幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「大砲と花」ジョルジュ・シフラ著 ”戦争に翻弄されたハンガリーのピアニスト”

2022-04-26 02:00:00 | 本の紹介
・宣戦布告がなされるとすぐに、フランス政府は、敵国出身の外国人居住者を国外へ追放すると発表し、彼らの財産を取り上げた。ハンガリー市民であった父も、例に洩れずすぐさま刑務所に放り込まれ、その後、同じく(敵国側の)国籍をもった数百人の人々とともに特別収容所に抑留された。母は、<特別護送車両によってフランス領を遅滞なく離れるべき旨>が通知された。一人あたり五キログラムの荷物の携行が許されたので、母と姉たちの三人は、その15キログラムの荷物のうちに、父が以前キャバレーの演奏家として貯めていたわずかばかりの金銭と真っ先に詰め込んだ。

・姉のヨランドは皿洗いの仕事に熱心に取り組んで、気前よくあたえたもらった残り物を家に持ち帰っては、母の造るシェパーズパイの材料としていた-そうでもしないと、姉のわずかな初任給ではパンを買うくらいしかできなかったのだ。それでも、私たちには長いトンネルの出口が見え始めていた。食料不足に苛まれる日々に、ようやく終わりが訪れたのだ。

・ある晩、姉は仕事から帰るなり、これからピアノを貸借しようと思っているの、と宣言して、両親をひどく驚かせた。

・多様なピアノ音楽の虜になった私は、なかなか丸椅子から降りようとしなかった。そのうちに姉の腕前にも追いついて、二人は同じ練習をするようになった。

・このとき私はまだ五歳であったが、教えられたことをすぐに吸収することができたので、父(音楽家)はさらに複雑でなじみのない和声を教えてくれるようになった。

・姉のあの情熱は、もうすっかり消え失せてしまっていた。ピアノに触れないことさえあった。
・・・。一方で、私は今や一日に5,6時間もピアノを練習するようになっていた。

・やはり私にとっては、ピアノこそが唯一の自信であり、唯一の下僕なのであった。この悪魔的な楽器は、いつも磁力のように私を引きつけて、鏡のように忠実に心の深層を映し出してくれた。

・「本当にわからない、いったい何なのか・・・。珍しい宝石が私の心を引きとめているのか? いやそうじゃない・・・。坊や、君はこんなところで何をしているのだ。君は、珍しい宝石などではない。宝石の中の宝石(コ・イ・ヌール)ではないか!」
(音楽院の校長の前でピアノ演奏をして、入学を認められる)

・私は18歳になっていた。その後、一年も経たないうちに、ズライカと出会った。私たちは一日で恋に落ち、数日後には結婚した。ほどなくして、私は徴兵にかかり、妻を残して出て行くことになる。

・数か月後、私はポーランド某地の戦線に立っていた。

・私はたしかにもう一度ピアノを弾きたいと切望してたが、それでも最初の反応は、これを拒否することだった。中将はしつこく言った。(二年も鍵盤に触れていなかった)
「しっかりと、慎重に、考えてみたほうがいいぞ。これができるのはお前しかいない。おまけに、そうなれば明日の午後まで軍務が免除されるのだ。六時間も雪の中で見張りをしていたいのか、どうなのだ?」
「・・・承知しました」、中尉の論理にはそれほど納得していなかったが、私は抵抗することに疲れて受け入れることにした、
「素晴らしい。ではドイツ軍に伝えておこう。あとでお前をピアノのところまで連れて行ってくれるはずだ。きっと今晩の九時まえには結構な騒ぎになっているぞ。九時きっかりには会場に入っておくようにな」
中尉は戸口へ歩いていき、戸に手をかけたところでくるりと振り返った。
「今は戦車のことを忘れて、しっかり身嗜みを整えておけよ、必ずコンサートを成功させるのだぞ!」
「よし、君に24時間あたえよう、その間に熟考してみてくれ。・・・」
第一に、ドイツに渡ったあとにはどのような展開になるか。・・・妻は生まれこそローマだが、エジプト系であった。くすんだ色をしているに違いない息子の肌や、この動脈を色濃く流れるジプシーの血も、どんなにあがいたところで典型的なアーリア人と見做されることはない。つまり私たちにはドイツ人に交じって心穏やかに暮らすkと等許されない。明白なことだった。
第二に、数日以内に決定的な攻撃を仕掛けると少将が述べていたことも気になる。・・・戦うことそれ自体よりも、まったく成就する見込みのない運動のために死ぬのだということが気を重くさせた。(実際この舞台はソヴィエト軍によって壊滅された)
結論は導かれた。もう一度美しい祖国を見たければ、どちらの銃弾の射程に留まることも賢明ではない。(列車で逃亡⇒ソヴィエト軍に捕まる)

・「脱走兵か?」・・・。
私は頷いた。数日が経ち、私たちは一日中、地中深くの廃坑でかたまって暮らしていた。

・今や脱出を防げるものはなく、夜が開けて捜索が始まるまでに少なくとも四時間の猶予があった。好都合なことに、別動隊はもうたった一頭の追跡犬さえもっていなかった-そんなものとうの昔に胃袋へ入れてしまったのだ。

・今になって振り返ると、この期間こそが私の人生のおける絶望の深潭であったといえる。

・「俺はチェコ人なんだ。家族の半分はドイツ軍になぶり殺しにされ、もう半分は赤軍にやられちまった・・・。」

・「放免される囚人は今後」、ドイツ語の通訳者は続けた。「それぞれの祖国の、新たに組織された民主的軍隊に配属され、偉大なる赤軍の指導と慈悲深い保護のもとで、ドイツ軍と戦う!・・・」

・当の将校は、私を心変わりさせるために最善を尽くす覚悟であったので、質問が私の胸を打ったことに気づいて喜んでいた。
「もう一度、(ピアノの演奏に)挑戦してみてはいかがだろうか? 長い期間こそ経ってしまったが」
考えもしないことであった。ただ、私の魂を生き返らせたこのかんがえには、何か漠然とした不安も感じた。

・大失敗の記憶は、疼く傷のように心を苦しめ、その先何年も日ごと夜ごとに私を追い回した。実際、この苦い経験を忘れるためには、二十年にも及んで充実した演奏家生活を積み重ねていくことが必要だった。それ以外のどんな軟膏もこの苦痛を癒すことはできず、また、こころのなかの深い傷を消すこともできなかった。

・1946年の9月、・・・「祖国に対する貴殿の任務はここに終わりを迎える」・・・
そして退去を許された。

・頬を伝う温かな雫が私の目を覚ました。妻が横で膝をついている-。妻は、庭で寝ている私をみつけ、静かにうれし涙を流していたのだ。あまりに長い間、このときが訪れるのを待ち続け、祈り続け、そして願い続けてきたので、私を果てしない悪夢のなかから優しく起こすまえに、その感情の赴くままに喜びを嚙みしめていたのだった。

・(仕事を求めて)
「・・・どんな曲でも即興で演奏できるかい?」
私は頷いた。
「・・・暗闇でも?」、彼は声を低くして続けた。
「暗闇? いったどんな暗闇でしょう?」。私はひどく驚いて聞き返した。
「それが、真っ暗闇、なのだよ」、彼は怪しく囁いた。

・そんな東西分割線を目指したのである。(東側から西側への逃亡)
翌朝目を覚ますと、屈強な男たちが待ち構えていた。(見つかり捕まった)

・監獄で一年を過ごしたのち、妻はまたあくせくと働きに出た。・・・
死の深淵を彷徨った息子は、二年間の治療を経て、家族のもとへ戻された。
・・・1953年が終わろうとしていた。私たちは約三年もの間、互いの顔を見ていなかった。そしてそれ以上の期間、私はピアノに触れることすらできなかったのだ。

・結局、収容所を出てからふたたびブタペスト市街で職探しができるようになるまでには、四か月に及ぶ物理療養が必要だった。

・囚人の身分から解放されて初めてのコンサートは、惨めなほどに冴えないものだった。・・・
幸い、・・・アンコールとして弾いた編曲と即興演奏が、見事にすべての埋め合わせをして、しらけきった聴衆の眠気を覚ましてくれた。

・亡命から十日ほどが経ち、私はオーストリアの首都で最初のリサイタルを開いた。聴衆と評論家は一様に、私の演奏を称える喝采を送ってくれた。

・略奪され、冒涜され、売り渡されたカトリックの聖域を、こうしてフランツ・リスト音楽堂に生まれ変わらせるのは、単にリストへの敬意だけではない。それは、少年時代にたてた一つの誓いを果たすことでもあるのだ。10歳の頃、私はある<遺言>を受け継ぐ使者ととなった。・・・
その秘密の言葉は、ルタンツ・リスト音楽院の老師から私たち生徒へと継承された。
ロマン派ピアノ音楽の真の伝承者であった老師は、彼の心に刻まれたリストの自身の言葉を敬意と謙遜をもって引用した。
「・・・だが、ショパンに関してだけは、安易な評価が下されてほしくない。・・・。すぐれた演奏者は、独りよがりに陥ることなく自身の心の鼓動を感じ取り、時も空間も超えて、それを深くあらわにしていくものなのだ」

・私の人生の断片には、あう執拗なまでの一貫性があった。切迫する<精神の死>、そして、その破滅の瞬間に拓かれる<音楽家としての復活劇>の新局面。
暗闇から陽のあたる場所へ向かうとき―――。あるいは、薄汚い監房から不死鳥のように問い立つとき―――。私はそうしたときにだけ、生きている、自由である、と、心から感じることができた。
今度こそ、人生の出発点に達したと信じて。

感想
ジョルジュ・シフラ<(超絶技巧で名高く、「リストの再来」と呼ばれた)はハンガリー生まれのピアニストですが、貧困、戦争に翻弄されました。

何度も脱走し捕まり、また西側へ逃亡しようとして捕まり、収容生活後に亡命して何とかピアノので生計を立てることができました。

生き残れたのが奇跡のような体験をしながら、ピアノが人生の岐路に大きく作用もしました。

戦争で多くの人が殺され、生き残った人も翻弄されます。
戦争は戦争を決めた人の多くは生き残り、その命令に従い従軍した兵士とその家族、一般市民に大きな犠牲を強いました。
まさに今ウクライナでそれが起きています。

リスト 「ラ・カンパネラ」

リスト - 超絶技巧練習曲集

ハンガリー狂詩曲の演奏