漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 193

2023-10-26 06:14:37 | 貫之集

まつかぜは ふけどふかねど しらなみの よするいはほぞ ひさしかりける

松風は 吹けど吹かねど しら波の 寄する巌ぞ 久しかりける

 

松風が吹こうが吹くまいが、それにかかわりなく白波が寄せる巌は長く変わることがない。

 

 第三句の「しら」は「知ら(ず)」と「しら(波)」の掛詞になっています。
 この歌は、新古今和歌集(巻第七「賀」 第721番)の伊勢作の歌と大変良く似ています。

 

やまかぜは ふけどふかねど しらなみの よするいはねは ひさしかりけり

山風は 吹けど吹かねど しら波の 寄する岩根は 久かりけり

 

 写本によっては、貫之歌の初句が「山風は」となっているものもあり、そうなるとますます似ていますね。作者が混乱して伝わったのではとの説もあるようです。


貫之集 192

2023-10-25 05:28:54 | 貫之集

滝の水

おもふこと たきにあらなむ ながれても つきせぬものと やすくたのまむ

思ふこと 滝にあらなむ 流れても 尽きせぬものと やすくたのまむ

 

滝の水

私の思いがこの滝の水のようであってほしい。流れても尽きることなく、たよりとして安心していられるだろうから。

 

 一見すると、「自分の思いが滝のように尽きないものであればそれを頼りとして安心できる」というのは意味が良くわからない気がしますが、この歌が宇多法皇の長寿を祝い願う歌であることを思い出すと、自分の思いが続くこと、すなわち自身が心のよすがとして尊崇する存在のさらなる長寿を願う気持ちであることが感じられますね。


貫之集 191

2023-10-24 06:08:00 | 貫之集

松にかかれる藤

まつかぜの ふかむかぎりは うちはへて たゆべくもあらす さけるふぢなみ

松風の 吹かむかぎりは うちはへて 絶ゆべくもあらず 咲ける藤波

 

松にかかる藤

松風が吹いてくるかぎり、絶えることなく藤の花が咲き続けるに違いない。

 

 風に吹かれて藤の花房が揺れるのを「波」に見立てての詠歌。松と藤の組み合わせも何度も登場しますね。 ^^
 この歌は、拾遺和歌集(巻第十六「雑春」 第1067番)にも入集しています。


貫之集 190

2023-10-23 06:16:20 | 貫之集

子の日

はなににず のどけきものは はるがすみ たなびくのべの まつにぞありける

花に似ず のどけきものは 春霞 たなびく野辺の 松にぞありける

 

子の日

散ってしまう花とは違って、のどかな気分で長く楽しめるのは、春霞のたなびく野辺で根を引く、子の日の小松であるよ。

 

 003091127140 と、貫之集でも何度も出てきている「子の日」を詠んだ歌。それだけ重要で広く普及した行事だったのでしょうね。


貫之集 189

2023-10-22 05:16:53 | 貫之集

わかなおふる のべといふのべを きみがため よろづよしめて つまむとぞおもふ

若菜おふる 野辺といふ野辺を 君がため 万代しめて 摘まむとぞ思ふ

 

若菜の生えている野辺という野辺に、あなたさまのために標めを張って、いつまでも摘んでさしあげようと思います。

 

 第四句の「しめて」は「標めて」で、自分の領地であることを示す目印をする意。ひとつ前の 188 と「若菜」「摘む」「君がため」の語が共通しており、同じ屏風絵に対して二首詠んだのかもしれませんね。
 この歌は、新古今和歌集(巻第七「賀歌」 第711番)にも入集しています。百人一首にも採録された古今集歌(古今集 0021)も踏まえてのものでしょうか。作者の「仁和の帝」は第58代光孝天皇のことです。

 

きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ

気にがため はるののにでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ

 

仁和の帝