英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『八重の桜』 第15話 「薩長の密約」

2013-04-14 20:14:19 | ドラマ・映画
薩長の密約(薩摩・西郷、長州・桂の密談)
「もしもの時は、会津と一戦交えてでん、(長州に)お味方いたしもうす」
「分からん。貴藩とは長年の敵同士、しかもわが藩は今、天下を敵に回しちょる。なんで、手を結ぼうとするんじゃ?」
「もはや徳川だけに国を任しちゃおられん。その思いは薩摩も同じでごわんで。
 そんために組む相手は会津じゃなか」
「むしろ会津は、都から取り除かねばないもはん」(大久保)
「桂さん、手をば汲みもうそう。
 お望みの様式銃を薩摩名義で調達いたしもす。そいで、信用しっくいあわせ」
「…………………分かりました。こちらこそ、何とぞ」


 それにしても、土佐脱藩浪士ってあまりの扱いじゃん!坂本竜馬。
 長州にとって、薩摩の申し出がおいし過ぎて、桂が訝しがるのも尤もだ。
 坂本竜馬の存在があってこその薩長同盟の説得力だ。
 薩英戦争がスルーされ、安政の大獄や桜田門外の変もあっさりだったが、どこかを省略しないといけないと思うが、それにしても、後姿だけとは!(私は竜馬ファンではないから別にいいんですけど)


「にしゃ(お主)の目は、会津になくてはならん。直すことも、お役目と思え」
 ここまで、あまりいいところがなかった田中土佐であったが、覚馬の目の異変に気づき、長崎へ新式銃の買い付けを命じ、目を医者に診てもらうよう計らう。


 軍制改革の進んだ長州が薩摩が調達した新式銃を駆使し幕府軍を圧倒する。
家茂、逝去
一橋慶喜、松平春嶽 密談

「宗家継承の議は謹んでお受けすることといたそう、だが、将軍職はご辞退申し上げる。
 慌てて将軍の座に飛びついたところで、足を引っ張られるばかりよ。
 おおかた貴公のもとにも、薩摩の者などが訪ねてきているのではないか?
 余はもう、そなたたちに担がれる神輿ではない。
 長州のことは、我が手で始末をつける」


〔コロコロ意見を変える男・慶喜の本心も。さまざまな思惑が絡みあう緊張感ある駆け引き、今後の展開から片時も目が離せません〕(番組サイトより)
 「コロコロ意見を変える男」であったが、春嶽に踊らされた容保という反面教師で学んだせいか、なかなか鋭い。

 決死の覚悟で出陣を決断したように思えたが、ころりと出陣を取り消す二心殿(慶喜)の真意は?

会津パートはあっさり目。
うらの苛立ち
 いつまでも夫・覚馬が帰ってこないのに、苛立ちを感じるうらは、娘のみねに厳しく接するようになる。
 そんな中で、会津で大火が……
                    次回が大変そうだ。

【ストーリー】番組サイトより
 1865(慶応元)年、函館から密航を企てた新島七五三太(オダギリジョー)がボストン港に降り立った。そして京では、それまで対立していた薩摩と長州が、坂本龍馬の暗躍により急接近を図っていた。
 年が明け、1866(慶応2)年6月、第二次長州征伐の戦端が開かれる。幕府勢は次第に追い込まれ、都での会津の立場が危うくなっていく。それと合わせるように、覚馬(西島秀俊)の目も悪化の一途をたどっていくのだった。
 会津では、覚馬の妻・うら(長谷川京子)が、一人娘のみね(豊嶋花)を厳しく叱るようになり、八重(綾瀬はるか)は不安を覚える。そんなある日、会津で大火事が起こり…。
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東京紀行 その1「東京(関東)へ」

2013-04-14 14:38:37 | 日記
 東京に行くのは4年ぶり。前回は女流棋士誕生35周年記念パーティ(2009年5月)で、観戦記者の小暮さんとyutanpo23さんと語り合ったのを鮮明に覚えていて、既にほぼ4年が経過している事実に驚きを感じる。
 今回の目的は、名人戦第1局(大盤解説)の観戦、というのは表向き。第1目的はブログ友達のkoumamaにお会いすること。ああ、こんな不純な羽生ファンがいるから、第1局、しかも先手番を落としてしまったのだ。
 あとはnanaponさんとssayさんと語り合うことだが、おっさん連中はどうでもよい(笑)。

 koumamaとはブログ開始(2008年10月)ほぼ直後のころから懇意にさせていただいております。koumamaも今回のことをブログの記事で書いてくださっています。美化しすぎのイラストですが私のポートレートも描いてくださっています。その記事のコメントでやはりブログ仲間のかっつんが「英さんとは僕のところでお友達になったんじゃなかったっけ? 感謝しろよ(笑) ふたりともぉ」と指摘されていました。
 そうだ、「私事とSeijiさんとかっつん②」(2008年11月23日)にkoumamaからコメントいただいています。多分、私へのコメント7人目。この記事にまたたびさんケロヨンからもコメントをいただいています。
 ちなみに、yutanpo23さんは5人目、かっつんは4人目、3人目は勝手さん、2人目はDanchoさんで、1人目はnanaponさんでした。ssayさんは100人目(いえ、適当です。「100人目」という切りの良い数字にしたので許して)。
 ssayさんの名はnanaponさんや渡辺明竜王のブログでよく拝見していて、鋭いなあと思っていましたが、直接のやり取りはなかったです。ブログでコメントやり取りを始めたのは、多分2011年の9月辺りです。

 koumamaにはそれ以降、仲良くさせていただいていて、コメントの数、質はダントツと言っていいほどです。彼女のファンは非常に多いです。かく言う私も彼女のファンで、プロフィール欄は彼女のイラスト(私が模したもの)を飾らしていただいています。(経緯はここ
 強敵・森内名人から名人位を奪取するのは難しく「居ても立っても居られない」という気持ちは偽りがないですが、東京に行けば彼女に会えるという下心もあった。ついでにnanaponnさんにも会えるし。
 2日目(10日)の夕方の方が都合がよかったそうですが、2日目に埼玉県に行って福井に帰るのは時間的に苦しいという私のわがままを聞いて仕事のシフトを変更していただき、1日目(9日)の夕方5時に会うことに……

(ここからは、臨場感を出すために、即時中継風に描写します。文体も常体が主になることをお許しください)
 出発は12時49分発「特急しらさぎ」。午前中は仕事。それから出発で慌ただしいようだが、朝一番の出発より支度は楽。早起きの必要もないし、前夜の興奮もそれほどではなかった。しかし、仕事をしながら「数時間後には関東にいて、koumamaやnanaponと会っていると思うと、不思議な気もする。
 武生駅に着くと、ホワイトボードに遅延のお知らせが。
「粟津駅(石川県)の踏切の安全確認の為9分の遅れ」
≪え?米原での乗り継ぎの時間が11分なので、2分しかないじゃん!米原まで距離があるから速度アップすれば多少遅れは取り返せるかも。敦賀駅なんてノンストップで通過しちゃえよ。まあ、走れば何とかなるだろう≫
 武生駅を8分遅れで発車と1分挽回。

 出発早々、ケチがついてしまった。
 更に、動揺することがもう一つ……何だか、腰や足回りが窮屈だなと思っていたら、スーツが違う。最近(と言っても数年前)新調した紺色のスーツではなく、やや薄い藍色のスーツを着ていた。このスーツは大学生になった時に初めて作ったもの……

≪大丈夫か、俺?≫
 切符、宿泊予約のメール、財布、時刻表、デジタルカメラ、充電器などを細かくチェックしたが…やはり浮ついていたんだろう。せっかくのデートなのに……まあ、破れてはいないようなので、koumamaには我慢してもらおう。(「薄い藍色」と表現したが、もともとは単なる「藍色」で、色あせただけかもしれない)
 とにかく、乗継を間違えて待ち合わせに遅れるのは最悪だ。
 列車の遅れは米原到着時には5分まで短縮。よく頑張った「しらさぎ」!
 小走りになる必要なく、ひかり522号に乗ることができた。
 平日の昼なので車内は空(す)いている。3人掛けの席も空いているので、一番窓際の席に着く………しかし、その後1時間20分程経った時、これが疑問手だったことに気がつく。その理由は…………


『えっ、このおじさんがどうかしたの?』
と、思ったでしょう。
 これ、実はコントラストを調整して分かりにくくしています。
 元の写真はこれ。

 そう、富士山です。(おじさん、ダシに使っちゃって、ごめんね)
 トリミングするとこれ。

 そうだった。2人掛けのシートに座るべきだった。あ~、4年前も同じこと思ったなあ。

 富士山も通過して、いよいよ関東へ。
コメント (12)
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