北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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歴史と自然の島2

2012-07-03 21:02:55 | 渡島・檜山地方
かもめ島編その2。
千畳敷や追分功労者の碑の他にも、見どころは沢山なのです。








「鴎島灯台」。
江戸時代、「江差の五月は江戸にもない」と言われるほどニシン漁で栄えた江差の港にあって、そこを行き交う船の安全を守るために設置されたという、由緒ある灯台だそうです。





灯台から見た海の向こう。
方角的に考えると、もしかして奥尻島かな?
フェリーでは2時間ほどかかるけど、地図上ではそんなに離れているように見えないのが、何とも不思議なのです。





再び、下の岩場を眺めて一枚。
実際、下まで降りていくことができます。








またまたありました、江差追分に関する記念碑が。
江差追分のルーツは、江戸時代、信州の中仙道で唄われた馬子唄であるとされており(他説もある)、それが、一種のはやり唄として全国各地に広まり、今から200年ほど前に、北前船によって江差に運ばれてきたとされている。
そして、今度はその「江差追分」が全国に広がるようになり、この記念碑ができたということなんでしょうね。





反対側の島を眺めて一枚。
遊歩道で繋がっているので、簡単に渡ることができます。





その途中、綺麗な花が咲いているのを見つけました。





何かと思って近づいてみると、ハマナスでした。
かもめ島は、ハマナスでも知られる島なのです。





何じゃこれは?
弁慶の足跡?
これは興味が湧いてきます。








なるほど、言われてみれば、確かに巨大な足跡のようにも見えますね。
それにしても、江差にも義経伝説があったというのは、驚きでした。





こちらにも砲台跡がありました。
しかもこっちは、実際に攻めてきた軍艦に攻撃を加えた場所だそうです。





今はこうして普通の草原になっているけれど、このように、一見どこにでもありそうな場所に、実は深い歴史があるというのも、道南地方ならではなんだなと思いました。








最後に、下に降りてもう一つ紹介。
500年ほど前、ニシンの不漁で町が飢餓に襲われた際、折居婆というお婆さんが、かもめ島で白髪の老人からもらった神水を海に注いだところ、たちまち海にニシンが群来したという話が残されており、その水を入れていた瓶子が岩となったのが、この瓶子岩(へいしいわ)だとされています。
珍しい形の岩なので、きっと何かいわれがあるのだろうなと思っていたら、そういうことでした。
コメント
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