北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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屋号の由来

2017-04-23 18:05:46 | 函館



ご存知、「金森赤レンガ倉庫」。
これに関して、先日、今年函館に異動してきた同僚からこんな質問を受けた。


「金森倉庫は、『かなもり』と読むのか、それとも『かねもり』なのか?」


私のように、1980年代後半の西武ライオンズ黄金期にファンだった人は、迷わず「かなもり」って読んじゃいそうだし、そうじゃなくても、「かなもり」と読む人が多いと聞いたことがあるが、正解は「かねもり」なのです。


※当時の背番号26。デッドボールを受けた際のリアクションが何度も珍プレー番組で取り上げられ、大人気を博した、金森永時選手を頭に浮かべてのコメント。


上の写真で、外壁に掲げられている文字を見て下さい。森の上に、鍵カッコのような記号がついています。
これは、曲尺(かねじゃく)という記号に由来する「かね」と読む記号で、昔の屋号に用いられたものです。
創立者である「函館四天王」の一人、渡邉熊四郎は「商売に駆け引きは不要」と考えていたそうで、この曲尺には、「律義でまっすぐ」という意味があることから、そうした信条を持っていた渡邉熊四郎に相応しい屋号であると言われています。
そう、先に書いちゃいましたが、「かねもり」というのは、屋号なのです。

では、そこに触れたついでにもう一つ。
「金森」の「森」とは?

これは、渡邊熊四郎が函館に渡ってくる以前、長崎で勤めていた薬屋「森屋」から名付けられたとされています。
24歳の時に長崎から函館にやってきた渡邉熊四郎は、1869年、現在の函館市大町(現在の赤レンガ倉庫の場所ではない)に「金森洋物店」を開業し、屋号を「金森森屋」としました。
この洋物店は現在の赤レンガ倉庫に繋がるものではなく、1879年の大火により建物が焼失し、翌1880年に新たな建物として開業。現在、その建物は「市立函館博物館郷土資料館」なっています。

また、同じ屋号を持つ有名な施設として、1925年に開業した「金森森屋百貨店」をルーツとする、「棒二森屋百貨店」があります。
(写真がなかったので、百貨店の公式サイトへのリンクでご勘弁を)

最後に、先程、「金森洋物店」の場所が、現在の赤レンガ倉庫の場所ではないと書きましたが、では肝心の倉庫の歴史はというと、1887年、外国人居留地や官設造船所などがあった場所を渡邉熊四郎が購入し、跡地に倉庫を建設したのが最初とされています。
1895年には、21棟1,656坪に及ぶ倉庫を所有し、断然同業他社を引き離すこととなり、日露戦争後、1907年に締結された日露漁業協約により、ロシア領での漁業が最盛期を迎えたことで、営業倉庫も拡大の一途を辿ることとなりました。
その後昭和後期になって、輸送形態が飛行機主流になったことや、北洋漁業の縮小などの影響で、倉庫業は徐々にその規模を縮小せざるを得なくなりましたが、倉庫の建物は「伝統的建造物」に指定されて、商業施設、多目的ホールなどに業種転換され、現在に至っています。
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