幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「あの日、松の廊下で」白蔵 盈太著 ”人間関係の綾から大事件が生まれている”

2022-04-06 14:30:30 | 本の紹介
・今年の準備が大混乱に陥った最大の原因は、吉良上野介が将軍の年賀の使者として京に滞在していて、準備期間のほとんどで不在だったことだ。
 さらに、畠山民部が浅野家の謝礼(前年と同じ)にいちゃもんをつけたり、浅野家の家臣が予算をケチろうと姑息な手を使ってきたりという、うんざりするような出来事が続いた。

・それ以外にも、今年の饗応役の準備は呪われたかのように問題が続発した。
二月の上旬には浅野内匠頭が、持病である痞(つか:腹痛)の発作を起こして倒れてしまった。
三月に吉良上野介が京から戻ってきたが、彼は浅野内匠頭の儀式の所作を見るなりカンカンに激怒し、あれも違うこれも違う、全部覚え直しだと言い出した。
それまで浅野内匠頭は、畠山民部、大友近江守、畠山下総守の三人から三か月かけてみっちり儀式の所作を習い、頭で考えなくても体が勝手に動くくらいまで完璧に動作を覚え込んでいたのだが、それらのほとんどは無駄になった。
とにかく次から次へと揉め事だらけで、何ひとつ物事が真っすぐに進まない。

・勅使到着のたった二日前、三月九日の昼頃のことだ。・・・
「伝奏屋敷の畳の張替えだ! 今すぐ! 明後日までに!」
「それがご老中のご意向じゃ!」・・・
「全ては、畠山民部が老中の阿部様、いらぬ一言を言ったせいじゃ」・・・
「昨年は勅使のご到着に備えて伝奏屋敷の畳替えを行いましたが、今年はやらなくてもよろしいですなぁ? と」・・・
「それを聞いた阿部様は、『昨年は換えたというのであれあ、当然今年も換えるべきであろうな』とその場で仰せられたのじゃ」
「もちろん儂(吉良上野介)も、その旨は激しく抗弁したわ。畳は二か月前に換えたばかりで新品同様、交換は全く不要でござると。ただ、とにかく畠山民部の最初の話の切り出し方がまずかった。せめてご老中に『二か月前に換えたばかりのほぼ新品なので、自分は交換不要だと思うが、交換しなくてもよろしいか?』と質問しておればよかったのじゃ。」・・・
「しかし、畠山様は、どうしてそのようなご質問をなされたのでしょうか?」(与惣兵衛)
「責任逃れに決まっとろうが。・・・」
ようやく畳替えの作業が終わり、勅使をお迎えする全ての準備が整ったのは寅の刻(午前四時)も過ぎた頃だ。勅使の到着(十一日)まで残り三時間しかなかった。

・十日の夜はほぼ徹夜に近い。つまり浅野内匠頭は、九日と十日の二日間、ほとんど寝ずに過ごしたことになる。
十日の深夜、浅野内匠頭が伝奏屋敷で礼装の着付けを行っている時点でも、まだ畳換えは完了しておらず、作業は続けられていた。

・午前中は粗相なく終わることができた。ところが、問題はそのあとに起きた。
歓迎の儀式が終わると、辰の刻(八時)にはもう早い昼食を出す。昼食には少々の酒がつくが、浅野内匠頭が勅使に酌をしようとした時、緊張した彼はお銚子を持つ手をうっかり震わせて、勅使の柳原資康が持っていた猪口を縁を打ってしまったのだ。はずみで柳原資康は思わず猪口を取り落とし、中の酒が全部、彼の袴の上にこぼれてしまった。
二日間まるまる徹夜続きの浅野内匠頭は最初、頭がぼんやりしていて何が起こったのか理解できなかった。だがその一瞬あと、ハッと目が覚めるように、自分がしでかしてしまった粗相に気づいた。慌てて浅野内匠頭は膝立ちになり、懐から懐紙を取り出し柳原資康に差し出そうと急いで手を伸ばした。
焦りのあまりとっさに出た動きが、さらにまずかった。
浅野内匠頭が手を差し出すと、彼の着物の裾が勅使の膳の上にふわりとかぶさり、そのまま汁椀の縁に引っかって椀を倒してしまったのだ。
「あっ!」
場が凍り付つく。

・浅野内匠頭から提出された短冊が、読めない。
何やらゴニョゴニョと、ちりめんじゃこがまき散らされたような線が住みで書かれているが、全く意味をなしていない。
しかし学者は全てを機敏に悟り、機転を利かして、意味不明な短冊をもっともらしく胸の前に構えると、自分が即興でひねり出した和歌を何食わぬ顔して読み上げた。

・最後、将軍と勅使が退席して全ての行事が終わった時にはどっと疲れが出て、浅野内匠頭はその場からしばらく立ちあがることもできなかった。

・「儂は貴殿のことを、生真面目で信頼できる男だと思っておった。しかしこの些度の饗応役、儂が不在にしている間の準備の進め方という、儂への報告書の内容といい、首をかしげたくなるようなことが続いておる。加えて今日は上様のおられる場で居眠りをするとは、見損なったぞ浅野殿、これはご公儀のお勤めである。明日の勅答の儀、改めて気を引き締めて望まれよ。貴殿はきちんと心を入れ替えられる立派な御仁だと、儂は信じておるぞ」
吉良上野介としては、叱責というよりも、根は真面目な浅野内匠頭を励まして奮起を促すつもりで厳しめの口調でそう言ったのだが、今の浅野内匠頭にとってその言葉は完全に逆効果だった。
こいつ、ぜったい許さんわ。
浅野内匠頭は心中でそう決意した。最終的に千二百両までふくれあがった予算の件、畳の交換の件(畳の交換を確認したら吉良上野介は交換不要と判断していた)、そんな自分の非を棚上げにして、何をぬかすか。
(延々と説教が続く)
浅野内匠頭は、そんな時間があったら少しでも眠って体力を回復させたいと思ったが、そんなことをわずかでも口に出してしまったらまた長々と説教が続きそうなので、全く感情のこもっていない感謝の言葉を述べて、、それを受け容れるしかなかった。

・浅野内匠頭と吉良上野介が、まだ日も昇らぬうちから登城して、個室で二人きりで今日の儀式の所作の稽古を行っているのである。・・・
「肘じゃぞ! ここじゃ! おわかりか?」
そう言って吉良上野介は浅野内匠頭の肘を左手で支え、右手に持っていた扇でその肘を軽くパチンと叩いた。
吉良上野介にしてみたら、ここに注意しなさいよという程度の気持ちで、特に深い意味もなく軽く叩いたにすぎない。
だが、積もり積もった鬱憤が忍耐の限界に達していた浅野内匠頭は、頭で考えるよりも先に、口と手が動いてしまった。
「何すんねん。ボケ」
パシン。扇を持つ吉良上野介の右手を、思わず軽く平手でたたいていた。
これも、別にたいした意味はない。腕に蚊が止まっていたので反射的に軽く叩いたという程度の軽い動作である。
だがそれは、「ご厚意でわざわざ、日も明けぬうちから登城して所作の指南をしてくれていた、高家肝煎頭・従四位上左近衛権少将の吉良上野介様の手を叩いた」ということであった。
「気が触れたか浅野殿! 何たる狼藉!」
逆上した吉良上野介が、思わず膝立ちになり右手を刀の柄にに伸ばしかける。それを入り口で見ていた与惣兵衛は、大声を上げながら滑り込むように二人の間に輪って入った・
「まあまあまあ! まあまあお二人方!」
「どうして梶川殿が入ってくる! 邪魔するでない!」
「まあまあま、吉良様まあまあ」
「何じゃ梶川殿! 何か言いたいことでもあるのか?」
「まあまあまあ、吉良様、まあまあ、落ち着いてくだされ」
「これが落ち着けるか! 今の浅野殿の狼藉、貴様も見ておられたであろう」
・・・
どう言い逃れしても、吉良上野介が怒るのは当然だった。
・・・
「そう仰らずに、この場を収めてくだされ吉良様。この梶川、この通りのお願いでござります」
・・・
「あの・・・吉良上野介様、ご老中がお呼びでございます。今すぐお越しいただきたく」
・・・
三人は今迄の争いが幻であったかのように、まるで何もなかったような通常の表情に切り替わると、全員無言のまま揃って部屋を出た。

・二人が落ち合ったのは、江戸城の松の廊下の途中だ。・・・
「梶川殿、先ほどの件について儂もあのあと考えてみたのじゃが、やはりあれは、ご公儀のしかるべき筋に話を上げて、きちんとご裁断を仰ぐべき話でないかと思うのじゃが、どう思われるかの」
「吉良様・・・あの件はお忘れくださりませ」・・・
「この件に関しては、梶川殿はやけに浅野殿を庇われるの・・・」・・・
「吉良様、ご勘弁くださりませ。・・・」・・・
「話をそらすのはやめられよ梶川殿、儂は今朝の件について、貴殿の考えを聞いておるのじゃ!」
その時だった。
突然、誰だか分からないが、吉良上野介の後ろから狂ったような怒声が聞こえた。
「おどれ何しとんじゃ。このボケナスがぁ!」
その声とともに、猛然と吉良上野介に背後から切りかかった者がいた。太刀の音はすごく大きく聞こえたが、のちに聞いたところでは傷はそれほど深くはなく浅手だったらしい。
与惣兵衛が驚いてよく見ると、そこには血走った目をカッと見開き、顔面を真っ赤にして歯をギリギリと食いしばった浅野内匠頭が、血まみれの小刀を握りしめて立っていた。・・・
「おやめくだされ浅野様! なぜでござる! なぜでござる!」
「離せェ梶川殿! 奴が儂に何を言おうが一向に構わん! だが奴が儂の仲間を傷つけるのを許さぬぞ!」・・・
「すまなかった、止めてくれてありがとな」

・やはり仇を討ったのか! 彼らだったら、当然そうするだろう。

・大石内蔵助は筆頭家老なのだから、江戸家老の安井彦右衛門がどんな人間なのか、よく知っておく義務がある。彼が非常に頼りないということを普段から理解していれば、江戸に任せすぎることは危険だ。自分も何か赤穂から支援しなければならない、という勘が少しくらいは働いてもいいはずだ。

・饗応役の準備で自分をさんざん苦しめた江戸家老の安井彦右衛門は、この仇討ちに参加したのだろうか? ・・・そこには安井彦右衛門の名前はなかった。それはそうだろうな、と与惣兵衛は少しだけおかしかった。

・吉良上野介に一切のお咎めなしという不可解な裁定を幕府が下した時だけは、彼を信じる与惣兵衛の心もわずかに揺らいだ。ひょっとしたら、吉良上野介と幕府の間に何か裏取引があるのではないかという疑念を、完全に心から消すことはできなかった。
だが事件の約一年後に惣兵衛の疑念はきれいに解消した。
元禄十五年二月、将軍綱吉の生母である桂昌院に対して、女性では崇源院と並んで過去最高である従一位の官位が下されたのである。その時になって初めて、与惣兵衛は元禄十四年の勅使饗応の時にさんざん悩まされて、不可解な裏事情を全部理解したのだった。
そうか、この話があったから吉良様は、あの年の饗応は豪華にやれと妙に強く主張していたのか。
前年の勅使饗応の費用は九百両だったのに、あの年は最終的に千二百両近く使って勅使を盛大にもてなすことになった。結果として、その増額をめぐるいざこざが浅野内匠頭の苛立ちをさらに掻き立て、饗応をぶち壊す刃傷事件の原因になったのだから皮肉なものだった。
吉良上野介が刃傷事件のあともお咎めなしで生かされたのも、この従一位叙任の話がったからだったのかと、与惣兵衛はようやく全てが腑に落ちた。刃傷事件の時点で吉良上野介を殺してしまったら、きっと彼が根回しに深く関わっていた叙位の話も白紙に戻ってしまっていたはずだった。
ということはつまり、桂昌院の従一位叙位が無事に済んだ今、幕府にとって吉良上野介が生きている意味はもう何もない、ということにもなるのだが。

感想
この本のどこまでが真実かわかりませんが、実際に良くないことがたくさん重なっていたようです。
どれか一つでも違っていたら松の廊下の殺傷事件は起きず、赤穂浪士の仇討ちも起きなかったでしょう。
大きな問題や事件は必ずと言っていいほど、悪いことが幾重にも重なっています。
どれかが阻止に働けば良かったのですが、それが働いていないのです。

それとこの話は、不合理な場面でどう対処すべきだったかを教えてくれているようです。
浅野家はお家断絶。
多くの家臣が路頭に迷いました。

本番前に自分に負けてしまうことがあります。
挑戦する前に自分が体調を崩してしまうのです。
浅野内匠頭は、他のことは全て家来に任せ、自分は睡眠時間をとって当日万全の体調で臨むことが取るべき選択肢だったのでしょう。

浅野内匠頭は17歳の時にも饗応役を仰せつかっていたとのことです。
その時は江戸家老がしっかりしていて、言われたことをやるだけでよかったようです。
ところが今回は江戸家老が200両をケチったことからケチの始まりでいろいろな問題が噴出したようです。
それと多くの不幸が重なっていました。

吉良上野介はひどい人との印象を持っていましたが、生真面目な柔軟性が乏しい、饗応役はこうあるべきとの思いがひときわ強かっただけのようです。
ところが、それが逆に働いたようです。

人生には、あの時ああだったら、ということがあります。
その時に後悔しない判断と行動ができるかどうか。
そのためには体験と学びだけでなく、歴史から学ぶことも大きいのでしょう。
先ずは、発言/行動する前に3秒考えてからなのでしょう。
そしてできれば、今やろうとしていることがどういうことを引き起こすかを想像することなのでしょう。
メールの言葉も、相手が受け取ったらどう思うだろうか?とちょっとでも想像すると違うように思います。
重要なメールは作成してから、少し時間を置いて再度読み、それから出すようにしています。
資料もドラフトを作成し、1日以上置いてから再度見直してから出すようにしています。
”熟成”と思っています。
いろいろ思いつくこともあり、それが資料に反映されます。

易占を少し習ったことがあります。
筮竹ででた卦を易経から判断します。
つまり、自分の決めた判断を中国3千年の叡知から、いろいろな角度から考察するのです。
そして気づいたことを加えるたり注意するのです。
悪い卦が出ても、それに注意して行いなさいとのことです。
経営者が易占に相談するのは、まさにもう一度冷静な視点でそのことを見ることのためのようです。

歴史から学ぶ。
視点を変えるとまさに違った展望が見えてくるものです。

ロシア軍から解放の女性捕虜、「拷問を受けていた」 ウクライナ当局者 "人はどこまで残酷になるか!”

2022-04-06 13:28:48 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/be7e6df062abb9930f5a8d28fb7555240e3e9607 4/6(水) 11:41CNN.co.jp
(CNN) ウクライナ議会の人権担当者リュドミラ・デニソワ氏は6日までに、ロシア軍の捕虜となっていた女性兵士15人が拘束中、「拷問や虐待を受けていた」と明らかにした。

女性15人は1日の捕虜交換で解放された兵士86人の中に含まれていた。

ロシア軍による拘束後、これらの女性はまずベラルーシに移送され、続けてロシア西部ブリャンスクの公判前収容施設に連行されて「拷問や脅し」を受けた。

デニソワ氏によると、女性捕虜は士気を砕くために男性の前で裸にされたり、スクワットや髪を切ることを強制されたり、尋問を受けたりした。ロシアのプロパガンダ動画撮影への協力を強要された人もいるという。

デニソフ氏はまた、ロシアの行動は捕虜の待遇に関するジュネーブ条約第13条の違反に当たるとも指摘した。同条約第13条には「捕虜は常に人道的に待遇しなければならない」との規定がある。

デニソフ氏はウクライナ侵攻に伴う人権侵害を調査する国連委員会や、欧州安全保障協力機構(OSCE)参加国によってモスクワメカニズムに基づき設立された専門家チームに対し、ウクライナ人戦争捕虜へのこうした人権侵害を調査するよう要請している。

これに先立ちデニソフ氏は4日、ウクライナ人捕虜が拘束中に殴打や飢餓の強制、凍傷、脅迫を受けたと明らかにしていた。

感想
ヒットラー一人では、600万人のユダヤ人を殺害することはできません。
忠実に命令に従った人が多かったのです。

今回もプーチン大統領の命令に従い、捕虜を拷問しました。
殺されなかっただけでも幸いと思わないといけないのかもしれません。

ウクライナでは民間人が殺害、拷問、強姦、強盗に遭いました。
それをしたのはロシア兵です。
ロシア兵は兵の前に人ではないのでしょうか?
もし、目のまえの人が家族だったらできるでしょうか。

ロシア国民が支持していることが、プーチン大統領を悪魔にしているのです。

新型コロナ「専門家」・医系技官と政治家の隠微な関係~上昌広氏に聞く "国民のことより自分たちの利権優先の医系技官”

2022-04-06 13:05:18 | 新型コロナウイルス
コロナ対策徹底批判【第四部】~上昌広・医療ガバナンス研究所理事長インタビュー⑯
論座 佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022030200004.html


 これまでのコロナウイルス対策のほとんどすべてを間違え続けてきた日本の「専門家」たちと厚生労働省・医系技官。彼らが群棲する「感染症ムラ」と日本の政治家とは具体的にどのように繋がっているのか。

 臨床医でありながらコロナウイルスに関する世界最新の知識を渉猟し、この国の医学界と政治との関係にも詳しい医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏に引き続き話を聞いた。

拡大上昌広・医療ガバナンス研究所理事長
科研費をほぼ独占する「感染症ムラ」の人たち
――厚労省・医系技官のトップ、医務技監は現在、福島靖正さんですが、一代前、つまり初代の医務技監は鈴木康裕さんです。鈴木さんについては前にも話題になりましたが、医務技監から国際医療福祉大学の副学長に、ほとんどそのまま「天下り」しました。

 国際医療福祉大学は2017年に医学部が新設されたばかりですが、感染症法を所管する厚労省結核感染症課の「新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業」から2人の教授が研究費をもらっています。2019年度にそれぞれ2億1738万円と155万円、翌20年度には2億2434万円と475万円です。

 この事業の科研費をもらった人の内訳を見ると、2020年度は41人のうち27人を国立感染症研究所や国立国際医療研究センターなど厚労省関係の研究者やOBが占めており、感染研が15人でトップです。「感染症ムラ」の人たちがほぼ独占して科研費をもらっている構図です。その中で、新設されたばかりの大学医学部から2人が2年度にわたってこの科研費を受けている。これは珍しいことではないですか。

上 珍しいですね。しかも、そのうち一人の前職は国立国際医療研究センターの国際感染症対策室医長ですから「感染症ムラ」の一員と言えます。

――そうなんですか。この国際医療福祉大学は、厚労省からもらっているコロナ関連の補助金もすごいんですよね。

上 すごいですね。

――繰り返しになりますが、2017年4月に医学部、2020年3月に附属病院が開設されたばかりなのに、20年度に64億円もの補助金が出ています。前年度からの増加額は46億円で、これによって経常利益は前年度比431.1%のプラス。コロナで強烈に潤いましたね。

上 コロナによる「焼け太り」ですね。

拡大新型コロナの感染拡大を受けて前倒し開院した国際医療福祉大成田病院=2020年3月12日、千葉県成田市畑ケ田
鈴木康裕医務技監は「持参金付きの天下り」
――国際医療福祉大学は代々医系技官の天下りを受け入れてきているんですよね。それが厚労省の高評価に繋がっているんでしょうか。

上 あると思います。厚労省や大学はもちろん「そういうことはない」と言いますけどね。

――さらに言えば、医務技監だった鈴木康裕さんがそこにほとんどズバリと天下った。簡単に言えば「持参金付きの天下り」ですよね。

上 そう言えます。

――補助金がすごい。新設医学部なのに科研費も出ている。そしてそこに「持参金付き」で天下った前医務技監が、大学理事長と緊急事態宣言中に九州・湯布院にゴルフ三昧の小旅行に出かけている。最悪の話じゃないですか。

上 もう科学の話じゃないんですよ。内輪の話になっているんです。しかも、国際医療福祉大学の先生、しょっちゅうテレビに出てきているでしょう。これは医系技官が推薦していて、マスコミも使いやすいのでしょうね。

――率直に言って、素人でもしゃべれるような内容ばかりだなと思いますが、専門家の目から見て、この人たちは医療や公衆衛生に関する実力はあるんでしょうか。

上 ないでしょう。専門的知識がないので、素人と同じレベルのことしか言えない。今回のパンデミックのような時は、感染症の知識だけでなくトータルな意味での科学の知識が必要なんですが、それがない。だから、医系技官の下請けみたいなことになっています。

尾身茂さんのキャリア
――医系技官の下請けと言えば、医系技官OBの尾身茂(地域医療機能推進機構=JCHO=理事長)さんを思い出しますが、その尾身さんが政府の分科会会長です。

上 この方のキャリアを見てください。自分が書いた筆頭者論文が1本しかない。そもそも大学教授なんかの資格はありません。たとえばアメリカで尾身さんと同様の立場にいるアンソニー・ファウチ(国立アレルギー・感染症研究所所長)氏と比べるとよくわかりますよ。少年野球レベルとメジャーリーグの選手を比べるようなものです。

 アンソニー・ファウチはコーネル大学を首席で卒業後、国立衛生研究所(NIH)に50年以上勤務、エイズなどの感染症対策に取り組んだ。世界有数の科学・医学誌『ネイチャー』『サイエンス』だけでも46本の論文や論稿を発表している。

 1983―2002年の期間、世界の科学誌に最も引用された研究者の一人とされた。 国立アレルギー・感染症研究所の上部組織NIH長官に何度も推されながら固辞、エイズやエボラ研究などの先頭に立った。非科学的な方針を打ち出すトランプ前大統領に正面から反対する姿勢でも注目された。
 大変な経歴があって、いまだに聴診器を忘れないファウチ氏に対して、日本の尾身さんの筆頭者論文は、自治医科大学の院生の時の1本だけです。話になりません。

――尾身さんと言えば、政府の専門家会議と分科会でともに幹部ですよね。最初の専門家会議では医系技官出身の尾身さんが副座長を務め、感染研所長の脇田隆字さんが座長でした。専門家会議が分科会に変わると、脇田さんが副会長になり、尾身さんが会長になる。役回りをかえるだけです。「感染症ムラ」の主要メンバーだからって、あまりに露骨ではないですか。

上 出ているメンツが、尾身さん、岡部(信彦・川崎市健康安全研究所長)さん、押谷(仁・東北大学大学院教授)さんというように同じなんです。脇田さんは感染研の所長ですから、感染研の当て職なんです。いつものメンバーを、そのまま推薦している。要するに何も考えてないんです。

――釜萢(敏・日本医師会常任理事)さんや舘田(一博・東邦大学教授)さんも専門家会議から分科会にそのまま移っていますね。

上 釜萢さんは日本医師会の当て職、舘田さんは日本感染症学会の当て職です。組織の人を充てているだけなんです。

――両方の中心にいる尾身さんですが、意外なことに東京教育大学附属駒場高校を卒業してから、最初に慶應義塾大学の医学部ではなくて法学部に入学しているんですね。

上 そうです。

――それから、慶應を中退して自治医科大学に入学します。それで医系技官になるのですが、医系技官の中でも勢力の強い慶應閥に身を置くことになるわけですね。

上 自治医大の学生時代に「医系技官のドン」と呼ばれていた慶應出身の篠崎英夫さんと接点ができる。篠崎さんは後に厚労省医政局長になりました。自民党厚労族の大物議員だった橋本龍太郎さんとともに慶應閥の医系技官の世界を作るんです。

 尾身さんはこの篠崎さんの「カバン持ち」と言われていました。そういう関係があって特殊な経歴を積むことができたんです。保険局医療課に1年だけ在籍して、あとは19年間WHO(世界保健機関)に出向するという特殊な扱いです。


拡大尾身茂・新型コロナ対策分科会会長=2022年3月18日、東京都港区
無邪気な計画経済を志向する医系技官
――初代医務技監から国際医療福祉大学副学長に「天下り」した鈴木康裕さんも慶應ですね。

上 そうです。尾身さんより10歳下ですが、やはり篠崎さんとの関係が強いようですね。

――慶應の医学部と言うと非常に優秀な人たちだろうという気はするんですが。

上 ちょっと抽象的に言うと、東大の法学部卒とまた違い、無邪気な計画経済みたいなものを志向するんですよ。国家社会主義みたいな超法規的なものを考えるんです。

――それは医系技官全体の話ですか。

上 医系技官の話です。医系技官というのは無試験なんですが、医学部卒の学生に人気がない。言葉を換えて言えば、「合法的裏口入学」で、しかも全員が幹部になる。だから、医学部を卒業してちょっと変わった人間を集める制度になりかねないんです。

 はっきり言えば、それが尾身さんなんです。尾身さんはJCHOの理事長に天下りしていますが、JCHOは何百億円も売り上げるような医療病院チェーンですよ。普通、天下る時って病院チェーンの常務理事になる人はいますが、CEO(最高経営責任者)になる人はいません。CEOは経営について判断しなければいけませんから。

 尾身さんは言ってみれば、厚労省から巨大病院チェーンの社長に天下り、その身分で政府の分科会会長もやっている。医系技官制度がある限り、こういうおかしなことをやる人が出てくる。はっきり言えば、権力志向が非常に強い人間です。

ニッチ領域を攻めて出世
――尾身さんは記者会見などを見ると、論理というものがまるでないですね。いわゆる受験秀才だったのでしょうか。

上 自治医大は難関校なので試験は得意だったのかもしれませんが、典型的な医系技官で、医務技監をやった鈴木さんと同じように「恥の文化」がない気がします。尾身さんのJCHOは「幽霊病床」を叩かれましたね。普通であれば、尾身さんはこの時に理事長を辞任すべきなんです。

 JCHOや国立病院機構、国立国際医療研究センターは、巨額のコロナ補助金を受け取っていながらコロナ患者の受け入れに消極的だった。菅政権はこの問題に関心を持たなかったが、岸田政権になって、財務省の財政制度等審議会分科会で取り上げられ、JCHOなどがコロナ補助金をもらいながら、「幽霊病床」しか準備していないことが明らかになった。

 しかし尾身氏には当事者意識がなく、コロナ患者の受け入れ問題について「病床の確保は都道府県の責任」「最大限できることをやっている」などという主張を繰り返すばかりだった。
 尾身さんや鈴木さんというのは医系技官の典型です。官邸からは信用されていないと思いますね。

――そういう人がどうしてここまで出世するのですか。

上 WHOに志望して行く医系技官なんかそれまではいなかったんですよ。

――どういうことですか。

上 医系技官の出世コースは、あくまで医政局と保険局なんです。医師不足対策などに取り組む医政局や医療保険を取り扱う保険局というのは重要な局なんですね。ちなみに、初代医務技監の鈴木康裕さんは医政局と保険局の両方の幹部をやっています。

 つまり、医系技官というのは医療と保険と公衆衛生の三つにコースが分かれますが、三つのうちで公衆衛生というのは厚労省の中でB級、2軍で、いわゆる出世コースではない。公衆衛生コースは、後に感染研とかナショナルセンター(国立高度専門医療センター)とか国立がんセンター、国際医療研究センターや地方厚生局に行く。その中でローテーションでWHOとかに行くんです。こういうコースから外れた人たちの最終的な天下り先の一つが保健所長です。

 地方自治体にも出ています。自治体の衛生部長とかやるんですが、こういうところに補助金や交付金をつける。もちろん、たくさん行ったところにたくさん下りるようになっています。当然、ポストも増えるわけです。

 尾身さんの話に戻れば、WHOのような出世コースじゃないところには、誰も希望しては行きません。尾身さんはこういうニッチ領域を攻めてきたわけです。

――なるほど。そういうことですか。

世界的論文を読み解く訓練が足りない専門家
上 WHOはアメリカを除く国々の集まりです。アメリカは単独でやってしまうんですが、他の国々はWHOに集まって先進国から途上国にお金をまくんです。それで厚労省がWHOのポストをお金で買うわけですが、尾身さんはその事務局長選挙に出るんです。WHOは国連と同じで実務機関ではありませんが、医系技官の名誉心をくすぐるんでしょう。

 ところが、尾身さんはそこで敗れて自治医大の教授になり、学長選挙に出ます。そこで永井良三さんという元東大循環器内科教授で東大附属病院長と戦って完敗します。尾身さんの実績がまったく評価されなかったんですね。

 この尾身さんの失敗を受けて、医系技官がポストを作ったわけです。そして、公的年金の不正流用問題の後に設立した独立行政法人の年金・健康保険福祉施設整理機構の2代目理事長に、尾身さんを任命したという経緯です。この整理機構の後身が改組された今のJCHO。なので、尾身さんのJCHO理事長は長いんですよ。

――単純に言うと、自治医大で居場所を失った尾身さんに、医系技官がポストを用意したというわけですね。

上 そうです。尾身さんはその理事長に連れて来られるんです。普通はこういう現業集団の理事長には就かないですよ。尾身さんは病院経営なんかしたことないでしょう。

――JCHOは「幽霊病床」で批判されるわけですが、尾身さんはPCR検査についてもひどい発言をしていますね。2020年10月14日に横浜市で開かれたイベントでの基調講演で、「PCR検査を増やした結果、感染が抑えられたという証拠はない」と言っているんですね。本気でそう思っていたんでしょうか。

上 御用学者が医系技官にレクして、尾身さんはそれをそのまま言っているんです。2020年6月16日にそういうシミュレーションが一度『ランセット』に出たんですが、それを報告した同じグループが同じ年の11月10日になって「PCRはやはり有効だった」という結論を出しています。そのころには、PCR検査をたくさんやったところほど感染を抑え込んでいるという論文がたくさん出ています。尾身さんたちは、本当に何も見ていないんですよ。

 医系技官や厚労大臣ではなくて、尾身さんたち分科会のメンバーがおかしいんです。こういうものは若い頃にある程度トレーニングを積んでいないと読めません。そういうことを経験していないんです。

安倍・菅政権を倒したのは医系技官や専門家

拡大記者会見する菅義偉首相と政府対策分科会の尾身茂会長(右)=2021年9月9日、首相官邸
――尾身さんは菅義偉首相の記者会見の時は隣に立っていましたが、岸田文雄首相になって出なくなりましたね。

上 そうですね。もう立たせないんでしょう。安倍晋三政権、菅政権を倒したのは、尾身さんがOBである医系技官や専門家ですよ。

――安倍さん、菅さんはそのことに気が付いていないですよね。

上 気が付いていないと思います。

――官邸の官僚たちは気が付いていたんでしょうか。

上 気が付いていなかったでしょう。この問題に気が付いて正面切ってしゃべっていたのは厚労大臣経験者の舛添(要一)さんや塩崎(恭久)さんです。厚労大臣を経験しないとここまでの話はわからないでしょう。

――同じ厚労大臣でもわかる人とわからない人がいるんじゃないですか。

上 わかっていても中途半端にやったら自分の責任になりますからね。医系技官は記者クラブとか手なずけるのは得意なんですよ。

――記者会見とか記者レクで教え込むわけですか。

医系技官の政治力の源泉
上 そういうものが好きなんですよ。記者さんたちと飲みに行くとかね。もっと言えば、医系技官は国立病院に入院のあっせんができるので、政治家も頭が上がらなくなるんですね。政治家は後援会の関係でそういうことをよく頼まれるんですよ。

 私は国立がんセンターのスタッフをやっている時にさんざん見ました。国立がんセンターの事務の責任者は医系技官なので、政治家が後援会の人の面倒を見てやってほしいと言ってくる。医系技官はこの入院を優先させるのですが、私はしょっちゅうこういう事例を見ました。

 「後援会の人だけど、何とかしてほしい」と頼まれたら、医系技官は「私できますよ」と受ける。だから、政治家は医系技官に頭が上がらなくなる。医系技官の政治的な力というのは、こういうところにあるんです。

 PCR検査が日本でまったく増えなかったのは、医系技官の天下り先である保健所を守るために、PCR検査をやたらに増やさないという彼らの思惑が通るという、政治的な構造が背景にあるんです。

――医系技官は国立がんセンターの事務の責任者なんかになっているわけですか。

上 私が国立がんセンターにいたころは、病院長と事務長が横並びでした。普通の病院では、病院長の下に事務長というポジションなんですが、国立がんセンターの場合は病院長と同列の事務長が医系技官の幹部ポストなんです。

 一般的な会社の取締役級に当たる審議官級で、医系技官はそういうポストを他にもいっぱい持っているんです。これは指定職と言うんですが、この指定職になると退職金が数割増しになる。だから、厚労省本省で局長になれない人間は、全部こういうところに送り込んでいるんです。国立がんセンターの事務長とか成田空港の検疫所長とかですね。

 こういう構造は他の中央省庁では見られません。財務省に入った人は優秀な人でも全員は指定職になれないんです。医系技官に特有のこういう構造はほとんど知られていないでしょう。だから彼ら医系技官は政治家の「御典医」になるんです。

国立がんセンターの先生に診てもらうと票が増える!
――これは国立がんセンター特有の問題ですか。

上 政治家は、どんな県でも国立がんセンターの先生に診てもらう。うまく行かなくても顔が立つじゃないですか。政治家先生のおかげだっていうことで票が増えるでしょう。

――たしかに。

上 口利いてくれて、テレビで見ているあの先生に会えてよかったって言われるんですよ。

――国立がんセンター以外の病院でも、同じようなことはあるのでしょうか。

上 もちろんあります。厚労省は国立循環器病研究センターを大阪に持っていますし、国立国際医療研究センターや国立精神神経センター、国立小児医療センター、それから他の国立病院にもあります。

――要するに、国立という名前がつくところはどこでもあるということでしょうか。

上 厚生労働省の病院ですからね。

――医系技官にとって目に見えない強みですね

上 強みです。国立がんセンターとかに行ったら、そういう関係者がたくさん入院していますよ。(続く)

感想
トップがひどいと、下もひどくなるものです。
イワシも頭から腐ると言います。

国民が声をあげないのも問題をそのままにしているようです。

国を責め、殺害、強盗、強姦、拷問・・・。
そのプーチン大統領を選べ、かつ80%が支持しているロシア国民。
これは共犯者です。
もし、自分の命や家族の命が奪われても平気な人なのでしょうか?
もしそうなら恐ろしいです。
プルシェンコ氏もそういう人なのかもしれません。
いくらスケートで素晴らしくても人として問題を抱えているのでしょう。