・「良い運気」を引き寄せる方法
1)「人生の習慣を改める」
2)「人生の解釈を変える」
3)「人生の覚悟を定める」
・「運気」とは
1)「直観」が閃く
2)「予感」が当たる
3)「好機」を掴む
4)「シンクロニシティ」が起こる
5)「コンステレーション(星座)」を感じる
・我々の「心の状態」が、その心と共鳴するものを「引き寄せる」
・「心の五つの世界」
1) 個人的な意識の世界
2) 集合的な意識の世界
3) 個人的な無意識の世界
4) 集合的な無意識の世界
5) 超時空的な無意識の世界
・なぜ、「愚痴の多い人」から「良い運気」が去っていくのか
1) この表面意識の世界が「ネガティブな想念」で満たされていると、我々は、本来、持っている力を発揮できなくなるからである。
2) 表面意識の世界が「ネガティブな想念」で満たされていると、その想念が、自然に「ネガティブな言葉」となって口を衝いて出るため、周りの人を遠ざけてしまうからである。
3) 実は、これが最も重要な理由であるが、人間同士のコミュニケーションの8割は、「ノンバーバル」(非言語的)だからである。
・一つの原因となるのが、無意識の中にある「自己懲罰意識」である。
すなわち、過去の人生において、自分を責めざるを得ない出来事があったとき、それが強いトラウマ(心的外傷)となって無意識の世界に固着し、その無意識の世界に生まれる「こんな自分は、幸せになってはいけない」「こんな自分には、きっと酷い罰が当たる」といった自己懲罰意識が、自分の人生の選択や行動を支配してしまうのである。
・「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」
・なぜ、従来の「無意識を変える方法」が効果を発揮しないのか
ポジティブな 想念を、強く抱く
言葉を、何度も語る
言葉を書いて、繰り返し見る
イメージを、心に焼き付ける
理由
1) 我々の無意識の世界には、日々、多くのネガティブな想念が刷り込まれ続けているからである。
2) 我々の無意識の世界には、すでに、かなりのネガティブな想念が染み込んでしまっているからである。
3) 我々の無意識の世界は、表面意識の世界と反対の想念が生まれる「双極的な性質」を持っているため、ポジティブな想念を抱こうとすると、逆に、心の奥深くにネガティブな想念が生まれてしまうからである。
・「無意識のネガティブな想念」を浄化していく技法
3つの習慣
1) 自然の偉大な浄化力に委ねる
自然の中に身を浸すこと
2) 言葉の密かな浄化力を活かす
ネガティブな日常言葉を使わない
ポジティブな日常言葉を使う
「意識的な自己暗示」は、実は、あまり無意識の世界に浸透していかないが、「無意識的に使う日常言葉」は、恐ろしいほどに無意識の世界に浸透していくことを理解する必要がある。
例えば、「駄目だ!」「無理だ!」「酷い!」「最低だ!」といった、ものごとを強く、威圧的に否定する言葉は、日常生活において、できるだけ使うべきではない。
・他人を非難し否定する言葉は、自分に戻ってくる。
「人を呪わば、穴二つ」
これは、「人を呪いk殺そうとすれば、相手と自分の墓穴、二つが必要になる」という意味の諺であるが、「殺す」という極端な例でなくとも、誰かを強く怨み、怨みの言葉を心に刻むとき、その相手にも悪しきことが起こるが、同じ悪しきことが、自分にも返ってくることを戒めた言葉である。
・「三つの感」の言葉を使うと「良い運気」を引き寄せる
① 「感嘆」の言葉(誰かの良いところを褒める言葉のことである)
② 「感謝」の言葉
③ 「感動」の言葉
・なぜ、「言葉」を発するだけで、「心」が変わるのか
それは、仏教思想で語られる「身心一如」という考えである。
すなわし、我々の「心」と「身体」は、本来、一つであり、「心」が「身体」の姿勢を変えると同時に、「身体」が「心」の姿勢を変えるのである。
・ネガティブな想念の多くは「人間関係」から生まれる。
実は、このネガティブな想念に対処するには、一つの明確な方法がある。
それは、「すべての人と和解する」ことである。
「心の世界」で一人一人と和解することである。
第一の手順;「結ばれの内観」である。
第二の手順;「感情の明確化」である。
第三の手順;「相手との和解」である。
・なぜ、「感謝」の言葉は、心を大きく変えるのか
① 「心の中で」(「相手と直接会って和解する必要はない」)
② 「感謝を述べる」(「感謝」であって、「謝る」ことでも、「許す」ことでもない。
③ 「言葉を述べる」(「心の中で感謝する」のではなく、「心の中で感謝の言葉を述べる」)
3) 和解の想念の浄化力を用いる
心の中で「□□さん、有り難うございます」とつぶやいて頂きたい。
さらに、そのつぶやきを何度か繰り返して頂きたい。ただ、それだけである。
・相手を責める気持ちが、自分の心を苦しめている。
すなわち、自分の中の相手を責める気持ちが、自分の心を苦しめているのである。
・人生の解釈を変える
・自分の人生には多くの「成功体験」があることに気がつく
成功体験の棚卸しを行っていくとき、一つ、大切なことがある。
それは、「考える」のではなく、「感じる」ことである。
成功体験と重なる「音楽」は、無意識の世界を浄化する。
・自分が「運の強い人間」であることに気がつく。
運の強い人間とは、「自分は運が強い」と信じている人間だ。
・幸運は、「不運な出来事」の姿をして、やってくる。
・人生の「解釈力」こそが「良い運気」を引き寄せる。
ある人が、海外出張中に自動車を運転していて、一瞬のミスから大事故を起こし、病院に担ぎ込まれた。しかし、大手術の結果、一命は取り留めたものの、左足を切断するという結果になってしまったのである。
麻酔から覚め、その現実を知ったこの人は、「一瞬の不注意によって人生を棒に振ってしまったことを思い、悲嘆のどん底に投げ込まれていた、
しかし、事故の知らせを受けて日本から駆けつけたこの人の奥さんは、病室に入るなり、旦那さんを抱きしめ、何と言ったか。
「あなた、良かったわね!
命は助かった!
右足は残ったじゃない!」
このエピソードが、我々に教えてくれる、大切な「人生の真実」がある。
・誰もが、人生における「究極の成功体験」を持っている。
「究極の成功体験」とは何か。
そもそも、こうして「生きている」ことが、有り難いこと。
そのことに、気がつくことである。
生きていることの「奇跡」を知る。
・「五つの覚悟」
1) 自分の人生は、大いなる何かに導かれている、と信じる
2) 人生で起こること、すべて、深い意味がある、と考える
3) 人生における問題、すべて、自分に原因がある、と引き受ける
4) 大いなる何かが、自分をおだてようとしている、と受け止める
5)逆境を超える叡智は、すべて、与えられる、と思い定める
・「ああ、明日死のうが、明後日死のうが、
それが天の定めならば、仕方が無い!
しかし、今日という一日は、決して無駄にしない。
今日という一日を、精一杯に生き切ろう!」
・「祈り」とは
手を合わせて祈っている間の想念が「祈り」なのではない。
本当は、心の奥深くに常に存在する想念ことが
最も強い「祈り」になってしまうのである。
・ネガティブな想念を生まない、究極の「祈り」の技法とは
それは「全託の祈り」である。
「導きたまえ」
それだけである。
なぜなら、我々の人生は、
現象的に何があろうとも、
本来、大いなる何かによって、
必ず、良き方向に導かれる人生だからである。
そして、その大いなる何かとは、
我々の心の奥深くに存在する
「真我」と呼ぶべき、我々自身だからである、
人生で起こること、すべて良きこと。
・オーストラリアの心理学者、ヴィクトール・フランクルは、第二次世界大戦において、ユダヤ人であったため、ナチスドイツによって家族とともの強制収容所に投獄され想像を絶する過酷な境遇の中で両親と妻を殺され、自身も殺される直前に、九死に一生を得て生還したという体験を持った人物である。
しかし、彼は、後に出版した著書の題名、『それでも人生にイエスと言う』に象徴されるように、そうした過酷な体験も含め、人生で与えられたもの、すべてを肯定するという、思想を語っている。
・ドイツの哲学者、フリードリッヒ・ニーチェは、その著書『この人を見よ』の中で、「永劫回帰」の思想を語っている。
この思想は、もし、仮に、全く同じ人生が、未来永劫、何度も繰り返し与えられるとしても、その人生における耐え難い苦痛や苦悩も含め、すべてを受け入れ、肯定するという思想である。
・この「絶対肯定」の思想とは、「ポジティブなもの」と「ネガティブなもの」という二項対立の中での「ポジティブなもの」を語る思想ではなく、「ポジティブなもの」も「ネガティブなもの」も含め、すべてを絶対的に肯定していうという意味での「究極のポジティブ思想」である
・我々の無意識の世界には「引き寄せの法則」があるがゆえに、「良い運気」を引き寄せるためには、無意識の世界のネガティブな想念を消し、その世界をポジティブな想念で満たしていく必要がある。
・我々あ真に求めていたものは、「良い運気」を引き寄せることではなかった。
我々が求めていたものは、「人生を拓く」ことであった。
そのためには我々が為すべきは、
ただ「心を磨く」こと。「心を磨き続ける」こと。
・インドの思想家、クリシェナムルティが語った言葉が、深く、心に響いてくる。
あなたは、世界であり、
世界は、あなたである。
感想;
自分の考え方、出来事に対する受け留め方が人生を決めて行くように思いました。
仏教用語”唯識”
この世界は、自分がどう思うかによって変わる。
何か大きな事業を起こした人の多くは、当初考えたことが挫折した時に出遭ったことがきっかけだったと言われています。
その挫折を上手く生かしたのではないでしょうか。
幸運は、「不運な出来事」の姿をして、やってくる
この言葉を肝に銘じて、不運な出来事を受け容れる気持ちとその意味を見つけることで、それがきっかけとなり幸運に辿り着くのかもしれません。
無縁坂-グレープ
運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたをみててそう思う
この本の言っていることによれば、悪い運もよくしていくことなのでしょう。
人生からの過酷な問いかけにどう応えて生きるか。
この本に出ていたヴィクトール・フランクルが始めたロゴセラピーが大きなヒントを与えてくれています。
1)「人生の習慣を改める」
2)「人生の解釈を変える」
3)「人生の覚悟を定める」
・「運気」とは
1)「直観」が閃く
2)「予感」が当たる
3)「好機」を掴む
4)「シンクロニシティ」が起こる
5)「コンステレーション(星座)」を感じる
・我々の「心の状態」が、その心と共鳴するものを「引き寄せる」
・「心の五つの世界」
1) 個人的な意識の世界
2) 集合的な意識の世界
3) 個人的な無意識の世界
4) 集合的な無意識の世界
5) 超時空的な無意識の世界
・なぜ、「愚痴の多い人」から「良い運気」が去っていくのか
1) この表面意識の世界が「ネガティブな想念」で満たされていると、我々は、本来、持っている力を発揮できなくなるからである。
2) 表面意識の世界が「ネガティブな想念」で満たされていると、その想念が、自然に「ネガティブな言葉」となって口を衝いて出るため、周りの人を遠ざけてしまうからである。
3) 実は、これが最も重要な理由であるが、人間同士のコミュニケーションの8割は、「ノンバーバル」(非言語的)だからである。
・一つの原因となるのが、無意識の中にある「自己懲罰意識」である。
すなわち、過去の人生において、自分を責めざるを得ない出来事があったとき、それが強いトラウマ(心的外傷)となって無意識の世界に固着し、その無意識の世界に生まれる「こんな自分は、幸せになってはいけない」「こんな自分には、きっと酷い罰が当たる」といった自己懲罰意識が、自分の人生の選択や行動を支配してしまうのである。
・「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」
・なぜ、従来の「無意識を変える方法」が効果を発揮しないのか
ポジティブな 想念を、強く抱く
言葉を、何度も語る
言葉を書いて、繰り返し見る
イメージを、心に焼き付ける
理由
1) 我々の無意識の世界には、日々、多くのネガティブな想念が刷り込まれ続けているからである。
2) 我々の無意識の世界には、すでに、かなりのネガティブな想念が染み込んでしまっているからである。
3) 我々の無意識の世界は、表面意識の世界と反対の想念が生まれる「双極的な性質」を持っているため、ポジティブな想念を抱こうとすると、逆に、心の奥深くにネガティブな想念が生まれてしまうからである。
・「無意識のネガティブな想念」を浄化していく技法
3つの習慣
1) 自然の偉大な浄化力に委ねる
自然の中に身を浸すこと
2) 言葉の密かな浄化力を活かす
ネガティブな日常言葉を使わない
ポジティブな日常言葉を使う
「意識的な自己暗示」は、実は、あまり無意識の世界に浸透していかないが、「無意識的に使う日常言葉」は、恐ろしいほどに無意識の世界に浸透していくことを理解する必要がある。
例えば、「駄目だ!」「無理だ!」「酷い!」「最低だ!」といった、ものごとを強く、威圧的に否定する言葉は、日常生活において、できるだけ使うべきではない。
・他人を非難し否定する言葉は、自分に戻ってくる。
「人を呪わば、穴二つ」
これは、「人を呪いk殺そうとすれば、相手と自分の墓穴、二つが必要になる」という意味の諺であるが、「殺す」という極端な例でなくとも、誰かを強く怨み、怨みの言葉を心に刻むとき、その相手にも悪しきことが起こるが、同じ悪しきことが、自分にも返ってくることを戒めた言葉である。
・「三つの感」の言葉を使うと「良い運気」を引き寄せる
① 「感嘆」の言葉(誰かの良いところを褒める言葉のことである)
② 「感謝」の言葉
③ 「感動」の言葉
・なぜ、「言葉」を発するだけで、「心」が変わるのか
それは、仏教思想で語られる「身心一如」という考えである。
すなわし、我々の「心」と「身体」は、本来、一つであり、「心」が「身体」の姿勢を変えると同時に、「身体」が「心」の姿勢を変えるのである。
・ネガティブな想念の多くは「人間関係」から生まれる。
実は、このネガティブな想念に対処するには、一つの明確な方法がある。
それは、「すべての人と和解する」ことである。
「心の世界」で一人一人と和解することである。
第一の手順;「結ばれの内観」である。
第二の手順;「感情の明確化」である。
第三の手順;「相手との和解」である。
・なぜ、「感謝」の言葉は、心を大きく変えるのか
① 「心の中で」(「相手と直接会って和解する必要はない」)
② 「感謝を述べる」(「感謝」であって、「謝る」ことでも、「許す」ことでもない。
③ 「言葉を述べる」(「心の中で感謝する」のではなく、「心の中で感謝の言葉を述べる」)
3) 和解の想念の浄化力を用いる
心の中で「□□さん、有り難うございます」とつぶやいて頂きたい。
さらに、そのつぶやきを何度か繰り返して頂きたい。ただ、それだけである。
・相手を責める気持ちが、自分の心を苦しめている。
すなわち、自分の中の相手を責める気持ちが、自分の心を苦しめているのである。
・人生の解釈を変える
・自分の人生には多くの「成功体験」があることに気がつく
成功体験の棚卸しを行っていくとき、一つ、大切なことがある。
それは、「考える」のではなく、「感じる」ことである。
成功体験と重なる「音楽」は、無意識の世界を浄化する。
・自分が「運の強い人間」であることに気がつく。
運の強い人間とは、「自分は運が強い」と信じている人間だ。
・幸運は、「不運な出来事」の姿をして、やってくる。
・人生の「解釈力」こそが「良い運気」を引き寄せる。
ある人が、海外出張中に自動車を運転していて、一瞬のミスから大事故を起こし、病院に担ぎ込まれた。しかし、大手術の結果、一命は取り留めたものの、左足を切断するという結果になってしまったのである。
麻酔から覚め、その現実を知ったこの人は、「一瞬の不注意によって人生を棒に振ってしまったことを思い、悲嘆のどん底に投げ込まれていた、
しかし、事故の知らせを受けて日本から駆けつけたこの人の奥さんは、病室に入るなり、旦那さんを抱きしめ、何と言ったか。
「あなた、良かったわね!
命は助かった!
右足は残ったじゃない!」
このエピソードが、我々に教えてくれる、大切な「人生の真実」がある。
・誰もが、人生における「究極の成功体験」を持っている。
「究極の成功体験」とは何か。
そもそも、こうして「生きている」ことが、有り難いこと。
そのことに、気がつくことである。
生きていることの「奇跡」を知る。
・「五つの覚悟」
1) 自分の人生は、大いなる何かに導かれている、と信じる
2) 人生で起こること、すべて、深い意味がある、と考える
3) 人生における問題、すべて、自分に原因がある、と引き受ける
4) 大いなる何かが、自分をおだてようとしている、と受け止める
5)逆境を超える叡智は、すべて、与えられる、と思い定める
・「ああ、明日死のうが、明後日死のうが、
それが天の定めならば、仕方が無い!
しかし、今日という一日は、決して無駄にしない。
今日という一日を、精一杯に生き切ろう!」
・「祈り」とは
手を合わせて祈っている間の想念が「祈り」なのではない。
本当は、心の奥深くに常に存在する想念ことが
最も強い「祈り」になってしまうのである。
・ネガティブな想念を生まない、究極の「祈り」の技法とは
それは「全託の祈り」である。
「導きたまえ」
それだけである。
なぜなら、我々の人生は、
現象的に何があろうとも、
本来、大いなる何かによって、
必ず、良き方向に導かれる人生だからである。
そして、その大いなる何かとは、
我々の心の奥深くに存在する
「真我」と呼ぶべき、我々自身だからである、
人生で起こること、すべて良きこと。
・オーストラリアの心理学者、ヴィクトール・フランクルは、第二次世界大戦において、ユダヤ人であったため、ナチスドイツによって家族とともの強制収容所に投獄され想像を絶する過酷な境遇の中で両親と妻を殺され、自身も殺される直前に、九死に一生を得て生還したという体験を持った人物である。
しかし、彼は、後に出版した著書の題名、『それでも人生にイエスと言う』に象徴されるように、そうした過酷な体験も含め、人生で与えられたもの、すべてを肯定するという、思想を語っている。
・ドイツの哲学者、フリードリッヒ・ニーチェは、その著書『この人を見よ』の中で、「永劫回帰」の思想を語っている。
この思想は、もし、仮に、全く同じ人生が、未来永劫、何度も繰り返し与えられるとしても、その人生における耐え難い苦痛や苦悩も含め、すべてを受け入れ、肯定するという思想である。
・この「絶対肯定」の思想とは、「ポジティブなもの」と「ネガティブなもの」という二項対立の中での「ポジティブなもの」を語る思想ではなく、「ポジティブなもの」も「ネガティブなもの」も含め、すべてを絶対的に肯定していうという意味での「究極のポジティブ思想」である
・我々の無意識の世界には「引き寄せの法則」があるがゆえに、「良い運気」を引き寄せるためには、無意識の世界のネガティブな想念を消し、その世界をポジティブな想念で満たしていく必要がある。
・我々あ真に求めていたものは、「良い運気」を引き寄せることではなかった。
我々が求めていたものは、「人生を拓く」ことであった。
そのためには我々が為すべきは、
ただ「心を磨く」こと。「心を磨き続ける」こと。
・インドの思想家、クリシェナムルティが語った言葉が、深く、心に響いてくる。
あなたは、世界であり、
世界は、あなたである。
感想;
自分の考え方、出来事に対する受け留め方が人生を決めて行くように思いました。
仏教用語”唯識”
この世界は、自分がどう思うかによって変わる。
何か大きな事業を起こした人の多くは、当初考えたことが挫折した時に出遭ったことがきっかけだったと言われています。
その挫折を上手く生かしたのではないでしょうか。
幸運は、「不運な出来事」の姿をして、やってくる
この言葉を肝に銘じて、不運な出来事を受け容れる気持ちとその意味を見つけることで、それがきっかけとなり幸運に辿り着くのかもしれません。
無縁坂-グレープ
運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたをみててそう思う
この本の言っていることによれば、悪い運もよくしていくことなのでしょう。
人生からの過酷な問いかけにどう応えて生きるか。
この本に出ていたヴィクトール・フランクルが始めたロゴセラピーが大きなヒントを与えてくれています。
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