わびぬれば みをうきくさの ねをたえて さそふみづあらば いなむとぞおもふ
わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて さそふ水あらば 去なむとぞ思ふ
小野小町
つらい気持ちで過ごしているうちに自身の身がいやになってしまいましたので、根のない浮草が水に流れて行くように、私も誘ってくれる人があるならば、都を去ろうかと思っています。
詞書には「文屋康秀、三河掾(みかはのぞう)になりて、県見(あがたみ)にはえ出で立たじやと、言ひやれりける返事(かへりごと)によめる」とあります。「県見」は地方を視察することで、文屋康秀が地方官として赴任するに際して、「視察に行くことはできませんか?」と小町をやんわりと誘っているのですね。それに対する返答の歌が本歌で、実際に同行はできないものの、「わが身がつらく、都を去っても良いほどです」と返したというわけです。六歌仙に名を連ねる二人のやりとりとしても興味深いですね。
みやこびと いかがととはば やまたかみ はれぬくもゐに わぶとこたへよ
都人 いかがと問はば 山高み 晴れぬ雲居に わぶとこたへよ
小野貞樹
都の人が、あの男はどうしていると尋ねたならば、山が高いので雲が晴れない場所で、心も晴れずに暮らしていると答えてください。
詞書には「甲斐守にはべりける時、京へまかり上りける人につかはしける」とあります。甲斐国の長官として赴任していた際に京へ行く人に託したということですから、「山が高くて雲が晴れない場所」とは甲斐国のこと。そこでの暮らしも「わぶ」ということですから、甲斐への赴任は心ならずのものだったのかもしれません。
作者の小野貞樹(おの の さだき)は小野小町の夫とも言われている人物で、その小町との間の贈答歌が 0783 に採録されています。古今集への入集はこの二首ですね。
かりのくる みねのあさぎり はれずのみ おもひつきせぬ よのなかのうさ
雁の来る 峰の朝霧 晴れずのみ 思ひ尽きせぬ 世の中の憂さ
よみ人知らず
雁の飛ぶ季節の峰の朝霧が晴れることがないように、私の心も晴れず、物思いの尽きることがないこの世のつらさよ。
雁の飛ぶ季節は秋のこと。秋は春とはまた違ったとても良い季節ですが、イメージとしてはやはり寂しさ、物悲しさといったところが強いでしょうか。和歌に歌われる秋もそうしたイメージのものが多いですね。