北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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ロバパンと公園

2021-11-05 18:52:25 | 札幌

今日は、なんだかんだで三週間ぶりのテレワークの日。

一つ山を越えたので、のんびりと構えていたら、仕事の進め方をめぐって、ある部署と、メールで意見対立状態に。

こっちにも言い分はあるけれども、こんなことで喧嘩しても仕方ないので、そこはまあということで。

ということで、今日はこんな場所をご紹介。

 

 

 

札幌の白石区本通、国道12号沿いにある「ロバパン」という会社の本社工場。

美味しいパンやスイーツが沢山作られていて、北海道民にはおなじみの会社です。

 

 

昭和6年(1931年)、創業者の「石上寿夫」氏が、ロバに荷車を引かせてパンを売り歩いたことが名前の由来となっており、本社前には、このような可愛らしい彫像も設置されています。

「ロバパン」のメニューは公式サイトを御覧いただければと思いますが、たまにスーパーとかでパンを買って食べようというときになると、美味しそうなメニューの数々に目移りしている状態になっています。

 

 

そんな「ロバパン」本社工場の裏にある小さな公園。

 

 

 

お、何やら面白そうなことが書かれていますよ。

 

 

 

そう、パン工場の隣にあるということで、こんなデザインの遊具が設置されているのです。

昨年4月に放送された「発見!タカトシランド」白石本通エリア編で、タカさんと、ゲストの榊原郁恵さんが訪れていたのを見て、私も興味を持っていました。

これは美味しそうじゃなくて楽しそうだぞ。

 

 

 

食パンの他に、クロワッサンもあります。

 

 

パンを模った遊具はこれだけですが、先程の解説板にもあるとおり、この辺りには有名なレンガ工場があったとのことで、こんな遊具も設置されています。

そのレンガ工場については、跡地は分かっているものの、行こう行こうと思いながら行けていないので、年内にでも行ってくる予定です。

 

 

 

 

 

 

 

この日は遊んでいるお子さんはいませんでしたが、こういう遊具が置かれていると、また違った楽しみ方ができるのではないかと思いました。

 

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横町

2021-11-04 19:37:17 | 札幌

 

 

 

地下鉄東西線「東札幌」駅。

「大通」駅から終点の「新さっぽろ」駅に向かって三つ目の駅です。

これまでそんなに利用したことはなかったのだけど、先日紹介した、トマト麺のお店「Vegie」さんへ行くのに、久しぶりに降りてみました。

元々は通称地名でしたが、昭和33年(1958年)に正式な行政地名となっています。

因みに、「新さっぽろ(新札幌)」は、行政地名ではなく通称地名です。

 

 

 

そんな東札幌エリアの一角をブラブラと。

 

 

「米里・行啓通」という幹線道路。

 

 

お、またまた電柱に注目ですか?

 

 

そうです。

今回注目したのは、この「横町」という地名。

こちらは現在は存在しない地名ですが、札幌の歴史の本を読むと出てくる、開拓の歴史に関係する地名です。

 

 

かつて、黒で記した線の通りは「横町通」と言われていました。

ここは、当時「本通」と呼ばれてこの地域の開拓の基準となった、現在の国道12号から直角に曲がる、横向きの位置にあったことから、「横町通」と呼ばれるようになり、この道に沿って14戸の家が移転したことが、現在の東札幌に繋がる開拓の歴史の始まりとされています。

明治5年(1872年)、この地へ旧白石藩(現在の宮城県)から入植民がやって来ましたが、当初入植した地は、翌年の融雪期になると大変な洪水に見舞われ、とても住める状態ではなかったことから、開拓使に申請し、この道に沿った地域を割り当てられたとされています。

 

 

 

現在は普通の住宅街ですが、かつて畑地だった頃には、大きな用水路も流れており、そのため、この通りは「二号用水通」とも呼ばれていたそうです。

 

 

因みに、先程紹介した「横町」と表記のある電柱は写真の右側で、

 

 

左側はと言うと、

 

 

普通に「白石」と表記されています。

と言うことは、こちら側は「横町」と呼ばれた地域ではなかったということなのでしょうかね。

こんな風にはっきりとした違いが見られるというのも、なかなか興味深くて面白いです。

 

 

札幌市内にかつてあった地名を探す歴史散歩、これからも色々発掘してみたいと思います。

 

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カフェのある文具店

2021-11-03 16:24:50 | グルメ・スイーツ

 

地下鉄南北線北24条駅近くにある「文具のみつはし」さんというお店。

文房具って、最近はホームセンターや100円ショップでも良質な物が揃っていたりするので、専門店に行く機会はそんなになくなっていましたが、ちょっと興味のあるお店だったので、行ってきました。

 

 

 

明るい雰囲気の店内は、文房具に雑貨と、見て歩くだけで楽しい品揃えとなっています。

 

 

お店の中でも人気のコーナーだという、「シマエナガ」のグッズを扱っているコーナー。

 

 

私もまだ見たことはありませんが、札幌市内でも、例えば円山公園などで、見たという情報があるそうです。

 

 

書道用具のコーナー。

専門店に匹敵するほどの充実した品揃えです。

 

 

ということで、このお店に行ってみようと思ったきっかけですが、大体お察しはついていたかもしれませんが、「発見!タカトシランド」で、トシさんとゲストの中山秀征さんが訪れたお店で、事前アンケートで、「やりたいこと」の問いに「書道の個展を開きたい」と書いていた中山さんのために、トシさんがセレクトしたお店がこちらということでした。

 

 

番組の中で、中山さんが直筆でしたためた書がしっかりと展示されています。

 

 

そして、お店の一角には小さなカフェスペースも設けられています。

 

 

せっかくなので、ダークローストのコーヒーとクッキーをオーダー。

アイスクリームも扱っています。

 

 

カフェスペースの壁には、こんな写真の展示も。

以前紹介しましたが、地下鉄南北線の開業前は、北区新琴似まで市電「鉄北線」が走っていて、ここ北24条は、停留所近くに車庫もある、乗降客の多い停留所でした。

 

 

これも以前紹介しましたが、かつて北24条には「札幌飛行場」という飛行場が存在していました。

 

 

こういう写真も見るのが好きなので、見入ってしまいました。

 

「文具のみつはし」さんは、創業からおよそ60年という、長い間北24条に根差した老舗とのこと。

私の卒業した小学校の側にも、学用品を扱う小さな文具店がありました(現在は閉店)が、かつてはこちらもそのようなお店だったのが、現在はこのようなお洒落なお店として、人気を集めるようになっています。

 

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知事公館

2021-11-02 19:42:45 | 札幌

 

昨日の記事で触れた「桑園碑」のある「知事公館」。

緊急事態宣言やまん延防止措置の関係で、長い間一般公開が中止されていたのだけど、ようやくそれが解かれたので、行ってきました。

 

 

旧庄内藩藩士の宿舎があった場所ということは昨日触れましたが、この表示板に書かれていないことを書くと、明治25年(1892年)に、元越後長岡藩士で、明治期の地方官吏、政治家であった「森源三」という人物が購入して邸宅を建て、その邸宅と敷地を「三井合名会社」が買収し、昭和11年(1936年)に、「三井別邸新館」が建設されました。

昭和28年(1953年)に北海道の所有となったとありますが、その前に、敗戦に伴い、アメリカ軍に接収されていた時期もあったそうです。

 

 

 

「村橋久成」という人物のことは全く知りませんでした。

「麦酒醸造所」のことは紹介したことがありましたが、そこでも書いていませんでした。

 

 

 

 

この広場は、屋外イベントも多く開催されていて、私は小学校の頃、オーケストラの野外コンサートを観に行ったことがあります。

 

 

現在の「知事公館」は、近世イギリスの田園住宅を思わせる「ハーフティンバー」と呼ばれる様式の洋風建築で、1階が応接室、ホール、事務室、2回が会議室、書斎、寝室などから構成されています。

 

 

同じ形の野外彫刻が二基設置されています。

 

 

 

 

 

 

作られた年次が違うようですが、作者の「流政之」氏は、長崎県出身で、独学で彫刻を学び、昭和38年(1963年)に渡米し、ニューヨーク近代美術館に永久保存作品が収蔵されている、国際的な評価も高い彫刻家です。

「サキモリ」とは、日本史の授業で出てきましたが、古来より命を捨てて国を守った無名の戦士「防人」のことです。

 

 

 

こちらは、札幌市内にも多く作品が見られる「安田侃」氏の作品です(有名なのはこちら)。

「意心帰」とは、「意識、心、意識や心が帰るところ」という意味で、「意識や心は形も象ない、形がないものは象を求める。意識や心は形を求める。その志や意志を形状のある具体化した何か置き換えて表すことを求められる。そうした意識や心も、それがあった処に帰る、命をもつ個人のなかに」という思いが込められているそうです。

 

 

緊急事態宣言が明け、週末や休日には多くの人で賑わうようになりましたが、せっかくの広場ですからして、ルールやマナーを守って楽しみたいものですね。

 

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「桑園」のルーツ

2021-11-01 19:49:25 | 札幌

 

 

JR函館本線の「桑園」駅。

札幌から小樽方面へ向かって一つ目の駅で、石狩当別方面へ向かう「学園都市線」の分岐駅でもあります。

 

 

 

御覧のとおり、駅周辺には「桑園」と名の付く施設が多く見られますが、この「桑園」というのは行政地名ではなく、はっきり、「ここからここまで」というのが明確になっていません。

 

 

JR桑園駅の印象が強いせいか、札幌市民にとって、「桑園」というと、駅を中心したこの辺りをイメージする人が多いかと思いますが、実は歴史を遡っていくと、現在の駅のある場所は、元々「桑園」とされたエリアではなかったという、衝撃の事実に辿り着きます。

 

 

大通公園にある、「黒田清隆」の像。

開拓使次官→長官として、北海道開拓の陣頭指揮を執った人物として知られています。

 

 

同じく大通公園に設置されている、開拓使のお雇い外国人「ホーレス・ケプロン」の像。

北海道開拓の陣頭指揮を執っていた黒田は、屯田兵とその家族の副業として、養蚕業を取り入れるよう、開拓使判官であった「松本十郎」に指示し、ケプロンの助言で、明治8年(1875年)に、酒田県(現在の山形県酒田地方)から技術者を招き、養蚕場を開設しました。

 

 

その養蚕場があったとされるのが、現在は国の機関の庁舎が建っている写真のこの場所。

先週金曜日に紹介した「おてんき公園」の向かいです。

 

 

養蚕場で飼育されるカイコの餌として知られるのが、「桑(クワ)」の木。

養蚕事業の拡大に伴い、この周辺にも、桑の木が多く植えられることになり、移民達は、明治8年6月から9月にかけて、実に21万坪にも及ぶ大規模な開墾を進め、養蚕のための桑の木が多く植樹されたことから、いつしかこの一帯は、移民達の出身地の名を取って、「酒田桑園」と呼ばれるようになりました。

これこそが、現在に至る「桑園」のルーツとされています。

 

 

その移民たちが開拓し、「酒田桑園」と呼ばれるようになっていたのは、大体写真の黒で囲った範囲とされています。

そう、見てのとおり、現在の桑園駅の場所は含まれておらず、それどころか、現在の「桑園」のイメージよりもずっと南になっていることが分かります。

写真の赤丸は、先程の養蚕場があった場所ですが、では、緑色の丸はというと・・・、

 

 

幹線道路の「北1条通」沿いにある「知事公館」。

移民達のルーツである、旧庄内藩藩士の宿舎があった場所に存在しています。

当時、養蚕事業のために植樹された桑の木は、実に14万株もあると言われていますが、伐採や移植によって、現在では殆ど見ることができなくなってしまっています。

 

 

 

しかしながら、実はこの敷地内に、今でもこうして残されています。

 

 

 

そしてここには、そんな「桑園」の歴史を語り継ぐシンボルとして、昭和40年(1965年)に、このような碑が建立されています。

 

 

 

 

現在の桑園駅の北側にある「札幌競馬場」。

明治40年(1907年)に、現在の中島公園の場所から現在地に移ってきましたが、その翌年に、現在の中央区北5条に鉄道の仮乗降場(競馬開催日に限って開業される駅)が誕生。同44年(1911年)に、「競馬場前仮乗降場」が設けられ、住民の要望もあって、大正13年(1924年)に、貨物を取り扱わない旅客駅となりますが、その駅名として冠せられたのが、かつてはここよりも南とされていた「桑園」の名前であり、これがきっかけとなって地域として発展の一途を辿ることとなり、現在に至っています。

現在は高層マンションが立ち並ぶ住宅街となっていますが、そんな町のルーツを知ってみると、益々興味深く町歩きができそうな気がします。

 

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