・今年の準備が大混乱に陥った最大の原因は、吉良上野介が将軍の年賀の使者として京に滞在していて、準備期間のほとんどで不在だったことだ。
さらに、畠山民部が浅野家の謝礼(前年と同じ)にいちゃもんをつけたり、浅野家の家臣が予算をケチろうと姑息な手を使ってきたりという、うんざりするような出来事が続いた。
・それ以外にも、今年の饗応役の準備は呪われたかのように問題が続発した。
二月の上旬には浅野内匠頭が、持病である痞(つか:腹痛)の発作を起こして倒れてしまった。
三月に吉良上野介が京から戻ってきたが、彼は浅野内匠頭の儀式の所作を見るなりカンカンに激怒し、あれも違うこれも違う、全部覚え直しだと言い出した。
それまで浅野内匠頭は、畠山民部、大友近江守、畠山下総守の三人から三か月かけてみっちり儀式の所作を習い、頭で考えなくても体が勝手に動くくらいまで完璧に動作を覚え込んでいたのだが、それらのほとんどは無駄になった。
とにかく次から次へと揉め事だらけで、何ひとつ物事が真っすぐに進まない。
・勅使到着のたった二日前、三月九日の昼頃のことだ。・・・
「伝奏屋敷の畳の張替えだ! 今すぐ! 明後日までに!」
「それがご老中のご意向じゃ!」・・・
「全ては、畠山民部が老中の阿部様、いらぬ一言を言ったせいじゃ」・・・
「昨年は勅使のご到着に備えて伝奏屋敷の畳替えを行いましたが、今年はやらなくてもよろしいですなぁ? と」・・・
「それを聞いた阿部様は、『昨年は換えたというのであれあ、当然今年も換えるべきであろうな』とその場で仰せられたのじゃ」
「もちろん儂(吉良上野介)も、その旨は激しく抗弁したわ。畳は二か月前に換えたばかりで新品同様、交換は全く不要でござると。ただ、とにかく畠山民部の最初の話の切り出し方がまずかった。せめてご老中に『二か月前に換えたばかりのほぼ新品なので、自分は交換不要だと思うが、交換しなくてもよろしいか?』と質問しておればよかったのじゃ。」・・・
「しかし、畠山様は、どうしてそのようなご質問をなされたのでしょうか?」(与惣兵衛)
「責任逃れに決まっとろうが。・・・」
ようやく畳替えの作業が終わり、勅使をお迎えする全ての準備が整ったのは寅の刻(午前四時)も過ぎた頃だ。勅使の到着(十一日)まで残り三時間しかなかった。
・十日の夜はほぼ徹夜に近い。つまり浅野内匠頭は、九日と十日の二日間、ほとんど寝ずに過ごしたことになる。
十日の深夜、浅野内匠頭が伝奏屋敷で礼装の着付けを行っている時点でも、まだ畳換えは完了しておらず、作業は続けられていた。
・午前中は粗相なく終わることができた。ところが、問題はそのあとに起きた。
歓迎の儀式が終わると、辰の刻(八時)にはもう早い昼食を出す。昼食には少々の酒がつくが、浅野内匠頭が勅使に酌をしようとした時、緊張した彼はお銚子を持つ手をうっかり震わせて、勅使の柳原資康が持っていた猪口を縁を打ってしまったのだ。はずみで柳原資康は思わず猪口を取り落とし、中の酒が全部、彼の袴の上にこぼれてしまった。
二日間まるまる徹夜続きの浅野内匠頭は最初、頭がぼんやりしていて何が起こったのか理解できなかった。だがその一瞬あと、ハッと目が覚めるように、自分がしでかしてしまった粗相に気づいた。慌てて浅野内匠頭は膝立ちになり、懐から懐紙を取り出し柳原資康に差し出そうと急いで手を伸ばした。
焦りのあまりとっさに出た動きが、さらにまずかった。
浅野内匠頭が手を差し出すと、彼の着物の裾が勅使の膳の上にふわりとかぶさり、そのまま汁椀の縁に引っかって椀を倒してしまったのだ。
「あっ!」
場が凍り付つく。
・浅野内匠頭から提出された短冊が、読めない。
何やらゴニョゴニョと、ちりめんじゃこがまき散らされたような線が住みで書かれているが、全く意味をなしていない。
しかし学者は全てを機敏に悟り、機転を利かして、意味不明な短冊をもっともらしく胸の前に構えると、自分が即興でひねり出した和歌を何食わぬ顔して読み上げた。
・最後、将軍と勅使が退席して全ての行事が終わった時にはどっと疲れが出て、浅野内匠頭はその場からしばらく立ちあがることもできなかった。
・「儂は貴殿のことを、生真面目で信頼できる男だと思っておった。しかしこの些度の饗応役、儂が不在にしている間の準備の進め方という、儂への報告書の内容といい、首をかしげたくなるようなことが続いておる。加えて今日は上様のおられる場で居眠りをするとは、見損なったぞ浅野殿、これはご公儀のお勤めである。明日の勅答の儀、改めて気を引き締めて望まれよ。貴殿はきちんと心を入れ替えられる立派な御仁だと、儂は信じておるぞ」
吉良上野介としては、叱責というよりも、根は真面目な浅野内匠頭を励まして奮起を促すつもりで厳しめの口調でそう言ったのだが、今の浅野内匠頭にとってその言葉は完全に逆効果だった。
こいつ、ぜったい許さんわ。
浅野内匠頭は心中でそう決意した。最終的に千二百両までふくれあがった予算の件、畳の交換の件(畳の交換を確認したら吉良上野介は交換不要と判断していた)、そんな自分の非を棚上げにして、何をぬかすか。
(延々と説教が続く)
浅野内匠頭は、そんな時間があったら少しでも眠って体力を回復させたいと思ったが、そんなことをわずかでも口に出してしまったらまた長々と説教が続きそうなので、全く感情のこもっていない感謝の言葉を述べて、、それを受け容れるしかなかった。
・浅野内匠頭と吉良上野介が、まだ日も昇らぬうちから登城して、個室で二人きりで今日の儀式の所作の稽古を行っているのである。・・・
「肘じゃぞ! ここじゃ! おわかりか?」
そう言って吉良上野介は浅野内匠頭の肘を左手で支え、右手に持っていた扇でその肘を軽くパチンと叩いた。
吉良上野介にしてみたら、ここに注意しなさいよという程度の気持ちで、特に深い意味もなく軽く叩いたにすぎない。
だが、積もり積もった鬱憤が忍耐の限界に達していた浅野内匠頭は、頭で考えるよりも先に、口と手が動いてしまった。
「何すんねん。ボケ」
パシン。扇を持つ吉良上野介の右手を、思わず軽く平手でたたいていた。
これも、別にたいした意味はない。腕に蚊が止まっていたので反射的に軽く叩いたという程度の軽い動作である。
だがそれは、「ご厚意でわざわざ、日も明けぬうちから登城して所作の指南をしてくれていた、高家肝煎頭・従四位上左近衛権少将の吉良上野介様の手を叩いた」ということであった。
「気が触れたか浅野殿! 何たる狼藉!」
逆上した吉良上野介が、思わず膝立ちになり右手を刀の柄にに伸ばしかける。それを入り口で見ていた与惣兵衛は、大声を上げながら滑り込むように二人の間に輪って入った・
「まあまあまあ! まあまあお二人方!」
「どうして梶川殿が入ってくる! 邪魔するでない!」
「まあまあま、吉良様まあまあ」
「何じゃ梶川殿! 何か言いたいことでもあるのか?」
「まあまあまあ、吉良様、まあまあ、落ち着いてくだされ」
「これが落ち着けるか! 今の浅野殿の狼藉、貴様も見ておられたであろう」
・・・
どう言い逃れしても、吉良上野介が怒るのは当然だった。
・・・
「そう仰らずに、この場を収めてくだされ吉良様。この梶川、この通りのお願いでござります」
・・・
「あの・・・吉良上野介様、ご老中がお呼びでございます。今すぐお越しいただきたく」
・・・
三人は今迄の争いが幻であったかのように、まるで何もなかったような通常の表情に切り替わると、全員無言のまま揃って部屋を出た。
・二人が落ち合ったのは、江戸城の松の廊下の途中だ。・・・
「梶川殿、先ほどの件について儂もあのあと考えてみたのじゃが、やはりあれは、ご公儀のしかるべき筋に話を上げて、きちんとご裁断を仰ぐべき話でないかと思うのじゃが、どう思われるかの」
「吉良様・・・あの件はお忘れくださりませ」・・・
「この件に関しては、梶川殿はやけに浅野殿を庇われるの・・・」・・・
「吉良様、ご勘弁くださりませ。・・・」・・・
「話をそらすのはやめられよ梶川殿、儂は今朝の件について、貴殿の考えを聞いておるのじゃ!」
その時だった。
突然、誰だか分からないが、吉良上野介の後ろから狂ったような怒声が聞こえた。
「おどれ何しとんじゃ。このボケナスがぁ!」
その声とともに、猛然と吉良上野介に背後から切りかかった者がいた。太刀の音はすごく大きく聞こえたが、のちに聞いたところでは傷はそれほど深くはなく浅手だったらしい。
与惣兵衛が驚いてよく見ると、そこには血走った目をカッと見開き、顔面を真っ赤にして歯をギリギリと食いしばった浅野内匠頭が、血まみれの小刀を握りしめて立っていた。・・・
「おやめくだされ浅野様! なぜでござる! なぜでござる!」
「離せェ梶川殿! 奴が儂に何を言おうが一向に構わん! だが奴が儂の仲間を傷つけるのを許さぬぞ!」・・・
「すまなかった、止めてくれてありがとな」
・やはり仇を討ったのか! 彼らだったら、当然そうするだろう。
・大石内蔵助は筆頭家老なのだから、江戸家老の安井彦右衛門がどんな人間なのか、よく知っておく義務がある。彼が非常に頼りないということを普段から理解していれば、江戸に任せすぎることは危険だ。自分も何か赤穂から支援しなければならない、という勘が少しくらいは働いてもいいはずだ。
・饗応役の準備で自分をさんざん苦しめた江戸家老の安井彦右衛門は、この仇討ちに参加したのだろうか? ・・・そこには安井彦右衛門の名前はなかった。それはそうだろうな、と与惣兵衛は少しだけおかしかった。
・吉良上野介に一切のお咎めなしという不可解な裁定を幕府が下した時だけは、彼を信じる与惣兵衛の心もわずかに揺らいだ。ひょっとしたら、吉良上野介と幕府の間に何か裏取引があるのではないかという疑念を、完全に心から消すことはできなかった。
だが事件の約一年後に惣兵衛の疑念はきれいに解消した。
元禄十五年二月、将軍綱吉の生母である桂昌院に対して、女性では崇源院と並んで過去最高である従一位の官位が下されたのである。その時になって初めて、与惣兵衛は元禄十四年の勅使饗応の時にさんざん悩まされて、不可解な裏事情を全部理解したのだった。
そうか、この話があったから吉良様は、あの年の饗応は豪華にやれと妙に強く主張していたのか。
前年の勅使饗応の費用は九百両だったのに、あの年は最終的に千二百両近く使って勅使を盛大にもてなすことになった。結果として、その増額をめぐるいざこざが浅野内匠頭の苛立ちをさらに掻き立て、饗応をぶち壊す刃傷事件の原因になったのだから皮肉なものだった。
吉良上野介が刃傷事件のあともお咎めなしで生かされたのも、この従一位叙任の話がったからだったのかと、与惣兵衛はようやく全てが腑に落ちた。刃傷事件の時点で吉良上野介を殺してしまったら、きっと彼が根回しに深く関わっていた叙位の話も白紙に戻ってしまっていたはずだった。
ということはつまり、桂昌院の従一位叙位が無事に済んだ今、幕府にとって吉良上野介が生きている意味はもう何もない、ということにもなるのだが。
感想;
この本のどこまでが真実かわかりませんが、実際に良くないことがたくさん重なっていたようです。
どれか一つでも違っていたら松の廊下の殺傷事件は起きず、赤穂浪士の仇討ちも起きなかったでしょう。
大きな問題や事件は必ずと言っていいほど、悪いことが幾重にも重なっています。
どれかが阻止に働けば良かったのですが、それが働いていないのです。
それとこの話は、不合理な場面でどう対処すべきだったかを教えてくれているようです。
浅野家はお家断絶。
多くの家臣が路頭に迷いました。
本番前に自分に負けてしまうことがあります。
挑戦する前に自分が体調を崩してしまうのです。
浅野内匠頭は、他のことは全て家来に任せ、自分は睡眠時間をとって当日万全の体調で臨むことが取るべき選択肢だったのでしょう。
浅野内匠頭は17歳の時にも饗応役を仰せつかっていたとのことです。
その時は江戸家老がしっかりしていて、言われたことをやるだけでよかったようです。
ところが今回は江戸家老が200両をケチったことからケチの始まりでいろいろな問題が噴出したようです。
それと多くの不幸が重なっていました。
吉良上野介はひどい人との印象を持っていましたが、生真面目な柔軟性が乏しい、饗応役はこうあるべきとの思いがひときわ強かっただけのようです。
ところが、それが逆に働いたようです。
人生には、あの時ああだったら、ということがあります。
その時に後悔しない判断と行動ができるかどうか。
そのためには体験と学びだけでなく、歴史から学ぶことも大きいのでしょう。
先ずは、発言/行動する前に3秒考えてからなのでしょう。
そしてできれば、今やろうとしていることがどういうことを引き起こすかを想像することなのでしょう。
メールの言葉も、相手が受け取ったらどう思うだろうか?とちょっとでも想像すると違うように思います。
重要なメールは作成してから、少し時間を置いて再度読み、それから出すようにしています。
資料もドラフトを作成し、1日以上置いてから再度見直してから出すようにしています。
”熟成”と思っています。
いろいろ思いつくこともあり、それが資料に反映されます。
易占を少し習ったことがあります。
筮竹ででた卦を易経から判断します。
つまり、自分の決めた判断を中国3千年の叡知から、いろいろな角度から考察するのです。
そして気づいたことを加えるたり注意するのです。
悪い卦が出ても、それに注意して行いなさいとのことです。
経営者が易占に相談するのは、まさにもう一度冷静な視点でそのことを見ることのためのようです。
歴史から学ぶ。
視点を変えるとまさに違った展望が見えてくるものです。
さらに、畠山民部が浅野家の謝礼(前年と同じ)にいちゃもんをつけたり、浅野家の家臣が予算をケチろうと姑息な手を使ってきたりという、うんざりするような出来事が続いた。
・それ以外にも、今年の饗応役の準備は呪われたかのように問題が続発した。
二月の上旬には浅野内匠頭が、持病である痞(つか:腹痛)の発作を起こして倒れてしまった。
三月に吉良上野介が京から戻ってきたが、彼は浅野内匠頭の儀式の所作を見るなりカンカンに激怒し、あれも違うこれも違う、全部覚え直しだと言い出した。
それまで浅野内匠頭は、畠山民部、大友近江守、畠山下総守の三人から三か月かけてみっちり儀式の所作を習い、頭で考えなくても体が勝手に動くくらいまで完璧に動作を覚え込んでいたのだが、それらのほとんどは無駄になった。
とにかく次から次へと揉め事だらけで、何ひとつ物事が真っすぐに進まない。
・勅使到着のたった二日前、三月九日の昼頃のことだ。・・・
「伝奏屋敷の畳の張替えだ! 今すぐ! 明後日までに!」
「それがご老中のご意向じゃ!」・・・
「全ては、畠山民部が老中の阿部様、いらぬ一言を言ったせいじゃ」・・・
「昨年は勅使のご到着に備えて伝奏屋敷の畳替えを行いましたが、今年はやらなくてもよろしいですなぁ? と」・・・
「それを聞いた阿部様は、『昨年は換えたというのであれあ、当然今年も換えるべきであろうな』とその場で仰せられたのじゃ」
「もちろん儂(吉良上野介)も、その旨は激しく抗弁したわ。畳は二か月前に換えたばかりで新品同様、交換は全く不要でござると。ただ、とにかく畠山民部の最初の話の切り出し方がまずかった。せめてご老中に『二か月前に換えたばかりのほぼ新品なので、自分は交換不要だと思うが、交換しなくてもよろしいか?』と質問しておればよかったのじゃ。」・・・
「しかし、畠山様は、どうしてそのようなご質問をなされたのでしょうか?」(与惣兵衛)
「責任逃れに決まっとろうが。・・・」
ようやく畳替えの作業が終わり、勅使をお迎えする全ての準備が整ったのは寅の刻(午前四時)も過ぎた頃だ。勅使の到着(十一日)まで残り三時間しかなかった。
・十日の夜はほぼ徹夜に近い。つまり浅野内匠頭は、九日と十日の二日間、ほとんど寝ずに過ごしたことになる。
十日の深夜、浅野内匠頭が伝奏屋敷で礼装の着付けを行っている時点でも、まだ畳換えは完了しておらず、作業は続けられていた。
・午前中は粗相なく終わることができた。ところが、問題はそのあとに起きた。
歓迎の儀式が終わると、辰の刻(八時)にはもう早い昼食を出す。昼食には少々の酒がつくが、浅野内匠頭が勅使に酌をしようとした時、緊張した彼はお銚子を持つ手をうっかり震わせて、勅使の柳原資康が持っていた猪口を縁を打ってしまったのだ。はずみで柳原資康は思わず猪口を取り落とし、中の酒が全部、彼の袴の上にこぼれてしまった。
二日間まるまる徹夜続きの浅野内匠頭は最初、頭がぼんやりしていて何が起こったのか理解できなかった。だがその一瞬あと、ハッと目が覚めるように、自分がしでかしてしまった粗相に気づいた。慌てて浅野内匠頭は膝立ちになり、懐から懐紙を取り出し柳原資康に差し出そうと急いで手を伸ばした。
焦りのあまりとっさに出た動きが、さらにまずかった。
浅野内匠頭が手を差し出すと、彼の着物の裾が勅使の膳の上にふわりとかぶさり、そのまま汁椀の縁に引っかって椀を倒してしまったのだ。
「あっ!」
場が凍り付つく。
・浅野内匠頭から提出された短冊が、読めない。
何やらゴニョゴニョと、ちりめんじゃこがまき散らされたような線が住みで書かれているが、全く意味をなしていない。
しかし学者は全てを機敏に悟り、機転を利かして、意味不明な短冊をもっともらしく胸の前に構えると、自分が即興でひねり出した和歌を何食わぬ顔して読み上げた。
・最後、将軍と勅使が退席して全ての行事が終わった時にはどっと疲れが出て、浅野内匠頭はその場からしばらく立ちあがることもできなかった。
・「儂は貴殿のことを、生真面目で信頼できる男だと思っておった。しかしこの些度の饗応役、儂が不在にしている間の準備の進め方という、儂への報告書の内容といい、首をかしげたくなるようなことが続いておる。加えて今日は上様のおられる場で居眠りをするとは、見損なったぞ浅野殿、これはご公儀のお勤めである。明日の勅答の儀、改めて気を引き締めて望まれよ。貴殿はきちんと心を入れ替えられる立派な御仁だと、儂は信じておるぞ」
吉良上野介としては、叱責というよりも、根は真面目な浅野内匠頭を励まして奮起を促すつもりで厳しめの口調でそう言ったのだが、今の浅野内匠頭にとってその言葉は完全に逆効果だった。
こいつ、ぜったい許さんわ。
浅野内匠頭は心中でそう決意した。最終的に千二百両までふくれあがった予算の件、畳の交換の件(畳の交換を確認したら吉良上野介は交換不要と判断していた)、そんな自分の非を棚上げにして、何をぬかすか。
(延々と説教が続く)
浅野内匠頭は、そんな時間があったら少しでも眠って体力を回復させたいと思ったが、そんなことをわずかでも口に出してしまったらまた長々と説教が続きそうなので、全く感情のこもっていない感謝の言葉を述べて、、それを受け容れるしかなかった。
・浅野内匠頭と吉良上野介が、まだ日も昇らぬうちから登城して、個室で二人きりで今日の儀式の所作の稽古を行っているのである。・・・
「肘じゃぞ! ここじゃ! おわかりか?」
そう言って吉良上野介は浅野内匠頭の肘を左手で支え、右手に持っていた扇でその肘を軽くパチンと叩いた。
吉良上野介にしてみたら、ここに注意しなさいよという程度の気持ちで、特に深い意味もなく軽く叩いたにすぎない。
だが、積もり積もった鬱憤が忍耐の限界に達していた浅野内匠頭は、頭で考えるよりも先に、口と手が動いてしまった。
「何すんねん。ボケ」
パシン。扇を持つ吉良上野介の右手を、思わず軽く平手でたたいていた。
これも、別にたいした意味はない。腕に蚊が止まっていたので反射的に軽く叩いたという程度の軽い動作である。
だがそれは、「ご厚意でわざわざ、日も明けぬうちから登城して所作の指南をしてくれていた、高家肝煎頭・従四位上左近衛権少将の吉良上野介様の手を叩いた」ということであった。
「気が触れたか浅野殿! 何たる狼藉!」
逆上した吉良上野介が、思わず膝立ちになり右手を刀の柄にに伸ばしかける。それを入り口で見ていた与惣兵衛は、大声を上げながら滑り込むように二人の間に輪って入った・
「まあまあまあ! まあまあお二人方!」
「どうして梶川殿が入ってくる! 邪魔するでない!」
「まあまあま、吉良様まあまあ」
「何じゃ梶川殿! 何か言いたいことでもあるのか?」
「まあまあまあ、吉良様、まあまあ、落ち着いてくだされ」
「これが落ち着けるか! 今の浅野殿の狼藉、貴様も見ておられたであろう」
・・・
どう言い逃れしても、吉良上野介が怒るのは当然だった。
・・・
「そう仰らずに、この場を収めてくだされ吉良様。この梶川、この通りのお願いでござります」
・・・
「あの・・・吉良上野介様、ご老中がお呼びでございます。今すぐお越しいただきたく」
・・・
三人は今迄の争いが幻であったかのように、まるで何もなかったような通常の表情に切り替わると、全員無言のまま揃って部屋を出た。
・二人が落ち合ったのは、江戸城の松の廊下の途中だ。・・・
「梶川殿、先ほどの件について儂もあのあと考えてみたのじゃが、やはりあれは、ご公儀のしかるべき筋に話を上げて、きちんとご裁断を仰ぐべき話でないかと思うのじゃが、どう思われるかの」
「吉良様・・・あの件はお忘れくださりませ」・・・
「この件に関しては、梶川殿はやけに浅野殿を庇われるの・・・」・・・
「吉良様、ご勘弁くださりませ。・・・」・・・
「話をそらすのはやめられよ梶川殿、儂は今朝の件について、貴殿の考えを聞いておるのじゃ!」
その時だった。
突然、誰だか分からないが、吉良上野介の後ろから狂ったような怒声が聞こえた。
「おどれ何しとんじゃ。このボケナスがぁ!」
その声とともに、猛然と吉良上野介に背後から切りかかった者がいた。太刀の音はすごく大きく聞こえたが、のちに聞いたところでは傷はそれほど深くはなく浅手だったらしい。
与惣兵衛が驚いてよく見ると、そこには血走った目をカッと見開き、顔面を真っ赤にして歯をギリギリと食いしばった浅野内匠頭が、血まみれの小刀を握りしめて立っていた。・・・
「おやめくだされ浅野様! なぜでござる! なぜでござる!」
「離せェ梶川殿! 奴が儂に何を言おうが一向に構わん! だが奴が儂の仲間を傷つけるのを許さぬぞ!」・・・
「すまなかった、止めてくれてありがとな」
・やはり仇を討ったのか! 彼らだったら、当然そうするだろう。
・大石内蔵助は筆頭家老なのだから、江戸家老の安井彦右衛門がどんな人間なのか、よく知っておく義務がある。彼が非常に頼りないということを普段から理解していれば、江戸に任せすぎることは危険だ。自分も何か赤穂から支援しなければならない、という勘が少しくらいは働いてもいいはずだ。
・饗応役の準備で自分をさんざん苦しめた江戸家老の安井彦右衛門は、この仇討ちに参加したのだろうか? ・・・そこには安井彦右衛門の名前はなかった。それはそうだろうな、と与惣兵衛は少しだけおかしかった。
・吉良上野介に一切のお咎めなしという不可解な裁定を幕府が下した時だけは、彼を信じる与惣兵衛の心もわずかに揺らいだ。ひょっとしたら、吉良上野介と幕府の間に何か裏取引があるのではないかという疑念を、完全に心から消すことはできなかった。
だが事件の約一年後に惣兵衛の疑念はきれいに解消した。
元禄十五年二月、将軍綱吉の生母である桂昌院に対して、女性では崇源院と並んで過去最高である従一位の官位が下されたのである。その時になって初めて、与惣兵衛は元禄十四年の勅使饗応の時にさんざん悩まされて、不可解な裏事情を全部理解したのだった。
そうか、この話があったから吉良様は、あの年の饗応は豪華にやれと妙に強く主張していたのか。
前年の勅使饗応の費用は九百両だったのに、あの年は最終的に千二百両近く使って勅使を盛大にもてなすことになった。結果として、その増額をめぐるいざこざが浅野内匠頭の苛立ちをさらに掻き立て、饗応をぶち壊す刃傷事件の原因になったのだから皮肉なものだった。
吉良上野介が刃傷事件のあともお咎めなしで生かされたのも、この従一位叙任の話がったからだったのかと、与惣兵衛はようやく全てが腑に落ちた。刃傷事件の時点で吉良上野介を殺してしまったら、きっと彼が根回しに深く関わっていた叙位の話も白紙に戻ってしまっていたはずだった。
ということはつまり、桂昌院の従一位叙位が無事に済んだ今、幕府にとって吉良上野介が生きている意味はもう何もない、ということにもなるのだが。
感想;
この本のどこまでが真実かわかりませんが、実際に良くないことがたくさん重なっていたようです。
どれか一つでも違っていたら松の廊下の殺傷事件は起きず、赤穂浪士の仇討ちも起きなかったでしょう。
大きな問題や事件は必ずと言っていいほど、悪いことが幾重にも重なっています。
どれかが阻止に働けば良かったのですが、それが働いていないのです。
それとこの話は、不合理な場面でどう対処すべきだったかを教えてくれているようです。
浅野家はお家断絶。
多くの家臣が路頭に迷いました。
本番前に自分に負けてしまうことがあります。
挑戦する前に自分が体調を崩してしまうのです。
浅野内匠頭は、他のことは全て家来に任せ、自分は睡眠時間をとって当日万全の体調で臨むことが取るべき選択肢だったのでしょう。
浅野内匠頭は17歳の時にも饗応役を仰せつかっていたとのことです。
その時は江戸家老がしっかりしていて、言われたことをやるだけでよかったようです。
ところが今回は江戸家老が200両をケチったことからケチの始まりでいろいろな問題が噴出したようです。
それと多くの不幸が重なっていました。
吉良上野介はひどい人との印象を持っていましたが、生真面目な柔軟性が乏しい、饗応役はこうあるべきとの思いがひときわ強かっただけのようです。
ところが、それが逆に働いたようです。
人生には、あの時ああだったら、ということがあります。
その時に後悔しない判断と行動ができるかどうか。
そのためには体験と学びだけでなく、歴史から学ぶことも大きいのでしょう。
先ずは、発言/行動する前に3秒考えてからなのでしょう。
そしてできれば、今やろうとしていることがどういうことを引き起こすかを想像することなのでしょう。
メールの言葉も、相手が受け取ったらどう思うだろうか?とちょっとでも想像すると違うように思います。
重要なメールは作成してから、少し時間を置いて再度読み、それから出すようにしています。
資料もドラフトを作成し、1日以上置いてから再度見直してから出すようにしています。
”熟成”と思っています。
いろいろ思いつくこともあり、それが資料に反映されます。
易占を少し習ったことがあります。
筮竹ででた卦を易経から判断します。
つまり、自分の決めた判断を中国3千年の叡知から、いろいろな角度から考察するのです。
そして気づいたことを加えるたり注意するのです。
悪い卦が出ても、それに注意して行いなさいとのことです。
経営者が易占に相談するのは、まさにもう一度冷静な視点でそのことを見ることのためのようです。
歴史から学ぶ。
視点を変えるとまさに違った展望が見えてくるものです。