心屋仁之助ブログ
心屋塾
・目次
人間関係にまつわるさまざまな「思い込み=(神話)」を手放していく大切さをお伝えしていきます。
1)「いい人」を手放す
2)「わたしは正しい」を手放す
3)「あの人に勝ちたい」を手放す
4)「がまん」を手放す
5)「わたしにはできない」を手放す
あなたの「ありよう」が人間関係に映し出されている
・自分を「いい人」に見せることは、いわば、ほかの誰かの視線のなかで人生を生きているようなもの。厳しいいい方をすれば、自分をなくしてしまっているのです。
自分をなくすというのは、文字通り「自身がない」ということ。自身がなければ、どんどん「自信」もなくなっていきます。
・「いい人」を演じる人は、がんばって生きてきた人
・自己実現とは、捨て去りたい「過去の自分」を肯定すること
・子どもに「しっかりしなさい!」「もっとがんばりなさい!」と叱ってしまうのです。
そう、そんな母親たちは、自分が子どもだったころの「お母さん」にそっくり。
そのようにして、自分も知らぬ間に子どもに罪悪感を植えつけていくなんて、なんと皮肉なことでしょうか。
・大切なのは、裁かないこと。
まず受け止めること。
そして、肯定的な会話をしていくこと。
ANDで話しておいくこと。
・嫌なことをやめて、やりたいことをやる
・がまんを減らすだけで、勝手に「好き」が増えていく
・愛情があっても、言葉で伝えないとわからない
・親を許すことではじめて、あなたは自由になれる
・親不孝な子になって、勝手に幸せになる
・あなたがめぐり会う人の数だけ、「知らなかった自分」がこの世界にある
感想;
臨済宗の言葉に「人惑」があります。
米国の社会心理学者ワッソは「人惑」を「社会的催眠」と訳しました。
自分の価値観などは、親や先生から刷り込まれていて、あたかも自分の考えだと思わされている。
その考え方を疑ってみることが必要だと説いています。
「いい人でいないといけない」もその一つなのかもしれません。
今旧統一教会の問題が多く噴出しています。
まさに旧統一教会によって催眠術をかけられている(洗脳されているとも)状態なのです。
本人は良いことをしているのですが、それが自分を不幸せにして、かつ家族も不幸せにして、そして周りも不幸せにしていることに気づいていないのです。
”人惑”はまずは、自分の考えから離れて、客観的に見てみましょうといっています。
その中には良い考えもあれば採用すればよいのです。
悲しいかな、旧統一教会の信者さんはそのことにまだ気付いていないようです。
とことん落ちてようやく気付くのかもしれません。
仏教用語に「唯識」があります。
は今見えている社会は自分の考え方を通して見えている社会だということです。
そうすると、自分の考え方を変えてみると、社会は違って見えるとのことです。
著者はまさに自分の考え方を変えると辛いとの気持ちも変わるのかもしれません。
今が不幸だと思うと、自分のそういう考え方を通して自分の現実をみているのです。
自分一人で行動できても、不幸だと言っている人が、「末期がん」と宣告されると、神様にきっとお願いすると思います。私もがんになり、神様にお願いしました。(笑)
「このガンを治してください。治して下さったらできることならなんでもします」と。
もし、今末期がんでないとすると、実は神様が動ける状態を与えて下さっていることになります。
とてもステキで素晴らしいことです。
残念ながら病気になって初めて気付きます。
病気になる前に気づくと、自分の世界は輝いているように思えるかもしれません。
これが”唯識”、自分の今の世界は自分の認識が決めているということになります。
月並みな言葉だと、ないものを見るのではなく、あるものを見るになります。
あるものに感謝してそれを活かせたらなんとステキなんでしょう。
もちろん、ないものを見て、身に付けることも素晴らしいことです。
心屋塾
・目次
人間関係にまつわるさまざまな「思い込み=(神話)」を手放していく大切さをお伝えしていきます。
1)「いい人」を手放す
2)「わたしは正しい」を手放す
3)「あの人に勝ちたい」を手放す
4)「がまん」を手放す
5)「わたしにはできない」を手放す
あなたの「ありよう」が人間関係に映し出されている
・自分を「いい人」に見せることは、いわば、ほかの誰かの視線のなかで人生を生きているようなもの。厳しいいい方をすれば、自分をなくしてしまっているのです。
自分をなくすというのは、文字通り「自身がない」ということ。自身がなければ、どんどん「自信」もなくなっていきます。
・「いい人」を演じる人は、がんばって生きてきた人
・自己実現とは、捨て去りたい「過去の自分」を肯定すること
・子どもに「しっかりしなさい!」「もっとがんばりなさい!」と叱ってしまうのです。
そう、そんな母親たちは、自分が子どもだったころの「お母さん」にそっくり。
そのようにして、自分も知らぬ間に子どもに罪悪感を植えつけていくなんて、なんと皮肉なことでしょうか。
・大切なのは、裁かないこと。
まず受け止めること。
そして、肯定的な会話をしていくこと。
ANDで話しておいくこと。
・嫌なことをやめて、やりたいことをやる
・がまんを減らすだけで、勝手に「好き」が増えていく
・愛情があっても、言葉で伝えないとわからない
・親を許すことではじめて、あなたは自由になれる
・親不孝な子になって、勝手に幸せになる
・あなたがめぐり会う人の数だけ、「知らなかった自分」がこの世界にある
感想;
臨済宗の言葉に「人惑」があります。
米国の社会心理学者ワッソは「人惑」を「社会的催眠」と訳しました。
自分の価値観などは、親や先生から刷り込まれていて、あたかも自分の考えだと思わされている。
その考え方を疑ってみることが必要だと説いています。
「いい人でいないといけない」もその一つなのかもしれません。
今旧統一教会の問題が多く噴出しています。
まさに旧統一教会によって催眠術をかけられている(洗脳されているとも)状態なのです。
本人は良いことをしているのですが、それが自分を不幸せにして、かつ家族も不幸せにして、そして周りも不幸せにしていることに気づいていないのです。
”人惑”はまずは、自分の考えから離れて、客観的に見てみましょうといっています。
その中には良い考えもあれば採用すればよいのです。
悲しいかな、旧統一教会の信者さんはそのことにまだ気付いていないようです。
とことん落ちてようやく気付くのかもしれません。
仏教用語に「唯識」があります。
は今見えている社会は自分の考え方を通して見えている社会だということです。
そうすると、自分の考え方を変えてみると、社会は違って見えるとのことです。
著者はまさに自分の考え方を変えると辛いとの気持ちも変わるのかもしれません。
今が不幸だと思うと、自分のそういう考え方を通して自分の現実をみているのです。
自分一人で行動できても、不幸だと言っている人が、「末期がん」と宣告されると、神様にきっとお願いすると思います。私もがんになり、神様にお願いしました。(笑)
「このガンを治してください。治して下さったらできることならなんでもします」と。
もし、今末期がんでないとすると、実は神様が動ける状態を与えて下さっていることになります。
とてもステキで素晴らしいことです。
残念ながら病気になって初めて気付きます。
病気になる前に気づくと、自分の世界は輝いているように思えるかもしれません。
これが”唯識”、自分の今の世界は自分の認識が決めているということになります。
月並みな言葉だと、ないものを見るのではなく、あるものを見るになります。
あるものに感謝してそれを活かせたらなんとステキなんでしょう。
もちろん、ないものを見て、身に付けることも素晴らしいことです。
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