つくばねの みねのもみぢば おちつもり しるもしらぬも なべてかなしも
筑波嶺の 峰のもみぢ葉 落ち積もり 知るも知らぬも なべてかなしも
よみ人知らず
筑波山の峰のもみじ葉が落ち積もって、知っている人も知らない人も皆いとしく思われることよ。
一つ前の 1095 で、その慈しみの恩恵を称えられた「君」が、こちらでは逆に民衆への慈しみを歌っているものと考えられています。
つくばねの みねのもみぢば おちつもり しるもしらぬも なべてかなしも
筑波嶺の 峰のもみぢ葉 落ち積もり 知るも知らぬも なべてかなしも
よみ人知らず
筑波山の峰のもみじ葉が落ち積もって、知っている人も知らない人も皆いとしく思われることよ。
一つ前の 1095 で、その慈しみの恩恵を称えられた「君」が、こちらでは逆に民衆への慈しみを歌っているものと考えられています。
つくばねの このもかのもに かげはあれど きみがみかげに ますかげはなし
筑波嶺の このもかのもに 蔭はあれど 君がみかげに ますかげはなし
よみ人知らず
筑波山のこちら側にもあちら側にも蔭はありますけれど、あなたの御影にまさる蔭はありません。
詞書には「常陸歌」とあります。「君」はお仕えする主君とも、愛しい異性ともとることができそうです。前者と捉えれば「みかげ」は恵みによって守られること、後者と捉えれば文字通り「お姿」の意ですね。
こよろぎの いそたちならし いそなつむ めざしぬらすな おきにをれなみ
こよろぎの 磯立ちならし 磯菜つむ めざし濡らすな 沖にをれ波
よみ人知らず
こよろぎの磯をさかんに歩き回って磯菜を摘む少女を濡らす出ない、沖にいなさい、波よ。
詞書には「相模歌」とあります。「こよろぎ」は相模国(今の神奈川県)の地名で、後には「磯」にかかる枕詞として使われるようになりましたが、ここでは「相模歌」ですから実際の地名(「小余綾」)を表しているのでしょう。0874 にも出てきた語ですね。「めざし」はもともとは目にかかるほどの長さで前髪を切りそろえた子供の髪型の意で、そこから少女そのものを指すようにもなりました。ここでは後者の意味ですね。
きみをおきて あだしごころを わがもたば すゑのまつやま なみもこえなむ
君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ
よみ人知らず
あなたを差し置いて他の人に心を寄せるようなことがあったならば、末の松山を波も越えてしまうことでしょう。
「あだし」ははかない、変わりやすい意で、「あだし心」は他の人に心を移す意で「浮気心」。末の松山を波が越えるとは、ありえないことが起きることの常套表現ですね。
もがみがは のぼればくだる いなふねの いなにはあらず このつきばかり
最上川 のぼればくだる 稲舟の いなにはあらず このつきばかり
よみ人知らず
お逢いするのが嫌なのではなく、今月だけはどうしても都合が悪いのです。
第一句~第三句は、「稲(舟)」と同音の「否」を導く序詞ですね。