【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

Ⅲ【NHKにも韓国KBSに導入された政権傀儡化チェックシステムの導入を!】

2019-06-29 22:16:45 | 転載
リテラ>

横田一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」57

『政権の圧力を押し返した韓国のテレビ記者と、吉田調書報道を「誤報」にされた元朝日新聞記者が語った“日韓ジャーナリズムの差”』Ⅲ

写真:元朝日新聞の記者だった木村英昭(右)ワセダクロニクル編集幹事とKBSの記者らのシンポジウム

 こうしたメディアの内部状況が報道の政権忖度を進行させる大きな要因になっている。特に問題は、韓国のKBSやMBCの役割を担っているNHKの状況だ。


 不正統計問題では、NHKの『ニュースウオッチ9』が3月1日に、根本匠厚労相の大臣不信任決議案で無所属の小川淳也衆院議員が統計不正をアベノミクス偽装と追及した趣旨弁明について、水を飲む場面を3回も挿入するなど悪意しか感じられない編集VTRを放送。安倍政権を追及する肝心の主張部分は流さずに、揚げ足を取る政権忖度報道を展開したのだ。「みなさまのNHK」を標榜しながら実際は「官邸のNHK」と化して大本営発表のような政治的宣伝(プロパガンダ)をしているのに等しい状況なのだ。


 “安倍政権第一・国民二の次”にしか見えないNHKに、“政権忖度番組”の拡大再生産を止めさせるには、「KBS真実と未来委員会」のようなチェックシステム構築までのNHK受信料不払い運動の全国展開が有効だろう。


 2018年度のNHK受信料収入7122億円の0.1%(7億円)が、「ニュース打破」のような市民が支えるクラウドファンディング型代替メディアに回ることになれば、安倍政権忖度番組で溢れかえる日本のメディア空間が一変、韓国のような政権批判番組が一気に増えることになるに違いない。環境に優しい商品を購入するグリーンコンシューマーが持続可能社会構築の推進力となったのと同じように、官邸広報機関に堕落して自浄作用も働かないNHKから政権批判を厭わない調査報道機関(クラウドファンディング型代替メディア)へと支払い先を変えることで、政権の暴走に歯止めがかかる健全なメディア空間をつくり出すことにプラスになるのは間違いないのだ。


 すでに、この日の上映会をきっかけに、杉並区の住民たちの間では、市民参加型メディアの立ち上げを企画する動きも出ていると聞く。巨大な鉄骨だけは残っているものの機能不全状態に陥っている焼け野原状態に等しい日本のメディア空間に、「ニュース打破」のようなオルタナティブな調査報道機関が育っていってほしい。

(横田 一)

Ⅱ【吉田調書報道を誤報にされた二人の記者が語る当時の朝日社内の惨状】

2019-06-29 22:11:47 | 転載
リテラ >
横田一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」57
『政権の圧力を押し返した韓国のテレビ記者と、吉田調書報道を「誤報」にされた元朝日新聞記者が語った“日韓ジャーナリズムの差”』Ⅱ
政権の圧力を押し返した韓国のテレビ記者と、吉田調書報道を「誤報」にされた元朝日新聞記者が語った日韓ジャーナリズムの差の画像2
元朝日新聞の記者だった木村英昭(右)ワセダクロニクル編集幹事とKBSの記者らのシンポジウム

 一方、日本のメディアの閉塞状況を語ったのは、福島第一原発の吉田昌郎所長(当時)の調書報道を手がけた元朝日新聞記者の木村英昭氏、渡辺周氏の2人だった。ちなみに、渡辺氏はこの上映会・シンポジウムを主催したジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」の編集長でもある。

 ずっと政府が秘密にしていた吉田調書のスクープ記事が朝日新聞に出たのは2014年5月20日。調書は吉田所長が「われわれのイメージは東日本壊滅」「本当に死んだと思った」などと打ち明けるなど、当時の危機的状況が克明に書かれた重要な資料だったが、事故対応のさなか、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の命令に反して10キロ南の福島第二原発に撤退したという朝日の報道が問題にされる。そして、当時の朝日の木村伊量社長は「多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事だと判断した」として吉田調書報道を取り消してしまったのだ。渡辺氏は当時の社内の状況をこう振り返った。

「続報で(東電の)所員たちはどう思っていたのかを用意していたのにいきなり取り消した。社員集会や役員説明会で『社長は辞めろ』と訴えても、ほとんど総会屋扱いになってしまった。300人の朝日の社員がいた集会でも、威勢のいい人がパラパラと拍手をするだけで後は黙っていた」
「一部の学者や弁護士やジャーナリストは反対の声を上げて申し入れをしたりはしたが、韓国のような大きなうねりにはならなかった」

 続いて木村氏もこう語った。

「突如として取材班を外され、吉田調書報道の検証の機会を奪われて、取り消されるという事実すら告げられなかった。朝日新聞の組合も動かなかった。原発訴訟に取り組む海渡雄一弁護士が『記事取り消しはおかしい』という批判を書くことについての記者発表をしたとき、『本来弁護士がこういうことをやるのではないが』という前書きから始まった。『当事者のみなさんはどうしたのか』という問いかけが投げかけられた」

『政権の圧力を押し返した韓国のテレビ記者と、吉田調書報道を「誤報」にされた元朝日新聞記者が語った“日韓ジャーナリズムの差”』Ⅰ

2019-06-29 22:06:13 | 転載
リテラ>横田一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」57
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NHK、日本テレビ、フジテレビだけでなく、テレビ朝日やTBSでも安倍政権忖度が進み、政権批判報道は目に見えて少なくなっている。放送法による規制のないネットでも、『真相深入り!虎ノ門ニュース』や『報道特注』、言論テレビなど、逆に極右安倍応援団の政権PR番組が跋扈し、大手のAbemaTVなどでも、安倍政権よりの報道が目立っている状態だ。

 こうした状況を目の当たりにするたびに「市民が支える代替メディア」の必要性を痛感するが、そのヒントになると思われるのが、お隣の韓国の調査報道メディア「ニュース打破」が設立された経緯だ。少し前になるが(5月3日)、この「ニュース打破」と韓国のメディア状況を描いたドキュメンタリー映画『共犯者たち』(2017年製作)が上映され、「日本の『共犯者たち』は誰だ? 権力と『マスコミ』」と題されたシンポジウムが開かれた。

『共犯者たち』は、安倍政権に似た独裁的体質の李明博政権が発足早々の2008年、息のかかった“傀儡社長”をテレビ局に送り込もうとする攻防から始まる。狙われたのは、日本のNHKにあたる公共放送「KBS」と公営放送の「MBC」。検察や警察も動員した政権の攻勢で“傀儡社長”に交代すると、政権批判も厭わなかった報道番組取材班は解散、左遷や解雇に追い込まれる職員も相次いだ。この映画のチェ・スンホ監督もMBCを解雇された一人だった。

 2013年に誕生した朴槿恵政権も前政権のテレビ局介入を継続。“御用番組”が次々と放送される状況に陥ったが、日本と違い、韓国メディア関係者は反転攻勢に出た。

 社長辞任を求める集会を開いて大規模なストライキを何度も実施。経営陣はスト参加者の解雇などで対抗したが、現場から追われたチェ監督ら番組制作者は代替メディア「ニュース打破」を設立。既存テレビ局が“政権傀儡社長”下で御用番組を垂れ流すなか、政権批判を厭わない調査報道番組を発信し始めた。

 映画では、チェ・スンホ監督自身が「ニュース打破」の記者として、メディア介入を始めた保守政権に協力したテレビ局関係者(=共犯者たち)に直撃取材をする場面が何度も出てくるが、「ニュース打破」はこの間、KBSとMBCで起きた政権傀儡化についても徹底追及した。

 そして、「ニュース打破」には市民から多くの支援が集まるようになり、約4万人の市民が年に約5億円を出して支える代替メディアに成長した。さらには、政権チェックをしていたKBSとMBCもこの動きに押され、内部変革を余儀なくされた。

 そして、なんとチェ監督が社長としてMBCに復帰したのである。またKBSでも、時の政権がテレビ局に介入してきた現実を直視し、番組内容を検証する「KBS真実と未来委員会」が設置。“政権忖度番組”が垂れ流しにならないようにするチェックシステムが設けられた。

 まさに、弾圧に怯まず声を上げ続けた記者たちが勝利したわけで、政権に言われるがままどんどん押し込まれている日本の状況とは真逆だが、映画上映後のシンポジウムでは、隣国とは思えないほどの日韓メディアの大きな違いがテーマとなった。

 まず、KBSの李鎭成記者がマイクを取り、韓国のジャーナリズムの勝利の大きな要因を解説してくれた。李鎭成記者はデモにも参加し、「ニュース打破」で描かれた“政権傀儡社長”が乗った車を多くの職員が取り囲んで辞任を求めるシーンにも出てくるが、大規模なストが繰り返されていく場面についてこう述べた。

「韓国で記者がストを打って闘えるのは必ず市民が応援してくれるという確信があるからだ」

【日刊ゲンダイDIGITAL】参院選“年金問題”で大逆風 自民が1人区「14敗」の衝撃予測

2019-06-28 21:41:55 | 転載
2019/06/28 15:00 


激戦が予想される16選挙区(C)共同通信社

 7月4日の参院選公示まで1週間となった27日、各党幹部は一斉に全国遊説に飛び出した。安倍首相はG20で大阪入りし、外交アピールに余念がないが、参院選のことを考えるとお腹が痛くなっているんじゃないか。というのも、焦点の1人区で、自民は「11敗」した3年前以上の大敗を喫する可能性が出てきたのだ。

■自民調査でも下降トレンド

 自民党は参院選について隔週で独自の情勢調査を実施して、トレンドを分析しているというが、先週末に行った調査は安倍首相が真っ青になる結果だったようだ。



「『老後資金2000万円不足』の報告書で世論の不評を買った影響が大きく、予想以上にトレンドが下降していた。1人区は良くて『8敗』、下手すると『13敗』もあり得る状況だそうです。同じ週末に行われたNHKの世論調査で、内閣支持率(42%)が6月上旬から6ポイントも下落していましたから、厳しい結果を懸念してはいましたが……」(自民党関係者)

 最新のメディアの世論調査では、年金不安を高めた2000万円問題について安倍政権の対応に「納得せず」が半数を超え、参院選の争点を「年金問題」とする人も半数に達している。

 オセロゲームの1人区はちょっとした風で白黒逆転する。全32選挙区ある1人区で、自民は3年前は21勝11敗だった。今回、自民は16選挙区(別表)を「激戦区」に指定し、テコ入れ中だ。

 日刊ゲンダイで連載中の「参院選当落予想」(7ページ)で予想を担当する政治評論家の野上忠興氏は、自民調査の「下降」を当然としつつ、13敗どころか14敗する可能性もあるとこう話す。



「自民党激戦区のうち、現状でなんとかなりそうなのは共産党が無所属で擁立する徳島・高知と、佐賀の2つしかありません。鬼門とされる東北6県は、年金問題が起こる前までは3敗程度でしたが、最も安全だとされていた青森も分からなくなり、東北全敗の可能性も出てきました。新潟、長野、三重、滋賀、愛媛、沖縄はもともと厳しい選挙区ですが、ここへきて新たに山梨、大分が白↓黒に変わった。山梨は今年2月に二階派の知事が誕生したとはいえ、長らく自民の組織はガタガタで、反自民票も多い。大分の現職は、与野党一騎打ちのガチンコ選挙が今回初めてで、逆風には強くない」

 年金問題の大逆風は当然、比例票にも影響する。自民が設定した与党で過半数の「63」議席獲得という低いハードルも、越えられなくなるかもしれない。


  最終回【日本歳時記2019.6.22】~TBS報道特集~    櫻井 智志

2019-06-22 19:23:38 | 政治・文化・社会評論
Ⅰ:香港・民主主義・日本

多様な可能性のある社会でなかったら、市民は立ち上がる。香港の200万人デモもそのひとつだ。日本でも、脱原発集会は数十万人の集会が行われた。日本政府は、市民の期待や怒りがしぼんでゆくのをどう見ているか。日本国民は柔構造の弾圧と居直りの強権政治の前に無力感で折れてゆく。

香港の若者は、日本の若者が封じ込められている鎖を断ち切って、親は理解と自立を示す。学生リーダーの周庭さんは「香港でもいくらデモをしてもかわらない。それでも抗議の声をあげ続けていきたい」。日本でも沖縄をはじめ、大手マスコミにかき消されない若者のこえは確実に聞こえる。


Ⅱ:感染症研究・治療の根本

感染症問題において、日本の感染症研究施設が移転強行と実験強行をおこない、住民原告団が問題を問い続け、最高裁まで訴訟を争われた史実を重要に思う。 ベトナム戦争で米軍が使った生物化学兵器。枯葉剤兵器によるベトナム全土への大量散布は、ベトナムの自然と胎児に最悪の結果をもたらした。


感染症と並行して、生物の倫理なき化学研究は他国でも行われてきた。自然界に元来なかったウイルスの危険も重要問題だ。
様々な新種のウイルス被害に対する医学的研究は現代大切だ。感染症研究は重要な実践的課題だ。同時に、研究も公開と自主性、民主性が大切だ。


感染症に対する研究が、戦前の731石井細菌部隊の外国人生体ウイルス使用は、戦後重大な人権問題として浮かび上がった。だが米軍は、731部隊の研究成果をすべて渡すことと引き換えに、この重大問題を極秘裏に隠蔽した。このことは森村誠一氏・下里正樹氏の共同研究によって、世論に衝撃をもたらした。
さらに、731部隊の研究を担った人物が、戦後の国立感染研(予研)の幹部を担ってきた。これらの事実は、哲学者社会学者芝田進午氏の原告団代表として裁判を闘う中で出版された書物にも明記されている。


国民にそった感染症対応の「安全性の考え方」(高木仁三郎)に基づいた研究と予防と治療の体制完備の早急で現実的な検討と実行が求められている。


*【日本歳時記】~TBS報道特集~は、今回で終了します。とくに『TBS報道特集』キャストとスタッフの皆様に今まで大変お世話になり、多くの学びをさせていただいたことに深甚なる感謝を表します。もしも事情の許すことがあれば、いつか第二次版を、というのぞみはいだいております・・・
(^-^)/


『リテラ 』終了する上田晋也『サタデージャーナル』の後番組MCに「安倍政権元厚労相の娘」起用…TBSも政権に屈服か【転載と私見】

2019-06-19 21:47:11 | 転載と私見

画像1:『まるっと!サタデー』は自民党議員の娘がMCに!(番組HPより)

構成
❶【終了する上田晋也『サタデージャーナル』の後番組MCに「安倍政権元厚労相の娘」起用】
❷【テレ朝に続きTBSでも薄まる政権批判色…小川彩佳の『news23』でも】
❸【唯一の期待は駒田健吾アナ 辺野古土砂投入のときは魂のレポート】

➃【私見】それでもなお   櫻井 智志



Ⅰ:【終了する上田晋也『サタデージャーナル』の後番組MCに「安倍政権元厚労相の娘」起用】
 昨日、上田晋也(くりぃむしちゅー)がMCを務める土曜早朝の報道番組『上田晋也のサタデージャーナル』(TBS)が6月で終了するというニュースをお伝えし、本サイトにも大きな反響が寄せられた。政権批判に踏み込んできた数少ない番組が終了するということもあり、突然の終了は首をひねりたくなるものだったが、新たにとんでもない事実が判明した。

『サタデージャーナル』の後番組としてスタートするのは、『まるっと!サタデー』。そして、この番組のMCを務めるのは、先日『NEWS23』(現『news23』)を卒業した駒田健吾アナウンサーと、初のMCに抜擢された入社2年目の田村真子アナウンサーだ。

 だが、じつはこの田村アナ、自民党のベテラン議員・田村憲久衆院議員の娘だというのだ。

 田村アナをめぐっては、2017年4月に「週刊新潮」(新潮社)が「「中山美穂」そっくり「田村前厚労相」美人愛娘が女子アナになる」というタイトルでTBSから内々定を受けていると伝えたが、実際に翌2018年4月にTBSに入社。昨年12月に放送された年末特番『爆笑!さんまのご長寿グランプリ2018』では「(父が)以前、厚生労働大臣をやらせていただいて」「それにプレッシャーを感じてしまったり」と語り、父が田村元厚労相であることを明かしている。

 一方、田村アナの父である田村憲久議員は現在、石破派の水月会に所属するが、安倍首相は第一次安倍政権では総務副大臣、第二次安倍政権では厚労大臣に抜擢。厚労相だった2014年にASKAの薬物問題で持ち上がった人材派遣大手パソナの接待施設「仁風林」に出入りしていたことが発覚するなどで続投とはならなかったが、その後の組閣でも入閣候補者として名前が取り沙汰されてきた。

 しかも、田村議員はあの「アベノミクス」の名付け親でもある。

 民主党政権時代の2011年、超党派による「増税によらない復興財源を求める会」が発足したが、このとき安倍を会長に担いだひとりが田村議員だったという。そして、総理に返り咲いた安倍に、田村議員はレーガノミクスをもじったあの言葉を伝えたという。たとえば、2014年11月21日付けのブログで田村議員は、〈アベノミクスというワードは2年前に解散後、一番最初に田村が安倍さんに「いよいよアベノミクスですね。」と伝えた言葉だ。(少なくとも安倍総理はそう認知している)〉と記述している。

 こうした関係からか、田村議員は石破派に所属しながらも、総裁任期の延長が決まった2017年3月5日には、やはりブログで〈歴代最高の仕事人総理の安倍さん〉〈総裁任期は3期9年に延長されましたが、強く頼りがいのあるリーダーが世界的に求められる時代にこれは趨勢でしょう〉と絶賛している。

 そんな田村元厚労相の娘が、果敢に政権批判をおこなってきた『サタデージャーナル』のあとにはじまる新番組でMCを務める──。

 これをみると、忖度なしのMCとして存在感を放ってきた上田晋也と番組を潰して、政権批判色を一掃。新番組で自民ベテラン議員、しかも安倍政権での大臣経験者の身内を登用することで安倍自民党に媚を売ろうとしているとしかか思えない。

Ⅱ:【テレ朝に続きTBSでも薄まる政権批判色…小川彩佳の『news23』でも】
 もっとも、TBS関係者に取材すると、局内ではそういう話にはなっていないようだ。

「今回の番組改変について、局内で言われているのは、経費削減です。上田さんはじめコメンテーターも芸能人を起用したりで時間帯のわりに金がかかっていた。自前のアナウンサーを使えばタダですから。田村アナについても、すでにストレートニュースなどを読ませてますから、そこまで深い意図はない。ただ、新番組の『まるっと!サタデー』は、フジの『めざましテレビ』みたいに芸能やスポーツなどを増やすとも言われているので、結果的に、上田さんの『サタデージャーナル』のような踏み込んだ政権批判はほとんどなくなるかもしれませんが……」(TBS関係者)

 苦境のテレビ業界で「経費削減」と言われるともっともらしいが、しかし、TBSはこのところ、全体的に政権チェックの姿勢がどんどん弱くなっているとの指摘もある。たとえば、今月からはテレビ朝日『報道ステーション』でサブキャスターを務めていた小川彩佳アナウンサーがその舞台をTBSに移し、『news23』のメインキャスターとして登場。期待感が高まっていたが、蓋を開けてみると、初日から杉田水脈議員によるヘイトスピーチとそれに抗議する当事者やカウンターの声を同列に扱って問題の本質を矮小化したり、論文に重大な誤りが見つかった早野龍五氏とともに福島第一原発事故の「安全」神話を振りまいてきた糸井重里氏をゲストに迎えるなど、目も当てられない特集を連発。年金問題などでも報道し始めたのは他局よりも遅く、徹底追及の姿勢は見えない。

 テレビ朝日が早河洋会長と安倍首相の癒着で、政権批判報道をどんどん潰しているのは、本サイトでも何度も取り上げているが、TBSも同じようなことが起きているのではないのか。

Ⅲ:【唯一の期待は駒田健吾アナ 辺野古土砂投入のときは魂のレポート】
 そう考えると、新番組の『まるっと!サタデー』がどうなるのか、不安にならざるをえないが、唯一の期待は、MCの駒田アナの存在だろう。駒田アナといえば、『NEWS23』では、2017年の総選挙を前に安倍首相が出演した際にモリカケ問題について勝手な言い分を喋りまくる安倍首相に食い下がるなど、ジャーナリストとして気骨ある面を垣間見せてきた。

 なかでも、駒田アナは昨年12月、辺野古に土砂が投入されたときに現地を取材。声を詰まらせながら、「本土の人は無関心だし、みなさん辺野古が唯一の選択肢だということにもう頭から信じ込んでいるんですよね。これは、本土の人もですね、ここはひとつ考え方を変えてですね、ぜひ沖縄の方になんとか寄りそっていただきたいときょうは思いました」と訴えた。



 安倍政権の強大な権力に圧殺されようとしている沖縄の声を、しっかりと伝えた駒田アナ。そのジャーナリズム精神を、ぜひ新番組でも見せほしい。そうでなければ、忌憚なく政権に斬り込んだ上田と『サタデージャーナル』スタッフが浮かばれないだけではなく、なによりも視聴者に対する裏切りとなるだろう。

(編集部)

Ⅳ:【私見】それでもなお
TBS一局で、反安倍政府体制は、貫徹しきれない。それでもTBSに期待するのは、数々の気骨あるジャーナリストが長く健闘してきたからだ。いまの厳しい時代に、TBSはラジオもテレビも健闘している。
 「報道特集」「news23」も、他の番組もだ。
テレ朝も朝の報道番組も夕方も。リテラの的確で正確な指摘を踏まえたうえで、もしも自分はその職場にいたなら、私はどう選択してゆくか。自分の身にひきつけて、事態の進行に冷静で持続的なスタンスをめざしたい。

【日本歳時記2019.6.15】~TBS報道特集~  櫻井 智志

2019-06-15 22:10:37 | 政治・文化・社会評論


香港の103万人参加の抗議と流血の中で、中国大陸政権と近い台湾政府も審議を延期。改めて市民と若者たちの熱意を感じる。沖縄にいまもある沖縄シールズ元山さんや各地の青年たち。昏い時代に、不条理に異議申し立てする勇気は日本でも燃えている。


立憲民主党も結党の熱意を燃やしている。表面の動きの下で膨大な国民の草の根がある。地道に国民本位で取り組む営為。それが政治をよくする王道。


戦前日本の盧溝橋仕掛け、戦後アメリカのトンキン湾事件。中東が重大な火種。イラン今も結ぶ協定をやぶったのは、アメリカである。


今回の参院選で、旧民社党・労組の連合の動きの背景を中島岳志氏が指摘している。強く同感。【民社・同盟系の動向がかぎ 連合と右派運動 中島岳志】東京新聞論壇時評 https://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2019052302000264.html … …


哀しい現実。「終活」と言葉は新しいが、若者が未来に希望をいだいた就活とは正反対。不況で寺は営利企業化で乗り切る方向性。「墓じまい」は増えていく。日本社会が根元から崩れ去り庶民は対応しきれぬ現実に流されていく。「墓の墓じまい」。定年後の私も無縁な位置にはいない。

神島二郎が描いた戦後日本の民俗も変貌。政治家うんぬんの前に、日本社会のコミュニテイが崩壊し続けている。コミュニテイ崩壊の中で人心は荒涼とした現風景にある。相次ぐ弱者の悲鳴が事件報道の向こう側から聞こえてくる。「終活」は 日本社会の終焉の予兆を象徴する言葉だろう。

「自分史」そのものに私は賛成である。著名な心理学学者夫婦は、「自分史形成の会」を長年続け、クリスチャンの視野から地道な取り組みを実践した。我々庶民も個性的な自分史まとめによって、自分の生きがいを耕す営みとなるだろう。




【日本歳時記2019・6・9】~TBS報道特集~  櫻井 智志

2019-06-09 07:43:35 | 政治・文化・社会評論
Ⅰ:スポーツの階級性とスポーツを悪用する国家主義

父親が外国人のサニブラウン選手が、記録を伸ばすたびに、日本のマスコミと日本社会は、やたらちやほやしマスコミは「日本人最高記録」と騒ぐ。
サニブラウン選手の100メートル9秒97は、やはり素晴らしい。けれど、彼は実に冷静だ。ロサンゼルス大学で大きく羽ばたいた。環境のよさ、指導法のすばらしさ、人間関係のよさを指摘する彼は、実に淡々としていて、落ち着いている。ナショナリズムを煽るためにか、大枚はたく陸連推奨のオリンピック育成作業はもう何年も実をむすばなかった。
悲劇的だった自衛隊の円谷幸吉選手。1964年の東京オリンピックには、寺沢徹・君原健二・円谷幸吉の3選手が出場した。淡々と走る円谷はなんと前ローマ大会優勝者エチオピアのアベベに続いて二位でゴールスタジアムに入ってきた。激戦の末にイギリスのヒートリーに抜かれたが、堂々の三位で日本人トップだった。
その円谷が、次のオリンピックを前に自死をとげた。死者をあげつらう無礼は避ける。ただ彼の遺書を、倉本聰の映画『時計』の中で聴き、涙がとまらなかった。
ウキペデイアはこう円谷幸吉を叙述している。以下に長文となるので部分的に引用する。

――――――――――――――――――
円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月8日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。自衛隊体育学校所属。最終階級は2等陸尉。中央大学経済学部卒。第一級防衛功労章、勲六等瑞宝章受章。
須賀川市立第一中学校を経て福島県立須賀川高等学校卒業後、1959年陸上自衛隊へ入隊。郡山駐屯地に配属となり、同僚と二人で郡山自衛隊陸上部を立ち上げる。次第に陸上競技の実績が認められ、自衛隊の管区対抗駅伝や、青森東京駅伝などに出場した。一方、オーバーワークから腰椎のカリエスを持病として抱え、後年悩まされるようになる。
1962年(昭和37年)に、東京オリンピックに備えて前年発足した自衛隊体育学校がオリンピック候補育成のため、特別課程の隊員を募集した際には腰痛のため選考会に出られなかった。しかし、円谷の走りを知っていた駅伝チームのコーチ畠野洋夫の推薦を受けて入校する。
体育学校入校当初は腰痛が治らず、満足に走れなかった。しかし畠野が根気よく指導し治療を続けた結果、レースに復帰。10月の日本選手権で5000mに日本歴代2位の記録を出し、日本陸連からオリンピック強化指定選手に選ばれる。
翌年の1963年(昭和38年)8月には20000mで2位ながら世界記録を更新。10月の競技会では好記録を連発して10000mのオリンピック代表選手に選ばれた。この段階では円谷はトラックと駅伝の選手と見られており、マラソンは未経験だった。しかし、日本陸上競技連盟の強化本部長だった織田幹雄は円谷のスピードに着目してマラソンを走ることを勧めた。
東京オリンピック開催年の1964年(昭和39年)に、同年3月20日の中日マラソンで初マラソンに挑戦。2時間23分31秒で5位となる。それからわずか約3週間後の4月12日、オリンピックの最終選考会となる毎日マラソン(現在のびわ湖毎日マラソンの前身。このときは東京オリンピック本番と同じコースで実施)に出場、2時間18分20.2秒で君原健二に次ぐ2位となり、マラソンでもオリンピック代表となる。
なお、オリンピック本番までのマラソン経験3回は、戦後の男子マラソン代表では森下広一(2回)に次ぐ少ない記録であるが、初マラソンからオリンピック本番までの期間は森下が1年半あったのに対し、円谷は7か月(正確には7か月と1日)でこれは戦後では最短記録である。
東京五輪本番では、まず陸上競技初日に行われた男子10000mに出場し、6位入賞と健闘。これは日本男子の陸上トラック競技では戦後初の入賞であった。一方、最終日に行われる男子マラソンについては、日本人では君原と及び当時持ちタイムが一番良かった寺沢徹の二人がメダル候補、と目されており、円谷は経験の少なさのためあまり注目はされていなかった。
しかし、男子マラソン本番ではその君原と寺沢がメダル・入賞(当時五輪入賞は6位迄)争いから脱落する中、円谷だけが上位にとどまり、ゴールの国立競技場に2位で戻ってくる。だが、後ろに迫っていたイギリスのベイジル・ヒートリーにトラックで追い抜かれた。これについては、「男は後ろを振り向いてはいけない」との父親の戒めを愚直なまでに守り通したがゆえ、トラック上での駆け引きができなかったことが一因として考えられている。とはいえ、自己ベストの2時間16分22.8秒(結果的に生涯記録となる)で3位となり、銅メダルを獲得した。これは東京五輪で日本が陸上競技において獲得した唯一のメダルとなり、さらに男子10000mと合わせて2種目入賞も果たして「日本陸上界を救った」とまで言われた。また銅メダルではあったものの、国立競技場で日の丸が掲揚されたのは、メダルを獲得した日本選手では円谷のみであった。
メダル獲得時、円谷は中央大学経済学部(夜間部)の学生でもあった。中央大学は師事した村社講平の母校で、箱根駅伝6連覇達成の記録継続中であった。箱根駅伝に出場することは、自衛隊体育学校との二重登録などの壁のために実現しなかった。
次の目標を「メキシコシティオリンピックでの金メダル獲得」と円谷は宣言した。しかし、その後は様々な不運に見舞われ続けた。所属する自衛隊体育学校の校長が円谷と畠野の理解者だった吉井武繁から吉池重朝に替わり、それまで選手育成のために許されてきた特別待遇を見直す方針変更を打ち出した。吉池は円谷の婚約を「次のオリンピックの方が大事」と認めず、結果的に破談に追い込んでしまう。直後に、体育学校入学以来円谷をサポート、婚約に対する干渉の際も「結婚に上官の許可(「娶妻願」の提出と受理・承認)を必要とした旧軍の習慣を振り回すのは不当だ」と抵抗した畠野が突然転勤となり、円谷は孤立無援の立場に追い込まれた。東京五輪で8位と敗北の後、結婚を機に鮮やかな復活を果たしたライバル・君原健二とはあまりにも対照的であった。
さらに円谷は幹部候補生学校に入校した結果トレーニングの時間の確保にも苦労するようになる。その中で周囲の期待に応えるため、オーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。1967年(昭和42年)には手術を受ける。病状は回復したものの、全盛期のような走りはすでに出来るような状態ではなくなっていた。
メキシコシティ五輪の開催年となった1968年(昭和43年)の、年明け間もない1月9日に、円谷は自衛隊体育学校宿舎の自室にてカミソリで頚動脈を切って自殺。27歳だった。戒名は「最勝院功誉是真幸吉居士」。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれている遺書にしたためた家族達への感謝と、特に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の言葉は、当時の世間に衝撃を与え、また円谷の関係者ら多くの涙を誘った。さらに、同年のメキシコシティ五輪男子マラソンで銀メダルを獲得することになる君原も、大きなショックを受けたという。
川端康成は、円谷の遺書について、「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り、「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した(「一草一花――『伊豆の踊子』の作者」の「十一」、『風景』1968年3月号初出)。当時の関係者からは「ノイローゼによる発作的自殺」「選手生命が終わったにもかかわらず指導者に転向できなかった円谷自身の力不足が原因」など様々な憶測が語られたが、三島由紀夫はこれらの無責任な発言に対し『円谷二尉の自刃』の中で、「円谷選手の死のやうな崇高な死を、ノイローゼなどといふ言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きてゐる人間の思ひ上がりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であつた」と強い調子で批判し、最後に、「そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、“青空と雲”だけに属してゐるのである」と締めくくった。また、沢木耕太郎は「円谷の遺書には、(円谷が)幼いころ聞いたまじないや不気味な呪文のような響きがある」と述べている(『敗れざる者たち』所収「長距離ランナーの遺書」)。
円谷と接した人は口を揃えて、まじめで責任感が強く礼儀正しい好青年だったと評する。その性格はしばしば自らの不成績を責めるというかたちになって現れ、それを克服するためにオーバーワークを招きがちだったことが、自殺という悲劇につながったとする見方も強い(当時の日本陸上界は技術論より精神論を至上とすることがまだまだ多く、本人の意思にかかわらず過度の練習を美徳とする関係者の慣習もあった上、メンタル面でのサポートやケアなどは考えられていなかった)。また沢木耕太郎は上記の自著の中で、1968年の正月に帰郷した際に(上官のために破談に追い込まれた)かつての元婚約者が別の男性と結婚した事実を知ったことも、円谷が自殺に至った直接の引き金になったのではないか、という推論を述べている。
また後年、ピンク・ピクルスにより円谷の苦悩を描いた曲「一人の道」が発表された。
出身地の須賀川市では、業績を偲んで毎年「円谷幸吉メモリアルマラソン」が開催されている。また、実家には幸吉の没後に家族の手で開設された「円谷幸吉記念館」があったが、遺族の高齢化により、2006年(平成18年)6月に展示品を市に寄贈したのち秋に閉館した。その後、市によって市営須賀川アリーナに展示コーナーが設置され、2006年(平成18年)10月の「円谷幸吉メモリアルマラソン」開催記念の特別展示を経て、2007年(平成19年)1月7日より「円谷幸吉メモリアルホール」として正式に公開された。
円谷幸吉の自殺は日本のスポーツ史に最大級の痛恨事として記されている。円谷の悲劇の後、日本オリンピック委員会や一部競技統括団体では、オリンピック出場選手などのアスリートに対するメンタルサポートやメンタルヘルスケアが実施されるようになっているが、これは円谷の自殺が契機となった苦い教訓の産物でもある。
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サニブラウンの9秒97は、陸連やJOCの中心的強化選手以外からの青天の霹靂だ。マラソンの川内選手や短距離のサニブラウン選手。近視眼的なメダル獲得なんかよりも、自分を見失わないスポーツマン・シップにあふれた、いい走りを今後長く見せてほしい。

Ⅱ:安倍政権の酷さ
年金に関する政府のでたらめ無責任政治。あまりにもひどすぎる。 「貧乏人は麦を食え」に昔大人たちは怒っていた。怒ることさえ、押さえつける。それで政権最長記録ねらいのためか、国会開会中にもかかわらず、予算員会も審議に自公与党は欠席、イメージ作戦狙いのための横暴だ。イージス・ジョアの虚偽でたらめに地元横須賀市民は激怒している。その声に聴く耳を持たない政府。「選挙だけ勝てばいい」と考え、選挙には勝って当選したら、やりたい放題の乱行政治が延々と続いている。自民党・公明党・日本維新の会に議席を持たせることが、今では元凶となっているのだ。

Ⅲ:「ひきこもり」騒ぎと若者たちの自主自立課題

東京の教師奥地圭子さんは、不登校指導で自身の子どもたちを見ていてはっと気づく。「東京シューレ」のきっかけとなって以後フリースクールは全国の教育問題への処方箋を掲示した。アメリカの大学教授は、学生に1年間のモラトリアムを保証する試みによって青年期の自立の実践を構築した。

ひきこもりと社会的自立と犯罪とは全く異なる。元農水次官の苦悩は推測するが、息子は父を誇りにしていた時期もある。狭い点数偏差値競争で、子どもたちを歪める日本社会。有名医大が男尊女卑の続出。建前だけの日本の空洞化。

ひきこもりは、青少年から中年層へと広がっているという。多くの人間が、足を踏み出せない社会は、社会が病理状態にあると私は考える。社会を人間同士のこころの繋がる世の中に変えるべきだ。大江健三郎さんの説く「炭鉱のカナリアたち」の予兆を大事に汲むべきだ。

Ⅳ:天安門事件と権力の横暴

天安門事件の背景に「黄雀行動」とよべれる歴史の知恵があったことを初めて知った。天安門事件の首謀者と疑われて容疑をかけられた青年たちを、香港へ牧師、弁護士、知識人、市民たちがリレー方式で救出し亡命を成功させた史実のことである。
日本の60年安保では樺美智子さんが死亡し、ベトナム反戦運動や大学闘争でアメリカでも学生・青年への鎮圧があった。雨傘事件への裁判の様子を見て、左右を問わず権力の横暴をまざまざと感じた。

中国政府による弾圧としての天安門事件ゆえに、アメリカトランプ暴政や日本安倍盲従政治をいささかもよいとは思わない。
両方とも、だめだ。
その認識をもとに、人権宣言を葬る一切の権力を、私たちはしっかりと凝視していこう。歴史の裏で犠牲となった多くの無名の民衆の鎮魂のためにも。

【転載】安田純平さん、旅券が異例の5カ月「審査中」 家族旅行なのに「出国禁止状態」

2019-06-07 19:13:58 | 転載
2019年6月7日 東京新聞朝刊


写真(東京新聞同記事)
 内戦下のシリアで約3年4カ月拘束され、昨年10月に解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(45)が外務省に申請した旅券(パスポート)が5カ月にわたり「審査中」とされたまま発給されていないことが、分かった。安田さんが明らかにし、日本政府関係者も事実を認めた。

 安田さんは「発給が長期間判断されず、事実上、出国禁止の状態が続いている」と話した。憲法が保障する海外渡航の自由との兼ね合いから妥当性が問われそうだ。

 旅券法は渡航先が入国を認めなかったり、国益を害する可能性があったりする場合、パスポートを発給しないことがあると規定。安田さんによると、外務省は、安田さんが解放されたトルコで強制退去処分と入国拒否を受けており、旅券法の規定に触れる可能性があると説明した。

 安田さんは拘束時にパスポートを奪われ、帰国後の一月七日に発給を申請。四月、外務省から渡航計画の提出を求められ、五月にインド、六月に欧州へ家族旅行したい考えを伝えた。行き先にトルコは含まれていない。

 通常、パスポートの申請から交付までの期間は一週間程度で、五カ月にわたり発給の可否が決定されないのは異例。

 同志社大の尾形健(おがたたけし)教授(憲法)は「個人の自由や権利を制限するには相応の説明が求められる。発給を拒否するには十分な理由が必要だ」と指摘した。外務省は「審査中ということ以外はコメントできない」とした。

 安田さんは信濃毎日新聞の記者を経てフリーランスで活動。二〇一五年六月、過激派組織「イスラム国」(IS)の実態を取材しようとトルコからシリアに入り、武装勢力に拘束された。〇四年にはイラクで武装勢力に拘束された。

【転載】日本メディアの独立懸念 国連報告者「政府は勧告未履行」

2019-06-05 20:19:47 | 転載
2019年6月5日東京新聞夕刊

写真  デービッド・ケイ氏


 【ジュネーブ=共同】言論と表現の自由に関する国連のデービッド・ケイ特別報告者が、日本では現在もメディアの独立性に懸念が残るとする新たな報告書をまとめたことが四日分かった。日本の報道が特定秘密保護法などで萎縮している可能性があるとして同法の改正や放送法四条の廃止を求めた二〇一七年の勧告を、日本政府がほとんど履行していないと批判している。

 報告書は六月二十四日開幕の国連人権理事会に正式に提出される予定。

 報告書によると、日本政府が放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法四条は効力を持ち続けており、事実上、放送局への規制になっていると指摘。政府に批判的なジャーナリストらへの当局者による非難も「新聞や雑誌の編集上の圧力」と言えるとした。「政府はジャーナリストが批判的な記事を書いても非難は控えるべきだ」としている。

 ケイ氏は一七年に公表した対日調査報告書で、日本政府に十一項目を勧告。勧告に法的拘束力はないが、政府は不正確な情報に基づくと反論していた。ケイ氏は調査の結果、九項目が履行されていないとしている。

◆勧告11項目と履行状況
 デービッド・ケイ特別報告者が日本政府に勧告した十一項目の主な内容と履行状況に関する評価は次の通り。

 (1)政府による介入の根拠となる放送法四条の廃止=未履行

 (2)歴史的出来事に関し教材で示された解釈に対し介入しない=未履行

 (3)教科課程の作成過程の完全な透明化を保証する=一部履行

 (4)国連の真実・正義などに関する特別報告者の訪日の招請=未履行

 (5)政治活動を不当に制限するような公選法上の規定を廃止する=未履行

 (6)特に沖縄における平和的な集会と抗議の権利を保障するために、あらゆる努力をする=未履行

 (7)特定秘密保護法で安全保障上問題なく公益に資する情報については、開示しても処罰されない例外規定を設ける=未履行

 (8)公益に資する情報の報道を促進する社会的規範の原則づくりを進める=評価できるだけの十分な情報がない

 (9)特定秘密保護法の執行が適切に行われるように、専門家による監視組織を設置する=未履行

 (10)広範に適用できる差別禁止法を制定=未履行

 (11)将来的に通信傍受に関する法律を制定するに当たっては、独立した法機関の監視下で、極めて例外的な場合にしか、通信傍受は行わないと明記する=未履行

◆沖縄抗議への圧力批判 山城氏有罪 表現の自由萎縮恐れ
 【ジュネーブ=共同】デービッド・ケイ特別報告者の報告書は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設への抗議活動などに日本の当局が圧力を加えたり、過度に規制したりし続けていると批判した。

 特に抗議活動に絡み威力業務妨害などの罪に問われた沖縄平和運動センターの山城博治(やましろひろじ)議長に対し懲役二年、執行猶予三年の刑が確定したことについて、表現の自由の権利行使を萎縮させる恐れがあるとした。

 報告書は、山城氏が長期間拘束されたことに国連の特別報告者や恣意(しい)的拘束に関する作業部会が国際人権規約違反などとして日本政府に是正を求めたと指摘した。

 その上で、集会と表現の自由は「密接に関連し、互いに補強し合っている」と強調した。