【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

2017衆院選への視点~【市民と立憲野党共闘】の混乱と再生

2017-10-28 18:45:14 | 政治・文化・社会評論
2017衆院選への視点~【市民と立憲野党共闘】の混乱と再生
2017/10/28

           櫻井 智志           


 四野党が憲法に依拠して政府に要請した臨時国会を、安倍政権は三カ月経っても一向に開かなかった。そして臨時国会を開くや審議も所信表明もろくに開かず抜き打ち解散し突然、解散総選挙に突っ走った。自民党に呼応するかのように小池百合子が動いた。以前から小沢一郎と前原誠司の水面下の野党共闘協議に、小池百合子が加わり、最後は協議とは異質な小池新党を作った過程での混乱に終始した選挙戦となってしまった。民進党存亡の危機に立ち上がった枝野幸男が立憲民主党を結党した。
 この取り組みの本質を見抜いて援護し、自党候補を辞退させた日本共産党の政治展望は鮮やかだった。「市民と野党の共闘」の原則を堅持して、一貫して選挙戦に取り組んだ共産党の方針と選挙戦が、今後の市民社会における立憲政党共闘が市民や市民団体の土壌に根づいて取り組んでいく、という今後の選挙戦と政治へのあり方を耕した。

 前原誠司個人は、苦労をしてここまで政治家となった苦労人だ。北海道5区補選や自治体選挙で、民進・自由・社民・共産・市民連合の共闘の選挙宣伝カーに同乗して応援演説を何回もこなしてきた。小池百合子氏の巧みな戦略に呑み込まれた今の前原氏は、指導者の器にはない。不運な政治家と思う。小池百合子氏も都知事としても都民から遊離している。自民の策略に呑まれた選挙だ。安倍総理自身への不信は根強い。選挙で勝ったのは、安倍内閣でなく、自民党公明党だ。

あるジャーナリストの記事を読み同感だ。『安倍対小池』の構図を自民党首脳部は、『「小泉進次郎」対小池』に転換した。さらに大手マスコミはこの構図を何度も繰り返し流した。小泉進次郎への国民の熱狂的歓迎は、安倍総理の不支持を覆い隠した。大手マスコミの動き方は自民の思惑通りとなった。

朝日新聞は「立憲、希望、共産、社民、野党系無所属の共闘成立」ならこれらの候補の得票を単純に合算する試算を行った。その結果、「野党分裂型」226選挙区のうち、63選挙区で勝敗が入れ替わり、与党120勝、野党106勝となった。だが小池新党は立憲野党ではない。「希望の党」をNHKテレビは選挙報道から与党派・改憲勢力とみなしてカウントしていた。

 【市民と立憲野党の共同】を重視した日本共産党は、その大義を尊重した選挙政策をとり、小選挙区で70人近い候補をおろし、立憲民進党や無所属の選挙区て゜は候補を立てない戦術をとった。それが原因なのか有力候補も落選が相次いだ。しかし立憲民主党の躍進と無所属候補の勝利とにより、【市民と立憲野党の共同】の骨太の戦略は、今後に展望を示した。市民や市民連合などの見事な獅子奮迅の仲介役を見ると、新たな政治的段階が日本にも訪れたことがわかる。韓国やヨーロッパのような、市民が自主性と自立した個をもつ主体として政治に広範に取り組む様子は、参院選の前からあったが、野党共闘決裂の局面で大きな力量を発揮した。今後の動向となっていく。

 公示前の35議席から6議席減という敗北の公明党。比例の全ブロックで獲得した合計697万票。衆院選の比例ではじめて700万票を割った。自公に大逆風が吹き、8つの選挙区で全敗した09年衆院選でさえ、比例で805万票を獲得。公明党敗北は、安倍自民党をより強硬にさせていくだろう。

【Ⅰ:2017総選挙と沖縄・福島】【Ⅱ:相模原事件と障がい者の生きる権利】

2017-10-21 19:32:55 | 政治・文化・社会評論
【Ⅰ:2017総選挙と沖縄・福島】【Ⅱ:相模原事件と障がい者の生きる権利】
 ~[2017/10/21JNN報道特集]を見ながら感じたこと~

                 櫻井 智志



【Ⅰ:2017総選挙と沖縄・福島】
 「後から後悔しても手遅れ」「原発の論議低調」「巨大な改憲勢力の誕生」三つのコメントを聴きながら、ワイマール共和国からナチスが飛びたっていった瞬間を感じている。志位和夫氏が述べた「私たちは決して諦めない」という街頭演説が鮮やかに甦る。大手マスコミが予測した予想がもしも現実化しても、無惨な結果から出発しよう。


 在沖米軍のしたい放題には原因がある。米軍の専制に、抗議はかたちだけでおもねりへつらう日本政府の歴代自民党総理。吉田茂、岸信介から安倍晋三に至る迄の悪しき伝統がある。米軍やアメリカ政府、軍産複合体に抵抗し対米路線から訣別しようとした田中角栄、鳩山由起夫。ほかにも総理になり対米から中立外交へと取り組んだ総理は数人いた。みな失墜させられた。


 東日本大震災・福島原発にとどまらない。治水政策や乱開発への無策。九州沖縄から北海道まで、熊本や大分の地震被災地の被害住民たちに生活と生命を保障することが政治の最大責任なのに、責任を果たそうとする実行は、住民の実際の環境には届いていない。安倍自公政権の無為は目を覆う。


 あんな無惨な臨時国会の冒頭解散にもかかわらず、マスコミの自公圧勝の奇怪な報道に違和感を覚える。なにかが、ある。ただもしかしたら日本の国内とは専制政治を熱狂で迎える実態なのか?生活苦から専制主義政治家に自分を投影して極右に自己実現を幻想しているのか?どちらにしても個人の自立が問われている時代なのだ。ひとつひとつを丁寧に考えたい。




【Ⅱ:相模原事件と障がい者の生きる権利】

 相模原事件には、わからないことがいくつもある。植松被告はTBSや月刊誌『創』の篠田編集長とも手紙のやりとりがある。私が被告に怒りを覚えるのは「障がい」をもつ人々への短絡的な発想である。「障がい」とは誰もが後天的に誰もがなりうる「状態」であり「存在」ではない。


「大麻を吸うとよく生きていける」という発言、多重的な側面を持っている。言葉と思考が繋がっていない。「自己愛的パーソナリティ障害」という診断は専門的知見であるが大量殺人の優生思想には社会の歪みの反映が映し出されている。日本社会のもつ深層的危機を表している。

望月衣塑子氏と著作『新聞記者』(角川新書)【孫崎享のつぶやき 2017-10-15 08:48】を再構成しました。(構成文責 櫻井智志)

2017-10-15 18:23:21 | 政治・文化・社会評論
望月衣塑子氏と著作『新聞記者』(角川新書)

【孫崎享のつぶやき 2017-10-15 08:48】を再構成しました。(構成文責 櫻井智志)

【本の紹介、望月衣塑子著『新聞記者』(角川新書) 望月衣塑子記者は菅官房長官への質問で注目された記者。「私は特別なことはしていない。権力者が隠したいと思うことを明るみに出す。そのために、情熱をもって取材相手にあたる」】



A:(孫崎亨氏)
望月衣塑子記者は菅官房長官への質問で注目された記者。「私は特別なことはしていない。権力者が隠したいと思うことを明るみに出す。そのために、情熱をもって取材相手にあたる」


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B:(著作)
 これから社会部に所属する新聞記者として何をすべきなのか。

 質問をし、答えてもらうことがもちろん目的だが、今の菅官房長官では難しいと感じている。では質問をすることは意味がないことなのかといえば、私はそうは思っていない。

 在任期間が歴代最長を数える菅官房長官は、政権を揺るがしかねない閣僚のスキャンダルや失言を批判されても、「ご指摘にはまったく当たらない」などと一蹴。表情をほとんど変えることなく、鉄壁ともいえるガードをみせてきた。

 しかし約3か月にわたるやりとりのなかで、「安定の菅」と称賛されてきたときとは異なる、見ている人々に大きな違和感を与える別な顔を少しは導きだせたと思っているからだ。

 私は、「空気を読まない」とよくいわれるが、そのとおりだと思うし、むしろ読もうともしない。だからこそ、菅さんは可能ならば隠しておきたかった別の表情をのぞかせるようになったのではないか。

 その表情を見ていると、「加計ありきではない、という言い訳はさすがに苦しいのではないか」という思いがふくらむ。見ている人もそうだと思うがいかがだろう。

 その積み重ねが大きな声となり、政権を揺り動かすパワーの源になるーそう信じながら、首相官邸へ日参している。

 私は特別なことはしていない。権力者が隠したいと思うことを明るみに出す。そのために、情熱をもって取材相手にあたる。記者として持ち続けてきたテーマは変わらない。これからも、おかしいと感じたことに対して質問を繰り返し、相手にしつこいといわれ、嫌悪感を思えられても食い下がって、ジグゾーパズルのように一つずつ質問を埋めていきたい。

 中学時代のときから憧憬の思いを抱き続けてきた職業に幸いにも就くことができた。新聞記者、望月衣塑子のスタンスは、取材対象が何になろうと決して変わることはない。

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A:(孫崎亨氏)+ B:著作;


 この本はかっこいい望月衣塑子だけを書いてはいない。昔、日歯事件関連で東京新聞が他紙を大きくリードして報道をつづけていた。しかし、報道の内容をめぐり、公明党が名誉毀損容疑の告訴状を出し、一変する。記事を書いても会社は載せない。そのうち、東京特捜部が事情聴衆を始める。そして彼女も事情聴取される。検察はニュースソースを探ろうとする。検察は「嘘をつくとは、人間として恥ずかしくないか」「そんなことで両親に恥ずかしいと思わないか」と激しく責め立てる。この中、彼女は取材源についての黙秘を続ける。

 へとへとになって司法記者クラブの東京新聞のブースに帰る。キャップに「情報の出所をとにかく探ろうとしています。ヒントまでなら、ある程度言っちゃってもいいですかね」それまでのねぎらう雰囲気が一変、キャップがいきなり激怒した。
「言ってもいいぞ。その瞬間に、お前、筆を折る覚悟を固めろよ」
 この件で彼女は整理部に回される。現場に出たいという思いが強い。他社からこないかという誘いが来る。彼女は読売新聞の誘いがあって「読売新聞に移ろう」とほぼ決めた直後に父に会う。父も記者であった。
 そして父。

「お父さん、読売だけは嫌なんだよ。」

======<終わり>=============

【Ⅰ:原発再稼動と社会経済】【Ⅱ:スパイと国際社会】 ~『2017/10/14報道特集』を見ながら感じたこと~

2017-10-14 19:22:16 | 政治・文化・社会評論
【Ⅰ:原発再稼動と社会経済】【Ⅱ:スパイと国際社会】

 ~『2017/10/14報道特集』を見ながら感じたこと~


              櫻井 智志



【Ⅰ:原発再稼動と社会経済】

 在沖海兵隊は、墜落した米軍ヘリに放射能が含まれていたことを公表した。同型のヘリが、沖縄国際大学に墜落した時も放射能が検出されている。このヘリ自体が核兵器と関わりがあるのではないか。 今回の放射能をニュースは骨がんになる放射能であることを説明していた。衆院選で遊説先の安倍総裁演説は、福島も広島も沖縄も無視し意味不明な方便でしかない。国会を不規則に扱い、なんら政策論争がなされていない。

 原発か経済か。原発再稼動やむなしとする地元。東日本大震災による原発事故による福島県民当事者たちの悲惨な教訓は、政治に生かされていない。経済活動のもとになる自然や環境や人類そのものに致命的な被害があることも、原発から出るゴミそのものが危険なこともあいまいにすませる安倍総理。国際的自然環境破壊をなんら考慮していない。

 自由党森裕子議員は、名参謀として的確な手腕を発揮した。米山新潟県知事当選の立役者。自民党本部は県知事時に反原発で活躍した泉田氏を県自民党を振り切って、衆院に立候補させた。原発地域の経済が関連産業で立地している以上不況だろう。だが、国家が地域の原発偏重を脱した産業立地政策に転換すれば、原発のある地域の経済問題はかなりの効果で解決していく。





【Ⅱ:スパイと国際社会】

 尾崎秀実やゾルゲが戦前にスパイとして逮捕、死刑にされたことを知って、私は複雑な思いを持つ。韓国の民族分断に真正面から取り組んだスパイ映画は、民族が分断された国家である苦悩を観る者に実感させる。ロシアKGBのように、米CIAが、他国の政府高官をアメリカのスパイとして使った史実もある。スノーデン氏が明かした厖大なインターネットの機密情報の盗用とそれに対する管理も深刻だ。

 スパイ活動は、国家主権を危うくさせるし、どの国家でも国家機密の漏洩として厳しく防御することだろう。KGBスパイやイギリス、アメリカなど諸国のスパイとスパイ活動。インターネットも含め、情報戦略の裏に悲劇と人間のさがと国家間の対立紛争、そして戦争を悲しむ。

 スパイに気をつけようという主張は理解しうる。「スパイ活動防止法」などのような、反政府勢力をスパイと決めつける動向はいくつもの国家に見られる。専制権力への批判を、根こそぎ封じ込めた韓国朴正熙大統領。彼の統治下のフレームアップ「人民革命党事件」、「民青学連事件」などのでっち上げは、やがて光州市役所に市長や市民が籠城しそれを韓国軍が総攻撃で壊滅させる「光州事態」のような悲惨な悲劇をもたらした。


*写真はスノーデン氏

日本国憲法の危機に出現した新たな市民像の重要な意義

2017-10-09 22:33:22 | 政治・文化・社会評論
日本国憲法の危機に出現した新たな市民像の重要な意義
~【安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合みんなのための政治を取り戻す緊急集合!大街宣!!】に接して~

                     櫻井 智志



成熟した戦後日本の市民は、
屈せぬオール沖縄の実践継続と共に
福島原発以来
連鎖的に市民連合民主主義を遂行している。


パリ五月革命のように、
韓国金大中氏を象徴とする民主革命のように。


コミンテルン型革命とは全く異なる。



草の根市民と知識人と立憲政党の共闘によって
社会の前進に挑戦し続けている。

【総選挙は安保法制、共謀罪をどう審判するか】~《2017/10/07報道特集》を見ながら~

2017-10-07 18:02:08 | 政治・文化・社会評論
【総選挙は安保法制、共謀罪をどう審判するか】
~《2017/10/07報道特集》を見ながら~

                  櫻井 智志



安倍自民党総裁や公明党山口代表は、希望の党や立憲民進党に非難を浴びせた。憲法に基づいた臨時国会をずっと開会せず、開会したら冒頭解散。憲法に明記されていない首相解散権を乱発して、自己保身のために国政私物化。自公に、野党を非難する資格などない。国会の空洞化を実感として感じる。



小沢一郎、小池百合子、前原誠司の三氏が反自民の共闘に動いたので期待した。しかし様子を今日まで見ていて、小池百合子都知事がいかに極右で他人を翻弄する人間かに唖然とした。維新の会との提携。民進党の財産組織の強奪と踏み絵の協定書。小池クーデターで小沢氏の意図は崩壊した。残ったものは、アメリカ、フランスなみの日本極右新党の誕生。



協定書の「改憲」「安保法」項目が、民進党議員への踏み絵として強く批判されている。同時に、このほかに、外国人への危険な排外差別項目がある。小池百合子氏がずっと主張してきた排外主義である。今後に危険な地雷がこっそりとしのびこまれた。自民党極右派だった小池氏は大衆受けもよくその実力がある。だが安倍・小池によって、選挙後に一気に治安維持法社会の危機が近づいた。




日本共産党が、今回の衆院選予定候補を一気に60人ほどの候補を取り下げた。時事通信出身の田崎史郎氏は、テレビによく出演する。テレビ朝日系のニュースワイドショー番組で「共産党は落選して多額の供託金が苦しいからだ」と暴言を吐いた。安倍首相と会食するマスコミ人は、このようにあまりに酷い発言を連発してきた。立憲民進党、社会民主党、緑の党、新社会党、日本共産党は共闘して総選挙に臨む。繋ぐ市民や市民団体が貴重な存在だ。

五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志⑤最終回 

2017-10-04 11:54:23 | 政治・文化・社会評論
五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志⑤最終回  
                                        櫻井 智志

2017年05月03日
 【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅳ】
  2016年 第17回
第17回平和のためのコンサートの新鮮な感動
〜2016年(核時代71年)6月18日 〜
 
1.今次コンサートの第1部講演について

 鷹巣直美さんと石垣義昭さんの「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の講演は興味深いものがあり、なかでも提唱者の鷹巣直美さんのパワーポイントを使いながらの講演からは、斬新な内容を含み、なぜノーベル平和賞の受賞者を「日本国民」としたのか、そこに深い見識が感じられ、大いに示唆を受けた。
また高校教師であった石垣義昭さんの講演のなかで堤未果さんやSEALDsで大活躍している奥田愛基さんと学校教育との洞察は、現在日本の学校教育の根本に迫る内容も一緒になされ、大いに参考となった。
 「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動について、実行委員会共同代表のひとりである石垣義昭さんは、2014年(核時代69年)9月22日に、以下のように述べていらっしゃる。原文をそのまま転載することで読者の判断に供したい。出典は「法学館憲法研究所」のウェブサイトである。
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20140922.html

====引用開始=====

この運動の始まり
 私たちが進めている「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動は、私たちが最初ではありません。私たちの把握できている限り、1991年にアメリカで「第9条の会」を立ち上げた現オハイオ大学名誉教授のチャールズ・オーバービー教授や日本の全印総連女性部でも起こしています。
 今回の私たちの運動の発案者である鷹巣直美さんはこうした経緯を知らないまま、同様の趣旨のメールを何回かにわたってノルウエイのノーベル委員会に送ったそうです。すると委員会からメールが返って来ました。そこには①憲法の条文は受賞の対象にならない。受賞者は個人か団体であることが必要。②ノミネートにはノーベル委員会が認めた推薦資格を持つ人の推薦書が必要。③推薦は毎年2月1日に締め切られる。などのことが書いてありました。
 そこで鷹巣さんは2012年にEUが団体で受賞していることにヒントを得て、「憲法9条を70年近く保持し続けている日本国民にノーベル平和賞を」という今回の運動を思いついたといいます。その提案を受けて相模原市と座間市の「9条の会」が合同で実行委員会を立ち上げたのが昨年の8月でした。「全国9条の会交流集会」で協力を呼びかけたのが11月で、「神奈川新聞」や「東京新聞」(1月)がこの運動を紹介した頃から運動が広がり始めました。2月1日の締め切り前に推薦書(13個人と1グループ)とそれまでに集まった署名約2万筆を送ることができました。
海外の反響に驚く!
 4月9日にノルウエイの委員会から推薦を受理したという連絡が入ると、マスコミなどの大きく取り上げるところとなりました。特に韓国や香港をはじめとする海外からの反響が大きかった事に驚きました。直後から署名も急速に広がりはじめました。次から次にかかってくる電話の「署名用紙を送ってください」という問い合わせに十分対応できないほどでした。多くの方にご迷惑をお掛けして申し訳なく思っています。
 ノミネートの連絡が入った直後のことでした。以前から護憲運動を続けている「9条の会」を受賞対象者として推薦していた東工大の先生から、「私の推薦書も受理されましたよ、ともに頑張りましょう!」という連絡がありました。私たちは受賞対象者を「日本国民に」としています。今年「ノーベル平和賞」にノミネートされた個人および団体は278に上るといわれていますが、その中に「日本国憲法」を推薦した二つの団体が含まれていたのです。
 さて、今回の運動を通じて最も強く感じたのは、署名用紙に添えられてくる手紙の殆どに「とてもいい運動を始めてくださいました。皆さん気持ちよく署名してくれます」とか、「この運動を知って希望と勇気が湧いてきました」などの感謝の言葉や「この運動の実現を祈っています」などと書かれていた事でした。そうした声を実行委員会ニュース(現在6号まで発行)にも毎回紹介してきましたが、そうした手紙に私たち実行委員がどれほど励まされたか知れません。改めてお礼申し上げます。
「アジア平和賞」をいただきました
 8月15日、マレーシアのクアラルンプールで授賞式がありました。この賞の受賞については実行委員会ニュースNo.7(9月下旬発行)で詳しく報告しますが、私たちの運動の意義を改めて確認させてくれる賞でした。
 実行委員会ニュースに毎回書いている文があります。それは≪憲法九条のすばらしさを共有し、守り、活かし、世界に向けて広めていく取り組みの一つとして、思想・政党・宗教などのあらゆる違いを超えて、「憲法9条にノーベル平和賞を」の一点で一致し、協力して活動しています。≫というものです。この一文に私たちの運動の思いが込められています。しかし、「ノーベル平和賞」を受賞する事が最終目標ではありません。それは一つの通過点なのです。
 日本国憲法を守り、活かし、広めていくのはあくまで日本国民です。日本国憲法の持つ素晴らしい精神。「平和主義」、つまり、もう二度と戦争はしませんという不戦の誓いです。「基本的人権の尊重」、つまり、一人ひとりを人間として尊び、その幸せを実現していくことです。「主権在民」つまり、国民を主人公とする社会の実現です。
 ある人が言いました。「9条はノーベル平和賞に値するのか」と、そして「ノーベル平和賞は9条に値するのか」と。私は今回の運動を通して「この運動はそのことを問う運動でもあるのだということが」少し分かってきた気がしているところです。

===引用終了=====

 石垣義昭さんは、1941年、北海道に生まれて室蘭栄高校、都留文科大学国文科卒業、武蔵工業大学(現東京都市大)付属中高校に勤務なさり、2005年にご退職された。現在は、「不登校を考える東京私学の会」の代表や東京父母懇談会「電話教育相談」・相談員もなされていらっしゃる。「教室に感動が広がるとき」(近代文藝社)などのご著作を出版なされている。
 この「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みを日本で最初にとり組まれたかたが、鷹巣直美さんである。


2.第二部のコンサート
①重唱 アンサンブル・ローゼ
ビアノ:末廣和史さん
 アンサンブル・ローゼは、七人の女性ボーカリストから構成される。
ソプラノが、池田孝子さん、高橋順子さん、渡辺裕子さんである。メゾ・ソプラノが、芝田貞子さん、高橋邦子さん。アルトが嶋田美佐子さんである。
 今回は「待ちぼうけ」「野の羊」「この道」「浜辺の歌」の四曲を歌った。日本のうたをしっとりと聴かせる。歌が途中で転調する歌があった。澄み切ったハーモニーは変わらず、このグループの歌唱力がもつ声楽としての水準の高さを感じさせる。毎回さまざまなバラエテイの楽曲をこなし、洋楽やクラシックの歌唱の時もあったが、実に多彩などんな楽曲も「うたのこころ」をしみじみと響かせて共感を感じさせてくれる。
 ピアノの末廣さんは今までにも加わっていて、重唱の効果をよく高めていて聴き心地がよい。

②チェロ独奏 佐藤智孝さん
ピアノ:児玉さや佳さん
 プログラムには、「メネエット ト長調」(ベートーヴェン作曲)、「ムーア人の踊り」(ファリャ作曲)が記載されている。私のメモでは三曲と記されている。もう一曲の題名はわからないが、深いチェロの響きと伴奏のピアノとのコラボレーハョンが見事である。チェロのしみじみとした味わいをピアノの演奏が重厚な立体感を醸し出している。

③バリトン独唱 奥村泰憲さん
ピアノ:外林由貴子さん
 歌劇「はだしのゲン」から”麦のように強くなれ”(保科 洋作曲)、「音頭の船頭歌」(広島県民謡)、歌劇「悪魔の壁」から"一人の美しい女性が”(スメタナ作曲)の三曲。曲想や種類が三曲とも異なるけれども、どの曲も音楽的に高いレベルとして演奏されていた。民謡、クラシックなど歌い手にとっては異質な楽曲であうるけれども、ひとつひとつの歌唱がピアノとよく共鳴しあっていて、バリトンとピアノのコンビネーションがよく合っている。

【私見】
 ノーモア・ヒロシマ・コンサートを含めて、平和のためのコンサートは、芝田進午先生の「反核文化としての音楽」を実に豊かに体現化してきた。17回の平和のためのコンサートのすべて、ノーモア・ヒロシマ・コンサート(広島と東京)の東京都新宿区朝日生命ホールのコンサートのほとんどを聴いてきた。私の故郷には群馬交響楽団が昔からあって、群馬県内の平地・山間部を問わず広く小中学校の講堂や体育館で公演を行ってきた。そのことが、子どもたちの感性に一定の影響を及ぼしてきた。
 この「平和のためのコンサート」も、広くおだやかで豊かな感覚と反核文化の普及に努めている。とくに派手なコンサートではないが、毎回持続して17年間も続いてきたことに、驚きと主催者への尊敬を覚える。
 芝田進午・貞子ご夫妻と二人の息子さんご夫婦などのご家族がその担い手である。さらに芝田進午先生が生涯の最後にとり組んだ新宿区の住宅街・早稲田大学などのある文教地区に移転と実験を強行した国立感染研(旧国立予研)に対する実験強行差し止め裁判闘争をともに闘った人々や芝田先生の法政大学・広島大学・民間の芝田ゼミなどの教え子たち、さらに芝田貞子先生もメンバーのアンサンブル・ローゼの関係者たちのコンサート開催の実務支援は重要な意義をもつ。
 このコンサートが平和と反核文化に国民に与える影響は大きい。過去にピートシーガーや美輪明宏さん、葦原邦子さんなども無料で賛助出演なされている。このコンサートの出演者は、確か無料出演と聴いたことがある。コンサート自体が、出演者・開催者・聴衆の三位一体となって、日本と世界の平和と平和文化に貢献している。
 そして、第1部の講演「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みが、世間的な噂よりももっと深く「戦争を阻止し平和な社会」を形成する運動として深い意義をもっていることを、コンサート参加者に正確に知らせている。
 第1部、第2部あいまって、「平和」を感じ考えさせてくれる。このコンサートの意義は、コンサート会場に出かけた人々を通して、広く深く社会に伝わっていってほしい重要な文化的社会的実践である。

 3 持続する芝田貞子さんたちの志
 今年2016年(核時代71年)で17回目を迎える。このコンサートの第1回目は2000年(核時代55年)に開催された。2001年(核時代56年)3月14日、芝田進午先生は胆管ガンのため多くの方々の哀しみのなかでご逝去された。この年に開かれた第2回コンサートの実務からすべての運営を担われたのが、芝田貞子さんだった。それを支えたのが、ご家族と感染研裁判をともに闘われた研究者や市民の方々や芝田先生を尊敬する教え子たちだった。
 この17年間のあいだ、アンサンブル・ローゼの声楽家の皆さんは芝田貞子さんを「芝田先生」と呼ぶようになっていた。かつて芝田進午氏が企画・推進・実務のかなりの実務を担っていた。それらのすべてをいま芝田貞子さんが担っている。しかも初回から17年間も。その前の「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」は東京都新宿区と広島市とで開催されていたから、ご夫婦が推進された反核文化としての実践は、数十年にわたる。
 芝田貞子先生が果たされてきた反核文化としてのコンサート推進は、まさに芝田進午先生の開拓者としての同志であり継承者である。17年間企画者であり推進者であり実務の責任者としての継続は、私はひとことも聞いてはいないけれども、想像するに心身ともにかなりの負担や過労となったこともあろうと私には感ぜられる。
 そのような思いに至った時、このコンサートが、福島原発事故でいまだ事故の実態も事故進行がどの程度の段階かも把握できていない今日にもつ意義は大きい。ヒロシマとナガサキの核兵器投下という非人道的戦争犯罪をノーモア・ヒロシマ・コンサートは側面から告発し、ここ数年、ケネディアメリカ駐日大使やアメリカ国務省ケリー長官は広島市の原爆資料館を訪れた。ノーベル平和賞を受けながら、ブッシュ前大統領の致命的な経済失政により受けた傷痕のため、経済政策の復興が実現できずに中間選挙敗北のためあいついでアメリカ軍産複合体と妥協せざるを得ない政治の連続である。それでもキューバとの劇的な国交回復に続き、広島を来日し原爆資料館を訪問する可能性をあきらかにしている。
 ところがそんな日本の国情よりも別の価値観しかわからない安倍晋三氏は、なんと原発や兵器を輸入することで経済振興をはかる暴挙に出た。こんな核時代71年(この呼称は芝田学の反核文化論の成果である)に、平和のためのコンサートの意義は、実に豊かで大きなものがある。

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「平和のためのコンサート」を持続する志⑥    
                                        櫻井 智志

2017年05月13日
第18回 平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~(3)最終稿
            
----------構成-------------------------------------------
 (序)
 (1)第18回平和のためのコンサートの概要
 (2)平和のためのコンサートの通史
◎(3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
◎(まとめ)
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(3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら

① 芝田進午氏は現在も生きている
 芝田進午氏は、現在、生きている。このような毎回広範な講演と音楽家の演奏が、18年間も一度も絶えることなく続いている。その事実が、芝田進午先生がいまも健在であるかのように感じる。正確に言えば、芝田氏の遺志をほぼ完璧に体現されている。
 その実態は、芝田貞子氏を中心とする芝田進午氏のご家族と、《芝田学》(=人類生存の思想と実践的唯物論哲学を根幹とする学問)に関わる研究者・教え子、核廃絶と国立感染研の安全無視と対峙しバイオハザード災害阻止を実践的に取り組む住民と研究者の団体である。
 芝田進午氏の最後の著作は、三階徹氏・平川俊彦氏・平田哲男氏の三人の編者、正確に言えば対話者の協同作業によって世に出た。
『実践的唯物論への道/人類生存の哲学を求めて』(2001年9月 青木書店)「Ⅴ 核時代・バイオ時代における「実践的唯物論」の課題」「19 核時代の危険と「実践的唯物論」の新しい形態の研究」「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」にこのようなくだりがある。
・・・いま思えば、僕が広島にいた(*広島大学教授として勤務)からこのコンサートはできたといってもいいでしょう。東京にいたとしたら、とてもできませんでした。そして、あえてもう一言いわせていただけば、妻が音楽家だからできたわけです。・・・・・
 戦前の哲学者戸坂潤は、「おけさほど唯物論は広がらず」と嘆息した。戦後72年、核時代72年は、思わぬ平和憲法の解体と明治憲法の亡霊復活を企図する日本軍事国家主義の台頭勢力が政権を握り、与党自民党公明党内部にさえ批判する政治家が続いている。
 生きる権利と平和の学問的実践的構築を基調とする芝田進午・貞子夫妻の信念は、実体のものとして持続している。
② 芝田進午氏の構想
 芝田進午氏亡き後も、平和コンサートはこうやって続いている。平和のためのコンサートは、芝田夫妻によって始まり継続されている。
このコンサートは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートとともに歴史にきざまれる事は間違いない。反核音楽、反核文化は1945年を起点としている。
 芝田先生は、「ヒロシマ紀元」を提唱し、広島・長崎に米軍機が核兵器を投下した西暦1945年を元年とした。この元号は進歩的学者たちから、賛否両論あり、芝田氏は他の歴史学者たちとともに「核時代」の紀元を使うようになった。
 私が最も無念なのは、福島原発事故に対する民衆の側からの哲学的思想的構想力の脆弱さである。高橋哲哉氏、徐京植氏らの見解に共感を覚えたが、「核時代」「反核文化」に示した芝田氏の構想力に匹敵するような論究は寡聞にしてまだ把握していない。
 ただ、反原発連合のような市民運動団体や草の根の福島県はじめ全国の市民たちの発言や表現、実践には希望が感じられる。社民党福島瑞穂さんや日本共産党など政党にも実践が持続している。 
 なお、私は加藤哲郎氏の『日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理』(岩波書店2013年12月)を断続的に読んでいる。「原子力の資本主義的利用と原子力の平和的利用」という視点に、国内の歴史的経過、国際社会の原子力観の変遷を具体的に分析している。
 かつて芝田先生の『社会科学年報』において、大月書店編集部にいた加藤氏の論文を読み、感銘を受けた。その後加藤氏は、大学教師となり一橋大学社会学部教授として精力的に研究を重ねた。加藤哲郎氏の論文は忌憚なく日本の社会主義を批判している。加藤哲郎氏が提起した問題を、芝田先生ならどのように研究なさって研究の労作を発表なされただろうか。ひとつだけ私に予想できることは、加藤哲郎氏の労作を事実はきちんと受け止めて、「原子力の平和利用」肯定の日本の社会主義政党の歴史からどう現在を開拓するかを提示するだろう。
芝田氏のように、反核を文化として現実社会に広めていった姿に、学者として第一級であるばかりか、実践においても地道で持続なされ、それを継承していること。そこには、国内原発事故以前に、原発の危険を予知して市民運動を展開されていた高木仁三郎氏に対する芝田氏の謙虚な姿勢の対峙を著作からうかがうことができる。
 芝田進午氏のスタンスは党派的ふるまいに限定されない。事実を何度も疑い、吟味する。芝田氏ならば、原発事故を論じること以上に広範な資料データや調査を蒐集して、それらをもとに仮説を立て、定説にとらわれず、自らが納得する立論をたて、分析する。
 さらにそれにとどまらず、原発被災の被害を受けた福島県民を励まし応援する文化的運動を展開されたことだろう。その文化的運動の一環としてこの「平和のためのコンサート」は先駆的な意義をもつ。

【まとめ】
 再度、18回コンサート実行委員会のアピールを掲載させていただく。
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 第18回目となる“平和のためのコンサート”を今年も開催することとなりました。
 世界中で不寛容の嵐が吹いています。アメリカでは分断を煽るトランプ大統領が誕生し、ヨーロッパでも排外主義を掲げる政党が勢力を
伸ばしています。日本では、戦争法を作り、共謀罪の制定を目指し、憲法改悪を狙う安倍内閣が長期政権を築いています。日々、暗いニュースに接していると、落ち込むばかりですが、私たちに出来ること、やらなければならないことも多くあるので、落ち込んでばかりではいられません。
 今年の平和のためのコンサートは「芝田進午十七回忌によせて」とさせていただきました。厳しい局面でも、常に笑顔を絶やさず、真っ直ぐ前を見つめておられた芝田進午先生が生きておられたら、平和を諦めてはいけないと、優しく励ましてくださったことでしょう。
 第一部では、元広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんに講演をお願いしました。「核-禁止と平和への道-」と題してお話いただきます。
 ぜひ、周りの方々、とりわけ若い人たちにも声をかけていただき、平和のためのコンサートに足を運んでいただきますよう、お願い申し上げます。
 2017年(核時代72年)         平和のためのコンサート実行委員会
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2017年6月10日(土) 
午後1:30開演(午後1:00開場)
料金 ¥2,200(全席自由)
会場:牛込箪笥(うしごめ たんす)区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩0分
主催  平和のためのコンサート実行委員会
後援  アンサンブル・ローゼ  ノーモア・ヒロシマ・コンサート
    ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会
    バイオハザード予防市民センター
【お問い合わせ TEL/FAX 03-3209-9666 芝田様方】
①第18回平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~
第一部 講演 スティーブン・リーパー(Steven Leeper)
       「核禁止と平和への道」
 スティーブン・リーパーさん(Steven Leeper)のこと:
     1947年米国生まれ。
     翻訳家、平和運動家を経て2002年平和市長会議米国代表。2003年(公財)広島平和文化センター専門委員、2007年米国人として初めて同センター理事長に就任(~2013年)。
     全米における原爆展開催、核兵器廃絶を目指す「2020ビジョンキャンペーン」など広島から世界に向けて核兵器廃絶を訴えてきた。
     現在広島県に「平和文化村」を開設。「豊かさを問う交流の場」として持続可能な平和を実践するモデルを国際社会に示そうと活動中。広島女学院大学、長崎大学客員教授。
第二部 コンサート
【重唱】   アンサンブル・ローゼ(ピアノ:末廣和史)~イギリス地方のメロディ~
       ♪スコットランドの釣鐘草  スコットランド民謡
       ♪埴生の宿         H.ビショップ作曲
       ♪ロンドン橋        イギリス童謡
       ♪春の日の花と輝く     アイルランド民謡
       ソプラノ     
:池田孝子 斎藤みどり 高橋順子 渡辺裕子
       メゾ・ソプラノ  :芝田貞子 高﨑邦子
       アルト      :嶋田美佐子
【マリンバ独奏】水野与旨久(ピアノ:水野喜子)
       ♪チャルダス
       ♪ただ憧れを知るものぞ
       「ラテン名曲」より
       ♪マリア・エレナ  ♪エル・クンパンチェロ
【テノール独唱】狭間 壮(ピアノ:はざま ゆか)
       ♪無縁坂   ♪リリー・マルレーン
       ♪一本の鉛筆 ♪死んだ男の残したものは 他
【会場の皆様とご一緒に~シング・アウト】
       ♪「青い空は」小森香子 作詞/大西 進作曲
司会     長岡 幸子

          《連載終了》

五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志④    

2017-10-04 11:48:34 | 政治・文化・社会評論
五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志④    
                                        櫻井 智志
2017年05月03日
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅲ】 2014年・2015年 第15回、第16回
                                   

【第15回】
 コンサートには今年もほとんど満員の聴衆がいらっしゃた。継続してコンサートにご参加された年輩の皆様方に「持続する志」を感じて、胸が熱くなった。
 第1部は、日体大で憲法学を教える新進気鋭の清水雅彦教授が『国民の目・耳・口をふさぐ秘密保護法~その内容と狙い』と題して講演された。ご著作『憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか?』(高文研2013年)と、共著『秘密保護法は何をねらうか』(高文研2013年)を紹介し、緻密な資料を配付してくださった。 以下に清水氏の講演資料を要約して、講演内容を記す。

【はじめに】
 澤地久枝さんの『密約』(1978年映画化北村和夫・吉行和子主演)や山崎豊子さん原作の『運命の人』(2012年TBSテレビドラマ)は、国家が秘密として設定したことで、それを報道しようとしたジャーナリストにいかに熾烈な権力的弾圧が待ち構えているか、それは国民にとってどのような否定的影響を及ぼすかを虚構のかたちで形象化していた。1980年代の中曽根康弘政権下で進められていた国家法案秘密案に対して、当時大学生だった清水氏も反対運動にご参加された。

Ⅰ 国家秘密保護法制の展開と内容
1 国家秘密保護法制の展開
 戦前にこの法制は、刑法85条の間諜罪、1937年の軍機保護法、1941年の国防保安法によって、組織は大本営の報道統制、隣組の相互監視、特高の「非国民」とみなされた者たちへの仮借ない取締によって進められた。報道統制は、戦争に相次いで敗北し続けているのに、「勝った、勝った!!」と国をあげての報道のシステムに乗せられた国民コントロールである。現在に通ずる教訓である。
 戦後は防衛庁1963年の三矢作戦研究、1977年の有事法制研究開始あたりからきなくさくなっていく。1978年の日米ガイドラインの締結からは、アメリカ製武器購入や共同演習などの情報の保全責任を問われるようになる。1979年に日米共同作戦研究が開始される。この年にはスパイ防止法制定促進国民会議が結成されている。以後、国際勝共連合による出版・集会・地方議会におけるスパイ防止法推進決議運動などが展開されていく。
 1983年には、対米武器技術供与が決定され、武器輸出禁止三原則の形骸化が始まっていく。1985年には国家秘密法案が提起される。第Ⅰ次案(1980年)、第2次案(1982年)、第3次案(1984年)と相次いで提案される。「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」が自民党の議員立法として国会に提出されるが、1985年12月に廃案となる。
 1986年には防衛秘密法案(「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」)が1985年法案の修正案として自民党が決定するが、国会提出はできなかった。1987年には、防衛秘密法案(「防衛秘密を外国に通報する行為等の防止に関する法律案」)や日米安保事務レベル協議としてインターオペラビリティに関する研究(作戦・情報通信・後方支援・装備面での相互運用性確保のための研究)が進められていった。
 1990年以降は、日米共同軍事活動へと拡大していく。1991年の湾岸戦争、1997年の新ガイドライン、1999年の周辺事態法、2001年のアフガン戦争、2003年のイラク戦争がそれらである。2000年のアーミテージ報告は、機密情報を保護する法律の立法化を要請している。2001年には自衛隊法改正がおこなわれ、防衛機密規定が挿入される(96条の2、122条。2003年、2004年をまたいで有事法制の制定がなされる。2005年には、日米安全保障協議委員会(2+2)が共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置要請をおこなった。

2 国家秘密保護法制の種類と内容
 従来の秘密保護法制では、次のようになされていた。
公務員法では、国家公務員法の守秘義務が100条、109条(1年以下の懲役)、111条(そそのかし・幇助)で定められていた。地方公務員法は守秘義務を、34条、60条(1年以下の懲役)、62条(そそのかし・幇助)で定めていた。
 刑法では、外患誘致罪(81条・死刑)、外患援助罪(82条・死刑または無期もしくは2年以上の懲役)、外患誘致及び外患援助の未遂罪(87条)、同予備・陰謀罪(88条・1年以上10年以下の懲役)。
 軍事法として、自衛隊法の守秘義務(59条、118条・1年以下の懲役、教唆・幇助)。
1980年代の展開に伴い、「スパイ防止法案」なのか「国家秘密法案」なのか、「国家機密法案」なのかが問われた。1985年で「機密」が4万4043件、「極秘」が5万1947件、「秘密」が130万3587件。法案内容や実態から検討すると、「国家機密法案」ではなく、「国家秘密法案」が実態に即している。
 9.11事件のどさくさにまぎれて、2001年の自衛隊法改正で広範な防衛秘密の定義がなされ、あいまいで危険な改訂となった。
 2007年の秘密軍事情報の保護のために、日米政府の協定GSOMIA(Gソミア)が結ばれ、秘密保護法への動機となった。

Ⅱ 今回の秘密保護法(秘密保全法案)
 秘密保護法施行にむけての政府の企図は、1960年代から何度も何度も企まれてきた。

1 「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」報告書(2011年8月)  この有識者会議は、五人の委員(懸公一郎・櫻井敬子・長谷部恭男・藤原靜雄・安富潔ら諸氏)と事務局の内閣情報調査室のほかに、警察庁、公安調査庁、外務省、海上保安庁、防衛省、法務省も出席して2011年1月から6月まで全6回開催された。

2 秘密保護法の検討
 口実は、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の際のビデオ映像流出がきっかけだった。元海上保安官は起訴猶予となった。この秘密保護法は、「戦争をする国」へ、「警察国家」へ、「新夜警国家」へが究極のねらいである。警察と軍隊とを融合化させていくことが目当てである。9.11事件以降テロ対策として警備公安部門の活性化が進んでいく。従来からの日米支配層の要求として、秘密保護体制の強化が叫ばれていた。軍事と治安の融合化で、軍隊が警察化し、警察が軍隊化する目論見があった。「国家の安全」を守るために自衛隊と警察の地位向上が目指されていた。
 しかし、この秘密保護法には、あまりに問題点が多い。ざっと俯瞰しても次の7項目に及ぶ問題を清水氏は取り上げた。
①立法事実論  ②秘密の拡大  ③対象の拡大  ④罰則の強化  ⑤国民の権利の侵害  ⑥三権分立の肥大化する行政の権限  ⑦民主主義と国民主権への制約

Ⅲ 自民党のゴールと考える明文改憲(「日本国憲法改正草案」)の検討
1 平和主義の否定
 日本国憲法前文は、「~する平和主義」として構造的暴力を否定している。憲法第9条は、「~しない平和主義」として物理的暴力としての戦争を否定している。それらの積極的平和主義の放棄は、国連人権理事会における「平和への権利」宣言に対する日本政府の対応とも呼応している重要な問題である。

2 国家主義  まず憲法前文第1段の主語から異なる。日本国憲法では、「日本国国民は」から始まる。自民党の改憲案では、「日本国は」へと変わっている。ここに国民主権ではなく、国家主義の重要な問題点が浮き彫りとなる。自民党草案は、1条に天皇元首化を定めようとしている。
 自民党改憲案は、「国家の安全」を掲げ、国家安全保障会議、国家安全保障戦略、国家安全保障基本法などでも貫こうと考えている。

3 人権規定
 自民党は、人権保障原理の変更を企図している。「公共の福祉」概念をなげすて改悪し、「公共及び公の秩序」を掲げている。相互に人権と人権が対立した時にそれを調整する原理として、「公共の福祉」の視点がすでに明示されていたものを、自民党2005年要綱は、「国家の安全と社会秩序」を唱えている。

【結びにかえて】
①安倍政権が秘密保護法を強引に制定したのか?3年間国政選挙がなく、臨時国会で制定しないと制定が困難になるという読みがあった。
②なぜ制定を阻止できなかったのか,?マスメディアの報道の遅さや足並みの乱れによって、反対運動の不十分さがあった。
③今後どうすればよいのか?秘密保護法を廃止、施行反対、適用阻止、チェック体制を確立。秘密保護法や解釈改憲に対して、あきらめずに意思表示し続けること、安倍政権を倒閣する。
④運動論について・・・政治は国会内の力関係以外にも、国民の運動や世論が大きく左右する。法が制定されてからも、反対運動を続けることが大切である。
 第2部はアンサンブル・ローゼの重唱、狭間壮さんのテノール独唱(はざまゆかさんの鍵盤ハーモニカの演奏)とから成る。アンサンブル・ローゼの演奏を、末廣和史さんがピアノで応援された。その様子について、講演をなされた清水雅彦教授が自らのブログ『清水雅彦の憲法・鉄道・バイクetc.』で丁寧に紹介している。
「6月15日第15回平和のためのコンサート」全文
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/32795012.html
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私の講演の後は音楽コンサート。構成は、アンサンブル・ローゼのみなさんの重唱と、テノール歌手・狭間壮さんの歌とお話。さすが声がいいですね。この歌の中で、私は1974年の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」を初めて知りました。
http://www.youtube.com/watch?v=2iennv9YhlA
この「一本の鉛筆」をテーマに、狭間さんが寄稿を募り、それを1冊にまとめている『一本の鉛筆があれば』という本を狭間さんが出版されているのですが、昨日はコンサートの帰りに参加者に1冊ずつプレゼントをされていました。
狭間さんが昨日歌った歌の中で、私が一番気に入ったのが「一人の手」でした。
http://www.youtube.com/watch?v=ngiCspqMQk4
講演と音楽コンサートというこの組み合わせもいいですね。この平和へのコンサートは、アンサンブル・ローゼの芝田貞子さんが中心になって続けられているようですが、大変頭が下がります。
http://www1.ezbbs.net/cgi/reply?id=sa104927&dd=29&re=978
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/…/move3/m06072.html
狭間壮さんについては、昨日ピアノ演奏をしていたはざまゆかさんがブログを持っていらっしゃるので、こちらをご覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/kenhamoyuka/
昨日は会場に憲法研究者が2人も参加されており、ちょっと恥ずかしかったですが、「一本の鉛筆」や「一人の手」という歌と、芝田さんや狭間さんの存在も知ることができ、大変有意義なコンサートでした。皆様も、是非、来年以降ご参加下さい。
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 友愛に満ちた清水氏の文章は、率直にこのコンサートの心髄を把握していて、さすがだと思わされた。氏のブログを引用したのは、音楽について丹念にユーチューブから動画を検索してご紹介に務めていらっしゃることに、本文のままがふさわしいと思ったからだ。芝田貞子さんが芝田進午先生の想いを継承し、それは見事に開花して、今年のように持続している。芝田先生や芝田ゼミ、バイオハザード予研究センターにゆかりのある皆さんが開場から大道具の移動、終了後の片付けに至るまで無償で支援なさっていた。さらに芝田貞子さんの主宰するアンサンブル・ローゼのクラシック歌手の皆さんや芝田貞子さんのご友人、芝田家のご家族の皆々様など実に家庭的で友好的な支援も、今年の成功を例年のように支えている大きな原動力である。
 反核文化の理論的研究と実践的イベントとして、芝田夫妻によって創始され、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」と合わせて、数十年に及ぶこの試みは、まさに国民的行事として定着している。応援されている方々や実践されている皆様もしだいに年齢を重ねている。それを着実に応援・支援されている若い世代も定着している。関係の皆さんのご健勝を願い、来年もぜひ参加したいと思う、しみじみと。

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【第16回】2015年平和のためのコンサート
新井秀雄氏講演『バイオ時代の感染症』(元国立感染症主任研究員)
「バイオ時代の感染症」

*講師は、国立感染研(旧予研)の主任研究官だった新井秀雄さんである。クリスチャンとして自らの信念を貫き、感染研を内部から毅然と批判なされた。その経緯は、『科学者として』(幻冬舎)から出版されている。このコンサートは、新井秀雄さんの講演に絞って記述する。
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講演者のプロフィール
新井秀雄さん
1942年静岡県生まれ。北海道大学獣医学部卒。獣医学博士。
国立感染症研究所主任研究官として百日咳、溶血連鎖球菌などの研究に従事する。長年、所内からバイオハザードの危険性を指摘し 、予研=感染研裁判では、住民側証人として法廷で証言を行う。 ドキュメンタリービデオ『科学者として』(本田孝義監督、1999年)に出演。同作は東中野BOXなど映画館で公開された。 2000年、自らの心情を綴った『科学者として』(幻冬舎刊)を出版。同書などの記述について、所内で厳重注意処分を受ける。 2001年3月、処分撤回を求めた民事訴訟を提訴、2007年敗訴確定。2003年3月末日、定年退官。 バイオハザード予防市民センター幹事。共著に『教えて!バイオハザード』(2003年、緑風出版刊)がある。
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講演の内容

はじめに
 芝田進午先生が亡くなられて十四年になる。私は芝田先生に、人間にとって大事なものは何かを教えられた。核時代の現在は同時にバイオ時代でもある。
1 感染とは
バイオ時代の特徴である感染とは、なにかを学問的原論てきに考えると、三つの要素があげられる。
①感染を受ける側の状態として、体力や家庭の状態がある。
②病原体がもつ病原性。静止的なものではなくダイナミックなものである。
③とりまく感染の温度や乾湿
 放射能の影響で宿主の変化もあげられる。
2 細菌
 細菌とは、存在がわかったのは顕微鏡が開発されてはじめて明らかになったものである。実態として、病原体として把握されるようになった。メイメイフックにより、二百数十倍の倍率の顕微鏡が開発された。
 17世紀、1600年代に、血液は水たまりの水のようなものとして学会に報告された。細菌が目に見えるようにしたのが、19世紀のパストゥールである。彼はバイオ技術を開拓していった。
 ドイツ人コッホは液体培養を固体培養に発展させた。液体培養、固体培養、純粋培養、それぞれ特有の培養が進められていった。
 細菌は19世紀終わりまでにはほとんどの細菌が発見された。20世紀に入ってから見つかった菌もある。
3 ウイルス
 ウイルスは細菌とは異なり、顕微鏡で見えない。1mmの10分の1までなら人間の目で見える。1932年に開発された電子顕微鏡、1959年にようやく超遠心器が開発されて、一気にウイルスの世界があきらかになってきた。
 スペイン風邪は1918年に大流行した。ウイルスによっておきたスペイン風邪は、四千万人から五千万人が死亡した。ウイルスは六億人に感染した。名前は「風邪」がつくので、認識しにくいが、中世に大流行して恐怖感をもって恐れられた疾病のように、致命的な大流行の悲惨さをもっていた。
 時々新しいウイルスが発見される。狂牛病はウイルスより小さいタンパク質によってひきおこされる。ウイルスは物質としてとらえられる。
4 バイオ時代
 現代は遺伝子操作が生命に関わっている生命時代である。
1953年にはDNAの二重螺旋が発見された。1967、1968年には、遺伝子組み換えがなされた。1975年には、研究をすすめるための倫理規制が決められ 、研究者たちのモラルの根深い様々な問題が根源的なものとして問われている。
 封じ込め施設は宇宙記述の開発に及ぶ。ポリメタル塩酸構造(PCR)が198年に開発、1900年にアメリカ人の遺伝子の研究が始められ、2000年にはヒトのゲノムの解析、1970年以降の感染症の新たな問題の発生にWHOは1990年に新しい感染症を「新興感染症」として定義した。遺伝子組み換え技術が、バイオ時代を特徴付け、新たな社会的課題となっている。
 1980年代のエイズ、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)=「サーズ」やエボラ出血熱などが、遺伝子組み換え技術と関係しているのではないかと研究者の中からも一般からも懸念がもたれている。
 エイズ
 2012年にアフリカでは2500万人、東アジアでは88万人。ちなみにエボラ出血熱の感染者は2万5千人である。東アジアにおけるエイズは増える傾向にある。日本では正規のHIV(後天性免疫不全症候群)は1200人、エイズ感染者は484人。オセアニア州では少ない。
 サーズは、2002年に中国で始まった。2003年6月に8400人の患者と800人の死亡者が出た。ところがその後のサーズの患者はいないとのこと。中国のバイオ研究所ではサーズは数人。バイオテロ政策を入れ、バイオセキュリティの発展によると言われている。
 エボラ出血熱は病原性が強い。新興感染症として1976年にエボラ出血熱がスーダンで発見された。突発的な流行が10回出たが、2013年には西アフリカでエボラ出血熱が流行した。死者の対応についても、火葬する国もあればかつての戦前日本のように埋葬する国もある。「場の問題」が重要である。

5 P4施設と国際伝染病
 日本では武蔵村山市に国立感染症研究所分院として、対応予定の場所はあるが、きわめて伝染性の強度の伝染性疾患に対応するP4施設はない。
国際伝染病の扱いについては重要な論点がある。
研究目的であっても、強力な伝染性をもつウイルスの患者にきちんとした治療をおこなうには、その疾病の高度の医療的対応ができる国家と連絡をとりあい専門的な対応が大切である。検疫の段階で阻止することと国際的な共同研究の協力態勢をとることとがあわせて必要である。
 MERSは急性の疾病で450人の死者を出している。韓国ではMERSマーズはSARSサーズよりも病原体は弱い。体力のおちていて基礎疾患のある人には警戒がいるが、専門家の知見も参考にして対応することが必要である。
 ふたつきほど前には、50代以上では60~70才代で7,8人が80才以上では3人が死んでいる。高齢者に死者が集中しているが、特別に恐れる疾病ではない。
 テング熱も、あれほど去年の夏日本を震撼させたが、今年は死者も出ていないし、感染者は82人で昨年の56人である。検査を受ける人が多いことも、病気の重篤度は低い。さらにカからウイルスが出ていることが報告されていない。

6 バイオハザード 
 抗生物質の多用は、病原体を鍛える。抗生物質が効かないウイルスが増えている。遺伝子組み換え時代を念頭に感染症を考えることが大切である。インフルエンザのウイルスは、以下の例から考える課題をもつといえよう。西アフリカで生物兵器の巨大な実験場がつくられた。生物兵器の開発のために。現代の感染症は生活の様式に応じて、生物の様式に応じて、ひとつひとつ冷静な対応をしていくべきだろう。
 核時代のなかのバイオ時代は、世界の社会的実態と密接である。戦争によって化学兵器が開発され大量に使われることは、生物災害(バイオハザード)と関連している。社会的貧困は、疾病に陥った世界中の民衆の医療・保健衛生・福祉を劣化させる。
 戦争と貧困を減らすよう、なくすように取り組むことが、バイオ時代の感染症を根絶するひとつの、そして根本的な私たちの課題である。

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五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志③ 

2017-10-04 11:45:34 | 政治・文化・社会評論
五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志③    
                                        櫻井 智志

2017年05月02日
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅱ】 2013年 第14回
「犠牲のシステムから平和の秩序へ〜原発と基地問題を考える」 高橋哲哉
「平和のためのコンサート第一部講演」

1.平和のためのコンサートと時代
芝田進午・貞子ご夫妻は1980年に東京と広島でノーモア・ヒロシマ・コンサートを開始した。東京では1989年まで10年間、広島ではそれよりも長く持続された。
芝田氏は、広島大学に勤めるようになり、「反核文化」について考察し顕彰する。小説、詩、映画、音楽など多彩な分野に及ぶ。ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、これらの反核文化研究と併行した実践の帰結のひとつである。

 哲学者・社会学者である芝田進午氏は、帝国主義的国際秩序を「旧国際秩序」、核時代の国際秩序を「ジェノサイド的秩序」と呼んだ(『核時代Ⅰ思想と展望』)。これに対して民衆が作り上げるべき「新しい国際秩序」とは、あらゆる形態のジェノサイド(民族皆殺し)を廃絶してゆく秩序をさす。芝田氏は、そこで民族自決権のなかにある戦争発動権の制限を提起した。注目すべきは、日本国憲法の《一方的不戦宣言》《一方的軍備撤廃宣言》は、核時代における国家主権の在り方を示す先駆的なものであると位置づけている。

 芝田氏はさらに被害者側の苦悩を社会科学の対象として考察した。被爆者の「罪意識」についてアメリカの精神医学者R・J・リフトンの『死の中の生命―ヒロシマの生存者』(1967年朝日新聞社刊 原題Death in Life)と、被爆者問題で重要な研究を続けている石田忠氏の『原爆体験の思想化』『原爆被害者援護法』(ともに1987年未来社刊)の著作を紹介している。限界状況における行動の理論的解明に今まで未着手であることを課題視している。多彩で他寮域に及ぶ「芝田学」において、核時代における文化と思想の研究は、人間が人間らしくその尊厳を尊重されるための足がかりとなる広範で多彩な取り組みであった。芝田氏がご逝去されたのは、2001年3月14日のことであった。もしも先生が2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故をご生存中に体験なされていたら、現在反原発運動を推進している良心的な原子力物理学者や反原発運動家たちとともに立ち上がって共闘なされたことだろう。「核時代」と「反核文化」、「人類生存哲学の思想」は、さらに精緻をきわめ、実践のスケールを今以上に拡大する貴重な指針を、私たちに提起なされることはほぼ間違いあるまい。

 ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田進午氏逝去後は、夫人の芝田貞子氏を主催者として「平和のためのコンサート」として継承された。さらに、芝田進午氏が、「人生最大の闘争」として位置づけた予研(改称して現在は国立感染症研究所)との闘争が開始される。1986年から開始された予研=感染研との闘争は、芝田氏の哲学者・社会科学者としてのすべてのアカデミックな研究から芝田氏を遠ざけた。けれど氏は、闘争途中の2001年に胆管がんによってご逝去なされるまで、この大問題に取り組み続けて、この闘争の間で出版された書籍、雑誌、刊行物、パンフレット、チラシなど厖大な資料とともに取り組まれた。とくにバイオハザード予防市民センターとストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会は、毎年このコンサートの後援団体としてコンサートを支えて具体的な運営への支援も惜しまず献身的に応援なされている。

今年2013年で14回目に及ぶことは特筆されるべきである。著作『実践的唯物論への道 人類生存の哲学を求めて』(2001年青木書店刊)の中で、芝田氏はご夫人が声楽家でなければ、ノーモア・ヒロシマ・コンサートは10年以上も運営できなかったと述べている。

2.高橋哲哉氏の講演
 今回は、第一部で高橋哲哉東大大学院総合文化研究所教授が、『犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える』のテーマで講演をひきうけてくださった。原発事故をめぐる国民から世界上の民衆の平和的生存が、戦後これほど深刻な課題となったことはなかろう。また、沖縄県を最大の被害者としてアメリカ軍による基地問題の無理難題がひきおこす深刻な被害は、日本の平和と日本国民の安全と幸福を危うくしてきた。

講演
「犠牲のシステムから平和の秩序へ〜原発と基地問題を考える」
高橋哲哉「平和のためのコンサート第一部講演」(記録文責・櫻井智志)

 高橋哲哉氏は、「犠牲のシステム」について研究してきた。ずっと米軍の基地問題を研究し、沖縄の米軍基地を中心に取り組んできた。けれど福島第一原発四基のうちの三基が爆発した時に、現状で、日本における原発を「犠牲のシステム」を研究するようになった。 原発の事故自体が収束していないし、東京にもホットスポットがあり事故と無縁でない。原発事故以前は基地問題に「犠牲のシステム」を使っていた。福島第一原発の事故は、「犠牲のシステム」の典型である。

 平和憲法にもかかわらず、沖縄に平和という状況はあったのか。4月28日に政府は「主権回復」の式典を行ったが、沖縄は大反発した。1972年まで米軍の軍政下にあった。しかしそれ以降も、日本全国の0.6%の面積の沖縄県に、米軍基地の広さは、沖縄県がなんと75%もの米軍基地の面積を占めている。沖縄は、日米安保体制によって犠牲のシステムを被っている。福島原発事故も「犠牲のシステム」をこうむっている。誰かの犠牲の上に誰かが利益をもうけているシステム。
 ドイツは、日本でも原発事故が起こるのだから、と言って脱原発へ転換することを認めた。福島にはGビレッジという区域があった。原発事故前からである。
そこは、原子力発電所での作業を行う労働者が居住するため往復している。そこで、ガンや白血病患者もいたが、原発事故でその地域の存在が表に出てきた。原発にはウランを必要とする。ウラン鉱山の採掘を行うウラン鉱夫は被曝してきた。
日本でも岡山県にウラン峠があったが、被曝の問題でそこをとりやめ、カナダやオーストラリアから輸入するようになった。
 
 原発から出る放射性廃棄物には、使用済み核燃料がでる。いま大飯原発以外国内の原発はとまっているが、再処理でプルトニウムを取り出しウランと混ぜる。
使用済み核燃料への対応や最終処理場の問題がある。核には、①原発②核事故③被曝労働④放射性廃棄物による危険、の四つの問題がある。「犠牲のシステム」とは、ある人々の犠牲の上に成り立っている。ある人々とは、①核被曝の人々、福島原発事故の影響を受けた人々②健康の犠牲③土地、家、財産における犠牲を受けた人々④いのちの犠牲⑤人としての尊厳、生きる希望などを犠牲を受けた人々である。「犠牲のシステム」は、正常化できない。それは、平和的生存権を奪い、生命・自由・幸福追求の権利の犠牲を受けている。このことは、沖縄での憲法否定、憲法の犠牲により人として正常化が困難をきわめるのと似ている。

 4月17日から被災地の新規定値が決まり、立ち入り禁止区域のひとつに高橋哲哉氏が小学校生活を過ごした故郷富岡町が含められた。被災地の再編が行われた。帰還困難区域は、1年間に50ミリミリシーベルト以上。居住制限区域は20〜50ミリシーベルト。避難指示解除準備区域が20ミリシーベルト以下である。福島原発事故前の国民が1年間に被曝が許容されるのは、1ミリシーベルト。
この数値はICRPでも認められている数値(1ミリシーベルト)である。

 ところが福島原発事故後に日本政府が、子どもを許容値としたのは、20ミリシーベルトまでは住めますという国の基準を発表した。原発作業員の限度は1年間に50ミリシーベルト、5年間に100ミリシーベルト。福島県民は、原発作業員なみの放射能にさらされている。チェルノブイリ原発事故後7年間は1ミリシーベルトだった。ソ連が解体しウクライナやロシア、ベラルーシでのチェルノブイリ法は、避難の権利を提唱した。放射能にさらされたなら、国民は避難する権利をもつので、権利を行使することができ、公的サポートを受けられるということが、決められている。年間5ミリシーベルトの数値なら、強制避難となる。
福島では20ミリシーベルトまではそこに居住できる。なんという違いだろうか。
福島県郡山市の小中学生と保護者が、市に対して「集団疎開」を求めていた抗告審で仙台高裁は、仮処分申請は却下したものの、低線量被ばくの危険に日々さらされ将来的には健康被害が生じる恐れがあるとはっきり認めた。この裁判の一審は、年間100ミリシーベルトをも子どもたちに許容されるというものだっただけに高裁の危険判断ははるかにましといえる。国や県など行政の判断がきわめて重要である。福島県の健康調査では、17万人に12人の甲状腺がんの発生がわかった。通常は100万人に2人。民主党政権時に、細野豪志大臣は、年間20ミリシーベルトを5ミリシーベルトに下げるべきだと主張した。政府はそれを却 下した。

 沖縄県では長い米軍基地の歴史がある。宜野湾市にある米軍基地を鳩山首相は、国外に移す、最低でも県外に移すことを県民に約束した。しかし、妨害する勢力のために、孤立無援となり辞職した。沖縄県民は、米軍基地を沖縄におしつけ続けたヤマトンチュー(本土)日本人に怒りをもたざるを得ない。 オスプレイ機は、墜落事故が多くアメリカでも問題になっている。そのオスプレイ機を沖縄に12機配備した。安倍首相は、辺野古にすみやかにすすめるとオバマ大統領に約束した。沖縄県民の心を完全に無視した。
 日米安保条約を平和友好条約に転換するべきである。米軍基地を撤退して本土のヤマトンチューへの批判に応えることが必要である。
 憲法違反の状況が福島にも沖縄にも見られ、憲法の外へおかれている。グローバル化の波は、規制を撤廃し、新自由主義や市場原理をすすめている。貧困下で若い世代が、正規雇用につけないでいる。日本の為政者は、人権保障の基準に従って、それらの問題を改正すべきである。憲法の原則を解体して九条を撤廃させようとしている。4月28日の「主権回復」式典もこれらの流れの中にあり、安¥倍政権は九条改憲国防軍設置を最大のねらいとしている。世論調査では、「9条を変えるべきではない」が多い。しかし質問があいまいだと「憲法を変えるべきだ」が多い。今の政府は、96条改憲をめざし、改憲を発議するための衆参両議院の3分の2以上の国会議員の賛成を過半数の賛成に変えようとしている。よく日本は憲法改定の発議のハードルが高すぎるという改憲派の声があるが、諸外国でもハードルは3分の2以上が多く、一般法の過半数の賛成という国はない。憲法は国家権力者をしばるためのものであり、この立憲主義を大切にしている。日本国憲法の権利を侵害し、憲法改悪の動きをぜひとめたい。

3,第14回コンサートの全体像
以下に第14回平和のためのコンサートのホームページやパンフレットで伝えられている詳細を簡潔に記す。
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第14回平和のためのコンサート
http://www.biohazards.jp/index-c.htm
2013年6月15日(土)午後2時 開演(1:30開場)
会場:牛込箪笥区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩10分
料金:2,200円(全席自由) 
   第一部〜講演〜
高橋哲哉
「犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える」
   第二部〜コンサート〜 
重唱 アンサンブルローゼ         ピアノ=野本哲雄
   村の娘(ラツァロ作曲)
   モルダウの流れ(スメタナ作曲)、
   懐かしのヴァージニア(ブランド作曲)
   オーラ・リー(プールトン作曲) その他
        ソプラノ    : 岩淵裕子  高崎邦子  高橋順子
        メゾ・ソプラノ : 水谷敦子  山田恵子
        アルト     : 芝田貞子  嶋田美佐子
アルプス音楽団 楽しいアルプスの世界にようこそ
      狩人のポルカ、クフシュタインの歌   双頭の鷲の旗の下に
      アルプホルン3重奏  雪のワルツ(クーグロッケン演奏)その他
      竹田年志:トロンボーン 栗田真帆:メゾ・ソプラノ
      藤井裕子:トランペット 浦松優子:アコーディオン  
      本間雅智:チューバ
みなさまとご一緒に 「青い空は」  小森香子詞 大西進曲 
司会:長岡幸子 
【主 催】平和のためのコンサート実行委員会
【後 援】アンサンブル・ローゼ  ノーモア・ヒロシマコンサート
     ストップ・ザ・バイオハザード 国立感染研究所の安全性を考える会
     バイオハザード予防市民センター
【平和のためのコンサート実行委員会連絡先】
〒162-0052 東京都新宿区戸山1−18−6 芝田貞子 
TEL&FAX:03−3209−9666 E-mail : snc66543@nifty.com
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五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志② 

2017-10-04 11:39:51 | 政治・文化・社会評論
五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志②    
                                        櫻井 智志

2017年05月02日
【平和のためのコンサート、歴史的焦点】
第18回 平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~(2)
  この項目は、かなり厖大なスペイスを割くことがあきらかとなった。
第一回から第十七回までの全ての小生の書きためはない。それでもほぼ第八回から十七回についてなんらかの記述がある。したがって、この項目の名称を【平和のためのコンサート、歴史的焦点】とし、執筆毎にローマ数字のⅠ、Ⅱ・・を付すことにさせていただいた。
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【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅰ】 第8~12回
「平和のためのコンサート」と芝田進午夫妻(2008〜2011)
2011/6/19
 2011年の6月11日に、12回目の「平和のためのコンサート」が行われた。早いもので、このコンサートが開始されてからもう十二年の歳月が流れた。手元に、インターネットに投稿した中で集められた範囲内だが、第八回から今回までのコンサートについての随想がある。2008年、第八回のコンサートからの書き溜めた文章を提示する。そのことを通して、このコンサートの意義を探りたい。さらに、主宰者の故芝田進午氏と、芝田氏亡き後に運営を受け継いだ声楽家でもあるご夫人の芝田貞子さんとの、持続するご努力とをたどってみたい。

一  今も生きる芝田進午氏の平和希求の思想
 「週刊金曜日」誌の市民運動案内板に五行の短い案内があった。
会場は、東京都・牛込箪笥区民ホール。「平和のためのコンサート 芝田進午七回忌によせて」。このコンサートは毎年行われて今年が第八回となる。関係者の間では、チケットの普及の様子を危ぶ時期もあったようであるが、会場はぎっしりと埋まっていた。昨年よりもはるかに多かった。コンサートは、東京で一九九五年まで十年間続いたノーモア・ヒロシマ・コンサートを継承する第一部と多彩な音楽家が演奏した第二部から編成されていた。
 わけてもチェルノブイリ原発事故で一九八六年に被曝したウクライナ生まれのパンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんが第二部に特別出演された。このことは、アメリカの原発もロシア・旧ソ連の原発も共に、「人類絶滅装置」としての核兵器の巨大な問題の存在を思想史的に位置づけた芝田進午氏が、「人類生存のための哲学」の構築を晩年に訴え続けた趣旨にとてもふさわしい出演であった。音楽的にも素晴しかった。
 ヒロシマに落とされた原爆が、世界的規模の核時代の始まりであり、そのような時代において人間はいかに生きいかに立ち向かうか。そのことを洞察して、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを始めたのが、平和哲学者芝田進午さんとご夫人で声楽家の芝田貞子さんだった。
 私にとり、今回話された二人の講演にとても得るものが多かった。音楽家の木下そんきさんは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主宰した芝田さんが、論理の帰結に誠実であった生きる姿勢を讃えた。戦前に、大学の講壇哲学に所属して、社会的実践に踏み出すか否かを迷っていた古在由重氏は、親友の吉野源三郎氏と真剣に討論した結果、自らが正しいと論理的に判断した結果には、いかなる困難があっても、その労苦に耐えて一歩踏み出すべきだ、という助言を取り入れた。戦前の激動を生き抜いた両氏とまったく同じ生きる姿勢を、芝田進午氏は戦後に生きて活躍された実践的知識人として貫かれた。
 弁護士の島田修一さんは、「憲法第九条を守る意味」について述べられた。 戦後に制定された日本国憲法は、三つの国家像として平和国家、福祉国家、人権国家の論理を内包している。それに対して改憲勢力の中枢の自民党憲法改定案の示す国家像は、戦争国家、福祉切り捨て国家、人権抑圧・制御国家である。
 この対比は、十五年戦争に至る時代と戦後の憲法制定前後の時代との対比に照応している。当時、人間の尊厳をかけて多くの若者たちが立ち上がっていた。
 現代の日本は、心がぼろぼろにされ、個々人がバラバラにされているけれども、全国に広がる九条の会などのように、人間の尊厳をかけた若者や人々達がいることも私たちの実態であることを強調された。コンサートを鑑賞して私は島田さんが引用した言葉、「戦争は人の心の中につくられるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならない」が深く心に響いていた。ユネスコの宣言にも採用されたこの言葉は、あの平和哲学者カントの言葉でもある。
 芝田進午氏は、晩年に実践的唯物論哲学の原則は堅持しつつも、人類存続のための平和の哲学構想を抱いていた。先生のご逝去からわずか数年にして、これだけ急速な短期間に日本が軍拡国家となりはてようとは。死者に魂があるかどうかは無神論者の私には自信がないけれども、死者の平和への深い祈りを、決して無にしてはならない。さもなくば、日本国家ならびに日本民族は永久の地獄へと沈んでゆくことであろう。死者の遺志を現在に生かすには、どのような方途が残されているか。
 まだまだ私たちは死者の声に耳を傾けなければなるまい。そうしていつか、本当に死者の霊を弔うことができるとしたら、それは日本が世界に誇るべき戦力放棄の平和国家となった独立の日においてはない。

二 2008年、今年も「平和のためのコンサート」がやってくる
 ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主催し、核時代における人類生存の哲学を探究した芝田進午さん。芝田さんが胆管ガンで志なかばでご逝去されてからも、この平和のためのコンサートは、夫人の芝田貞子さんを中心とするコンサート実行委員会によってずっと絶えることなく続いてきた。
 今年も六月十四日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。第一部と第二部に分かれ、一部はコンサート、二部は作家の梁石日(ヤン・ソギル)さんの講演。
 第一部では、声楽家でもある芝田貞子さんもメンバーのアンサンブル・ローゼによる童謡やサウンドオブミュージックの重唱。信田恭子さんのヴァイオリン独奏。島筒英夫さんによるピアノと語りの二重奏。島筒さんご自身の作曲で、「ちいちゃんのかげおくり」「かさじぞう」。最後は会場全員によるシングアウトで「翼をください」。
 第二部では、週刊金曜日でも小説を連載中の梁石日さんが、「在日コリアンの現在」を講演なさる。梁さんは、1936年に大阪府で生まれた。『血と骨』で第11回山本周五郎賞を受賞、百万部突破のベストセラーとなった。他に『夜を賭けて』『Z』『断層海流』『族譜の果て』『子宮の中の子守歌』『闇の子供たち』など。近著に『カオス』がある。
 一時半会場、二時開演。会場の牛込箪笥(たんす)区民ホールは、都営地下鉄大江戸線で牛込神楽坂駅A1出口徒歩0分。東京メトロ東西線なら神楽坂駅2番出口徒歩10分。全席自由で2200円。主催は、「平和のためのコンサート実行委員会」。後援は、アンサンブルローゼ、ノーモアヒロシマコンサート、ストップザバイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、新井秀雄さんを支える会、バイオハザード予防市民センターの諸団体が広く支えている。

三 芝田進午氏の遺志を継ぐコンサート(2009年)
 6月20日に平和のためのコンサートが開催される。会場は新宿区の牛込箪笥区民ホールである。詳細はさざ波通信伝言欄に投稿して掲載していただいたので、重複は避けたい。
 アメリカのオバマ大統領が核兵器廃絶の声明を出した。それよりもはやく数十年前に、法政大学、広島大学などを歴任した社会学、哲学教授の芝田進午さんは、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」を東京と広島で別個に十年間以上も開催してきた。このコンサートに取り組んだ芝田さんご夫妻は、国立予防衛生研究所(現在は国立感染症研究所と改名)が新宿区戸山に強行移転して、住民の住宅や大学などが密集する住宅街で実験を強行し続けてからは、ずっと実験差し止め裁判闘争に地元住民の原告代表として闘い続けた。
 道半ばにして、第一審の判決がおりる頃に、わずか二か月前に、胆管がんによって芝田さんは、周囲の悲嘆の中で御逝去された。まだ七十才を超えたばかりの悲報であった。
 芝田さんの志を次ぐひとびとは、「平和のためのコンサート」を開催し続けた。今年はちょうど祈念すべき第10回となった。
 核兵器廃絶も、人類にとって緊急の課題である。同時に生物兵器実験など生化学の分野における実験によって、今まで自然界になかった生物が安全性を無視して世界各国で繰り広げられたなら、自然の生物連鎖や自然界の調和はとんでもない事態に至る。芝田さんが生物化学災害としてバイオハザードの危機的事態を懸念して、最後は最高裁にまで及ぶの国家権力を問う裁判闘争に、今までのすべての研究課題を棚上げして取り組み続けた事実
 このことは、東京地裁判決前に芝田さんがなくなり、その後の最高裁において敗訴し、その数年後の現代、思わぬ被害となって現実のものとなった。
 メキシコから始まった豚ウイルスによるインフルエンザの世界的流行は、自然界からおきたインフルエンザではなく、さまざまな憶測を呼んでいる。ひとつだけ確実なことは、核兵器によるジェノサイドにとどまらず、バイオハザードによる重大な被害が現実のものとして国境を越えて、世界中の民衆にとって重要な克服課題となったことである。
 「平和」がいまこそ改めて問われている。今回の記念的コンサートでは、原爆資料館を統括する広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんが、日本語で記念講演をしてくださる。
 私は、芝田進午さんが御逝去されてからも、この平和のためのコンサートを聴きづけてきた。それは、このコンサートが、聴く者に大きな感動をもたらしてくれるからである。さらに、芝田さんが訴え続けた「人類生存のための哲学と文化」について改めて自らの問いとして考えさせられる、祈りに似た沈黙の言葉にふれるからでもある。

 四 よみがえる芝田進午さんの反核平和文化の闘い (2010年)
 哲学者であり、社会学者でもありつつ、思想家としても大きな足跡を残された芝田進午さん。氏が逝去されたことはその独自の創造的な学問が閉ざされることで、大きな痛手であり、なおかつ損失でもあった。
 しかし、芝田進午氏がご逝去された後も、氏の社会的実践は明確に跡を継承するかたがたがいる。
 ひとつは、住宅密集地の新宿区戸山に移転を強行した国立感染症研究所の実験差し止め裁判を、芝田さん亡き後も最高裁まで上告し闘い続けた裁判の会の皆さんたちである。
 そしてもうひとつ。「平和のためのコンサート」である。今年も芝田進午氏夫人である芝田貞子さんが芝田先生の遺志を継承して、今年も第11回平和のためのコンサートを、6月12日(土)に新宿区牛込箪笥区民ホールで開催される。詳細は「平和のためのコンサート」ホームページにくわしい。
 私はほぼ毎回このコンサートを広く世間の皆さんに知らせたいと思い、記してきた。
 だが、それはコンサートの告知作業を目的としているわけではない。実践的唯物論哲学を構築され、さらに人類生存のための哲学をめざす途上でご逝去された芝田哲学を、亡くなった後も、その実践面で継承し続けるかたがたがいる、という事実。  私自らは、バイオハードを予防し阻止するための社会運動に加わってはいない。平和のためのコンサートにも、いわば傍観者のひとりである。
 だが、学生時代に著作に感動して、別の用事でご自宅を訪問して、じかにお会いしてから、芝田進午さんのおひとがらに、氏の著作『人間性と人格の理論』が目指した理論と同様に、解放された人格をひしひしと感じた。 芝田氏自らが「唯物論を体現したとしたら戸坂潤という人格となる」と紹介されたように、「人間性と人格の疎外から解放された人格」を体現した人間像として、芝田さんご自身が該当されよう。同様の趣旨のことを、氏を直接知る多くの良心的知識人や実践家がおっしゃるのを聞いた。
 今回も「平和のためのコンサート」がやってくる。それは、芝田さんの平和的文化運動を継承し続けている存在が健在であることの証である。私は、できるかぎりこれからも、このコンサートの意義を伝えようと考えている。
 毎回コンサートの前の第一部は講演がなされてきた。今年は、お二人の朗読とともに詩人橋爪文さんの講演『広島からの出発』である。

五 福島原発事故の情勢下での2011年「平和のためのコンサート」開催
 哲学者にして社会運動家でもあった芝田進午さんは、1980年代という今からさかのぼること30年前後に、著作『核時代Ⅰ思想と展望』『核時代Ⅱ文化と芸術』(青木書店)で重要な問題を提起されている。「核という火の暴力」によって殺され冒?された人々としての被爆者、「核によってつくられた日の暴力」によって殺され冒?された人々としての被曝者を区別した。さらに「死の灰」を体内に吸収され、遺伝的影響は予測できない、全世界の潜在的被曝者は全人類と及ぶとして、「ヒバクシャ」ローマ字の「HIBAKUSHA」としての人間存在を提起していた。そうして、学問と芸術、思想と社会運動の全面にわたって総合的な具体的展望を示された。
 それから30年。2011年3月11日に、日本では、被爆者の悲劇から被曝者の発生と「ヒバクシャ」の顕在化と事態は容赦ならない事態が発生した。今日驚くことは、もし東日本大震災なみの地震が、現在国立感染研究所が立地している新宿区戸山の土地に影響を与える地震規模だった場合に、福島原発事故に匹敵するほどの実験用微生物細菌類は、実験施設の枠組みから飛び出し漏れ出して、周囲の住宅街や施設、学園等をはじめ恐るべきバイオハザード(微生物被害)によるバイオサイド(生化学細菌等による人類自然への壊滅的破壊被害)をひきおこしたであろう。
 芝田進午さんは、住宅密集地における危険な微生物細菌の実験施設の強行移転阻止の裁判闘争の原告団代表として闘いの先頭であり中心になり闘い続けた。 その先駆的予見は実に見事な展望と闘争であった。
 道なかばにして、芝田さんは胆管がんによって惜しまれる中をご逝去された。
 しかし、ノーモア・ヒバクシャとノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田さんの死後も、音楽家・声楽家である夫人の芝田貞子さんを中心に、「平和のためのコンサート」として欠かすことなく毎年開催され続けてきた。
 毎回芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼは芝田貞子さんを支援し、後援団体の一翼を担い続けるとともに、毎回素敵な声楽を披露し続けてこられた。
 ノーモア・ヒロシマ・コンサート、ストップ・ザ・バイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、バイオハザード予防市民センターは、核と環境破壊、危険な生化学実験と闘い続けた芝田さんの遺志を尊重し応援し続けてこられた。
 毎年続くとマンネリ気味になるのが、継続する催し物であるけれど、このコンサートは全く異なる。日本国内で自国民による原発事故を発生させるとともに、日本国民の多くがヒバクシャとして危機にさらされている中での平和のためのコンサートである。さらに芝田進午さんが道半ばにして斃れたけれど、そのご遺志を継承するたいせつな集いともなっている。
 今年も六月十一日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。
◆  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆
 6月11日の第12回「平和のためのコンサート」は、客席が足らず、椅子を用意して立ち見客に提供するほどの満員の盛況だった。私は毎年見てきたが、このような立ち見席のお客のために途中で椅子を用意したことはなかったと記憶している。
 若い年代の聴衆もかなりいて、大学生や若手勤労者にも支持層が広がっているように想えた。年代は各層にわたり、会場には、芝田進午先生の最後の闘争「感染研実験差し止め裁判闘争」を闘われた学者や知識人、支援のかたがたや「芝田ゼミ」(法政大、広島大、社会科学研究セミナー)で学ばれた多くの方々のお姿も拝見した。
 例年は、一部と二部とあって、講演が入っていたが、今年は講演はなかった。神田甲洋さんの講談は、講談の域を超えて、鋭く「広島、長崎、そしてピース」というタイトルのもとに聞き応えのある平和についての内容のある講談をなされた。もともとの講談師でなく、早稲田大学の政経学部から弁護士となり、社会人として仕事のかたわら、講談にトライして、神田山洋さんの弟子になった。
 さらに、コンサート主宰者の芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼの活躍が目立った。またほかの音楽家の演奏のレベルが高かった。中国音楽の演奏家も味わいある演奏陣だった。メゾソプラノ歌手江川きぬさんの指揮するグループの合唱も心地よかった。
 充実した音楽鑑賞を聴いてから、ご長男の芝田潤さんに芝田貞子さんへの伝言をお願いして会場をあとにした。

 むすびにかえて
 東日本大震災を経て、日本政府菅直人民主党連立政権がいかに危機的事態に無力であるかを露呈した。芝田ご夫妻の取り組みは、大地震と国立感染症研究所との大規模な危険性を改めて照らし出した。さらに、福島原発は、福島県内どころか東京都周辺からの汚泥からの高い放射能物質の数値の結果や東京都から以南の遠く静岡県の農作物に及ぶまで、まさに日本全国的規模の「ヒバクシャ」としての日本国民・居住民族・外国人への被害を浮き彫りにした。核兵器廃絶をよびかけ、生物細菌実験施設の住宅街における高度の危険性をよびかけた芝田進午氏の先見の明と、芝田氏を支え続けて今も継承している貞子夫人の意義深い継承の実践は、今日誠に輝かしい意義ある光を放ってやまない。 (続く2017/05/02)