈による拡大運用はよくやっている。検事の定年延長も閣議決定も解釈変更の正式手続きなど経ずに、口頭で変更しましたというようなことでやっているではないか。我々の政権のもとで成立公布した法律名は「インフルエンザ等特別措置法」で、わざわざ「等」を入れているのは、後に似たようインフルエンザが流行しても、国会で新たな法律を作らなくても、ただちに対応できるようにという意味もこめられているのだから、新たに法律を作らなくてもいいではないかと主張していたが、安倍首相としては民主党政権のもとで作られた法律など使いたくないと、やはりメンツにこだわったとしかいいようがないが、まったく新法ということもできないので、「インフルエンザ等特別措置法改正」とした。
……

12面~13面
世界で平和を考える「イラク最前線報告」(西谷文和)
2月3日から19日、イラク及びホルムズ海峡取材を敢行した。トランプ大統領がイランのソレイマニ司令官を暗殺してから1カ月が経過していた。米国とイランの緊張が一気に高まるなか、実際に殺し殺されるのはイラク人なのである。戦火の中で女性や子どもたちはどんな暮らしを余儀なくされているのか? 派兵された自衛隊はどんな活動をしているのか? 自衛隊が活動する地域は本当に安全なのか? など、シリーズでお伝えする。

2月9日、北イラク・クルド人自治区のバーリカ避難民キャンプに入る。この地域には巨大な難民キャンプが点在しているのだが、大きく分けて①IS(イスラム国)の大虐殺から逃れてきたヤジディー教徒のクルド人たち ②同じくISの恐怖政治から逃れてきた、主にシーア派のイラク(アラブ)人たち ③シリア内戦で故郷を奪われたクルド人たちに分けられている。
今回はシリアから逃げてきた約1万人ものクルド人が居住するバーリカキャンプで子ども服を配布した。
難民たちの生活はすでに5年以上が経過していて、キャンプ内には病院や小学校、食料品や衣服を売る店までそろっている。北イラクの冬は寒い。昼間でも粉雪が舞い、朝晩の気温は氷点下まで下がる。一番大事なことは風邪をひかな
いこと。医薬品が十分でないし、人々はお金がないので病院に通うことはできない。世界は今、コロナで大騒ぎしているが、ここの人々は「普通の風邪、普通の下痢」で命を落とす。
小学校で子ども服と兵庫県の中学生たちから受け取った草木染めのハンカチを手渡す。「ハリガート、ヤバーン!」。大きな声で日本への感謝を口にしてくれる。
10日、北イラクのスレイマニア市からイラク中部のトゥーズフルマートゥー(以下トゥーズと略)を目指す。 トゥーズはアラブ・クルドの混住地域で、イラク中央政府軍(アラブ)とペシュメルガ(クルド軍)のにらみ合いが続き、治安が急速に悪化した地域だ。約3時間のドライブでトゥーズの入り口に到着。ここで護衛の兵士と待ち合わせ。ドライバーと通訳もライフル銃で武装する。
羊がのんびりと草を食み、遊牧民が追い立てる。のどかな風景の中に基地が現れる。ペシュメルガ144番地だ。ジャマール司令官がインタビューに応じてくれる。
現在の状況は?
「私たちは2017年10月にここまで撤退した。以来ずっとイラク軍とにらみ合いが続いている。その隙に乗じてISが復活してしまった」
クルド独立の住民投票後に状況が変化した?
「そうだ。クルドの独立を認めないイラク中央政府が軍事介入して、トゥーズの中心街を奪われた。性急な住民投票をするべきではなかった」
ここで少し解説。現在のイラクは三すくみ状態。IS掃討作戦で米軍の指揮のもとに共同戦線を張っていたイラクとクルドが、掃討後に分裂。独立(つまり領土の分割)をめぐって睨み合っている。その結果「治安の空白地帯」ができてしまった。
「治安の空白地帯」はどこに? どれくらいの広さで?
「トゥーズのバクダッド側とクルド側の間の「国境地帯」に約37㌔、幅が4~8㌔。その空白地帯にISが小部隊に分かれて潜入してきた。昨日もISの仕掛け爆弾で我々の兵士3名が重傷を負った」
ソレイマニ司令官の暗殺後、事態は?
「悪くなった。アメリカとイランの緊張が高まり、クルド軍の後ろに米軍が、イラク軍の後ろにイラン軍がついている。この緊張関係はしばらく続く」
ソレイマニ司令官は良くも悪くも「IS掃討作戦」の責任者であった。イラク軍とクルド軍は司令官のもとで動いてきた。その人物が「暗殺」されて、イラクとクルドの間にさらに亀裂が深まる。その結果、漁夫の利を得たのがISなのだ。
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14面~15面

ゴジラと憲法「犠牲者の無念 胸に刻む」(高橋宏)
新型コロナウイルスの影響で、世界中が大混乱となっている最中、9年目の3・11を迎えた。『シン・ゴジラ』において、血液凝固剤でゴジラを凍結し、ひとまず危機を回避した後のラストシーン。主役の矢口蘭堂(長谷川博己)は凍結したゴジラを見つめながら、自らの進退について「今は辞めるわけにはいかない。事態の収束にはまだ程遠いからな」とつぶやく。ゴジラによる被害を、東日本大地震・大津波、そして福島第一原発事故による被害に見立てると、この台詞は私たちに現実を突きつけてくるものだ。
関連死を含めた死者・行方不明者は2万2000人余り。政府発表でも4万7000人もの人々が9年たった現在も避難生活を余儀なくされている。数字には出てこない「自力避難」をしている人々を含め、9年前に日常生活を奪われ、今も苦しみ続けている人々の数は計り知れない。政府は2020年度を「復興・創成期間」の最終年度と位置づけてインフラ整備の完了を目指しているようだが、人々や地域社会の「復興」は置き去りにされ、「創成」どころではないのが現実だ。
何よりも、福島第一原発事故が被災地に重くのしかかっている。巨費を投じた「除染」で放射線量の数字を下げて次々と避難区域を解除してきたが、肝心の事故処理は未だに「現場検証」の域を出ず、遅々として進んでいない。除染で生じた1400万立方㍍という途方もない量の放射性廃棄物の処分、日々たまり続ける放射能汚染水の処分も、まったく目途が立っていない。
残念ながら被災地から遠く離れた関西では、そういった状況がほとんど伝わってこない。そもそも9年前の原発事故被害が、どれだけすさまじいものであったのかも、人々の意識の中で薄れてしまってはいないだろうか。
3月8日、公開された映画『FUKUSHIMA50』を見てきた。上映中であるため、詳しい内容に触れることはできないが、様々な評価がある中で一つだけ言えることは、制御不能となった原発の恐ろしさは十分に伝わってきた。そして、一般人の年間の許容線量(1㍉シーベルト)で考えれば、ほぼ一生分の被ばくをわずか20分程度でしてしまう決死の作業がなければ、東日本が壊滅するような事故になっていたことを改めて思い知らされた。
私が最も懸念するのは「最悪の危機を乗り切った」という点が強調され、現在進行形の福島第一原発事故が「過去の出来事」と印象づけられはしまいか、ということだ。事故の教訓を十分に活かすことなく、未だに原子力利用に固執し、次々と原発が再稼働されている現実を見る時、再びあの惨事が繰り返されないと誰が言えよう。
この連載で2年間、ゴジラを通じて日本国憲法について様々なことを考えてきた。特に、1954年公開の第1作『ゴジラ』を重点的に、この映画に携わった人々がゴジラにどのような思いを託し、ゴジラを通して何を訴えたかったのか、私なりの解釈で伝えてきたつもりである。今一度、その思いや訴えと、現在の日本の状況とを照らし合わせてみたらどうであろうか。
2001年公開の第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』は、ゴジラを戦争犠牲者の残留思念の集合体と位置づけた、金子修介監督の異色作である。その中で、伊佐山嘉利(天本英世)という老人は、ゴジラがなぜ日本を襲うのかを問われ「人々がすっかり忘れてしまったからだ。過去の歴史に消えていった多くの人たちの叫びを、その無念を!」と訴えた。これは、まさに現在を生きる私たちに突き付けられた言葉ではないだろうか。
……

16面~17面
新型コロナ特措法「強権的首相への危惧」(矢野宏)
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、首相が緊急事態宣言できる「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正案が3月13日に成立、翌日施行された。宣言が出れば、集会や移動の自由など私たちの権利が制限される。なぜ、政府・与党は成立を急いだのか。自民党がまとめた改憲4項目の一つである「緊急事態条項」導入への布石ではないのか。時事通信社解説委員の山田恵資さんに疑問をぶつけた。

緊急事態宣言の前提となるのは①国民の生命や健康に著しく重大な被害を与えるおそれがある場合②全国的かつ急速なまん延により国民生活と経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある場合の二つの要件を満たしたとき。首相が緊急事態を宣言すると、都道府県知事を通じて住民に外出自粛を要請したり、学校や興行施設などに催しの中止を指示したりすることができる。
また、臨時の医療施設を開設するため、土地や建物を所有者の同意なしに使うことも可能となる。
「安倍首相が直ちに緊急事態宣言を行う可能性は低い」と山田さんはみており、その理由を二つ挙げる。
「一つは、すでに可能性が小さくなっていると見られるとはいえ、東京五輪の開催について、自ら駄目押しをする形になること。二つ目は、コロナ対策の初動の遅れを認めることになるからだ」と指摘する。
改正案を成立させる狙いは何だったのか。
「民主党政権時代にできた緊急事態宣言を盛り込んだ特別措置法をもう一度、新型コロナでリセットすることで、『やっている感』を出すことができ、同時に野党の分断を招くことができる。さらには、憲法改正による『緊急事態条項』の明記への布石、地ならしをするという思惑が安倍首相にあったのではないでしょうか」
思い出されるのが、自民党の伊吹文明元衆院議長の発言。「(新型コロナの感染拡大は)緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」
自民党の改憲項目である緊急事態条項の導入を念頭に置いた発言だった。
緊急事態条項とは、大災害や武力攻撃を受けるなどの「緊急事態」になった場合、内閣に強大な権力を与えるもの。ポイントは二つ。
一つは、国民の権利を守るための制度ではなく、国家を守るための制度であること。二つ目は、政府に権力を集中させて、国民の人権を制限すること。
思い出されるのが、2013年8月に麻生副総理がこぼした発言だ。
「憲法も、ある日気がついたら、ドイツのようにワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたのですよ。誰も気がつかないで変わったんだ。あの手口を学んだらどうかね」
ナチス憲法というのは存在しない。ただ、当時、世界で最も民主的な憲法と言われたワイマール憲法がありながら、なぜ、ナチスの独裁政権が生まれたのか。
実は、ワイマール憲法に「緊急事態条項」があった。「公共の安全・秩序に重大な障害が生じる恐れがあるときに基本的人権を停止できる権利を大統領に与える」
ヒトラーはそれを2回使って、独裁政権を手にする。
1933(昭和8)年、ナチスは選挙で第一党となり、ヒトラー内閣が誕生する。とはいえ、過半数に届かず、不安定な政権運営を強いられたため、国会を解散する。選挙運動のさなか、ヒトラーは1回目の緊急事態条項を使い、反政府を訴える政党の集会やデモ、出版をことごとく禁止した。
さらに2月27日、国会議事堂が放火される。ヒトラーは「共産党のテロだ」として、2回目の緊急事態条項を使う。ナチス以外の国会議員や支持者が次々に逮捕状もなく、拘束された。その結果、選挙で過半数を制したナチスが強行採決して成立させたのが「全権委任法」だ。
第1条 立法権を国会に代わって政府に与える
第2条 政府立法が憲法に優越し得る 
ヒトラー政権は好き勝手な法律を次々に作り、それは憲法よりも優先された。こうして、世界一民主的な憲法の下で、合法的に独裁確立したのである。
戦前、日本にも緊急事態条項があった。その一つが緊急勅令。天皇が法律に代わる命令を出すことが認められていた。その結果、治安維持法にも死刑が認められ、政府に反対の声を上げる人たちは次々と牢獄へ入れられた。
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18面
映画「子どもたちをよろしく」救いの手 現実のものに(矢野宏)
元文部科学省官僚で京都造形芸術大学教授の寺脇研さん(67)が統括プロデューサーとして、これまで向き合ってきた子どもたちの実態を表現した映画『子どもたちをよろしく』が完成、注目されている。虐待やいじめ、自殺など、子どもたちを取り巻く現状は厳しさを増している。寺脇さんは「本当の貧困がここにある。一人でも多くの人に見てもらって何かしなければと感じていただければ、結果的に子どもたちが救われる」と訴えている。
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19面

洪性翔さんが半生記「絵と食材で日韓朝往来」(栗原佳子)
20面
読者近況(矢野宏)
加賀翠さん・亮君、内山正之さん、徐翠珍さん

21面
経済ニュースの裏側「金融機関の危惧」(羽世田鉱四郎)
正月明けに、ターミナル駅近くの駐輪場に自転車をとめ、ふと目にしたポスターに衝撃を受けました。「銀行の店舗を閉鎖し、隣駅の店舗に統合します」。しかも、都銀トップの三菱UFJ銀行です。
マイナス金利の影響
銀行の利ザヤは、2016年2月の「マイナス金利政策」の導入に伴い、さらに縮小しています。金融機関は、日銀の当座預金に、一定額の預け入れを義務付られています。「マイナス金利政策」は、その上限を超えた分にマイナス金利を適用し、民間への貸出を促すものです。 全国銀行協会の資料によれば、貸出金利の平均は14年3月期(116行)1・29%、15年3月期1・21%でした。マイナス金利政策の導入後は、18年3月期(115行)に1%を割り(0・99%)、19年9月期には、さらに0・95%へ低下しています。有価証券の運用益などを加えた「総資金利ザヤ」も同じで、18年3月期では、「逆ザヤ(=赤字)」が、大手銀行3行、地銀6行、第二地銀7行含め16行に及んでいます(東京商工リサーチ)。
邦銀、リスク運用に不慣れ
都銀は4割を海外業務で稼いでいますが、リスク運用に不慣れです。直近でも、みずほ銀行が外債で1800億円の損切をしました(19年3月期)。また、巨大な資金量を持つ農林中金やゆうちょ銀行も心配です。農林中金などは、以前より海外のヘッジファンドを中心にカモにされていると揶揄されています。いま懸念されているのはCLO(ローン担保証券)です。信用力の低い米国企業向けの貸付債権を束ねて証券化したもの。いわばサブ・プライムローンの企業版。リーマン・ショックを引き起こしたサブ・プライムローンは、住宅ローンなど個人向けの貸付が中心でした。
……

22面
会えてよかった 屋宜光徳さん③(上田康平)

23面
落語でラララ「初代 桂文治」(さとう裕)
私の小中学校時代、昭和30~40年代、関西に落語専門の寄席小屋はなかった。とはいえ、寄席自体がなかったわけではない。大阪道頓堀に角座が、梅田や難波、京都には吉本の花月があった。神戸には神戸松竹座、天王寺の新世界には新花月があり、こちらは松竹芸能の寄席だった。
当時も今も、寄席は漫才が主流、落語は色物扱い。昭和40年代に若き笑福亭仁鶴や桂三枝(現・六代文枝)が、ラジオやテレビで活躍しだすと、落語界に入門者が殺到、あっという間に若い噺家が激増した。結果、各地に地域寄席が生まれ、上方落語協会の島之内寄席が六代目松鶴の肝いりで誕生。が、2006年に天満天神繁昌亭が出来るまで、上方落語の定席は関西にはないままだった。
では、上方落語の定席(寄席)は、いつ頃生まれたのだろう?
話は江戸・元禄時代にさかのぼる。京阪に露の五郎兵衛、米沢彦八が出現して上方落語が誕生するが、初代彦八の死後、大坂の落語界は衰微したという。と、京都に2代目米沢彦八が突如出現。この2代目は初代とつながりがあるのかないのか、はっきりしないようだが、なかなかの芸達者で京都で人気者になる。2代目彦八の弟子たちが名跡を継ぎ、4代目彦八まで確認できるという。しかし、この後しばらく、上方の落語界はどんな人が活躍したのか、あまりよく分からない時代が続く。
……

24面

100年の歌びと「I LOVE YOU](三谷俊之)
アイ・ラブ・ユー 逃れ逃れ辿り着いたこの部屋/何もかも許された 恋じゃないから/二人はまるで捨て猫みたい

バブル時代が崩壊に向かった1991年ーー日本はまだ目がくらみそうなまぶしさに彩られていた。2年前の89年1月、昭和天皇が逝去し、元号が昭和から平成に変わった。消費社会が膨れ上がり、モノがあふれ、企業の国境を越えた活動は当たり前になった。地価や株価が狂騰し、投機が過熱。海外の土地や建物、ゴルフ場にまで波及した。日本企業がハリウッドの映画産業を買収し、アルマーニなどのインポート商品が飛ぶように売れた。3K労働が嫌われ、外国人労働者が急増、中流意識が国民の9割を占めた。CMでは「24時間タタカエマスカ」とあおり、世間では人をネアカ・ネクラで分別し、異常に明るく、陽気で、浮き足立った狂騒のなかにいた。
政治と企業の醜聞も重なっていた。リクルート事件で竹下首相が退陣。幼児連続誘拐殺人事件が発生し、若者のオタクな存在が注目された。川崎市近郊で浪人生が金属バットで両親を殴り殺した。校内暴力も多発した。教育現場は沸騰する消費社会や風俗と学校を切り離すことに必死だった。細かな校則がつくられ、生活指導が強化された。日常の中で教師たちは無防備に消費社会を受け入れながら、生徒たちにはその社会から切り離すことが可能だと信じていた。
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25面
坂崎優子がつぶやく「個人データ集約慎重に」
個人データをスコア化し、点数に合った特典を提供する「信用スコア」事業が日本でも始まりました。大学の講義でこの事業について様々な角度から話をし、学生に考えてもらいました。
 今の大学生は小さい頃から無料のネットサービスに慣れ親しんでいるせいか、個人データを利用されることには寛大な世代です。そんな彼らでも、講義後の感想を読むと、多くが「怖さ」を挙げ、利用したくないと答えていました。
日本は人を格付けすることに抵抗のある人が多いといわれます。そのため、どの企業も「うちは信用スコアではない」と信用スコアと呼ばれることに抵抗しています。日本でこの事業が米国や中国のように広がっていくかは未知数です。
ただ、米国の金融スコアのように「金利での優遇」に魅力を感じる人が多くなれば、広がっていくでしょうし、中国のように便利さの積み重ねで、スコアが市民権を持つ可能性も否定できません。
中国では、気軽に使えるスマホのアプリでスコアが作られるので、米国以上に生活に浸透しています。物やサービスなどを多くの人と共有するシェアリングエコノミーが盛んな中国では、サービス利用時にデボジット(補償金)が必要です。スコアを利用するとそれが不要になるなど、利便性が高まり利用者が増えました。
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26面~29面
読者からのお手紙&メール(担当・矢野宏)
銀行に求められた
在留カードの提示

尹敏哲(ユン・ミンチョル)
2月下旬、地元のK銀行から「重要なお知らせ」通知が届いた。「在留カード等のご提示のお願い」と題した文面には、「外国籍のお客さまに在留期限が超過していないか確認するため、在留カードや通帳、印鑑などを持って3月27日までに持参せよ」とあり、期日までに確認できない場合は「口座の利用ができなくなることもございます」という念押しまで記されていた。
早速、K銀行に電話し、「ニューカマーを除けば、在日の多くは父母や祖父母が昭和の初期に来日しており、我々は『永住者』であるため、そもそも在留期限なんてない」と説明。在留カードなどを確認する理由は何かと問うと、「マネーロンダリング対策のため」との返答。思わぬ言葉に、「当方の口座残高はすべて数万円から30万円以内で、残高や振込履歴を逐一把握している銀行が、どうしてこんな少額の残高で当方がマネーロンダリングをすると疑うのか、それなら日本の大企業や大金持ちも疑うべきではないか」と反論したが、銀行側は「持参してください」の一点張り。
こちらも納得いかず、金融庁に電話したところ、「マネーロンダリングとテロ支援対策を各行に要請している」。説明に「テロ対策」も加わったことに驚愕した。抗議しても、担当者は「具体的な対策は各行任せなので」と逃げの一手だった。
今回のことでいろいろなことが思い出された。
「朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らは日本の経済法令の常習的違反者であります」(1949年、吉田茂からマッカーサーへの書簡)、「(不法滞在の外国人は)泥棒やら人殺しやらばかりしている」(2003年、自民党の江藤隆美衆院議員)
記紀神話に基づく「単一民族」を振りかざし、「純潔性」を前面に押し出すこの国の為政者たちに、「みんなちがって、みんないい」と訴えた金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の詩を贈呈したい。
(これでは、まるで犯罪者予備軍扱いですね。しかもK銀行独自の判断ではなく、金融庁からの指示だったとは、驚きました。尹さんに連絡すると、「銀行の窓口には行かない」そうです。今後、K銀行がどういう対応をするのか。展開を見守りたいと思います。それにしても許せない)
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28面
車イスから思う事「骨の折れること」(佐藤京子)
1月半ばに車イスで段差につまずき、転倒して右手をついた。「痛い、痛い」と思いながら生活をしていたが耐え切れず、病院へ。レントゲンを撮ってもらうと、手首の親指側の端に骨折の線が入っていた。だが、医師は「骨折の痕はあるが、転んでから日が過ぎているのですることがない」と、痛む手には目もくれず湿布薬の処方箋を出した。湿布薬を貼っても痛みは引かなかったが、骨が折れていたのだから仕方がないと納得させていた。
それにしても、普段何気なく使っている右手のありがたさを痛感した。もともと左手は障害の影響でうまく動かない。痛みで5割くらいしか使えない右手と2割ぐらいしか動かない左手で四苦八苦しながら日にち薬を信じていたが、2月に入っても痛みは引かない。仕方なく、別の病院へ行ってみたが、レントゲンを撮ったあとの説明は同じ。右手首に熱を持っていないかを確認しただけで、何の処置もなかった。「痛みを取ってほしい。使えるようにしてほしい」との願いはかなわなかった。いずれの医師も患部を診るよりレントゲン写真だけを見ていたが、電子カルテの弊害ではないか。
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30面
うずみ火掲示板(矢野宏)
新聞うずみ火をご購読いただき、ありがとうございます。新型コロナウイルスの影響で、伝えなければならない大事なニュースが隅に追いやられていますが、それらに光を当てていきたいと思っています。
さて、毎月の新聞発送とともに、購読料振込のお礼のほか、「来月・今月に切れます」「先月・すでに切れました」という通知と振込取扱票を同封させていただき、継続をお願いしていますが、今月は同封できませんでした。
郵便局などで購読料を振り込んでいただくと、ゆうちょ銀行から郵送されてくる振替受払通知書で、皆さんのご継続を確認していました。その郵送が4月1日から有料となるため、振替受払通知書の画像をパソコンで確認する「ゆうちょダイレクト」の利用に切り替えたのですが、2月末に入力ミス。ログインできなくなったため、現在、申請し直しています。
そのため、3月に入って郵便局などで新聞代をご継続いただいた方、新たに購読を申し込まれた方からの振替受払通知書を確認できない状態が今も続いています。申し訳ありません。次号を発送する際、継続のお礼やお願いの通知を同封させていただきます。
また、春は異動の季節。引っ越しされた方は、うずみ火事務所までご一報いただけると幸いです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
30面
編集後記(栗原佳子、矢野宏)
京都・河原町の街角でハンドマイクを握る姿に接したのが加藤裕子さんとの出会いだった。自主避難者の実情を訴え、署名を呼び掛けていた。8年前の春だった。放射線量が高いにもかかわらず、意図的に避難区域に指定されなかった地域がある。そこでもたらされた分断は、いまも当事者たちを引き裂き、苦しめている。 (栗)

森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん事件に関連し、2年前に自らの命を絶った財務省近畿財務局職員の「遺書」が週刊文春に掲載され、大きな反響を呼んでいる。元NHK記者で大阪日日新聞記者の相沢冬樹氏のスクープ。手記には「決裁文書の差し替えは事実で、元はすべて佐川氏の指示です。パワハラで有名な佐川氏の指示には誰も背けない」「森友事案はすべて本省の指示。本省の対応が社会問題を引き起こし、うそにうそを塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を引き起こした」とあり、安倍首相の国会答弁とつじつまを合わせるため、本省が改ざんを指示、現場職員が抵抗もむなしく「犯罪」に加担させられていく流れが明らかにされている。手書きの遺書には「これが財務官両王国。最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」とも。「夫が自殺したのは公文書改ざんを強要されたためだ」として、職員の妻が3月18日、国と、当時の理財局長だった佐川宣寿氏に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。「夫が死を決した本当のところを知りたい」という妻の訴えに、政府側の態度は冷たい。安倍首相は自身の責任に関する問いかけには答えず、麻生財務相は「新たな事実は含まれていない」として再調査は考えていない立場を強調し、「遺書を読んだか」という記者の質問に「読んでいない」と答えている。お二人は佐川氏ともども再調査される側だということがお分かりではないようだ。国会の証人喚問で「刑事訴追」を言い訳にして証言を拒んだ佐川氏の再喚問はもちろん、第三者委員会を設立するなどして真相究明すべきだ。あわせて大阪地検特捜部が不起訴にした背景に何があったのかも知りたいところ。ともあれ、安倍政権が内閣人事局を私物化し都合のいい官僚を重用してきたことでこの国の根幹部分が崩壊していることをあらためて突き付けられた。森友問題はもちろん、加計問題も桜を見る会も終わっていない。いや、終わらせてはいけない。(矢)

31面
うもれ火日誌(矢野宏)
2月1日(土)
 矢野、栗原 午後、ソウル在住の元女子勤労挺身隊で「不二越訴訟」の原告の金正珠(キム・ジョンジュ)さんに日本での強制労働の実態を聞く。翌2日帰阪。
2月3日(月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」に出演。新型コロナウイルスの感染拡大について、元外務省医務官で関西福祉大教授の勝田吉彰さんに話を聞く。
2月6日(木)
 矢野 午後、ラジオ関西「時間です!林編集長」。
2月7日(金)
 夜、大阪市此花区のクレオ大阪西で「うずみ火講座」。「元ソウル特派員が見た日韓関係」と題して、朝日新聞記者の武田肇さんに朝鮮半島情勢、日韓関係を語ってもらう。
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
2月8日(土)
 矢野 午後、大阪府枚方市で教職員組合のOG会「しおん会」主催の憲法カフェで「安倍改憲は、何を目指すのか」と題して講演。
2月10日(月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。「罪と向き合う」と題して、映画『プリズン・サークル』の坂上香監督に話を聞く。
2月11日(火)
 矢野 午後、兵庫県姫路市で黒田雄大さんらが主催した「2・11 信教と思想の自由を守る集会」を取材。
2月13日(木)
 矢野 午後、「ニュースなラヂオ」の北口麻奈さんと大阪・十三のシアターセブンへ。寺脇研さんが統括プロデューサーを務めた映画『子どもたちをよろしく』を試写。
 栗原 朝の便で奄美大島へ。読者の城村典文さん、上島啓さんと陸自奄美駐屯地、瀬戸内分屯地を回る。夜、奄美ブロック護憲平和フォーラム主催の「2020紀元節復活反対集会」で南西諸島の自衛隊配備について話す。
2月14日(金)
 矢野 夜、大阪・十三で元「窓友会」の三好敬子さん、山内睦子さんと会食。
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
 栗原 徳之島へ移動。前日に続いて、夜、奄美ブロック護憲平和フォーラム主催の「2020紀元節復活反対集会」で話す。15日帰阪。
2月17日(月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。「ハンセン病家族訴訟が問いかけること」と題して、番組ディレクターの亘佐和子さんに話を聞く。
2月19日(水)
 西谷 夜、無事帰国。
2月20日(木)
 矢野 午後、滋賀県立膳所高校で2年生440人を対象に「空襲と人権」と題して講演。8年前に講師依頼をいただいてのご縁、ありがたい。
2月21日(金)
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
2月22日(土)
 矢野 午後、大阪府豊中市のアクア文化ホールで「森友学園問題を考える会」主催の集会「モリ・カケ・サクラ 政治の『底割れ』と社会の『劣化』」。作家の高村薫さんとジャーナリストの青木理さんとの対談でコーディネーターを務める。
2月24日(祝・月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。「使いやすいノートから知る発達障害」と題して、一般社団法人「Un Balance」代表で自身も当事者の元村祐子さんに話を聞く。
2月25日(火)
 矢野 午後、大阪市中央区の難波別院へ。昨年3月に講師として招いてくれた真宗大谷派の新潟・三条教務所「靖国問題研修会」と大阪教区の有志との交流学習会で「空襲と人権」と題して講演。
2月26日(水)
 午後、うずみ火事務所でお茶を飲みながら交流を深める「茶話会」。埼玉から根橋敬子さんが久しぶりに。
 西谷 昼頃、ラジオ関西「ばんばひろふみ!ラジオDEしょ!」出演。
2月27日(木)
 西谷 午前、ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」でイラクとホルムズ海峡取材の報告。放送終了後に矢野と会い、ビールではなく紅茶で歓談。矢野は午後、ラジオ関西「時間です!林編集長」に出演。
2月28日(金)
 午後、来社した「郵政産業労働者ユニオン」幹事の田嶋博人さんらと3月5日の講演打ち合わせ。
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

32面
うずみ火講座などのお知らせ(矢野宏)
大阪市を廃止して特別区を設置する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票について、大阪維新の会は11月1日とする方向で最終調整していると、各紙が伝えています。この構想は、大阪市を解体して財源も権限も大阪府に吸い上げ、「1人の指揮官(知事)」のもとでやりたい放題できる体制をつくるのが狙いです。
新聞うずみ火では、この構想を考える連続講座を企画しており、「大阪を知り・考える市民の会」代表の中野雅司さんのご厚意で大阪市中央区谷町2丁目の「ターネンビルNo.2」2階をお借りすることになりました。
1回目の講座は4月25日(土)午後2時に開講し、立命館大教授の森裕之さんに「大阪都構想と二重行政のゴマカシを斬る」と題して講演してもらいます。
なお、2回目は5月30日(土)午後2時からの予定です。
【日時】4月25日(土)午後2時~
【会場】大阪市中央区谷町2丁目の 「ターネンビルNo.2」2階・会議室
(地下鉄谷町線「谷町4丁目駅」から北へ徒歩2分、「天満橋駅」から南へ徒歩6分)

外出禁止令下の米国在住日本人が語る、NY「ロックダウン」の真実

2020-03-30 19:33:38 | 転載と私見
2020.03.27
高橋克明著『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』転載

【ニューヨーク、LOCK DOWNのリアル】
日本でも大々的に報道されている通り、現地時間22日の20時より、ニューヨーク州では、外出禁止令が発令されました。新型コロナウイルス拡大により、事実上の都市封鎖、LOCK DOWNということになります。そこから今、3日が経っています。 現在、現地時間の25日の夜8時にこれを書いています。 東京オリンピックが正式に延期になったニュースが流れてきた翌日です。


一昨日(23日)は、米国での1日の死者がとうとう100人を超え、合計500名以上の死者が米国だけで出たことになります。 感染者は4万3000人以上に拡大し、その中でも最も多いのが、ここニューヨーク。 さすが世界の首都。 先進国で最も人口密集率の高い街。 全体の約半数、2万人以上の感染者が出ました。完全に、パニック映画の世界です。有史以来、様々な人類が危機に直面する映画が作られ、見られてきたのは、この日の為の気持ちの覚悟、または予行練習の為だったのではないか、と思っちゃうほどです。

自宅禁止令が発令する約60時間前に、仕事として、タイムズスクエアに写真を撮りに行きました。 編集部から数ブロックの距離なのですが、まるでゴーストタウンでした。 途中、編集部裏の5番街は車1台通っておらず、写真だけ見ても、ここが5番街と言っても信じてもらえないであろう光景。 世界の交差点と呼ばれるタイムズスクエアに到着すると、渡米して20年、見たことがない光景が広がっていました。


目の前に広がる景色は、完全に映画です。 「バニラスカイ」のオープニングや、「アイ・アム・レジェンド」に出てきた光景を現実の世界で見ることになるとは。 不謹慎覚悟で言うなら、「ウォーキング・デッド」のゾンビが今にも出てきそう。 一日十数万人の観光客が行き来する交差点が、今や無人、無音。 その中で無数のオーロラビジョンの電子広告だけが、いつものように流れている空間は、少し異様でした。


これまでの経緯の時系列はざっと以下の通りです。

3月5日、ニューヨーク市長は会見において、最近中国、韓国、イタリア、イラン及び日本を訪問したNY市民は、帰国後14日間、自宅待機すること及び自宅待機中に症状が出た場合は医療機関に必ず連絡することを求める旨発言しました。ちょうど、この3月5日、僕個人は1ヶ月に及ぶ東京出張のフライトが予定されている日でした。 このあたりはアジア圏の方が被害は大きく、「今、あえてこの時期に東京に行くのは不用心ではないか」「わざわざ、今、渦中に飛び込むそれなりの事情を説明する必要がある」というのが、株主、社員、そしてクライアント、取引先の見解でした。 なので延期にしました。 なにより、東京で会う予定になっていたお客さんから次々と、「予定されていたミーティングなんだけど、スカイプでいいかな」と連絡が入り、スカイプだったら、ニューヨークにいたままでも一緒じゃないか、と出張自体を取りやめにしました。 その時は、まだ対岸の火事だったような気もします。


9日、ニュージャージー州バーゲン郡では、感染拡大と初の死亡者が出たことを受け、非常事態宣言を発出しました。

12日、NY州は、500名以上が参加するイベントや集会の禁止。 収容能力が500名以下の施設は収容率を50%に削減するように、と非常事態宣言を発出します。 それに伴い、ブロードウェイのすべての劇場、メトロポリタンオペラ劇場、カーネギーホールでのすべての公演の中止を発表しました。 ミュージカルのない街になってしまいました。このニュースは結構、衝撃でした。 アメリカ人の心がメジャーリーグであるなら、ニューヨーカーのハートはブロードウェイ。 それを、しかも全館クローズするのは、本気だな、と感じました。 本気で、州はできうる限り早期解決に向けて動いているな、と。

16日、とうとう公立の幼稚園、小学校、中学校、高校と学校が封鎖になりました。 うちの4歳児の双子も、幼稚園に行けなくなりました。

19日、州内の全事業者に対して、在宅勤務を促し、出勤者を25%未満に制限することを義務付けると発表しました。 食料や保健関連など不可欠な事業・サービスは除く、ということから、まだ街には人を見かけることができました。 あくまで推奨。 25%と言っても、そこは自己責任なので、厳密に守っている企業がどれほどいたのかはわかりません。

そして、20日。 知事は、NY州の感染者数が7000人を超えさらに拡大していることを受け、主に(1)原則として全労働者は在宅する、(2)州民は可能な限り自宅に待機する、という行政命令を発表しました。 この行政命令が、3月22日(日)午後8時から発効されたということになります。

その時点で、僕たちマスメディアは事実を伝える、という職務から、発効の除外対象になっていました。 なので、この時点で、タイムズスクエアに足を運んだわけです。 ニュースを伝える仕事のため。 完全防備で行きました。 なので、興味本位で野次馬的に行ったわけではありません。 ある芸人さんがインスタにアップするためだけに、オシャレな感じで、マスクもせずに現地に向かったのとは根本的に違います。


でも、そこからわずか48時間後には、感染者は倍に拡大していました。 仕事とはいえ、街を出歩いたことに少し、ゾッとしました。

22日にクオモ知事が発表したメッセージは、「ヘタしたら、80%の方々が感染する可能性もある。 特に高齢者や現在病気の方々が罹患した場合、死に至る場合もある」というものだったからです。そして、その翌日、日本でオリンピックが正式に延期になるというニュースが飛び込んできました。

、、、そんな歴史的、世界的、国民イベントの延期発表のあとに報告するのもアレですが。 。 w
5月に予定していた、僕の福岡ー広島ー岡山ー京都ー名古屋ー日比谷、の講演会、トークショー、書店サイン会の全国ツアーも、当然のごとく無期延期となりました。 (五輪延期決定の後に書くと、これ以上ないほどしょうもないお知らせだなっww)ただ、すでにFacebook上でチケットを購入して下さった方も多く、お知らせする必要があると判断しました。 それに伴い4月に高田馬場で開催される予定だった某医療系パーティーで1000人の前でスピーチさせて頂くお仕事も飛んじゃった(^_^;) 先々週は、日本から来ていた神戸女子大学生たちの前で、ここニューヨークで講演させて頂くことにもなっていたのですが、土壇場で彼女たちが強制帰国(~_~;) それら、すべての予定が白紙になりました。


では、一切、街には人の姿を見かけることはないのか。ここ数日、僕のツイッター、フェイスブック、ブログでは、日本の多くの方から心配のメッセージを頂きました。中には「食糧を送りましょうか」とか、「子供たちも一歩も外に出れないならストレスも溜まるでしょう」とか。非常にありがたいのですが、今、現在、グロッセリーに食料品は溢れています。 十分な注意のもと買い出しにも出かけられます。 幼稚園の先生から送られてきたEメールは「毎日、少しは外に出て遊びましょう」という内容でした。 ZOOMでの授業は驚くほど充実しています。

おそらく「LOCK DOWN」の概念を日本の方は誤解されている。報道で受ける印象と、実際は違います。20年前の同時多発テロのその日、僕は映画館に行きました。 館内は満員でした。
日本の方の中にはテレビでニュースを見て、街には人間の姿は一人もなく、ガスマスクをつけている当局のスタッフが消毒液を撒き散らし、一般人が道を歩こうものなら、これまた当局の人間が、捕獲し収監するくらいの勢いなのではないか、と。 (さすがにそこまでの誤解をしている人はいないか)確かに、人の姿はまばらです。 マッサージ店や美容院など、お客さんと直接接触するサービス業はどこも営業していません。 レストランもクローズしているところが多い。

ですが、レストランも店内での食事は禁止でも、テイクアウト専門で営業をしているところは結構、あります。 スーパーマーケット、グロッセリー、デリなどの食料品店は、変わらず、営業しています。 食糧の買い込みでの最低限の外出は許可されています。 うちの奥さんもマスクの上からスカーフを巻いて、毎日、買い出しに出かけています。 スターバックスは全店舗閉店ですが、マクドナルドは全店舗、時間制限はあるものの、開店しています。 そのあたりのルールはわかりません。 おそらく企業それぞれの考えとポリシーと主張なのだと思います。 どちらも正しいと、個人的には思います。スーパーや食料品店は、確かに缶詰とシリアル(コーンフレーク)は品薄ですが、従来の食品はすべて従来通り陳列されています。 ないのは消毒液(サニタライザー)くらいなものです。


では、そのまばらな人たちはみんな完全防備かというと、そうでもないです。 マスクをしている人の数は半分くらい。 インフルエンザが流行っている時期の東京の方がマスクしている人の割合は多い気がします。それでも半数はしているので、まったくマスクをする習慣のない人たちのコミュニティーの中では、異様な光景でもあります。

当然のごとく、デリバリーサービスは、かつてないほど儲かっているようで、街はウーバイーツなどのドライバーだらけです。 こんな時期なので、特にありがたがられ、チップに50ドルとか渡される、みたいな話を聞きました。 ニューヨーカーのいいところでもあるのですが、こんな時にはありえない額のチップをはずむそうです。 「助かってるよ!」と。 面白いのは、州も市も公式サイトで、「こんな時だからこそ、みんなデリバリーを頼もう!」と呼びかけていることです。


公式サイトといえば、市長は自身のTwitterで、10日「いいか、この街ではヘイトクライムも差別も違法だぞ。 アジア系のみんな、市は味方だからな」とツイートしました。 市長がわざわざそんなツイートをするということは、それだけこの街のアジア系がヘイトクライムを受ける可能性があったということの裏返しだと思われます。


NY市のデブラシオ市長と、NY州のクオモ州知事は、政策においていつも対立することで有名です。

どちらかと言うと、デブラシオは革新派。 とにかく経済や子供たちの教育を止めるのは最後、という考え方です。 なので、最後まで学校閉鎖に踏み切りませんでした。 やたら、トランプ大統領と気が合うコンサバなクオモは、とにかくすぐに学級閉鎖をしたかった。 結果、二人のそれぞれの妥協点が16日、公立の学校機関すべての閉鎖だったのだと思われます。 タイミング的にはベストだったのかもしれません。

そうは言っても、共働きで4歳児の双子を抱える、我が家としては、幼稚園がクローズするなんて、当初は、とんでもないこと!という感想でした。 言ってみれば、送り迎えさえすれば、朝10時から昼2時まで見ていてくれる、無料の育児所のようなもの。 その時間が丸々、なくなります。 しかも、この時期、電車通勤のベビーシッターさんをわざわざ自宅まで来させるわけにはいきません。 外に遊びに行けない、エネルギー満タンの4歳児の双子と、屋内だけで一日、過ごすのはハッキリ言って、コロナよりも驚異です。

国外への出張も多く、ニューヨークにいる際も、早朝から深夜まで働くことが当たり前の零細新聞社の経営者の僕は、今回、皮肉なことに、朝から晩まで家族と過ごす日々になりました。 コロナ拡大防止の自宅謹慎の副産物として、家族との時間が増えました。 エンドレスに遊んでくれと騒ぐ二人を相手しつつ、2時間でもギブアップ寸前なのに、母はすごいな、と妻に感謝する気持ちまで芽生えました。 これもコロナが産んだ副産物と言えなくもない。

実際、ニューヨークはキャリアを積む街です。 世界一晩婚の街。 子供を産んだ後もすぐに職場復帰する女性が多く、今回の謹慎で、初めて子供達と向き合った、というキャリアウーマンも後を断ちません。 ネット上で「大切なモノにやっと気づいた」と書き込む働く女性が増えたとか。 それだけ非日常の日々、が始まっているということでもあるのですが。

食べ物と言えば「NO KID HUNGRY NEW YORK/お腹を空かせた子供たちをゼロにする)」と銘打って、市が無料で朝食とランチを配っています。 やはり、なにをおいても、子供達を優先する街です。 実際に、一度、フードをもらいに行きました。IDを見せる必要もなく、「子供二人!」という自己申告だけで、二人分の食糧を渡してくれました。 アメリカの素晴らしいところだと思います。 そのカウンターにいたスタッフがマスクをしてないことに少し引っ掛かったけど。 アメリカのバカっぽいところだと思います。 で、ブラウンバッグ(茶色の紙袋)なので、リンゴやらサンドイッチが入っているので、すぐに底が抜けます。 出口で全部、ぶちまけてしまった僕に、黒人の縦より横に長い女性スタッフが、「あなたのせいじゃないから、戻って新しい紙袋もらっておいで!」としつこく言ってきます。 アメリカの素晴らしいところだと思います。 戻ると、新しい紙袋をくれました。 でも、まったく同じ紙袋でした。 アメリカのバカっぽいところだと思います。


自宅に持って帰ります。 妻は買い出しに行くことも限定的な今、すごく助かると言いました。 アメリカの素晴らしいところだと思います。 紙袋を開けてみると、ピーナッツバターたっぷりのサンドイッチと、ブルーベリージャム、べったりのサンドイッチと、砂糖まみれのクッキーと。 。 。 素晴らしくないところです。 でも、子供達を何より優先するところは素敵だなって思います。 この街で子供達を育てることができるのは、幸せだなと思いました。 砂糖まみれのクッキーは僕が食べたけど。


子供達と言えば、今、幼稚園に通園は出来ないのですが、毎朝、ZOOMでクラスメイトとホームルームをやっています。 それぞれの親御さんが膝に園児を乗っけて、HELLO! と参加しています。 お遊戯も充実しています。食べ物と言えば、飲食店にとってはロックダウンそのものが生存危機に直結します。 だって、お客さんがゼロになるのだから。 その中でも、ある意味、僕たち消費者にはラッキー、、と言えば、不謹慎ですが、有名ステーキ店が、あり得ないディスカウントで、デリバリーサービスを始めました。 このままでは仕入れの肉が傷んでしまう。 だったら、タダ同然の額でも売り捌こうというわけです。 ニューヨークの有名老舗ステーキハウス「ベンジャミン」のフィレステーキが90%オフの価格で食べられました。 たまたま、うちの愛犬、名前がみりんという雑種が9歳の誕生日を迎えたので、高級フィレステーキを800グラム誕生日ディナーにしました。 多分、本体(みりん)より日頃は高い価格。 それが1割の値段で手に入りました。


不謹慎と言われるかもしれませんが、そのくらいを楽しみにしていないとやっていられない現状です。世界がこのような状態になると誰が予想したでしょうか。 テレビに出演する占い師が、本物だと言うのなら、絶対、予想出来ていなければおかしいほどの歴史的事件です。


予想と言えば、昨年11月。 東京に行った際に、いつもご挨拶に行く、ベストセラー作家の本田健先生のご自宅にて。 健さんと何気なく、世間話をしていた時のことでした。 「そういえば、来年、とうとう東京オリンピックですね」という話題になった際、何気なく、健さんは「でも、なにがあるかわからないよね。 ちょっとしたら、戦争にならないとは言い切れないし、世界的なウイルスのパンデミックになる可能性だってゼロじゃない」とおっしゃってました。 もちろん、ただの偶然です。 でも「世界的な変革の時期ってなにがあるか、わからないから」とも言っていました。 偶然だとしても、いつも世界に目を向けて、アンテナを張り巡らしている彼にしてみれば無意識的にも、どこかで予見していたのかもしれません。 すごいなと思わされました。

そして、今、これを書いている真っ最中に、知り合いに頼まれて、急きょZOOMにて数十名の方々が参加する中、ニューヨークの今の現状、LOCK DOWNについてお話しさせて頂きました。急きょだったので、それが何の会合かわからないまま、お話させて頂きました。SNSのグループみたいです。他にもカリフォルニア郊外に住まれている方、ロザンゼルス、シアトル、そしてドイツに住まれている、すでに今現在、世界でLOCK DOWNをしてる都市の方々が参加されました。主旨は、彼らによる、これから封鎖される可能性のある日本の他の参加者に対しての現状報告、そして心がまえ。 西海岸やヨーロッパの現状も知ることができ、非常に有意義なZOOMセミナーでした。 だからこそ、この有意義な情報を身内だけでなく、知り合いに伝え、拡散して欲しいと思いました。各国のダウン経験者から、少しずつ買い出しに出かけ貯蔵しておこう、とか、急にダウンした際パニックにならないよう、とか、撹乱する情報を見極めよう、とか、LOCK DOWNそのものに役立つ情報が数多く出てきました。

僕的には、少し、違う角度からお話させて頂きました。それは
ー、死ぬな、ということ。
大袈裟に言ってるわけでも、イタズラに煽っているわけでもありません。 感染そのものについての発言でもない。 今回のパンデミックが収まったとして、確実に訪れるであろう「経済破綻」について、です。 結構、真剣に思っています。今回、個人的に感染以上に怖いのは、エコノミック的に大打撃を受ける個人が日本で続出するのではないか、ということ。 いや、すでに出ていると思います。 僕が零細新聞社の経営者だから特にそう感じるのかもしれませんが、経営者に限りません。 個人事業主、大企業、オーナー、雇われ、サラリーマン。 どの職業であれ、破綻する可能性が出てくるー。
そして、こんな有事によく言われるのが「状況に合わせて、切り替えが必要!」というロジック。 テロであれ、バブルが弾けた後であれ、「その状況に合わせて、今の状況に固執せず、ビジネスモデルをうまく変えて、何とか切り抜けよう」という理論。 業種によっては利益が出ている、という理屈。 もちろん100%賛成です。 それに越したことはない。 でも、全員が全員、そううまく作用するわけがない。 なにより、僕の周囲の経営者で、当たり前ですが、当然、活路を見出すため、方向転換を考え、そっちにハンドルを切っています。 今のままでいいと思う経営者なんて皆無、です。
でも、それでも、うまく行かない場合もある。 1番いいのは、経済破綻が起きないこと。 2番目は、それを利用しモデルチェンジし、うまく切り抜けること。 でも、それすらできなかった場合も出てきます。 少なからず。
その場合、絶対に、ヤケを起こさないでください。 炎上覚悟で言うなら、破産しても「たかが金だ」くらいに思った方がいい。 その場合に限ってだけど。 ニューヨークで、外国人経営者として、紙媒体を運営しているー。 ( ←自分で書いてて嫌になるくらい、ハンデだらけだな・笑)その僕から言わせれば、仮りに一回破綻しても、絶対に活路は見出せると信じています。 絶対に復活できる、と。
同時多発テロの直後に業界に入り込み、イラク戦争真っ最中にメディアカンパニーを立ち上げた。 ブラックアウトで創刊の邪魔をされ、紙の時代はもう終わると言われる中、無料の日刊紙を発刊し続けた。 リーマンショックの影響で、当時雇われ社長だった元の会社と決裂したときは、NYの日系社会で「高橋はもう終わった」とささやかれました。 「ニューヨークBIZ」を創刊した翌年にはサンディにより、オフィス業務はすべてストップ。 歴史上、外国人が最も嫌いな大統領が誕生した際は、せっかく育てた優秀な社員がのきなみビザを拒絶され、強制帰国になりました。 もちろん、それらのたび、売り上げは底辺まで毎回落ち込みました。 毎回、毎回。
プライベートでは、ドSなのに、ひょっとしてビジネスにおいては、オレ、Mなのかな、と最近は自分に感心すらしています。 そんな経緯だったので、調子がいい時があったとしても、いつまでも続くわけがないと、どこかでいつも思ってる。 いつだって、ゼロになる覚悟が出来ている。 毎回、毎回、ゼロにされることに、免疫がつきました。 いつか、息子が大きくなった際、武勇伝として聞かせて、ウザがられるのを楽しみにしている。 ゼロになったとして。 またゼロから始められる。 そう思えるくらいにしておきたい。 絶対に、活路は見出せるからー。 だから、ー、死ぬな。
そして、ニューヨークは、僕が渡米してからの20年間に限ったとしても、いろいろとありました。 なので、今回も乗り越えると思います、結局。 そして、僕たちも。


コロナが蔓延しても、ニューヨークは今年も桜が咲いてます。



高橋克明この著者の記事一覧
全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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私見

 この高橋克明氏の記事がどの程度、事実を全面的に記述しているか、私にはわからない。けれど、諸外国の実態を、管理され政府の広報として飼育された日本の大手マスコミ以外のメデイアからも情報にふれることが、有効なことだと考える。
 認識は対象の全面的側面に及ぶことによって、偏見や予断から、対象の総合的把握に至ることができる。
だから、私の主義主張や思想信条とは無関係に、多くの情報に接することで、新たな認識に至る道を私たちは獲得できる。それがこの長文記事を転載させていただいた理由である。(終)

日本共産党綱領 2020年1月18日 第28回党大会で改定

2020-03-29 16:35:14 | 転載

一、 戦前の日本社会と日本共産党

 (一)日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。
 当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。
 党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
 (二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。
 党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。
 党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。
 党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。
 党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。
 党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。
 (三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。
 帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。
 他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。
 侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲で多くの地方が焦土となった。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。
 ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。

二、 現在の日本社会の特質

 (四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。
 第一は、日本が、独立国としての地位を失い、アメリカへの事実上の従属国の立場になったことである。
 敗戦後の日本は、反ファッショ連合国を代表するという名目で、アメリカ軍の占領下におかれた。アメリカは、その占領支配をやがて自分の単独支配に変え、さらに一九五一年に締結されたサンフランシスコ平和条約と日米安保条約では、沖縄の占領支配を継続するとともに、日本本土においても、占領下に各地につくった米軍基地の主要部分を存続させ、アメリカの世界戦略の半永久的な前線基地という役割を日本に押しつけた。日米安保条約は、一九六〇年に改定されたが、それは、日本の従属的な地位を改善するどころか、基地貸与条約という性格にくわえ、有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項や日米経済協力の条項などを新しい柱として盛り込み、日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約に改悪・強化したものであった。
 第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。
 この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。
 第三は、戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたことである。このことは、日本独占資本主義に、その発展のより近代的な条件を与え、戦後の急成長を促進する要因の一つとなった。
 日本は、これらの条件のもとで、世界の独占資本主義国の一つとして、大きな経済的発展をとげた。しかし、経済的な高成長にもかかわらず、アメリカにたいする従属的な同盟という対米関係の基本は変わらなかった。
 (五)わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている。
 わが国には、戦争直後の全面占領の時期につくられたアメリカ軍事基地の大きな部分が、半世紀を経ていまだに全国に配備され続けている。なかでも、敗戦直後に日本本土から切り離されて米軍の占領下におかれ、サンフランシスコ平和条約でも占領支配の継続が規定された沖縄は、アジア最大の軍事基地とされている。沖縄県民を先頭にした国民的なたたかいのなかで、一九七二年、施政権返還がかちとられたが、米軍基地の実態は基本的に変わらず、沖縄県民は、米軍基地のただなかでの生活を余儀なくされている。アメリカ軍は、わが国の領空、領海をほしいままに踏みにじっており、広島、長崎、ビキニと、国民が三たび核兵器の犠牲とされた日本に、国民に隠して核兵器持ち込みの「核密約」さえ押しつけている。
 日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮のもとにおかれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされている。
 アメリカは、日本の軍事や外交に、依然として重要な支配力をもち、経済面でもつねに大きな発言権を行使している。日本の政府代表は、国連その他国際政治の舞台で、しばしばアメリカ政府の代弁者の役割を果たしている。
 日本とアメリカとの関係は、対等・平等の同盟関係では決してない。日本の現状は、発達した資本主義諸国のあいだではもちろん、植民地支配が過去のものとなった今日の世界の国際関係のなかで、きわめて異常な国家的な対米従属の状態にある。アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである。
 (六)日本独占資本主義は、戦後の情勢のもとで、対米従属的な国家独占資本主義として発展し、国民総生産では、早い時期にすべてのヨーロッパ諸国を抜き、アメリカに次ぐ地位に到達するまでになった。その中心をなす少数の大企業は、大きな富をその手に集中して、巨大化と多国籍企業化の道を進むとともに、日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた。国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている。
 大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている。労働者は、過労死さえもたらす長時間・過密労働や著しく差別的な不安定雇用に苦しみ、多くの企業で「サービス残業」という違法の搾取方式までが常態化している。雇用保障でも、ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない。
 女性差別の面でも、国際条約に反するおくれた実態が、社会生活の各分野に残って、国際的な批判を受けている。公権力による人権の侵害をはじめ、さまざまな分野での国民の基本的人権の抑圧も、重大な状態を残している。
 日本の工業や商業に大きな比重を占め、日本経済に不可欠の役割を担う中小企業は、大企業との取り引き関係でも、金融面、税制面、行政面でも、不公正な差別と抑圧を押しつけられ、不断の経営悪化に苦しんでいる。農業は、自立的な発展に必要な保障を与えられないまま、「貿易自由化」の嵐にさらされ、食料自給率が発達した資本主義国で最低の水準に落ち込み、農業復興の前途を見いだしえない状況が続いている。
 国民全体の生命と健康にかかわる環境問題でも、大企業を中心とする利潤第一の生産と開発の政策は、自然と生活環境の破壊を全国的な規模で引き起こしている。
 日本政府は、大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた。日本の財政支出の大きな部分が大型公共事業など大企業中心の支出と軍事費とに向けられ、社会保障への公的支出が発達した資本主義国のなかで最低水準にとどまるという「逆立ち」財政は、その典型的な現われである。
 その根底には、反動政治家や特権官僚と一部大企業との腐敗した癒着・結合がある。絶えることのない汚職・買収・腐敗の連鎖は、日本独占資本主義と反動政治の腐朽の底深さを表わしている。
 日本経済にたいするアメリカの介入は、これまでもしばしば日本政府の経済政策に誤った方向づけを与え、日本経済の危機と矛盾の大きな要因となってきた。「グローバル化(地球規模化)」の名のもとに、アメリカ式の経営モデルや経済モデルを外から強引に持ち込もうとする企ては、日本経済の前途にとって、いちだんと有害で危険なものとなっている。
 これらすべてによって、日本経済はとくに基盤の弱いものとなっており、二一世紀の世界資本主義の激動する情勢のもとで、日本独占資本主義の前途には、とりわけ激しい矛盾と危機が予想される。
 日本独占資本主義と日本政府は、アメリカの目したの同盟者としての役割を、軍事、外交、経済のあらゆる面で積極的、能動的に果たしつつ、アメリカの世界戦略に日本をより深く結びつける形で、自分自身の海外での活動を拡大しようとしている。
 軍事面でも、日本政府は、アメリカの戦争計画の一翼を担いながら、自衛隊の海外派兵の範囲と水準を一歩一歩拡大し、海外派兵を既成事実化するとともに、それをテコに有事立法や集団的自衛権行使への踏み込み、憲法改悪など、軍国主義復活の動きを推進する方向に立っている。軍国主義復活をめざす政策と行動は、アメリカの先制攻撃戦略と結びついて展開され、アジア諸国民との対立を引き起こしており、アメリカの前線基地の役割とあわせて、日本を、アジアにおける軍事的緊張の危険な震源地の一つとしている。
 対米従属と大企業・財界の横暴な支配を最大の特質とするこの体制は、日本国民の根本的な利益とのあいだに解決できない多くの矛盾をもっている。その矛盾は、二一世紀を迎えて、ますます重大で深刻なものとなりつつある。

三、 二一世紀の世界

 (七)二〇世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配をもって始まった。この世紀のあいだに、人類社会は、二回の世界大戦、ファシズムと軍国主義、一連の侵略戦争など、世界的な惨禍を経験したが、諸国民の努力と苦闘を通じて、それらを乗り越え、人類史の上でも画期をなす巨大な変化が進行した。
 多くの民族を抑圧の鎖のもとにおいた植民地体制は完全に崩壊し、民族の自決権は公認の世界的な原理という地位を獲得し、百を超える国ぐにが新たに政治的独立をかちとって主権国家となった。これらの国ぐにを主要な構成国とする非同盟諸国会議は、国際政治の舞台で、平和と民族自決の世界をめざす重要な力となっている。
 国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権の問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的な人権保障の基準がつくられてきた。人権を擁護し発展させることは国際的な課題となっている。
 国際連合の設立とともに、戦争の違法化が世界史の発展方向として明確にされ、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設が世界的な目標として提起された。二〇世紀の諸経験、なかでも侵略戦争やその企てとのたたかいを通じて、平和の国際秩序を現実に確立することが、世界諸国民のいよいよ緊急切実な課題となりつつある。
 これらの巨大な変化のなかでも、植民地体制の崩壊は最大の変化であり、それは世界の構造を大きく変え、民主主義と人権、平和の国際秩序の発展を促進した。
 (八)一九一七年にロシアで十月社会主義革命が起こり、第二次世界大戦後には、アジア、東ヨーロッパ、ラテンアメリカの一連の国ぐにが、資本主義からの離脱の道に踏み出した。
 最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、レーニンが指導した最初の段階においては、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少なくない試行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された。とりわけ民族自決権の完全な承認を対外政策の根本にすえたことは、世界の植民地体制の崩壊を促すものとなった。
 しかし、レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。
 日本共産党は、科学的社会主義を擁護する自主独立の党として、日本の平和と社会進歩の運動にたいするソ連覇権主義の干渉にたいしても、チェコスロバキアやアフガニスタンにたいするソ連の武力侵略にたいしても、断固としてたたかいぬいた。
 ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で一九八九~九一年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた。
 ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の平和と社会進歩の流れを発展させる新たな契機となった。それは、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった。
 (九)植民地体制の崩壊と百を超える主権国家の誕生という、二〇世紀に起こった世界の構造変化は、二一世紀の今日、平和と社会進歩を促進する生きた力を発揮しはじめている。
 一握りの大国が世界政治を思いのままに動かしていた時代は終わり、世界のすべての国ぐにが、対等・平等の資格で、世界政治の主人公になる新しい時代が開かれつつある。諸政府とともに市民社会が、国際政治の構成員として大きな役割を果たしていることは、新しい特徴である。
 「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ(広島・長崎をくりかえすな)」という被爆者の声、核兵器廃絶を求める世界と日本の声は、国際政治を大きく動かし、人類史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約が成立した。核兵器を軍事戦略の柱にすえて独占体制を強化し続ける核兵器固執勢力のたくらみは根づよいが、この逆流は、「核兵器のない世界」をめざす諸政府、市民社会によって、追い詰められ、孤立しつつある。
 東南アジアやラテンアメリカで、平和の地域協力の流れが形成され、困難や曲折を経ながらも発展している。これらの地域が、紛争の平和的解決をはかり、大国の支配に反対して自主性を貫き、非核地帯条約を結び核兵器廃絶の世界的な源泉になっていることは、注目される。とくに、東南アジア諸国連合(ASEAN)が、紛争の平和的解決を掲げた条約を土台に、平和の地域共同体をつくりあげ、この流れをアジア・太平洋地域に広げていることは、世界の平和秩序への貢献となっている。
 二〇世紀中頃につくられた国際的な人権保障の基準を土台に、女性、子ども、障害者、少数者、移住労働者、先住民などへの差別をなくし、その尊厳を保障する国際規範が発展している。ジェンダー平等を求める国際的潮流が大きく発展し、経済的・社会的差別をなくすこととともに、女性にたいするあらゆる形態の暴力を撤廃することが国際社会の課題となっている。
 (一〇)巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾は、現在、広範な人民諸階層の状態の悪化、貧富の格差の拡大、くりかえす不況と大量失業、国境を越えた金融投機の横行、環境条件の地球的規模での破壊、植民地支配の負の遺産の重大さ、アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐにでの貧困など、かつてない大きな規模と鋭さをもって現われている。
 とりわけ、貧富の格差の世界的規模での空前の拡大、地球的規模でさまざまな災厄をもたらしつつある気候変動は、資本主義体制が二一世紀に生き残る資格を問う問題となっており、その是正・抑制を求める諸国民のたたかいは、人類の未来にとって死活的意義をもつ。
 世界のさまざまな地域での軍事同盟体制の強化や、各種の紛争で武力解決を優先させようとする企て、国際テロリズムの横行、排外主義の台頭などは、緊張を激化させ、平和を脅かす要因となっている。
 なかでも、アメリカが、アメリカ一国の利益を世界平和の利益と国際秩序の上に置き、国連をも無視して他国にたいする先制攻撃戦略をもち、それを実行するなど、軍事的覇権主義に固執していることは、重大である。アメリカは、地球的規模で軍事基地をはりめぐらし、世界のどこにたいしても介入、攻撃する態勢を取り続けている。そこには、独占資本主義に特有の帝国主義的侵略性が、むきだしの形で現われている。これらの政策と行動は、諸国民の独立と自由の原則とも、国連憲章の諸原則とも両立できない、あからさまな覇権主義、帝国主義の政策と行動である。
 いま、アメリカ帝国主義は、世界の平和と安全、諸国民の主権と独立にとって最大の脅威となっている。
 その覇権主義、帝国主義の政策と行動は、アメリカと他の独占資本主義諸国とのあいだにも矛盾や対立を引き起こしている。また、経済の「グローバル化」を名目に世界の各国をアメリカ中心の経済秩序に組み込もうとする経済的覇権主義も、世界の経済に重大な混乱をもたらしている。
 軍事的覇権主義を本質としつつも、世界の構造変化のもとで、アメリカの行動に、国際問題を外交交渉によって解決するという側面が現われていることは、注目すべきである。
 いくつかの大国で強まっている大国主義・覇権主義は、世界の平和と進歩への逆流となっている。アメリカと他の台頭する大国との覇権争いが激化し、世界と地域に新たな緊張をつくりだしていることは、重大である。
 (一一)この情勢のなかで、いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
 平和と進歩をめざす勢力が、それぞれの国でも、また国際的にも、正しい前進と連帯をはかることが重要である。
 日本共産党は、労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩のための闘争を支持する。
 なかでも、国連憲章にもとづく平和の国際秩序か、独立と主権を侵害する覇権主義的な国際秩序かの選択が、問われている。日本共産党は、どんな国であれ覇権主義的な干渉、戦争、抑圧、支配を許さず、平和の国際秩序を築き、核兵器のない世界、軍事同盟のない世界を実現するための国際的連帯を、世界に広げるために力をつくす。
 世界史の進行には、多くの波乱や曲折、ときには一時的な、あるいはかなり長期にわたる逆行もあるが、帝国主義・資本主義を乗り越え、社会主義に前進することは、大局的には歴史の不可避的な発展方向である。

四、 民主主義革命と民主連合政府

 (一二)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。
 (一三)現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである。
〔国の独立・安全保障・外交の分野で〕
 1 日米安保条約を、条約第十条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ。
   経済面でも、アメリカによる不当な介入を許さず、金融・為替・貿易を含むあらゆる分野で自主性を確立する。
 2 主権回復後の日本は、いかなる軍事同盟にも参加せず、すべての国と友好関係を結ぶ平和・中立・非同盟の道を進み、非同盟諸国会議に参加する。
 3 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。
 4 新しい日本は、次の基本点にたって、平和外交を展開する。
 ――日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省を踏まえ、アジア諸国との友好・交流を重視する。紛争の平和的解決を原則とした平和の地域協力の枠組みを北東アジアに築く。
 ――国連憲章に規定された平和の国際秩序を擁護し、この秩序を侵犯・破壊するいかなる覇権主義的な企てにも反対する。
 ――人類の死活にかかわる核戦争の防止と核兵器の廃絶、各国人民の民族自決権の擁護、全般的軍縮とすべての軍事同盟の解体、外国軍事基地の撤去をめざす。
 ――一般市民を犠牲にする無差別テロにも報復戦争にも反対し、テロの根絶のための国際的な世論と共同行動を発展させる。
 ――日本の歴史的領土である千島列島と歯舞群島・色丹島の返還をめざす。
 ――多国籍企業の無責任な活動を規制し、地球環境を保護するとともに、一部の大国の経済的覇権主義をおさえ、すべての国の経済主権の尊重および平等・公平を基礎とする民主的な国際経済秩序の確立をめざす。
 ――紛争の平和解決、災害、難民、貧困、飢餓などの人道問題にたいして、非軍事的な手段による国際的な支援活動を積極的におこなう。
 ――社会制度の異なる諸国の平和共存および異なる価値観をもった諸文明間の対話と共存の関係の確立に力をつくす。
〔憲法と民主主義の分野で〕
 1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。
 2 国会を名実ともに最高機関とする議会制民主主義の体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する。
 3 選挙制度、行政機構、司法制度などは、憲法の主権在民と平和の精神にたって、改革を進める。
 4 地方政治では「住民が主人公」を貫き、住民の利益への奉仕を最優先の課題とする地方自治を確立する。
 5 国民の基本的人権を制限・抑圧するあらゆる企てを排除し、社会的経済的諸条件の変化に対応する人権の充実をはかる。労働基本権を全面的に擁護する。企業の内部を含め、社会生活の各分野で、思想・信条の違いによる差別を一掃する。
 6 ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性の独立した人格を尊重し、女性の社会的、法的な地位を高める。女性の社会的進出・貢献を妨げている障害を取り除く。性的指向と性自認を理由とする差別をなくす。
 7 教育では、憲法の平和と民主主義の理念を生かした教育制度・行政の改革をおこない、各段階での教育諸条件の向上と教育内容の充実につとめる。
 8 文化各分野の積極的な伝統を受けつぎ、科学、技術、文化、芸術、スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問・研究と文化活動の自由をまもる。
 9 信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる。
 10 汚職・腐敗・利権の政治を根絶するために、企業・団体献金を禁止する。
 11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
   党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。
〔経済的民主主義の分野で〕
 1 「ルールなき資本主義」の現状を打破し、労働者の長時間労働や一方的解雇の規制を含め、ヨーロッパの主要資本主義諸国や国際条約などの到達点も踏まえつつ、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」をつくる。
 2 大企業にたいする民主的規制を主な手段として、その横暴な経済支配をおさえる。民主的規制を通じて、労働者や消費者、中小企業と地域経済、環境にたいする社会的責任を大企業に果たさせ、国民の生活と権利を守るルールづくりを促進するとともに、つりあいのとれた経済の発展をはかる。経済活動や軍事基地などによる環境破壊と公害に反対し、自然保護と環境保全のための規制措置を強化する。
 3 食料自給率の向上、安全・安心な食料の確保、国土の保全など多面的機能を重視し、農林水産政策の根本的な転換をはかる。国の産業政策のなかで、農業を基幹的な生産部門として位置づける。
 4 原子力発電所は廃止し、核燃料サイクルから撤退し、「原発ゼロの日本」をつくる。気候変動から人類の未来を守るため早期に「温室効果ガス排出量実質ゼロ」を実現する。環境とエネルギー自給率の引き上げを重視し、再生可能エネルギーへの抜本的転換をはかる。
 5 国民各層の生活を支える基本的制度として、社会保障制度の総合的な充実と確立をはかる。子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する。日本社会として、少子化傾向の克服に力をそそぐ。
 6 国の予算で、むだな大型公共事業をはじめ、大企業・大銀行本位の支出や軍事費を優先させている現状をあらため、国民のくらしと社会保障に重点をおいた財政・経済の運営をめざす。大企業・大資産家優遇の税制をあらため、負担能力に応じた負担という原則にたった税制と社会保障制度の確立をめざす。
 7 すべての国ぐにとの平等・互恵の経済関係を促進し、南北問題や地球環境問題など、世界的規模の問題の解決への積極的な貢献をはかる。
 (一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
 日本共産党は、国民的な共同と団結をめざすこの運動で、先頭にたって推進する役割を果たさなければならない。日本共産党が、高い政治的、理論的な力量と、労働者をはじめ国民諸階層と広く深く結びついた強大な組織力をもって発展することは、統一戦線の発展のための決定的な条件となる。
 日本共産党と統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席を占め、国会外の運動と結びついてたたかうことは、国民の要求の実現にとっても、また変革の事業の前進にとっても、重要である。
 日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。日本共産党は、「国民が主人公」を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数の支持を得て民主連合政府をつくるために奮闘する。
 統一戦線の発展の過程では、民主的改革の内容の主要点のすべてではないが、いくつかの目標では一致し、その一致点にもとづく統一戦線の条件が生まれるという場合も起こりうる。党は、その場合でも、その共同が国民の利益にこたえ、現在の反動支配を打破してゆくのに役立つかぎり、さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線の政府をつくるために力をつくす。
 また、全国各地で革新・民主の自治体を確立することは、その地方・地域の住民の要求実現の柱となると同時に、国政における民主的革新的な流れを前進させるうえでも、重要な力となる。
 民主連合政府の樹立は、国民多数の支持にもとづき、独占資本主義と対米従属の体制を代表する支配勢力の妨害や抵抗を打ち破るたたかいを通じて達成できる。対日支配の存続に固執するアメリカの支配勢力の妨害の動きも、もちろん、軽視することはできない。
 このたたかいは、政府の樹立をもって終わるものではない。引き続く前進のなかで、民主勢力の統一と国民的なたたかいを基礎に、統一戦線の政府が国の機構の全体を名実ともに掌握し、行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手となることが、重要な意義をもってくる。
 民主連合政府は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など国民諸階層・諸団体の民主連合に基盤をおき、日本の真の独立の回復と民主主義的変革を実行することによって、日本の新しい進路を開く任務をもった政権である。
 (一五)民主主義的変革によって独立・民主・平和の日本が実現することは、日本国民の歴史の根本的な転換点となる。日本は、アメリカへの事実上の従属国の地位から抜け出し、日本国民は、真の主権を回復するとともに、国内的にも、はじめて国の主人公となる。民主的な改革によって、日本は、戦争や軍事的緊張の根源であることをやめ、アジアと世界の平和の強固な礎の一つに変わり、日本国民の活力を生かした政治的・経済的・文化的な新しい発展の道がひらかれる。日本の進路の民主的、平和的な転換は、アジアにおける平和秩序の形成の上でも大きな役割を担い、二一世紀におけるアジアと世界の情勢の発展にとって、重大な転換点の一つとなりうるものである。

五、 社会主義・共産主義の社会をめざして

 (一六)日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。
 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。
 生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。
 生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。
 生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。
 社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。
 さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。「社会主義」の名のもとに、特定の政党に「指導」政党としての特権を与えたり、特定の世界観を「国定の哲学」と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。
 社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
 人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。
 (一七)社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。
 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。
 日本共産党は、社会主義への前進の方向を支持するすべての党派や人びとと協力する統一戦線政策を堅持し、勤労市民、農漁民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ、社会の多数の人びとの納得と支持を基礎に、社会主義的改革の道を進むよう努力する。
 日本における社会主義への道は、多くの新しい諸問題を、日本国民の英知と創意によって解決しながら進む新たな挑戦と開拓の過程となる。日本共産党は、そのなかで、次の諸点にとくに注意を向け、その立場をまもりぬく。
 (1)生産手段の社会化は、その所有・管理・運営が、情勢と条件に応じて多様な形態をとりうるものであり、日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要であるが、生産者が主役という社会主義の原則を踏みはずしてはならない。「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。
 (2)市場経済を通じて社会主義に進むことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探究が重要である。国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、社会主義・共産主義の日本の経済生活では全面的に否定される。
 (一八)これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。
 発達した資本主義国での社会主義的変革は、特別の困難性をもつとともに、豊かで壮大な可能性をもった事業である。この変革は、生産手段の社会化を土台に、資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力、経済を社会的に規制・管理するしくみ、国民の生活と権利を守るルール、自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験、人間の豊かな個性などの成果を、継承し発展させることによって、実現される。発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道である。日本共産党が果たすべき役割は、世界的にもきわめて大きい。
 日本共産党は、それぞれの段階で日本社会が必要とする変革の諸課題の遂行に努力をそそぎながら、二一世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とすることをめざして、力をつくすものである。

【広原盛明のつれづれ日記 】2020-03-27 新型コロナウイルスの感染拡大を契機とする安倍流ショックドクトリン政策は成功するか

2020-03-28 22:54:50 | 転載
 近畿財務局職員の遺書の公開、黒川東京高検検事長の定年延長をめぐる森雅子法相の支離滅裂答弁、河合夫妻の公職選挙法違反疑惑に関する秘書逮捕などなど、最近の安倍政権には内閣が幾つも吹っ飛んでおかしくないほどの不祥事が続出している。それでいて一旦下がった内閣支持率が再び回復するなど、良識ある国民には理解しがたい出来事が起こっている。いったいこの現象をどう見ればいいのか、見識ある政治評論家のコメントを聞きたいものだ。



 3月21、22両日に行われた産経新聞世論調査では、前回36.2%にまで下がった内閣支持率が41.3%に5.1ポイント上昇した。自民党支持率も31.5%から32.6%へ1.1ポイント回復している。これに対して立憲民主党、国民民主党、社民党など野党支持率は軒並み低下している。「いったいどうなってるの?」と言いたくなるぐらいの現象なのだ。



 産経新聞(3月24日)は、この結果を「野党 支持離れ鮮明、政権追及空回り」「新型コロナ 政府対応 野党支持層も評価」「『次も安倍首相』トップ」などと、全紙を使って大きく伝えている。結論は、「支持が広がらない背景には、イベント自粛要請や小中高校の一斉休校など、新型コロナウイルスの感染拡大阻止に向けた政府の対応が一定の評価を得ていることがある」というものだ。事実、肺炎を引き起こす新型コロナウイルスの感染拡大について、「政府の対応を評価するか」との質問に対しては、「評価する」が前回49.4%から51.2%へ上昇し、「評価しない」が45.3%から38.9%へ低下している。



 具体的には、(1)小中高校の一斉休校要請の判断が「適切だと思う」68.4%、「適切でないと思う」25.3%、(2)イベント自粛要請の判断が「適切だと思う」86.8%、「適切でないと思う」25.3%など、国民生活の一大事に関する安倍首相の思い付きと独断が「適切」だと圧倒的に支持されているのである。新型コロナウイルスへ恐怖感がそれほど大きく、安倍首相の思い付きや独断までが「果敢な行動」だと映るような社会心理状態が拡がっているのだろう。



 安倍政権は3月10日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためとして「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(2012年制定)の改正案を国会に提出し、立憲民主党などをも巻き込んで強引に成立させた。この特措法による「緊急事態宣言」は、住民への外出自粛要請や各種イベントの開催制限の要請・指示、医薬品などの売り渡し要請などができる。多数の者が利用する施設(学校や社会福祉施設など)の使用制限・停止要請では適用対象が拡大可能であり、ときの政権に批判的な市民集会とかが排除されるおそれがある。また、NHKや民放の「指定公共機関」に対しても「必要な指示をすることができる」とあり、憲法で定められた集会の自由や表現の自由を侵しかねない内容が含まれている。



政府は3月26日、首都圏での新型コロナウイルスの感染拡大を受け、改正新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく政府対策本部を設置した。これに伴い全都道府県も知事をトップとする対策本部を設け、感染症の専門家らによる諮問委員会が緊急事態宣言を出す要件を満たすと提言すれば、安倍首相が「緊急事態宣言」を出すことができる。首相は対策本部の初会合で「国難というべき事態を乗り越えるために国や地方公共団体、国民が一丸となって対策を進めていく」(日経3月27日)と述べた。



安倍首相はこれまで幾度も「国難」を連発してきた。北朝鮮のミサイル発射に対しては「避難マニュアル」まで作らせ、児童や住民の避難訓練を実施させた。自分は友人たちとゴルフを楽しんでいる...と言うのにである。その一方、少子化と言う国難にはいっこうに立ち向かおうとしない。人口を回復させるという「希望出生率1.8」はそのまま棚ざらしになっている。自分のご都合で「国難」をでっちあげて一定の政治効果が上がったと見るや、次の「国難」を作っては強権政治への求心力を高める――こんなことの繰り返しをやってきただけなのだ。



だが、新型コロナウイルスの感染拡大を契機とする今回の「緊急事態宣言」への準備は、今までのご都合主義とは異なる真剣味を帯びている。対策本部の設置後、安倍首相は東京都の小池知事と首相官邸で会談した。小池知事は「国の大きな力強い協力が必要だ」と要請し、首相は「収束に努力している都を一体的に支援する」と応じた。小池知事は会談後、緊急事態宣言について「これから検討されることを期待したい」と記者団に語ったという(日経3月27日)。



安倍首相は「頭の片隅にもない」と言いながら、自民党総裁4選をいつも念頭に置いている。小池知事もまた7月に迫った都知事選で頭が一杯だ。全国民の関心が新型コロナウイルスの感染拡大の行方に集中しているとき、両者がこの事態を自分の権力拡大に利用しないわけがない。連日テレビ報道を一身に集めている現在は、安倍首相にとっても小池知事にとっても「果敢な決断」を示す絶好の機会なのである。国難を救う強力なリーダー像を演出する上で、これほどの機会はまたとやってこないからだ。



「独裁と化した安倍政権に強大な権限を与えると、戒厳令に等しい状況をつくられてしまう危険性がある」と、日弁連は警鐘を鳴らしている。政変・戦争・災害などの危機的状態の下で、人々がショック状態や茫然自失状態から自分を取り戻せないときに、安倍首相が「国難というべき事態を乗り越えるために国や地方公共団体、国民が一丸となって対策を進めていく」と言うのは、まさにこのことなのである。



安倍首相が「緊急事態宣言」の下で〝ショックドクトリン政策〟を実行に移すことを許してはならない。新型コロナウイルスの感染拡大防止という名目で〝恐怖政治〟を実質化することを許してはならない。今、野党は存在意義を懸けてそのことを国民に問う時なのである。(つづく)

コロナ感染症防衛と緊急事態、『武士道残酷物語』    櫻井 智志

2020-03-28 21:12:16 | 言論と政治

Ⅰ 
「#首都厳戒外出自粛の週末始まる」

63人の都内感染といってもほぼ2週間前に感染したものである。首都と周辺の知事が、外出などの自粛を要請し、ひともいないし店も閉まっているのはやむを得ない対応と思う。だがこの非常事態が政治的枠組みとなったまま、日本社会が緊急事態の枠組みというルートを通した改憲という策略もあり得る。



街は異様な風景だ。自衛隊に水際対策と言う名で防衛大臣は指示を与える。政府の政策によって人為的に今の社会の様子が作られた。決して自然の直接的災害とは言い切れない。#災害を口実に誰も反対できない管理システムの社会が進行してゆくならコロナ病死以上の異変を日本国に招きいれる。



あまりに悲しすぎる。
良心が受容できぬことを上司の命令で行う
#財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いているのが・・

今井正監督は映画『武士道残酷物語』を1963年世に問うた
上司に翻弄される部下が武士社会から現代まで凌辱されてきた
現在日本は民主国家どころか封建イデオロギー国家だ



アビダンをコロナ特効薬と演説で朗々と演説する安部総理。もっと前からアビダンがインフルエンザに使われたが副作用はかなり反作用が多いということ、医学界の常識。安倍首相や小池都知事は、歌舞伎役者のように装飾や修飾で見栄をきるが、もっと国民の心に届く会見はできぬものか。



#謹啓安倍晋三内閣総理殿

東京五輪の重なるアクシデントは貴下の招致演説、「福島原発の汚染水は完全にブロックした」から始まった。原発事故どころか核廃棄物は青森県に置かれたが行く先もない状態で右往左往している。口先だけで根本から取り組まぬ姿勢は全領域で問題として噴出している。



#説明責任を果たす 
#公文書改竄はあってはならぬ
#被害者に心からお悔やみ申し上げます

言葉が軽く内実を伴わぬ 二度目三度目・・・この繰り返しはもはや総理の演説会見を信頼に値しないものとして脳裡に焼きついた



#新型コロナ感染症

個人 医療関係者の意見に耳を傾け実行する
行政 国難というならそれに相応しい態度で問題解決に取り組んでほしい。改憲のような悪質政治利用は信頼を殺ぐ
マスコミ カネ本位でなく真実にねざした事実を明確に報道してほしい
若者 皆さん自身と皆さんの未来を信じ生きてほしい。

底知れぬ差別と偏見の国に住んで~2020.3.21『報道特集』

2020-03-27 23:21:45 | 政治・文化・社会評論

櫻井 智志

 神奈川県津久井やまゆり園大量殺傷事件。19人が殺された。金平茂紀キャスターは、植松聖被告に3度面会し何度も手紙のやりとりを続けた。検察の求告通り死刑の判決がくだった。金平氏は、「2か月17回の裁判で、この事件がなぜ起きたのか、被告人がおこした事件を解き明かすには全く十分ではない。なにひとつ事件の本質はあきらかになっていない」と結んだ。


 植松被告の言葉がいくつか明らかとなった。
「被害者の家族は、精神を病んでいる」
「トランプ大統領は勇気をもって信念を話している。生き方がかっこいい」
最後の出廷で「かっこよければすべてが手に入る」
荒唐無稽にも思える植松聖被告の言葉。だが番組は、れいわ新選組の参議院議員木村英子氏が登場し、私は衝撃を受けた。


木村さんは「(植松被告は)私だったかも知れないという恐怖を感じた」と語った。
「施設には小さないじめやいじわるがしょっちょうある。その究極が植松被告。」
「誰の心にでも潜んでいる」
「育てるのが精いっぱい」。木村さんは明るく元気な子どもだったが、突然の事故で転落して、くびの骨を骨折、脳に損傷を負い、車椅子生活をおくる。家族は、育てるのが精いっぱいだったという。
「うちの家族も一家心中未遂は何度もあった」
木村さんは車椅子からおち、冷たい床にずっと横たわったままで放置されたままの体験を数回体験している。介護する側の悔しさや失望感も感じてきた。
「殺して」、
虐待している側の罪悪感なども感じた。
障がい者が生きていける、当たり前の社会を作ってこなかった。
木村さんは、もしも自らが国会議員に当選して施設から出ることが遅れたら、植松聖被告のような犯罪に巻き込まれるか自分が自暴自棄になるか、どうなっていたか・・と考えた。


 川崎市幸区の老人介護施設で奇妙な事件が起きた。高層7階の廊下から3人の老人がわずかな期間に、同じ場所から転落して死亡した。捜査によって、施設に勤務していた青年男性職員がおこなった行為と判明した。

 植松被告が、やまゆり園に深夜侵入して次々に殺傷した被害者たちはみな自分への不当な犯罪に抗議の声をあげないひとびとだったという。金平キャスターは、ある事実を知る。植松被告は、つぎつぎに殺傷する時、職員に「こいつは声をあげるかあげないか?」と尋ねその応答によって攻撃実行の判別にしたという。

植松「僕は死にたくないんだ」
金平「津久井やまゆり園で働いていなかったら、変わっていたと思いますか」
植松「変わっていたと思う」

 金平氏は「この事件がなぜ起きたのか」事件は解き明かせないままで裁判は終えた。被告人の更生とは離れている。優生思想が、私たちの社会にゆきわったっている。
植松被告はこう告げたという。
「自分は、正義を実践している」


 犯罪は、社会を反映しているし、社会の縮図でもある。最近日本の自殺率はここ2,3年下がっている。だが日本国内を覆う閉塞感は、不定形の構図を国内に形づくっている。植松被告の事件は、精神鑑定で異常、と片づけられる問題ではない。日本社会から急速に失われつつある事態。
 この国には、高まる軍国化志向の管理主義と並走する底知れぬ差別と偏見が不気味にゆきわたりつつある。左翼、右翼をひっくるめて、緊急事態を多用してニッポン差別偏見社会というシステムが完成している。-了=

小池百合子都知事の前進のために

2020-03-26 23:43:33 | 言論と政治
1.市民連合と野党5党派と意見交換
感染判定のPCR検査の体制について「帰国者・接触者相談センター」に相談した23万人のうち、受診は4%、検査実施は3%にすぎない。感染症の治療に大きな役割を担ってきた公的医療機関が縮小されてきた。日本の政治社会のあり方の見直しが求められている。

2 スーパーに出かけ驚いた。平日普段にはない行列がレジに並び、広い店内の特定の品物が減っている。感染症を防ぐ各知事の見解は理解できるが、夜朝の各知事のものものしいアピールは、市民に不安心理と緊張とを与えている。きょうきのうと都の感染者は急増しているが2週間前の感染。

3 ドイツメルケル首相の国民へのコロナ問題のメッセージを安倍総理や小池都知事は理解しているか?最初は後手後手で、途中から慌ててバタバタしている。「緊急事態法」改定で、小池都知事の物言いも安部総理の緊急事態法、緊急事態、緊急事態条項の改憲の連動を多くの市民は見通している。

4 明瞭に言おう。反自民で都知事に立候補した小池百合子氏。野党分断の「希望の党」の削除発言、陰で自民党幹事長と提携し今年都知事選で自民連繋。そのような知事を、庶民はことばでなく、行動の2016~2020の全区間を通して政治家としての行動に信頼感を持てない。生命擁護が本音か定かでない。

5 日本は、イタリアほど酷くないのは医療、行政の取り組みもあるが、国民が比較的従順にトップの要請に従う習性と規律がある。だが子どもたちも突然の休校指示でも涙ぐましいほど守りストレスは強度のもの。商店や自由業は我慢して国家の危機管理に協力している。行政は全国の我慢を認識を。

6 都内の若者を見て「若い人」と連呼するほど乱れてはいない。中高生は意外な休暇に、公園や繁華街にストレス限界を突破していった。若者に信頼をもてないような政治家は未来を指し示すだけの見識の欠如を露呈している。軌道を外した青年層はいつの場面でもいる。自覚を促すには弾圧だけでは✖

緑の党【声明】新型コロナウイルス感染症の拡大 -おだやかで柔軟な地域経済・社会への転換こそ必要 2020/03/15

2020-03-26 16:48:00 | 声明
【声明】新型コロナウイルス感染症の拡大 -おだやかで柔軟な地域経済・社会への転換こそ必要

2020年3月15日
緑の党グリーンズジャパン運営委員会

  新型コロナウイルス感染症が拡大し、さまざまな影響と混乱が生じています。その対策とともに、私たちはその背景や課題も考える必要があります。

■危機が照らし出した社会の課題

  利潤をひたすら追求してきた経済成長とグローバル化は、国境を越えた人やモノのネットワークを広げる一方、国内外で格差の拡大や社会の分断をもたらしてきました。今回の感染症の拡大は、そのネットワークを寸断し、貧困層や非正規労働者など社会的弱者の暮らしをいっそう窮地に追いやっています。人々の暮らしよりも支持率と身内の利害を優先する政治は、今回の危機に対して場当たり的な対応を重ねた末に、唐突で根拠のない強硬策を選択し、大きな社会的混乱を引き起こしました。連帯と共感、信頼を低下させてきた社会は、過剰な不安による物資の買い占め、排除、差別を噴出させました。その中で醸された不安は、国会での十分な議論や検証のないまま、国家の強権発動が可能な特措法に今回の感染症を加えるに至っています。また、日本や米国は、関係国との事前協議や有効性の検証のないまま、一方的な入国制限も打ち出し、国境を越えた感染拡大に対処するための国家間の協調を危うくしています。
  今回の感染症の世界的拡大という危機は、現代社会の脆さや課題をあらためて露わにしています。
  また、頻発する新型感染症の背景には、森林や海洋の乱開発、工場的畜産、気候変動など、自然を略奪し、社会の分断と格差を拡大させてきたグローバルな経済成長の追求に、構造的かつ歴史的な要因があることは明らかです(※1)。

■おだやかで柔軟な地域経済・社会へ

  今回の感染症の病態には未解明な部分もありますが、合理的で必要な対策を取りつつ、当面、手探りの対応を続けざるを得ない状況が続きます。感染拡大の防止だけでなく、医療・福祉・教育現場や社会的弱者に配慮した支援策の強化・拡充も必要です。
  一方、そもそもウイルス感染症を完全に撲滅することは不可能であり、これからも永遠に人類と共存し続けるでしょう。より本質的に考えれば、現代社会や経済のあり方を見直し、再構築することこそ重要です。
  私たちに必要なのは、差別のない公正な医療、発症しても経済的な不安なく十分に休息を取ることができる「働き方」の保障、社会的弱者を優先的に配慮できる地域社会、緊急時に対応できるだけの自治体の公共サービスとそれを支える労働力、人々の暮らしの実情と多様なニーズに応じた地域の連帯、地域で自立する経済のおだやかな循環です。
  私たち緑の党は、そのようなおだやかで信頼に基づく柔軟な地域自立・分散型の経済や社会への転換こそが必要であると考えます。そのような社会は、緊急時の困難・不安・被害を抑制するだけなく、生じてしまった被害に対する速やかな復旧・回復も可能にするでしょう。私たち緑の党は、そうした社会への転換・再構築を実現する政治を担うことこそ自らの責務であると考え、今後も活動します。


沖縄県議選:新基地阻止へ共産7議席で、 オール沖縄のさらなる発展を

2020-03-25 17:59:27 | 転載と私見
序文
沖縄の歴史は、ヤマトンチューによる侵略と差別の歴史であった。第二次世界大戦からはアメリカ軍とアメリカ政府、さらに日本政府が植民主義の宗主国と、二重の抑圧下にある。沖縄人民党はその弾圧にも屈せず闘争の炎を燃やし続けた。やがてその歴史は日本共産党沖縄県委員会として、ウチナンチューの抵抗の歴史を継承している。
 さらに特記すべきは、沖縄県では建設的な保守勢力が「オール沖縄」に結集し、本土ではできなかった沖縄県民統一戦線を樹立。画期的な解放闘争の歴史が始まった。以下に日本共産党による県議選への闘争開始の宣言を、しんぶん赤旗の記者が綴った。ここに転載する。

以下転載
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2020.02.10日本共産党沖縄県委員会
必勝を誓う(左から) しまぶく、 ノブコ、比嘉、とぐち、ニシメ、たまき、セナガの各氏
しんぶん赤旗 2020年2月9日(日)

沖縄県議選(5月29日告示6月7日投票)
新基地阻止へ共産7議席、オール沖縄 勝利必ず

 沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設を断念させるたたかいに大きく影響する、沖縄県議選(5月29日告示、6月7日投票)まで4カ月を切りました。日本共産党は予定候補7人(現有6議席)の必勝と新基地反対の「オール沖縄」勢力による安定多数確保が、安倍政権打倒と野党連合政権実現の「決定的な保障」になるとして、連日奮闘しています。(小林司、洞口昇幸)

 日本共産党は県議選で、現職は那覇市・南部離島区(定数11)から、とぐち修(党県議団長)と比嘉みずき、浦添市区(4)はニシメ純恵、島尻・南城市区(4)は、たまき武光、豊見城市区(2)はセナガ美佐雄の5氏が立候補します。

 糸満市区(2)では玉城ノブコ前県議が議席奪還をめざし、沖縄市区(5)は、勇退する嘉陽宗儀県議(7期)の議席をなんとしても守るため、新人で元自衛官の、しまぶく恵祐氏が出馬。党史上初の公認7議席を目標としています。

 6日早朝、南城市内の交差点で、たまき県議はマイクを握り、安倍政権が県民の声を無視して工事を強行し、ますます県民の怒りは高まっていることを強調。「あきらめずに声を上げていけば、必ず新基地建設はストップできます。玉城デニー県政を支える与党県議の安定多数確保のため、お力を貸してください」と訴えました。

 定数48の県議会の現構成は、デニー知事を支える県政与党県議が日本共産党を含め26人で過半数を占めています。自民や公明など県政野党は20人、欠員が2人です。

 自民党・安倍政権は、2年後の県知事選でオール沖縄県政を転覆させるため、今度の県議選で日本共産党の議席の追い落としと、自公など県政野党の過半数獲得を狙っています。

 1月7日に行われた自民党県連の集いでは、2013年に県民の民意を裏切って新基地建設の埋め立てを承認した仲井真弘多元知事(同県連最高顧問)があいさつ。新基地建設を「推進しよう」と呼びかけ、オール沖縄勢力について「えたいの知れない集団が沖縄を牛耳っている」と中傷しました。

 県議選の結果が、その後のたたかいや情勢に影響し、大きく政治を動かしてきたことは、過去の結果を見ても明らかです。

 08年の県議選では、新基地建設容認の仲井真県政の下で、当時県政野党だった日本共産党が3から5議席に躍進。県政与党の自公は後退して県議会の半数を割り、与野党逆転となります。

 その後、県議会は辺野古新基地建設に反対する決議を可決。県議会として初めて新基地建設反対を表明し、県民の意思を忠実に示すことになりました。

 12年の県議選では、日本共産党は5議席を維持し、引き続き仲井真県政与党の自公は半数を割ります。

 同県議選の結果が、県民の総意である米軍機オスプレイ配備撤回、普天間基地(同県宜野湾市)の閉鎖・撤去、辺野古新基地建設断念を求める「建白書」(13年1月に安倍政権に提出)、オール沖縄の翁長雄志県政の誕生(14年)につながります。

 同年の総選挙で日本共産党の赤嶺政賢衆院議員(沖縄1区)など、沖縄の四つの小選挙区全てでオール沖縄が勝利する確かな土台にもなりました。

 16年の県議選では県政与党の日本共産党は5から6議席に前進し、オール沖縄の与党県議の議席も増えて過半数を確保。この結果も、18年の知事選で故・翁長前知事の遺志を引き継ぐ玉城デニー現県政の誕生と、7割超の新基地建設反対の明確な民意を示す県民投票実施(19年2月)の、大きな原動力の一つとなりました。

 7日の豊見城市内でのセナガ県議の集いに駆け付けた照屋義実・オール沖縄会議共同代表は、県議選のスローガンとして「デニー県政を支える強力な与党の実現、オール沖縄の前進的な展開」と強調しました。

 照屋氏は「安倍政権は本当にひどい。ウソ、ごまかし、はぐらかし、もみ消しのオンパレードだ。わが国の将来が絶対に危うくなる」と批判。「(県議選を)勝ち抜くことが安倍政権に痛撃を与え、退陣を早める。どうしても今度の県議選は勝利しないといけない。私も全力を尽くす」と述べました。

 参院会派「沖縄の風」の伊波洋一議員も、「オール沖縄で私たちが6年前に翁長知事を誕生させたときにつくり上げた力を、県議選でも最大限に発揮しよう。それによって沖縄の未来が、本当に豊かで平和なものになると確信している。共に頑張ることを表明する」と、あいさつしました。

 同集いに参加した男性(75)は、「日本共産党の県議選での躍進が、安倍政権に新基地建設を諦めさせる確実な原動力の一つになるし、オール沖縄のような共闘が本物だということを、さらに実証すると思う」と力を込めました。



【宇都宮健児~市民と野党の共闘】2020.3.20. 地下鉄サリン事件から25年

2020-03-25 14:20:45 | 転載
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地下鉄サリン事件の被害者の会代表、高橋シズヱさんと共に霞が駅にて、黙祷と献花を行いました。

高橋シズヱさんのインタビューの際も、25年間支えてきた宇都宮健児さんの寄り添う姿がありました。毎年開催していた被害者の会の集いが予定されていましたが新型コロナの感染防止のため中止。

地下鉄サリン事件から25年、節目の年です。人生が一変するなか宇都宮健児さんと共に被害者救済のために頑張ってこられた高橋シズヱさんが涙を浮かべて「今後は静かに」と語る姿に、共に頑張ってきた宇都宮健児さんの胸にも多くの思いが去来したことと思います。


 地下鉄サリン事件から25年の追悼献花の報道で、被害者の会代表世話人の高橋シズヱさんの横に、なぜ宇都宮健児弁護士が寄り添っていたのか。



 地下鉄サリン事件が起きる6年前に、坂本弁護士一家が行方不明になる事件がありました。じつは坂本弁護士の妻の都子さんが宇都宮弁護士の事務所で働いていたこともあり、「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」を組織し、情報を集めていく中で、オウム真理教により拉致監禁されていると睨んで、救出活動を続けていたのです。



 様々な手段を講じましたが、一向に消息がつかめない中、1985年の3月20日に、地下鉄サリン事件が起きました。宇都宮健児弁護士は、すぐさま「オウム真理教被害者110番」を開設し、被害者や被害者家族たちからの相談を受け付け、その年の8月21日には「地下鉄サリン事件被害者対策弁護団」を結成。団長となった宇都宮健児弁護士は、時を同じくして立ち上がった「地下鉄サリン事件被害者の会」と共に、当時の被害者救済制度が不十分で、遺族や重傷者しか対象とならないことや、不十分な補償しかなかったので、「地下鉄サリン事件被害者損害賠償請求」の裁判を起こし、被害者の救済に奔走しました。



 まずは、オウム真理教に解散命令が出ていたため、様々な教団の資産が隠されたり、他の名義に変更される前に財産を押さえる必要がありました。そこで、国も巻き込み、法務省とともに、オウム真理教に破産の申し立てを行い、これを認めさせ、破産管財人による管理の元、資産を押さえることに成功しました。



 また、通常は国や自治体の債権が先に回収され、残ったわずかな金額のみが被害者に充てられるのですが、国や行政に働きかけ、「オウム真理教に係る破産手続きにおける国の債権に関する特例に関する法律」を成立させ、被害者への賠償を第一にするとしました。自治体もこれにならい条例を制定。事実上、国と自治体は、債権を放棄し、被害者への賠償を優先したのです。これは、前例のない画期的なことでした。



 その結果、損害賠償請求裁判の原告以外の被害者も、債権届を出すことで、賠償金を受け取れることになったのです。しかし、オウム真理教の資産を合算しても、損害額の満額には到底届きませんでした。そんな中、捜査中に多額の資産が隠され、オウム残党がパソコン工場を経営し、何十億もの売上げを得ているとの情報を耳にしました。そこで、新たに得た財産も管財人に返還しなくてはならないという、オウム対策2法のうちの「特定破産法人の破産財団に属すべき財産の回復に関する特別措置法」(破産特別法)を1999年12月3日に成立させました。この時、「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(団体規制法)という、オウム真理教分派の動きを監視し、規制する法律も作られました。



 2006年には、「オウム真理教犯罪被害者支援機構」を宇都宮健児弁護士が理事長となり設立し、それまで一般の寄付の受付や、一般債権者への支給を担ってきた「サリン事件等共助基金」の実務を継承すると共に、一般債権者から被害者への債権譲渡の交渉も行いました。度々、破産管財人から賠償金の分配がされましたが、2007年になっても賠償額の総額40%にも満たず、被害者の多くは、治療費や入院費に追われて、待ったなしの状態でした。そこで、国による補償が受けられるよう特別措置法の制定を訴え、議会に粘り強く働きかけ、2008年6月18日「オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給等に関する法律」が制定され、被害者に対する給付金が支給決定されました。



 支援機構は2018年2月に、オウム後継団体の「アレフ」「ひかりの輪」などに対し、未払い賠償金の支払いを求め提訴、2020年1月22日高裁で10億3千万の支払いを命じる判決が出ました。教団側は最高裁に上訴したが、棄却され確定。しかし現在もまだ支払われていないため、3月9日には法務大臣、公安庁長官を訪問し、早期の回収を求めました。3月19日には、長年サリンの後遺症と闘ってきた浅川幸子さんが亡くなった事が公表され、サリン事件での死亡者が14人となっています。被害者は高齢化しています。後継団体などの信者は、過去に類をみない凶悪な事件を起こした自覚を持って賠償を完遂し、それでも被害者は今もまだ後遺症に苦しみ、心に傷を残していることを、現在新たに増えているという入信者、25年前の事件を知らない若い世代の信者にもわかって欲しいと願い、宇都宮健児弁護士は活動を続けています。