英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

6周年 その1?

2014-10-02 21:33:39 | 日記
 2008年の10月2日に「いよいよ10月」という記事で当ブログが始まりました。
 翌3日に「王位戦第7局 羽生名人(棋聖・王座・王将)×深浦王位」、4日に「アマチュア将棋名人戦」、7日に「NHK杯戦 阿部八段×久保八段」を書いており、同じ7日ですが、ようやく「あいさつ」の記事をアップしています。

 思いついた記事を書いて、無計画で勢いだけで始めてしまったような感じですが、この「あいさつ」の記事の
「nanaponさんのブログで、ここが紹介されてしまったので、手順前後ですが、ここで挨拶させていただきます」
という文を読むと、nanaponさんにブログを書くよう勧められ(そそのかされ)、この世界に「おっとっとっと」という感じで押し出されてしまったものの、確たる決意はなく、こっそり記事をアップして細々とやっていこうと思っていたようです。
 でも、「放電日記」という自己主張が強いネーミングからは、やる気満々のような気がします。

 毎年、「○周年」になると、過去の「○周年記事」を読み返し、≪毎年、同じようなことを書いているなあ≫という感想を持ち、新たに同じような「○周年記事」を書いています。
 昨年の記事が、ほんとそのまま現在の気持ちでもあるので、そのまま、引用しちゃいます。

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 ブログを始めて5年間、自分は変わったのか?
 書いている内容は変わってきているような気もするし、何の進歩もないような気がする。
 始めたころの新鮮な感覚はさすがにないように思うが、それでも、何かしら驚きや発見はある。
 熱い気持ちは……いつまでも持ち続けたい。

 ドラマに対する突っ込みは、若干角が取れたかも?……あ、でも、「3大残念サスペンス」なんて言っちゃってるし。
 将棋については、相変わらず羽生将棋に一喜一憂している(四喜一憂ぐらいにして欲しい)
 スポーツに関しては、思い出したように熱く語っている。

  ……まあ、あんまり変わっていないか………
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 実際、今回、かなり過去の記事を読み返したのですが、
≪元気だなあ≫≪一所懸命書いている≫≪熱いなあ!≫と感じます。
 そして、自分で言うのも何ですが、≪いい事、書いているなあ≫(笑)
 これは、ある意味、当たり前かも。自分が書いたものだから、共感する部分が多いのは、当然なのでしょう。
 でも、6年も経てば、≪この当時、こんな馬鹿みたいなことを考えていたのか≫なんて思う記事が多数あってもいいはずなのですが、私が成長していないからかもしれません。

 まあ、そこは開き直って、(5周年記事でも書きましたが)
≪熱い気持ちは……いつまでも持ち続けたい≫です。
 これからも、よろしくお願いします。
コメント (12)
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『軍師官兵衛』 第39話「跡を継ぐ者」

2014-10-01 17:14:06 | ドラマ・映画
私なりに
「秀吉の官兵衛に対する思い」をまとめてみると
・官兵衛の智謀への怖れ
・常に正論で、先を行く官兵衛に対する嫉妬と煩わしさ

という負の感情
そして、それとは逆の

・官兵衛の智謀の頼もしさ、これまでの官兵衛の正義や忠義心への信頼
 も感じている

 しかし、徐々に負の感情が大きくなり、黒田家の豊前への国替えや加増の最小限に留め、黒田家の力の抑制し、天下の中枢部から遠ざけた
 この動きの要因として上述の秀吉の怖れと三成の諫言があり、茶々への執着による盲目も遠因として挙げられる。
 けれども、秀吉に猜疑心を起こさせる官兵衛の行動はなく、誤解を生じるような行き違いもほとんど描かれていない。
 さらに言及するなら、ある時期から、三成と秀吉の距離が縮まり、官兵衛と距離を置くようになったという事実だけで、三成の諫言さえ具体的には描かれていない
ことに、不満を感じる。


 脚本的な疑問はさておき、
 秀吉と官兵衛の隔たりが広がりつつある情勢の中、豊前騒動が起き、一応の決着はついたものの、秀吉は宇都宮鎮房を許さず、成敗の命を下した。

 官兵衛は、
正義……(今ドラマにおいて)本領安堵を反故にした秀吉に因があり、鎮房との約束を果たしたい
忠義……主君である、秀吉の命には背けない
 の板挟みに遭い、「生き延びることが第一」という理由を付け、泣く泣く正義を曲げた


 秀吉は官兵衛の心を量ったのだろうが、これって、危険な賭けだったのではないだろうか?
 (このドラマにおいては)「官兵衛は義に厚い」ということを秀吉が最も知っており、官兵衛にこのような決断を迫るのは非常に危険であることは十分理解できたはずである。まして、秀吉は官兵衛の智謀を最も恐れていたのである。
 完全に官兵衛を嫌っていたのならともかく、リスクの大きすぎる賭けであったと言わざるを得ない。



 そして、前話の最後に家康から「秀吉が“自分の次に天下を取る者は官兵衛だ”とお伽衆に話した」ことを聞き、官兵衛は隠居を決意した。
 鎮房成敗で、秀吉への忠義は十分示したと思うが、茶々懐妊を知り、「子どもができ守りに入り猜疑心が強くなった小寺の殿様」と符合させてしまったのは仕方がないのかもしれない。

 秀吉は官兵衛の隠居を引き留める。お伽衆との戯言を真に受けるなと言う。
 確かに、秀吉の態度、それに鎮房成敗の件を合わせると、「戯言」であったと考えるのが妥当のように思える。
 となると、これをわざわざ官兵衛に伝えた秀吉の謀略であったと考えられる。
 しかし、「官兵衛隠居願い」の報を聞いた家康は意外そうな面持ち。
 腹黒い家康を演じる寺尾さん、本当はどうなの?


今回のクライマックス
秀吉を諌める官兵衛

 茶々を非難する落首に激怒し関係者を大惨殺した秀吉に対し
「人を殺さず味方に引き入れる秀吉の手法」と「皆が御子を待ち望む世にせねば豊臣家の先行きは危うい」と説く。
 「子どもの為」というのは、いつの世も切り札であるらしい。
(私も、PTAでそのセリフで何度も面倒なことを押しつけら………)

 徐々に狂気の色を濃くしてきた秀吉を、ビシッと切る官兵衛。
 殺気立つ家臣たち、一触即発の空気。

……「だからこそわしは官兵衛を手放せんのじゃ!合い分かった!」
 秀吉も、まだ「聞く耳」を持っていたようだ。

★竹中さんの演技
・「笑いながら怒る」芸は一級品でさすがの演技
・若い頃の秀吉の「人懐っこさ」、「人たらし」も堂に入っている
・何を考えているか分からない不気味さも十分
・しかし、動きが大きくワンパターン。大げさで重みがない。
・セリフが途中で切れるのは、演出?
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