延喜十九年、東宮の御息所の、右大臣殿の御賀奉りたまふとて、御かざしの料、保忠の右大弁のよませたまふ
こころありて うゑたるやどの はななれば ちとせうつらぬ いろにざりける
心ありて 植ゑたる宿の 花なれば 千歳うつらぬ 色にざりける
延喜十九年(919年)、東宮の御息所が右大臣殿の誕生日の祝賀の宴を催された際に、右大弁藤原保忠公の仰せにより、冠の花飾りを題材に詠んだ歌
思いを込めて植えた家の花ですから、千年の時を経ても色あせることなどありません。
「東宮の御息所」は藤原穏子(ふじわら の おんし/やすこ)、「右大臣」は藤原忠平(ふじわら の ただひら)のこと。穏子は第60代醍醐天皇の中宮で、第61代朱雀天皇、第62代村上天皇の生母。忠平は、朱雀・村上両帝の摂政、関白として長く権勢を揮いましたので、二人は大変親密な関係にあったのでしょう。
この歌は玉葉和歌集(巻第七「賀」 第1054番)に入集しています。