さはべなる まこもかりそけ あやめぐさ そでさへひちて けふやくらさむ
沢辺なる 真菰刈りそけ あやめ草 袖さへひちて 今日や暮らさむ
沢辺に生えた真菰を刈り除き、あやめ草を引いて袖まで水に濡れたまま、今日を暮らそう。
第二句の「かりそく」は「狩り除く」で、「あやめ草」は「あやめ」ではなく「しょうぶ」のこと。和泉式部の歌に
まこもぐさ おなじみぎはに おふれども あやめをみてぞ ひともひきける
真菰草 おなじ汀に 生ふれども あやめを見てぞ 人も引きける
(和泉式部集 第二 第31番
あやめと似ている真菰草が汀に生えているけれど、人は見分けてあやめだけを引き抜いてゆく)
というものがあり、真菰とあやめ草は水辺に一緒に生えていてしかも外見が似ているけれども、人はあやめ草を好み、選り分けてあやめ草だけを抜いていくという歌意には、関係ない第三者から見れば似たような外見であっても、特定の異性に恋焦がれる思いが込められているようです。本歌も同じで、袖を濡らしているのは、恋焦がれる気持ちからの涙であるのでしょう。