女優。座右の銘、大嫌い。風邪ひかない、転ばない。ピラティス、もう5年やっている。朝起きたら足を上げてバタバタさせる。
コケティッシュな魅力。普段も着物姿。結城紬百二十
1943年生まれ。17歳でスカウト。小悪魔のような魅力。「月曜日のユカ」、「泥の河」、キネマ旬報で女優賞。単身パリグラスも。好奇心持ったら角をすべて曲がってしまう。
1曲目 バロック音楽『ディドとエネアス』が流れる。思入れのある出演映画の曲「乾いた花」篠田正浩監督。池辺良さんを見つめるところで流れる曲。
父がプロジューサーだったので、有名人が訪れていた。家に帰ったら美空ひばりさんが座っていたりとか。有名な人に逢うのには慣れていた。
小さい時から本を読むことが好き。家では大人しかいなくて、相手にされず、放っておかれた。神保町の古本屋に通っていた。都で走り幅跳びで一番になった。伯父はオリンピックにも出た。
高校時代に「キャンティ」伝説のイタリアレストランに通う。そうしたらボーイフレンドが親が新しくお店開けるのでと言われて付いて行った。各界の一流の人たちを間近に見た。その人の話が魅力的。単独でそこに通った。面白いと思った所へは一人で行った。どこの曲がり角にも曲がった。好奇心持ったらその方向へ。気取れない。自由な人生。世間体に何の価値がないと母に言われた。高校を出なくても構わない。母がわかってくれていた。人にどう思われるか一切気にしない。父は世間に迷惑かけなければよい。映画に出ると高校二年の時に寺山修司さんと篠田正浩二人に声かけられた。青森弁でとつとつと話しかけられた。彼らが作ろうとする映画が横やりが入ってダメになり、素人を使わないといけない。聞いていたらかわいそうになって手伝ってあげようと思った。素朴な感じがした。父に話をしたら、「お前が人助けできると思わないけど」と言って賛成してくれた。
女優がどんどん嫌になってきた。週刊誌に加賀まりこの嘘ばっかり書かれた。誰かと付き合っているとか。役者なんか嫌い。パリに移った。パリで新しい商売を始めようと思った。フランス語勉強して。シャネルのスーツを着たり。車の高級車が買えるくらい。マンション買おうと守りをしようと思ったことがない。合計で3年パリにいた。浅利慶太さんから「オンディーヌ」にでないかと声をかけられた。高校の演劇部にいた姉に「あなたになんかにできるわけないよ」と言われた。そう言われて「やってやろう」と思って帰って来た。やってみたら、あまりにもできないことがわかった。力不足を思い知らされた。大変だった。初日が開いた。幕が降りたら拍手の喝さい。こんな気持ちの良いことはなかった。2か月は精一杯やった。そこで四季の研究生に入った。その後にまた松竹の映画に出た。録音部の人が、あなたの声は前は針が動かなかった。今は動いていると褒めてくれた。
倉本聰さんの「やすらぎの里」。倉本さんの作品は昔から出ていた。浅丘ルリ子さんとは普段から一緒。ショッピング、ランチ。浅丘ルリ子さんは一人にできない。麻雀は何も考えないからガス抜きになる。一度オフにするに麻雀をやるとその後は台詞がスーッと入る。一緒に暮らすパートナーが麻雀が好き。性格は穏やかな方。こんな私を引き受けてくれたのだから。それまではずーっと友だち。加賀さんから猛アタック。「こいつはほっとけないな」と思ってくれた。今年で15年経った。これまで甘えること、人生を委ねることがなかった。これも初めての路地。愛されることがなかった。
石川さゆりさんが大好き。「飢餓海峡」。仲良くなったのは20代から。彼女はチャレンジ精神が旺盛で応援したい。「あーあ、良いね」
未練がない。友だちにエレベスト行く人がいて。ちょっと入山してみたい。
これからもノックして新しい路地を曲がってください、後ろを付いて行きます(サワコ)。
感想;
世間の評価を一切気にせずに、自分のやりたいことをやる。
母親が「世間の評価を気にしない」と言って育てられたそうです。
確かに、自分の人生ですから、世間の人のために生きているのではないですから。
演じることの努力もしっかりなさっていました。
若い頃の写真を見ていたら、桐谷美玲さんに似ているように思いました。
コケティッシュな魅力。普段も着物姿。結城紬百二十
1943年生まれ。17歳でスカウト。小悪魔のような魅力。「月曜日のユカ」、「泥の河」、キネマ旬報で女優賞。単身パリグラスも。好奇心持ったら角をすべて曲がってしまう。
1曲目 バロック音楽『ディドとエネアス』が流れる。思入れのある出演映画の曲「乾いた花」篠田正浩監督。池辺良さんを見つめるところで流れる曲。
父がプロジューサーだったので、有名人が訪れていた。家に帰ったら美空ひばりさんが座っていたりとか。有名な人に逢うのには慣れていた。
小さい時から本を読むことが好き。家では大人しかいなくて、相手にされず、放っておかれた。神保町の古本屋に通っていた。都で走り幅跳びで一番になった。伯父はオリンピックにも出た。
高校時代に「キャンティ」伝説のイタリアレストランに通う。そうしたらボーイフレンドが親が新しくお店開けるのでと言われて付いて行った。各界の一流の人たちを間近に見た。その人の話が魅力的。単独でそこに通った。面白いと思った所へは一人で行った。どこの曲がり角にも曲がった。好奇心持ったらその方向へ。気取れない。自由な人生。世間体に何の価値がないと母に言われた。高校を出なくても構わない。母がわかってくれていた。人にどう思われるか一切気にしない。父は世間に迷惑かけなければよい。映画に出ると高校二年の時に寺山修司さんと篠田正浩二人に声かけられた。青森弁でとつとつと話しかけられた。彼らが作ろうとする映画が横やりが入ってダメになり、素人を使わないといけない。聞いていたらかわいそうになって手伝ってあげようと思った。素朴な感じがした。父に話をしたら、「お前が人助けできると思わないけど」と言って賛成してくれた。
女優がどんどん嫌になってきた。週刊誌に加賀まりこの嘘ばっかり書かれた。誰かと付き合っているとか。役者なんか嫌い。パリに移った。パリで新しい商売を始めようと思った。フランス語勉強して。シャネルのスーツを着たり。車の高級車が買えるくらい。マンション買おうと守りをしようと思ったことがない。合計で3年パリにいた。浅利慶太さんから「オンディーヌ」にでないかと声をかけられた。高校の演劇部にいた姉に「あなたになんかにできるわけないよ」と言われた。そう言われて「やってやろう」と思って帰って来た。やってみたら、あまりにもできないことがわかった。力不足を思い知らされた。大変だった。初日が開いた。幕が降りたら拍手の喝さい。こんな気持ちの良いことはなかった。2か月は精一杯やった。そこで四季の研究生に入った。その後にまた松竹の映画に出た。録音部の人が、あなたの声は前は針が動かなかった。今は動いていると褒めてくれた。
倉本聰さんの「やすらぎの里」。倉本さんの作品は昔から出ていた。浅丘ルリ子さんとは普段から一緒。ショッピング、ランチ。浅丘ルリ子さんは一人にできない。麻雀は何も考えないからガス抜きになる。一度オフにするに麻雀をやるとその後は台詞がスーッと入る。一緒に暮らすパートナーが麻雀が好き。性格は穏やかな方。こんな私を引き受けてくれたのだから。それまではずーっと友だち。加賀さんから猛アタック。「こいつはほっとけないな」と思ってくれた。今年で15年経った。これまで甘えること、人生を委ねることがなかった。これも初めての路地。愛されることがなかった。
石川さゆりさんが大好き。「飢餓海峡」。仲良くなったのは20代から。彼女はチャレンジ精神が旺盛で応援したい。「あーあ、良いね」
未練がない。友だちにエレベスト行く人がいて。ちょっと入山してみたい。
これからもノックして新しい路地を曲がってください、後ろを付いて行きます(サワコ)。
感想;
世間の評価を一切気にせずに、自分のやりたいことをやる。
母親が「世間の評価を気にしない」と言って育てられたそうです。
確かに、自分の人生ですから、世間の人のために生きているのではないですから。
演じることの努力もしっかりなさっていました。
若い頃の写真を見ていたら、桐谷美玲さんに似ているように思いました。
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